を 歩 け ば ︱︱︱︱ 栢木寛照 琵琶湖疏水にこだわっているわけでもない が、今回はその疏水がたどり着く伏見まで足 を運び、深草から伏見稲荷大社とその周辺に 行ってみたい。琵琶湖疏水は、大津で取水さ れた水が各地に分線送水され川端夷川まで開 通した。その後伏見に向け延長工事が行われ、 明治二七︵一八九四︶年九月に竣工し濠川へ 合流、その先淀川へつながった。 伏見稲荷大社はJ Rなら稲荷駅、京阪電車 なら伏見稲荷駅で下車。表参道と裏参道があ り、裏参道には神具店や飲食店が並んでいる。 どちらを通っても桜門前で合流し、本殿に参 拝の後、本殿裏手に出て少し進むと千本鳥居 でトンネルになった二本の参道がある。 この千本鳥居をくぐり直進 すると奥の院へ参拝でき、そ こからお山巡りができる。こ の稲荷山には大小一万本ほど の鳥居が奉納されている。山 の各所に一万基以上のお塚が あり、その神々のお塚をお守 りするためと、参拝者の休憩 所として神具も販売する茶屋 が辻々に置かれている。三〇 ∼四〇分ほどかかるが四ッ辻 まで行くと京都市内の町並み を眺めることができる。 ほど行くと高さ一㍍ほど り、南へ折れて二〇〇㍍ 今は使われていないが、かつては近所の農家 に、茶碗子の水と呼ばれる名水の井戸がある。 西へ曲がって少し行った道路脇の地蔵堂の横 千本鳥居をくぐる手前に戻 のぬりこべ地蔵尊を祀る 真に良い水らしい。地元の年長者の話では、 の共同水場であった。 ﹁茶の湯に可なりとて好 れる。治るとお礼に塗り箸を奉納するな 明治の初めころまでは伏見街道まで木管が引 人これを賞す﹂とあるように、茶をたてるに らわしがある。かつては歯痛治癒祈願の かれ、往来する人、牛馬の飲み水として利用 ば歯痛が治癒すると言わ ために手紙やはがきが各地から寄せられ されていたと伝えられている。 れてきたらしい。 峰寺は宝永年間︵一七〇四∼一一︶黄檗 ぬりこべ地蔵尊の前を南へ一〇〇㍍ほ ど行くと百丈山石峰寺の標柱がある。石 は伏見が発祥らしい。調査して次に続けたい かつては陸軍の施設もあり、日本最初の銀行 禅寺である。境内に入れてもらうと竹や ぶの中に五百羅漢像がいくつかの群れに 分けて祀ってある。釈迦の一代記を表現 しているそうである。 荷 稲 草 深 石峰寺 ●五百羅漢 ●茶碗子の井戸 この五百羅漢は伊藤若冲が素描を描き、 石工が彫ったもので、長い年月風雨にさ 伏見稲荷 ●ぬりこべ地蔵 稲荷山 ▲ 伏見稲荷大社 らされてきたので目鼻立ちは判別できな いが、つくづく見守ると誰かの顔が現れ る気がする。若冲は京都市中の人で、狩 野派や琳派を学び、晩年は石峰寺の門前 に住まいし、入寂後この石峰寺に墓が建 立された。石峰寺には十字の刻まれたキ 石峰寺を出て石段下を南に向かいすぐ リシタンの地蔵も祀られている。 四ッ辻 京阪本線 琵琶湖疏水 線 奈良 JR ︿ か や き か ん し ょ う ﹀ 比 叡 山 延 暦 寺 慈 光 院・ 比 叡 山 麓 三宝莚・天台宗金乗院・天台宗浄光院住職。一九四六年、 滋賀県生まれ。著書に﹃親が育てば、子も育つ﹄など と思う。 伏見は面白い土地である。酒どころとして 知られている以外にも、呉竹の里とも呼ばれ、 ﹁伏見区深草ぬりこべ地蔵様﹂で配達さ ほこらがある。祈願すれ 上:稲荷山山頂まで続く千本鳥居の参道 左:歯痛封じで有名なぬりこべ地蔵 山万福寺の第六世千呆禅師が創建された 上:石峰寺の五百羅漢像 左上:茶碗子の井戸 左下:稲荷山の四ッ辻からの眺め 5 2014 初夏 No.484 三洋化成ニュース 6 深草から伏見稲荷の辺り 318
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