中世イタリアのヒューマニズム

中世イタリアのヒューマニズム
『神曲 Jにみられる愛と知性一
前田信剛
1
3世紀後半から 1
4世紀前半にかけてのルネッサンス前夜のヒューマニズムの運動
は,当時,ようやくラテン文化に持ち込まれ始めたオリジナルテキストに基づくギワ
シャ古典を受容することから始まった I)。いわゆる人文主義とは,中世のキリスト神
学の束縛から人間を解放し, 自由の獲得をめざすことをその呂的とした。
ところが,初期ルネッサンスにおけるヒューマニズムの人間に対する認識は,神学
の観念から自立したものではなく,伝統的な神認識の中に存在するものであった。よっ
て,人間の自由や尊厳は神に保障されたものであって,神に故対するものでは決して
なく,神の患寵から生じる愛の意思表現であると考えられた。
例えば,
トマス・アクイナス(ThomasAquinas1224/25-74)は,従来,神学の中心
を占めていた教父神学から新プラトン主義に続くスコラ学の風潮のやに,当時,招来
r
i
s
t
o
t
e
l
e
s前 384-322)などによる自然哲学を調和
されつつあったアリストテレス(A
させることによって,神のもとに保障されるべき人間性の自由を表現した九ボナヴェ
ントゥラ(Bonaventura1217
/
2
1
-74)は,やはり哲学に関しても,それを自立した学
問としては認めず,神学の範轄における人間理解の一手段に過ぎない物として,存在
対象,いわゆる入閣を含むすべての存在を絶対者である神から客観化して論理的に分
析することを強く否定した。そして,人間の理性は信仰の光の下に存在するものであ
り(燕明説 3)),人間の認識は神への上昇の道として行われることから,それらは,
すべて神学の中に含まれるものであると規定した九
クラウス・リーゼンフーパー著,矢玉俊彦・佐藤直子訳『西洋古代・中段哲学史J平凡社,
2
0
0
0年
, P263
2
) 向上 P
3
0
5
3
) アウグスティヌス箸,線部英次郎訳『告白』下 第十巻第二十七議,岩波文庫, 1
9
7
6年
,
P
5
1
4
) クラウス・リーゼンフーパー 前錫書, P
2
7
1
,P
2
7
2
1
)
官事教大学総合研究所紀要第 1
1号
1
8
しかしながら,皇帝権・教皇権の失墜,市民階級の活躍による封建社会体制の崩壊
などによる中世社会の危機と変革は,富家の分立を人々に意識させ始めた。そして,
これらの影響は,哲学・文学などの学問(「中世の三学・四科 5)」)の世界にもおよび,
結果的にそれらの世俗化を加速させた。このような時代背景の中で,人間性の確立を
自的としたヒューマニズムが,宗教的超越性を乗り越え,それを否定する方向を目指
すことは当然の推移であった。神学の論述への応用を目的として,アリストテレスな
どのギリシャ哲学を積極的に導入した神学者たちの功績が,逆に異教徒の哲学・文化
に対する研究者たちの興味を呼び覚まし,
ヒューマニズムの運動への下準備となった
ことは,大変皮肉なことであったへ
さらに,ルネッサンス中期になると,ギリシャ古典の研究の進歩にともなって急速
に原典への回帰運動が起こり,オリジナルテキストの研究が活発化した η。これらの
研究は,結果的に,神学と哲学の分離のための多数の題材を提供することとなった。
i
c
i
n
o1433-99)は,霊魂と古典時代の音楽のハーモニーの関
フィチーノ(MarsilioF
叩 e
l
l
a1568-1639)は,
係について言及しており 8),後のカンパネッラ(TommasoCamp
宇宙論に関して,天体の運動による物質に対する影響について論述している 9)。彼ら
によって,次第に神学の範顕を超えたア・プリオーリな概念分析が進められ,信仰と
知性は,神学によって関連付けられていた経験と概念を取り払い,神学と他の学問は,
徐々に分離へと向かうのである。
文学に関しては,
トゥルヴァドウール文学によるプロヴァンス詩に影響を受けた古
典詩のテクニックによって表現される持情詩が発展し,主流となった。そして,この
スタイルは「清新体J“
(l
ad
o
l
c
es
t
i
l
enuova")と名づけられ,
13世紀以降のルネッサ
ンス文学の方向性を暗示した。また,所謂,その主題はギリシャ古典への回帰運動に
少なからぬ影響を受けており,新プラトン主義による理想的な愛を描くことを理想と
するものであった 10
。
)
5
) 「文法J
・「弁証」・「修辞」の 3つを「三学j,「算術J• r
幾何」・「天文」・「音楽」の 4つを「四
科Jとし,これらは,中世において,最も大切な学問とされた。
6
) イタリアのヒューマニズムについては, E
.G
a
r
i
n
.
,L
'
u
m
a
n
e
s
i
m
oi
t
a
r
i
a
η
,
刀B
a
r
i(
1
9
5
2
)(
Wイタ
リアのヒューマニズム J 清水純一訳 創文社 1
9
8
1年)に詳しい。
7
) ギリシャ古典の研究については,フィレンツェ公会議( 1
4
3
1
4
5)が一つの契機となったが,
それと前後して,ギリシャよりオヲジナノレテキストを持ち帰った幾人かの学者がいる。その
一人チリアコ・ダンコーナ( C
i
r
i
a
c
od’
Ancona1
3
9
1顎 1
4
5
25
5)の功績が大きい。彼の伝記
については, G
.B
.DeR
o
s
s
i
.
“
,DeC
y
r
i
a
c
oP
i
z
z
i
c
o
l
l
iA
n
c
o
n
i
t
a
n
o
"
,I
n
s
c
r
i
p
t
i
o
n
e
sC
h
r
i
s
t
i
a
n
a
eU
r
b
i
s
,Roma(
1
8
8
8)に詳しい。
R
o
m
a
e
,2
8
) D・P・ウォーカー著,出口清一訳 Fノレネサンスの魔術思想』王子凡社, 1
9
9
3年
9
) トンマーゾ・カンパネッラ著,浮井繁男訳『ガリレオの弁明Jちくま学芸文庫, 2
0
0
2年
C
a
m
p
a
n
e
l
l
a
.
,A
p
o
l
o
g
i
ad
iG
a
l
i
l
e
o
,S
t
r
e
n
n
a
,T
o
r
i
n
o(
1
9
6
9
)
ダンテとヨーロッパ中世』みすず書房, 1
9
9
5年
1
0
) ル一ドルフ・ボノレヒヤノレト著,小竹澄栄訳 f
中世イタザアのヒュー 7 ニズム
1
9
このような哲学や文学の世俗化額向の風潮の中で,各地方におけるナショナリズム
の興隆とともに,言語についても当時のヨーロッパの中心言語であったラテン語離れ
が始まり,地方性豊かな方言に対しての人々の意識が徐々に高まり始めた。それは,
文学作品などの読者が,従来のラテン語を理解するような一部の選ばれた人々(支配
階級,貴族,豊かな中産階級・知識階級)だけではなく,一般大衆にまで‘広がったこ
とにも起罰するのである。
ダンテ(DanteA
l
i
g
h
i
e
r
i1265-1321)の『神曲』(“Lad
i
v
i
n
acommedia
”)は,このよ
うな初期ヒューマニズムから中期とューマニズムへの過渡期を代表する最も初期の文
学作品の一つである。それは,ラテン語ではなく,俗語であったトスカーナ語(イタ
ザア語)で、書かれたことによって,文学の世俗化を推し進め, ヒューマニズムの運動
のさきがけとなった 11。
)
ただし現在では,ペトラルカ(F
r
a
n
c
e
s
c
oP
e
t
r
a
r
c
a1304-74),ボッカッチョ( G
i
o
v
a
n
n
i
B
o
c
c
a
c
c
i
o1313-75)とならんで,イタジア初期ルネッサンスを代表する文学者の一人
と評されるダンテではあるが,当時は,他のこ人ほどの高い名声を得ることは出来な
かった。
例えば,『神曲』についても,彼の死後,ボッカッチョによる最初の『神曲J講義
によって初めて世間一般に紹介されたのであって,それまでは,一部の近親者によっ
て知られているに過ぎなかったのである
1
2)。その他についてもダンテの死後,散逸
。
)
していたものを後世になって収集された作品が多数見られる 13
しかしながら,彼が『神曲』に描いた地獄から天毘に至る t
辻界に含まれる,神学的,
質学的,或は,文学的エッセンスは,賛否両論をふくめて,その後のヒューマニズム
神曲Jに表
に少なからぬ影響を及ぼしたことは紛れもない事実である。とりわけ, f
現される宗教観,人間観は,それ以降の哲学や文学を含めた芸術の分野に沸き起こっ
たヒューマニズムの運動に対して,神と人関の関係についての一つの指標を提供する
こととなった。
1
1
) ダンテは,未完の論文『俗語論I
J“
(Dev
u
l
g
a
r
ie
l
o
q
u
e
n
t
i
a
”)において,ラテン誇に対する
俗誌の問題を扱っており,イタリア語の方言について言及している。
1
2
) ボッカッチョは, B畏
, f
神曲』を一般に公開講演をしたいと際っていたが,ついに,
1
3
7
3年 1
0月 2
3日より,フィレンツェのサン・ロレンツォ教会において「地獄Jの講義を開
神出』の一般化
始した。病気のため志半ばにして,中止せざるを得なくなったとはいえ, f
に大きく貢献した。
1
3
) ダンテは,政治的な問題によって,フィレンツェを追放された。よって,それ以前の著作は,
をになって,ダンテ研究者などによって収集
全く数逸してしまった。今あるテキストは,後t
されたものである。『神曲Jに関しても散逸を逃れた唯一のテキストであるが,現在残って
いる物は,フィレンツェのオリジナノレではなく,後世の写本である。
2
0
係数大学総合研究所紀要第 lH
予
以上のようなイタリア・ルネッサンスにおけるダンテの立場に配躍しつつ, f
神出J
に描かれる神と人間の対立と融和の問題を考察していきたい。
*
最初に,向時代のイタリア文学の傑作とされるボッカッチョの『デカメロン』
ecamerone”)との比較によって,『神白』の文学的な特徴を切らかにしたい。
“
(D
これまでも,『神白』は『デカメロン』としばしば比較対黙されてきた。それは,ボッ
カッチョが,『デカメロン』に捕かれている数々の素材(登場人物など)について,
