戦争計画による社会保障制度形成

岐阜経 済大 学論 集37巻2号(2004年)
戦 争計画 による社会保 障制度形 成
人 口政 策 確 立 要 綱
増 山 道 康
は じ め に
1 厚 生省 設 立 と社 会 保 障制 度 の成 立
2 人 口政 策 確 立要 綱 決 定 の過 程
3 人 口政 策 確 立要 綱 の概 要
3.1策
定 目 的
3.2 量 的 政 策
3.3質
的 政 策
補 論 家族 主 義 と戦後 の社 会保 障制 度
は じ め に
1938年 に 国 家 総 動 員 法 が 成 立 し,名 実 と も に 日 本 は戦 時 体 制 に 突 入 し
た1)。戦 争 計 画 自体 は,総 合 国 策 機 関 で あ る企 画 院2)を 中心 に立 案 さ れ て い
くが,厚 生 省 の設 立 もそ の一 環 で あ っ た。 それ と前 後 して,現 代 ま で 引 き継
が れ て い る社 会 保 障制 度 の多 くが創 設 さ れて い っ た 。 日本 の社 会 保 障 制 度 の
大 部 分 が 準 戦 時 な い し戦 時 下 に か けて 戦 争 計 画 の一 環 と して立 案 実 施 さ れ て
い っ た とい う こ とが で き る。 また 社 会 事 業 も国家 の 統 制 下 に入 れ られ て い っ
た 。 戦 後 の社 会 福 祉 も こ う した 国 家 規 制 を 引 き継 い で い る3)。
戦 争 準 備 期 は,社 会 保 障制 度 の創 設 が 集 中 して い る だ けで な く4),制 度 を
支 え る理 念 も形 成 され て い っ た 時 期 で あ っ た。 制 度 の枠 組 み に は,そ れ を支
え る理 念 や 思 想 も含 ま れ る。 こ う した枠 組 み をパ ラ ダ イ ム とい うな らば,こ
−1−
23
の 時期 は,日 本 の社 会 保 障 制 度 パ ラダ イ ム形 成 期 とい う こ とが で き る5)。
本 小 論 で は,企 画 院 を 中 心 と して ま と め られ た 「人 口政 策 確 立 要 綱 」(以
下,人 口要綱 と記 す.)の 内容 を検 討 す る こ とで,戦
争 準 備 期 に形 成 さ れ て い っ
た社 会 保 障 制 度 パ ラダ イ ム の性 格 と具 体 的 内 容 を解 明 して い く。 そ こに 盛 ら
れ た政 策 体 系 の 中心 的 な 思 想 理 念 は何 か を分 析 し,パ ラダ イ ム の方 向性 を 明
らか に して い き た い。
1厚
生省設 立 と社 会保 障制度 の成 立
本 論 に入 る前 に,厚 生 省 成 立過 程 と当 時 の 社 会 保 障制 度 を概 観 す る。 厚 生
省 の 設 立 目的 は,「 国 民 の 健 康 を増 進 し体 力 の 向 上 を 図 り以 て 国 民 の精 神 力
活 動 力 を 充 実 す る と共 に,各
種 の社 会 施 設 を 拡 充 して 国 民 生 活 の 安 定 を図
る」 こ と に あ っ た が6),国 民 の健 康 増 進,体
力 向 上 や 国 民 生 活 安 定 は戦 争 の
遂 行 と密 接 に 関係 して い た 。 厚 生 省 設 立 に際 して の総 理 大 臣 声 明 は,「 事 変
中及 び事 変 後 に於 け る銃 後 諸 施 設 及 復 員 計 画 に伴 う諸 施 設 の 拡 充 徹 底 は 国 民
保 健 及 国 民 福 祉 の 双 方 面 に亘 りて 刻 下 喫 緊 の 要務 な り」 と述 べ て い る7)。
な お,こ
の声 明 で は,こ
こに 引用 した 部 分 の 直 前 に 「国 民 生 活 の根 底 に遡
り広 く国 民 の生 活 を 改 善 合 理 化 し以 て 国 民 福 祉 増 進 の上 に適 切 有 効 な る方 策
を確 立 実 施 せ ん」 とあ る。 この段 は,現 代 的 な 意 味 で の(社 会)福 祉―― 社 会
が 個 人 に 対 して 供 給 す る サ ー ビス,特
に対 人 個 別 援 護―― が使 わ れ た最 も早
い例 の一 つ とい え る8)。
厚 生 省 構 想 は,当 初 陸 軍 省 よ り衛 生 省 設 置 案 と して 提 起 され た が,こ
の案
は,枢 密 院 審 議 ま で こ ぎ つ け る もの の結 局 破 棄 され る9)。結 局,1937年12
月 閣 議 決 定 され た 保 健 社 会 省 設 置 要 綱 に基 づ き,翌 年 厚 生 省 が設 立 され た 。
こ の設 置 要 綱 で は,設 立 目的 が 戦 争 計 画 の 一 環 で あ る こ とを 明 言 して い る。
「国 民 生 活 の健 康 を増 進 し体 位 の 向 上 を図 り以 て 国 民 精 神 力 及 活 動 力 の源
24
−2−
戦争計画による社会保障制度形成(増 山)
泉 を維 持 培 養 し産 業 経 済 及 非 常 時 国 防 の根 基 を確 立 す るは 国 家 百 年 の 大 計 に
して 特 に 国力 の 飛 躍 的 増 進 を 急 務 とす る現 下 内 外 の情 勢 に鑑 み喫 緊 の 要 務 た
り。 然 る に わ が 国 に於 い て は … … 国 民 的活 力 を減 殺 し,産 業 経 済 及 び国 防 の
根 基 を動 揺 せ しむ る に至 るべ く… … この 際特 に一 省 を設 けて 急 速 且 徹 底 的 に
国 民 の健 康 を増 進 し体 位 の 向 上 を図 る は刻 下 焦 眉 の 急務 となす 」10)。
前 述 の保 健 社 会 省 設 置 理 由 の 中 で注 目す べ き は,従 来 の民 間 主 導 型 社 会 事
業 か ら国 家社 会保 障 政 策 へ の 転 換 を宣 言 して い る部 分 で あ る。
「我 国 に於 い て は… …従 来 久 し く国 家 的 関 心 薄 く その施 設 及 行 政 は 消 極 に
墜 し一 環 せ る指 導 方 針 の 下 に之 が改 善 充 実 に努 め ざ り し… … 広 く国 民 生 活 に
於 け る不 合 理 の改 善 な る見 地 よ り国 民 生 活 の根 底 に遡 り… …所 謂 社 会 問題 を
根 本 的 に解 決 す る … …体 育 及 保 健 衛 生 に関 す る行 政 の み な らず 労 働 及 社 会 問
題 に 関 す る行 政 を総 合 し」 て い く と述 べ て い る。
こ こで は 国 民 体 位 の 現 状 を単 に 保 健 衛 生 の 側 面 か ら捉 え る の で は な く,
「国 民 の生 活 状 態 を反 映 す る一 大 指 標 」 と して 認 識 して い る。 そ の こ とか ら
単 に国 民 の体 力 健 康 の 維 持 増 進 だ けで な く職 業,労
働 行 政 や社 会 救 護,社
会
保 険 等 を総 合 した 行 政 を行 う必 要 が あ る と して い る。 こ う した 社 会 保 障 が広
い枠 組 み を持 つ とい っ た 思 想 は,以 後,口 本 の社 会 保 障 行 政 の 基 本 とな っ た 。
1950年 の 「社 会 保 障 に 関 す る勧 告 」 で も,こ の枠 組 み は,ほ
とん ど そ の ま
ま継 承 さ れ,現 在 に至 っ て い る11)。
な お,1942年
に 内務 省 に よ り府 県 行 政 の地 域 機 関 と して 郡 単 位 で 地 方 事
務 所 が 設 置 さ れ る が,そ
の 所 掌 事 務 の 中 に は,軍 事 救 護 の ほ か 「各 種 救 護
… … その他 社 会 事 業 に関 す る事 項 に して現 地 実 行 機 関 を して 取 扱 わ しむ を適
当 とす る もの 」 が 事 務 の概 目 の 一 つ と して 揚 げ られ て い る12)。現 行 生 活 保
護 法(1950施 行)及 び社 会 福 祉 事 業 法(1951施 行)に よ っ て 成 立 した福 祉 事 務
所 の原 型 が こ こに み られ る13)。
厚 生 省 設 立 と前 後 して 船 員 保 険,国 民 健 康 保 険 が制 度 化 さ れ,退 職 手 当 に
つ い て も法 的 保 護 が与 え られ た。 児 童 を対 象 に した 児 童 虐 待 防 止 法 と少 年 救
−3−
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護 法 は,既
に1933年
に施 行 さ れ て い るが,1936年
に少 年 法 と して統 合 施 行
され た 。 また,救 護 法 関 連 で は こ の時 期 に 母 子 保 護 法,医
れ て い る。 更 に1941年
療保護法 が制定 さ
以後 労 働 者 年 金 制 度 が 創 設 さ れ,軍 事 扶 助 法 が 強 化
され る14)。
当 時 の社 会 保 険制 度 の 形 態 的特 長 は,ほ ぼ産 業 毎 に制 度 化 が 図 られ,対 象
が細 分 化 さ れ て い る こ とに あ る15)。例 え ば,国
民 健 康 保 険 は,農
村 を主 た
る対 象 と し,労 働 者 年 金 は主 と して 重 工 業 工 場 労 働 者 を対 象 と して い る。 救
護 法 を中 心 とす る救 貧 制 度 を見 て も傷 疲 軍 人 及 遺 家 族,児 童,母
子 それ ぞれ
別 の制 度 に よ る救 済 を 図 る こ と と され て い る。 また,実 施 主 体 も厚 生 省 以 外
に も広 が り,各 省 独 自 の 社 会 政 策 的 制 度 が 創 設 さ れ て い く。 戦 争 計 画 の 下
で,社 会 保 障 制 度 分 立 拡 散 した 背 景 に は各 省 が互 い に領 分 を拡 大 しよ う とす
る競 争 が あ っ た と推 測 で き る。
戦 争 計 画 を 「遺 漏 な く実 行 す る こ とは,到 底 一 省 一 局 で で き る こ とで は な
く関 係 各 庁 の 緊 密 な協 力 の 下 に,政 府 全 体 と して施 策 す る こ とに よ って 始 め
て 実 行 を挙 げ る こ とが で き る もの で あ る」16)。
制 度 の 創 生 期 にお い て 既 に こ う した 制 度 間 の調 整 が 必 要 だ との 指 摘 が あ
り,第 二 次 世 界 大 戦後 も しば しば 課 題 と して 取 り上 げ られ るが,ほ
とん ど成
功 して い な い17)。健 康 保 険 に つ い て は 日雇 い 健 康 保 険 が 政 府 管 掌 保 険 へ 統
合,ま
た 年 金 につ い て は,1986年
の基 礎 年 金 制 度 へ の 移 行 が 成 功 例 とい え
る か も知 れ な い。 しか し,前 者 に つ いて は,日 雇 い保 険適 用 対 象 は数 万 人程
度 の ご く小 規 模 で あ り,後 者 に つ い て も,い わ ゆ る二 階部 分 は 統 合 され て は
い な い18)。
2 人 口政策確立要綱 決定 の過程
1941年1月
