私立大学横山助教授 連載 5 黎明学園大学では、十二月末には授業を

私立大学横山助教授
連載 5
黎明学園大学では、十二月末には授業をすべて終了しなければならない。一
月から、入学試験が始まるからだ。いまの私立大学では、多種多様な試験で学
生を集める。昔のように、たった一回の試験で決めていたのでは、少子化のご
時世、学生を確保できないからだ。
黎明学園大学は、幸いに文系大学であるから、理系と違って、基礎学力がそ
れほどなくとも大学の授業についてくることは可能である。しかも、一応、良
家の子女が集まるというステータスがあるので、入学者数が激減して苦戦して
いる他の私立大学と比べると安穏としていられた。
とは言っても、従来とまったく一緒というわけにはいかない。色々な工夫を
しながら、なんと五種類もの入学試験を行っているのだ。これに推薦入学も加
えると六種類の選抜方法をとっていることになる。
大学によっては、一芸入試というものを採用しているところもある。一芸に
秀でていれば、それで入学を認めるというものである。もちろん、ある分野に
秀でているということは、その人間に才能があるということである。
しかし、大学は、幅広い学問を学ぶ場でもある。一芸だけで大学に入ってき
たものには、一般教養の講義についていけない学生が多く、しだいに問題とな
りつつある。
私立大学では、入学試験の時期になると、教員は試験監督に借り出された。
「試験監督なんかは、教授がわざわざやる仕事ではない、そんなものは事務職
員に任せておけばいい」
と不平をたれる老教授も多いが、実は、文化省からの指示で、試験監督は大学
の教員があたるという規則がある。入学試験の数が増えた分だけ、仕事も増え
るというわけである。
多くの教員は試験監督をいやがったが、横山は、この仕事が気に入っていた。
講義となると、いやでも長時間話さなければならない。試験監督ならば、最初
と最後に一言二言話すだけですむ。
しかも、その間はたっぷり時間がある。横山は、受験生が必死になって問題
用紙に取り組む姿に感動を覚えていた。人間が、ひとつのことに一生懸命にな
って取り組む姿はめったにお目にかかれない。
真剣に受験勉強をしたり、まじめに試験に取り組んだことのない横山には新
鮮な経験であったのである。また、受験生ひとりひとりに個性のあるのも面白
い。髪の毛をさわり続けている生徒や、いつも首を横に振っているもの、なぜ
かため息ばかりついている生徒など様々である。
今日は受験の二日目である。試験場には横山の他に、年配の老教授がもうひ
とり担当となっていた。確か、日本史を教えているはずであるが、めったに大
学に来ないので、顔をあわすことがない。板垣という名前だったような気がす
る。
この教授は、時間ぴったりに教室にあらわれると、おもむろにノートを取り
出し、黙々と板書するらしい。そして、ひとことも発せずに黙ったまま書き続
けるのだ。そして、時間がくると板書をやめ、そのまま去っていく。この教授
には有名なエピソードがある。
ある日、教室に教授が来ると、誰も学生がいなかった。それでも、教授は延々
と板書を続け、時間が来るとそのまま帰っていったという。実は、この様子を
見たものはいないので、単なる噂でしかない。何しろ、教室は空だったのだか
ら確かめようがないのだ。それでも、横山は、この話は本当だろうと信じてい
た。
今日の試験では、横山が指示を出し、板垣が問題用紙と答案用紙を配る役に
なっていた。横山が試験の注意点を話していると、突然、板垣が用紙を配り出
してしまった。事前の打ち合わせでは、横山の指示が終わった後に配る予定だ
ったのだ。
「しようがないな」
と思っていると、板垣は一列目の配布が終わると、もとの位置に戻って、ま
た同じ列に同じ問題用紙を配りはじめた。横山があっけにとられていると、さ
らに同じ列に同じ問題用紙を配っているではないか。さすがに受験生も様子が
おかしいことに気づいた。
横山があわてて
「先生、どうされたんですか」
と声をかけても気づく様子がない。仕方なく、走っていって板垣を静止した。
その後、受験本部に連絡し、事務員を代理で派遣してもらった。その後、板垣
は老人性健忘症にかかっていることが分かった。
横山は少し気が沈んだ。自分も、この大学で、一生同じような講義をして、
板垣のように老いぼれてしまうのだろうか。
新学期
横山が大学に来ていいなと思うのは、四月になると、必ず新入生が入ってく
るということである。新しい血が大学に通いだすのだ。新鮮な春の風とともに、
初々しい新入生の登場は、横山をも清清しい気分にさせた。
入学試験で問題を起こした板垣は、そのまま退職した。その後任として、山
田昭助教授が赴任してきた。担当は、日本史ではなく、国際関係論である。実
は、日本史の講義は人気がなく、受講者が激減していたのである。一言も発せ
ずに板書するだけの講義には学生もついていけないであろう。
山田は、この大学では珍しく、本当に公募という難関に合格してきた人材で
ある。たまには、本当の公募をしないと文化省からにらまれるかもしれないと
いう田村理事長のひとことで実現したらしい。一月に公募開始で、四月赴任と
いう短期間の公募であったが、二百名近くの応募があったという。世の中には
仕事にあぶれている博士様が大勢いるのだ。その中で、山田の業績は申し分な
いものであった。事務長の吉村は、理事長に面接することを助言したが、時間
がないということで書類選考だけでの採用となった。
実は、これが後で問題を引き起こした。山田は優秀ではあるが、人付き合い
の苦手なタイプである。歳は三十四で、横山よりも二歳も若かったが、外見で
は四十台後半にしか見えなかった。しかも、非常勤講師でさんざん苦労してき
