日本史 第1問 次 の 文 章(A 〜 D) の 空 欄 20 1 ~ 3 , 8 ~ 10 , 14 〜 16 , 〜 22 に適する語句を,後の語群ア~ヤのうちからそれぞれ一つずつ選べ。また下の 問い(問1~ 13)に答えよ。 (史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。 ) A 藤原行成は, 1 の変の直後に即位した円融天皇の摂政藤原伊尹の孫として,972 年に生 まれた。 祖父伊尹は行成の生年に死去し,父義孝とも幼少時に死別するなどしたため不遇な ⓐ 青年期を過ごした。しかし, 律令政治が変質して儀式や先例が重んじられる中,995 年,一 ⓑ 条天皇の秘書官長として仕える 2 に抜擢された。これはちょうど 藤原道長が内覧の地位 ⓒ を得,その権力を確立したときのことである。行成は一条天皇や藤原道長からの信任のもと, 実務官僚として活躍した。 行成は能書家としても有名で, 道長は 3 ,藤原佐理とともに三跡(蹟)と並び称された。藤原 浄土信仰の教えをまとめた源信の『往生要集』の写しを行成に依頼していた。 ⓓ 問1 下線部ⓐに関連して,藤原行成が生まれた 972 年から 995 年までの出来事として正しい ものを,次の①~④のうちから一つ選べ。 4 ① 藤原良房が,臣下で初めて摂政に就任した。 ② 醍醐天皇の命により,初めて勅撰和歌集が編纂された。 ③ 平将門が東国で反乱を起こし,新皇と自称した。 ④ 藤原兼通・兼家兄弟が,摂政・関白の地位を争った。 問2 下線部ⓑに関連して,律令政治について述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代 順に正しく配列したものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。 Ⅰ 菅原道真が遣唐使派遣の停止を建議した。 Ⅱ 一部地域を除いて軍団が廃止され,健児に代えた。 Ⅲ 三代格式の最後となる延喜格式が編纂された。 ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ − 22 − 5 問3 下線部ⓒに関連して,藤原道長の権勢について述べた史料として正しいものを,次の①~ ④のうちから一つ選べ。 6 ① 此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし。 ② 此の世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることも無しと思へば ③ 世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば ④ 詔を承りては必ず謹め。君をば則ち天とす。臣をば則ち地とす。 問4 下線部ⓓに関連して,浄土信仰に関して述べた次の文Ⅰ・Ⅱと,それに関連する下の語句 a ~ d の組合せとして正しいものを,あとの①~④のうちから一つ選べ。 Ⅰ 各地を遊行して浄土信仰と念仏を広め,市聖とも称された。 Ⅱ 藤原頼通が宇治の別荘を寺に改め,阿弥陀堂を建立した。 a 空也 b 行基 c 中尊寺金色堂 d 平等院鳳凰堂 ① Ⅰ- a Ⅱ- c ② Ⅰ- a Ⅱ- d ③ Ⅰ- b Ⅱ- c ④ Ⅰ- b Ⅱ- d − 23 − 7 B 後醍醐天皇は,後宇多天皇の第2皇子として生まれ,1318 年に即位した。まもなく親政を 開始し,さらに,鎌倉幕府の打倒をめざしたが,その計画は 1324 年の 8 の変,1331 年 の元弘の変と,二度にわたって漏れることになった。元弘の変においては京都を脱出して挙兵 したため捕らえられ, 9 統の光厳天皇へ譲位させられたのち,配流された。しかし 1333 年には,護良親王らの軍事行動に呼応して配流先を脱出し, 得宗専制政治に不満をもつ多く ⓔ の御家人の支持を得て幕府を滅ぼした。 後醍醐天皇は京都に戻り, 建武の新政をはじめた。