わたしのばらいろ

中学・エッセイ・佳作
わたしのばらいろ
ろうか。
【佳 作】
私はまだ十五年しか生きていない。だからまだまだ色をまぜ
て、ばらいろをつくっている途中だ。この先、どんなふうに色を
足してばらいろが出来上がっていくのかは、自分にも分からな
い。
河本 菜々子 (和歌山県 和歌山大学教育学部附属中学校) 今は、受験に向かってひたすら進んでいる毎日だ。この毎日は
とても辛い。どこにいても、何をしてても、「受験生」と「勉
強」の文字がぐるぐるとつきまとってくる。この文字たちから逃
げても、ものすごいスピードで追いついてくるし、逃げた分だけ
「ばらいろ」とは、幸福や希望にあふれた色のことで、よくみ 「合格」の文字が遠ざかっていくような気がする。こんなかんじ
ん な が 「 薔 薇 色 の 人 生 」 と い っ て そ れ を 夢 見 て い る の は 、 こ う で憂鬱なことばっかり考えて落ちこむ毎日。今は辛い。でも、こ
いった意味があるからだろう。
うやって過ごした日々の色が、私の「薔薇色の人生」をつくって
そこで私は考えてみた。ばらいろはどうやってつくるのかを。 い く た め に は 、 必 要 不 可 欠 な の だ ろ う 。 こ の 日 々 を 乗 り こ え た
絵 の 具 で つ く る と し た ら い ろ ん な 色 が 必 要 に な る と 思 う 。 赤 と ら、前よりもずっと美しいばらいろが待っている。そう思うとが
か、白だけじゃなくて、黄色や橙色、もしかしたら青色や緑色も んばっていける気がする。
まざっているかもしれない。こうやって、いろんな色をあわせて
こういった色たちは、本当に小さなことにも隠れていると思
ばらいろをつくることが出来るなら、「薔薇色の人生」だってい う。でも私たちは、小さな悲しみに隠れた色を見つけることはで
ろんな経験を積み重ねていけば、いずれ完成すると思った。
きても、ほんの小さな幸せに隠れた色を見つけることが苦手なん
その完成したばらいろは人それぞれ色の感じが違う。悲しみや じゃないだろうか。大きくないと幸せと感じられなくて、あたり
涙の多い経験をたくさんしてきたなら青色の割合が増えるし、勝 まえのことだと思ってしまう。そしてそこにある色も見つけられ
負事に燃えた経験が多いなら赤色の割合が増えるだろう。今まで な い の だ 。 こ の 小 さ な 幸 せ に 気 づ か な い ま ま 失 っ て し ま っ た と
き、初めてその幸せに気づく。これではもうおそい。そうならな
いために私は、小さな幸せも大事に集めていこうと思う。
今、自分のつくっているばらいろが変な色だとしても全然かま
わない。それはたくさんの色をまぜたという証なのだから。最終
的には、幸福や希望に満ちあふれたばらいろが出来上がって、そ
れまでの人生を「薔薇色の人生」と呼べる日が来るだろう。私も
の人生の色が、他の人から見て、明らかにばらいろじゃなくて
も、その色をつくってきた本人自身が完成した色に対して幸福や
希望を抱いたのなら、それはもう、「ばらいろ」なんじゃないか
と思う。お金持ちになって、大きな家に住んで、欲しい物は手に
入れて…という毎日を過ごしていても、一つの色しか増やすこと
が出来ない。これを「薔薇色の人生」とは呼べないのではないだ
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今それを目指してばらいろをつくっている。私だってきっと、最
後には「薔薇色の人生」と呼べる人生になっているだろう。楽し
みだ。
ちなみに、私の今のばらいろは、少し青みがかっている。
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