岸田國士 年譜 *1890 年(明治 23 年) *1904 年(明治 37 年) *1907 年(明治 40 年) *1910 年(明治 43 年) *1912 年(明治 45 年) *1914 年(大正 2 年) *1917 年(大正 5 年) *1919 年(大正 7 年) *1920 年(大正 8 年) *1923 年(大正 11 年) *1924 年(大正 12 年) *1937 年(昭和 12 年) *1940 年(昭和 15 年) *1942 年(昭和 17 年) *1954 年(昭和 29 年) 文学座上演史 *1938 年(昭和 13 年) *1939 年(昭和 14 年) *1940 年(昭和 15 年) *1946 年(昭和 21 年) *1947 年(昭和 22 年) *1949 年(昭和 24 年) *1950 年(昭和 25 年) *1953 年(昭和 28 年) *1954 年(昭和 29 年) *1982 年(昭和 57 年) *2002 年(平成 14 年) 四谷に陸軍軍人の長男として生まれる。 名古屋陸軍地方幼年学校へ入学。 東京にある陸軍中央幼年学校に進学。しかし、軍隊生 活・軍人の気風に反発を覚えフランス文学に興味を持 つようになる。 陸軍士官学校へ進学。 士官候補生として久留米連隊に配属。 見習い士官として久留米連帯に復帰。少尉。 求職願を出して上京。 東京帝国大学仏文科選科に入学。 渡仏を計画。神戸、台湾、香港をからベトナム北部の ハイフォンへ。そこで、三カ月を過ごしたあと、マル セイユへ向けて渡航。 マルセイユ到着後、パリへ。フランス演劇史を研究。 帰国。 3 月「演劇新潮」に『古い玩具』を発表。 9 月『チロルの秋』を発表。 久保田万太郎、岩田豊雄と共に文学座を結成。 大政翼賛会文化部長に就任。 大政翼賛会の官僚化を不満として、文化部長辞任。 神田一橋講堂でゴーリキーの『どん底』舞台稽古中に 脳卒中で倒れる。翌日、永眠。 『紙風船』*演技部の自主的発表会。 『可児君の面会日』*演出・菅原太郎 『留守』*演出・長岡輝子 『驟雨』*演出・戌井市郎 *その後『驟雨』は何度も再演されている。 『村で一番の栗の木』*荻窪・文学座稽古場 *演出・戌井市郎 『歳月』*演出・菅原 卓/原千代海 『速水女塾』*演出・久保田万太郎 『道遠からん』*演出・岸田國士/福田恒存 『女人渇仰』*演出・中村伸郎 『牛山ホテル』*演出・久保田万太郎 『沢氏の二人娘』*演出・加藤新吉 文学座創立 65 周年記念公演で『顔』 『音のない世界』 を上演。
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