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に 策 定 さ れ た 人 口 要 綱 は,前
一4一
年 の1940年6月
ま で に 陸 軍 内部
戦 争計画 によ る社会保 障制 度形 成(増 山)
で 計 画 さ れ た 総 合 国 策 十 年 計 画(以
い わ れ て い る19)。 直 接 に は,7月
下 十年 計 画 と記 す。)を 下 敷 き と して い る と
下 旬 に 閣 議 決 定 さ れ た 基 本 国 策 要 綱(以
国 策 要 綱 と記 す 。)に 基 づ い て 策 定 さ れ る こ と に な っ た 。 但 し,十
策 要 綱 も 人 口 政 策 と厚 生 計 画 は,別
の こ と も あ っ て か,企
年 計 画 も国
個 の も の と し て 策 定 す る と して い る 。 そ
画 院 の 当 初 構 想 で は,人
口 要 綱 の策 定 を所 管 す る省 庁
の 範 囲 に 厚 生 省 は 含 ま れ て い な か っ た 。 し か し,厚
に,厚
下
生 省 内 で は7月
段 階 で既
生 政 策 と人 口 政 策 を 合 わ せ た 政 綱 を ま と め て い る(以 下 厚 生省 政 綱 と記
す。)20)。た だ し,公
式 に は8月
の 第 一 次 案 提 出 時 以 降 に厚 生 省 が 巻 き返 しを
図 っ た と さ れ て い る21)。 こ こ で は,こ
の 三 者 の 関 係 につ い て検 討 を加 えた
い。
十 年 計 画 も国策 要 綱 も共 に,八 紘 一 宇 を 目標 と して い る。 これ に対 し,厚
生 省 政 綱 に は,策 定 目標 は書 か れ て い な い。 十 年 計 画 で は,「 皇 道 を八 紘 に
布 き民 族 共 栄,万
邦 共 和 を以 て 人 類 福 祉 の増 進,世
界 新 文 化 の 生 成 発 展 を期
す る。 … …最 高 国 策 は帝 国 を核 心 と し,大 東 亜 を包 容 す る共 同 経 済 圏 を建 設
し以 て 国 力 の 充 実 発 展 を期 す る」 こ とを基 本 と して 掲 げ,国 策 で は,も
っと
直 接 的 に 「皇 国 の国 是 は八 紘 を一 宇 とす る。 … … 皇 国 を核 心 と し大 東 亜 の新
秩 序 を建 設 す る。 … … 新 事 態 に即 応 す る不 抜 の国 家 態 勢 を確 立 す る」 こ とを
目 的 と して 掲 げて い る。
十 年 計 画 は,こ
う した基 本 政 策 を達 成 す るた め に外 交,内 政,日
満支関係
の三 分 野 別 に政 策 項 目 を分 類 し,内 政 に は二 十 の政 策 項 目 を掲 げ て い る。 内
政 の 冒 頭 に掲 げ られ て い る一 般 方 針 で は,「 忍 苦 十 年 事 難 克 服 … … 新 事 態 に
即 応 す る」 た め に長 期 戦 に耐 え う る体 制 を造 る こ とが 最 重 要 課 題 とさ れ て い
る。 その 実 現 に 向 けて,国 民 の 自 覚 を促 し,政 治 体 制 を強 化 す る こ とが 重 要
だ と して い る。 経 済 的 に は,生 産 力 の 拡 充,計 画 化 と,そ の指 導 理 念 と して
公 益 を優 先 す る こ とを挙 げ て い る。 そ れ に よ り国 民生 活 を安 定 させ,さ
らに
民族 の 量 的 拡 大 と質 的 向上 を 図 る こ とで 国 家 の進 展 の 原 動 力 とす る と して い
る。
−5−
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こ う した 国 民 生 活 安 定 と人 口 の 質 的 量 的拡 大 を図 るた め の具 体 案 と して,
内政 編 の後 半 部 に 厚 生 政 策 ・人 口関 係 政 策 が 置 か れ て い る。 十 二 か ら十 四 に
は,順
に労 務,人
多 くが,人
口,移 民,厚 生 の 各 政 策 が 述 べ られ て い るが,そ
口要 綱 に反 映 さ れ た。 政 策 概 要 は,次
の内容 の
の通 りで あ る。
十 二 労 務 政 策 国 家 総 力 の集 中 発 揮 の為 労 務 受 容 の適 正 を期 す る。
労働 資 源 の維 持 酒 養 に努 め る。
(一) 国 民 動 員 計 画 の設 定
(二) 労 務 統 制 強 化,需 給 の 適 正,移 動 の防 止
(三)厚
生,訓 練 施 設 の統 制 と整 備 拡 充 。 労 働 資 源 の維 持 滴 養 質 的 向
上
(四) 日満 支 三 国 の相 互 連 携 の 緊 密 化
十 三 人 口政 策 東 亜 新 秩 序 の礎 石 た る人 的資 源 の 質 的 並 量 的発 展 を期
す る。
(一)職
業 的配 分 及 地 域 的 配 分 の 適 正 化
(二) 民 族 の純 潔 性 の 維 持
(三)死
亡 率 減 少 対 策 。 特 に乳 幼 児 及 青 少 年 死 亡 率 減 少 方 策
(四) 出 生 増 加 対 策 。 特 に結 婚 の 奨 励,出 産 育 児 の経 済 的 負 担 軽 減
(五)国
民 資 質 並 体 力 向 上 対 策 。 各 種 文 化 的施 設 の普 及 拡 充
(六)外
地 に於 け る他 民族 の増 殖 に つ いて の統 制
十 四 移 植 民 政 策 日満 支 の結 合 を強 化 し帝 国 の指 導 力 を確 立 す る。
(一)満
州 国 を中 心 地 域 とす る。 北 支 蒙 彊 は右 に準 ず る。 鉱 工 業 移 民
に重 点 を置 く。
(二)東
亜 大 陸及 南 方 諸 地 域 は経 済 的 拠 点 設 定 を必 要 に応 じて 行 う。
(三)前
二 項 以 外 は第 二 義 的 とす る。
十 五 厚 生 政 策 各 般 の 厚 生 施 設 を適 正 に し忍 苦 十 年 事 難 克 服 の 国 民 性
を強 化 す る。
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戦争計画による社会保障制度形成(増 山)
(一) 国 民 生 活 様 式 の簡 易 合 理 化 。 特 に生 活 標 準 の設 定 と確 保
(二) 国 民 体 位 の 向 上
(三)勤
労 者 層 に 対 す る厚 生 施 設 の整 備 統 制 。 労 働 力 の維 持涵
酒養 並生
活 安 定
(四) 労 資 の 有機 的 結 合
(五)応
召 者,傷痍
軍 人 及 遺 家族 の 生 活 指 導 の徹 底 。
自立 の 道 を講 ず る と共 に 国 家 的 社 会 的 保 護 に遺 憾 な き を期 す る。
国 内及 び植 民 地 の経 済 体 制確 立 の た め に労 働 力 の確 保 と人 口 の適 正 配 置 が
重 視 さ れ,戦 争 遂 行 に必 要 な 人 的 資 源 確 保 に つ い て は,表 面 上 は言 及 さ れ て
い な い。 しか し,結 婚 の奨 励 や 国 民 資 質 の 向 上 等 の項 目 は,い わ ゆ る 「健 民
健 兵 」 策 とい え る。 また,他 民 族 の人 口抑 制 や 移 民 奨 励 を 中国 周 辺 に重 点 的
に行 う とす る項 目 は,侵 略 意 図 が 露 骨 に現 れ て い る とい え よ う。 な お,厚 生
政 策 部 分 は,最 後 の応 召 者,傷 疲 軍 人 の項 目 を除 くと前 三 政 策 の再 掲 と見 な
す こ とが で き る。
国 策 要 綱 に は,こ
う した 具 体 案 は,書 か れ て い な い。 前 文 とそ れ に続 く根
本 方 針 で 前述 した よ うな策 定 目的 が掲 げ られ,以 下 国 防 外 交,国
内態勢刷新
が 並 べ られ て い る。 国 内 態 勢 の刷 新 に は,ま ず,「 国 家 奉 仕 の観 念 を 第 一 義
とす る 国 民 道 徳 を確 立 」 す る と同時 に 「
強 力 な る新 政 治体 制 を確 立 し国 政 の
総 合 的 統 一 を図 る」 こ とが述 べ られ て い る。 次 に,「 日満 支 三 国 経 済 の 自主
的 な建 設 」 に よ り国 防 経 済 と自給 自足 経 済 の基 礎 を確 立 す る と して い る。 そ
の 中 で は,国
民 生 活 必 需 物 資,特
に主 要 食 糧 の 自 給 を 重 視 して い る。 さ ら
に,国 民 の 資 質 と体 力 の 向 上 及 び人 口増 加 に 関 す る恒 久 的 方 策 を確 立 す る と
述 べ て い る。 結 論 と して 「国 策 の遂 行 に伴 う国 民 犠 牲 の不 均 衡 の是 正 … …厚
生 的諸 施 策 の徹 底 を期 す る」 こ とに よ っ て 「忍 苦 十 年 時 難 克 服 に適 応 す る質
実 剛 健 な る国 民 生 活 水 準 を確 保 す 」 る と して い る。 この 内 容 は,十 年 計 画 の
目 的及 び基 本 政 策 に 掲 げ られ て い る もの とほ ぼ 同 じで あ る。
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29
厚 生 省 政 綱 に は前 書 きは な く,具 体 的 な 政 策 目標 が,い
きな り箇 条 書 き さ
れ て い る。 そ こで は,軍 人 援 護,労 働 者 統 制,最 低 限 度 生 活 保 障,人
口資 源
の 四 項 目 が挙 げ られて い る。 概 要 は 以下 の 通 りで あ る。
一 軍 人 援 護 の一 層 整 備 拡 充
銃 後 援 護 事 業 の成 績 は直 ち に皇 軍 の 士 気 に影 響 す る。 制 度 の整 備 拡
充 に力 を 注 ぐ。
二 戦 時 労 務 体 制 を整 備 強 化 す る
(一) 新 産 業 労 働 体 制 の確 立
産 業 報 国 運 動 を強 化 拡 充 す る。 全 産 業 の 翼 賛 奉 公 と戦 時 下 労 務 国
策 の 遂 行 の完 壁 を期 す る。
(二) 労 務 動 員 の徹 底
労働 力 払 底 益 々 深 刻 とな る状 勢 に鑑 み広 く国 民 の 協 力 を求 め る。
三 戦 時 国 民 生 活 を確 保 す る
一 面 に於 て極 力 消 費 規 制 の徹 底 を 図 る。 他 面 に於 て は最 小 限 度 の 国
民 生 活 の確 保 を図 る。
(一)庶
民 大 衆 に対 し食 料 品 そ の他 日用 品 等 生 活 必 需 品 を廉 価 且 つ 円
滑 に 供 給 す る。
(二) 医 療 制 度 改 革 し,国 民 に 医療 の徹 底 的 普 及 を 図 る と共 に 医 薬 品
及 衛 生 材 料 の供 給 を確 保 す る。
(三)住
宅 払 底 の現 状 に鑑 み,住 宅 対 策 の徹 底 を期 す る
(四)労
務 者 の 強 制 年 金 制 度 の創 設 及 び 国 民 健 康 保 険 の 拡 充 等 社 会 保
険制 度 を拡 充 し勤 労 大 衆 の生 活安 定 を期 す る。
四 人 的 資 源 の拡 充 強 化
(一)対
中 戦 争 開 始(事
