四方山話(ドローンに思う)

四方山話(ドローンに思う)
昨今、ネットやニュース、新聞を度々賑わせている小型無人機(ドローン)。4 月 22 日
に首相官邸の屋上で小型の「ドローン」が発見された事件以来、その危険性がにわかに問題
視され、ドローン規制に動き始めています。今後、問題・犯罪が起こる前に規制をするとい
う考えは十分分かりますが、ドローンそのものが「悪」のような扱いを受けている感すらあ
ります。本来、ドローンはもっと有益な使用方法の可能性が探られるべきものだったのでは
ないでしょうか?私が言うまでもありませんが、ドローンが悪いのではなく、そのような使
い方をする人間の問題であるということに意識を向けなければなりません。規制がないから、
法がないから何をしてもいいのでしょうか?
子どもとの関わりの中でよくある一コマです。
「なんであんな悪いことをしたのですか?」「先生!ぼくだけではありません。」・・・とて
も残念な気持ちになります。
規制がないからやっていい。ぼくだけではないからやっていい。どちらもどこか無責任な
意識を感じます。過ちをおかしてしまうことが悪いことだとは思いません。ある意味、過ち
を繰り返しながら生きているのが人間です。しかし、最近のニュースやネットを見るたびに、
日本人は、大事な何かを忘れてしまっているのではないかと感じます。
人はともすれば、自分中心に考え、自分がよければいいと考えがちです。自分の身を守る
のは、人間の本能でもありますから、いたしかたない面はあります。しかし、それがまかり
通ってしまうと、人を困らせたり、傷つけたりすること、自分本位で振る舞うことが当たり
前になってしまいます。特に最近のネットの炎上はいかがなものでしょう。些細なことの揚
げ足をとり、無責任な言葉で攻撃し、あっという間に人を悪者に仕立て上げる行為は、自分
がおもしければそれでいいという悪意すら感じてしまいます。
そくいん
じょう
「惻隠の 情 」という言葉があります。「惻」は、同情し心を痛める意。「隠」も、深く心を
痛める意。今、私たちが大切にしないといけない心は、相手の立場になって想像し、物事を
感じ取る力ではないでしょうか。
未曾有の被害を被った東日本大震災。あの混乱の中で、暴動や略奪が起こることなく、被
災地の人々、全国の人々が、力を合わせて、救助・支援に一丸となって動いた国民性が、世
界で驚きの声とともに、賞賛されました。「和を以て貴しと為す」という文化・精神を連綿
と受け継いできた世界に誇るべき私たちの国民性はまだまだ捨てたものではありません。今
一度、日本人が大切にしてきた心を思い出してみたいと思う今日この頃です。