日本の情報通信政策の変遷

情報産業論
情報通信技術の最新動向と情報通信産業
第7回
通信技術の発達と通信産業の変遷(資料)
日本の情報通信政策の変遷
(1)ニューメディア・ブームとその終焉(1980 年代)
アメリカの「情報スーパーハイウェイ構想」は、日本の動きに刺激されたも
のでもあった。
日本の情報通信政策の転機となったのは日本経済が好調であった 1980 年代
である。1985 年に「電気通信事業法」が改正され、NTT が民営化される。そし
て、この分野で新たな企業が参入することが可能になると同時に(第1種通信
事業者)、電気通信回線を用いて、異なるコンピュータ間を接続させて通信を成
立させ、各種のサービスを行う VAN(Value Added Network=付加価値通信網)
業者も登場してきた(第2種通信事業者)。
それと前後し、1984 年にNTTによるINS 1が開始され「ニューメディア」とし
て当時のマスコミにももてはやされた。新しいメディアとして「双方向性」が
強調され、キャプテン 2やCATVなどのサービスがこの時期に始まり、テレビ会
議や双方向医療システムなども試験的に導入された。しかしながら、当時は回
線のスピードが遅く使い勝手も悪かったり、法令が整備されてなかったり、そ
もそも必要な情報が少なかったりなどの理由でほとんど普及しないままニュー
メディア・ブームは終焉し、情報通信のインフラだけが残ったと言われている。
INS(Information Network System:高度情報通信システム)NTT が ISDN 回線を使っ
て三鷹・武蔵野両市で実験的に導入したサービス。テレビ会議や双方向医療システムの他、
通信網を使った各種の行政サービスも試された。
2 キャプテン・システム(Character And Pattern Telephone Access Information Network
System:文字図形情報ネットワークシステムの略称) 「ニューメディア」のころに始まっ
た、電話回線を通じて家庭やオフィスのテレビ画面にセンターのコンピュータに蓄積され
た文字や図形の情報を利用者のリクエストに応じて映し出す双方向通信機能をもった情報
ネットワークシステム。NTT が INS の実験で始めた他、「ローカル・キャプテン」を始め
た自治体も多いが、いずれも使い勝手が悪かったり、ユーザに必要な情報が不足したりで、
普及せず、インターネットの普及とともに消滅していった。
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情報通信技術の最新動向と情報通信産業
(2)マルチメディア構想と地域情報化(1990 年代)
1990 年代になるとパソコンと Windows の普及による画像処理技術の進歩と、
インターネットや WWW によって「マルチメディア」という言葉が流行した。
アメリカの「情報スーパーハイウェイ構想」にも触発され、全国の自治体で
「○○ハイウェイ構想」や「○○マルチメディア構想」が掲げられ、特に 90 年
代半ばから拡大した公共投資がこれに拍車をかけた。1995 年は自治体にとって
の「マルチメディア元年」といわれ、表3-1に見られるように各自治体がこの
マルチメディアによる「まちおこし」を進めようと取り組み、マルチメディア
が地方からの情報発信や新しい地域活性化政策として位置づけられていた 3。
国家戦略としても、NTTのB-ISDN構想は郵政省(当時、現総務省)によって
FTTH(Fiber To The Home)構想 4 へと発展した。ここでは光ファイバー敷
設による市場効果だけでなく、それに関連したマルチメディア産業の市場創出
については試算している。光ファイバー・ケーブルを用いた情報基盤整備によ
ってマルチメディア市場は 1990 年の 16 兆円から 2010 年には光ファイバー網
市場ともあわせて 123 兆円に拡大し、243 万人の雇用が創出されるとしてる。
図
マルチメディア市場規模の変化(郵政省
1994「情報通信基盤プログラム」による)
3
具体的にはパソコン通信網に観光案内や県内世論調査の結果、物価指数などの経済指標な
どの情報を流したり、自治体への質問や意見を電子メールで受け取る、あるいは NTT など
と共同で県庁や商店街、中小企業などを光ファイバー・ケーブルで結び、商店街の売り出
し情報やビデオメール、テレビ会議などの共同実験など。また、神戸市や大分県、和歌山
