日常的な運動量の個体差がモノアミン神経系を介した 運動の抗うつ効果

(39)
第 30 回若手研究者のための健康科学研究助成成果報告書
2013 年度 pp.39∼44(2015.4)
日常的な運動量の個体差がモノアミン神経系を介した
運動の抗うつ効果に及ぼす影響の解明
柳 田 信 也*
久 保 田 夏 子**
EFFECTS OF DAILY AMOUNT OF SPONTANEOUS RUNNING ON
MONOAMINERGIC SYSTEMS AND ANTIDEPRESSANT
EFFECTS OF PHYSICAL EXERCISE
Shinya Yanagita, Natsuko Kubota
Key words: spontaneous running, daily amount of physical exercise, monoamine, antidepression.
緒 言
日常的な自発運動量の増加、すなわち運動習慣の
形成とうつ病をはじめとした精神疾患予防の関係
うつ病などの精神疾患の予防や改善方法の確立
性を解明していく意義は深いと考えられる。
は、21世紀の中心的な健康課題である。日常的な
そこで我々は、自発運動量の異なる動物モデル
運動が、このツールとして有用であることは明ら
を用い、その差を生み出す脳内メカニズムを探索
かであるが、どのような運動がより効果的である
してきた。その結果、日常的な自発運動量の少な
かという点については不明な点が多い。特に、抑
い低活動群では高活動群よりも脳内セロトニン量
うつや抗不安効果を得るための適切な運動量や強
が有意に高いことがわかった。これらのラットモ
度についての共通見解は全く得られていない。
デルを用いた実験的検討から、日常的な自発運動
2011年に発表された21世紀における国民健康づく
量の低下を生み出す要因として、脳内セロトニン
り運動(健康日本21) の最終答申によって、我
量が重要な役割を果たしていることが示唆され
が国の国民における日常的な運動習慣や運動量は
る。脳内のセロトニン量は、うつ病や不安、スト
過去10年間で有意に変化していないことが明らか
レス関連疾患の発症と密接に関係していることは
になった。日常的な身体活動・運動量が低い者
よく知られていることから、日常的な運動量の多
は、活発な者と比較して循環器疾患やがんなどの
寡はセロトニンをはじめとした脳内モノアミン神
非感染性疾患の発症リスクが高いばかりでなく、
経系を介して、運動の抗うつ・抗不安効果に影響
精神疾患と身体不活動の関係性も示唆されてい
を及ぼす可能性が高いと考えられる。そこで、本
る。 こ れ ら の 疫 学 研 究 に よ る 知 見 を 踏 ま え、
研究ではラットを用い、日常的な自発運動量の個
WHO は、高血圧、喫煙、高血糖に次いで、身体
体差が運動による抗うつ・抗不安作用に及ぼす影
不活動を全世界の死亡に対する第 4 の危険因子で
響について、セロトニン前駆体によって脳内セロ
あるとする認識を発表した 。これらのことから、
トニン量を変化させる薬理学的検討、およびうつ
4)
6)
*
** 東京理科大学理工学部 Faculty of Science and Technology, Tokyo University of Science, Chiba, Japan.
東京理科大学総合研究機構 Research Institution for Science and Technology, Tokyo University of Science, Chiba, Japan.
(40)
様行動、不安様行動などの行動学的検討から明ら
れたラットに対し、セロトニン前駆体( 5 -HTP)
かにすることを目的とした。
を腹腔内に投与した。投与量は60 mg/kg であり、
1 日 2 回(明期と暗期の開始時)のスケジュール
研 究 方 法
で投与を行った。また、コントロールとして、
A.実験動物
HR 群の半分の個体には生理食塩水を同量、同方
実験には、Wistar 系の雄ラットを用いた(n =
32)
。 3 週齢のラットをランニングホイール付の
法で投与した。
D.うつ・不安様行動の測定
ケージ(Lafayette inst. 製)もしくは通常のプラス
自発運動量がうつ様行動および不安様行動に及
チックケージ(コントロール群)で飼育した。飼
ぼす影響を検討するために、それぞれの行動を
育環境は、12時間ごとの明暗サイクル、環境温
HR 群と LR 群で比較検討した。うつ様行動の指
23℃が保たれ、水と餌は自由摂取とした。すべて
標としては、強制水泳を用い、ラットは連続する
の実験は、東京理科大学動物実験倫理委員会の規
2 日間において初日は15分間、 2 日目は 6 分間、
定に基づき承認、実施された。
円形の水槽内を泳ぎ、移動時間および不動に至る
B.自発運動量のスクリーニング
時間を計測した。不安様行動としては、オープン
すべてのラットは、それぞれのケージで 4 週間
フィールドテストおよび高架式十字迷路テストを
飼育された。ランニングホイール付ケージで飼育
用い、オープンフィールドテストにおいては、ラ
されたラットの走行量について、ケージに付属さ
インクロス数、中央侵入回数、移動距離を指標と