変 勃 発)以
降,出
生 数 の 減 少 等 に よ り人 口 増
加 率 は著 し く逓 減 して い る。 人 口 問題 の具 体 的 対 策 を確 立 し実 行
す る。
30
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戦争計画 による社会保障制度形成(増 山)
(二) 国 民 の体 力 が 低 下 して い る。 結 核 対 策 の徹 底 等,国
民 体 力 を管
理 し国 民 体 力 向上 策 を強 化 す る。
十 年 計 画 と比 較 す る と,厚 生 省 政 綱 で は,軍 人 援 護 や 社 会 保 険 な どの社 会
保 障 政 策 が まず 記 載 さ れ て い る。 陸 軍 省=企 画 院構 想 で は,経 済 優 先 で,労
働 力 確 保 と人 口資 質 向上 が重 視 さ れて い るの に 対 し,厚 生 省 案 で は社 会 政 策
優 先 とな っ て い る。 ま た,制 度 創 設 な ど具 体 的 な 目標 設 定 が さ れ て い る部 分
と人 口 に 関 す る項 目等 抽 象 的 な 表 現 に と ど まっ て い る部 分 が 混 在 して い る。
これ は,一 面 で は 厚 生 省 の前 身 の一 つ で あ る 内務 省 外 局(社 会局)の 性 格 が
反 映 した とみ られ る が,他 面 で は,陸 軍 主 導 の 政 策 決 定 に 対 す る反 感 が あ っ
た ので は な いか と も推 測 され る。
3 人 口政策確立要綱 の概要
3.1策
定 目 的
前 述 した よ う に,人 口要 綱 は,企 画 院 が 中心 とな っ て 計 画 さ れ た 基 本 国 策
要 綱 の一 環 と して 策 定 さ れ た。 主 た る所 管 省 は,内 務 省,陸
省,商
・海 軍 省,農
林
工 省 で あ っ た 。 前 節 で述 べ た よ うに,当 初 厚 生 省 は,こ の 要 綱 策 定 に
関 わ っ て い な か っ た が,最 終 決 定 時 に は,そ の 主 張 の多 くが取 り入 れ られ て
い る。
人 口 要 綱 は,人
口 の 維 持 が 民 族 繁 栄 の基 礎 で あ る と して い る。 「東 和 共 栄
圏 … … の 悠 久 に して 健 全 な る発 展 を 図 る」 こ とが 日本 の使 命 で あ り,そ の た
め に は人 口の 質 量 双 方 の増 大 と社 会 的 再 配 分 が,最
言 して い る22)。そ の た め に,内 地 の1960年
も緊 急 の課 題 で あ る と宣
総 人 口 を1億 人 とす る こ とを 目
標 して 掲 げて い る。
−9−
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こ う した議 論 は 人 口要 綱 以 前 に既 に行 わ れ て い る。 人 口問 題 全 国協 議 会 の
政 府 諮 問 答 申 案(全 国協議会答 申 と記す)で は,前 文 冒 頭 で 「人 口 は 国 力 の根
帯 に して 其 の数 量 並 び に資 質 の 如 何 は 直 に 国 運 の 消長 民 族 の 盛 衰 に関 す 。」
と述 べ,人
口 を資 源 と して 明 記 して い る23)。 そ の 理 由 と して 戦 争 を根 本 原
因 と して挙 げ,日 中 戦 争 の深 刻 化 が 人 口 問題 に直 結 して い る と して い る。 こ
こ に,戦 争 計 画 で,人
口政 策 が必 要 とさ れ る理 由が あ る。 戦 争 遂 行 に は,兵
力及 補 給 力 の増 強 が最 も基 本 的 な課 題 とな る。 そ れ に は一 定 の人 口 を確 保 す
る必 要 が あ る が,満 州 事 変,さ
ら に 日 中戦 争 の 開 始 以 降 に は,総 力 戦 を戦 う
に は 人 的 資 源 が不 足 して い る との認 識 が 政 府 部 内 で は強 くな っ て い っ た。
「その 答 え は簡 単 明 瞭 で あ る。 吾 々 は5年 来 血 み ど ろ に な っ て戦 争 を行 っ
て い るが,戦
い に勝 た な けれ ば な らぬ,勝
に は 兵 力 に於 い て も労 力 に於 い て
も,そ の根 本 問 題 と して,豊 か な る人 的 資 源,優
秀 な る民 族 資 源 を持 た な け
れ ば な らな い」24)。
人 口要 綱 は,策 定 目 的 と して 人 口 の永 続 的 発 展,増
殖 力 と資 質 に於 い て他
国 を凌 駕 す る こ と,高 度 国 防 国 家 に於 け る兵 力 及 び労 力 の確 保,及
に対 す る指 導 力確 保 の4点
び他 民 族
を挙 げて い る。 そ の具 体 的 な 方 策 と して まず 基 本
精 神 を4箇 条 掲 げて い る。 その 内 容 は,以 下 の通 りで あ る。
1,永 遠 に発 展 す べ き民 族 で あ る を 自覚 す る。
2,家
と民族 と を基 礎 とす る世 界 観 を確 立 す る。
3,東 亜 共 栄 圏 の 指 導 者 と して の矜 持 を持 ち責 任 を 自覚 す る。
4,以 上 が皇 国 の使 命 で あ る。 そ の達 成 は,内 地 人 口 の 質 量 の な飛 躍 的 発
展 が 条 件 で あ る こ とを十 分 認 識 す る。
こ こに は,個 人 主 義 の 否 定 と他 民 族 へ の優 越 とい う 日本 的 フ ァシ ズ ム の 特
長 が 良 く表 れ て い るの と同 時 に,人
表 わ れ て い る。 特 に第4項
口要 綱 の戦 争 計 画 と して の 特 長 も,強
く
は重 要 で あ る。 こ こで は,人 口 に つ い て 単 な る量
的 な 拡 大 だ けで な く質 の 向上 を重 視 して い る こ とを明 言 して い る。 人 口 の 質
32
−10−
戦争計画による社会保障制度形成(増 山)
の 向上 を至 上 とす る優 生 思 想 が,優
生 保 護 法(当 時 は国民優生法)に 代 表 さ れ
る優 生 制 度 に直 接 結 びつ い た が25),ハ ンセ ン氏 病 の 場 合 に は 取 り分 け深 刻
な問 題 を 生 じさせ た 。 それ は,次 の二 つ の 点 に集 約 さ れ る。 一 つ は緩 解 後 ま
で も隔離 を続 け る終 生 隔離 で あ り,も う一 つ は患 者 の結 婚 に際 して の 強 制 断
種 で あ る。 この 問題 は,戦 後 に 引 き続 くが,1996年
て,よ
の らい 予 防 法 廃 止 に よっ
うや く一 応 の解 決 が な さ れ た。
3.2量
的 政 策
冒 頭 の策 定 目 的 の 次 か らは,具 体 的 な方 策 が羅 列 され て い る。 まず 人 口増
加,死
亡 減 少 とい う量 的 政 策 が 列 挙 さ れ,そ
料,機
構 の各 整 備 が 挙 げ られ て い る。 前 述 した全 国 協 議 会 答 申 は,主
項 目 を挙 げ て い るが,人
の次 に資 質 向 上,指
導 力,資
要10
口要 綱 の 各 項 目 は ほ ぼ この 内 容 を網 羅 して い るが,
よ り具 体 的 な政 策 目標 とな っ て い る。 全 国協 議 会 答 申 の主 要 項 目 は 以 下 の通
りで あ る。 国 民 の 資 質 維 持 向 上,国 民 生 活 充 実,人
口増 殖 力 の維 持 向 上,人
的 資 源 の 配 置,職 業 教 育 訓 練 刷 新 拡 充,失 業 対 策,農 村 人 口調 整,農
び に新 大 陸 経 営,移 民 対策,人
量 的政 策 につ い て は,人
工業並
口政 策 調 査機 関 の設 置 。
口増 加 策 を主 と し,死 亡 率 減 少 策 を従 とす る と定
め て い る。 こ れ に は理 由 が あ る。 前 述 した よ うに人 口要 綱 は,人 口 の 量 的拡
大 と質 的 向 上 の 同 時達 成 を 目標 と して い る。 そ の た め に は,死 亡 率 低 下 を中
心 とす る方 策 を採 り得 な い。 なぜ な らば,も
し,死 亡 率 低 下 を優 先 す る と高
齢 者 人 口 の相 対 的増 加 を防 ぐこ とは困 難 とな り,将 来 的 に は高 齢 人 口 が 多 い
とい う好 ま し くな い 人 口構 成 を避 け る こ とが で きな くな る。 その た め に 「人
口要 綱 」 は,ま ず 「出 生 増 加 の 方 策 」 を掲 げ,次
に 「
死 亡 減 少 の方 策 」 を置
い て い る の で あ る。 な お,後 述 す る各 方 策 も順 位 付 け され て い て 優 先 度 の高
い 順 に並 べ て い る。 具 体 的 な 細 目 も同 じ よ う に優 先 度 の 高 い 順 に並 べ られ て
い る。
−11−
33
第 一 次 世 界 大 戦 以後,日
本 の 人 口 は,幼 児 死 亡 率 の激 減 に よ り漸 増 傾 向 に
あ る もの の,増 加 率 自体 は低 下 傾 向 に あ っ た。 ま た,国 民総 生 産 に対 し人 口
は過 剰 で あ る と も考 え られ て い た26)。 しか し,陸 軍 内 部 で は,総 体 と して
は,人 口 は不 足 して い る と捉 え られ て いた 。 それ は,二 つ の原 因 を重 視 して
い た か らだ と考 え られ る。 一 つ は,出 生 率 の低 下 で あ り,も う一 つ は青 年 期
の結 核 に よ る成 人 死 亡 率 上 昇 で あ っ た。 確 か に結 核 や 呼 吸 器 疾 患 は,当 時 の
死 亡 原 因 の 上 位 を 占 め て い た 。 出 生 率 の低 下 に つ い て は,結 婚 年 齢 の 上 昇 と
産 児 制 限 の 行 き過 ぎ とが 重 複 した 結 果 で あ る と見 て い た よ うで あ る27)。 ま
た,若 年 死 亡 率 増 加 と出 生 率 減 少 は,過 度 の 都 市 集 中原 因 で あ る と も見 な し
て い た。 この よ うな傾 向 が 続 け ば,遅
くと も1995を
減 少 に転 じる で あ ろ う と見 て い る。 長 期 的 に は1975年
ピー ク に 日本 の 人 口 は
ドの 各 年 齢 層 は均 一化 し乳 幼 児,少
ら に2025年
に は,人
ロ ピラ ミッ
年 人 口 と成 人 人 口数 の差 が 無 くな る,さ
に は年 少 人 口 が 減 少 し,高 齢 人 口が 増 大 す る形 とな る と予 測 し
て い る28)。
人 口要 綱 は,出 生 率 増 加 の根 本 方 策 と して,今 後10年
歳 引 き下 げ,同 時 に一 夫 婦 平 均 出 生 数 を5人
間 に婚 姻 年 齢 を3
とす る こ とを挙 げ て い る。 ま
た,死 亡 減 少 の根 本 方 策 と して は乳 幼 児 の 死 亡 及 び結 核 に よ る死 亡 を低 下 さ
せ る こ と に あ る と し,今 後20年
