歴史と豊かな自然のある 対馬の魅力 対馬は、朝鮮半島を臨む国境に位置し、古代から受け継がれた重厚な歴史と豊かな自然のある島で す。そして、豊かな自然の恵みを活かした生業が盛んでした。しかし、現在、少子高齢化や島外への 流出による人口減少、植林など人為的要因による自然環境の改変、島の主要産業の衰退などの深刻な 課題を抱えています。 大陸と日本の重要な接点として 対馬島の誕生 朝鮮半島と対馬は 10 万年前に離れ、日本列島とは2万年前 に離れて対馬島が誕生したと推定されています。更新世の中頃 までは、アジア大陸と陸続きで、その後、東シナ海が浸入して きて、更新世の末期には現在の朝鮮半島と日本列島との間が切 れ、それまで大きな湖であった日本海が東シナ海に通じ、島が 誕生したと考えられます。 史書にも登場する古い歴史 対馬がはじめて歴史書に登場するのは 3 世紀頃、中国の三国 志時代の「魏志倭人伝」です。ここには、断崖絶壁が多く、山 が深く、道は獣道のように細い。また、水田が少なく、海産物 を食し、朝鮮半島や大陸と日本本土を小船で行き来して交易を 行っていたことが書かれています。 ( 出典:対馬自治連絡協議会(1999)、つしま百科 ) 縄文時代から続く日韓交流 対馬は、日本の中で朝鮮半島に最も近いという地理的条件から、大陸からの石器文化、青銅器文 化、稲作、仏教、漢字などを伝える日本の窓口でした。また、朝鮮半島との間では古くから貿易な どの交流が盛んに行われていました。この活発な交流から、対馬には数多くの書物、仏像、建造物、 朝鮮式山城の金田城跡や古墳などの文化財が残っています。 朝鮮半島との友好な交流の歴史の中、1592 年~ 97 年の文禄・慶長の役で交流が中断してしまい ましたが、対馬藩十万石の藩主・宗家は朝鮮との関係改善を図り、朝鮮通信使を江戸まで案内する など日本と朝鮮の交流再開に努力しました。 20 世紀に入り、一時期、対馬と朝鮮半島との交流が中断した時代もありましたが、対馬にとって 朝鮮半島は身近な存在であることは変わりありません。今では対馬と韓国の釜山が定期航路で結ば れるなど、文化、経済、教育の活発な交流が再開されています。 −1− 豊かな自然に囲まれた島の魅力 暖流に浮かぶ島 対馬は南北 82km、東西 18km の細長く、暖流である対馬 海流の影響を受けた温暖な気候の島です。海岸は沈降と隆起 によってできたリアス海岸で、その延長は 915km におよび ます。島の9割は森林で、標高 200 〜 300m の山々が海岸 までせまっており、場所によっては 100m もの断崖絶壁も あり、勇壮な自然を目にすることができます。 壱岐対馬国定公園 美しいリアス海岸 壱岐対馬国定公園は、玄界灘に浮ぶ壱岐、対馬の両島の 海岸部を主体にした公園で、対馬では、島の面積の約 17% が国定公園に指定されています。 浅茅湾の風景の美しい樹枝状のリアス海岸、下島龍良山 のカシ、シイ類の原生林、白嶽のアベマキ、チョウセンヤマ ツツジなど大陸種の混じる原生林、御岳のモミ、ツガの原生 林などが指定されています。 また、清流「瀬川」は、全体が天然の花崗岩でおおわれ た全国でも珍しい景観を形成しており、この清流と自然の景 鮎もどし自然公園 観を生かした「鮎もどし自然公園」が 1994 年に整備されました。 対馬でしか見られない動植物 対馬の豊かな自然には、国の天然記念物のツシマヤマネコをはじめ、ヒメダイコクコガネ、ツシ マフトギスなど、対馬でしか見ることのできない生物や、ツシマテン、ハクウンキスゲなど、大陸 系の動植物が多く生息しています。また、アカハラダカ、アオアシシギ、マナヅルなど、渡り鳥の 中継地であることから、世界でも有数の野鳥の観察地になっています。 −2− 10000 自然の恵みを活かした生業の歴史 5000 対馬は、豊かな海に囲まれた島であり、島の面積の 9 割が森林で、 残りの少ない平坦地を利用して農地をつくる、自然の中での暮らし が営まれてきました。 0 1960 年 1970 年 1980 年 1990 年 2000 年 2010 年 3 万人 第 1 次産業 第 2 次産業 第 3 次産業 2.5 万人 2 万人 第一次産業就業者数をみると、1970 年頃までは全産業の約半数 1.5 万人 を占めていました。かつての対馬は、ほぼ自給自足の経済が成り立っ 1 万人 ており、豊かな自然の恵みの中で、循環型社会が形成されていたと 0.5 万人 言えます。 0 変化に富む豊かな海が育んできた水産業 対馬暖流と沿岸水が混合することでプランクトンや小魚などが豊 60 19 年 70 19 年 80 19 年 90 19 年 00 年 20 10 年 20 産業別就業者数の推移 (2010 年国勢調査より作成) 富で、海底地形も東側のなだらかな傾斜と西側の急深な地形、沿岸 には磯瀬が散在するなど変化に富んだ地形により、イカやブリなど の回遊性魚類の他、アワビやワカメなどの根付資源にも富んでいま す。 また、森から河川を流れてくる豊かな栄養分を活かし、魚類や真 珠などの養殖も行われています。 浅茅湾における真珠養殖の様子 島の9割を占める森林を活かした林業 (提供: (一社)対馬観光物産協会) 島の面積の 9 割は森林であり、明治末期より、木炭生産が盛んに行われていました。しかし、熱エ ネルギー消費構造の変化に伴い、薪炭材の生産はしだいに少なくなり、それに代わる島おこしの一環 として、スギ・ヒノキ植林が盛んになりました。この森林資源を活かして、島内のヒノキを中心とし た木材の供給が行われています。