れているデジタルカウンターで測定し、飼育開始
し、高架式十字迷路においては、オープンアーム
3 週間の走行量によって高活動(HR)群と低活
およびクローズドアームの滞在時間とオープン
動(LR)群にスクリーニングした。スクリーニ
アーム侵入回数を指標として測定を行った。
ングの基準は、まず、すべての個体のランニング
E.脳内モノアミン量の測定
ホイールによる自発運動量を平均し、その平均値
5 -HTP 投与によって、脳内セロトニン量が実
+0.5標準偏差以上の走行量を示したラットを HR
際に変化したかどうかを検討するために、先行研
群に分類し、平均値−0.5標準偏差以下の走行量
究と同様の 8 部位(前頭前野:PFC,尾状核:
のラットを LR 群とした。また、その中間の走行
CPu,側坐核:NAc,視床下部室傍核:PVN,海
量の個体は分析から除外した。
馬:Hipp, 扁 桃 体 中 心 核:CeA, 腹 側 被 蓋 野:
C.セロトニン前駆体の投与
VTA,背側縫線核:DRN)をマイクロディセク
本研究では薬理的に脳内セロトニン濃度を変化
ションし、ホモジナイズサンプルについて高速液
させた場合の自発運動量の変化を解析した。 3 週
体クロマトグラフィー(HPLC)を用いてモノア
間のスクリーニング期間終了後に HR 群に分類さ
ミン量の定量を行った。
F.統計解析
(m)
コントロール群、HR 群および LR 群の行動デー
16000
タおよび脳内モノアミン量について一元配置の分
散分析を行い、主効果が認められた場合には多重
12000
Distance
比較検定を行った。また、HR 群に対する 5 -HTP
投与の影響については、5 -HTP を投与されたラッ
8000
トと生理食塩水を投与されたラットの 2 群間にお
4000
0
いて t 検定を用いて平均値の差の検定を行った。
1W
2W
Weeks
3W
4W
図 1 .自発運動量の推移とスクリーニング
Fig.1.Daily amount of spontaneous running distance and screening.
本研究における統計的有意水準は 5 %とした。
(41)
ある暗期の自発運動量に注目してみると、生理食
結 果
塩水を投与された群に比べ、有意に自発運動量が
A. 5 -HTP 投与による自発運動量の変化
低い値を示すことが明らかとなった(P < 0.05,
図 2 D)。
図 2 に、HR 群のラットにおける 5 -HTP 投与
B. 5 -HTP 投与によるセロトニン量の変化
による自発運動量の変化を示した。統計的に有意
な差は認められないものの、 5 -HTP を投与され
5 -HTP 投与後の脳内各部位のセロトニン量を、
た期間(自発運動開始後23日以降)において、投
生理食塩水を投与されたラットと比較した結果、
与された個体の自発運動量が低下する傾向が認め
セロトニン量自体には両条件間で有意な差は認め
られた(図 2 A・B・C)。更に、ラットの活動期で
られなかった(図 3 A)。しかしながら、 5 -HTP
C)
12000
1400
saline/HR
5-HTP/HR
10000
10000
Daily WR distance
(m)
B)
n=5
n=7
8000
8000
6000
6000
4000
4000
2000
2000
0
2-
9-
16-
0
23-
D)
Average WR distance
(m/phase)
12000
Average WR distance
(m/hour)
A)
8000
saline/HR
5-HTP/HR
1200
7000
9-
16-
1000
5-HTP/HR
5000
800
4000
600
3000
400
0
23-
*
6000
2000
1000
200
2-
saline/HR
0
1:00
13:00
14:00 injection
Light
Dark
図 2 .5-HTP 投与による自発運動量の変化
Fig.2.Changes of spontaneous running distance after 5-HTP injection.
A: daily individual data, B: daily mean data, C:changes during dark phase, D: mean data light and dark phase.
*: P < 0.05 vs. light phase.
A)
0.09
Serotonin level
(ng)
0.08
0.07
C)
B)
saline/sed
5-HTP/sed
saline/HR
5-HTP/HR
0.1
0.2
14
0.18
12
0.16
0.14
0.06
10
0.12
0.05
0.1
0.04
0.08
0.03
0.06
0.02
0.04
0.01
0.02
0
0
PFC
CPu
NAc
PVN
Hipp
CeA
VTA
DRN
8
6
4
2
PFC CPu NAc PVN Hipp CeA VTA DRN
0
図 3 .5-HTP 投与による脳内セロトニンおよび代謝産物量の変化
Fig.3.Changes of 5-HT and metabolate after 5-HTP injection.