間 に死 亡 率 を35%低
下 させ る こ と を挙 げ て
い る。
出 生 率 増 加 の 具体 策 と して は,前 提 と して 不 健 全 思 想 の 排 除 を うた い,そ
の 次 に以 下 の11項
目 を掲 げ て い る。
イ 家 族 制 度 の維 持 強 化
ロ 積 極 的 な結 婚 紹 介 あ っせ ん
ハ 結 婚 費 用 の低 廉 化,こ
こで は結 婚 費 用 貸 付 制 度 創 設 に言 及 して い る。
ニ 学 校 制 度 の 改正
ホ 高 等 女 学 校,女 子 青 年 学 校 に於 け る健 全 な 母 性 育 成,具
体的 には国家
的使 命 の認 識 及 び保 育 と保 健 の 知 識 技 術 を徹 底 的 に教 育 す る こ と
34
−12−
戦争 計画 に よる社会保 障制 度形 成(増 山)
へ 二 十 歳 以 上 の女 子 雇 用 の抑 制 及 び婚 姻 阻 害 とな る雇 用 条 件 の 緩 和
ト 多 扶 養 家 族 に対 す る租 税 軽 減 と独 身者 へ の重 課 税 を 内容 とす る税 制 改
革
チ 医療 費,教 育 費 の 負 担 軽 減,そ
の た め の家 族 手 当 創 設
リ 多 子 世 帯 へ の優 先 配 給 と表 彰
ヌ 妊 産 婦 乳 幼 児 保 護 制 度 の樹 立,具
体 的 に は,産 院,乳
児 院 の拡 充 と出
産 用 衛 生 資 材 を確 実 に配 給 す る こ と
ル 避 妊,中 絶(原 文堕胎)等 人 為 的 な産 児 制 限 の 禁 止 と性 病(原 文花柳病)
撲 滅
前 述 した よ う に,こ
こに挙 げ られて い る政 策 の い くつ か は,全 国協 議 会 答
申 と重 な り合 っ て い る。 「今 次 事 変 を契 機 と して 急 速 な る減 少 を来 す お それ
あ り… … 人 口 増 殖 力 の維 持 向 上 の為,最 低 賃 金,家 族 手 当 そ の他 制 度 に よ る
家 族 生 活 の保 護,母 性 保 護 乳 幼 児 保 護 その他 生 活 支 持 力 の擁 護 に 関 し適 切 機
宜 の社 会 的,医 療 的立 法施 設 を行 い,出 産 及 び子 女 養 育 に関 す る負 担 軽 減 に
つ き て も諸 種 の社 会 的施 設 を行 う… … 尚 結 婚 媒 介 施 設 に関 して も適 当 な る指
導 統 制 を な す 」29)。
出 生率 ・死 亡率 ・女 子再 生 産率 均 比 率
出 生 率
死 亡 率
乳児死亡率1
乳発死亡率2
女子再生産率
1925
34.9
20.3
200.5
34.5
1930
32.4
18.2
174.0
30.9
1935
31.6
16.8
151.4
28.5
1936
30.0
17.5
164.8
28.1
1937
30.9
17.1
149.6
27.0
2.13 1938
27.2
17.7
160.6
24.6
1.68(-)
1939
26.6
17.8
150.5
22.5
1.82(-)
1940
29.4
16.5
128.7
23.0
2.01 2.51 (1.56)
2.30 (1.52)
日本 長 期 統 計 総 覧 第 三 巻 人 口 動態 総 括 表 ・女子 人 口再 生 産 率
(出 生 率 ・死 亡 率 ・乳 児 死 亡 率1は 千 人 当 り,乳 児 死 亡 率2は
に 占 め る割 合,女 子 生 産 率 は総 生産 率,か っ こ 内 は純 生 産 率)
−13−
(1.49)
(1.44)
死亡者
35
この う ち,ヌ
た が,こ
の 妊 産 婦 保 護 に つ い て は,1942年
に妊産婦 手 帳が導入 され
れ は母 子 健 康 手 帳 と して 現 在 も妊 産 婦 乳 幼 児 の健 康 管 理 上 有 力 な制
度 と して 機 能 して い る。 しか し,多 人 数 家 族 に対 す る 「家 族 扶 養 費 の軽 減 そ
の他 適 切 な優 遇 措 置 」 で あ る租税 特 別 制 度 と家 族 手 当 は,い ず れ も大 蔵 省 の
抵 抗 に会 い 「
遂 に成 功 しな か っ た 」30)。その 点 で は,人
口要 綱 を社 会 保 障 制
度 拡 充 の為 に利 用 す る とい う厚 生 省 の 思 惑 は失 敗 した。
死 亡 率 減 少 策 は,8項
目が 掲 げ られ て い る。
イ 保 健 所 を中 心 と した保 健 指 導 網 の確 立
ロ 乳 幼 児 につ いて は下 痢 腸 炎,肺 炎,先
天 性 弱 質 に よ る死 亡 減 少 に重 点
を置 く。 その た め に都 市農 村 全 て に保 健 婦 を置 く。 ま た,保 育所,農
村
隣 保 館 を拡 充 し,乳 幼 児 必 需 品 を確 保 し,育 児 知 識 の普 及 を図 る。 併 せ
て 乳 幼 児 死 亡低 下 運 動 をお こ な う。
ハ 結 核 早 期 発 見,産 業 学 校 衛 生 の改 善 ,予 防 早 期 治療 の た め の保 護 指 導
強化,療
養施設 の拡充
二 健 康 保 険 制 度 の 拡 充 強 化 し全 国 民 を網 羅 す る。 医療 給 付 の外 予 防給 付
を行 う。
ホ 環 境 衛 生 施 設 改 善,特
に住 宅 の 改 善
へ 過 労 防 止,生 活 刷 新 と休 養 の勧 め
ト 栄 養 改 善,栄 養 知 識 の 普 及 徹 底 及 び栄 養 食,団
体 給 食 の拡 充
チ 医 育(現 代用語 では療育)機 関,医 療 予 防施 設 の 拡 充,予
防 医学 の研 究
普及
前 述 した よ うに,成 人 死 亡 率 の 上 位 を結 核 等 呼 吸 器 疾 患 が 占 め て い る こ と
か ら,予 防 医 学 に か な りの力 点 を 置 い て い る こ とが 伺 わせ る。 但 し,死 亡 率
減 少 政 策 の 多 くは,医 療 保 健 分 野 で あ るが,そ
の 大 部 分 は,既 存 の制 度 を位
置 付 け た に 過 ぎ な い。 そ の理 由 と して は 人 口要 綱 の第 一 次 案 に は盛 られ て い
36 −14−
戦争計画による社会保障制度形成(増 山)
な か っ た部 分 を短 期 間 で盛 り込 む た め に,て っ と り早 い 方 法 を選 ん だ こ とが
推 測 さ れ る。 その た めか,こ
こで は,既 存 制 度 の拡 充 が 中 心 で,従 前 に は み
られ な い全 く新 しい 政 策 は盛 り込 ま れ て い な い。
死亡 順 位 と死 亡 率 の推 移
結 核
脳血管疾患
肺 炎 ・気 管 支 炎
胃 腸 炎
老 蓑
1(408)
5(158)
2(254)
3(194)
1(276)
4(161)
2(238)
5(117)
3(186)
2(200)
4(163)
1(221)
5(119)
1935
1(191)
2(187)
4(165)
3(173)
5(114)
1940
1(213)
2(186)
3(178)
4(159)
5(125)
1920
3(224)
1925
!930
昭和国勢総覧 第三巻 死 亡順位 の推移 かっ こ内 は10万 人当死亡者数
3.3質
的 政 策
量 的 政 策 が総 人 口数,一 家 族 当 た り子 ど も数 や 死 亡 削減 率 な ど数 値 目標 を
掲 げて い て,政 策 内 容 もか な り具 体 的 で あ る の に 対 し,質 的政 策 で は,そ
した 明 確 な数 値 や 具体 的 な 内容 は,多
う
くは明 示 され て い な い。 農 業 に 関 して
の み 「日満 支 を通 じ内 地 人 口 の4割 」 を確 保 す る と一 定 の数 値 目標 が 挙 げ ら
れ て い る31)。これ は農 村 が 「
最 も優 秀 な る兵 力 及 び労 力 の供 給 源 」で あ る と
の 現 状 認 識 に よ る。 産 業 別 人 口 や 高 等 教 育 に 関 す る人 数(大 学就学者数)は,
1942年 に企 画 院 が 立 案 した産 業 並 び に地 域 的 国 民 配 置 計 画 案(以 下国民配置計
画 と記す。)で 示 され る こ とに な る。
国 民 配 置 計 画 は,内 地 及 び東 ア ジ ア地 域 全 体 の産 業 人 口構 成 を想 定 して い
る。 そ の 中で は,人
の他 の 産 業 は,人
工 業50万
口要 綱 で 想 定 した 農 業4割
を そ の ま ま踏 襲 して い る。 そ
口数 の想 定 とな っ て い るが,そ
人(2.5倍)内
重 工 業 は4.5倍,交
の増 加 数 は,鉱 業23万
人,
通(陸 運,海 運,航 空,通 信)60万
人(15年 後には80万 人)と して い る。 さ らに この 達 成 の た め 商業 人 口 を大 幅 に
減 少 す る と して い る。
−15−
37
内地 大 東 亜 人 口配 置(%)
1936
内 地
農 業
1946
大 策 璽
40
鉱 業
1.9
工 業
24
商 業
13
交 通
内.地
39
36
1.7
2,3
23
4.0
31
大 東 亜
38
2.0
29
14
9.7
9.8
4.2
5.4
5.5
産業並 びに地域的国民配置計 画案
資 質 増 強 策 で は,「 国 防 及 び勤 労 に必 要 な る精 神 的 肉 体 的 の 素 質 の 増 強 を
目標 と して 」7項 目が 掲 げ られ て い る。
イ 大 都 市 か らの人 口分 散,そ
の た め に工 場,学 校 の地 方 分 散
ロ 農 村 が 最 も優 秀 な 兵 力 供 給 源 で あ る。 内 地 農 村 人 口 を 一 定 数 維 持 す
る。
「日満 支 を通 じ内 地 人 口 の4割
は之 を農 業 に確 保 す る」
ハ 学 校 に於 け る精 神 的 肉 体 的 錬 成,そ
の た め の 教 科 刷 新 と教 育 訓 練 方 法
改 革 と体 育 施 設 の拡 充
二 都 市 青 少 年 を優 秀 な る兵 力 及 び労 力 の 供 給 源 と して 錬 成 す る
ホ 成 年 男 子 につ いて 一 定 期 間 団 体 訓 練 を義 務 づ け る制 度 の創 設
へ 厚 生 体 育 施 設 の大 量 増 加 と健 全 簡 素 な 国 民 生 活様 式 確 立
ト 優 生 思 想 の普 及 と国 民優 生 法 の 強化 徹 底
こ れ に続 い て 指 導 力 確 保 に つ い て2項
目が 掲 げ られ て い る。
イ 日満 不 可 分 関 係 強 化 の趣 旨 に よ り,人 口 の一 定 割 合 を満 州 へ移 住 させ
る
ロ 東 亜 共 栄 圏 に対 し指 導 に必 要 な 内地 人 を配 置 す る為 に移 民 計 画 を立 案
す る
38
−16−
戦争計画による社会保障制度形成(増 山)
人 口要 綱 は,人 口 の 自然 増 加 と社 会 的移 動 を政 策 的 に行 う こ とを政 策 目標
と して い る。 社 会 的移 動 の 目的 は,直 接 には産 業 人 口 の 適 正 配 置 で あ るが,
実 は,最 大 の 眼 目 の 一 つ が,ア
ジ ア各 地 へ の 日本 人 指 導 者 層 の移 住 を進 め る