多くのヒントを『神曲』から得ているというテキストの棺似性という一部よりも,む
しろ,当時のヒューマニズムにおいて,両者が対極的な側面を持つことによるのでは
ないかと思われる。
その点については,両者の選択した執筆スタイルにおいて,表現方法の方向性の相
違として明らかである。つまり,『神曲』が,すでに,詩体としては古いスタイルに
なりつつあったソネットを採用することに対して,(当時は,韻文[パッラータ]が
中心であった)『デカメロン』は,新しいスタイルであった数文による。
確かに,『デカメロン』以前の初期ルネッサンスにおいても数文による多数の著作
が認められる。例えば,ダンテ自身, F
新生j “
(V
i
t
an
u
o
v
a
”)や『饗宴j “
(C
o
n
v
i
v
i
o
)
”
。
)
などに数文の形態、を取り入れ,それを主体とした詩集をこの世に送り出している 14
ただし,その中に描かれる主題は大いなる永遠の愛(「新プラトン主義」による恋愛
術に基づくもの)であり,現実的ではない理想の世界を描く恋愛詩であった。要する
にダンテは,内容的には,
f
清新体」の優雅さや調和を取り入れながら,その表現形
態を散文に移し変えることを試みたのであって,そこに播かれる主題は,まさしく「清
新体Jに影響を受けた理想、の世界を描くものであった。
対して,ボッカッチョは,『デカメロン Jにおいて,新しい散文のスタイルを確立
することに挑戦する。例えば,文章形態に関しては,最初に章立てを確立して完全文
として構成することを意識した。そして,その中に一つ一つの主要概念を独立した形
で存在させ,その屑圏に論理的に他の構造物を加えながら文章を構築するのである。
そして,そこに表現される主題は,神秘的な非日常ではなく,まさしく羅動的な日常
1
4
) 『新生』(“L
av
i
t
an
u
o
v
a
”
)
, I
饗宴』(官 c
o
n
v
i
v
i
o
”
)
は
, ともに『神員長』とならぶダンテの
代表作である。これらに見られるべアトリーチェに対する愛の問題や,政治についての倫理
問題は,『神曲Jに多大な影響を与えている。
中世イタリアのとューマニズム
2
1
であるので,一般読者にとっても非常に理解しやすい。この点において,『デカメロン』
は,『神白』よりも現実的で人文的であるといえよう。
現実面におけるダンテの興味の対象が,当時のフィレンツェの政治に対しての関心,
つまり教患権力と皇帝権力の問題を理想主義の下に描き,そこで,現実の世界の権力
と理想、の世界(神の世界)の分離という壮大なアンチテーゼを当時の社会に提示する
ことに対して,『デカメロン』に描かれる世界は,誰も知らない衿の理想の世界では
なく,誰もが知っている身近な俗世間のゴシップであった。
さらに言うならば,『神蘭』では,その物語の主体は神の世界であり,人間を理想
散界である神の国(天国)に引き上げることを呂的とする。人々の興味の対象が,神
のもとでの対象としての人間の存在であることに対して,『デカメロン』では,その
主体をあくまで人間自身においている。ボッカッチョにとっては,天国などへの興味
は放っておいて,地上から離れず,取り扱う問題はすべて現笑の世界の中に含まれ
。
)
る 15
このような両者の比較によって,ダ、ンテからボッカッチョへのヒューマニズムの近
代化への溺流を読み取ることが可能であろう。つまり,
ヒューマニズムとは,その物
語の中に描かれる主体を上から引きずり降ろし,神の絶対性よりも人関の不完全性(本
能)を克つめることによって,人間の存在宅ど主観的に捉えることをその第一の図的と
するからである。
以上の点において,しばしば,『神曲』は,いまだ神学の束縛を離れ得ない,後世
に対する文学的な影響力を持たない独自性のみの初期ヒューマニズムのスペクタクル
として軽視されることがある
1
6)。ところが,その構成を縮かく考察した場合,その
文章の主題には,スコラ神学(特に,
トマス神学)による神の深遠性とヒューマニズ
ム(ギリシャ哲学・文学)による人間の現実性という,両者の微妙なバランス関係に
内在する対立と融和の二描性が表現されており,ダンテは,必ずしも人間性を粗末に
扱って,神学にすべてを委ねていた訳ではないことが理解できる。
これらの問題については,『神曲』の文章構造について簡単に説明した後に,幾開
かのイタリア語訳の引用と,それに対応する日本語訳によってダンテの人間観を基に
1
5
) ダンテ,ボッカッチョ荷者の文学的比較については, N.S
a
p
e
g
n
o
.
,S
t
o
r
i
al
e
t
t
e
r
a
r
i
ad
e
/
1
ト
・
e
c
e
n
t
o
,MilanoeNapoli(1963)に詳しい。
1
6
) ボノレヒャノレトは, ブノレクハノレトのノレネサンス概念が拐らかに誤りであることを痛烈に批判
して,ダンテのイタリア詩に対する影響を否定する。そして,「ダンテの扱う主題は,常に
未来を厨指さず,失われた過去に向かっている。 J(ノレードノレフ・ボルヒャノレト箸,小竹澄栄
訳『ピサ:ある帝国都市の狐独』みすず書房, 1992年,序文)と指摘する。ただし,それは
『神曲Jの文学的価値を否定するものではない。
2
2
係教大学総合研究所紀要第 1
1号
考察したいと思う。
*
『神出』は, f
地獄J(
I
n
f
e
r
n
o),「煉獄」(Pぽ g
a
t
o
r
i
o),「天国」(P
a
r
a
d
i
s
o)の三篇で
構成されており,これら三界をダンテ自身が,それぞれの世界を象徴する案内人と共
に,一週間で旅をするという物語である。
まず,地j
款は,第一層谷(Limbo 辺獄)から第九菌谷( C
o
c
i
t
o コキュトス)ま
での九段暗に分かれており,多数の罪人がそこで罰せられている。富谷の数字が大き
くなるほど罪深く,徐々に地球の中心に近づいて行く。そして,その底辺には,ルチー
フエロ(L
u
c
i
f
e
r
o 悪魔大王)が,腰まで埋まっており,そのあたりが地球の中心,
つまり,重力の集まる場所とされている。
n
t
i
p
u
r
g
a
t
o
r
i
o
)
,
そこから地球の皮対側に抜けた場所が,煉獄の山であり,煉獄部地(A
第ーの環道(S
u
p
e
r
b
i)から第七の環道(L
u
s
s
u
r
i
o
s
o),そして,地上楽閤(Lad
i
v
i
n
a
昌d
e
!p
a
r
a
d
i
s
ot
e
r
r
e
s
t
r
e)まで上り続ける。
f
o
r
e
s
t
その後,「天国Jでは,第一天(D
e
l
l
aLuna)から第十天(Empireo)へと,徐々に
信 仰 に よ る 輝 き を 増 し な が ら 上 昇 し 最 後 に , 祝 福 さ れ た 人 々 (novec
o
r
i),天箆,
そして,三位一体の神秘 Ouced
iDio
々i
n
i
t
a
)に表れる神の思寵を観るのである。
この物語を構築する上で,ダンテは綿密に各篇のバランスを重視しており,これら
, 4720行,煉獄篇 33歌
, 4755行,天国
はそれぞれ地獄篇,序 l歌を含む 34歌
籍 33歌
, 4758行と,ほぽ等しい長さに計算され緩めて厳格に構成されている。
l
l
e
g
o
r
i
a),直喰(s
i
m
i
l
i
t
u
d
i
n
e),隠喰
ダンテは,その中に含まれる多数の寓話(a
(
m
e
t
a
f
o
r
a),ヲ i
用(c
i
t
a
z
i
o
n
e)を駆使して,さらに,前後して現れる数々の伏線を用
いながら,物語にリズムに富んだ起伏をつけることに成功している 17
。
)
1
7
) 『神出』の詩体の構成は,テノレツァリーマ C
t
邑r
z
ar
i
m
a)と呼ばれ, l行ずつの 1
1音節(s
i
l
l
a
b
a
)
が 3行で一組となって,中央の行の連鎖韻 C
i
n
c
a
t
e
n
a
t
a
)で,前後の行を結びつける。そして,
最終行が,最後の査員をふんでいる。すなわち a
b
a
,b
c
b
,
c
d
c
,一一勾r
x
,y
z
y
z
.と,最後まで続き,
各篤の最終行は,例外なく, f
星」(s
t
e
l
l
a)で終わる。ダンテが,テノレツァ・リーマを取り入
れたのは,フィオーレのヨアキム(G
i
o
a
c
c
h
i
n
od
aF
i
o
r
e
,1
1
3
5慎
一1
2
0
2)による中世神秘主義の
数概念に従っている。つまり, 3行一級という詩体は,三位一体(t
r
i
n
i
t
a
)を暗示している。
地獄J• r
棟獄j・「天国」という 3篤からなる構造,各篇が 3
3歌(3x 1
0+3
)か
そして, f
ら構成されること,「地獄j には,序 1歌が加えられることから,合計 100数( 1
0x 1
0)によっ
0を意識している。これ
て構成されることは,当時の聖数であった 1と3
,そして,完全数 1
は,さらに『神政Jの旅が, 1
3
0
0年ジュピレオ(大聖年)のパスタア(復活祭)の木曜から
護金曜日の間に始まることによっても暗示される。
中世主イタザアのヒューマニズム
2
3
*
所謂, f
神出 Jはキリスト教文学である。よって,キリスト教の神が絶対者として
理解されることは言うまでもない。それにも拘らず,ダンテは,キリスト教の神と,
ギリシャ神話の神を並行して交互に登場させて,両者をあたかも問列の者のように紹
介する。このような表現は,神学の範盟においては特徴的であるといえよう。ただし,
文学的には,このような一見矛盾ずるような構成は文章全体に緊張感を与えており,
その結果,互いの神の持つ神秘性をさらに擦立たせて,物語に生き生きとした臨場惑
を与えている。
次に,以上のような特徴が最もよく表れた例を挙げ、て,ダンテの神概念について考
察したいと思う。
児 島ac
o
l
u
ic
h
ef
un
o
b
i
lc
r
e
a
t
o
p
i
註c
h
’
a
l
t
r
ac
r
e
a
t
u
r
a
,g
i
註d
a
lc
i
e
l
o
f
o
l
g
o
r
e
g
g
i
a
n
d
os
c
e
n
d
e
r
,d
al
'
u
nJ
a
t
o
.
