経済学概論 第8回 日本の資本主義発達とマルクス経済学 19 世紀末、明治維新を経て日本は近代国家への道を歩んできたが、その過程 は同時に産業革命と市場経済の全面化による資本主義発達の歴史であり、また 後進資本主義国であるが故にこの過程を急速に、軍事的に進めていく歴史でも あった。 20 世紀になり、ロシア革命(1917)による社会主義体制の成立(→第8回) と前後して日本でも社会主義思想が芽生えるようになった。当初はキリスト教 思想に基づく友愛的思想や、無政府主義の影響が強かったが、マルクス経済学 の「輸入」とともに、日本の資本主義発達の過程も分析されるようになった。 「貧乏物語」(1916 年 9 月 1 日から同年 12 月 26 日ま で大阪朝日新聞に連載)を記し、後にマルクス経済学者 となった河上肇(1879~1946)はその先駆けである。 そして、マルクスの『資本論』による資本主義分析を 拠り所にしながら、日本資本主義発達の過程の特殊性を 分析しようとする試みが、軍事国家と治安維持法による 弾圧の中で行われた。 河上肇 1、明治維新と日本資本主義発達史論争 (1)明治維新と産業資本の成立・発達 幕末期から既に日本の在来産業は小商品生産の段階にあり、明治維新 (1867)と前後した開国と綿製品の輸出によって生産量が飛躍的に発展し、 マニュファクチュアも成長した。しかしながら急速な貿易自由化による綿製 品の価格下落によってこれらの産業は大打撃を受け、農業からの資本主義発 展の道を閉ざしてしまう。 一方、明治政府は輸出促進のために近代産業技術の移植による殖産興業政 策(1868)を進め、国内通貨の統一と商業金融機構の掌握によって資金供給 源を確立し、官営事業と政商(後 の財閥)の資本蓄積形成に資金が 投入されていった。そして、官営 工場払い下げ(1884)によって多 くの官営工場が低価格で政商資 本に払い下げられ、これらの政商 資本が産業資本として成立、発展 していくことになる。 31 経済学概論 (2)日本資本主義発達史講座とブルジョア民主主義革命 国際共産主義運動を進めるコミンテルン(→第 8 回)では 27 年テーゼおよび 32 年テーゼによって日本 の来るべき革命はプロレタリア革命(社会主義革命) ではなく、ブルジョワ民主主義革命であると規定され た。これに影響されたマルクス経済学者の大塚金之助 (1892~1977)、野呂栄太郎(1900~1934)、山田 盛太郎(1897~1980)、平野義太郎(1897~1980) らが『日本資本主義発達史講座』(岩波書店、1932 ~1933)を刊行し、日本の封建制から資本主義への移 行、発達の過程の分析を行った。『講座』の内容見本 には「日本に於ける資本主義の歴史的発展を世界資本主義体系の一環として把 握し、その発展の諸特質に制約された根本的矛盾を分析」(野呂栄太郎)と記 されている。そしてこの『講座』に結集した理論家は総称して「講座派」と呼 ばれた。 講座派は、①日本を世界史的な普遍性と特殊性の関係で捉え、②生産力と 生産関係の「矛盾」と、その爆発としての階級闘争を軸とする視点を具体化 し、③王政復古観も強かったなかで、明治維新を、封建制最後の段階として の絶対王政と規定し、④日本資本主義の軍事的政商的封建的性格を規定した1。 こうした段階規定により、政治論としては、天皇制打倒を目標とするブルジ ョア民主主義革命をめざす立場をとった2。 (3)労農派と社会主義革命論 これに対して、コミンテルンと一線を画し、雑誌『労農』を拠点としてい た櫛田民蔵(1885~1934)、猪俣津南雄(1889~1942)、大内兵衛(1888 ~1980)らは、明治維新では不徹底ながらブルジョワ革命が達成されている と反論した。彼らは、天皇制はブルジョワ君主制であり当面の政治闘争の対 象は金融資本・独占資本を中心とした帝国主義的ブルジョアジーであるとし て、ブルジョア民主主義革命ではなく、社会主義革命を目指そうとした。彼 らは総称して「労農派」と呼ばれた。 日本資本主義発達史論争には多くの理論家が参加し、世界的にも高水準の 研究が行われたが、治安維持法のもと、いずれも当時の官憲によって弾圧・ 検挙され、論争は終息した。 1 2 野呂栄太郎『日本資本主義発達史』 (岩波文庫、1930) 鹿野政直『日本の近代思想』 (岩波新書、2002)172 頁より。 