米国合同メソジスト教会の聖餐論の全文の翻訳です。 研究・教育を目的と

米国合同メソジスト教会の聖餐論の全文の翻訳です。
研究・教育を目的とした使用が許されています。
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「この聖なる神秘:聖礼典の一つの理解―米国合同メソジスト教会の場合」
(This Holy Mystery: A United Methodist Understanding of Holy Communion. trans. and edit. By Yoshitaka Goh)
郷義孝
序
今日混乱する聖礼典の理解―特に聖餐理解―に関してしばしば言及されるアメリカ合同メソジスト教会の場合につ
いて、言及はされるものの、これまで日本語に翻訳された文書がなかったが、今回ここに、広く論議を喚起すること
を目的として、拙い翻訳を出版する共同作業を行った。したがって、この文書は何か白黒を決するというような事柄
に供するのではなく、あくまで豊かな聖餐の経験に向かって歩みだすための縁として一つの資料を提供するというも
のである。この訳業が広く深く考えるための一助となれば幸いである。
なお、この文書が正式に採択される前に、この文書をまとめるのに際して、座長を務めたギャレット神学大学の教
授、エドワード・フィリイプ師の紹介が同校の学報に載せられ、卒業生である私の手元に届けられ、2005年に日
本聖書神学校の紀要「聖書と神学」16号にそのさわりを既に紹介したのでまず、これを再掲載してから、本文の翻
訳文を掲載することにしたい。これは本文に述べられていない経緯などを知る上で有意義な文書だと判断したからに
他ならない。原題は“Edward Phillips. “Finding ourselves at the table”, in AWARE, winter 2004, p.12ff.”である。
「ノースウェスタン大学・ギャレット神学院、準教授エドワード・フィリップス師が同校の、「Aware」紙、
冬期号に寄せた記事によれば、米国の合同メソジスト教会の年次総会(2004年、4月26日~5月6日、ピッツ
バーグで開催予定)で、オープン・コミュニオンへの何らかの合意文書が上程可決される見込みだという。この文書
が可決されれば、合同メソジスト教会では歴史上初めて聖餐式の背景や実践そして原則的考え方などについて述べた
統一見解が文書の形で提示されることになるだろうと言う。しかも、可決承認されたあかつきには、この文書が諸教
会や神学校における教派の教育指針になるだろうという。
米国合同メソジスト教会は、この問題について今から4年前、19人の委員(本文の最後に名前を掲載)からなる
作業部会を立ち上げることを年次総会で可決した。委員には現役の監督、牧師、教会役員、神学校教授、一般信徒、
そして教派内の様々な人種の人々、多様な神学的立場の人、地域の違いなどを反映した人などが選ばれた。この部会
は、合同メシジスト教会の聖餐の実践と神学について分かり易く解釈する文書を作る委員会(「”comprehensive
interpretive document on the theology and practice of Holy Communion in United Methodism”」)と命名され、フィリップ
教授がその座長を務め、第1回会合が2001年から始まり、今回、まとめるに至ったのだという。
この委員会の中心のテーマは既存の教憲教規などに定められた公式の文言を変更するということではなく、それら
によって意味されている事柄を分かり易く解釈することに主眼が置かれたという。例えば、今日、ほとんどの合同メ
ソジスト教会は、現実にはオープン・コミュニオン[1]を実施しているが、この実践と、教派の公式文書にある洗礼に