新政府は「朕が新儀は未来の先例」と ⓕ の言葉に象徴されるように,先例や家柄の序列を無視した政策を実施したため,公家・武家を 問わず強い反発を招き,1336 年に崩壊した。しかし後醍醐天皇は 10 に移ってそこを拠点 とし, ⓖ 京都を制圧した足利尊氏に対抗した。 問5 下線部ⓔに関連して,得宗専制政治について述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから 年代順に正しく配列したものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。 11 Ⅰ 北条貞時の外戚である安達泰盛が,内管領により滅ぼされた。 Ⅱ 絶大な権勢をふるった平頼綱を滅ぼし, 北条貞時が得宗として幕府政治の実権を握った。 Ⅲ 執権北条高時のもと,内管領長崎高資が権勢をふるった。 ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ 問6 下線部ⓕに関連して,建武の新政で実施された政策について述べた次の文Ⅰ・Ⅱについて, その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。 12 Ⅰ すべての土地所有権の確認には天皇の綸旨が必要であるとした。 Ⅱ 鎌倉将軍府を設け,公家北畠親房を相模守に任じて派遣した。 ① Ⅰ-正 Ⅱ-正 ② Ⅰ-正 Ⅱ-誤 ③ Ⅰ-誤 Ⅱ-正 ④ Ⅰ-誤 Ⅱ-誤 − 24 − 問7 下線部ⓖに関連して,足利尊氏について述べた文として誤っているものを,次の①~④の うちから一つ選べ。 13 ① 中先代の乱で関東に赴いた際,建武政権に対して反乱を起こした。 ② 京都を制圧したあと,建武式目を定めて当面の政治方針を示した。 ③ 当初は政務を分担していた弟の足利直義と,観応の擾乱で対立した。 ④ 後醍醐天皇が死去したあと,その冥福を祈るために建仁寺を創建した。 − 25 − C 田沼意次は,1767 年に 10 代将軍 14 の側用人となり,さらに 1772 年には老中も兼ね, 幕府政治の実権を握った。 意次は民間の経済活動の成果を幕府財政に組み込むことによって財政の安定をめざし, 株 ⓗ 仲間を積極的に公認して営業税である運上・冥加の増収をはかった。一方,江戸や大坂の商人 の資金を活用して 15 の干拓工事を始めるなど新田開発を積極的に試みた。また, の開発やロシアとの交易の可能性を探った。 蝦夷地 ⓘ こうした商業重視の政策は, 賄賂や縁故による人事の横行をまねき, 士風が乱れた。 また, 村々 で商品作物生産が活発化するとともに農村の階層分化が広がる中, 16 の大噴火などを原因 として天明の飢饉が生じると, 村々では餓死する者,都市へと流入する者が激増して耕地の ⓙ 荒廃が進み,幕府の財政基盤が大きく動揺した。 問8 下線部ⓗに関連して,株仲間とそれに対する江戸幕府の政策について述べた次の文Ⅰ~Ⅲ について,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。 17 Ⅰ 物価の引下げをはかるため,株仲間の解散を命じた。 Ⅱ 糸割符仲間にポルトガル商人がもたらす生糸を一括購入させる制度が定められた。 Ⅲ 江戸で仲間の連合組織である十組問屋が結成された。 ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ 問9 下線部ⓘに関連して,老中田沼意次の蝦夷地政策に関連して述べた次の文Ⅰ・Ⅱについて, その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。 18 Ⅰ 工藤平助が『赤蝦夷風説考』を著し,蝦夷地開発の重要性を説いた。 Ⅱ 間宮林蔵を蝦夷地に派遣し, 「大日本恵登呂府」の標柱を立てさせた。 ① Ⅰ-正 Ⅱ-正 ② Ⅰ-正 Ⅱ-誤 ③ Ⅰ-誤 Ⅱ-正 ④ Ⅰ-誤 Ⅱ-誤 − 26 − 問 10 下線部ⓙに関連して,寛政の改革で幕府がとった政策について述べた文として誤ってい るものを,次の①~④のうちから一つ選べ。 