Page 1 Page 2 A`ス ミスの 「見えざる手」 の想源について 吉 ~ 武` 清 彦

Title
A. スミスの「見えざる手」の想源について
Author(s)
Citation
商学討究 (1988), 38(3/4): 3-16
Issue Date
URL
吉武, 清彦
1988-03-31
http://hdl.handle.net/10252/1680
Rights
This document is downloaded at: 2016-03-06T01:58:59Z
Barrel - Otaru University of Commerce Academic Collections
A.ス ミスの 「
見 えざる手」 の想源 につ いて
吉 武 清 彦
次
3 4- 12 16
目
は しが き
Ⅰ ス ミスにおける 「
見えざる手」 の引用
Ⅲ 「
見えざる手」 と 「
見えざる鎖 」
Ⅲ 「
見えざる手」 の自然哲学 と社会哲学
I
VL
結
論
は
し が
き
私 の退官記念号 に本学 の多数 の同僚が執筆の労 をお とり下 さった ことに対 し
深謝 申 し上 げます。
A.ス ミスとJ
.
S
.ミルは,私 にとって,殊の他興味 のある経済学者 である。
それ とい うの もこの二人の偉大 な学者 は,大変古典 の教養が深 く,博大 な古典
古代 についての知識 を持 っていたか らである。 この両学者 において,古代 と近
代 とがどう結 びっいているのか,最近 の筆者 にとって大変関心 をそそ られ る問
題 であ ろ
。
我が国 においてス ミス思想体系の中の古代 と近代 とが, どう組合わ
されているかはまだ充分 に考察 されていない注1
。
A.ス ミスは 「
見えざる手」とい う甚だ人 口に胎灸 (
かい しゃ) している言葉
注
1 田中真晴教授 は この点 について次 のよ うに指摘 している。「ス ミスの近代性 を説
くことのみ是で,古代的な ものは,近代的でないか らとして無視 した り,切 り捨
て るのは,近代思想 それ 自体の理解 を も狭陰化 し,思想 の重層性 や古 い ものの意
味変化 を見失わせ るのである。」 田中虞晴 「ヒュ-ムの死 とス ミス」 アダム・
スミ
スの会 『続 アダム・
ス ミスの昧』(
1
9
8
4年刊行,東大出版会)所収。1
8
2頁。
〔3〕
4
商 学
討
究
第 3
8巻
第 3・4号
があ り,これ は 単 に主著 『
諸 国民 の富』においてふれ られているのみでな く,
,
ス ミスの他 の著作 において も言及 さnて いる。 この言葉 を どこか ら A.ス ミス
が得 たか,その想源問題 につ いて は,今 日迄充分究明 されて いるとは云 えない。
また この有名 な言葉 の意味 す る ものが,果 して, ス ミス●
に於 て同一 の もので
あ ったか, また, ス ミス自身 の思想 において,何 らかの発展や異同があ ったか
につ いて も十分研究がなされているとは思 われない。
our
naloft
heHi
s
t
or
yofl
de
asと\
い う思想史関係 の雑誌 をひ
最近著者 が J
LMe
ek,P.
∫
.
Mc
Nul
t
y,Ⅴ.
Fol
ey,A.
LMac
f
i
e
もといてみ ると,そ こには R.
な どの学 者 が この言 葉 の想 源 につ いて触 れ て い るの を知 った。 特 に A.
L
Mac
f
i
eには,TheI
nvi
s
i
bl
eHandofJ
upi
t
er
,
JHI
,ⅩⅩⅩi
i(
1
97
1
),pp.
5
9
1
55
9
9
.
とい う優 れた論文 があ る。
,
本稿 の目的 とす る所 は,上述 の学者 の所説 をふ まえなが ら 「
見 えざる手」
ーの
想源問題,更 にス ミスの思想体系 で, この言葉 か, どのよ うな役割 を果 し.
たか
を分析す ることにあ る。
Ⅰ スミスにおける 「
見えざる手」の引用
「
見 えざる手」(
ani
nvi
s
i
bl
ehand)とい う句 は,ス ミスの著作集 のなかで は
_
スの若 か った時代 の著
合計 3回使用 されて いる。最初 に使用 されたの は, ス ミ
s
aysonPhi
l
oophi
c
alSubj
e
c
t
sの中の 「
哲学的研究 を指
作 『
哲学論文集 』Es
s
t
or
yofAs
t
r
onomy'
)
導す る諸原理,天文学 の歴史 による其例示」(T̀heHi
とい う論文 の中においてである。 この場合 には, an i
nvi
s
i
bl
ehand ofJ
up-
i
t
e
rとな っていて, この手 は,従 って古代 ギ リシアの主神 ゼ ウスの手 を指 して
いる。 それ は,古代 において は, 自然科学 が未発達 であ るため,・自然界 の異常
現象 の発生 (
例 えば雷鳴 ・電光 ・日光 の変異) した場合 に, その異常 を説明す
るの_
にゼウス (ラテ ン語 で はジュ ピター) な る人格神が, 自然界 の法則 を超越
して, 自己の意志 と感情 を現わ したためだ と考 えた。
「
火が燃 え,水 が動 く。重 い物体 は落下 し,撃 い物体 は上昇す る。 これ らは自
然界 の必然性 に基 づいて生ず る恒常的 な現象 である。 この場合 には ジュ ピター
A.ス ミスの
「見えざる手」 の想源 について
5
の見えざる手 (
t
hei
nvi
s
i
bl
ehand ofJupi
t
er
) が働 くとは考え られない。 し
か しなが ら雷光 ・嵐 ・太陽光線 などの異常 な現象が発生 した時 には,それ らを
大神 ジュピターの意志や怒 りの結果 に帰す る」
注2
こ.