関する次のようなくだり、「聖餐にあずかる者で、未だ洗礼を受けていない人は速やかに洗礼に向けて勧めかつ養わ
れるべきである。」に関して、教派内に論争を生み出しているが、これについて文書の草案は苦慮した跡が見受けら
れる。ただ、文書作成の性格上、従来の聖餐を受ける前には洗礼が先行するという公式文書を委員会の草稿は、「こ
の文言は、神の功なき恵の手段としての聖餐と洗礼の両方とも、障害としてではなく、通路として見られるべきであ
る。」という意味だと解釈した。結果的に、この委員会の研究報告は、合同メソジスト教会の礼典は明解な招きへの
言葉を見つけるべきだと強くすすめ、次のように結んでいる。「私たちの主であるキリストは、主を愛し、互いに平
和に生きることを求め、熱心に罪の悔い改めをするものは誰でも、主の食卓に招かれるのだ。」
答申は聖餐の拡張とか、執行者の資格とか、表現の問題などなど多岐に渡るので、ここでは紹介できないが、委員
会は内容を各個教会に戻って報告したり、様々な信徒の意見を聞く掲示板などを設けたり、4つの段階の応答による
アンケートなどを実施したりして、意見の集約をはかったという。その結果、例えば、「聖餐のパンは、パンのよう
に見え、そのような味でなければならない。」という既存の文章もアフリカ系の牧師からの意見で、「~であること
が、ふさわしい。(it is appropriate)」という表現に修正したという。それは、多分、世界の内には私達が普段口に
しているパンを手に入れることさえ難しいところがあることを配慮してのことであろう、とわたしは推測する。
こうして、フィリップ教授は最後に、「もし、この文書がピッツバーグ年次総会で可決されれば、それはカノン
(規範)のような力を持つわけではないが、むこう8年間は決議集に収められることになり、効力を持つことになる
だろう。」と結んでいる。[2]
わたしはこの小論を読んで、他人事ではないと感じた。日本キリスト教団には時代の要請に応答したこのような意
見の集約は見られず、混乱や誤った聖礼典の執行がなされ、恣意的な様相さえ帯びている。これは憂うるべき事態で
ある。何年か前に、わたしはルターのキリストのリアル・プレゼンス(実在的現在)という説に基づいた「プロセス
神学の聖餐理解」(『聖書と神学』第11号、1999年;今号には「プロセス神学の聖餐論再考」という論文を開
催したので参照のこと。)という論文を上程したが、神学のみならず、執行に関する典礼論などとの連携した議論も
求められるべきだと感じた。その意味で、様々な意見を集約した合同メソジスト教会のような取り組みが必要だと強
く感じたのである。[3]
―――
以下、本文の翻訳
「この聖なる神秘――合同メソジスト教会の一つの聖餐理解」
監訳
郷義孝
目次
第Ⅰ部:神秘にはもっと沢山のものが含まれている。
1.聖餐には様々な呼び名がある。
2.背景
3.合同メソジスト教会の遺産
a. 初期のメソジスト主義
b. 福音教会と合同同胞教会
c.
アメリカ・メソジスト教会
4.恵みと恵みの手段
5.聖餐の神学
6.聖なる交わりの意味
7.より豊かな聖餐の生へ向けて
第Ⅱ部:キリストはここに居られる――神秘を経験する
1.キリストの臨在
2.キリストは招いておられる
a. 主の食卓への招き
b. 「価値なき者」の問題
3.礼拝の基本型:ことばと食卓の礼拝
4.集めれられた共同体
a. 全体集会
b. 大感謝の祈り
c.
それ自身を拡張する共同体
d. 教会の儀式
5.食卓に仕える者たち
a. 司式をする職務者たち:長老、資格を持つ各教会の牧者
b. 助式をする職務者:執事、信徒
6.食卓を備える
a. 聖なる聖餐卓
b. 聖餐の要素(パンとぶどう酒)
c.
食卓の備えと衛生
7.食卓の拡張
a. 聖餐と伝道
b. 聖餐とキリストの倫理的な弟子性
c.