A: 5-HT, B: 5-HTP, C: 5-HIAA/5-HT.
40
35
LR
HR
30
25
20
15
10
5
0
図 4 .強制水泳テストにおけるうつ様行動
(不動時間)
Fig.4.Depression-like behaviors in forced swim test (immobility time).
PFC CPu NAc PVN Hipp CeA VTA DRN
(42)
A)
B)
300
*
250
LR
HR
200
90000
80000
*
70000
60000
50000
150
40000
100
30000
20000
50
10000
0
0
C)
D)
12
16
10
8
6
4
2
0
14
12
10
8
6
4
2
0
図 5 .オープンフィールドテストによる不安様行動
Fig.5.Anxiety-like behaviors in open field test.
A: total line crossed, B: total traveling distances, C: number of into center, D: time spent in center.
*: P < 0.05 vs. LR.
を投与された個体におけるセロトニン代謝産物
が、HR 群のほうが LR 群よりも傾向として低い
(5 -HIAA)およびセロトニン代謝回転(5 -HIAA
値を示すことが明らかとなった(データ未掲載)。
量 / 5 -HT 量)は、すべての脳部位において有意
に亢進していた(P < 0.05,図 3 B・C)。このこと
考 察
から、 5 -HTP 投与によって脳内のセロトニン量
本研究では、日常的な自発運動量の多寡が抑う
は一過性に増加したものの、そのほとんどが代謝
つや不安状態に影響を及ぼすものであるかどうか
されてしまったことが示唆される。
について、先行研究を発展させる形として、セロ
C.高活動群と低活動群におけるうつ様・不安
様行動の比較
1 .うつ様行動(強制水泳テスト)
トニン前駆体投与による脳内セロトニン量増加の
影響およびその脳内の変化がうつ様行動および不
安様行動に及ぼす影響について検討を行った。
強制水泳テストにおける HR 群と LR 群のうつ
ランニングホイールによる自発運動は、げっ歯
様行動の比較を、少数例(n= 2 )ながらも行っ
類を用いた運動の効果を検証する実験系における
た結果、不動時間において両群間に顕著な差は認
代表的な手法として広く普及している。一方で、
められなかった(図 4 )
。
これまでの研究において、その自発運動量には非
2 .不安様行動(オープンフィールドテスト)
常に大きな個体差が認められることが明らかと
不安様行動の指標であるオープンフィールドテ
なっている5)。我々は、この特徴的な個体差を利
ストにおける総ラインクロス数において、HR 群
用し、日常的な自発運動量の異なる動物モデルの
の値が LR 群よりも有意に高い値を示していた(P
確立を試みてきた。いくつかの実験的検討の結
< 0.05,図 5 A)
。更に、総移動距離においても同
果、およそ 3 週間で走行量には明確な個体差が出
様に HR 群のほうが LR 群よりも有意に高い値で
始めること、および積算した走行量の平均値を基
あった(図 5 B)
。中央侵入回数および総中央滞
にし、平均値±0.5標準偏差でスクリーニングす
在時間においては、両群間で有意な差は認められ
ることで統計的に有意な差がみられる群分けが可
なかった(図 5 C・D)
。
能となることを明らかにした。また、日常的な自
3 .不安様行動(高架式十字迷路テスト)
発運動量の多い高活動群では脳内のドーパミン量
オープンフィールドテストにおいて、HR 群と
が有意に高い値を示し、自発運動量の少ない低活
LR 群で不安様行動の発現に有意な差が認められ
動群では脳内セロトニン量が有意に高い値を示す
たため、その妥当性を検討するために高架式十字
ことを報告している。この結果は、日常的な身体
迷路テストにおける不安様行動についても検討を
活動量の増加を制限する要因として、セロトニン
行った。その結果、検体数が少なく(HR: n = 5,
神経系の働きが関与することを示唆する。そこで、
LR: n = 3 )統計的な解析は行えないものの、不
本研究では、この自発運動量の低下とセロトニン
安様行動の指標であるオープンアーム滞在時間
神経系の関係性をより明らかにするために、先行
(43)
研究において脳内のセロトニン量を高めることが
高活動とストレス感受性の関連が示唆される。こ
明らかとなっている 5 -HTP 投与を高活動ラット
の点については、ドーパミン量の薬理的操作や自
に施し、高活動ラットの自発運動量が減少するか
発運動量の異なる動物モデルを用いたストレス負
どうかを検討した 。その結果、 5 -HTP 投与に
荷実験などを行うことによって、より詳細に解明
よって確かに高活動を呈するラットの自発運動量
していくことが望まれる。
が減少し、その減少はラットの活動期である暗期
また、将来的なヒトへの応用を考慮した場合、
においては非常に顕著なものであることが示され
可能な限り非侵襲的な方法で脳内モノアミン量の
た。この結果は、日常的な自発運動量を制御する
変化を試みる必要性がある。そこで本研究では、
因子として、セロトニン神経系は重要な役割を果
セロトニン合成に必要なアミノ酸であるトリプト
たしているという仮説をより強く支持するもので
ファンの食餌摂取(申請書では飲水摂取としてい