の 『
天文学史』で現われ る 「ジュ ピターの見えざる手 」は,勿論 キ リス ト
教的 な ものではな く,古代社会の多神教 の時代の ものである。 この ジュ ピター
.
の手 は, 自然 の恒常的な現象を, 自己の意志 を以て如何様 に も変 え られ る, 自
然 を超越 した人格神の働 きを示 している。未開の古代社会 において,野蛮人 は,
自然 の異常事象 を説明す るのに ジュピターの手 とい う超越的な働 きに原因を求
めた。 そ こには,科学的な因果関係 の説明 は成立 しえない。 この 「
天文学史」
での 「
見えざる手」の働 きは,後 に出て くる 『
道徳感情論』 と 『
諸国民 の富』
で示 され る 「
見えざる手」の働 きとは,丁度反対であ り,この後者 の二著では,
自然 の秩序が人間の人為的干渉 によって撹乱 され, 自然 のあるべ き姿が歪曲 さ
,
れた時 「
見えざる手」は,その乱 された自然 の秩序 を,あ りのままの姿に もど
す役割 を果す。
ス ミスの心 の中には,「
見えざる手」とい う言葉が,若 い時代か ら脳裏 にあ っ
たことは確かである往3。
ス ミスの著作中で,第 2
回 目に,「
見えざる手」が使用 されたのは 『
道徳感情
論』にお いてである。彼 はこの著作で,神 の摂理, 自然の機構,人間の挙動 の
関係 につ いて彼 自身 の考 えを明 らか に しよ うと考 えた時,彼 の若 い時 の著書
『
天文学史』で使 った 「ジュ ピターの見えざる手」 という表現 を記憶 していた。
「かれ (
高慢で無感覚 な地主)の胃の能力 は,かれの諸欲求 ゐ巨大 さにた
い して, まった くつ りあいを もたず, もっとも貧 しい農民 の胃よ りも多 く
注
2 1
9
7
6年 に刊 行 され た グ ラス ゴー版 の ス ミス全集
(
全
6巻, 附録 2巻) THE
GLASGOW EDI
TI
ON OF THE WORKS AND CORRESPONDENCE OF
s
a
yso
nPhi
l
i
s
o
z
)
hi
c
alSub
j
e
c
t
s
,Edi
t
e
dbyW .
P.
D.
Wi
ght
ADAM SMI
TH,Es
4
9.
man,∫.
C.
Br
yc
e
,andi
.
S.
沢os
s
,p.
注 3 A.
L.
Mac
f
i
e
, T̀he I
nvi
s
i
bl
e Hand ofJ
upi
t
e
r
'J
o
umalo
ft
heHi
s
t
o
r
yo
f
,ⅩⅩXK (
1
9
7
1
) ,P .
5
9
8.
I
l
de
a
s
6
商 学
討
究
第
3
8巻 第 3・4号
杏, う万 いれは しないだ ろう。 残 りをかれ は, かれ 自身 の使用す るそのわ
ずかな ものを, もっともみ ごとなや り方 で準備す る人 び とのあいだに, こ
のわずかな ものがそのなかで消費 され るべ き邸宅 を,整備す る人 び とのあ
いだに,上流 の人 びとの家計 のなかで使用 され るすべてのさまざまな,つ
ま らぬ飾 りや愛玩物 を供給 し整頓 してお く人 び とのあいだに,分配せ ざる
を得 ない。 こうして,かれ らすべて は,かれの奪修 と気 ま ぐれか ら,生活
必需品のその分 け前 をひ さだすのであ って ,かれ らがそれを,かれの人間
愛 またはかれの正義 に期待 して も,むだだ ったであ らう。土壌 の生産物 は,
あ らゆる時代 に, それが維持 しうる住民 の数 に近 い ものを,維持 す るので
ある。富裕 な人 びとはただ, その集積 のなかか ら, もらとも貴重 で 快適 な
ものを選 ぶだけである。 かれ らが消費す るのは,貧乏人達 よ りもほとん ど
多 くない し, そ して;かれ らの生 れっ きの利 己心 と董欲 に も拘 わ らず,か
れ らは, 自分 たちのすべての改良 の成果 を,貧乏 な人 び とと共 に分割す る
のであ って,た とえかれ らは,自分 たちだ けの便宜 を目ざそ うとも,また,
かれ らが使用す る数千人 のすべての労働 によ ってね らう唯一 の目的が,か
れ ら自身 の空虚 であ くことを知 らない諸欲求 の充足であ ると して も,
`そ う
,
なのであ.
