自治体議会の再生を1 関谷昇(千葉大学) 「協働」論の問題 地方分権

自治体議会の再生を1
関谷昇(千葉大学)
「協働」論の問題
地方分権改革が大きく進展するなかで、自治体における「協働」の動きが盛んになって
いる。機関委任事務が廃止された現在、原則として中央官庁の法構造上の拘束から解放さ
れた自治体では、自立した自治体運営を独自に行うことが喫緊の課題とされ、より住民に
身近なところから、
地域固有の事情に即した事業や政策を展開することが求められている。
「協働」とは、地域の様々な主体が、従来の公私区分あるいは制度的・文化的・社会的境
界線を越え、各々の特性と役割を創造的に結びつけていく試みであり、公共的な事柄を地
域から具体化させていくことに大きな期待が寄せられているわけである。
ところが、多くの自治体において唱えられている「協働」の大半は、市民(とりわけ
NPO)と行政との対等なパートナーシップを謳い、条例や施策の整備を通じて、行政への
市民参画の拡大に重点を置くものである。自治事務が拡大し、ローカル・ルールの策定が
必須の課題となっている状況下で、自治体議会の役割が飛躍的に増大しているにもかかわ
らず、現在の「協働」論は、自治体議会を棚上げにする傾向があると言える。それは、議
員の「協働」に対する消極的姿勢を示していることの裏返しでもあろうが、それ以上に、
現在の「協働」が「自治」の問題として十分に捉えられていないことにも関連している。
いくら首長の権限と関連機関の役割が拡大しているとは言え、市民と行政の二者間関係
に重点が置かれた「協働」論では、自立した自治体運営を語るには不足していると言わざ
るをえない。それどころか、
「協働」が、議会のあり方や市民自身の自己決定のあり方へと
接合されていかない限り、閉じられた行政の組織内論理の域を出ないか、市場原理の導入
による効率化が結果的に格差拡大を増長するといった矛盾に陥ることは免れないであろう。
自治体議会への不信
そもそも自治体議会とは、地域住民の民意を表象するという代表制に立脚するものであ
り、地域住民の公共の福利を実現するために、選出された議員が一定の権限を持って立法・
財政・行政監視の役割を果たすものと考えられている。それゆえ、議員は民意を背負って
いることを強調し、資源配分をめぐる議論と調整に奔走するわけである。
もっとも、こうした意味での正統性は、議会活動の現状を追認するものでしかないとい
う点に注意する必要がある。なぜなら、この住民の利益を表出するという大義名分の下で
は、住民への世話焼き、支持勢力からの要望の行政への取り次ぎ、都道府県議員や国会議
員の系列化に属することで得られる特定主体への利益誘導なども、議会活動として容易に
正統化されてしまうからである。それは、機関委任事務が自治体の事務の大半を占め、自
本エッセイは、千葉まちづくりサポートセンター『ピーナッツ通信』
(2008 年 3 月)に掲載したもので
ある。
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治体議会による関与が限定されてきたという構造的原因に由来するが、そうした構造のな
かで民意を代表するには、恩顧庇護政治を繰り広げるということがもっとも可視的で効果
的であるとの認識がまかり通ってきたのである。
その歪みが、議員の恣意的な権限行使にはじまり、腐敗や汚職をもたらすことにもつな
がってきたことは改めて言うまでもない。既存の利益表出に与ることができない人々は、
政策の選択肢の偏りや民意が反映されないことに不満を抱き、自らの無力さを実感するこ
とになる。また、総体的には少なくない声なき声というものが、その潜在性と無方向性ゆ
えに、選挙区という画一的区割りを前提とする選挙制度や、特定利益を求心力とする組織
的動員を前にして、新たな政治勢力へと結実されえないといったディレンマも存在してい
る。地域住民の代表機関であるにもかかわらず、政治不信や議会無用論が後を絶たないの
は、こうした背景があるからである。
代議制のディレンマ
しかし、翻って考えてみるに、そもそも代表されうる民意などというものは、あらかじ
め明確にされた形で存在しているのだろうか。民意というものがまずあって、代表者はそ
れを体現するという前提そのものが、実は極めて非現実的なことなのではないだろうか。
人々の意見は、当事者に即せば即すほど多様なものでしかありえない以上、民意がひとま
とまりのものとして存在し、画一的なプロセスによって表象されうると考えること自体、
幻想でしかない。その意味では、議会制の理念に反して、
「代表するもの」と「代表される
もの」との一致などはありえないことの方が現実なのであり、代表機能は根本的な不可能
性を帯びざるをえないと考えた方がいいのである。
実際は、
「代表するもの」が人々に支持されることを提示することによって、それを民意
と称し、人々はそれを民意であるかのように受け止めているのが実態である。つまり、混
沌とした状況にある人々のなかで、逆に「代表するもの」によって民意が形成されている
のである。政治的党派が特定利益の実現を訴えかけることによって支持を調達したり、そ
れに異議を唱える勢力が批判を繰り広げたりすることも、民意を反映させているというよ
りは、
「代表するもの」が「代表されるもの」に明確な争点を提示し、了解を取りつけるこ
とによって民意を規定していると捉えることができる2。
こうした構図は、政治が代表制という制度を採用している限り解消不可能である。代表
制は、代表者が民意を規定しているということを、制度を通じて、民意を反映していると
いうことに変換する。それゆえ、特定の利益や信念に固執した立場から民意を操作するこ
とも自己正当化できてしまうのである。
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この点については以下のものから示唆を得ている。杉田敦「自治体と代表制――競争としての代表=表
象」(自治体学会編『年報自治体学』第 19 号、2006 年。
協働における議会
したがって注視すべきは、
「代表されるもの」との応答的な関係が持続的に捉え直されて
いるかという点である。代表者が規定する民意と比べて、現実というものはあまりにも複
雑多岐なもので固定化しうるものではないからである。代表者の問いかけが住民に議論を
喚起し、そのフィードバックを通じて見直されるものでなければ、表象されえない人々や
事柄は無視されたままになってしまう。それゆえに議員は、代表機能の不可能性を制度に
よって隠蔽するのでなく、各自の専門的知見と政治的判断力を持って住民に争点を提示し、
議論を喚起し続けることによって民意の不断の形成に寄与しなければならないのである。
このように考えると、住民投票や政治運動といった住民の直接的な意思表示活動は議会
を軽視するものだとの批判が、いかに的外れのものであるかということが分かるであろう。
これらの活動も、住民に対する一つの選択肢の提示に外ならず、議会とは異なる観点から
民意の形成に寄与するものである。まして「協働」という取り組みに期待されていること
は、住民が抱える潜在的問題や行政活動の問題をより多角的に浮き彫りにすることであり、
民意がもっとも直接的に喚起される現場への注視に外ならない。それは、議員にとってみ
れば、立場を通じて与えようとしている民意のカタチと現実がずれているのかを知りうる
契機となるし、地域における争点の明確化と問題解決の方向づけという自らの役割に大き
く資するものとなるはずである。
議員は、多様な協働主体のなかで固有な位置を占める。議員がなすべきことは、そうし
た「協働」の現実を積極的に理解し、自治体運営に関する全体的観点から幅広い調査研究
を行うことによって、さらなる議論を喚起し続けることである。逆に住民がなすべきこと
は、議員との開かれた対話を通じて、協働の試みを公式的な意思決定機関に媒介していく
ことである。そこから重層的に構築されていく公共空間において、はじめて自治体議会の
本来の役割が全うされる可能性が見出されてくる。ここにこそ、今の自治体議会が再生し
うる格好の契機があるのである。