作文部門 優秀賞 — 日本と台湾を結ぶ絆 “平和な心” フジサンケイ し ビジネスアイ賞 みず のぶ たか 清水 信敬 板橋区立板橋第一中学校 1年 “終戦の玉音に泣く戦友の中台湾人われ1人混りゐき” 僕は台系二世の日本人です。この短歌は僕の外祖父が生前詠んだものです。僕は今13歳 奨励賞 です。小学生の時、周りの友達に、 「あなたって、何人? 日本人?」と聞かれたことを機に、自 分は台系二世ということをあまり口にしなくなりました。中学生になって、二学期の始め、クラ スに外人の転入生に入ってきました。言葉、習慣などのすれ違いによって、クラスの揉め事が 一気に増えて、台系二世で学級委員の僕は悩みました。その時、母がくれた外祖父の詩集の 中で、 僕はこの短歌と出会いました。10代の外祖父も同じの悩みがあったと思うと気持ちは 特別賞 とても楽になりました。 世界には元々いろいろな国、文化、習慣があって、人によってもいろいろな性格、価値観を 持っています。時には、ぶつかり合い、対立が起こることは仕方がないかもしれません。けれ ども、日本と台湾は、どうして常に友好的な関係を保っているのかと僕は思いました。外祖 父の詩集の短歌を詠んでいく中で日本と台湾は、 “平和の心”という固い絆で結んでいるの ではないかと思います。台湾はオランダ植民地統治、鄭成功政権、清朝時代を経て、日清戦 争後の下関条約に基づいて、大日本帝国に割譲されました。もちろん、最初は抗日武装運動 が絶えませんでした。長い間、戦乱に巻き込まれた台湾は、大日本帝国の外地として台湾総 督府の統治下に置かれたことによって、本格的に開発されました。まず、交通網の整備をはじ め、大規模水利事業、義務教育制度の施行などの政策によって、台湾はようやく近代化の第 一歩を踏み出しました。その矢先に、太平洋戦争が勃発しました。僕の外祖父と同じ年代の 若い者は、 “平和な未来”という夢を信じて、国、民族、文化の壁を越えて、外祖父の短歌の 一首のように “大東亜共栄圏を真に受けて捨石たれと特幹志望せり” 日本兵を志願しました。 終戦後、日本から台湾へ帰って高校教師になった外祖父は、戦争のことについて、このよ うな短歌を詠みました。 “8月が来れば戦争を思ひ出す昭和一桁の習性かなし” 外祖父は、戦争をなくすために、人間はもっと相手を尊重し合って、話し合うことを通じ て、お互いの理解を深めるべきだと思っていたそうです。だから、晩年短歌を詠みながら、そ の漢文訳を通じて、教え子に日本の様々な文化、思想などを伝えていました。 僕も “平和な心”を持っているなら、人間はきっと相手の気持ち、立場を理解しようとする と思います。そうすればお互いにもっと真剣に話し合えると思います。僕のクラスもそうです。 みんなはやっぱり平和な日々を望んでいます。話し合いを重ねることで、僕を含めみんなが “お互いの思いやり”の大切さに気づけてはじめて、そのおかげで、今毎日学校の生活が楽し く、幸せなのだと思います。 今年、第二次世界大戦終結70年を迎える日本は今、政治、経済などあらゆる面において 転換期にさしかかっています。年始の新聞も中国、韓国との関係、ロシアとの北方領土返還 問題や、憲法の改正などの記事、そんなニュースの中で、僕は“トヨタ、水素カー特許公開” というニュースに注目しています。CO2を出さない水素カーを売り出すとともに、その特許約 5,680件を無償で世界に公開するというニュースです。これは単にトヨタ流の販売戦略かも しれませんが、僕はこの戦略によって、地球環境や人にやさしい商品、アイデアがどんどん世 に産み出されるのはとてもいいことなのだと思います。 “儲ける”よりこの世のため人のための “平和な心”を持つビジネスのやり方こそ、世界の幸せをもたらすと僕は思います。そして“平 和な心”がある限り、日本と台湾との絆は永遠なものだと信じています。ですから、台系二世 の僕は外祖父の“日本と台湾を結ぶ虹となり21世紀に羽ばたけ孫らよ”という期待を胸に刻 んで、今日も胸を張って強く、正しく、明るく生き、そして人のため、社会のため、きっといつか 日本と台湾との架け橋になれるように頑張っていきたいです。
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