論点7 結局のところ、安倍首相は何をしたいのか なぜ、いま集団的自衛権の行使容認なのか。解釈改憲という「無理筋」を押し通してま で、それをなそうとするのは、いったいどのような狙いがあるのか。 安倍首相は2012年の総選挙の直前、次のように語っている。 「集団的自衛権の行使とは、米国に従属することではなく、対等となることです。それに より、日米同盟をより強固なものとし、結果として抑止力が強化され、自衛隊も米軍も一 発の弾も撃つ必要はなくなる。これが日本の安全保障の根幹を為すことは、言うまでもあ りません」1 「言うまでもない」と言われても、どうにも呑み込みがたい。集団的自衛権によって「自 衛隊も米軍も一発の弾も撃つ必要はなくなる」というのは、世論を安心させるためのレト リックなのだろう。本音は、彼がかつて自ら語ったように、「いうまでもなく、軍事同盟 というのは“血の同盟”」であり、自衛隊員が「アメリカが攻撃されたときに血を流す」 ことでイコールパートナーとなりたい、という話ではなかろうか2。 日米安保条約に関して、首相は2003年にこう述べている。 「日本にとって安全保障問題は、60年安保以降、いわば『密教』の領域に入っていたと 思うのです。〔中略〕ところがその結果、議論が非常にマニアックなものになってしまい、 憲法の解釈論が繰り返される、世界に通じない議論になりつつあります。ですから、これ をまた『顕教』の領域に戻すのです」3 密室の与党協議からわずかに漏れ聞こえてくる情報を頼りに、国民は 9 条の解釈改憲の 行方を見つめている。政府が出してくる行使の例のうちいくつかは現実離れしており、行 使の範囲も際限なく広がっている。現在行われているのは、内容においても議論の形式に おいても、「密教」そのものである。 5月30日、アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)の基調講演で、アジ ア諸国の国防関係者を前に、首相は南シナ海の状況に関して、 「既成事実を積み重ね、現状 の変化を固定しようとする動きは、〔国際海洋法の〕3原則の精神に反するものとして、 強い非難の対象とならざるを得ません」4と、法の支配を強調した。文脈上、中国への批判 であることは明白で、中国側からの反発を呼んだ。こうした多国間外交での基調講演で、 首相が一国を明示的に非難するというのは外交上きわめて異例のことであり、それによっ て日本は自ら外交上の選択肢を狭めてしまっている。 対中関係について、首相はかつて「日本には、1972年の田中角栄首相の訪中、日中 国交正常化以降、友好至上主義がはびこってきました」5とか、「日本の国益について、少 なからぬ人々は中国との緊張関係を緩めて、ビジネスで利益を上げることだと考えていま す。しかし、いま中国に靖国問題などで譲れば、ほかの問題についても強い態度に出てこ ないとはいい切れない。それは長期的に見て国益を損なうことにつながります」6と発言し ている。安倍首相が「国民の生命を守る」と言いつつ、平和ではなく戦争ばかりを語るの は、こうしたアジアの隣人への硬直した姿勢のゆえであろう。 かえ なお 以前、安倍首相は、吉田松陰が好んだ孟子の言葉、「自ら反みて縮くんば千万人といえ ども吾行かん」を挙げながら、「政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである」 7 と書いていた。政治家としてはともかく、 国民の定める憲法のもとで行政権を預かる行政 の長の姿勢としては、どうであろうか。 現実に首相は、2月12日の衆院予算委員会で、解釈改憲による集団的自衛権の行使に ついて聞かれて、「先ほど来、法制局長官の答弁を求めていますが、最高の責任者は私で す。私が責任者であって、政府の答弁に対しても私が責任を持って、その上において、私 たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ」という発言をしている8。 安保法制懇の報告書を受けての5月15日の記者会見でも「与党協議の結果に基づきま して、憲法解釈の変更が必要と判断されれば、この点を含めて改正すべき法制の基本的方 向を、国民の命と暮らしを守るため、閣議決定してまいります。今後、国会においても議 論を進め、国民の皆様の理解を得るための努力を継続をしていきます。十分な検討を行い、 準備ができ次第、必要な法案を国会にお諮りしたいと思います」と述べている。安倍首相 の政治手法は、物事を決する主体は内閣(と与党)であり、国民は彼らが決めたことを理 解し実行する客体にすぎないという姿勢で一貫している。 中国には「法の支配」を説く首相だが、国内における法の支配、すなわち立憲主義を無 視しようとしているのが現状ではないのか。権力を現実に行使する行政権が、権力への歯 止めとして課された制約を自ら破るとなれば、民主主義は死に瀕することとなろう。 行政府が立法権を握るという、ナチスの「全権委任法」を引合いに出すのが大げさでな い事態が近づきつつある。 1 安倍晋三『新しい国へ』 (文春新書、2013 年)、254 頁。初出は『文藝春秋』2013 年 1 月号。 安倍晋三、岡崎久彦『この国を守る決意』(扶桑社、2004 年)63 頁。 3 PHP 研究所編『安倍晋三対論集 日本を語る』 (PHP 研究所、2006 年)225 頁。宮内義彦との対談で の発言。 4 外務省ホームページに記載。http://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/nsp/page4_000496.html 5 『この国を守る決意』161 頁。 6 『安倍晋三対論集』51 頁。櫻井よし子との対談。初出『Voice』2005 年 8 月号。 7 『新しい国へ』44 頁。 2
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