る。かれ らは 「見えない手」に導 かれて,(
l
eadbyani
nvi
s
i
bl
e
hand)大地 がそのすべての住民 のあいだで平等 な部分 に分割 されて いた
ばあいに, なされたであ らうの とはぼ同一 の,生活必需品の分配 をお こな
うのであ り,こうして,それを意図す ることな く,それを知 ることな しに,
社会 の利益 をお しすす め,種 の増殖 にたいす る手段 を提供す るのであ る。
神慮 (
pr
ovi
dence)が大地 を,少数 の領主的な持主 に分割 した ときに,そ
れ は, この分配 において除外 されて いたよ うに思 われ る人々を,忘 れたの
で も見 棄 てたので もない。 これ らの最後 の人 び ともまた,大地 が生産す る
すべてに対す る,かれ らの分 け前 を享受 す るのである。 人間生活 の真 の幸
福 をなす ものにおいて は,一
かれ らはいかな る点 で も, かれ らよ りもあのよ
うにず っと上 だ と思 われ るであろ う人 々に劣 らないのである。
肉体 の安楽 と精神の平和 において,生活上 のさまざまな身分 は,すべて は
A.ス ミスの 「
見えざる手」の想源 について
7
ぼ同 じ水準 にあ り,そ して,公道 の傍で 日なたぼ っこしている乞食 は,国
王 た ちが それ をえ るた め に戦 って い る安 全 性 を, 所有 して い るので あ
る。」
注
4
この 『
道徳感情論』 において,「
見えざる手」 の章句 は, ス ミスの神学的な,
倫理的 な, そ して経済的 な側面 が揮然 と して統一 されて珠玉 の よ うな輝 きを
放 って い る感が あ る。 この章句 において ス ミスの理神論 の上 に立っ神学 が,
はっき りと読 み とれ る。神 は人間 に 「
原始的で直接的な本能 」を植 えつ け, ま
た強い利 己心 と同時 に共感す る高貴 な心 を も植 えつけたが, これ らこそは,社
会 とその構成員 の利益 を増 し発展 させ る原動力 ともなるのである。 人間の利己
心 に基 づ く活動 も神的計画の一部 として容認 され る。 た とえ利己心 に基づ く人
間の営みが,行過 ぎや過 ちを犯 して も, それは,最終的 には神 の計画の実現の
手段 として見 なされ る。「
見えざる手」が,調和 ある神的秩序 を実現す る。 倫理
的 に も人間の利 己心 による活動 は是認 され, この世俗 に於 ける営みは経済的な
豊か さを約束す る。人間 は利 己的であると同時に,他人 の運命 にも関心 を持 っ
f
el
l
ow f
eel
i
ng) と同情 (
Sympat
hy) である。 これ
ている。 その関心 が同感 (
らの倫理的特性が発揮 され るな らば,社会 は経済的に豊かになると同時に,倫
理的 にも新 しい徳が成立 して来 る。すなわち,勤勉や倹約や質素や注意深 さと
い うような徳 目が成立す るのである。
「
見えざる手」 の第 3番 目の引用 は 『
諸国民 の富』第 4編
経済学 の諸体系
l
に於てである。 その本文を大内兵衛 ・松川七郎共訳 『
諸国民 の富』か ら引用 し
てみ る注5。
「かれは自分 自身 の利得 だけを意図 して いるわ けなのであるが, しか も
かれは, そのばあいで も,その他の多 くのばあ、
いと同 じよ うに,見えない
注 4 The The
or
y ofMor
alSe
nt
i
me
nt
s
,Edi
t
e
d by D.
D.
Raphae
land A.
L
Mac
f
i
e
,(
THE GLASGOW EDI
TI
ON)
,p.
1
8
4
.邦訳 A.ス ミス 『道徳感情論』
(
水田洋訳,筑摩書房,1
9
7
3年) 2
8
1頁。
注 5 アダム ・ス ミス著 『
諸国民 の富』 (
大内兵衛 ・松川七郎訳,岩波文庫版) (
≡) 5
6
貢。
♂
商
学
討
究
第 3
8巻
第 3・4号
手 (
ani
nvi
s
i
bl
ehand)
・に導かれ,自分が全然意図 して もみなか った目的
を促進 す るよ うにな るのであ る。かれが この 目的を全然意図 して もみな
か ったとい うことは,必ず しも,つねにその社会 に.