聖餐と教会の一致
補遺
委員会のメンバー名
この文書への注
「この聖なる神秘」を採用することへの要請(省略)
あとがき
本文の注
第Ⅰ部 神秘にはもっと沢山のものが含まれている。
物語は小さな女の子が両親に連れられて聖餐を受けるために前に進んだことに始まる。カップに浸すには余りに小さ
なパン片に失望して、この子は大声で叫んだ、「もっと欲しい!もっと欲しい!」と。彼女の両親にとっては恥ずか
しく、そして、牧師と会衆にとっては笑わせるようなことだったろうけれども、この少女の叫びほど今日の合同メソ
ジスト教会の多くの人たちの感情を確実に表しているものはない。もっと欲しい!これは聖餐が私たちの諸教会で実
際に行われているときに、聖餐の儀式から得たいと思っている事なのだ。
2000年の合同メソジスト教会年次総会に先立つ教団理事会の調査統計によれば、個々の教会員と教会の生にと
って聖餐はとても大切だという感情がある、と出た。しかし、不幸なことに何か意味ある聖餐の神学や実践の理論が
あるのかという疑問も少なくとも同様に出てきた。合同メソジスト教会では、聖餐によってクリスチャンが恵みと霊
的な活力を得られると認めているが、人々は余りにも度々これらの賜物を受け生活に活かせるとは思っていない。多
くの一般信徒たちはいい加減な実践や問題ある神学や教えや指導の無さに不平や不満を持っている。牧者も信徒も聖
餐の神学や実践に関して牧者がもっと教育を受けることが決定的に必要だと認めている。もっと深めるための教育へ
の関心は、説明責任を取ることと一つなのである。監督や教区長や他の年次総会とか一般の教会指導者などが、教師
たちに聖餐の神学や実践、教育などについてもっと良く準備させ応答出来るように説得すべきなのだ。調査の対象と
なった多くの人たちは、明らかに、これらの地域で受けるべきだと考えているリーダシップが無いことに憤りを感じ
ているのである。これらの調査に問題はあるが、教会が再検討し、再度関わるべきことだと刺激しているのは間違い
ない。
これらの結果は刺激的であり、また挑戦的でもある。つまり、聖餐を通して私たちに与えられる神の恵みの豊かさ
やイエス・キリストと、そしてクリスチャン同志との真の交わりへの深い渇望を明らかにしてくれるのだ。それはま
た、メソジスト教徒たちが信仰が活性化され、信仰が日常の生にもっと関わるようにと願っていることを表してい
る。従って、如何にして我々の教会が、人々の「この聖なる神秘」へのすばらしい渇望に最も良く応答できるのかが
問われていることになる。[4]
合同メソジスト教徒達は他のクリスチャンたちと共に、だんだん聖餐を学ぶことと祝うことに強い関心を示してき
ている。過去十数年の間、実際に、洗礼と聖餐への正しい理解を活性化し回復したいと求めてきた。我々の今日の
「洗礼契約と言葉と食卓の礼拝式文」は1960年代に始められ、1984年の一般総会で採択され、1988年に
承認され出版をみて『合同教会讃美歌集』となった長い発展過程の果実なのである。賛美歌の裏表紙から表表紙の方
にこれらの聖礼典の記述の置き場が変わったというのは、信仰共同体の生にとってこれら聖礼典の意味の大きさの意
識的な表現であった。1996年の年次総会は、「水と霊:合同メソジスト教会の一つの洗礼理解」という文書を教
会の公式な解釈と教えとして承認した。「この聖なる神秘:合同メソジスト教会の一つの聖餐理解」という文書は、
同様の目的で、2004年の年次総会に提出された。これら二つの文書は合同メソジスト教会がその聖礼典の遺産を
取り戻すために努力をしていることと聖礼典の神学と実践のための教会一致運動に一つになるための努力をしている
ということを反映している。
「この聖なる神秘」を特徴付けているのは、一方で厳格さを避けようとする努力と他方で無関心を避けようとする
努力である。両極端は私たちの遺産にとって正しくないし、使徒たちを新しい創造という業に向かわせることによっ
て、教会を前に導こうとする聖霊に対しても信仰深いとは言えない。この文書は二つの主要な部分から構成されてい
る。第一部、つまり、「神秘にはもっと多くのものがある」と題されている解説的な導入は文書の発展を記述し、歴
史的な伝統と聖礼典の神学の基礎を与えている。第二部の「キリストはここに居られる:神秘を経験すること」の方
は、原則的に組織化されている。各原則の下に「背景」という教えでは、原則のための説明が与えられ、一方、「実