VedeaBnareof
i
t
t
od
a
lt
e
l
o
c
e
l
e
s
t
i
a
lg
i
a
c
e
r
,d
al
’
a
l
t
r
ap紅 t
e
,
g
r
a
v
eal
at
e
r
r
ap
e
rl
om
o
r
t
a
lg
e
l
o
.
VedeaT
i
m
b
r
e
o
,v
e
d
e
aP
a
l
l
a
d
eeM紅 t
e
,
a
r
m
a
t
ia
n
c
o
r
a
,i
n
t
o
r
n
oa
lp
a
d
r
el
o
r
o
,
m
i
r
a
rl
emembrad
e’G
i
g
a
n
t
is
p
a
r
t
e
.
VedeaNembrotap
i
主d
e
lg
r
a
nl
a
v
o
r
o
q
u
a
s
is
m
a
r
r
i
t
o
,er
i
g
u
a
r
d
a
rl
eg
e
n
t
i
che
’
nSenna
主
rconl
u
is
u
p
e
r
b
if
u
o
r
o
.
P
u
r
g
.,
X
I
I
,2
5
-3
6
見ると道の片方には,他のものよりもはるかに
高貴に創られた者が,稲妻のように
天からまっさかさまに落ちた図が刻まれていた。
見るともう一方の{閣にはブリプレーオ(プリアレオス)が,
神の矢に射ぬかれて,死の寒さに凍えて
重たい留体を地面の上に横たえていた。
係数大学総合研究所紀要第 1
1号
2
4
見るとティンプレーオ(アポロ)やパラーデ(ミネルヴァ)や
マルテ(マルス)が武装したまま父を取り囲み,
粉々になった臣人たちの手足を見つめていた。
見るとネンプロット(ニムロデ)が[パベルの]塔の下で
なかば延然として,セナール(シナノレ)の地に集まった
自分に劣らず高罷ちきな者どもを眺めていた。
これは,第ーの環道を進むダンテとウェルギリウスが
1
8
)
高穫の罪によって罰せられ
3の例が刻まれた舘石の上に立つ彫像を眺めるシーンの捕写であり,官官述したよ
た 1
うに,謹書とギリシャ神話の双方から交互に題材を取り上げる。
例えば,最初の「高貴に創られた者J“
(f
un
o
b
i
lc
r
e
a
t
o”)とは,悪魔大王(堕天使)
を示しており
1
9
),これは,天使であったにも拘らず,神に反発したために天から落
ちたという聖書からの典拠に基づく。
そして,二番目のブワアレーオ(プリアレオス)
2
0),三番呂のティンプレーオ(ア
ポロ)やパラーデ(ミネルヴァ)やマルテ(マルス)は
番目のネンプロット(ニムロデ)は,再び聖書から
ギリシャ神話から
2
1
),
四
2
2)というように,最後のギリシャ
神話からのトロイアまでお),物語は交互に続くのである。
≪Queif
ul
'
u
nd
e
's
e
t
t
er
e
g
i
’
a
s
s
i
s
e
rT
e
b
e
;edebbeep
a
rch
’
e
l
l
ia
b
b
i
a
ch
1
8
) 『神曲』からの原語(イタリア誇)引用文は,
D
a
n
t
邑A
l
i
g
h
i
e
r
i
.
,LaD
i
v
i
n
aC
o
m
m
e
d
i
a
,lnJも•mo, P
u
r
g
a
t
o
r
i
o
,P
a
r
a
d
i
s
o
,G
a
r
z
a
n
t
i
,
τ
b
r
i
n
o(
1
9
8
8)によ
る。『神助J研究の入門書として,平易であるとされるからである。日本語引用文は,
l
l祐弘訳『神幽J海上白書房新社, 1992年
ダンテ・アリギエーリ著,王子J
による。なお,本文中の菌有名詞などは,できるだけイタリア語読みのまま引用したが,ギ
リシャ語,ラテン語などの慣用された読みに従ったものもある。また,襲警からの引用につ
いては, 日本塁塁審教会により,読みもそれに従った。
1
9
) 懇魔大王(L
u
c
i
f
e
r
o)とは,光 O
u
c
e)をもたらす者(f
e
r
o)の意味であるが,また,残忍(f
i
e
r
o
)
な光という意味もある。聖書には,「あなたがたは自分の父,すなわち,慈魔から出てきた
] 8・
者であって,その父の欲望どおりを行おうと怒っている。」(『ヨハネによる福音書 j
44),また,「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。 J(『ノレカによる福音書J
1
0・1
8)とあり,天から落ちて来た悪魔の思j
J
称とする。
2
0
) ウェノレギヲウス著,間道男,高橋宏吉宗訳『アエネーイス』西洋古典援護,京都大学学術出
0
0
1年,第 1
0歌
, P477-P488
絞会, 2
V
e
r
g
i
l
i
u
s
.
,
A
e
n
e
i
s
,O
x
f
o
r
d(
1
9
7
2
)X565-568
2
1) 向 上 第 3歌
, P105 !
b
i
ムロI85
2
2
) 『創世記J 1
0掌 8∼1
1
2
3
) ウ ェ ル ギ ヲ ウ ス 前 掲 議 第 3歌
, PlOO, V
e
r
g
i
l
i
u
s
.
,
A
e
n
e
i
s
,o
p
.
c
i
t
.
,I
I
I2-3
中i
!
tイタリアのヒュー?ニズム
25
Dioi
nd
i
s
d
e
g
n
o
,epocop
a
rche’
lp
r
e
g
i
;
Inf,X
阿部一7
0
「あれはテーベ(テーパイ)を包囲した七人の王の一人だ 24)'
昔も神を侮蔑しいまもなお侮蔑している,
どう見ても尊敬している様子が見えぬ。
テーパイを包閉した王の信じた神は,菅の神,つまり,ギリシャの神ゼウス( G
i
o
v
e
)
であり,いまも侮蔑されている神とはキワスト教の神(Dio)のことを指す。そして,
むC
r
i
s
t
o)の購罪を契機と
このように二種類の神を並列することにより,イエス( Ges
して,臆罪以前の昔の神に,現在の神が,まるで、取って代わったような意外性を読者
に与える効果がある。ここにおいて,ダンテによるキリスト教の神とギリシャ神話の
神,両者の親近性についての捉え方の端緒が看取されるのではないだろうか。
さらに,両者をまさしく同一神として混関した一例を取り上げたい。
Es
el
i
c
i
t
om,
モosommoGiove
chef
o
s
t
ii
nt
e
r
r
ap
e
rn
o
ic
r
u
c
i
f
i
s
s
o
,
sonI
ig
i
u
s
t
io
c
c
h
it
u
o
ir
i
v
o
l
t
ia
l
t
r
o
v
e
?
P
u
r
g
.,
V
I
,118-120
おお,われらのために地上で、十字架にかかった
の神よ, 口にするのも畏れ多いが,
神の正義の自はよそを向いておられるのか?
最初の,「われらのために池上で十字架にかかった至高の神 J“
(s
el
i
c
i
t
od,
色o
sommoGiove”)とは,キリスト教の神を指すことは明らかである。そして,イエス
の臆罪を表しているにも拘らず,ダンテは,十字架の神を“Gesu" (イエス)とせずに,
Giove”(ゼウス)というギリシャ神話の神を用いている。このように,ダンテは,
“
2
4
) カパネウス(C
a
p
a
n
e
o)は,テーパイ(τ
e
b
e)を包臨した王の一人。ゼウス( G
i
o
v
e)を侮
d
r
a
s
t
o),テュデウス(T
i
d
e
o),ヒッポメ
辱したため電光に打たれて死んだ。アドラストス(A
I
p
p
o
m
e
d
o
n
t
e),アンプィアラオス(A
n
f
i
a
r
a
o),パノレテノパイオス(P
a
r
t
e
n
o
p
e
o),ボリュ
ド
ン (
o
l
i
n
i
c
e)とあわせて,七玉とする。
ネイケス(P
2
6
例教大学総合研究所紀婆第 1
1号
ここではさらに意図的にキリスト教の神とギリシャ神話の神を混同して,まるで開一
神であるかのように扱っている(s
i
n
c
r
e
t
i
s
m
o)。仮定するならば,ダンテは,“ Gesu
”
i
o
v
e”両者の最初の文字“G”が共通していることから,ここに一つの言葉遊び
と“G
(臆喰)を思いついたのかも知れない。
io
”は,世界の存
ただし,ダンテの哲学的な意図について私見を述べるならば,“D
在そのものであり,被造物,いわゆる有醍者には可視し得ない者(「第一国 J
)である。
しかしながら,十字架にかかった神,つまり,イエスは,受肉をした者であり,創造
者である神が,自分自身に似せた表象としての現実態であるので,人間の精神によっ
て存在をとらえられ認識され得る者であるといえよう。
よって,ダンテがここにおいて意関することは,キリスト教の神を人文的な古典の
ギリシャ神話の神と対照することによって,キリスト教の神の現実態としてのイエス
e
r
s
o
n
aumana
”)を強調することであり,受肉した身体を形成する
のペルソーナ(“p
知性的魂による人間性を表現することではないだろうか。そして,イエスが,理性に
色”を
よって人間に認識され得る者であることを強調するために,わざわざ“ Ges
G
i
o
v
e
”と壁き換えるという少々強引な手段を用いたのではないかと仮定されるの
“
である。
*
以上のようなキリスト教の神と,ギザシャ神話の神についての捉え方の特徴は,『神
曲』におけるギワシャ哲学の受容,つまり,古典的なヒューマニズムの受容の問題に
密接に関連しているので,さらに分析する必要があろう。
ダンテは,「地獄j,「煉獄」,「天国」と続く旅の中で,まず「哲学者j ウェルギリ
e
r
g
i
l
i
u
s
;V
i
r
g
i
l
i
o前 70-19),次に「信仰の象徴」ベプトリーチェ
ウス(V
2
5
),そして,「天
e
r
n
a
r
d
u
s1
0
9
0
1
1
5
3)というように,
圏」の最終段暗からは,「聖人j 聖ベルナール(B
段階ごとに案内人を変えて,「査高天」へと到達する。
2
5
) 平J
l
l祐弘著『中世の四季J河出書房新社, 1981年
, P133
ベアトリーチェとマワア信仰を結びつける次のような解説がある。「ダンテはいかなる著作
においても自分の母者人について夜接語っていない。しかし,詩人はベアトリーチェについ
て語る持,また師弟関係を語って母子の関係になぞらえる時,不知不識の間に幼時の患い出
を語っているかに察せられる。ダンテは母殺の愛情に混く包まれて予寄った人であったろう。
彼の母を思うの惰は昇華されて聖母マリアを崇敬するの情と震なったのであろう。そしてそ
のマリア崇拝の気持が天上から地上へ転位した時,ベアトザーチェの像となったのでもあろ
う
。
」
中世イタリアのヒューマニズム
27
このような旅は,人間の精神によって認識される高い設階への上昇を主題としてお
り,神の直視を巨指す霊魂の遍涯であるといえよう。
ダンテは,このように各世界における認識の到達点の段階を明確に規定しており,
それは,各世界の案内人の持つ特殊性によっても理解できる。例えば,哲学・理性の
象徴であるウェルギリウスは,異教徒であるがために信仰を持たないという理由で,
・
I
煉獄」の案内人であっても,神の愛を説明することを目的とする「天
たとえ「地獄J
間」の案内人には決して成り得ないのである。
これについて,ダンテは,ウェノレギワウスを代弁者として次のように説明する。
es
'
e'
おr
o
nd
i
n
a
n
z
ia
lc
r
i
s
t
i
a
n
e
s
m
o
,
nona
d
o
r
a
rd
e
b
i
t
a
m
e
n
t
eaD
i
o
:
ed
iq
u
e
s
t
ic
o
t
a
is
o
ni
omedesmo.
