西 大路曳山(にしおおじひきやま) に し ょ う じ 仁 正寺 初 代 建 造 不 明。 ( 現在三代目) 仁 正 寺【にしょうじ】藩 主「 市 橋 長 富 」 【いちは し ながとみ】公の寄 進により尾 張の職 人 が 文 政 8 年( 1 8 2 5 )に着 手 、8 年の歳月を費やし 天 保 4 年( 1 8 3 3 )に日野 最 大の豪 華な曳山を 再 建しました。 本 町曳山(ほんまちひきやま) ほ う せ ん し ゃ 鳳 仙社 明和7 年(1 7 7 0 )大修理。 平 成 1 2 年( 2 0 0 0 )に復 元 新 調した見 送り幕 、 紫 地 鳳 凰 樹 下 仙 山 水 図【むらさきじほうおう じゅかせんさんすいず】が見もので、社 名の由 来ともなっています。曳山 本 体の四 本 柱 雁 金 文 透 金 具【しほんばしらかりが ねもんすかし かなぐ】 と側面の鶴松図と亀図も見 事です。 新 町曳山(しんちょうひきやま) は っ け い か く 八 景閣 文 化 4 年( 1 8 0 7 )頃 建 造 。 上鍛冶町曳山(うえかじちょうひきやま) ま ん え ん し ゃ 萬 延社 万 延 元 年( 1 8 6 0 )建 造 。 錺 金 具【 かざりかなぐ】や 正 面 脇 間【 わきま】 建 造されて約 7 0 年は素 木【しらき】の曳山で の 彫 刻 、上 場【うわば 】欄 間【らんま】の 近 江 したが 、昭 和 4 年( 1 9 2 9 )に昭 和 天 皇の即 位 八 景の彩 色 彫 刻など装 飾が 豊 富で、向 拝【こ 御 大 典 の 記 念 事 業として総 漆 塗り金 箔 置き うはい】付きの豪華な曳山です。 金 物 付の曳山にされました。 十 曳山 六基 双 六町曳山(すごろくちょうひきやま) じ ゅ そ う し ゃ 壽 雙車 上 大 窪 町曳山(かみおおくぼちょうひきやま) け い し ょ う し ゃ 瓊 象社 寛政5年(1793)頃建造。安政6年(1859)大修理。 文久3 年(1 8 6 3 )建造。 上 場【うわば 】欄 間【らんま】には 明 治 1 0 年 か つては日野 祭 の曳 山 巡 行 順 を籤【くじ】で ( 1 8 7 7 )に 、今 在 家 村【 いまざ いけむら】の 決めていました。上 大 窪 町の曳山は大 窪の曳 「忠兵衛」 【 ちゅうべ い 】作 による 樹 花 鳥 獣 山の中で 、籤【くじ】取らずの二 番で 巡 行して 【じゅかちょうじゅう】の素 木【しらき】彫 刻 が 付けられています。 いました。典 型 的な日野の曳山ひとつで、天 場 【てんば】下の和様組物は異色です。 河 原田町曳山(かわはらだちょうひきやま) ら ん こ う か く 蘭 香閣 創建宝暦年間(1751~1763)以前。再建元治元年(1864)。 正面向拝【こうはい】 と天場【てんば】下に垂木【たるき】 を付け、舟木【ふなき】に龍と波の彫物を付ける。平成6年 (1994)復元新調の見送り幕の『三國志』は、劉備から 届いた書簡を関羽と張飛が拝読中の図が刺繍【ししゅ う】 されています。“商”の神として人気のあった『三國志』 で、町衆の「商の道」への心意気が偲【しの】ばれます。 大窪町曳山(おおくぼちょうひきやま) り ゅ う こ し ゃ 龍 虎車 文 久【ぶんきゅう】元 年( 1 861)建 造 。 日野 曳 山 唯 一 の 素 木【しらき】の曳 山で 二 番 目に大 型です。見 送り幕 、横 幕の下 絵は岸 派 【 きしは 】の 岸 岱【 が ん たい 】 ・岸 慶【 が ん け い】親 子の共同作です。 清水町曳山(しみずちょうひきやま) り く と く 六徳 越川町曳山(えちがわちょうひきやま) 杉野神町曳山(すぎのがみちょうひきやま) しょうかく か ん し ん 翔鶴 文 政 8 年( 1 825)建造。 文化3年(1 8 0 6 )建造。 