践」というところでは原則を適用するための指標が与えられている。原則は真実でかつ教義的にはっきりとした言明
がなされている。それらはキリスト教会の神学と実践の歴史的かつ全体的な教会の中心に敬意を表している。委員会
は「背景」の箇所で、その原則がどのようにして過去と現在のクリスチャン、特に、合同メソジスト教会のクリスチ
ャン達の神学と実践に基づいてきたのかを説明しようと努力している。「実践」の項では、その原則を合同メソジス
ト教会の種々の文脈にある教会の今日的な聖礼典の実践に当てはめている。
教会とは常に普遍的でありかつ特殊的であり、公同的でありかつ個別的であり、一致的であり、かつ多様的であ
る。合同メソジスト派は場所も違えば、人種も違い、文化も違う。「この聖なる神秘」は適切かつ信仰的に用いられ
ることを許しつつ、合同メソジスト信徒たちが共通の理解を分かち合うように招くものである。ある合同メソジスト
信徒達は他のキリスト者の伝統と異なる実践をしている。私たちは神が導く業は異なる理解や実践を認め給うと主張
しつつも、これらの違いへの信実さにより、より広い教会への関係や責任を自覚せざるを得ないのである。私たちの
合同メソジスト教会の内と他の伝統との交わりの中で、軽率で傲慢な態度は退けられねばならない。私たちが謙遜と
開かれた態度で、「原則」を知り、「背景」を説明し、「実践」を認めるとき、「愛にあって真実を語る」(エフェ
ソ4:15)ことで、一致の絆を強くするように求めなければならないのである。
1.聖餐には様々な呼び名がある。
聖礼典を呼ぶために過去、現在にわたっていくつかの言葉が使われている。「この聖なる神秘」の中では、他の言
葉よりもある言葉がより多く使われている。しかし、全ての言葉は大まかに言って、同じ意味である。「主の晩餐」
という言葉は、イエス・キリストが主催者で私たちがキリストの招きに参加するという意味合いを思い起こさせる。
この標語はしばしば「聖なる食事」と呼ばれている食事を食べるということを暗示し、イエスが死の前にそして復活
の後に種々の人々と食べた食事を思い起こさせる。「最後の晩餐」という言葉は聖礼典にあまり用いられないが、イ
エスが捕らえられた夜、弟子たちと共に食べた晩餐を思い起こすように奨める。これは特に洗足の木曜日をめぐる意
味を強めてくれる。初代教会ではパンを裂いて(使徒言行録2:42)祝うことを指したように思われる。「聖なる
交わり」(ホーリー・コミュニオン)という言葉は、聖餐を恵みの手だてとしたもう聖なる神の自己犠牲に焦点を当
て、神との交わりと人との互いの交わりの聖潔さに焦点を当てるように招くものである。ギリシア語の「感謝」から
来たユーカリストという言葉は、聖餐が神の創造と救済の賜物への感謝だということを思い起こさせる。ローマ・カ
トリック教会で使われるミサという言葉は、ラテン語で文字通り「送り出す」を意味するミッシオという言葉から来
たもので、この祝いの儀式を通して、この世の中で神の民として生きるために神の恵みによって会衆を送り出すとき
に礼拝が閉じられるということなのだ。「神の礼典」(ディヴァイン・リタジー)という言葉は、ほとんど東方正教
会の伝統にある諸教会で使われる名称である。これらの呼び名の全てが、同一の実践、つまり、礼拝共同体の献げら
れたパンとぶどう酒を飲み食することに言及するものなのである。
2.背景
ルカによる福音書24章13-35節に記された復活の日のエマオでの経験と同じぐらい早い時期に、クリスチャ
ンはパン裂きにおいて、イエス・キリストが現臨されることを認識していた。伝統的にユダヤ人の行ってきたパンを
取り、祝福し、神に感謝し、そしてパンを裂き、分け合うことは新たな意味を持つこととなった。キリストに従うも
のたちがイエスの名において集り、パンを裂き共に杯を分かち合うときその生と死と復活を想いだし、生きたキリス
トと出会うよすがとなった。彼らは復活の主の現臨を新しく経験し、使徒としての生の支えを受けた。教会が組織化
するにつれ、感謝の習慣は共同体の特徴ある儀式となり、礼拝の中心的な行為となった。そして、何世紀にもわたっ
て、聖なる交わりの種々の理解と実践が発展していった。ローマ・カトリック教会ではパンとぶどう酒の実体が見え
る形ではないけれども、キリストの現実の体と血に変わると教えた。(時に仮体説と呼ばれる)16世紀のプロテス