とって, これを意図す
るよ りも悪 い ことで はない。 かれは, 自分 自身 の利益 を追求す ることに
よ って,実際に社会の利益 を促進 しよ うと意図す るばあいよ りも, いっそ
う有効 にそFL
を促進す るばあいが しば しばある。 わた しは,公共 の幸福の
ために商売 しているとい うふ りをす る人 々が幸福 を大 いに増進 させたなど
とい う話 を聞 いた ことがない。」
『
諸国民 の富』に於 ける 「
見えざる手」の引用 は,『
道徳感情論』における 「
見
えざる手」 の引用 に比較 して,神学的色彩が稀薄 にな り,経済的な要素が ヨ リ
濃厚 に_
f
i
Iっているのに気づ く。.ス ミスは,『
諸国民 の富』に於 ては,神学的な配
慮が最早必要でないと感 じたのであろう。 ここでは,各 々が自己の利益を追求
an i
nvi
s
i
bl
ehand) を通 じて経済
すれば,それ らが集 まって 「
見えない手」 (
と倫理 とが矛盾 な く調和す る新 しい経済社会の共同体が成立す るとい う楽天的
な世界観が述べ られている。
Ⅱ 「
見えざる手」 と 「
見えざる鎖」
A.ス ミスの 「
見えざる手」の想源 として, 1
8世紀の自然哲学, なかんず く,
デカル トのそれが指摘 されている注6。
ス ミス時代の神学 は理神論が支配的であ り,哲学思想 として 自然主義が強力
であ ったが, この理神論 によると,神 は宇宙の法則の根源であ り,ヘ レニズム
世界でみ られるよ うな,宇宙法則 を超越す る神ではあ り得ない。 ス ミスは,理
神論 によって,社会 も自然 と同様 に絶対的な法則 によって支配 されていると確
信 していた。 そ して この社会 を支配す る法 は何か とい うことを究明す る時,大
きな力を与 えたのがス トア哲学 と自然哲学 であ った。 ス ミスはス トア哲学 の社
注 6 V.
Fol
ay, S̀mi
t
ha
nd t
he Gr
e
e
ks :a r
e
pl
yt
o Pr
of
e
s
s
or Mc
Nul
t
y'
S
t
i
s.p
.
3
8
8
.
c
omme
nt
s
: I.
A.ス ミスの 「見えざる手」 の想源 につ いて
9
会思想を次 の如 く述べてい る。
「
古代のス トア主義者 たちは, つ ぎのよ うな意見を もっていた。 すなわ
ち,世界 は,賢明,強力,善良 昼手
中の,すべてを支配す る摂理 によ って,
統括 されているのだか ら, どんな個 々のできごとも,宇宙の計画の必然的
な一部分をなす もの として,全体の一般的な秩序 と幸福 を促進す るはずの
もの として,みなされ るべ きだ とい うこと, そ して人類 の悪徳 と愚行 は,
したが って,b
r
,
れ らの知恵 あるいは,かれ らの徳 と同様 に, この計画 の必
然的な一部分 をなす ものであ り, それ らは,悪 いものか らいいものをひさ
アー
ート
だす永遠のわざによって, 自然 の偉大 な体系の繁栄 と完成 に,等 しく貢献 .
させ られているのだ とい うことである。
」注7
「
人類 の悪徳 も愚行 も,神的計画 の一部分 と見徹 され,これ らす らも自然 の偉
大 な体系の繁栄 と完成 に貢献す ると考 えるス ミスの神学思想 は,甚だ自然主義
に近 い もの とされなければな らない。
ス ミスの社会法則探究 において大 きな力 を果 したのは, このス トア哲学 に次
いで 自然哲学であ った。 ス ミスにとって,社会法則のお手本 は, 自然哲学 の法
則であ った。 ス ミスの 『
天文学史』 をひもとく者 は, ス ミスが古代 と近代 との
天文学史』を読む
自然哲学思想 に如何 に通暁 していたかに眼をみはる。 この 『
者 は, シュ ンペーターの 「これ こそはス ミスの知性 の高 さ与を示す珠玉の如 き
作品」
注8 とす る評言 に共感を禁 じ得 ないであろ う。ス ミスが,デカル トの自然学
に多大の興味をよせていた ことは, 『
天文学史』 を読 む と判明す る。 ス ミスの
「
見えざる手」の想源 はデカル トにあ り,ス ミスはこの言葉 を,デカル トが磁力
e
刑uvi
a
) とい う言葉 を変形 して使用 した
現象 の説明の時 に使用 した磁気素 (
刑uvi
aを,社会哲学 の世
ものである注
9
。即 ち自然哲学 で使庸 されて いた概念 e
界 に援用 してス ミスは 「
見えない手」 の概念 に到達 したのである。 この ことの
注 7 A.ス ミス 『
道徳感情論』 (
邦訳,水田洋訳) 5
0頁。
注8 J
.
A.シュ ンペー ター 『
経済分析の歴史』 (
岩波,東畑精一訳)第一分冊 3
7
9貢。
注 9 V.
