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5)山地開拓の姿勢と牧草及び乳牛飼養管理の特徴とその社会的意義
斉藤氏の歩みを振り返ると、観光的な開墾のゆき詰まりから、労力に乏しい中で山地での営み
方を思い直し、その土地固有の自然に接して自生した着想を施行すると同時に、その結果を観察
しながら、独自の開拓方法を次第に固めてきた。常にがむしゃらに突き進まず、一歩引いて試行し
観察する姿勢を取り、固有の土地に個性ある牧場を築いてきた。最後にそうした考え方、姿勢にも
とづく当牧場の開拓、牧草の導入・展開、家畜飼養の特徴とその意義を箇条的に整理する。
(1)自律性が高く持続性のある放牧地環境の創造
① 自然の地形、表土を残した草地基盤
山地への牧草導入の方法は、一部を大型機械で道をつける以外には、地形の起伏変更や除石、
樹木の伐採、抜根を行なわず、腐植に富む表土を削ることなく、ゆっくりと山地に牧草地を広めて
いる点が特徴的である。
牛は昼間高い所に集まり休息するため、そこには糞尿が堆積されるが、斜面は雨などでそれを
徐々に下に降ろし、山全体の地力を回復させる。表土を削らず、樹木の切り株や根を残しているこ
とは表土の流失を防ぎ、腐敗した根や株とともにかなりの年月をかけて蓄積された地力を牧草の
生育に与えている。起伏修正しないデコボコのある地形は表面積を多くし、降水を留め、温度変化
に対して緩衝機能を持つ。
公営の大規模な土木工事を伴なう草地造成では、一度に山地を切り開き、整地、施肥して牧草
を育て、短期間に乳牛を飼養する環境を作り上げる。開発当初は高い生産性を示すものの、多く
の経済力や労力を投じて変えた環境は、施肥、更新、管理機械などの追加投資がなければ維持
できないのが普通である。当牧場では主に乳牛が牧草地を広げたのであり、乳牛の適切な放牧
により牧草地状態を持続可能にしている。
② 在来の野草、樹木の活用による持続性の保持
夏の気温上昇に伴ない北欧由来の牧草の生育は衰え、乳牛の体力は低下するが、山地全体を
草地にせず、樹木を多く残すことで山の保水力の低下や温度上昇を抑え、高温や直射日光に弱
い牧草の生育を保護し、乳牛に休憩場を与えている。樹木の下草は夏でも青さを保ち、牧草の生
育が低下する夏期の乳牛の餌となり、樹木の葉は体力の低下した乳牛の活力源になっている。
このようにして、夏暑く、冬寒さの厳しい旭川の自然環境の中で、数十年に 1 度訪れる大干ばつ
等にも備え、土地に元々存在する植物や地形、土壌が気候変動に最も強いと考えて、在来の野
草や樹木を多く残し適切に活用しながら、外部資源への依存の少ない自律性の高い北欧由来の
乳牛と牧草の生育環境を育み、自然のバランスを擾乱しないようにして牧草地および乳牛飼養の
持続性を確保しているのである。
(2)低投入、粗放的管理による経済的ポテンシャルの高い牧場経営
斉藤牧場の家畜管理は、放牧飼養、まき牛による自然繁殖など、どちらかといえば粗放的であ
る。近隣の牧場の年間放牧日数が約 150 日であるのに対し、当牧場は多様な向きの斜面、野草
や樹木の活用、早期放牧により、4 月 20 日頃から 11 月中旬頃まで、210 日前後の放牧期間を確
保し、乳牛の体調をも維持している。
ササ刈り、樹木の伐採、牧草の播種など自然への働きかけ方も、徹底せず大まかに行なってお
り、そうした方法も労力や費用を節約し、後の牧草や乳牛の生育にもよい結果をもたらしているこ
とは見てきたとおりである。
一般の酪農経営と比較すると、個体当たりの生産乳量が低く、従事者当たりの所得も高くないが、
物財や労働の投入が少ないため所得率は高く、人件費や諸資材価格等の経済変動に対する経
営への影響は小さいと考えられる。また、他にかけがえのできない牧場景観を呈し、企業をはじめ
多くの人々から指示や信頼を得ているため、いつでも営業行為等の経済活動の展開は容易に加
納であり、牧場経営の経済的ポテンシャルは非常に高いと考えられる。
とかく、機械整備や施設に金をかけすぎると、そのコストだけでも大変な負担になってしまうがも
っっと身軽な畜産を目指す代替路線もあることを身を持って提示している。
(3)景観、自然とのふれあいの場、コミュニティーの場の形成
資本集約化の著しいわが国の酪農経営では、ふん尿処理など工場と同じように環境問題を生じ
ている例が少なくないが、生態系の自足性の高い斉藤牧場では、家畜飼養による環境負荷は見
られない。牛舎下の河川に飲水時のふん尿が入ることもあるが、改修されていない河川は浄化機
能は高く、問題にはなっていない。
むしろ、家畜の生態行動を活用し、樹木を適度に残して形成された牧場景観は、訪れる人にたく
さんの効用をもたらしている。営農や生活が自然から離れ、特別に興味を持たない限り自然にふ
れあうことが少なく、また、自然とのふれあいの場そのものが少ない現在、多様な生態系を有し、
市民に牧場を開いている当牧場の存在は、山の植生や生物の生態など自然へのふれあいの場と
しても意義深い。
また、牧場に山小屋等を建てたり、牧場まつりを開催し、研修や交流の機会を設け、牧場の自然
に触れ開放的な雰囲気の中で、開放的な人間関係を形成するなど、コミュニティーの場をも形成し
ているのである。
(4)啓蒙的意義
斉藤牧場の乳牛飼養による山地での営みは、酪農経営など営農のあり方を問い直すことにとど
まらない。画一的な目標の下におかれた管理のあり方や教育が見直されつつある現代社会にお
いて、山地での斉藤氏の考え方や姿勢、対象への関わり方、牧場の生態系は、教育者、カウンセ
ラー、医療技術者など、教育や生き方の見直しを志す人々を強く引きつけ、固定観念から脱した
自然の理にかなった人生観を伝えている。
また、冒頭で見たように周辺の開拓地の多くが放棄されて荒廃し、入植した農家が離農、離村し、
集落世帯の減少とともにコミュニティーも希薄になり、耕地や草地景観が失なわれ、営農や生活条
件の不利な場所として顧みられなくなりつつある中で、自然環境全体に留意しつつ、山地利用の
効率性を高め、人間と乳牛に望ましい環境的調和を創りながら営農を持続し、また、杜会に大きな
効用をもたらし、将来に向かって展開しつつある当牧場の営み方は、社会の多方面の問題解決の
糸口をも提供していると考えられる。
(参考資料)
(1)斎藤 晶「牛が拓く牧場」(地湧社、1989 年)
(2)旭川市「あさひかわの農業」(1993 年)
(3)北海道農業試験場「斉藤牧場の経営のあらまし」(北海道農業試験場研究資料 NO.19、
1979 年)
(4)山地酪農協会「環境にやさしい山地酪農を追って」(1995 年)
(5)山地酪農協会「低投入持続型山地酪農の実例と課題」(1995 年)