19 ① 旧里帰農令を出して江戸に流入した農民に帰農を奨励した。 ② 諸藩に対して籾米を貯蔵する囲米を命じた。 ③ 陸奥や北関東などで百姓の他国への出稼ぎを制限した。 ④ 田畑永代売買の禁止令を出し,田畑の権利の移動を禁じた。 − 27 − D 大隈重信は, 20 藩の上級武士の家に生まれ,幕末期は尊王攘夷運動に参加した。明治政 府成立とともに官僚となり,大蔵卿や参議などの要職を歴任し,地租改正や秩禄処分, 殖産 ⓚ 興業政策を推進した。しかし, 21 流の議院内閣制の採用などを主張して伊藤博文らと対立 し,1881 年,開拓使官有物払下げ事件への世論の動きとの関与を疑われて政府を追放された。 これが明治十四年の政変である。 政府の主導権を掌握した伊藤は,天皇と政府の権限の強い憲法の制定に着手し,1889 年, 大日本帝国憲法として完成させた。大隈はこの間,矢野龍溪(文雄)らと立憲改進党を組織 ⓛ し, 22 を創立して在野での活動を進めた。大隈は 1888 年,第1次伊藤博文内閣の外相に 就任して条約改正交渉にあたった。 その後,大隈は 日清戦争後から第一次世界大戦期にかけて内閣を組織した。大隈は民衆に ⓜ 人気を博し,1922 年に死去した際,葬儀は国民葬として行われた。 問 11 下線部ⓚに関連して,次の語句甲・乙と,その語句について述べた下の文Ⅰ~Ⅳの組合 せとして正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。 23 甲 富岡製糸場 乙 岩崎弥太郎 Ⅰ フランスの技術を導入して群馬県に開設された。 Ⅱ イギリスの技術を導入して長野県に開設された。 Ⅲ 政府の保護のもとで海運業に従事し,三菱発展の基礎を築いた。 Ⅳ 国立銀行条例に基づき,東京に第一国立銀行を設立した。 ① 甲-Ⅰ 乙-Ⅲ ② 甲-Ⅰ 乙-Ⅳ ③ 甲-Ⅱ 乙-Ⅲ ④ 甲-Ⅱ 乙-Ⅳ − 28 − 問 12 下線部ⓛに関連して,大日本帝国憲法の条文として正しいものを,次の①~④のうちか ら一つ選べ。 24 ① 第 72 条 政府恣ニ国憲ニ背キ擅ニ人民ノ自由権利ヲ残害シ建国ノ旨趣ヲ妨クルトキハ, 日本国民ハ之ヲ覆滅シテ新政府ヲ建設スルコトヲ得。 ② 第 3 条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス。 第 11 条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス。 ③ 第 749 条 家族ハ戸主ノ意ニ反シテ其居所ヲ定ムルコトヲ得ス。 ④ 第 2 条 皇位は,世襲のものであつて,国会の議決した皇室典範の定めるところにより, これを継承する。 − 29 − 問 13 下線部ⓜに関連して,大隈が首相として組織した2度の内閣について述べた次の文Ⅰ・ Ⅱについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。 25 Ⅰ 第1次大隈内閣は,陸軍大臣上原勇作が単独辞職したため倒れた。 Ⅱ 第2次大隈内閣は,日英同盟を理由として第一次世界大戦に参戦した。 ① Ⅰ-正 Ⅱ-正 ② Ⅰ-正 Ⅱ-誤 ③ Ⅰ-誤 Ⅱ-正 ④ Ⅰ-誤 Ⅱ-誤 〔語群〕 ア 承久 イ 鎌倉 ウ 小野道風 エ 八条院 オ 富士山 カ 橘逸勢 キ 印旛沼 ク 徳川家斉 ケ 肥前 コ 検非違使 サ イギリス シ 徳川吉宗 ス 琵琶湖 セ 薩摩 ソ 浅間山 タ 嘉吉 チ 芦ノ湖 ツ 慶安 テ 秩父事件 ト 東京専門学校 ナ 徳川家治 ニ 大覚寺 ヌ 承和 ネ フランス ノ 吉野 ハ 持明院 ヒ 同志社 フ 勘解由使 ヘ 土佐 ホ 安和 マ 慶応義塾 ミ 正中 ム 空海 メ 阿蘇山 モ 隠岐 ヤ 蔵人頭 − 30 − 第2問 次の文章(A ~ C)を読んで,下の問い(問1~ 8)に答えよ。 A 律令国家の形成にともない,貨幣の鋳造が始まった。