Fol
ay,o
p.c
i
t
.
,p.
3
8
8の註参照
10
商 学
討
究
第 3
8巻
第 3・4号
例証 として, ス ミスの 『天文学史』 における次 の文章 を挙 げ ることが出来 る。
ス ミスは この著作の第二節 で 驚異 WONDER を扱 っていて,人 は因果関係甲
説明が出来 ない奇異 な現象 にぶつか る時,始 めその現象を 驚異 WONDER の
眼 を以て眺め る。 しか しそq
)因果関係 を説明す る 「
見えざる鎖 」 (
i
nvi
s
i
bl
e
chai
n)を知 るに到 ると,その驚異 は消失す ると云 っている。ここで用 い られて
いる・
「
見えざる鎖」はデカル トの磁気素 e
仔l
ui
vi
aと同 じであ り,これが ス ミス
後年 の 『道徳感情論』 と 『
諸 国民 の富』 における 「
見 えざる手」 とな った もの
であ る。
「もし我 々が,磁石 の動 きにひ きづ られて動 く鉄片の運動 を観察す る時,
我 々は凝視 し, ため らい, そ して この異常 な事象 の連鎖 が どうして発生す
るのか と, その因果のつ なが りが, 自分 には理解 で きぬ と感ず る。 しか し
もし,我 々がデカル トと共 に, この 2つの物体 の間 に環流 して いる所 の,
f
f
l
uvi
aを想像 し,
一繰 り返 し吸引反発 の現象 を確認
眼 には見 えない磁気素 e
、す るうちに,我 々は, この両者 の動 きを因果的 に説明す ることが可能 にな
り, ギ ャップは埋 め られ る」注10
この ラテ ン語 の e
f
f
l
uvi
aとい うのは,デカル トが,磁石か ら発散す ると考え
ていた微粒子 であ って, 人間 には見 えず, 更 に,
. この微粒子 自体が, 渦運動
vor
t
exMovementをな していた と考え られていた。1
白世紀 当時,磁力現象 は
自然哲学 の大問題 であ った し,多 くの学者 は,磁力 は一種 の流体 であ ると考 え
ていた。
.しか しデカル トは,
,その考 えを一歩進 めて, その流体 を微粒子 の流れ
と考え, その微粒子 は,鉄 をっ くってい る微粒子 の間隙を貫 いて進 み うるよ う
な一種 のネ ジ状粒子 であると想像 した注11。
ス ミスは 「
見 えざる手」 の例詔 と して,他 に も興味 のある例 を挙 げて いる。
注1
0 A.
Smi
t
h,Es
s
auso
nPhi
l
o
s
o
Pl
i
c
alSub
j
e
c
t
s
,p.
4
2.
注1
1 野 田又夫 『デカル ト』(
岩波新書)1
4
9頁。なおデカル トの渦運動 の想源 と して は
Empe
doc
l
e
sが挙 げ られ る。Fo
l
ay,o
p.c
i
i.
,p.
3
8
8.エ ンペ ドク レスの磁力 の解
釈 は,次 のエ ンペ ドク レス自身云 ったと伝 え られ る断片か ら, うかが うことが出
来 る。
A.ス ミズの 「
見えざる手」 の想源について
ll
「たとえば, 我 々が普通 の手工業者 の職場 に入 った とす る。 例 えば染物
節,醸造業者, アル コール蒸留業者等。我 々はこの職場 のなかで,沢山の
道具や設備があ って, それ らが奇妙 にな らんで いるのを見 る。 そ して,一
見 した ところ, それ らが, ど うつなが っているのか,理解す ることが出来
ぬ。 我 々は,当然 そ こに何 らかの順序 があ るのだ ろうと予想す る。 手工業
者 には,長年 その職場 に慣 れ親 しんでいるので, そのつなが り具合 は全 く
自明であ る。 彼 の手 の許 で は作業 は至極順調 に蓮 む。 これ らの道具や設備
は,手工業者 には,何 らの驚異 の念 をひきお こさぬ。 もしこの手工業者 が,
凡庸 な理解力 しか持 たず,我 々が何故驚異 の念 を持っのか について,手工
業者が理解す る能力 を欠 いて いるな らば,我 々に同感 して くれ る代 りに,
我 々を噸笑す るであろ う。 彼 は彼 の頭 の中で は至極 当然 であ るこの仕事 の
手筈 とい うものを, それ以上素人 に分 るよ うには軍 明出来 ないのである。
彼 には,苦か らこのよ うにや って来て いるか らこうなのだ, とい う説明以
上 の もの は与 え ることが出来 ぬ。
同様 の ことは,我 々が 日常,食す るパ ンについて も云 え る。このパ ンが,
我 々の肉 とな り骨 とな り体 とな って い くのだ, とい うことは,我 々経験上
よ く知 っているのだが,さて,果 して どのよ うな中間的な変化 を経過 して,
このよ うに,パ ンが,骨 とな り肉 とな り体 とな るのか とい う知的好奇心 を
普通,我 々は持 たぬ。余 りにスムーズに消化 の過程 が進 むために,我 々凡
人 の思想 は, その消化 の過程 に迄 は思 い及 ばない。所が哲学者 とな ると,
我 々が 日常親 しんでいる出来事 の聞 古
Fあ る見 えざる因果 の鎖
(
chai
n of
「
天然磁石か らの流 出物 は,鉄片 の細孔 の入 口の所 にあ る空気 を追 い出 して し
まう。ー
そ して この空気が除去 され ると,鉄片 は自分の細孔か ら出る強力 な流出物
のあとを追 う。細孔か らの流出物 は,天然磁石の細孔 の中に入 って行 く。 この流
出物 はこの天然磁石 と鉄片の間で,比例配分 され,かれ らに適合す る。鉄片 はこ
れ ら二つの流出物 に沿 ってひ きつけ られる.