32 経済学概論 2、戦後日本資本主義と国家独占資本主義論争 (1)戦後日本の民主化から高度成長へ 第 2 次世界大戦後、日本は占領軍(GHQ)の下に農地改革、財閥解体、労 働基本権の確立など「民主化」を進めた。講座派が指摘した「日本資本主義の 軍事的政商的封建的性格」は「革命」ではなく「敗戦」によってある程度達成 されたかのようであった。 一方、1950 年に起こった朝鮮戦争によって鉱工業生産を中心とした巨大企 業への特需により、日米経済協力体制が作られる。また、1951 年には講和条 約(いわゆる半面講和)とともに日本は独立を回復するが、同時に日米安全 保障条約が締結され、政治的軍事的にアメリカへの従属を強めることになる。 そして、戦後解体された財閥は独占企業体として復活し、一方、零細自作農 経営の崩壊による農村の解体によって都市に流入した低賃金労働力は資本蓄 積の支えとなった。その結果、日本は経済的には高度成長を達成していくこ とになる。 (2)ケインズ主義政策と「国家独占資本主義」規定 第 2 次世界大戦後の高度成長は、ケインズの『一般理論』の考え方に基づ き、財政政策と金融政策を行うことで政府による市場への介入によって達成 されたものでもあった。これによって恐慌(=長期の不況状態)を回避する だけでなく国内総生産額:GDP と国民所得を年々増加させる高度経済成長を 日本経済も成し遂げていったのである。 (→ケインズ政策については第 11 回、 第 12 回) この政策を、国家が経済過程に何らかの形で介入し、 資本主義において市場経済の自由放任からくる弊害を政 府の力で是正しようとする合理的な制度として捉える考 え方が、労農派の流れをくむ東京大学の大内力教授(1918 ~2009)によって提起され、 「国家独占資本主義」 (1970) と名づけられた。大内教授によれば、「金本位制の終極 的な放棄=管理通貨制度のうえに立って、主として通貨 33 経済学概論 の側面からおこなわれる経済への介入、あるいは広義のフィスカル・ポリシ ーを媒介とした経済の国家管理こそが、国家独占資本主義に固有の国家活動 であり、したがってその本質をしめすものである」3としている。 (3)国家独占資本主義論争と階級規定 国家独占資本主義(あるいは近代経済学による「混合経済」や「福祉国家」) は、独占資本主義固有の集中された権力(レーニンによる規定)の分散をは かって、個人の自由を最大限に保障しながら、資本主義の自由放任からくる 弊害を政府の力で是正しようとする合理的な制度である。 一方、このような見解に対して、国家を階級的本質においてとらえようと する正統的なマルクス主義の考え方からは、政府や国家を超階級的に把握し ている点で誤りであるとする批判がある4。 3、新自由主義と「セーフティーネット」 1970 年代に入り、資本主義経済はドル・ショック、オイル・ショックによ って生じた不況への政府の対策は効果を示すどころか、逆に不況期に物価が上 昇する(スタグフレーション)という現象が生じ、国家独占資本主義=政府の 経済政策の有効性を疑わせることになった。政策的には 1970 年代後半から 1980 年代にかけて「小さな政府」が流行となり、経済学の理論分野でも 1970 年代からケインズ経済学の考え方を否定し、経済における政府の役割を否定し、 新古典派経済学が強調した市場機構の役割を再評価する動きが強まった。(→ 第 13 回) これに対して、慶応大学のマルクス経済学者・金子勝 教授は緊縮財政・規制緩和路線においても、市場の円滑 な作動を支える制度的な枠組みである「セーフティーネ ット」(具体的には労働市場にとっての雇用保険や社会 保障、金融市場における預金保険機構や中央銀行制度) の重要性を説いている5。 3 大内力『国家独占資本主義』 (東京大学出版会、1970) 国家独占資本主義の一般的特徴 は、①個々の民間企業の経済機能が極めて広範囲に国家権力の手に移行される、②労働者 の雇用関係に国家が介入し規制する、③財政・金融に対する国家の機能の強化、その基礎 としての管理通貨制度の確立、④国際的な経済協力・経済援助に対する国家の介入、など としている。 4 池上淳『国家独占資本主義論争』 (青木書店、1977) 5 金子勝『セーフティーネットの政治経済学』 (ちくま新書、1999) 34
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