7世紀後半の富本銭に続き,708 年に は和同開珎が鋳造された。背景には ア の造営費を調達する目的があった。だが,貨幣の流 通範囲はおもに京・畿内に限られ, 10 世紀半ばを最後に貨幣の鋳造は途絶した。 ⓐ 平安時代後期には米や イ などが貨幣の役割を果たしていたが, 平安時代末期から室町 ⓑ 時代にかけ,中国との貿易が活発化するにつれて中国銭が多く輸入され,次第に貨幣の使用が 浸透していった。しかし戦国時代には,宋銭や明銭,さらには私鋳銭などさまざまな種類の銅 銭が混在し,取引の中心として用いられる貨幣には地域差があった。そのため,撰銭が行われ るようになった。 問1 空欄 ア ・ イ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ 選べ。 26 ① ア-平城京 イ-木綿 ② ア-平城京 イ-絹 ③ ア-藤原京 イ-木綿 ④ ア-藤原京 イ-絹 問2 下線部ⓐに関連して,本朝(皇朝)十二銭の最後となった乾元大宝が鋳造されたときの天 皇の治世について述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。 27 ① 最初の荘園整理令が出された。 ② 『日本三代実録』が編纂された。 ③ 関白藤原忠平が死去すると,摂政・関白は置かれなかった。 ④ 平忠常が房総半島で反乱を起こした。 問3 下線部ⓑに関連して,中世における中国との貿易について述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて, 古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。 28 Ⅰ 明を建国した朱元璋は日本に通交を求め,懐良親王と交渉した。 Ⅱ 建長寺修造の費用を調達するため,元に貿易船が派遣された。 Ⅲ 平清盛が大輪田泊を修築し,宋の商船を畿内まで招いた。 ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ − 31 − B 1600 年頃から慶長金銀が大量に鋳造され,江戸幕府のもとで同じ規格・品質の金・銀貨幣 が全国で通用する体制が整えられた。1636 年には各地に設けられた銭座で ウ が大量に鋳 造され,17 世紀中頃には金・銀・銭の三貨が全国で流通するようになった。 幕府は戦国時代にあった貨幣使用の地域差を考慮し,それを継承しつつ新しい貨幣に置き換 えていくという現実的な対応をとった。そのため,江戸時代においても地域によって取引の中 心となる貨幣が異なっていた。18 世紀後半に 南鐐二朱銀など計数銀貨が鋳造され,金を中 ⓒ 心とする貨幣制度への一本化がめざされたが, 統一的な貨幣制度は整わなかった。 幕府は金・銀・ 銭の三貨間での交換比率を公定したが,実際には時々の相場に応じて交換比率が変動したため エ が発達した。 問4 空欄 ウ ・ エ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ 選べ。 29 ① ウ-永楽通宝 エ-土倉 ② ウ-永楽通宝 エ-両替商 ③ ウ-寛永通宝 エ-土倉 ④ ウ-寛永通宝 エ-両替商 問5 下線部ⓒに関連して,貨幣制度について述べた次の文 a ~ d について,正しいものの組 合せを,下の①~④のうちから一つ選べ。 30 a 江戸では,金貨が取引の中心に用いられていた。 b 大坂では,金貨が取引の中心に用いられていた。 c 南鐐二朱銀は,8枚で金貨1両として通用した。 d 南鐐二朱銀は,4枚で金貨1両として通用した。 ① a・c ② a・d ③ b・c ④ b・d − 32 − C 明治政府は 1871 年, オ を制定した。新しく円・銭・厘の貨幣単位を定め,金貨を本位 貨幣としたが,貿易では銀貨の無制限な通用を認めた。そのため貨幣制度は事実上銀本位とな り,1885 年に日本銀行が発行を開始した日本銀行券は銀兌換であった。