」 H, Di
e
l
s
, Di
e Fr
a
gme
nt
e de
r
,(
1
9
5
1
,We
i
l
manni
s
c
heVer
l
ag,
) S.
3
0
6
,8
9
, なお次 の書参照
vo
r
s
o
kT
l
at
t
i
ke
r
M.B.He
s
s
e,Fwc
e
sandFi
e
l
ds
,Tot
ouwa,N.J.
,1
9
6
5
,p.5
5-5
7
.
12
商 学
討 究 第 3
8巻 第 3・4号
i
nvi
s
i
bl
eob
j
e
c
t
s
)をたどることが出来 る。 よ しんば出来 ぬ と して も, そ
れの鎖 を探 す努力だ けは しているのであ る」珪12
か くしてス ミスは若 い時代 『天文学史』 を著 した時,すでに 「
見えざる手」
の思想 を持 っていたのであ るが, その想源 は自然哲学 にあ り,磁力現象 の説明
にあた ってデカル トが とった仮説,すなわち渦現象 を範 と した ものであ ること
が明 らか とな った。
.
Ⅲ
「
見えざる手」の自然哲学 と社会哲学
1
8世紀 のイギ リス政治思想 の特徴 について H.ラスキは次 の如 く述べている。
7世紀 の精神的理想主義 を 1
8世紀 に求 め は しな い。神学的倫 `
「
誰 しも 1
理学 は無 内容 な死物 と化 し, それだけに問題 は急迫 を告 げていた とい うの
が真相 で奉 った。だ申ゝらシャフツベ リー,-チ ソン, ヒュ-ム,A.ス ミス
が人間関係 の在 り方 を基礎づ けよ うと した とき,政治 と倫理 とを同等 に考
慮 した。心理 的基礎 な しには社会理論 は成立 たない。
」注1
3
8世紀
上述 の ラスキの言葉 は,神学 に基礎 を置 いた社会哲学 が崩壊 した後 ,1
昼神学 に代 る他の学問分野 を求 め, それ に基 づ いて,社会理論 を構築 しよ うと
ス ミスの 「
見えざる手」 は, デ
した時代 であ ることを主張 した ものであ る。A.
カル トの 自然哲学 を模範 と した ものであ ったが, このよ うな自然哲学 を手本 と
す るとい うのが 1
8世紀全体 の学問的特徴であ った と云 って よい。
ヒュームの主著 『人性論』その ものが,かか る傾向の代表 と云 え る。『人性論』
注1
2 Smi
t
h,o
p.c
i
t
.
,pp.4
4-4
5
.