県のように、インターネットを通じて市政・観光情報を流し、直接世界に向けて情報発信
している例もあった。島根県でも 1994 年9月に県内の情報システムづくりを目指す「しま
ね情報フロンティア 21C プラザ」
「情報ネットワーク整備」などの事業で、県内のどの地域
からも平等に情報に接することのできるパソコン通信の整備、マルチメディアによる情報
の交流拠点の機能強化などが掲げられていた。
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郵政省(当時、現総務省)は諮問機関である電気通信審議会に「21 世紀に向けたあらた
な情報通信基盤の整備の在り方について」諮問を行い、同審議会は 1994 年 5 月 30 日に「21
世紀の知的社会への改革に向けて-情報通信基盤プログラム-」という答申を行い、2010 年
までに全家庭にまで光ファイバー・ケーブルを張り巡らす計画を打ち出した。
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しかしながら、1990 年代に入ってからのバブル経済の崩壊は市場拡大、雇用
創出を生み出すどころか、90 年代全般の日本経済の長期低迷に帰結した。
80 年代~90 年代の情報化戦略は、地域に必要なサービスを定着させることな
く、高次の中枢管理機能や、金融機能、国際機能を東京に一極集中させ、サー
ビスの経済化によるサービス産業の拡大や企業の研究開発部門の拡大がこれを
さらに加速化させたと言えよう。特に 80 年末のバブル経済は一極集中の帰結で
あり、90 年代の日本経済の低迷は、まさにそのツケを背負ってきたのであるが、
この点で情報化政策は見直されることはなかった。
(3)IT 革命とユビキタスネットワーク(2000 年代)
日本経済の低迷が続いた 90 年代の後半から情報通信技術(IT:Information
Technology)とその投資(IT 投資)の遅れが要因であると認識されるようにな
り、「IT 革命」という言葉が強調されるようになった。そして 2001 年には政府
によって「5年以内に世界最先端の IT 国家となることを目指す」とした
「e-Japan 戦略」が発表され、超高速ネットワークインフラの整備の他、電子
商取引の推進、電子政府の実現などの政策目標が掲げられた。
その結果、ブロードバンドを中心とした超高速ネットワークインフラの整備
はこの数年間に急速に進み、ブロードバンドの普及を中心とした超高速ネット
ワークインフラの整備を背景に、
2003 年には IT の利活用を促進させる「e-Japan
戦略 II」が発表された。その中に次世代情報通信基盤として「いつでも、どこ
でも、なんでもつながるユビキタス・ネットワークの形成」が登場している。
そして 2004 年には「ユビキタスネット社会の実現」を目指した「u-Japan 構想」
が発表された。その結果ブロードバンド=高速ネットワークインフラの整備の
他、電子商取引の推進、電子政府の実現などの政策目標が掲げられた。その結
果、ブロードバンドを中心としたネットワークインフラ(情報基盤)の整備は
この 10 年間に急速に進んだ。
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(4)「光の道」構想(2010 年代)
そしてブロードバンド・ゼロ地域の解消や、
携帯電話不感地帯の解消の早期実現を図る
「デジタル・ディバイド解消戦略」を取り
まとめてきた総務省は、が 2009 年から
「グローバル時代における ICT 政策に関する
タスクフォース」をスタートさせ、2010 年
12 月に「光の道」構想に関する基本方針を決定
した。
「光の道」構想は 2015 年ごろをめどに日本の
すべての世帯における光ファイバーを中心とした超高速ブロードバンド利用の
実現を目標とするものである。
一方、ブロードバンド戦略などの情報化戦略は「民間活力」を中心に進めら
れているため、採算性のない地域における情報インフラの格差や、そこから生
じる経済格差、地域格差が心配される。
表
ブロードバンド普及率の比較
中国総合通信局資料 中国地方の電気通信サービスの普及状況(平成 26 年 9 月末現在)より
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