諏 訪 の 彫 刻 大 工「 立 川 和 四 郎 」 【 たて か わ 四 本 柱の菊 文 透 金 具【きくもんすかしかなぐ】 わしろう】が 彫った二 十 四 孝【にじゅうしこう】 が 見ものです。横 幕の下 絵は、四 条 派の画 家 の素 木【しらき】彫 刻と京 都の画 家「 満 黄 」 【ま 「 塩 川文 麟 」 【しおかわ ぶんりん 】が 描いた んこう】による波の絵 模 様は見 事です。また曳 ものです。 山の金 箔と漆 塗りに関しては当町に在 住した 塗 師 職 人の技術の総力が傾注されています。 金英町曳山(きんえいちょうひきやま) ほ う ぎ く し ゃ 歓心 芳 菊車 寛 政 3 年( 1 7 9 1 )頃 建 造 。 見 送り幕は、大 和 絵から南 画【なんが】に進ん 日野曳山の中で 、最 古の部 類に属し、典 型 的 だ「 富 岡 鉄 斎 」 【とみおか てっさい 】の 下 絵 な重 箱 山【じゅうばこやま】です。曳山 側 面の によるもの。外 柱【そとばしら】の四神【ししん】 雅 楽 楽 器 模 様 金 具は異 色 。見 送り幕は、雲 向 の 巻 金 具 、下 場【したば 】の 波 に龍 の 彫 刻 が 龍 文 様 金 銀 繍 羅 紗【くもむかいりゅうもんよう 見 事です。 きんぎんしゅうらしゃ】 ( 中国製)です。 日野祭には現在16基の曳山が現存し、江戸時代中期から末期に製作され約150~200年が経って いますが、現 在でも全て現役で日野祭に華を添えています。 年によって本 祭に曳き出される数は多 少 変わりますが、綿 向 神 社への宮 入の後 、屋 上には時 代を取 り入れた「だし」といわれる人 形が飾られます。 曳 山 で は 、笛・大 太 鼓・小 太 鼓・すり鉦 により囃 子 が 奏 でられます 。また 、これらの 曳 山 の 「見 送り幕」や「 彫 刻 」には重要美術品に匹敵するものもたくさんあります。 仕出町曳山(しでちょうひきやま) か ん ぶ し ゃ 観 舞車 南 大 窪 町曳山(みなみおおくぼちょうひきやま) な ん そ う し ゃ 南 壮社 創建宝暦年間(1751~1763)以前。嘉永5年(1852)修理。 天明5 年(1 7 8 5 )以前の建造。 日野 商 人 の山中 家 が 財 力をもって贅【 ぜい 】 曳 山 下 場【したば 】組 物 間 、正 面 階 段 下 の 彫 を尽くし建 造した最も美しい曳 山です 。錺 金 刻 は仙 人 や 唐 獅 子 牡 丹【 からじしぼたん 】な 具【 かざりかなぐ】 ・彫 刻・車 輪 の 仕 組みなど どを主 題とした「 立 川和 四 郎 」 【たてかわ わ 造りや細 工に特に優れ 、幕の織【おり】や刺 繍 しろう】の文政1 2年(1829)の作品です。 【ししゅう】が見 事です。 今井町曳山(いまいちょうひきやま) ま い づ る し ゃ 舞 鶴社 文久元年(1861)建造。明治33年(1900)大修理。 階 段 付 重 箱 型曳山【かいだんつきじゅばこが たひきやま】の 典 型 で 、慶 応 元 年( 1 8 6 5 )に 今 在 家 村【いまざいけむら】の「 忠 兵 衛 」 【ちゅ うべ い 】作 にて 豊 富 な 彫 刻 が 追 加 され まし た。龍 虎 文 様 横 幕【りゅうこもんようよこまく】 も特 徴 的で全 体にバランスの良い曳山です。 岡本町曳山(おかもとちょうひきやま) ほ う て ん ち 法 天地 天 明 年 間( 1 7 8 1 ~ 1 7 8 8)頃 建 造 。 日 野 の 曳 山 の 中 で 唯 一 、二 階 屋 根 が ありま す。文政13年(1830)下場【したば】に諏訪の 「 立川和 四郎 」 【 たてか わ わしろう】による 十 二 支を配した木 彫などが付けられました。
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