こ とで あ っ た。 指 導 力 確 保 の項 は,こ の 目的 を あ か ら さ ま に して い る。 こ う
した 目的 を達 成 す るた め に 出生 率 の 上 昇 と死 亡 率 の低 下 を併 せ て達 成 し,さ
らに,人
口 の構 成 及 び分 布 の合 理 化 を意 図 して い るの で あ る。 つ ま り兵 力 と
して 必 要 な人 口以 上 の 国 内(い わゆる内地)人 口 増 加 を 望 んで は お らず,自
人 口増 に み あ っ た社 会 的 人 口減=植
然
民 地 そ の他 へ の 積 極 的 な移 住 が 隠 れ た 目
標 で あ っ た32)。
国 民 配 置 計 画 で は,こ
う した 目的 が さ ら に強 く明 記 さ れ る。 「
満 蒙 は内地
人 の民 族 拠 点 た ら しめ 」,そ の 他 の各 地 も含 め指 導 者 を置 くこ と を基 本 方 針
と して い る。 また 「大 東 亜 戦 争 完 遂 並 に大 東 亜 防衛 の為 必 要 な る想 定 兵 力 」
と して 「
外 地 人 並 び に大 東 亜 諸 民 族 を い か な る程 度 ま で活 用 」 で き る か を検
討 す る こ とが 最 重 要 課 題 と して 挙 げ られ て い る。 さ らに こ う した 課 題 を達 成
す る為 に優 秀 な 人 材 の 育 成 供 給 計 画 を立 案 す る と して い る。 「本 計 画 を前 提
と して既 に 文 教 政 策 に 関 し答 申 決 定 あ りた る国 家 需 要 に基 づ く人 材 養 成 計 画
も之 を設 定 し得 べ し… … 国 家 需 要 に き く人 材 養 成 計 画 も之 を設 定 し得 べ し特
に重 工 業 建 設 の為 に は 工 業 技 術 者 養 成 施 設 は な お 飛 躍 的 の 拡 充 を要 す … … 大
学,専
門 学 校 に於 る文 科 的学 科 と理 科 的 学 科 の 比 率 に 付 き て は再 検 討 を要
す 」33)。
人 口 要 綱 は,そ の最 後 に,資 料 の整 備 と機 構 の整 備 が 挙 げ られ て い る。 そ
の 中 に は,人
口動 態統 計,国 民 体 力 法 の適 用 範 囲 拡 大,保
問題 に関 す る統 計 調 査 研 究 機 構 の整 備,人
健 資 料 整 備,人
口
口政 策 企 画 実 施 機 関 の整 備 が掲 げ
られ て い る。 人 口 問題 研 究 所 設 立 は この 反 映 とい う こ とが で き よ う。
−17−
39
4 日本 社会保 障パ ラダ イム形成 史上 の
人 口政策確 立要綱 の地位
人 口要 綱 は,所 管 庁 が多 岐 に渉 っ て い るた め,そ の 内 容 も複 数 の 分 野 に ま
た が って い る。 それ は,経 済 産 業,教 育 文 化,医
療 保 険,社 会 保 障 の 四 分 野
に大 別 で き る。 その 各 々 全 て が複 数 の省 庁 の所 管 とな っ て い る。 社 会 保 障制
度 を管 轄,実
施 す る行 政 部 局 が広 範 に及 ぶ き っ か け の一 つ が,こ
こに あ る。
戦 争 計 画 を確 実 に実 行 す る為 に は,従 来 の厚 生 行 政 に絞 っ て も国 民 の体 力 健
康 の維 持 増 進 だ け で な く職 業,労 働 行 政 や 社 会 救 護,社 会 保 険 等 を総 合 した
行 政 を行 う必 要 が あ る との 判 断 が まず あ っ た 。 その 上 で,一 省 一 局 の み で は
実 施 困 難 で あ る との認 識 が あ る 中 で,関 係 各 機 関 が 緊 密 な協 力 を し,政 府 全
体 と して施 策 す る途 の名 目の 下 に各 省 が互 い に領 分 を拡 大 し よ う と した結 果
で あ る。
第1節 で 述 べ た よ うに,社 会保 障 制 度 も産 業 毎 に制 度 化 が 図 られ,対 象 が
細 分 化 さ れ て い っ た。 現 在 の 制 度 も,勤 労 者,自
営 業 者,公 務 員,知
識人等
の 別 に細 分 化 され,所 管 省 庁 も厚 生 省 だ け に 止 ま っ て い な い34)。
医療 保 険 を例 にす れ ば,勤 労 者 を対 象 と し,社 会 保 険 庁 が 管 轄 の健 康 保 険
(組合健康保険 を含 む),自 営 業 者 や 高 齢 者 等 無 業 者 を対 象 と し市 町 村 を保 険 者
とす る国 民 健 康 保 険 は厚 生 労 働 省 が所 管 官 庁 とな っ て い る。 しか し,公 務 員
関 係 は別 の 省 が 所 管 して い る。 国家 公 務 員 は各 省 別 の共 済 で あ り,そ の他 総
務 省 自治 局 が 管 轄 す る地 方 公 務 員 共 済,文
部 科 学 省 の管 轄 す る公 立 学 校 共 済
に分 立 して い る。 知 識 人 その 他 を対 象 と して い る もの で は,私 立 学 校 共 済,
船 員 保 険等 が 別 々 の制 度 と して 成 立 して い る。
以 下 は,人
40
口要 綱 の政 策 内容 を分 野 別 に 分 類 を試 み た もの で あ る。
−18−
戦争 計画 に よる社会保 障制 度形成(増 山)
1,経 済 産 業 政 策
結 婚 資 金 貸 付 制 度 の 創 設,20歳
和,租
以 上 の女 子 被 傭 者 の 抑 制 と就 業 条 件 の緩
税 制 度 の 改 正(扶 養親族へ の課税軽減),多 子 家 族 へ の 優 先 配 給,庶
宅 の 改 善,工 場 ・学校 等 の地 方 分 散,農
業 人 口 の確 保,満
民住
州 へ の 移 住,総 合
的移 民 計 画 の樹 立
2,教 育 文化
公 設 結 婚 紹 介 所 の活 性 化,学 校 制 度 改 革,高
等 女 学 校 ・女 子 青 年 学 校 で の
保 育 及 び保 健 に 関 す る知 識 技 術 教 育 の強 化,育
児 知 識 の 普 及,教 科 の刷 新 と
体 育 施 設 の拡 充,青
設,厚
年 男子 の心身鍛 練 のた めの強制 的特 別 団体訓 練制 度創
生 体 育 施 設 の増 加
3,医 療 保 健
妊 産 婦 保 護(産 院,乳 児院の拡充),人 口避 妊 の 禁 止,性
の整 備,乳
病 の絶 滅,保
健所 網
幼 児 死 亡 率 低 下 の た め に 下 痢 腸 炎 ・肺 炎 ・先 天 性 病 弱 の 予 防,保
健 婦 の 設 置,結 核 の早 期 発 見 ・療 養施 設 の拡 充,産
境 衛 生 施 設 の改 善,過
労 防 止 対 策(休 養施策),栄 養 知 識 の普 及 ・ 栄 養 食 ・給
食 の 普 及,医 療 教 育 機 関 拡 充,医
生 思 想 の普 及,国
業 ・学 校 衛 生 の改 善,環
療 予 防 施 設 拡 充,予
防 医学 の研 究 推 進,優
民 優 生 法 の 強 化,国 民 体 力 法 の 適 用 範 囲 拡 大,体
力及 保 健
に関 す る資 料整 備
こ こ に あ が っ て い る政 策 を よ く観 察 す る と,そ の方 策 の大 部 分 は,既 存 の
制 度 施 策 を人 口要 綱 上 に位 置 づ け た に過 ぎな い こ とが わ か る。 既 存 の制 度 で
は な い全 く新 しい 施 策 は,ご
く少 数 で あ り,そ う した 新 規 政 策 の 多 くは財 政
事 情 等 に 阻 まれ 実 現 で き な か っ た 。 厚 生 省 管 轄 の政 策 で は,家 族 手 当 や租 税
優 遇 策 が新 規 政 策 で あ る が,大 蔵 省 の反 対 に よ り実 現 で き な か っ た こ と は前
述 した。 つ ま り,人 口要 綱 は,新
しい人 口政 策 の 出 発 点 と言 うよ り も,1935
年 前 後 か ら策 定 さ れ て きた戦 争 準 備 と して の人 口施 策 の集 大成 だ とい え る の
で あ る。
−19−
41
但 し人 口要 綱 に集 約 され た社 会 保 障 関 連 の制 度 施 策 は,現 在 まで 引 き続 い
て い る もの が 多 い。 例 え ば,健 康 保 険制 度 や 母 子 保 護 法 は戦 後 の 社 会 保 障制
度 に そ の ま ま引 き継 が れ た 。 国 民 健 康 保 険 制 度 は,戦 後 の経 済 状 況 の悪 化 に
よ る市 町 村 財 政 の 危 機 に よ りほ とん ど機 能 を停 止 した が,1960年
代 に,ほ
ぼ戦 前 の形 態 の ま ま新 制 度 と して 策 定 され た 。 ま た,医 療 保 健 分 野 で も,保
健 所 制 度 は終 戦 直 後 の国 民 保 健 衛 生 の維 持 に 有 効 な働 き を見 せ,そ
の ま ま戦
後 医療 保 険 制 度 の 中 に組 み込 まれ て い る。 さ らに,国 民優 生 法 は優 生 保 護 法
の 改 正 さ れ た が,旧
法 の 内 容 の 大 半 を そ の ま ま引 き継 い で い る。 そ の点 で
は,人 口要 綱 が 現 代 社 会 保 障 の 出発 点 だ とい う こ とは言 い過 ぎで は な い だ ろ
う。
日本 の政 策 形 成 上,こ
の よ うな計 画 策 定 手 法 が 多 く見 られ る。 既 存 の制 度
施 策 を計 画 上 に 位 置 付 け る こ とに よ っ て政 策 と して の 正 当 性 を主 張 し,今 後
の展 開 を図 る こ とに特 長 が あ る。 新 規 制 度 や施 策 が,既 存 の制 度 の 名 称 の変
更 に過 ぎ な い場 合 や,機 能 の 多 少 の手 直 しに 過 ぎ な い場 合 も多 い。 また,全
くの新 制 度 の 発 足 に 当 た っ て も 旧制 度 が廃 止 さ れ ず,温
存 され る こ と も多
い35)。 しか し,完 全 に計 画 か ら は ず れ た制 度 や 施 策 は,廃 止 さ れ る か存 続
した と して も形 骸 化 し,ほ
とん ど機 能 しな くな る。 近 年 の 厚 生 省 関 連 の構
想 ・計 画 の 中 で は,ゴ ー ル ドプ ラ ン を生 み 出 す元 とな っ た 「
長 寿社会対策大
綱 」(1986内 閣決定)が 同様 の手 法 を採 っ て い る36)。
社 会 保 障パ ラダ イ ム の形 成 とい う視 点 か らす る と,人 口要 綱 の 最 大 の特 徴
は,人 口 の質 と家 族 制 度 の 重 視 とい う こ と に あ る。 これ らの重 視 は,第 二 次
世 界 大 戦 後 も持 続 して い る。
人 口問 題 審 議 会 で は繰 り返 し人 口 の質 につ いて 問 題 提 起 さ れ て い る。1959
年 の 人 口 白書 に は,「 貧 困 と疾 病 との 悪 循 環 … … こ の悪 循 環 は結 核 の場 合 に
特 に深 刻 で あ る。 また,精 神 病 の発 現 率 にお い て も社 会 階級 的 な偏 りが 明 瞭