その後 産業革命が ⓓ 進展し,イギリスやアメリカなどとの取引が増加すると,日本は日清戦争の賠償金を基礎とし て金本位制を確立した。 金本位制のもとでは外国為替相場が安定し,貿易や資本の輸出入が円滑に行われたが,工業 の技術力が劣る日本経済にとってはデメリットも大きかった。日本は 1929 年に始まった世界 恐慌に巻き込まれて深刻な恐慌に陥り,1931 年末に金本位制を離脱した。 これ以降,外国 ⓔ 為替相場は変動状態となり,再び一定水準に安定したのは第二次世界大戦後の 1949 年だった。 その際,1ドル= カ 円の単一為替レートが設定され,ドルを基軸とする国際通貨体制のも と,外国為替相場の安定がはかられた。 問6 空欄 オ ・ カ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ 選べ。 31 ① オ-貨幣法 カ- 360 ② オ-貨幣法 カ- 308 ③ オ-新貨条例 カ- 360 ④ オ-新貨条例 カ- 308 問7 下線部ⓓに関連して,日清・日露戦争前後における貿易について述べた文として誤ってい るものを,次の①~④のうちから一つ選べ。 32 ① 紡績業の原料綿花をインドやアメリカなどから輸入した。 ② 中国や朝鮮(韓国)に向けて,綿糸や綿織物の輸出が増大した。 ③ 水車を用いた紡績機械をイギリスやアメリカなどから輸入した。 ④ アメリカなどに向けて生糸が多く輸出され,外貨獲得に貢献した。 − 33 − 問8 下線部ⓔに関連して,1930 年代から 40 年代にかけての日本の経済・社会に関して述べ た次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①~⑥のうち から一つ選べ。 33 Ⅰ 傾斜生産方式が採用され,石炭業や鉄鋼業などの重点復興がはかられた。 Ⅱ 国家総動員法が定められ,政府は経済を統制できる権限を得た。 Ⅲ 大日本産業報国会が組織され,すべての労働組合が解散した。 ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ − 34 − 第3問 次のⓐ~ⓔは古代から近代までの事件・地域であるが,最も関係の深い場所を,下の 地図中のア~タのうちからそれぞれ一つずつ選べ。 ⓐ 胆沢城 34 ⓑ 福原京 35 ⓒ ラクスマン来航 36 ⓓ 日比谷焼打ち事件 37 ⓔ 前原一誠の反乱 38 イ ア ウ エ カ オ ス サ ケ セ キ ク ソ コ シ タ MF-1.ai − 35 − 2 第4問 次の文章(A ~ C)を読んで,下の問い(問1~7)に答えよ。 A 701 年の大宝律令により整った律令体制は,戸籍・計帳の作成に象徴されるように, ア による行政・情報伝達を基本としていた。8世紀には日本語の音節を漢字の音・訓を借りて表 記する「万葉がな」が整い,それを基礎としてかな文字が発達していった。その結果, 貴族 ⓐ を中心に和歌がさかんになり,摂関政治期には, イ が宮廷生活の体験を随筆風に記した『枕 草子』を著すなど,かな文学の作品がさかんに発表された。 問1 空欄 ア ・ イ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ 選べ。 39 ① ア-文書 イ-清少納言 ② ア-文書 イ-紫式部 ③ ア-口頭 イ-清少納言 ④ ア-口頭 イ-紫式部 問2 下線部ⓐに関連して,奈良時代から平安時代の和歌集・漢詩集について述べた次の文Ⅰ~ Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。 40 Ⅰ 嵯峨天皇の命により『凌雲集』が編纂された。 Ⅱ 紀貫之・紀友則らが『古今和歌集』を編纂した。 Ⅲ 大津皇子らの漢詩を集めた『懐風藻』が編纂された。 ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ − 36 − B 平安時代後期以降,民衆の間で流行した歌謡や民衆向けの語り物が文字によって記録される ことが多くなった。