時事フランス語 和文仏訳の約束事 第 4 回 翻訳にとりかかる前に(2

時事フランス語 和文仏訳の約束事
第 4 回 翻訳にとりかかる前に(2)
彌永康夫
前回に引き続き,実際に翻訳作業にとりかかる前に,翻訳者としてあらかじめ考えておかなく
てはならない,いくつかの重要な点を指摘しておきたい。
一般教養を持つ
まず,あらゆる分野にわたって一般教養を持つことが大切である。私たちは日常,新聞を読ん
でいるとき,どのような記事でも大体の意味を理解しているつもりになっているが,いざそれを
外国語に訳そうとしてみると,かなりあいまいな知識のままでいることが多いことに気づくもの
である。しかし,あいまいな解釈しかできない文章を翻訳すると,その結果はますますわけがわ
からなくなる。何よりも,自分が何を書こうとしているかを正確に掴まなければ,読む人にわか
ってもらえる文章にはならない。ましてや外国語で書くとなれば,なおさらのことである。
時事問題はますます専門化している。地球の大きさは変わらないとしても,交通や通信の手段
が発達するとともに,かつては無関心でいられた地域や国の動きが,私たちの日常生活に大きな
影響を及ぼすこともあるようになった。
時事問題となるテーマも,政治や法律,経済だけでなく,金融,科学・技術など広範な分野に
わたっている。もちろん,すべてにわたって専門的な知識を持つことは不可能である。しかし,
それだけになおのこと,新しい話題が登場するたびに,それが持つ意味ぐらいは理解できるよう
に日頃から努力を怠らないようにしたい。
調査能力を高める
次に,あいまいな点を確かめ,理解できないことを調べる能力である。最近ではインターネッ
トという便利な道具があることだし,調査の手段はかつてと比べれば格段に多く,かつ充実して
いる。それを生かさない手はない。
実際,私が実務についていた頃は,外国の地名や人名など固有名詞の綴りを調べるのは大変な
仕事だった。なかんずく,中国や韓国など,漢字で表記されるものがローマ字ではどうなるのか,
フランス語と英語でさえ同じでないのだから,気が付くたびにメモを作って保管しておかなけれ
ばならなかった。
同様に,経済であれ,科学・技術であれ,専門用語がわからないと,百科事典を調べて,さら
にそれに対応するフランス語の言葉を見つけるために何時間どころか,何日もかかったことがあ
る。
それに比べれば現在は,
『ウィキペディア』をはじめとして,ネット上で簡単に利用できる知識
の蓄積は,ほとんど無尽蔵とさえいえる。もちろん,それらがすべて信頼できるわけではないが,
たとえ注意深く確認しなければならないとわかっているものでさえ,簡単に手に入れることがで
きれば,翻訳を進めるうえで大きな助けになる。むしろ問われているのは今や,そうした情報源
をいかに「利口に,かつ正しく」利用できるかということではないだろうか。
インターネットを利用して時事問題に関連する知識や用語を調べるためには,フランス政府の
各省庁が設けている公式サイトや UE の議長,議会,委員会など諸機関のサイト,さらには『ル・
モンド』をはじめとする主要新聞や France 2 などのテレビのサイトを定期的にみるとよい。また,
国連やその専門機関の大半は,重要な情報や基本資料を国連の各公用語で公表しているので,必
要に応じて参考にするとよい。
仏仏辞書で確認を取る
さらに,辞書の使い方も挙げなければならない。和仏や仏和を使わないわけにはいかないが,
それだけでこと足れりとせず,必ず仏仏の辞書で確認を取ることを習慣づけなければならない。
辞書にも時代とともに変遷がある。かつてはフランス語の辞書と言えば,Larousse と Hachette
が最大手だった。たとえば,日常的なフランス語を書く上で手軽でしかも便利な辞書と言えば,
Laroussse の DFC(Dictionnaire du français contemporain)と言われていたが,現在ではたまに古本
で見つかるぐらいのものだろう。
同じように,同義語辞典として私がもっとも重宝したのは,Hachette 社から出ていた Dictionnaire
des synonymes だが,今や絶版になっているようで,FNAC で調べた同義語辞典には出ていない。
その一方で,Le Robert の占める地位は大きくなる一方のようである。Le Petit Robert はもちろん,
同じく Le Robert から出版されている Les Usuels と称する辞書のシリーズは,同義語や単語の組み
合わせ,綴りなどを扱う専門辞書を含み,多岐にわたって手ごろな価格とサイズのものを提供し
ている。さらに,2014 年に入って,PC 上で使う一種の総合辞書 Le Robert Correcteur が登場した。
スペル・チェックだけでなく,文法や文体の問題点を指摘するうえに,同義語,反対語,用例な
どを一つのソフトにまとめて,ワードなどに組み込んで使えるようになっている。文法や文体に
関する指摘には時として煩わしいものもあるが,必ずそれを利用しなくてはならないわけではな
い。
同じくデジタル辞書 Antidote にも触れておかなければならない。これはカナダのフランス語圏
ケベック州で開発・発売されているもので,用例や語彙説明に時としてカナダに特有のものが見
られるのは否定できない。しかし,この辞書の最大の特徴は用例の豊富さにあり,基本語などで
は数百を超える例文を見ることができる。デジタル版の長所を生かしているという意味からも,
これからますます利用価値が高まるに違いない。
デジタル辞書と言えば,ネット上で利用できる辞書類もかなりの数に上る。それらを一覧表に
したサイトとして les-dictionnaires.com を挙げておこう。
時事・マスコミ関係用語を習得する
とはいえ,いかに優れた辞書でも十分にはカバーされていない時事関係用語については,フラ
ンス語の新聞や雑誌を幅広く読んで,自分なりの用語集あるいは単語帳を作成する必要がある。
実際,時事問題が複雑で専門化すればするほど,新しい言葉が次から次へと登場する。そして,
フランス語にも英語の影響が日増しに大きくなり,かつて Etiemble が franglais という造語で揶揄
した現象は,もはや手の施しようがないほどの広がりを持っているかのようである。憲法で国の
公用語はフランス語と定めているとはいえ,そして,とくに経済や IT に関連する専門用語で外来
語をフランス語化するために多大な努力を続けているとはいえ,日常生活における英語の浸透は
留めようがないように見える。
それにもかかわらず,フランス政府の公式機関である「学術語・新語全国委員会 commission
nationale de terminologie et de néologie」や,主要省庁に設けられている専門用語委員会,さらには
「フランス語・フランス国内語総代表部 Délégation générale à la langue française et aux langues de
France」が進めている,専門用語のフランス語化の努力には頭の下がるものがある。
マスコミ特有の表現にも気をつける必要がある。例えば,
「背景にある」
。これはきわめてマス
コミ的な言い回しである。それを和仏辞典で調べると,arrière-plan, fond, contexte, cadre, toile de fond
などが出てくるが,
「A の背景には B がある」という,マスコミでよく用いられる用法は見つから
ない。もちろん,辞典に出ている単語を使うことは可能だが,それをどのように組み合わせるの
かが問題である。
一例として arrière-plan でみると,à l’arrière-plan de A se trouve B あるいは B constitue l’arrière-plan
de A ということになるだろうが,これを上に挙げたその他の単語それぞれについても確認しない
と,単語を単独で知っていても使い物にはならない。しかも,これだけで「背景には」の訳し方
を全部見たわけではない。これらに加えて,たとえば A s’explique par B とか,B est à replacer dans
le contexte de A, sur fond de B, A ...など,種々の表現方法が考えられる。そのどれを使うかは,それ
ぞれの文脈や,前後で使われている言葉によって異なるのである。
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