タントの改革者たちは、この教えを拒絶したが、彼ら自身の間では互いに違った考え方を持っていた。ルター派は祝
いのパンとぶどう酒にそしてそれらと共にキリストの体と血が本当(リアル)に現臨するのだと堅持した。(時に誤
って体の現臨とか共実在説とも呼ばれた)スイス宗教改革者のウルリッヒ・ツヴィングリおいては、主の晩餐はキリ
ストの犠牲を思い起こし、記憶することであり、信仰を堅くし、そしてキリスト者の交わりの一つの徴なのである。
ツヴィングリの名前は余り馴染が無いとしても、彼の見方は広く共有されている。特に、福音派の諸教会ではそうで
ある。カルヴァンに追随した改革派の諸教派では、キリストの体は天にあるけれども、真の信仰によって聖餐が受け
取られるとき、聖霊の力は受け取る人々を養うとした。イギリス国教会はカテキズムと宗教箇条でほぼ同様の見方を
肯定している。(ここにまさしく簡素な形で述べられた)これらの理解は、ジョン・ウェスレー、チャールズ・ウェ
スレーそして初期のメソジストたちに用いられた諸観念の幅を暗示している。
3.合同メソジスト教会の遺産
a. 初期のメソジスト主義
18世紀の英国のメソジスト運動は聖礼典の再生を強く含んだ福音主義運動でもあった。ウェスレー兄弟は主の晩
餐で与えられるのは神の力であって、従う人々が度々これに与かってその力を手に入れるように勧めた。聖礼典を通
しかつそれで手に出来る恵みは、確信、悔い改めと、回心、許し、そして聖化なのである。ジョン・ウェスレーは主
の晩餐を偉大なるチャンネルと記述した。聖霊の恵みがそれによって、神の子たち皆の魂に運ばれるからである。
[5] 年毎に、メソジスト主義が始まり大きくなっていくにつれ、一週間に大体平均5-6回聖餐を行った。「絶えず
聖餐を行う義務」という説教では、その当代に非常に意味深い仕方で行なわれる聖餐が、クリスチャンの信仰の生に
とって重要だと強調している。ウェスレー兄弟は主の晩餐に関する166曲もの賛美歌を書き出版している。それら
は賛美することと同様に瞑想することにも用いられている。ウェスレー兄弟は主の晩餐の多面的な性格を理解し教え
た。それらは愛、恵み、犠牲、許し、キリストの現臨、神秘、養い、聖、そして天国の約束などについてであった。
彼らは聖餐は神の恵みが神の民に与えられる力強い一つの手だてなのだと知っていたのである。私たちの聖餐理解と
実践はこの遺産に基づけられるのである。
b. 福音教会と合同同胞教会
18世紀後半から19世紀前半のアメリカでは、合同キリスト同胞教会と福音教会へと発展した運動が始まった。
これらのグループとメソジスト教会との関係ははじめから、親密で暖かいものであった。これら三教会の信仰と実践
は良く似ていた。フランシス・アズベリーとフィリップ・ウィリアム・オッターベインは親密な友人関係であった
し、オッターベインはアズベリーがメソジスト・エピスコパル教会の監督として叙階される式にも出席している。合
同の可能性についての話し合いは早くも1809年に始まり、1968年に最終的に合同メソジスト教会となって合
同されるまで中断無く続けられた。
不幸にも、合同同胞教会の創立者であるオッターベインとマーチン・ベームについて書かれた資料はほとんど残っ
ていない。福音教会の創立者のジェーコブ・オルブライトの場合も同様である。したがって、についての彼らの神学
と実践への言及は比較的少数になってしまう。第三代目の合同同胞教会の監督、クリスチャン・ニューカマーの日誌
は、教会の生にとって明らかに顕著な意味を持つ聖餐を執り行い、それに与かる際の記録を多く残している。
c. アメリカ・メソジスト教会
初期のアメリカメソジスト教徒は1760年代から到着し始めたが、それはイギリス国教会の一部と考えられてい
たので、聖餐もそこで受けることがはじめは出来た。しかし、状況はすぐ変わって、メソジスト教徒はイギリスの教
会を拒否し始めた。植民地とイギリス本国との緊張関係が高まるにつれ、独立戦争となり、大多数のイギリス国教会
の司祭たちは国を離れた。1770年代の半ばまでには、ほとんどのメソジスト教徒たちは聖餐に与かれない状態だ
った。説教者となったアメリカ人同様、ジョン・ウェスレーが送った宣教師も一般信徒であった。
彼らは洗礼を授けることにも聖餐を行うことにも何の権威も持たなかった。メソジスト教徒たちは聖餐を待ち望ん