ある。脳内のセロトニン神経系は、不安や抑うつ
たが,摂取量の規定が困難であるため変更)によ
と深くかかわり、その神経機能の亢進は精神的な
る自発運動の変化および脳内モノアミン量の変化
安定と関連することがよく知られている。本研究
について検討した。しかしながら、消化吸収およ
の結果と併せて考えると、低活動ラットは、生活
び脳への輸送の問題を解消するには至らず、トリ
環境下における不安や抑うつ状態が低いレベルで
プトファン摂取による有意な変化は現在までのと
維持されている可能性が考えられる。
ころ認められていない。
そこで、本研究では、高活動ラットと低活動
本研究の結果においては、日常的な自発運動量
ラットにおける不安様行動およびうつ様行動の比
の個体差は抑うつ状態と関連しない可能性が示唆
較を行い、日常的な自発運動量と不安やうつなど
された。しかしながら、不安様行動には顕著な影
の 精 神 状 態 と の 関 係 性 を 検 討 し た。 オ ー プ ン
響がみられ、日常的な不安やストレスの繰り返し
フィールドテストと高架式十字迷路テストにおけ
がうつ病の発症とは密接に関連することを考える
る不安様行動は、高活動群と低活動群では有意に
と、より長期間の実験的検討を行うことによって
異なる値であり、低活動群のほうが不安の程度が
うつ様行動にも影響が及ぶ可能性は否定できな
低いことが明らかとなった。この結果からも、や
い。それゆえ、日常的な自発運動量と抑うつ効果
はり日常的な自発運動量の少ない個体の安定した
に関する研究の更なる発展が望まれる。
1)
心理状態が示唆される。いくつかの先行研究にお
いて、自発運動を数週間行うことによって、セロ
総 括
トニン神経系の機能に変化が起こり、抗うつ・抗
本研究の結果から、自発運動量の個体差はセロ
不安効果が得られることが明らかとなってい
トニン神経系を介した抑うつや不安などの精神状
る
。本研究の結果は、これらの先行研究の結果
態と関連することが示唆された。日常的な運動が
を補完するものであり、自発運動によるこれらの
心身の健康増進に重要であることはいうまでもな
心理的効果には、運動量の影響が及ぶ可能性を示
いことであり、その増加を図るためには日常生活
すものであると考えられる。この原因は明確には
における適度なストレスが必要なのかもしれない。
2,3)
わからないものの、うつ病や不安症の発症には慢
性的なストレスが関係することから、高活動群と
謝 辞
低活動群では飼育環境下におけるストレス感受性
本研究は、公益財団法人明治安田厚生事業団 2013 年度
やストレス解消をする能力に違いがあるかもしれ
若手研究者のための健康科学研究助成を受け遂行された。
ず、その解消方法としての運動に対する欲求や報
ここに記して、関係各位に深謝申し上げます。
酬価が異なるのかもしれない。我々は、自発運動
量の多い高活動群では、ドーパミン量が多いこと
が明らかとしており、ドーパミン量はストレス負
荷時に代償的に上昇するものであることからも、
参 考 文 献
1)Baumann MH, Williams Z, Zolkowska D, Rothman RB
(2011)
: Serotonin(5-HT)precursor loading with 5-hydroxy-l-tryptophan(5-HTP)reduces locomotor activation
(44)
produced by(+)-amphetamine in the rat. Drug Alcohol
(2-3), 147-152.
Depend, 114
2)Greenwood BN, Foley TE, Day HE, Campisi J, Hammack
SH, Campeau S, Maier SF, Fleshner M(2003): Freewheel
,
forced cessation of exercise. Behav Brain Res, 233(2)
314-321.
4)厚生労働省健康日本 21 評価作業チーム(2011):「健
康日本 21」最終評価.
running prevents learned helplessness/behavioral depres-
5)Tarr BA, Kellaway LA, St Clair Gibson A, Russell VA
sion: role of dorsal raphe serotonergic neurons. J Neurosci,
(2004)
: Voluntary running distance is negatively correlat-
23
(7), 2889-2898.
3)Greenwood BN, Loughridge AB, Sadaoui N, Christianson
JP, Fleshner M(2012): The protective effects of voluntary
exercise against the behavioral consequences of uncontrollable stress persist despite an increase in anxiety following
ed with striatal dopamine release in untrained rats. Behav
, 493-499.
Brain Res, 154(2)
6)World Health Organization(2010): Global recommendations on physical activity for health.