有名な作品には, 後白河上皇が今様を集めて編んだ『 ウ 』がある。いっ ぽう, 合戦を素材とした軍記物語は一般には作者不明で,同じ筋を持ちながらも文章の異な ⓑ る異本が多く,語り物文芸であったと考えられている。 貴族から武家,僧侶,民衆を問わず,身分を越えて広がっていった文芸もあった。たとえば 連歌は,喫茶と同じく,集団で共同して楽しむ寄合の文芸であったため, 「二条河原落書」 ⓒ で「京鎌倉ヲコキマゼテ 一座ソロハヌエセ連歌」と風刺されるほど大流行していった。 一方,貴族社会を中心に和歌もさかんに作られ,鎌倉時代には エ の命によって『新古今 和歌集』が編纂された。また,室町・戦国時代には一条兼良や三条西実隆らが出て和歌や古典 研究にはげんだ。 問3 空欄 ウ ・ エ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ 選べ。 41 ① ウ-閑吟集 エ-後嵯峨上皇 ② ウ-閑吟集 エ-後鳥羽上皇 ③ ウ-梁塵秘抄 エ-後嵯峨上皇 ④ ウ-梁塵秘抄 エ-後鳥羽上皇 問4 下線部ⓑに関連して,軍記物語について述べた次の文Ⅰ・Ⅱについて,その正誤の組合せ として正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。 42 Ⅰ 『平家物語』は,各地を遍歴する物語り僧が三味線をひきながら語った。 Ⅱ 関東管領の今川了俊が, 『太平記』の内容を批判する書物を著した。 ① Ⅰ-正 Ⅱ-正 ② Ⅰ-正 Ⅱ-誤 ③ Ⅰ-誤 Ⅱ-正 ④ Ⅰ-誤 Ⅱ-誤 問5 下線部ⓒに関連して,連歌や喫茶について述べた文として誤っているものを,次の①~④ のうちから一つ選べ。 43 ① 二条良基が『応安新式』を定め,連歌の規則を統一した。 ② 宗鑑が自由な俳諧連歌を広め, 『菟玖波集』を編集した。 ③ 茶を飲み分け,産地をあてる闘茶が流行した。 ④ 村田珠光が茶と禅の精神の統一を主張し,侘茶を創出した。 − 37 − C 鎌倉・室町時代においても五山の禅宗寺院などで出版活動が行われていたが,近世になると, よりいっそう活発となった。 1590 年,イエズス会の宣教師 オ がヨーロッパから活字印刷術を伝えた。また,豊臣政 権の朝鮮出兵に際して朝鮮からも活字印刷術がもたらされ,活字による出版が行われた。 1682 年,井原西鶴が『 カ 』を出版して以降,18 世紀前半にかけて町人生活を生き生き と描く浮世草子が上方を中心に出版された。さらに 18 世紀後半以降, 景に,絵入り小説が江戸を中心として流行した。 ⓓ 版画技術の発達を背 明治時代になると,東京を中心に各種の新聞や雑誌が次々と創刊された。政治問題の評論が 行われる一方,さまざまな小説が掲載され,人々に広く受け入れられていった。 問6 空欄 オ ・ カ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ 選べ。 44 ① オ-ヴァリニャーニ カ-曽根崎心中 ② オ-ヴァリニャーニ カ-好色一代男 ③ オ-ザビエル カ-曽根崎心中 ④ オ-ザビエル カ-好色一代男 問7 下線部ⓓに関連して,当時流行した小説について述べた次の文Ⅰ・Ⅱと,それに関連する 下の語句 a ~ d の組合せとして正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。 45 Ⅰ 『南総里見八犬伝』など勧善懲悪・因果応報をもり込んだ作品を書いた。 Ⅱ 人情本『春色梅児誉美』で人気を博した為永春水が処罰された。 a 山東京伝 b 曲亭馬琴 c 寛政の改革 d 天保の改革 ① Ⅰ- a Ⅱ- c ② Ⅰ- a Ⅱ- d ③ Ⅰ- b Ⅱ- c ④ Ⅰ- b Ⅱ- d (日本史の問題は終わり) − 38 −
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