スミスが,ニュー トンとデカル トに多大の敬意を払っていたこと,並びにその
敬意の理由が,両学者が演鐸法を利用 して,原理から現象を一貫 して説明してい
ることに存することが,スミスの 『
修辞学 ・文学講義』の中にも見出される。そ
M.ロー
してそこでも 「
一つの鎖」という比職で演緯法を説明 している。ジョン・
1
9
8
4年,未来社刊)宇山直亮訳 2
8
6
ジァン編 『アダム・
ス ミス修辞学 ・文学講義』(
-2
8
7頁参照。
注1
3 H.∫
.ラスキ 『イギリス政治思想』 Ⅱ -ロックからベンサムまで- (
岩波現代叢
書)堀豊彦訳。 3頁。
A.ス ミスの 「
見えざる手」 の想源 につ いて
13
の冒頭で ヒュ-ムは, 自分 の探究 の方法論上の特長を 「
実験的論及方法を精神
上 の主題 に導入す る一つの企てである」と して語 っている。それ は,すなわち,
「ガ リレイ・
ニュー トンの近代的 自然探究 の精神で,人間を解明す る」ことに他
な らない。注14 ヒュ-ムは,自分 を,精神界のニュー トンと気負 っていた ことは,
,
『
人性論』のあち らこち らに見出 される。注1
5A.ス ミス も 『道徳感情論』におい
て道徳的規則を,物体運動 め物理的法則 とのアナロジーで考 えていることを示
している注16。
か くて 「
見えざる手」 も自然哲学か ら導かれた概念 であ ったが, これが,道
徳哲学 に適用 され,理神論的な楽天主義 を支える倫理的原理 とな った。利 己心
,
に基づ く人間のさまざまの活動 も 「
見えざる手」に導かれて,社会甲完成 と発
達 とに貢献す る。仮 りに人間が狭 い意図か らして,利 己心 の衝動 に身を委せ,
,
見えざる手」は,長 い間の うちに,それを
社会 の利益 を害す る時があって も 「
匡正す る。 この 「
見えざる力」のお陰で,人間 は,己れの持っ利 己心 ・悪徳 ・
野心 ・悩 みにもかかわ らず,必然的 に,全能全知で慈悲深 い神 の計画の実現 に
貢献 していることになる。 このように して,人間のさまざまな自由な諸活動 が
是認 され ることになる。人間 は,利 己心か ら出た活動 を自由に行 った として も,
f
e
l
l
owf
e
e
l
i
ng)と同情 (
Sympa
t
py)とが
人間 には同時に,神 によって同感 (
与 え られているか ら, 自然 と他人-配慮 をす るとい うことになる。 そ こでは,
最早人間の自由な活動 を抑圧す るよ うな倫理的障壁 は存在 しな い 。 勿論利 己心
注1
4 デ ィヴィ ド・ヒューム 『入性論』 (
-) (
岩波文庫)2
7
7頁。
注1
5 デ ィヴィ ド・ヒューム上掲書 4
2頁及 び 2
9
5頁。
注1
6 A.ス ミス 『
道徳感情論 』 (
水田洋訳)2
1
4頁 で は次 の如 く述 べて いる。
(
人間 の道徳的諸能力) はあ さらか に,人間本性 の支配的原理 たることを意図
されて いたのだか ら, それ らが規定す る諸法則 は,神的存在が, こうしてわれわ
れの内面 に設定 した代理人 たちによ って布告 された,かれの諸命令および諸法則
とみなされ るべ きであ る。すべ七の一般的法則 は,法 と名づ け られ るのがふつ う
である。 こうして,諸物体 が運動 の伝達 におい七守 る,一般的諸規則 は,運動 の
諸法則 とよばれ る。 しか し,われわれの道徳的諸能力 が, その検討 の対象 となる
あ らゆ る感情又 は行為 を,是認 または非難 す るにさい して守 る一般的諸規則 は,
はるかに正当 に, そのよ うに名づ け られ うるであ らう。』
『
14
商
学
討
究
第 3
8巻
第 3・4号
が,正義 を犯 した場合,力ず くで秩序 を防衛 しなければな らない。正義 は守 ら
慈恵 は, 正義 よ りも, 社会の存在 にとって不可欠で はな
れなければな らぬ。 『
い。社会 は,慈恵 な しで も, もっとも気持がいい状態 においてで はないとはい
え,存立 しうるが,不正義 の横行 は, ま った くそれを破壊す るに違 いない』 と
ス ミスは云 って いる。往17だがス ミスは,正義 を守 るとい うことにつ いて,人 々
の共感 の働 きに期待 して いる。『だか ら,正義 を守 ることを強制す るために,自
然 は人間 の胸 のなかに,それの侵犯 に ともな う,処罰 にあたいす るとい う意識,
相応的 な処罰 への恐怖 を,人類 の結合の偉大 な保証 と して植 えつ けておいたの
であ って, これが弱者 を保護 し,暴力を くじき,罪 を こらしめることになるの
である。』注18
ス ミスは正義 の成立 を,人性 に植えつ け られた同感か ら説明 して いるので,
裁判 司法 の役割 につ いて も自ずか ら楽観的 とな る。 この世 で正義 が実現 され る
仕組 みについて は,司法制度が確立 され ることが必要 であ ると認 めてお り, そ
れで充分 に正義 は守 られ るとス ミスは考 えている。
しか しス ミス、
にとって, この楽観的 な社会的調和 を打破 るよ うな衝撃的事件
が,ス ミスの トゥ-ルーズ滞在 中に生 じた。即 ち,カラス事件
(
1
7
6
2年 3月)