でいた。そして、この必要性が動機となって、ウェスレーはアメリカの信徒のために按手礼を受けた教職を送る行動
を起こした。1784年メソジスト・エピスコパル教会が産まれ、何人かの説教者が按手礼を受けた。しかしなお、
急速に増大するメソジスト教会会員に定期的に聖餐を行うには、教職者の数は余りにも少な過ぎた。巡回教師による
宣教の数十年間は、按手を受けた教師が教会に来た折に、せいぜい三ヶ月に一度ほどの主の晩餐を、大部分のメソジ
スト教徒たちは受けることが出来た。時に行われた天幕の集りは、沢山の人々が集るということで、同時に聖餐式の
機会でもあった。19世紀後半から20世紀を全般を通して、多くのメソジスト教会には按手を受けた教師が仕えて
いたが、三ヶ月に一度という聖餐の習慣は強く残っていた。
アメリカのメソジスト教徒たちは聖餐を聖なるものでかつ厳かなものと考えていた。したがって、儀式は懺悔の色
調を持ち、人々に悔い改めを呼びかける一方で神の祝福を祝うという側面には余り重きを置かなかった。19世紀か
ら20世紀にかけて、感謝というウェスレーの豊かな聖餐の理解は大方失われていき、聖餐はキリストの死を記憶す
ることとしてだけ理解されるようになった。聖餐式が行われる日曜日の礼拝出席は低くなった。メソジスト教会と福
音教会と合同同胞教会の内での主の晩餐を生き返らせようとする動きは、20世紀の中頃、諸教会が聖餐の遺産を再
生させ、それを表すための新たな儀礼を産み出そうとして始まった。
メソジスト主義が世界の他の地域に広まるにつれ、アメリカで打ち立てられた儀礼や実践が受け継がれていった。
しかしながら、何年にも渡って、周りのクリスチャンの伝統が何らかの影響を与えた。これらはある程度、(アメリ
カ合衆国の地理的な領域を超えた)中心教区諸教会の聖餐の実践に反映された。
4.
恵みと恵みの手段
今日、聖餐は合同メソジスト神学のより大きな文脈の中で見られなければならない。聖書とキリスト教教義とが一
致するのは、私たちは罪人で絶えず神の恵みを必要とするということであろう。神は恵みに満ち愛の方であって、私
たちが必要な恵みを常に与えられるのだと信じる。恵みは神の私たちに対する愛であって、神の自由で受けるに値し
ない賜物である。どのように恵みが私たちの生に働くのかをあらわすためのいくつかの言葉がある。先立つ恵みとい
うのは、私たちが自らを助けるためになしうる全てのことに「先立って来る」恵みというものである。私たちは皆罪
の性質において結ばれているとはいえ、恵みは神に応答できる十分な自由というものを私たちに与えるのである。真
に、全ての恵みは先立つものである。つまり、私たちは神がまず初めに私たちに向かって来たもうのでなければ、神
に向かって往くことは出来ないと言うことである。私たちが享受するためにお創りになった愛の関係に入るように神
は私たちを尋ね求めて下さり、追い求め、呼び出したもうのである。圧倒する恵みは許しを与え、神との正しい関係
へと導きたもう。聖化する恵みは聖なる生へと成長出来るようにしたもう。完成させる恵みはキリストの形象へと形
作りたもう。神の恵みはイエス・キリストの生と死と復活を通して与えられ、聖霊の現臨と力によって私たちの生に
働くのである。
神の恵みは神が選ばれるいかなる方法でも、いつでも私たちに届く一方で、神は最も確実かつ直ぐにでも得られる
ような特定の手段やチャンネルを用いてこられた。このことをジョン・ウェスレーは次のように表現している。「恵
みの手段ということによって、私は神が定めたもうと同時にその目的のために指示したもう外的なしるし、言葉、行
為を考えている。それらは神が人間の男女に、碍げとなったり、義しとしたり、聖めたりする恵みを運んでくるごく
一般的なチャンネルなのである。」[6] 『一般規則』のなかで、ウェスレーはこれらの恵みの手段を次のようにあげ
ている。「神の公同礼拝、読まれるかないし解釈されるかした言葉の宣教、主の晩餐、家族と個人の祈り、聖書の研
究、断食あるいは禁欲」[7]。他のところでは、ウェスレーはクリスチャンの集りをあげている。そこでは会話が啓発
され、信仰を養ったり、説明のためにグループで共に相集うからだとした。これらの手段は救いを得るための道と理
解されるべきではない。なぜなら、それは人間の功績によらない賜物だからである。むしろ、それらは神の恵みのう
