応用ドラマ・プロジェクト<企画の趣旨> いま全国を吹き荒れる「いじめ」 「いじめを理由とする自殺」の問題に多くの人々が心を痛め ています。他者を認められない社会、他者と違ってはならない多様性を受け入れられない社 会、それでいながら、自分は特別であり、自己実現しなくてはならないという義務感のため に精一杯で青少年たちは方向性を見失っているかのように見えます。守るべき存在は自己だ けであり、他者の思いを聞くことも、省みることができない。社会にでて仕事を得ても他者 と協働が出来ないために長続きしない…。 演劇や、その特性を活かしたドラマ教育は、「いじめはいけない」「他者を尊重しなさい」と 教条的に教えるのではなく、ごっご遊びやゲームを通して、また自己を傷つけないために距 離を持った「虚構」の自己を通して、自分と他者を「リフレクト」し、 「同一化」する機能に 優れていると考えられています。ドラマ教育においては、自己の一部のなかで、他者の痛み を、他者の悲しみに出会うことで、青少年は健全な自己中心性を育てていけるのです。 日本においても、演劇的手法を活用した青少年のためのドラマ・ワークショップを開催され る機会が増えてきました。指導する人材も増加とともに、その内容も多様化しはじめていま す。しかしながら、重層的構造を活用しうる素材でありながらも、私たちのなかで長く培わ れてきた教条的、知識的教育のために、かえって直截的な教育に結びついたり、また俳優ト レーニングと明確に区分されてこなかったために技術の取得自体が目的となってきたのも事 実です。青少年のもつ想像力を他者理解につながる共感や、問題解決につながる創造性に高 めるための、演劇というメディアのもつ教育的特性を活かした重層的なプログラムづくりが 求められているのを実感しています。 いじめを生む温床には、日本社会にはびこる人権意識やシティズンシップの感覚の欠如があ ると思われます。多文化社会での経験豊かな外国人講師の客観的な視点を借りながら、人権 やシティズンシップや、自分たちひとりひとりの物語に着目し、ドラマというメディアを活 用していくワークショップを通して、親でもある指導者たち(教師、演劇人、コミュニティ・ ワーカー)、また自分たちの責任で自分たちの問題を解決していくという視点から高校生たち とともに探っていく、そして、その成果を広く分かち合えるものとするというのが、 「応用ド ラマ・プロジェクト」の目的です。 いま欧米そしてオーストラリアなどで、これまでの学校でのドラマ教育や演劇人によるシア ター教育、開発演劇や福祉演劇、あるいは青少年自らの活動としてのユース・シアターを、 「応用ドラマ」として新たに見直す契機が生まれています。これまで芸術性を目的としないド ラマ教育などは、演劇学のなかで、また演劇実践のなかで一段低いものと見なされてきたこ とに対する「リスポンス」ともいえる動きです。今回、招聘予定のロンドン大学のヘレン・ ニコルソン博士は、まさに「応用ドラマ」の確立のために尽力する優れた指導者として知ら れる逸材です。
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