に観 取 され た … …人 口 資 質 に関 す る 問題 も貧 困 問題 と重 な り合 っ て 今 後 格 段
の注 視 を 必 要 とす る」 との 記 述 が あ る37)。 ま た そ の後 の報 告 で も,経 済 構
42
−20−
戦争計画による社会保障制度形成(増 山)
造 の高 度 化 に伴 っ て 人 口 資 質 の 向 上 が 必 要 に な り,そ の 対 策 が 一 層 重 要 と
な っ て き た と述 べ て い る。 「悪 質 遺 伝 病 を事 前 に 防 止 す るた め に優 生 保 護 法
の 活 用 … … また,配 偶 者 選 択 に助 言 を与 え る結 婚 相 談 所 の 活 用 … … な どが 重
要 で あ る… … 人 口資 質 の 問題 が 静 態 の精 神 的,肉 体 的健 康 の維 持 増 進 に集 約
さ れ る とす る な らば … … 国 家 政 策 の主 目標 とな らね ば な らな い 」38)
社 会 保 障制 度 も歴 史 的 に は恤 救 規 則 か ら救 護 法 に至 る救 貧 制 度 や,昭 和 初
期 に 制 度 化 され た健 康 保 険 を 中心 とす る社 会 保 険 制 度 まで は,個 人 主 義 を
とっ て い た39)。 こ こ で 家 族 制 度 の 維 持 を全 面 に据 え た こ と に よ っ て,社
政 策 の方 向,そ
会
れ に よ る社 会保 障 制 度 の方 針 の転 換 が 明 白 とな っ た 。 この 時
期 に 「自然 的 に … … 社 会 の 中 に連 帯 が 形 成 さ れ る」 こ と40)によ る社 会 事 業
に よ る救 貧 か ら,国 家 に よ る保 障 に切 り替 わ っ た の で あ る。 総 力 戦 体 制 を整
え る に は,当 然,銃 後 の家 族 に憂 い無 き方 策 を採 る こ とが 兵 士 の士 気 を高 め
る上 で も必 要 とな っ た か らで あ るが,こ
こに も 「人 口要 綱 」 が 戦 争 計 画 の一
環 で あ っ た こ とが うか が わ れ る。 家 族 主 義 に よ る社 会保 障 制 度 運 用 形 態 は,
第 二 次 世 界 大 戦 後 払 拭 さ れ た とい わ れ る が,実 際 に は世 帯 主 義 と して 現 在 ま
で社 会 保 障 制 度 運 用 の基 本 とな って い る。
第 二 次 世 界 大 戦 直 後 の公 的扶 助(旧 生活保護法)は 個 人 主 義 を とっ た が,現
行 生 活 保 護 法 以 後 世 帯 主 義 を は っ き り打 ち出 して い る。 その た め に,家 族 の
内一 人 だ けが 保 護 を必 要 とす る場 合 や,逆
に,被 保 護 家 庭 の家 族 員 の誰 か が
保 護 を必 要 と しな い場 合 に は,当 該 者 だ け を家 族 と見 な さ な い世 帯 分 離 とい
わ れ る無 理 な方 法 が あ み だ さ れ て い る。 また,厚 生 年 金3号
被保 険者す なわ
ち給 与 所 得 者 の配 偶 者 の 扱 い も,世 帯 主 義 か ら見 る と説 明 がつ けや す い。
制 度 の 対 象 が細 分 化 さ れて い て,実 施 主 体 が 多 岐 に渡 る こ とは,結 果 的 に,
国家 の 責 任 を希 薄 に して い る。 国 民総 動 員 体 制 下 で は,ま
ず国民精神動 員が
叫 ば れ た が,人 口要 綱 で も主 要 項 目の 最 初 に精 神 思 想 の 改 革 を挙 げ て い る。
先 ず,国 民 の 努 力 が あ っ て,国 家 責 任 は そ の次 に くる とい う思 想 潮 流 が こ
こ に見 られ る。
−21−
43
パ ラ ダ イ ム とい う視 点 か ら以 上 を整 理 す る と,戦 争 計 画 期 に,日 本 の社 会
保 障 パ ラ ダ イ ム の特 徴,す
な わ ち国 民 資 源 主 義,集 団 利 益 保 存 主 義,国 家 責
任 最 小 化 主 義 の3相 が ほ ぼ形 成 され た とい う こ とが で き る41)。
な お,日 本 の社 会 保 障 制 度 と りわ け社 会 福 祉 で は直 接 の担 当 者 の専 門性 が
低 い。 こ れ も社 会 事 業 の 特 性 と して形 成 さ れ た ものが 現 代 まで 受 け継 が れ て
い る為 で あ る。 方 面 委 員 は,公 設 機 関 で あ りな が ら,実 際 は 民 間 篤 志 家 に よ
る活 動 で あ り,活 動 資 金 も方 面 委 員 本 人 の 自 己 負 担 や 後 援 会 の援 助 が大 半 を
占 め て い た 。 救 護 法 施 行 以 後 も これ が 受 け継 が れ 救 護 法 上 の救 護 委 員 は方 面
委 員 が充 て られ た 。 戦 後 も旧 生 活 保 護 法 も実 施 機 関 と して 民 生 委 員 が 充 て ら
れ る とい う形 で 直 接 受 け継 が れ た。 また,軍 事 保 護 法 に よ る傷 疲 軍 人 や 遺 家
族 の援 助 の一 定 部 分 を大 日本 国 防 婦 人 会 や 愛 国婦 人 会 が 担 っ て い た が,こ
人ロ政策確立要綱 に関係する厚生省 関連施策制度年表
1927
健康保 険法全面施行,公 益質屋 開設,人 口食糧問題調査会設置
1928
花柳病 予防法施行,方 面委員全 国で設 置,全 道府県 に社会課設置
1929
工場 法 改 正(婦
1930
国立長 島癩 療養所開設
1931
軍事救 護法改正,癩 予防法改正,国 立公 園法施 行
1932
恤救規則廃 止 ・救護法施行,失 業応急 事業実施,公 立健康 相談所認可
1933
1934
児童虐待 防止法施 行,米 穀統制法施行
〈
国際連盟脱退〉
少年教護法施 行,保 健衛生調査会 「
結核予 防の根本 対策 」答申
1935
社会保 険調査会 「
国民健康保険制度案要綱 」答 申
1936
少年法施行,内 務 省社会局外局化
1937
保健所法施行,退 職積 立金及 び退職手 当法施行,方 面委員令施 行
〈
国民精神総動 員運動〉〈
盧溝橋事件〉
1938
母子保護法施行,社 会事業法施行,国 民健康保険法,厚 生 省設置
保健所開設,体 力章検定制 度創設,国 民体 力管理制度調査会 発足
〈
国家総動員法〉
1939
職員健康保険法施行,厚 生省結核 課 ・住宅課設置
軍事保護院開設,国 立人口問題研 究所設立
1940
1941
1942
44
人,少
年 の深 夜 勤 務 禁 止)
〈
満 州事変〉
国民体力法施行
〈
総力戦研 究所設置〉
国民優生法施行,医 療保護 法施 行,保 健婦規則施行
結核 研究所設置
厚生省人 口局設置 「
人 口政策確 立要綱」
〈
太 平洋戦争〉
労働者 年金保 険法施行 戦 時災害保 護法施 行,妊 産婦手帳制度
「
産業的竝 に地域 的国民配置計画」
−22
れ
戦争計画による社会保障制度形成(増 山)
も軍 人 を含 む 引 揚 者 援 護 にお け る 同胞 援 護 会 設 立 とい う形 で 戦 後 に 引 き継 が
れ た。
1950年 以 降 の 社 会 保 障制 度 で は,公 的 扶 助 は 有 給 職 員 で あ る 社 会 福 祉 主
事 に よ っ て 担 わ れ る こ と とな っ た が,資
た,社 会保 険 の数 理,実
格 要 件 は 緩 く,専 門 性 は低 い。 ま
際 の運 営 に 当 た る職 員 も,一 般 事 務 職 が 充 て られ て
い る。 国 税 徴 収 等 が専 門 の職 員 と して 通 常 の国 家 公 務 員 とは別 採 用 とな っ て
い る こ と と比 較 して も職 の専 門 化 につ い て の評 価 は 低 い と言 う こ とが で き よ
う42)。
公 的 扶 助 を例 に す れ ば,専 門 の 有 給 職 員 に よ る経 済 給 付 と社 会 的 更 生 や 自
立 を行 う ソー シ ャル ワ ー ク が各 々 独 立 した形 で行 わ れ て い る英 米 型 に 対 し,
日本 で は,給 付 と 自立 援 護 が不 可 分 な形 で 結 び つ い て い る。 その た め に,熱
意 さ え あ れ ば資 格 要 件 を 問 わ れ な い こ とが普 通 にな っ て い る。
補 論 家 族 主 義 と戦 後 の社 会 保 障制 度43)
社 会 保 障制 度 の 内容 は,家 族 形 態 と深 い 関 係 が あ る。 戦 後 民 法 改 正 に よ り
大 家 族 制 は,法 制 度 上 は 否 定 さ れ た よ う に見 え る。 戸 籍,住
民 登 録 等 の形 式
面 で は大 家 族 制 の解 体 が 行 わ れ た が,民 法 の扶 養 義 務 者 の範 囲 は か な り広 く
場 合 に よ って は傍 系 に まで 及 ん で い る。 この 小 論 は,戦 後 の社 会 保 障 制 度 に
お け る家 族 の取 扱 い を家 族 主 義 の温 存 と言 う視 点 で 考 察 した もの で あ る。
I 国民 の家族 意識
1950年 の 社 会 保 障 制 度 に関 す る 勧 告 で は,国 民 の 生 活 は 緊 迫 し 「
窮乏 と
病 苦 に耐 えな い もの が 少 な くな い 。 こ とに家 族 制 度 の崩 壊 は彼 等 か ら そ の最
後 の か くれ場 を 奪 っ た 」44)と
述 べ て い る。 しか し,こ の 勧 告 の2年 前 に 日 本
政 府 に伝 達 され た ワ ン デル 報 告 で は,「 日本 に於 い て は,小 企 業 が 家 庭 組 織
−23−
45
を強 く取 り入 れ て い る こ と と,家 庭 責 任 観 念 の強 さ とが 結 局 … … あ る程 度 の
安 定 を与 え て い る もの と思 わ れ る」45)との 記 載 が あ り,GHQで
は 戦 後 も家
庭 や 企 業 に よ る相 互 扶 助 意 識 が 強 い との認 識 を示 して い た 。
文 部 省 に よ る国 民性 調 査 を見 て も戦 後 の平 均 的 日本 人 は,家 族 意 識 や 国 家
へ の 帰 属 意 識 が 高 い46)。 また 社 会 保 障 制 度 に 関 す る意 識 調 査 を見 て も,家
族 中心 の 生 活 保 障 を望 む 意 向 が,社 会 的 扶 助 を是 とす る もの を大 幅 に上 回 っ
て い る47)。
Ⅱ 社会 保 障制度 と家族
戦 後 直 後 の 社 会 保 障 制 度 構 想 を見 る と,社 会 保 障 研 究 会 案 で は 家 族 手 当 の
範囲を 「
妻,小
児 の全 部(義
務 教 育 終 了迄)」48)と し,民 主 化 の た め に その
他 の 者 を家 族 手 当 支 給 対 象 と して 家 族 の範 囲 に入 れ な い と して い る。 ま た,
社 会 保 険 制 度 調 査 会 の 答 申 で は国 民 の分 類 中 無 業 者 の 中 に妻 を含 む が 年 金,
失業 手 当 の給 付 の 項 に 「