P
e
rt
a
id
i
f
e
t
t
i
,nonp
e
ra
l
t
r
or
i
o
,
semop
e
r
d
u
t
i
,es
o
ld
it
a
n
t
oo
f
f
e
s
i
c
h
es
a
n
z
aspem
巴v
ivemoi
nd
i
s
i
o
≫
I
が,町 37-42
キリスト教以前の人として
崇めるべき神を崇めなかったのだが,
実は私もその一人だ。
こうした落度のためにほかに罪はないのだが,
私たちは破滅した,ただこのために憂国にあい,
[天に上る]見込みはないがその願いは持って生きている」
ウェルギワウスは,このように,イエスの臆罪以前に生まれた者は,いかに偉大な
人間であって,たとえ「願いは持って」(“i
nd
i
s
i
o”)いようとも,天国に上る「見込
みはない」(“s
e
n
z
aspeme
”)ことを嘆いている。ここに,ダンテは,信仰,つまり,
神学に対する哲学・理性の眼界を明確にするのである。ただし「地獄」の旅は,ギ
リシャ古典の精神に基づくヒューマニズム,自由な人間性の表現であり,換言するな
らば,人間の神に対する自律性の有効的な表現の場であるといえよう。
棟獄に入ると,やがて,ウェルギリウス(哲学・理性)との別離に引き続き,ベア
トリーチェ(信仰)との出会いへと至る。ベアトワーチェは
ダンテによって理想化
28
f
9
p
教大学総合研究所紀要第 1
1号
された究極の愛の象徴であり,神のつかわした愛の表像である。
El
os
p
i
r
i
t
om
i
o
,c
h
eg
i
ac
o
t
a
n
t
o
al
as
u
ap
r
e
s
e
n
z
a
tempoe
r
as
t
a
t
oc
h’
飴a
n
t
o
,
none
r
ad
is
t
u
p
o
ζ
t
r
e
m
a
n
d
o
,a
s
a
n
z
ad
eI
io
c
c
h
i註verp
i
uc
o
n
o
s
c
e
n
z
a
,
O
S
S
e
,
p
e
ro
c
c
u
l
t
av
i
r
t
Uc
h
ed
al
e
i江l
’
a
n
t
i
c
oamors
e
n
t
fl
ag
r
a
np
o
t
e
n
z
a
.
d
P
u
r
g
.
,XXX,34 39
この夫人の御前で詑然とふるえつつうち伏すことが
なくなってから,はや長い歳月を経た
私の魂であったが,
自でさらに確かめたわけで、はないけれども,
夫人から発する神秘の力に動かされて
昔日の激しい愛の力を私は身の内に覚えた。
ダ、ンテは,ベアトリーチェとの再会の心境を次のように,「昔日の激しい愛の力を
私は身の内に覚えた」(“d
’
a
n
t
i
c
oamors
e
n
t
fl
ag
r
a
np
o
t
e
n
z
a")と述べて,熱烈な感情
をあらわにする。そして,「夫人から発する神秘、の力」(“o
c
c
u
l
t
av
i
r
t
uc
h
ed
al
e
i”)と
して,神から与えられた隠された徳による信仰の力が,身体の中に吹き込まれるので
ある。
MaV
i
r
g
i
l
i
on
'
a
v
e
al
a
s
c
i
a
t
is
c
e
m
i
d
is
e
,V
i
r
g
i
l
i
od
o
l
c
i
s
s
i
m
op
a
t
r
e
,
m
i
;
V
i
r
g
i
l
i
oac
u
ip
e
rmias
a
l
u
t
ed
i
e’
neq
u
a
n
t
u
n
q
u
ep
e
r
d
e
ol
'
a
n
t
i
c
am
a
t
r
e
en
e
t
t
ed
ir
u
g
i
a
d
a
v
a
l
s
eal
e思1如 c
c
h
e
,l
a
g
r
i
m
a
n
d
o
,nont
o
r
n
a
s
s
e
ra
t
r
e
.
P
u
r
g
.
,XXX,49-54
だが,ああ擾しくしたわしい父ウェルギリウス,私が
2
9
中世イタザアのヒューマニズム
救いを求め身を任せる常としたウェルギヲウス,
そのウェルギザウスの姿がいつのまにか消えていたのだ。
太古の母が失ったすべてのものをもってしても,
露で清められたこの頬がいままた
涙で汚れてゆくのを如何ともしがたかった。
神の思寵である信仰を受け入れるということは,人間が本来持って然るべき,ただ
し,神の恵、寵の下では,すでに瞭腐となった古い人間性(自由意志)を捨て去ること
を意味する。このー篇は,ギザシャ文化のあとにキリスト教文化が続くという歴史的
推移に対するダンテの悲哀の一表現として解釈することも可能ではないだろうか。そ
して,永遠に神の恩寵による信仰と人間性の狭摺での葛藤を拭い去ることができない
ところにダンテの苦しみの原点が存在するのである。このような人関の心もとなさや
不安は,結果的には鹿罪がもたらすものであると理解できょう。
中小
ダンテは,「地上楽菌」に到達すると,ベアトリーチェ,いわゆる信仰との出会い
の前に,人間の祖先アダムとイブが無垢であったことを説明する
26)。それに続いて,
いくつかの神の栄光を象徴するアレゴリーアを紹介する。これは,信仰を持つ前に,
無垢から始まり,神の栄光である教会の上に基礎付けられるという信仰の秩序を説明
するためである。
そして,次のように,脈々と続くキリスト教の歴史の流れを踏まえつつ,教会をさ
さえる神の閣の構造について解説を進めて行く。
Los
p
a
z
i
od
e
n
t
r
oa!
o
rq
u
a
t
t
r
oc
o
n
t
e
n
n
e
unc
a
r
r
o
,i
ns
uduer
o
t
e
,t
r
i
u
n
f
a
l
e
,
c
h
’
a
lc
o
l
l
o
,d
’
ungr
ぜont
i
r
a
t
ov
e
n
n
e
.
P
u
r
g
.
,XXIX,1
0
6 108
その賠疋の霊獣に閉まれた中を
2
6
) 『創世記J 3主 I以降
30
督官教大学総合研究所紀委
第1
1号
二輪の凱旋の議が
一頭のグリフィンに挽かれて進んで来た。
まず,聖書に登場する「四疋の霊獣に盟まれた中 J“
(l
os
p
a
z
i
od
e
n
t
r
oal
o
rq
u
a
t
t
r
o
c
o
n
t
e
n
n
e”
)
27
)を「ニ輪」(“duer
o
t
e”),つまり旧約と新約の聖書によってささえら
れた教会を象徴する「凱旋の議J“
(unαrro
”)を,「神性J(
必
吋n
i
t
a
)と「人性」(u
r
n
a
n
i
t
a
)
を備えたイエスの象徴である「グリフィン J“
(m g
r
i
f
o
n
e
)
”
28
)が,号
i
いて進んでくる。
B荷聖書をキリスト教義の
ここでは,教会が,黙示思想に基づく時代背景の中,新 I
原理として基礎付けて,イエスの臆弊によって,未来,つまり,神の国へと進んで行
くための秩序を説明するのである。
T
r
edonnei
ng
i
r
od
al
ad
e
s
t
r
ar
o
t
a
v
e
n
i
a
nd
a
n
z
a
n
d
o
;I
’
unat
a
n
t
or
o
s
s
a
’
apenaf
o
r
ad
e
n
t
r
oa
lf
o
c
on
o
t
a
;
c
h
’
a
l
t
r
’e
r
acomes
el
ec
a
r
n
iel
’
o
s
s
a
i
f
o
s
s
e
r
os
t
a
t
ed
is
m
e
r
a
l
d
of
a
t
t
e
;
邑m
o
s
s
a
;
l
at
e
r
z
ap
a
r
e
anevet
e
s
t
P
u
r
g
.