の発生 で ある。 カ ラス は, かれ 自身 の息子 を謀殺 した と想定 されたために,
トゥ-ルーズで∴車裂 き火刑 にされたのであ り, その謀殺 につ いて, カ ラスは
完全 に無罪 であ った。 ス ミスはかか る不正 な裁判 は滅多 に生ず るもので はない
と,楽観的調子 は崩 して はいないが, しか しかか る極端 な不正 が実現 され る場
合 を想定 して, ス ミスは, やは り,宗教 の世界 を引 き合 いに出す。つ ま り 「
来
9
世 においての処罰 」を我 々は当然 の ことと して期待す るのである。注1
ス ミスは 「
見 えざる手」 に媒介 されて成立 す る自由な社会が,新 たな倫理 を
,
成立 せ しめ ると考 えて積極的 に この社会 を評価 す る。これが,いわゆ る 「ス ミ
一
注1
7 A.ス ミス 『道徳的感情論』水 田訳
注1
8 上掲書 1
3
5頁。
注1
9 上掲書 1
4
2頁。
1
4
3頁。
A.ス ミスの 「見えざる手」 の想源 につ いて
15
ス問題」 といわれ るものである。 自由な社会 において,各個人が経済的活動 を
行 い,お互 いに生産物 を交易す る場合,だれで も勤勉で,倹約 で,質素で,注
意深 くや る。 これ ら新 しい徳 目が養成 され るか ら, 自由な交易社会 は, 自ず と
高 い道徳水準を維持す るよ うになる。
『
道徳感情論』において 『
徳性 は慈愛 (
Be
ne
vol
e
nc
e
)にあるとす る諸体系』
を批判 しているが,そのなかで, この体系の欠落を指摘 して次の如 く云 ってい
る。
「この体系 は, 反対 の欠陥を もっているよ うに思われ る。 すなわち, 憤
慮,用心,細心,節制,恒常性,不動性 とい う下級 の諸徳性 についての,
われわれの明確 な是認が, どこか ら生 じるかを,十分 に説明 しないとい う
欠陥である。」注
2
0また更 に,
「われわれ 自身の私的な幸福 と利害関係 にたいす る顧慮 もまた,おお く
のばあいに,行為の非常 にはめるべ き諸原理 であるよ うに見える。 倹約,
勤勉,分別,注意,思考集中 とい う諸慣行 は, 自己利害関心的な諸活動か
ら育成 され るもの と,一般 に想定 されている し, そ して同時 に,各人の尊
重 と明確 な是認 とにあたいす る, ひ じょう称賛すべ き諸資質だ と,理解 さ
れている。」
注21
と述べて, 自由な交易社会 に於 て生れる新 しい徳 目の数 々を指摘す る。
利 己心 と同感 とい う 2っの要因 を媒介 として成立 した道徳哲学 は,「
見えざ
る手」の力を通 じて,新 しい社会科学 の成立 を も可能 に した。「
見えざる手」は
自然哲学 に端をを発 した ものであったが,新 しい道徳哲学 を成立 させ,更 に新
しい社会科学 を も成立 させた。すなわち経済学 の成立 である。各々が自由に自
己の利益 を主張すれば, それ らが集 まって, 巨大 に して多様 な経済社会が成立
し,「
見えざる手」 を通 じて, 自ずか ら, そ こに自然的秩序が形成 され る。
『
諸国民 の富』では 「
見えざる手」は,「自然的 自由の明白に して単純 な組織」
注2
0 上掲書 3
7
9貢。
注2
1 上掲書同 じ頁。
16
商 学
討
究
第3
8巻
第 3・4号
,
の中で理想的な形 をとるbそれは,経済組織 の中で 「自然価格」とな って現わ
れ る。
「見えざる手」は,そ こで は市場での需要供給すべての動 きをひ きお こす
原動力 として働 く○ 自然価格 こそは, ス ミス経済学説 の中心的概念 となる〇 千
ミスの鋭 い分析的能力 は∴ 自然価格 を究明 し,そ こか ら経済学 の基本的諸概念
を導出 したのである。
結
論
A.ス ミスの 『天文学史』を播 く時,主著 『
諸国民 の富』だけを知 っている読
者 には, 自然哲学者 と してのス ミスの素喝 らしい業績 に眼を見張 る。更 に 『
道
徳感情論』 を読んで, ス ミスの倫理学 の体系の中に入 って行 くと, そ こに も全
く新 しいス ミスの面,すなわち倫理学者 としての面 を知 って驚歎せざるを得 な
い。 しか し 「
見えざる手」 の想源をたずねて上述 の三者 に触れてみると,同 じ
千見えざる手」は,始
思想 の糸が,いずれの著 に もは られているのを理解す る。
め磁力現象の説明手段 と してのデカル ト的渦現象 の理論か ら出発 して, それが
道徳 の世界 に応用 されて,利 己心 と同情 を土台 とす る自由な市民社会 を可能 に
す る。更 に, この I
r
見えざる手」は,交易を中心 とす る経済社会 においては,
利 己心か ら発す るさまざまな経済活動 を活発化 させ, その結果, 自然価格 を成
立 させ る。 誠 に 「
見 えざる手」 は,1
8世紀 のイギ リスの自然哲 乾 草徳哲学,
社会哲学 を貫 く一本の赤 い糸である。1
8世紀 が体系 の時代であると云われ る所
以 を この 「
見えざる手」 とい う言葉 を通 じて知 らされ る次第である。 、
末尾 なが ら,小樽商科大学附属図書館参考係 の浜 田敏行 さんに資料 の入手 に
ついて多大 の御手数 をか けた ことを感謝 し潤筆す る。