無 業 者 で あ る妻 が あ る場 合 に は手 当 金 を相 当 額 増 額
す る」49)との 記 述 が あ る。 こ の よ う に戦 後 初 期 に は社 会 保 障 の 対 象 を 小 家 族
と して 捉 え て い る。
実 際 に戦 後 施 行 され た 制 度 を見 る と,旧 生 活 保 護 法 が例 外 的 に直 接 の保 護
対 象 を個 人 と見 な して い るだ け で あ り,多
くの 制 度 は,家 族 丸 ご との保 護 を
想 定 して い る50)。現 行 生 活 保 護 法 も施 行 当 時 か ら,申 請 者 を 困 窮 者 本 人 及
び 「その扶 養 親 族 又 は その 他 の 同居 親 族 」 と して い る。 また,同 法 で は,扶
助 の基 準 は 生 活 困 窮 者 の年 齢 性 別 等 本 人 の 条 件 の み な らず,世 帯 構 成 や 居 住
地 域 を考 慮 して 設 定 し,個 々 の扶 助 内容 は被 保 護 者 の個 人 的又 は 世 帯 の実 情
に応 じて実 施 す る と して い る。 この よ うな 一 連 の 状 況 を見 る と生 活 困 窮 の救
済 は 世 帯 を単 位 と して 行 う こ とが 第 二 次 世 界 大 戦 直 後 か ら了 解 事 項 とな っ て
お り,格 別 の 異議 は無 か っ た もの と思 わ れ る。
46
−24−
戦争 計画 に よる社会保 障制 度形 成(増 山)
Ⅲ 小 括
現 行 の社 会保 障 制 度 は,世 帯 単 位 を主 軸 に施 策 展 開 が 行 わ れ て い る。 社 会
保 険 の 加 入 や 生 活 保 護 の 受 給 は,原 則 と して 世 帯 が 単 位 と な っ て い る。 ま
た,社 会 福 祉 をみ て も,家 族 に よ る相 互 扶 助 を 中心 に し,ど ち らか とい え ば
公 的 な保 障 を補 完 的 に利用 す る体 制 が 骨 格 とな っ て い る。 乳 幼 児 の保 育 か ら
高 齢 者 の 介 護 まで家 族 の 養 育 力,介 護 力 を前 提 に した 政 策,制 度 が 戦 後 も施
行 さ れ て き た51)。隠 れ た部 分 で,家 族 制 の維 持 を図 る努 力 が さ れ て き て い
た。 国 民 の家 族 意 識 を背 景 と して,戦 後 も家 族 主 義 が 社 会 保 障制 度 の根 幹 を
な し て き た と い う こ とが で き る。
〔
注〕
1) 総 理 府 統 計 局 や 経 済 企 画庁 に よ る公 的 な経 済 統 計 で は,戦 前 の平 和 時期 を1935
年 まで と して い る。 政 府 の公 式 資 料 の 多 くは,1936年
の 日独 伊 防 共 協 定 調 印 と
1937年 の盧 溝 橋 事件 とを もって 戦 時 体制 の 開始 と して い る。 とこ ろで,日
か ら太 平 洋 戦 争 まで を15年 戦 争 と呼 ぶ ことが あ るが,こ
事 変 が 開始 さ れた1931年
中戦 争
の期 間 は,い わ ゆ る満 州
を起 点 とす る。 その意 味 で は戦 前 平 和期 の最 後 を1930年
とす る こ と もで き る。 但 し,日 中 戦 争 の開始 を どこ に置 くか は定説 は ない と思 わ れ
る。 また,最
も早 い 時期 を見 れ ば1927年 の 山東 省 出 兵 に遡 る こ とがで き る。 なお,
戦後 の 占領 下 で は,平 和 的 経 済水 準 と して1930-1934年
の平 均 生 活 水 準 を もっ て
推 計 す べ き と して い る。 極 東 委 員 会 「日本 国民 の生 活 水 準 に 関 す る極 東 委 員 会決
定」(1947)大
2)企
蔵 省 大 臣官 房 『
調 査 月 報』 第40巻 特 別 第4号,1951.3,p.58。
画院 設 立 は1936年10月25日
。 軍 部主 導 の 内閣 機 関 で あ り,太 平 洋 戦 争 突入
に際 して は,少 なか らぬ影 響 を及 ぼ した。 国 家総 動 員 法 以後,企 画 院 の創 設 か ら廃
止 まで は,以 下 の文 献 に詳 しい。 古 川 隆 久『 昭和 戦 中期 の 総合 国 策機 関』 吉 川 弘文
館, 1992。
3)社
会 事 業 法 や,方 面 委 員令 は そ の例 で あ る。1951年 制 定 の社 会 福祉 事 業 法 の も
とで も,「措 置 」制 度 の導 入 に よ り公 の規制 が続 い た。
4)各
制度 の成 立 時期 は末 尾年 表 参 照。
5)パ
ラダ イ ム の 定義 は,拙 稿 「占領 初 期 『理想 的社 会 保 障 』 構 想 の展 開過 程 」 『
岐
阜 経 済大 学 論 集 』36巻4号,2003,1.1.3参
照。
6)厚
生省 大 臣官 房『 昭 和14年15年
厚 生 行政 要 覧 』1940,p.1。
7)厚
生 省 二 十 年 史編 集 委 員 会 『厚 生省 二十 年 史 』1960,巻
25−
頭(ペ ー ジ無)。 安 積 得
47
也 「
社 会 行 政 回顧 第 六 厚 生 省 新 設 確 定 」 協 調 会 『社 会 政 策 時報 』 第210号,
1938.3,pp.72-73。
時 支 那 事 変 と いっ た)を 指 す 。 また,施 設 とは,い わ ゆ る 「
公 の施 設 」 を意 味 す
こ こで い う事 変 とは満 州 か ら中華 民 国 支 配 地 域 へ の 侵攻(当
る。 つ ま り,建 物 等 ハ ー ドウエ ア を指 す ので は な く,人 的資 源 や 制 度等 の ソ フ トウ
エ アや シス テ ム を指 す。
8)社
会 福 祉 とい う語 の意 味 の変 遷 は,百 瀬 孝 『「
社 会福 祉 」 の成 立 』 ミネ ル ヴァ書
房,2002に
詳 しい が,こ の例 は引用 さ れて い な い。
9) 当 時 の 内閣 総理 大 臣近衛 文 麿 と陸軍 省 とは意 見 の対 立 が あっ た とさ れて い る。 前
掲
厚 生省 二 十 年 史 』pp.94-98。
な お,陸 軍省 の構 想 は1937年
の五ヵ 年計 画 で は
保 健省 となっ て い る。 陸軍 試 案 「
重 要 産業 五ヵ 年 計 画要 綱 実施 に関 す る政 策 大 綱」
稲 葉 正夫 ・小 林 龍 夫 ・島 田俊 彦 ・角 田順 編 『太平 洋 戦 争 へ の道 開 戦 外 交史 別 巻 資
料編 』 朝 日新 聞社,1963,p.244。
10) 1937.7.9閣 議 決定 『
保 健 社 会 省(仮 称)設 置 要 綱 』 国 立 公 文 書 館 所 蔵 。 原文 は
カ タ カ ナ表 記 ・旧字 体。 引用 は,同 要綱 中 「
保 健 社会 省(仮 称)設 置 の理 由」 冒頭
か ら10行 目 まで。
ll)第
二 次 世界 大 戦後,労 働 行政 は労 働省 に移 管 され た。 この時 に労働 保 険 も労働 省
の事 務 とされ た。 現行 の予 算 で は,社 会 保 障 制度 審 議 会 「
社 会 保 障 に 関す る勧告 」
(1950)に
定 義 され た範 囲 を狭 義 の社会 保 障 と し,住 宅,災 害 援 助,恩 給 を社 会 保
障関 連 費 と して 加 えた もの を広 義 の社 会 保 障 と して い る。
12)東
京 百 年 史 編 集 員 会 『東 京 百 年 史 』 第5巻,1972,pp.381-382。
この項 の説 明
と して 「
昭 和13年 度 を境 に して,軍 事 型 の 体 制 に 変 わ っ て い く… …(職 業 紹 介 事
業 も)国 の行 政 に移 管 され る こ とにな った」 とい う記述 が あ る。
13)大
原 社 会 問題 研 究 所 『日本 社 会事 業 年鑑 』1940∼1943年
版。
地 方機 関 簡 素化 の名 目で開 設 され た地方 事 務 所 には,従 来 の社 会 課(厚 生 省 発足
以 後 は厚 生 課 とな っ た場合 が多 い)の 事務 が一 部 移 管 されて い る。 なお,地 方 事務
所 は内務 省 管轄 で あ り,厚 生 省 管轄 の社会 課 とは系 列 が異 な る。
14)戦
前 期 社 会保 険 の成 立 は,佐 口卓 『日本 社 会 保 険 史』 第2版,日
本 評論 社,1965
に詳 しい。 なお,こ の 法制 度 成 立 に関 す る記 述 は,「 昭 和 の社 会福 祉 年 表 」 全 国社
会福 祉 協 議会 『
月 刊福 祉 』 第72巻14号,1989,pp.228-316に
よ る。
15)「 現 行 社 会 保 険 制 度 は複 雑 多 岐 に亘 り且 制 度 に重 複 す る所 を生 じ統 一 を欠 くの嫌
い あ る を以 て之 が 整理 統 合 を行 い皇 国 の勤 労体 制 に順 応 せ る社 会 保 険制 度 の体 系 を
確 立 す る」 保 険 制 度 調 査 会 「労 働 年 金 保 険 制 度 案 答 申 希 望 決 議 」1940,前
『日本 社 会 保 険 史 』 第2版,p.243。
掲書
「わが 国 にお け る医療,年 金 な どに係 わ る社 会
保 険 制 度 は,… … い くつ もの制 度 に分 立 して い る。 この制 度 間 で の給 付 や 負担 につ
いて 必 ず し も合 理 的で ない格 差 が 存在 して い る」 堀 勝 洋 「
現 代 社会 保 障 ・社 会 福祉
48
−26−
戦争 計画 に よる社会保 障制 度形成(増 山)
の基 本 問題 」 ミネル ヴ ァ書房,1997,pp.47-48。
16) 恩 給 等 多 少 の例 を除 き ほ とん どの社 会 政策 は 内務省 社 会 局 が主 管 して い た。 これ
に対 応 す る地 方機 関 も道府 県社 会課 も し くは主 要 都 市社 会 課 が ほ とん ど唯一 の もの
で あ つた 。
1939年 に は文 部省,農 林 省,商 工 省,逓 信 省 等 が独 自 の援 護 事 業 を開 始 して い
る。 前 掲 『
社 会 事 業 年 鑑 』1940版 。 なお,伊 藤 淑 子 『
社会福祉職発達史研究
米 英 日三 ヶ国 比較 に よ る検 討 −
』 ドメ ス 出版,1996で
は,方 面 委 員 会 や その後
援組 織 に属 す る有 給職 員 で あ る書 記 が社 会 事業 主 事 補 とな った との記 述 が あ る。社
会 事 業 主 事 及 主 事 補 は 道 府 県 社会 課 に 勤務 す る地 方 官 で あ り,そ の設 置 は 「
大正
14年12月
勅 令第323号 」 に よ る。 社 会 事業 法 制 定 後 は,そ の ま ま統 制 監督 の任 に
つ い た。 著 者 の誤 解 と思 われ る。
17)前
掲 書 『厚 生省20年 史 』pp.215-218。
18) 中野 実 は,年 金 制度 の統 合過 程 を厚 生 省 を中心 に論 じて い る。 中野 実 『
現 代 日本
の政策 過 程 』東 京 大学 出版 会,1992,pp.15-82。