,XXIX,121-126
右側の輪の近くを三人の天女が輪を組んで
舞いながら進んで来た,一人は
火の中にいるならば見わけのつかぬほど赤く,
もう一人は,その骨も肉も
緑玉(s
m
e
r
a
l
d
of
a
t
t
e)からで、きたかのような緑一色で,
第三の天女はいま降った雪かとばかりに白かった。
続いて登場する「三人の天女」(“t
r
edonne”)とは,「愛」(赤)・「希望J(緑)・「信
仰J (白)という「対神徳j (
L
et
r
eV
i
r
t
むt
e
o
l
o
g
a
l
i[
C
a
r
i
t
,
主S
p
e
r
a
n
z
aeFede
])の三つを
表すアレゴワーアである。
2
7
) f
エゼキエノレ繋J 1章
, fヨハネ黙示録J 4主 6以降
2
8)グリフィン(g
r
i
f
o
n
e)は,栄光を象った鷲の翼と,肉体を表象したライオンの頭を持つ。
この二つは,イエスの「神性j と「人投」を表す。
中世イタリアのヒューマニズム
これによって,ダンテは,
3
1
トマスの倫理学を基本概念において,神の患龍について
の核心に迫ろうとする。
トマス・アクイナスによると,人関が至福に到達するためには神性をある方法で分
有することが必要とされるが,それは人間の本性が,その酉有の世俗の可能性を超え
て高められることを意味しており,それを成し得るのは,もちろん神自身の力のみに
よるとするのである。
よって,人間を筆福へと近づけるために秩序づける「徳」とは,プラトン(P
i
a
t
o
n
前 427-347),アリストテレスなどが説いたところによる人間が自らの力によって獲
得,形成するような「倫理徳j では充分ではなく,神から患寵として授けられる「対
神徳j によって完成されなければならない。
「徳」には自然本性的な能力によって獲得されるものと,思寵によって現実化する
超自然的なものがあるが,「対神徳Jは超自然的な f
徳j のことであって,人間は,
これらの恩寵によって,生命の超越的な日的である神に直接関わることができるので
ある。
Dal
as
i
n
i
s
t
r
aq
u
a
t
t
r
of
a
c
e
a
nf
e
s
t
a
,
i
np
o
r
p
o
r
ev
e
s
t
i
t
e
,d
i
e
t
r
oa
lmodo
unad
i!
o
rc
h
’
a
v
e
at
r
eo
c
c
h
ii
nt
e
s
t
a
.
d’
P
u
r
g
,
・ XXIX,130-132
右側の輪の近くでは葡萄染め(p
o
r
p
o
r
e,紫)の服を着た四人
の天女が,
そのやの三つ自の天女に従って
祭の舞を楽しげに舞っていた。
四人(“q
u
a
t
t
r
o
”)の天女j とは,トマス神学の倫理徳、の主要なものである「枢
次に, f
L
eq
u
a
t
t
r
oV
i
r
t
uc
a
r
d
i
n
a
l
i)を表しており,それは, f
賢明 J(
P
r
u
d
e
n
z
a)・「正義J
要徳j (
(
G
i
u
s
t
i
z
i
a
)・「剛毅」(F
o
r
t
e
z
z
a
)• r
節制」(T
emperanza)の呂種を指す。これらは,
ト
マス・アクイナス以前においてもプラトン,アワストテレス以来,人間の自然本性的
な次元での完成を目指すための諸徳、の中で、 根本的な位置を占めるとされてきたもの
である。これらの「徳」は,前述した自然本性的な能力によって獲得される「徳J で
あり,社会的な「徳Jであるといえよう。
偽教大学総合研究所紀要 望
号1
1号
32
そして,これら「枢要徳Jは,特に,「三つ尽の天女」(“a
v
e
at
r
eo
c
c
h
ii
nt
e
s
t
a”
)
,
つまり,過去,現在,未来を見つめる三つの尽を持つ「賢明」のまわりを他の天女が
楽しげに舞っているという描写から,四徳の中でも賢明,つまり,思患がそれらの中
で最も重要であり,他の三三徳の基本をなすということが理解できる。
このように,ダンテは,人間が神の恩、寵に預かるには,神から授けられる「対神徳」
。
)
と人間自身で備えるべき「枢要徳j が必要であるとする 29
map
a
r
ii
na
t
t
oeo
n
e
s
t
oes
o
d
o
.
L’
uns
im
o
s
t
r
a
v
aa
l
c
u
nd
e
'f
a
m
i
g
l
i
a
r
i
d
iq
u
e
lsommoI
p
o
c
必t
ec
h
en
a
t
u
r
a
aI
ia
n
i
m
a
l
if
ech
’
e
l
l
’
hap
i
l
ic
a
r
i
;
m
o
s
t
r
a
v
al
'
a
l
t
r
ol
ac
o
n
t
r
a
r
i
ac
u
r
a
conunas
p
a
d
al
u
c
i
d
aea
g
u
t
a
,
t
a
!ched
iq
u
ad
a
lr
i
omif
ep
a
u
r
a
.
P
o
iv
i
d
iq
u
a
t
t
r
oi
nu
m
i
l
ep
a
r
u
t
a
;
ed
ir
e
t
r
odat
u
t
t
iunv
e
c
c
h
i
os
o
l
o
v
e
n
i
r
,dormendo,conl
af
a
c
c
i
aa
r
g
u
t
a
.
P
u
r
g
.
,X
X
I
X
,135-144
厳そかな,落着いた老翁がニ人見られた。
一人は,高物の霊長のために
自然が産んだあの偉大なとポクラテスの
流れを汲む人〔涯師]のようであったが,
他の一人は,切先の鋭く光った剣を手に,
連れとは逆の考えを示していたが,その姿は
I
JI
をさしはさんだ私にまで、畏怖の情を抱かせた。
ついで賎しい装をした四人の姿が自に映った,
またそうした人々すべての後から気色鋭い老翁が一人
2
9
)
ト7 ス・アクイナス箸『神学大全J 第 二 ・ 二 部 特 殊 倫 理
1
5巻∼ 2
4巻,創文社, 1
9
6
0
年∼
対宇中徳第一一四十六照 (
1
5巻
)
叙 安 徳 第 四 十 七 百七十倍( 1
7巻
)
S
.
T
h
o
m
a
eA
q
u
i
n
a
t
i
sD
o
c
t
o
r
i
sA
n
g
e
l
i
c
i
.
,SummaT
h
e
o
l
o
g
i
a
e
,P
r
i
m
aP
a
r
sM
a
r
i
e
t
t
i
,Roma(
1
9
5
2
)
中i
!
tイタリアのとュ−<ニズム
3
3
微睡みつつ歩むのが見られた。
f
対神徳、j・「枢要徳」として表象した神の恵、寵に引き続き,最後には,その思寵の
具現化した例として,教会の勝利をあらわす幾人かの聖人が登場する。
最初の聖人は,「偉大なヒポクラテスの流れを汲む人」(“q
u
e
lsommoI
p
o
c
r
a
t
e
”)と
他の一人」
いう説明によって,医師ルカ(Luca) 3
o
lを指すことが明らかにされ, f
“1
(’
a
l
t
r
o”)とは,「切先の鋭く光った剣を手に」(“c
o
nunas
p
a
d
al
u
c
i
d
aea
g
u
t
a
”)持
つことからパウロ(P
a
o
l
o
)3
uであることが理解される。
賎しい装をした四人J“q
(u
a
t
t
r
oi
nu
m
i
l
ep訂 u
t
a”)とは,『ヤコブ書』 ・
Wペ
次に続く, f
テロ書~.
wヨハネ書』・『ユダ書』の問書を指す。これらの諸書は聖書の中で,他より
践しい」(“u
m
i
l
e”)と言われるのである 3
2
。
)
も短いがために,その外見上 f
最後に登場する「老翁J“u
( nv
e
c
c
h
i
o”)とは,『黙示録』の著者ヨハネであり,「気
色鋭い」(“l
af
a
c
c
i
aa
r
g
u
t
a”)というのは,すでに始まっている終末にむけてのイエス
の受難を暗示している。「徴睡みつつ歩む」(“v
e
n
i
r
,dormendo
”)というのは,未来に
す
待望される決定的な終末へと進む不安定な精神世界の状況を表している。そして, f
…conlafaccia
( ir
e
t
r
od
at
u
t
t
iunv
e
c
c
h
i
os
o
l
o
べての後から気色鋭い老翁が一人J“d
a
r
g
u
t
a
”)という緊迫感に満ちた表現によって,近い未来に世界の終末が到来するこ
とを強調するのである。
ダンテは,地上楽菌を進む列の最後尾に,終末思想のアレゴリーアを配置すること
によって,終末の始まりと終わりという再者の緊張関係に立つ神の恩寵を説きながら,
その中を進む教会の栄光,そして,イエスを支える「対神徳」と「枢要徳j,つまり,
神性と人性の微妙なバランスの上に存在する信仰の力の重要性について説明するので
ある。
この後,「天国J の最高位,「~高天j に到達すると,信仰の象徴であったベアトリー
チェの役割もここで終わり,神の愛を説くために聖ベルナールへと引き継がれる。
ev
o
l
g
e
a
m
ic
o
nv
o
g
l
i
ar
i
a
c
c
e
s
a
p
r
edomandarl
amiadonnad
ic
o
s
e
3
0
) 『コロサイ人への手紙J 4章 1
4
3
1
) F
エベソ人への手紙J 6掌 1
7
3
2
) f
ヤコブの手紙J
I
, Iベテロの手紙I
JI
,I
I
, Iヨハネの手紙J,
II
I
,I
I
L Iユダの手紙』の 7
文書を合わせて, f
公用書簡」(e
p
i
s
t
o
l
e)と呼ばれる。パウロの 1
4書館の後に続くもので,
礼拝集会などで読まれる。
3
4
係数大学総合研究所紀婆第 1
1号
d
ic
h
el
amentemiae
r
as
o
s
p
e
s
a
.
