そこに立つ喜び 千古高風 2 そよ風のゼリー 5月、美しい青葉をそよ風が吹きわたる季節になると、思い浮かぶ言葉がある。 五月のそよ風をゼリーにして持って来て下さい たちはらみちぞう 詩人立原道造(1914 ~ 1939・東京)が病の床に伏していた時、見舞いに訪れた友人に言 った言葉だという。五月のそよ風の「ゼリー」とは、いったいどのような色、そしてどの ような味なのだろう。その友人はどのように答えたのだろう……。 放課後、「五月のそよ風」の中を大粒の汗をかいて駆け抜けていく部活動の生徒たちを見 かける度に「いいなあ!」と感動を覚える。高校時代、陸上競技部員としてグランドを懸 命に走っていた頃の自分を思い出す。800M・1500M の中距離走者として、「勝つ」喜びを 知らず、しかし、ひたすら汗を流す日々であった。 勝負一瞬 鍛錬千日 昨年、22 年ぶりに甲子園出場を果たした徳島県立池田高校の野球部が話題となった。最 初は徳島県の山あいの無名の一高校にすぎなかったが、全国制覇3回・準優勝2回を果た し〈さわやかイレブン〉〈やまびこ打線〉などと呼ばれて甲子園に旋風を巻き起こした。そ の活躍もさることながら、昭和 27 年、「ボール 3 個、バット 2 本しかない野球部」の監督 就任以来、甲子園出場まで 20 年もかかった指揮官の苦闘に心惹かれた。〈攻めダルマ〉の 異名をとった蔦文也監督(1923 ~ 2001・徳島市)である。「負けのみじめさは、敗北者 にのみ与えられる、栄光への糧だ」と負けても負けてもまた立ち上がり、苦難の末にチ ームを日本一に導いた蔦監督の生き方・考え方を知りたいと、30 年ほど前に購入した『攻 めダルマの教育論』(1983)を書棚から久々に取り出してみた。赤ペンでかなりの数の傍線 が引かれている。私が〈若き教師〉時代に共感を覚えた部分である。 勝負は一瞬の行 鍛錬は千日の行 勝負は、あっという間に決着がつく。この一瞬の行を求めて、苦しい鍛錬に耐える ことの尊さを教えよ。 「一瞬」にして決まる勝負の厳しさ・非情さを示すとともに、「千日」の苦しい鍛錬をと おして人間としての〈かけがえのない尊いもの〉を得ることを示す言葉、と当時の私は受 け取っていた。 そこに立つ喜び 一瞬にして決まる「勝負」に立ち向かう時、私はミスタージャイアンツと称えられた長 嶋茂雄選手を思い起こす。昭和 34 年 6 月 25 日、伝統の巨人・阪神戦はプロ野球史上初の 天覧試合となった。4 対 4 の同点で迎えた 9 回裏、長島は劇的なサヨナラホームランを放 ち、チャンスに強いヒーローとして全国の野球ファンを魅了した。「チャンス」とはプレ ッシャーがかかる緊迫の場面でもある。その時、長島は失敗を恐れる消極的な姿勢ではな く、緊迫したその舞台に自分が立てる〈喜び〉 〈幸せ〉を噛み締めて打席に立ったという。 さて、すでに終了した競技もあるが、いよいよ高校総体、そして夏の甲子園予選が近づ いて来た。選手諸君が「そこに立つ喜び」を噛みしめ、いい戦いをしてくれることを心か ら祈る。最後に、若き日に『攻めダルマの教育論』に傍線を引いていた箇所をもうひとつ 紹介して本文を結ぶ。 甲子園では、十の力をもちながら、五か六しか出せずに負けるチームが 多い。逆に五の力を十にも十一にも発揮するチームが勝ち残る。(略) 高校野球では、前評判など当てにならない。若者というものは、本来潜 在的な力を秘めているものだからである。
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