たため、鬱屈したものがあるようだ。
山田は、横山に会った最初から敵意をむきだしにしてきた。
「横山先生、少し話をさせていただけませんか?」
山田は横山を見つけると、つかつかと近づいてきて、こう切り出した。
「ああ、あなたが新任の山田先生ですか。どうぞ、よろしくお願いします」
という横山に対し、
「先生の経歴でお聞きしたいことがあります」
と厳しい顔で聞いてきた。
「先生がphDをおとりになったアロマ大学は、いま噂になっているアロマ大
学ですか?」
横山はあのことかと思い至った。最近、与党の民自党の副幹事長に就任した
国会議員の渡部正一の経歴が野党のつきあげで問題になっているのである。
渡辺は、父親が外務大臣まで勤めた二世議員である。高い身長と甘いマスク
で主婦層に人気が高く、最近、与党内で急に頭角を現してきた。将来の首相候
補という呼び声も高い。
渡辺の人気は、その英語のうまさにもあった。多くの日本の国会議員がブロ
ークンな英語で失笑を買うのに対し、渡辺は外国特派員の記者会見でも堂々と
流暢な英語で、受け答えができる。
アメリカで博士号もとっている知性派である。しかし、その博士号を発行し
たのが、アロマ大学である。実は、野党の調べで、このアロマ大学は、ロスの
郊外の貸しビルの一室にあるペーパー大学で、金で博士号を売っているだけの
いわゆるディプロマ・ミルであることが明らかになったのだ。
この話題に飛びついたテレビ局が、現地まで記者を派遣し、大学関係者と直
接インタビューしている。その関係者は
「ドクター・ワタナベは、立派な博士論文を提出している」
と説明したが、記者の求めに対して、その論文の現物を見せることはなかった。
この問題は、国会だけでなくテレビでも連日のように報道されている。
何を隠そう、実は、横山も、このアロマ大学から金で博士号を買っていた
のだ。そっとしていてくれればいいのに、国会議員が絡んでいるとみんなでつ
つきまわす。
はた迷惑な話である。
実は、渡辺は、妾出で、日本の学校でぐれて問題を起こしていたのを、父の
渡辺議員が困って、アメリカに留学させていたようなのだ。横山とよく似たケ
ースである。
しかし、今ではすっかり更正して、将来を嘱望される議員に育っている。
横山は、そんな過去の問題よりも、いまの渡辺議員を見てやればよいのにな
と思ったが、スキャンダル好きのマスコミにとっては、格好の餌食なのであろ
う。もはや渡辺議員は大うそつきの極悪人というレッテルをはられ、その辞職
は避けられないと見られている。
横山は、山田に向かって
「ええ、私がphDをもらった大学は、渡辺議員の件で噂になっているアロマ
大学です。同じ大学ですよ」
と応えた。
すると山田は怒ったように
「ということは、先生も金を出してphDを買ったということですか」
攻撃的な言いまわした。
「ちゃんとした博士論文を提出していないのは事実です」
横山が悪びれずにこう答えると、山田は信じられないという表情をみせ
「先生は、それが恥ずかしくないんですか。わたしなら即刻大学に辞表を出し
ます」
そういうと、憤然とした様子で、横山のもとを離れていった。
普通の人間ならば、なんと無礼な奴だと思うところだが、横山はまったく平
気であった。何しろ、小さい頃から、おおらかに育てられてきたので、喧嘩と
いうことをしたことがない。
山田の態度にも、失礼だと怒るよりも、むしろ面白いものを見たという感慨
しか沸かなかった。しかし、少し格好をつけて履歴書にphDなどと書いてし
まったのはうかつだったかもしれない。横山は少し反省した。
横山の授業は相変わらず人気が高かった。今年は、ハリウッド映画の新作に
チャレンジしようかと思って少し取り組んだが、すぐに面倒になって、去年と
同じものを教材に使うことにした。
一年生にとっては、はじめての内容なのだから更新しても、あまり意味がな
い。こんな言い訳を自分にした。
新学期が始まって三ヶ月ほどして、山田が問題を起こした。学生の親が大学
に訴え出たのだ。山田は、担当している国際関係論概論の講義で、中間試験を
実施した。
横山にしてみると、中間試験などという面倒なことをすると自分の負担が増
えるだけという感覚しかないが、それを、あえて山田は実施している。
横山は
「山田は偉い」
と単純に思った。
実は、問題の発端は、この中間試験に、ある生徒が風邪をひいて欠席してし
まったことにある。
山田は、中間試験に欠席した学生は、自動的に単位を落とすと宣言した。し
かし、この学生は、医者の診断書を持って山田のもとを訪れ、風邪で休んだの
だから、追試をして欲しいと頼んだ。
それに対し、山田は、大事な試験を風邪で休むというのは自己管理ができて
いない証拠だとして、追試は行わないと言い渡した。
これを子供から聞いた親が立腹して、大学に苦情を申し出たというわけであ
る。学部長は山田を呼び出し、追試を実施するように依頼したが、山田は頑と
して受け付けなかった。これに業を煮やした親がマスコミに訴えたのである。
結局、大学は、急遽、山田をこの講義の担当からはずし、別の教員を据えた。
そして、この学生に対して追試を行ったのである。
山田は、この事件のために戒告処分になり、すべての講義の担当を、他の教
員に変えられた。山田は少し不満そうであったが、黙って、この処分に従った。
しかし、この事件をきっかけに、山田は変わり者というレッテルを張られるよ
うになり、次第に、まわりの教授連中から敬遠されるようになった。
横山は思った。
「自分だったら、追試などもせず、医者の診断書を見ただけで、すぐに合格
を出してしまうのにな」と。
「何か山田にはこだわりがあったのだろうか?」
しかし、そんなことは本人に聞くことはできない。なにしろ、自分は山田か
ら嫌われている。