ちに、受け取り、生き、成長する道筋だということであろう。ウェスレーの伝統はこれらの手段を、救いの過程のな
かで実践することを引き続き強調してきたのである。
5.聖餐の神学
初期の教会が聖礼典に充ててきたギリシア語は、「ミステリオン」で、通常は神秘と訳されている。これは聖礼典
によって、理性によってだけ人間が知るということを超えて神が事柄を啓かにされるのだということを示している。
ラテン語では、「サクラメントウム」という言葉に当たり、誓いとか約束を意味した。聖礼典はキリストによって制
定され、教会に与えられたのである。イエス・キリスト自身が一つの聖礼典の究極の現れでもある。ナザレのイエス
の到来において、神の性質と目的は一つの体を通して啓かにされ、働いたのである。キリスト教会は同様に一つの聖
礼典を意味する。それはキリストの業が世界を贖い続けるために制定されたのである。教会はキリストの体、見える
物理的な手段なのである。キリストはそれによって、引き続き知られ、神の計画は成就されるのだ。洗礼と聖餐は神
の恵みが私たちに来たらんがための特別な手段として神によって選ばれ、定められたのである。洗礼は水と霊とによ
ってキリストの体へと加入させるための聖礼典なのである。[8] アプテスマにおいて、私たちはアイデンティティー
を得、使命を帯びることになる。聖餐は救済の旅路において私たちを支え、養う聖礼典である。一つの聖礼典におい
て、神は恵みの便法や手段として手で触れることの出来る物理的な物を用いられるということである。ウェスレーは
イギリス国教会の伝統と同様に、一つの聖礼典を「内なる恵みの外なるしるし、そして、同じものを受け取る手段」
と定義している。[9] 聖礼典は言葉や、行為や、物理的な諸要素を含むしるしの行為なのである。それらは神の恵み
の愛を表現し運ぶものである。それらは神の愛を見えるものとし、効力をきかす物とする。聖礼典は神の「示しかつ
語る」交わりの方法、つまり、完全な破れや限界の内にある私たちが神の恵みを経験し、受け取るための一つの方法
だということであろう。
6.聖なる交わりの意味
新約聖書では少なくとも、聖餐についての六つの主要な概念がある。それらは感謝、交わり、記憶、犠牲、聖霊の
行為、そして、終末論である。これら各々を簡単に見ていくと聖礼典の意味をよりよく理解することにつながるだろ
う。
聖餐は感謝つまり、感謝の一つの行為である。初期のキリスト者は家でパンを裂き、神を褒めたたえ、全ての人々
の行為を喜びながら、喜びと誠実な心で共に食した。[10] 共に交わるとき、歴史を通しての神の全能の業、つま
り、創造、契約、贖い、聖化の業のために喜びの感謝を表した。「大いなる感謝」[11]はこの救済史の再唱であり、
それはイエス・キリストの業に極まり、聖霊が引き続いて働きたもうということである。それは神の善性と私たちへ
の神の無限の愛への感謝を運ぶのである。
聖餐は教会、つまり、各個教会と公同の教会の両方の集められた信徒の共同体の交わりである。そこに参加する
個々人に深い意味がある一方、聖餐ははるかに個人以上のものである。儀式を通して第一人称は一貫して複数形であ
る。つまり、私たちは、私たちに、私たちのということ。コリント人への手紙第一、10章17節は次のように説明
する。「一つのパンがあるゆえに、多くのものである私たちは一つの体なのである。なぜなら私たちは皆、一つのパ
ンを受け取るからである。」「言葉と食卓の礼拝式文
I」はこの聖句をキリストの体におけるキリスト者の一致の明
白な言明だとして用いている。[12] 主の食卓で経験した分かち合いと結びつきは教会の性格を例証し、神がそうであ
るように望まれる世界をモデル化しているのである。
聖餐は想起であり、記念することであり、記憶することである。しかも、この想起は単なる知的に想い起こすこと
以上のものでもある。「私を想い起こし、このように行いなさい」(ルカによる福音書22章19節;コリント第一
の手紙11章24-25節)という言葉は(聖書のギリシア語では)「アナムネーシス」である。過去の神の恵みの
行為が、真に今ここにあるものとするほどに力強い限りにおいて、このダイナミックな行為はそれらの現在への再現
となる。キリストは起き上がり、ここに今なお生きておられる。それは単に過去になされた事柄の想起ではないので
ある。
聖餐は犠牲の一つの型である。それはキリストの犠牲の繰り返しではなく、再現臨である。ヘブル