Unoi
n
t
e
n
d
e
a
,ea
l
t
r
omir
i
s
p
u
o
s
e
:
c
r
e
d
e
av
e
d
e
rBe
政 i
c
eev
i
d
iuns
e
n
e
v
e
s
t
i
t
oc
o
nl
eg
e
n
t
ig
l
o
r
f
o
s
e
.
P
a
r
.
,
X
X
X
I
,
5
5
6
0
新たに求知心が燃えあがった私は,
念頭に浮んだ疑点を説き明かしてもらおうと思い,
私の夫人の方を振り返った。
だが予期していたことと答とはちがっていた。
ベアトリーチェが見えるかと思っていたのだが,
栄光の民の撮装をした老翁が一人そこにいたのだ。
地上楽器で,案内人がウェルギリウスからべアトリーチェに入れ替わったように,
栄光の民の服装をした老翁j
に到達して,案内人は,ベアトリーチェから f
“
(uns
e
n
ev
e
s
t
i
t
oc
o
nl
eg
e
n
t
ig
l
o
n
o
s
e”),神の栄光を身に纏った観想を象徴する聖ベ
ルナールに引き継がれる。何故ならば,「天国」の最終段階において,神性(三位一体)
を説明するには,ベアトザーチェに象徴される信仰,つまり,人間自身による能動的
な理性だけでは不十分であり,さらに神の愛を観察するための観想が必要とされるか
らである。
r
a
i
;eq
u
e
l
!
a
,s
fl
o
n
t
a
n
a
C
o
s
io
comep
a
r
e
a
,s
o
r
r
i
s
eer
i
g
u
a
r
d
o
m
m
i
;
p
o
is
it
o
r
n
oa'
!
e
t
t
e
r
n
af
o
n
t
a
n
a
.
P
a
r
.
,
X
X
X
I
,9
1
9
3
私がこう話した。すると彼女はいかにも遠くに見えたが,
徴笑してじっと私を見つめ,
ついで永遠の泉の方へ向きをかえた。
永遠の泉」(“i
’
e
t
t
e
r
n
af
o
n
t
a
n
a
”),つまり,潤れ
最終的に,ベアトリーチェは, f
ることのない「無限の善」(p
r
i
m
av
i
r
t
u)の湧き出る方向へ f
向きをかえた J
“
(s
i
t
o
r
n
o
)
”
中世イタリアのヒューマニズム
3
5
とされる。つまり,このことは,役割りを終えたベアトリーチェが,もといた神のも
とへと帰ることを意味する。この場に臨んで,ダンテが,ウェギワウスの場合のよう
に,心に強い感傷を覚えないのは,「煉獄」を通過して,人間性(質量としての存在)
を拭い去ったことによって,あらゆる存在者の第一の狼掠である神が,すべてを超越
する完全性として理解されるからである。よって,自身の存在を包むすべての現象が
自身を至福へと導く働きをするのである。
以上を説明するために,ダンテは,
トマス神学の精神的認識論に基づいて,抽象の
自然学J (
n
a
t
u
r
a
l
i
s
t
i
c
a),抽象の第二段階の「数学J (
m
a
t
e
m
a
t
i
c
a
),抽象
第一段轄の f
m
e
t
a
f
i
s
i
c
a)へと上昇することによって,人聞が,最終的
の第三段措の「形而上学J(
な目的である神の認識に到達するという,五段階の認識構造を用いる 33
。
)
つまり,まず「地獄Jでは,認識の第一段階として,感覚的で費量的な事物の本糞
を認識することを呂的とする。次に,費量的な規定を排除した事物のあらゆる内容が
さらに捨て去られて,それらが象徴化されることによって得られる数学的対象を認識
するまでの段贈を上昇する。
次に「煉獄」では,第二段階として,さらに,質量的な規定が排除されることによっ
て,事物は,認識の考患の外におかれ,まず存在者が存在するものとして純粋に主題
化されるまでの設措へ到達する。
天毘Jでは,第三段階として,実体や精神といった質量を含まな
そして最後に, f
い本質を認識して,あらゆる存在者の第一の根源である神(第一因)が,すべてを超
越する完全性であることを洞察するのである。
*
以上のように,「神曲 j からの引用を基にして,ダンテの捉えるところの神と人間
認識の問題について考察した。
さらに,これらの認識に基づく,ダンテの世界観における神と人間存在の関係の特
殊性について考察したい。
ダンテは,神の絶対性の継続に対する人間の自律性の対立と融和の相反する二面性
e
r
i
t
a),「現実の世界」(現
について,絶対的な神と人間の関係を「神の世界J(真理, v
e
a
l
t
a
)というこつの価値観念に分けて,二元論的に扱っている。
実
, r
3
3
) トマス・アクイナス
前掲蓄,第一一八十四間七項 6巻
36
19~教大学総合研究所紀委第 11 号
夕、、ンテは, f
神の世界」における問題として,入閣による神認識を主題に掲げる。
前述したように,ダンテは,キリスト教の神とギリシャ神話の神を対比しながら並行
して交互に詔介している。例えば,ギリシャの神は,人性を備えることによって理解
される神であるから,当然,絶対的なキリスト教の神の盟、寵のもとに存在するものと
して理解される。ただし人間の自律伎を主体としてその実存を認識しようとするな
らば,それによって知覚される範囲の中に限定して,ある程度の理性による自 E
討を認
めることは可能であろう。この問題については,信仰の有無と,讃罪の桔関関係によっ
て説明される。
et
u
t
t
is
u
o
iv
o
l
e
r
iea
t
t
ib
u
o
n
i
s
o
n
o
,q
u
a
n
t
or
a
g
i
o
n
eumanav
e
d
e
,
ロ1
0
m
.
s
a
n
z
ap
e
c
c
a
t
omv
i
t
aom s
e
r
Muorenonb
a
t
t
e
z
z
a
t
oes
a
n
z
af
e
d
e
:
OV
’
色q
u
e
s
t
ag
i
u
s
t
i
z
i
ache’
I
c
o
n
d
a
n
n
a
?
OV
’
色l
ac
o
l
p
as
u
a
,s
ee
inonc
r
e
d
e?
”
.
Par.,X
立
,7
3
7
8
その男の考える事,為す事はすべて
人間理性の及ぶかぎりでは霞れている。
その生涯を通じ言説にも言動にも努を犯したことがない。
その男が洗礼を受けず信仰もなくて死んだとする。
その彼を地獄に堕とすような正義はどこにあるのだ?
彼に信仰がないとしてもそのどこに努があるのだ? ~
臆罪以前の人が神によって救われる可能性の有無については,ダンテにとっては,
まさしく自身の霊魂に内在する人間性に関わる問題であった。何故ならば,少なくと
も当時のテキストの多くは,アリストテレスなどの古代ギリシャ哲学やその他数多く
の古代ギリシャ文学の知識に裏付けられており,つまり,それらは賠罪以前の知識に
よって説明されていたからである
34)。ダンテは,キリスト教神学の価値観の中にお
けるギワシャ古典の存在価値について, ウェノレギリウスを自身の代弁者とすることに
ダンテは, f
地獄j の構想を『アエネーイス Jによることは明らかである。
ウエノレギリウス 前 掲 委 第 6歌
, P
2
4
2以降 V
e
r
g
i
l
i
u
s
.
,A
e
n
e
i
s
,o
p
.
c
i
t
.
,V
I
3
4
)
中世イタリアのヒュー?ニズム
37
よって,その苦悩を次のように述べる。
むc
h
eg
e
n
t
ed
im
o
l
t
ov
a
l
o
r
e
p
e
r
c
o
n
o
b
b
i
c
h
e
’
nq
u
e
ll
i
m
b
oe
r
a
ns
o
s
p
e
s
i
.
I
n
f
.
,I
V
;4
4
4
5
非常な価値がある人々が何人もこの辺獄の中で
どちらつかずになっているのを知ったからだ。
I
os
o
nV
i
r
g
i
l
i
o
;ep
e
rn
u
l
l
’
a
l
t
r
or
i
o
l
oc
i
e
lp
e
r
d
e
ic
h
ep
e
rnona
v
e
rf
e
≫
.
P
u
r
g
.
,
V
I
I
,7…8
私はウェルギワウスだ,信仰がなかったから,
ほかに罪はなかったが,天毘を失った」
そして,天国十九歌では,他宗教の人々が神の救済に値するかという難題について
積極的な問題提起をする。
“
Unuomn
a
s
c
eal
ar
i
v
a
h
ir
a
g
i
o
n
i
del
'
I
n
d
o
,eq
u
i
v
inon色c
d
iC
r
i
s
t
onec
h
il
e
g
g
anec
h
is
c
r
i
v
a
;
P
a
r
.
,
X
庇, 7
0
7
2
『誰か男がインダス河畔(“l
ar
i
v
adel
'
I
n
d
o”)で
生まれたとする,その地にはキリストについて語る人も,
読んで教える人も,書いて記す人もいない。
ダンテは,たとえ人間的に援れた人であっても,洗礼や信仰を持たないという理由
によって, f
地獄」へ落ちるという正義(神の意思)について疑問を抱いていた。こ
れは,当時,アラブを経由して導入されたギリシャ古典を受容した神学の価髄基準に
対する問題提起として解釈できょう。何故ならば,前述したように,彼自身のみなら
3
8
係数大学総合研究所紀要第 1
1号
ず,当時のスコラ学においても,アラブ語,ラテン語に重訳されたギリシャ古典,つ
まり,異教徒の留学・文学によって解釈されたからである
3
5
)0
この疑問に対して,
神の栄光を表す「鷲」(“A
q
u
i
l
a
”)は次のように答える。
Oht
e
r
r
e
n
ia
n
i
m
a
l
i
!ohmentig
r
o
s
s
e
!
Lap
r
i
m
av
o
l
o
n
t
a
,ch
色
’d
as
eb
u
o
n
a
,
d
as
e
,ch
主
’ sommob
e
n
,mainons
im
o
s
s
e
.
Co
t
a
n
t
o主g
i
u
s
t
oq
u
a
n
t
oal
e
iconsuon
:
昌
P
a
r
.