また、しいたけ栽培も盛んで、乾しいたけ(原木)の生産量は、長 崎県内の 99%を占めています。 (提供:( 一社 ) 対馬観光物産協会) 対馬ひのき 対州白炭 原木しいたけ栽培 少ない平坦地を有効利用してきた農業 対馬には、佐護川沿いに佐護平野の水田地帯もありますが、全体 的に平地は少なく、耕地面積は島全体の 1.3%と非常に少ないのが 特徴です。 そのため、「木庭作」という森林の中で焼き畑をして、ソバやム ギを蒔いて農地を作ってきた歴史があります。 山間につくられた農地(内山区) −3− 対馬が抱えている課題 多様な魅力を持つ対馬ですが、人口、自然、生業のそれぞれの点で課題があります。 人口の減少 対馬の人口は、藩政期には 3 万人、明治末期で 5 万人、そ 8 万人 して 1940 年で 5.7 万人、その後 1960 年まで増え続け、ピー 7 万人 ク時には 7 万人近くまでにもなりました。その後、日本経済の 5 万人 70000 人 6 万人 50000 人 38481 人 4 万人 高度成長に対応して人口が減少しはじめ、1973 年には鉱山の 3 万人 閉山も影響し、現在はピーク時の半分以下となっています。さ 1 万人 32996 人 30000 人 19057 人 2 万人 0 万人 らに、高齢化率は 22.8%と国や県の平均に比べて高く、若年 期 時代 江戸 60 代末 年 05 19 時 明治 年 20 14 森から海へつながる自然環境の悪化 業従事者の高齢化、後継者不足などにより、間伐などの管理が 行われなければ、樹木が密生し、林床植生も貧弱になるなど、 加速度的に荒廃が進んでしまいます。このような森林の荒廃は、 面崩壊などの被害が発生するおそれがあります。また、様々な 要因で磯焼けが起こっていて、これまで海の森と呼ばれた豊か 100 歳 男性 90 歳 80 歳 70 歳 60 歳 1500 50 歳 40 歳 1200 30 歳 20 歳 一般補助造林 900 10 歳 公社造林 0歳 600 人 人 00 00 15 20 300 女性 一般補 公社造 2010 年 2030 年(予測) 00 10 人 0 人 500 人 000 1 0人 50 人 00 15 人 00 20 人 対馬市の人口ピラミッド 1500 ha が悪化している現状があります。 1200 ha 1955 年頃までは、対馬の農業人口は漁業を上回るほど多 2 0 (2010 年国勢調査及び平成 年度対馬市全小学 19601965 年 1970 年 1975 年 1980 年 1985 年251990 年 1994 年 1999 年 2004 年 2006 年 年 校区等将来人口推計業務報告書より作成) な海藻の海が失われており、陸と海の両面で、豊かな自然環境 自然の恵みを活かした生業の縮小 年( (2010 年国勢調査、対馬市統計データ、平成 25 年 度対馬市全小学校区等将来人口推計業務報告書よ り作成) 薪炭林の放置やその後盛んになったスギ・ヒノキ植林も、林 生き物の棲みにくい環境につながるとともに、地力の低下、斜 予測 0 03 層の島外流出が続いており、急速な少子高齢化が進んでしまい 対馬市の人口の変遷 ます。 ) 年 20 一般補助造林 公社造林 900 ha 8000 漁業 6007000 ha 林業 6000 農業 300 ha 5000 4000 0 かったのですが、対馬の農地はもともと地力が弱いことや、若 3000 60 65 70 75 80 85 90 94 99 04 06 19 19 19 19 19 19 19 19 19 20 20 2000 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 1000 年労働者の島外転出などにより、現在では、1970 年に比べ、 新植造林面積 (平成 21 0 年度 ツシマヤマネコ保護増殖実施方針 1970 1975 年 1980 年 1985 年 1990 年 1995 年 2000 年 2005 年 2010 年 年 (最終案)等作成支援業務報告書より作成) 農業就業者が 1/5 の約 930 人に激減しています。 対馬が長年の歴史の中で育 んできた自然の恵みを活かした 生業は縮小傾向にあります。さ らに、それらの生業とともに地 対家計民間 非営利サービス 生産者 さらされています。 林業 鉱業 製造業 水産 業 政府サービス 生産者 第1次 産業 8,000 人 対家計民間非営利サービス生産者 7,000 人 6,000 人政府サービス生産者 建設業 第2次 産業 島内総生産 101,253 百万円 (帰属利子等除く) 域行事や伝統的な食文化などの 様々な地域文化も存続の危機に 農業 ガス・水道業 小売業 保険業 5,000 人 4,000 人サービス業 3,000 人 情報通信業 2,000 人 1,000 人 運輸業 第3次産業 サービス業 漁業 農業 林業 0 年 年 年 年 年 年 年 年 年 70 975 980 985 990 995 000 005 010 2 2 2 1 1 1 1 1 19不動産業 不動産業 情報 運輸業 通信業 第一次産業就業人口の推移 保険業 (2010 年国勢調査より作成) 島内総生産 (2010 年長崎県の市町民経済計算より作成) −4− 小売業 ガス・水道業 建設業
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