19) 「総合 国 策 十年 計 画」 冒頭解 説 。 前 掲書 『太平 洋 戦 争 へ の道 開戦 外 交 史 別 巻 資
料 編 』p.306。 以 下,同 書 か らの 引用 は次 の通 り。 「
総 合 国策 十 年 計 画 」pp.306 315,「 基 本 国 策要 綱 」pp.320-321。
20)厚
なお,原 文 は旧 か な 旧漢 字 カタ カ ナ表 記 。
生省 「
政 綱政 策 の要領 」 国 立公 文 書 館所 蔵(昭 和15年7月24日
厚 生 省 文書 課
長 発 企 画 院文 書課 長 宛)。
21)前
掲書 『
厚 生 省20年 史』p.215。
22) 第 一 趣 旨 「
我 国 人 口 の急激 して且 つ 永続 的 な る発 展 増 殖 と資 質 の飛 躍 的 な 向 上
とを図 る と共 に東亜 に於 け る指 導 力 を確保 す る為 その配 置 を適 正 にす るこ と特 に喫
緊 の要務 な り」
23) 「
人 的 資 源 の 需給 調 整 並 び に維 持 培 養 に努 め,軍 需 生 産 力 の拡 充 に遺 憾 な か ら し
む る等 事 変 の直 接 的影 響 に対 処 す べ き… …社 会 的経 済 的 新情 勢 に対応 し,積 極 的 に
長 期 建 設 的計 画 の 実施 に協 力 し もっ て我 が 国 策 の遂 行 を可 能 な ら しむ。」 第 二 回 人
口問 題 協 議会 政 府諮 問 答 申案1935?∼1938?国
立公 文 書 館所 蔵(原 文 は 旧漢 字 カ
タ カ ナ表 記)。 厚 生省 二 十年 史 で は人 口問題 協 議 会 設 置 を人 口要 綱 以 降 と して い る。
しか し,本 答 申案 は最 終 項(十 一)で 国 立 の人 口政 策調 査 研 究機 関設 置 を提 言 して
い る。 人 口 問題 研 究所 設 置 は1939年8月
で あ り,二 十 年 史 の 記述 と答 申案 内 容 は
矛盾 して い る。 また移 民 先 と して 中 南米 を推 奨 してい る こ とや厚 生 省 に関 して まっ
た く記載 が ない こ とな どか ら,こ の答 申案 は十年 計 画 以前 に作成 さ れた と推 測 が で
き る。 但 し,所 蔵 分 類 で は1939年(昭
和14年)に
本 文 中 に は無 い為 年 代 の 特 定 は で きな い が,こ
な っ て い る。 結 局,作 成 日付 が
う した 内容 か ら1935-1938の
間に
作成 さ れた と推測 しうる。
−27−
49
24) 關 山 直太 郎 「日本 現 下 の人 口 問題 と人 口政 策 」 『日本 内地 外 地 市 町 村別 人 口表 』
日本 書房,1942(講
演 速 記 録)。 論 者 は,当 時 「
厚 生 省 人 口問題 研 究所 」 勤 務 。 な
お,本 文 「
人 口表 」 は,人 口問 題研 究 所 編 『日本 人 ロ の栞 』1940と 同 内 容(「 栞 」
は 当時 内部 文 書)。
25)人
口要綱 自体 に も優 生 思 想 普及 構 想 の記 載 が あ る。 第 五(ト)「
優 生思 想 の普 及
を図 り,国 民優 生 法 の 強化 徹 底 を期 す る こ と」
26)第
一 次 大 戦後 の人 口傾 向 につ い て は,以 下 の著 書 に詳 しい。 上 田貞 二郎 『日本 人
口政 策 』 千 倉書 房,1935。
27)前
掲 講 演 記 録 「日本 現 下 の 人 口問 題 と人 口 政 策 」。 な お,国 勢 調 査 に よ れ ば,
1925年 と1935年 を 比 較 す る と,15歳
以 上 人 口 に 占 め る未 婚 女 性 の割 合 は15.8%
か ら22.6%に 上 昇 して い る。
28)厚
生 省人 口問 題研 究 所 『日本 人 口の栞 』1940。 この 予測 は,現 代 の人 口状 況 か ら
見 て もほ ぼ正 確 な もので あっ た とい えよ う。 前掲 講 演 記録 「日本 現下 の人 口問題 と
人 口政 策 」
。
29)
前 掲 人 口問 題 協議 会 答 申 三 人 口増 殖 力 の維 持 向上 に関 す る件 。
30)
前 掲書 『厚 生 省二 十 年 史』p219。
31)
第 五 資 質 増 強 の方 策(ロ)前
32)
「
大 陸 や南 方 の諸 民 族 と手 を携 え…… 満 州 開拓 民 は勿 論 の こ と,工 業者 や商 業 者,
段 及 び第 三段 。
その他 あ らゆ る知能 と技能 とを身 に つ けた 我国 人 が,満 州 国 に,北 支 に中支 に南 支
に,将 又 南 洋諸 地 方 に,喜 び勇 ん で渡 り… …大 東亜 の… … その永 遠 な る繁 栄 を図 る
こ と…… 優 れ た る我 国 民 の数 は,い く らあ って も足 りる と言 う こ とはな い」 前 掲 講
演 記録 「日本 現 下 の 人 口問 題 と人 口政 策」p.74。
33) 「
産 業 並 びに地 域 的 国 民配 置 計画 案 要 旨」 十 三。
34)社
会 保 障制 度 の枠 を広 くと る こ とは,以 後,日 本 の社 会 保 障 行政 の基 本 とな っ
た 。1950年 の社 会 保 障 制 度 審 議会 の勧 告 で も,こ の 枠 組 み は,ほ
とん ど その ま ま
継承 され,現 在 に至 っ て い る。 前 述 の よ うに社会 保 障 制度 の統 一 は,第 二 次世 界 大
戦後 も しば しば課題 と して取 り上 げ られ るが,ほ
35)最
とん ど成 功 して い な い。
も典型 的 な例 は,方 面 委員 制 度 で あ る。社 会 福 祉 主事 制 度 発足 後 も民 生委 員 制
度 は,継 続 され て い る。(後 述)
36)総
理府 『
長 寿社 会 対 策 大綱 フ ォ ロー ア ッ プ調 査 』1987∼1990。
この大 綱 以前 か ら
の各 省庁 に よ る高齢 者 施 策 の ほ とん どが,大 綱 に よ る施 策 と して位 置 づ け られて い
る。
37)
人 口 問題 審 議会 『人 口白書 』1959,p.114。
38)
人 口問 題 審 議会 『日本 人 口 の動 向―― 静 止人 口 をめ ざ して―― 』。
39)
救 護法 上 の 救護 対 象 者 や個 別 事例,統 計 を見 る限 りで は,救 助 は貧 困者 本 人 へ の
50
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戦 争計画 によ る社会 保障 制度形 成(増 山)
給 付 で あ り,結 果 的 に家 族 へ の給 付 も生 じた と言 うこ とが で き る。 健 康 保 険 も成 立
時 は被 保 険 者本 人 のみ の給 付 で あ り家 族 給付 はか な り後 に な って 実現 す る。
40) 新 藤 宗幸 『
福 祉 行 政 と官 僚 制』 岩 波 書店,1995,p.46。
41)社
会保 障 パ ラダ イム に つ いて は,拙 稿 「占領初 期 『理 想 的社 会保 障 』 構 想 の展 開
過 程 」 『岐阜 経 済大 学 論集 』 第36巻 第4号 を参 照。
42)社
会保 険労 務士 と税 理 士 の職 能分 野(税 理 士 は,社 会保 険労 務 士 の業 務 の一 部 を
行 う ことが可 能,逆 は不 可)や 社会 的 評 価 を比 較 して も,社 会 保 障 の専 門性 は低 い
と言 うこ とがで きる。
43)初
出,拙 稿 「
戦 争 計 画 と して の社 会 保 障 の形 成(人
口政 策 確 立 要 綱 を 中心 と し
て)」桜 美 林 大学 大 学 院 『マ ジス』2号,1997,pp,116-117。
但 し,改 稿 して あ る。
44) 社 会 保 障制 度 審 議会 「
社 会保 障制 度 に関 す る勧 告 」前 文
45)Scapin5812-A"Report 46)文
of the Social Security Mission"1948.
部 省 統 計 数 理研 究 所 国 民性 調 査 委 員 会 『第 三 日本 人 の国 民性 調 査 』1964,第1
回1953年
∼5年 ご との継 続 調査
〈
一 番 大 切 な もの〉は,1953年
代1回 調 査 以来 常 に 〈
家 族 〉また は,〈 子 供 〉で あ
る。 ま た,〈 大 切 な 道 徳 〉は1968年 調 査 で 問 を設 け て 以来 〈
親 孝 行 〉が 常 に1位 を
占 め て い る。 〈
個 人 を優 先 す る か家 族 を優 先 す るか〉 とい う問 に は,男 女 を問 わ ず
半数 以上 が 〈
家族 を優 先 す る〉と答 え て い る。 子 供 の半 数 以 上 が,社 会 的 に独 立 し
た後 も(就 職 し或 は結 婚 した 後 まで)〈 困 っ た こ とを まず 親 に相 談 す る〉と回 答 し
て い る。 国 と個 人 の 関係 につ い て み る と,〈国(日 本)が
福 に な る こ と も同 じで あ る〉 とす る回答 が 常 に最 も多 い。
よ くな る こ とも個 人 が 幸
47) 総 理 府 『
長 寿 社 会 に関 す る調 査 』1992,高 齢 者 介 護 の役 割 は家族(配 偶 者又 は子
供)と
した もの79.2%。
経済 企 画庁 国民 生 活局 『家族 と社 会 に関 す る意 識 調査 』1994,同
様 の問 い に対 し
主 た る介 護 者 は家 族 と した もの91.7%。 従 た る介 護 者 の27.2%が
公 的 機 関 とな っ
てお り,公 的介 護 は家族 を補 完 す る とい う意 識 が強 い。
48)社
会保 障 研 究会 『社会 保 障案 』1946。
49)社
会 保 険 制度 調 査 会 「
社 会 保 障 制度 要 綱 」 厚 生省 保 険 局 『社会 保 険 時報 』第21
巻 第9号,1947.10,pp.23-24。
50) 「
援 護 は標 準 世 帯(5人)に
付 き 月額200円
と し世 帯 人 員 に応 じ増 減 す る… … 援
護 は世 帯 の 実 情 に 応 じ… … こ れ を 行 う」CLO1484『
救 済 福 祉 に 関 す る件 』
1945.12.31。
「
標 準世 帯(1世
帯5人 家 族)に
あ りて は… … 一応 の標 準 限度 額 … … 其 の世 帯 の
実 情 に即 し給 与 額 の増額 を為 し得 る」 『救済 福 祉 に関 す る政 府 決 定 事項 に関 す る件
報 告 』1946。4.30。
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51
51)保
育園 の措 置 要件 は 「
保 育 に欠 け る」 乳 幼 児 で あ る こ とだが,こ の場 合 同居 又 は
近 隣 に居 住 して い る祖 父 母 の養 育 まで調 査 の対 象 に な る。 また,保 育料 の算定 は,
生 計 同一 者(同 居親 族 の全 て)の 所 得 の合 算 によ る。
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