,
X
医
, 85-88
ああ地上の動物よ!
ああ粗野な頭脳よ!
それ忠身が善良である原初の意はかつて
至上養であるそれ自身から外れたことはなかった。
その意に和するものはみなすべて正義なのだ。
(s
ebuona”)とは,神の善意、であり
「それ自身が善良で、ある J“
3
6
)
,
1
原初の意」(" l
a
”)とは,聖護の内容を指している。そして,そこに含まれるすべての言
primav
o
l
o
n
t
a
“
色g
i
u
s
t
o’つであること
葉は神の意思に基づくものであるから,「みなすべて正義J(
を確認するのである。さらに,次のように続く。
t
a
!色ig
i
u
d
i
c
i
oe
t
t
e
r
n
oav
o
im
o
r
t
a
l
i
≫
.
P
a
r
.
,XIX,99
永遠の裁きはおまえら人間には不可解であるのだJ
このように,「驚」は,神の意思における入閣の考察の限界を指摘して,神の正義
3
5
) 7世紀以降,アラブの哲学者はギリシャ哲学を受容しそれらに文献は彼らによってアラ
ピア語に翻訳され始めた。その後, 1
3t
世紀頃までは,ギリシャ的な学術研究の中心であった。
それらのテキストがヨーロッパに受容されるには,プラトンに濁しては,フィチーノのラテ
ン語訳プラトン神学 (
1
4
8
4年)まで待たなければならず,アヲストテレスの著作に隠しては,
v
e
汀・
o
e
s;イブン・ルシュド I
b
nR
u
s
h
d1126-98)が本格的な翻訳活動を行な
アベロエス(A
うまで,ファーラーピー(a
!
F
a
r
a
b
i 8
7
2頃
−950領)やアピセンナ(A
v
i
c
e
n
n
a;イヴン・シーナ−
I
b
nS
i
n
a 9
7
3
/
8
0頃− 1
0
3
7)などの新プラトン主義的な翻訳が存在するのみであった。
3
6
) トマス・アクイナス 前掲警,第一一十九間七項 2巻
3
9
中世イタザアのヒューマニズム
は人間の知恵によっては図りがたいことを強調する。
しかしながら,ダンテは,栄光に輝く賢まの魂の中に,
リベウス 37)とトラヤヌス
3
8
)
の魂が含まれることに疑問を抱く。所謂,彼らは,神の思寵に無縁のイエスの臆罪以
前の霊塊だからである。
D
e
'c
o
r
p
is
u
o
inonu
s
c
i
r
,comec
r
e
d
i
,
G
e
n
t
i
l
i
,maC
r
i
s
t
i
a
n
i
,i
nfermaf
e
d
e
q
u
e
ld
e
'p
a
s
s
u
r
ieq
u
e
ld
e
'p
a
s
s
ip
i
e
d
i
.
!unadel
o’
n
f
e
r
n
o
,u’
nons
ir
i
e
d
e
Che’
Io
s
s
a
;
g
i
amaiabuonv
o
l
e
r
,t
o
r
n
oa'
ec
i
むd
iv
i
v
aspenef
um
e
r
c
e
d
e
:
P
a
r
.
,XX,103-108
肉体を離れた時,彼らは,おまえの考えと違い,
異教徒ではなく,信仰堅屈なキリスト者だった,
一人は御足がやがて痛むことを,他は痛んだことを信じた。
こうして一人は,善意の二度と訪れることのない
地獄から,骨をつけた人間となって戻ったが,
これこそ蟻烈な望みのおかげなのだ。
一般的に,洗礼を受けずに信仰を持たぬ者は,神の患寵には預かりえないにも拘ら
ず,実際,彼らは神のそばにいるのである。
この理由について,「鷲Jは,さらに続けて,「御足がやがて痛むことを,他は痛ん
だことを信じた」(“f
e
d
eq
u
e
lde
’
p
a
s
s
u
r
ieq
u
e
lde
’
p
a
s
s
ip
i
e
d
i
”)と説拐する。足の痛み
とは,釘によって十字架に打ち付けられたイエスの足の痛み,つまり,受難を指して
いることから,リベウスは,イエスの受難をあらかじめ予見したという理由によって,
そして,
トラヤヌスは,すでに起こったイエスの受難による鏑罪を信じたという理由
によって,たとえ騒罪以前,或は,信仰がなかった霊魂であったとしても,後に, f
言
3
7
) リベウス(Rifeo)については
ウェノレギリウス 前 掲 書 第 2歌
, P
7
0
,P
7
3
,P
7
5
泥 沼i
l
i
u
s
.
,A
e
n
e
i
s
,o
p
.
c
i
t
.,
日3
3
9
,
3
9
4
,
4
2
6
4
2
7に出典有り。
3
8
) トラヤヌス(T
r
a
i
a
n
o
;T
r
a
i
a
n
u
s
,
τ
r
a
j
a
n
u
s5
2
1
1
7)。ローマ五賢帝の一人。
傍教大学総合研究所紀婆第 1
1号
40
仰を得る機会があれば,神の思寵に適うということを説明するのである。さらに続け
て,「こうして一人は,養意の二度と訪れることのない地獄から,骨をつけた人閤となっ
’
unadel
o’
n
f
e
r
n
o
,u’
nons
ir
i
e
d
eg
i
amaiabuonv
o
l
e
r
,t
o
r
n
oal
'
o
s
s
a
”)と
て戻った」(“i
あり,彼らのうちの一人,トラヤヌスは,一度地獄に落ちながら f
蟻烈な望みJ“b
( uon
v
o
le
r
”)つまり,祈りによって,「天国Jに引き上げられたとされる。その漂白につ
いてさらに続ける。
ic
u
iv
a
l
o
r
e
mosseG
r
e
g
o
r
i
oal
as
u
ag
r
a
nv
i
t
t
o
r
i
a
;
i
’
d
i
c
od
iT
r
a
i
a
n
oi
m
p
e
r
a
d
o
r
e
;
P
u
r
g
.
,X
,74-76
その徳に動かされて
グレゴリウス(“G
r
e
g
o
r
i
o”)が偉大な勝利を与えたのだが,
この人はほかならぬ皇帝トラヤヌス(“T
r
a
i
a
n
o”)だった。
つまり,「地獄」に落ちたとはいえ,
トラヤヌスには「徳、」(“v
a
l
o
r
e”)が備わって
いたために,その徳の力によって,襲グレゴリウスは心を動かされ,祈りによって,「偉
大な勝利J“l
(as
u
ag
r
a
nv
i
t
t
o
r
i
a
”)を彼に与えた。つまり,天国に引き上げたのである。
以上のように,ダンテは,神の恩寵に預かるためには,績罪以前や異教徒であるこ
とに差別はなく,熱烈な希望,つまり神に対しての能動的な愛が必要害であり,そして,
そこから生じる祈りがすべてに勝ることを強調する。
祈りの救いに対する有効性について説明する例がもう一つある。
Cons
u
o
ip
r
i
e
g
h
id
e
v
o
t
iec
o
ns
o
s
p
i
r
i
t
r
a
t
t
om’
hadel
ac
o
s
t
ao
v
es
’
a
s
p
e
t
t
a
,
e
l
i
b
e
r
a
t
om’
hadeI
ia
l
t
r
ig
i
r
i
.
i
uc
a
r
aep
i
ud
i
l
e
t
t
a
Tan
t
o色aDiop
l
av
e
d
o
v
e
l
l
am
i
a
,chem
o
l
t
oa
m
a
i
,
q
u
a
n
t
oi
nbeneo
p
e
r
a
r
e色p
i
us
o
l
e
t
t
a
;
P
u
r
g
.
,X
X
I
I
I
,88-93
中世イタリアのヒューマニズム
4
1
敬度な祈{霞と嘆患とでもって彼女は僕を
予定されていた場所から連れ出し,
他の関も通り越して,上へ僕を引きあげてくれた。
僕がこよなく愛した妻は
ただ一人養行を施している。それが類い稀なだけに
神の御意にかない,神に愛でられているのだ。
フォレーゼ・ドナーティは,生前,食道楽の罪を犯したにも拘らず,予定よりも早
く「煉獄j の第六麿に到達している。彼の妻ネノレラの「善行」(“beneoperare”)を取
り上げる。つまり,ネルラの祈り(“s
u
o
ip
r
i
e
g
h
i
”)を善行として,たとえ,個人の義
行が神の救いに値しないとしても,現世に残された人々の祈りが「類い稀」(“quanto”
)
,
つまり,熱烈であれば,その思恵によって,予定より阜く神の恩寵に預かり得るとす
る
。
これらの説明によって,ダンテは,神の思寵に対する,現役における能動的な人間
の祈りの有効性を明らかにするのである。
ここにおいて,ダンテは,アリストテレスの田原因説に基づくトマス神学によって
人間の存在の問題を整理する
3
9
)。まず,内的原因である質量因と形相爵を分離して,
形相の中においてさらに本質と存在を区別する。そして,本質に含まれる白的国と存
在を証明する作用困を提示する。よって,本質である神の恩寵に預かる(「目的国 J
)
ためには,人聞の自由意志、による存在としての能動的な働き(「作用因 J
)が有効であ
るとするのである。
ダンテは,以上のような「神の没界」の人間による神認識の問題に対して,他方, f
現
実の世界」における開題として,理想的な社会活動のための宗教と政治の関係を主題
に掲げる。例えば,
トマス・アクイナスは,この問題について,アジストテレスの理
論を基に,政治を神の法の中に組み入れるべき方法を提示して,政治における神の権
威の優越性を確立することを理想とした。しかしながら,ダンテは,さらにそれだけ
では十分とせず,政治と宗教的な権威は互いに干渉すべきではないとして,政教分離
の必要性を主張した。
3
9
) ト?ス・アクイナス箸『神学大全J 第二・一部一般倫理 9巻∼ 1
4巻,創文社, 1
9
6
0
年∼
アリストテレス箸,出隆訳『形而上学』アリストテレス全集 1
2巻,岩波書店, 1
9
6
8年
A
r
i
s
t
t
e
l
i
s
.
,O
p
e
r
aOmniaG
r
a
e
c
ee
tL
a
t
i
n
e
.5V
o
l
s
,F
i
r
m
e
rD
i
d
o
t
,P
a
r
i
s(
1
8
8
3
1
8
8
9
)
世名教大学総合研究所紀婆 第 1
1号
42
S
a
i
e
v
aRoma,c
h
e’
lbuonmondof
e
o
,
dues
o
l
i註veζchel
'
u
n
ael
'
a
l
t
r
as
t
r
a
d
a
f
a
c
e
a
nv
e
d
e
r
e
,ed
e
!mondoed
iD
i
o
.
L’
unl
'
a
l
t
r
ohas
p
e
n
t
o
;ed色g
i
u
n
t
al
as
p
a
d
a
c
o
lp
a
s
t
u
r
a
l
e
,el
’
unconi
’
a
l
t
r
oi
n
s
i
e
m
e
a
;
p
e
rv
i
v
af
o
r
z
ama!c
o
n
v
i
e
nc
h
ev呂d
む
'c
h
e
,g
i
u
n
t
i
,I
’
unl
'
a
l
t
r
onont
e
m
e
:
p
e
r
P
u
r
g
.
,X
V
I
,106-112
ローマが世界を立派に統治していたころは
いつも二つの太陽が輝いていた,[皇帝と法王は]
それぞれ現世の道と神の道とを照らしていた。
だが一つの光が他の光を消し,剣と杖とが
一本に合体してしまった。この両者が結びつくと
これではどうしてもうまくゆく道理がない。
合すれば,互いに恐いものなしになるからだ。
ダンテは,古代ローマ時代のように皇帝権力(政治)と法主権力(教会),つまり,
襲と俗は,分離して独立していることが理想であると考えた 40)。しかし,すでに現
在では,「一つの光が他の光を消し,剣(“l
as
p
a
d
a”)と杖(" ip
a
s
t
u
r
a
l
e
”)とが一本
に合体してしまった J“
(l
'
u
nl
'
a
l
t
r
ohas
p
e
n
t
o
;ed色g
i
u
n
t
al
as
p
a
d
ac
o
lp
a
s
t
u
r
a
l
e
,el
'
u
n
c
o
nl
'
a
l
t
r
oi
n
s
i
e
m
e
”)とあるように,法王が皇帝の権力を奪ったことによって,法王
に権力が集中し拡大するという結果を招き,互いに警戒しながら牽制することがなく
なったために,両者が本来別々に備えるべきであった,絶対的な権力が失墜してしまっ
たことを嘆くのである。
ダンテは,前述したように,宇中の冨においては,神の患寵と人間の自由のコントラ
ストを明確にするために,キリスト教の神に対して,ギワシャの神を人間性の象徴と
して提示した。そして,現世においては,信仰と権力の分離をアピールするために,
信仰の象徴である教会に対して,政治の象徴としてローマ皇帝を対比させるのである。
4
0
) 後世において,ダンテのこのような宗教と政治に対する態度は,しばしば政教分離,或は,
国家主義運動のプロパガンダとして利用されてきた。よって,『神治』についても内容より
もむしろ表面的なイメージのみが先行した傾向がある。
中世イタワアのヒューマニズム
このようなギリシャの神やローマ皇帝の受容は,当時としては進歩的であり,
43
トマス
神学から一歩踏み出した,アリストテレス営学により近い人間観であるといえよう。
ここにダ、ンテから後世に受け継がれるヒューマニズムのー側面が看取されるのである。
*
最後に,神の思寵に含まれる神の愛と人閤の理性の関係を詳細にするために,ギリ
シャ哲学の影響を受けたことが顕著な一例を取り上げたい。
c
h
e’
ib
e
n
e
,i
nq
u
a
n
t
ob
e
n
,comes
’
i
n
t
e
n
d
e
,
c
o
s
fa
c
c
e
n
d
ea
m
o
r
e
,et
a
n
t
omaggio
q
u
a
n
t
op
i
ud
ib
o
n
t
a
t
ei
ns
ec
o
m
p
r
e
n
d
e
.
Dunqueai
’
e
s
s
e
n
z
aov
’
色t
a
n
t
oa
v
v
a
n
t
a
g
g
i
o
,
c
h
ec
i
a
s
c
u
nbenc
h
ef
u
o
rd
il
e
is
it
r
o
v
a
a
l
t
r
onon色c
h’
unlumed
is
u
or
a
g
g
i
o
,
p
i
uc
h
ei
na
l
t
r
ac
o
n
v
i
e
nc
h
es
imova
l
am
e
n
t
e
,a
m
a
n
d
o
,d
ic
i
a
s
c
u
nc
h
ec
e
r
n
e
iv
e
r
oi
nc
h
es
if
o
n
d
aq
u
e
s
t
ap
r
o
v
a
.
’
i
n
t
e
l
l
e
t
t
omios
t
e
r
n
e
τ
a
lv
e
r
oa
l
c
o
l
u
ic
h
emid
i
m
o
s
t
r
aip
r
i
m
oamore
d
it
u
t
t
el
es
u
s
t
a
n
z
es
e
m
p
i
t
e
r
n
e
.
P
a
r
.
,X
X
V
I
,2
8
…3
9
善は,替であることが理解されるかぎりは,たちどころに
愛に火を点じます。そしてその蓄が完全に近ければ
近いほど,その力も大きいのです。
それゆえ完成の度合がはるかに高く,そのために
その外にある善はみなせいぜいその光輝が放つ
個々の光線でしかないようなあの本質を罰指して,
この論証の奥にひそむ真実を見てとる知性は,
愛にうながされ,他のいかなるものもさしおいて,
まず近づいてゆくはずなのです。
4
4
例数大学総合研究所紀要第 1
1号
こうした真理を私に理解させてくれる人は
すべての永遠の存在の
原初の愛を私に示してくれた人で、した。
ダンテはあらゆる人は至上善である神を望むということを前提において,その本質
に向かう三段論法(s
i
l
l
o
g
i
s
m
o)を提示する
)。まず,人は理性によって,いくつか
4
1
nq
u
a
n
t
oben
”)における,ただ一つの「替」(“i
’
bene”)を理解する
の「善j の中(“i
( mo
r
e”)を深める。そして,その「善j
ことにより,その「善」に対しての「愛J“a
の力が完全であればあるほど,そこに含まれる善意の力(“b
o
n
t
a
t
a
”)もさらに大きく
なるのである。続いて,その他のいくつかの「善ムつまり神以外の「善Jが,所詮,
( amente
”)は,「原初の愛J“i
(i
神の放っ光にすぎないことを理解する人間の「知性J“l
p
r
i
m
oamore”)つまり,神の愛に促されて(“mid
i
m
o
s
t
r
a
”),他のいかなる存在より
も神に近づくのである。よって,人は神が最も愛する対象となるのである。
“
P
e
ri
n
t
e
l
l
e
t
t
ou立i
a
n
o
ep
e
ra
u
t
o
r
i
t
a
d
ial
u
ic
o
n
c
o
r
d
e
d
ais
o
v
r
a
n
o
.
d
e
't
u
o
ia
m
o
r
iaD
i
og出 r
P
a
r
.
,XXVI,46-48
「人間の知性と
その知性に和する権威とに従って,
君の愛の中で最高の愛は神のために取っておくがよい。
(n
t
e
l
l
e
t
t
oumano”)と「そ
さらに,改めて神の真理を求めるために「人間の知性J“i
の知性に和する権威」(“出t
o
r
i
t
a
d
ial
u
ic
o
n
c
o
r
d
e”),つまり,人間の知性に合致する
聖書に記載された言葉の重要性を強調して,天毘の最後の段階に至る前までは,人聞
の知性が,神の真理を求めるために必要であるとする。そして,そこから生じる最高
(
"
i
is
o
v
r
a
n
o”)の愛で神を愛することによって,神の恩寵に預かることができるので
ある。そして,結果的に神の絶対性を認識して,知性は,神の意思と一体になるので
ある。
4
1
) アリストテレス箸,茂手木元蔵訳『エウデモス倫理学』
書店, 1
9
6
8年
, P
l
6
1以降
アリストテレス全集 1
4巻,岩波
中君主イタリアのヒューマニズム
45
ダンテは,『神曲 Jにおいて,霊魂の不死の問題はトマス神学の範囲内におさめ,
むしろ,人間の知性の不朽について論じた 42)。しかしながら,以上のような哲学的
論証においては,神を第一国として,それに人間の魂が合致することを理想としたア
リストテレスや,そのために最高の愛を用いるべきであるとする新プラトン主義の
影響が看取される制。このような人閣の存在鏡の中に,ダンテのヒューマニズムの
涼点が覗えるのである。
K
−・
,
‘
以上,夕、、ンテの『神治』に見られる中世イタリアのヒューマニズムについて,幾つ
かの特徴的な引用を基に考察した。ダンテは,当時のスコラ学の中心であった霊魂と
神の形而上学の開題について,むしろ,それを仲介する人掲の知殺を興味の対象とし
た。それは,教父からトマスまで引き継がれてきた神学の支配から人間の自由を獲得
するためのダイナミックな試みであった。夕、、ンテ以降,人間の知性の問題はルネッサ
ンスの主婆テー?となり
哲学・文学のみならず他の学問分野をも神学から分離した。
そして,結果的に, 1
5世紀以降の天文学,科学などの自律を{足し,間接的ではあるが,
既存の神学についての批判を提起することによって,宗教改革への礎となったのであ
る
。
4
2
) アリストテレス著,加藤信朗訳『ニコマコス倫理学J アリストテレス全集 1
3巻 岩 波 書
店
, 1973年
2巻,岩波書店, 1
9
6
8年
4
3
) アリストテレス箸,出隆訳『形而上学j アザストテレス全集 1
例えば,製ベノレナーんは,霊魂と神の;意思との婚姻などによって,愛による人間と神の合一,
或は,両者の意思の合致合説いた。
裂ベノレナノレド著, 山下房三三郎訳『雅歌について Jあかし書房, 1988年