黒田ゼミナール 卒業論文 「長時間労働問題について~日本と世界の比較」

黒田ゼミナール
卒業論文
「長時間労働問題について~日本と世界の比較」
1710100319
経営学部経営学科 4 年 21 組 54 番
室田かん奈
2015 年 1 月 9 日
目次
はじめに
第1章
第1節
第2節
第3節
日本と世界の働き方
第2章
労働時間と生産性の国際比較
年次有給休暇の取得率の国際比較
世界のちょっと変わった働き方
第1節
第2節
第3節
長時間労働が引き起こす問題
第3章
健康に及ぼす問題
精神に引き起こす問題
ワタミの過労自殺問題
第1節
第2節
第3節
ケーススタディ
第4章
伊藤忠株式会社
コクヨ株式会社
株式会社ヒューゴ
第1節
第2節
第3節
日本と海外の声
日本人が労働に抱く思い
イギリス人とフランス人へのインタビュー
インタビューから見える事実
まとめ
引用参考文献、URL
2
はじめに
現在の日本は、放射能汚染・原発問題、景気の低迷、少子高齢化問題など様々な社会問
題を抱えている。その中で人事労務管理を研究テーマとするこの黒田ゼミナールで、筆者
が深い関心を持っているのが「長時間労働」問題である。新聞記事やテレビニュースなど
で見かける、働きすぎで過労死、自殺などのセンセーショナルな見出しは、大学卒業後、
社会に出て働き始める筆者にとって、非常に身近な話題であり興味を引き立てた。ゼミの
仲間との共同研究では、主に日本の長時間労働にスポットを当てて研究したが、本論文で
はそれをさらに発展させ、海外の働き方や労働時間にも注目し論を進めていく。というの
も個人的な話になるが、筆者は8ヶ月間イギリスに留学し生活したり、他のヨーロッパ諸
国を旅行したりすることで、語学やビジネスについて学ぶだけでなく、生活の端々で日本
とイギリス、欧州との違いを感じてきたからだ。生活の端々には、その国の人々の労働が
色濃く伴っている。イギリスでの自らの経験や感じたことについて労働という身近な学術
テーマに落とし込め、論文という形にする意味でも、海外との比較というテーマを選んだ。
イギリスでの生活や、ヨーロッパ諸国での旅行で感じたことは、明らかに日本人より時
間を見ても勤務態度としても働き者ではないのだろうな、ということだ。実際に、スペイ
ンにはフィエスタという昼寝の習慣がありゆとりのある働き方をしているし(※現在では
フィエスタを廃止しているところも多くあるが)
、フランスでは日曜は店が開いてなかった
り、平日でも店じまいが日本よりずっと早めだったりする。イギリスも労働時間こそ統計
上では日本と同程度の長時間労働だが、街中の店の店員や大学事務員の適当な仕事ぶりを
見ていると、個々人にかかる負担という意味では日本の方が労働の重みを精神的に感じや
すいのではないかと思う。
しかし、ふたを開けてみれば上記にあげたヨーロッパ諸国の労働生産性 (就業者 1 人当
たり名目付加価値)は、日本のそれとほぼ同じかそれを上回る数字である(日本の順位は主
要先進7カ国では 1994 年から 20 年連続で最下位)
。なぜこんなことが起こるのか、より短
い労働時間で高い生産性を誇った方がいいじゃないかと単純に思ったのも、この研究を始
めたきっかけだ。
このように、国民性、宗教と働き方、商習慣の違いが、各国においての働き方の違いや、
労働時間の差を生み出していると仮定した。日本人は「真面目、礼儀正しい」などのきち
んとした印象を外国人に持たれているとよく耳にするが、それは実際、アンケート調査に
も結果として残っている。株式会社電通が行った日本人イメージ調査によると、アジアや
欧米などの主要16地域全体で、
「勤勉な」
「礼儀正しい」という日本人の真面目さを連想
させる項目が他を引き離してのトップ2であった。1
電通、海外 16 地域で日本のイメージや興味・関心を調査 、―「ジャパン・ブランド」
に好影響を与える日本人イメージ ―、
http://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2012077-0704.pdf
(2014 年 11 月 30 日アクセス)
。
1
3
たしかに日本人の働き方は、同じ会社にずっと勤め上げ、お客様に対して非常に忠誠的
で、ある種の奴隷なような働き方をしているのではないかという印象を筆者は持っている。
しかしそれが日本人の特性であり、この仕事に向かう姿勢は高度経済成長の名残でもある
と言われる。
本論ではそんな働きすぎと言われている日本人が、より気持ちよく働ける環境を作って
いくにはどうしたら良いかを追究していきたい。まず、働きすぎと言われている日本人が
実際はどれくらい労働しているのか、世界各国のデータを用い比較し、長時間労働が引き
起こす問題について述べる。次に労働時間削減に向け画期的な取り組みを行っている企業
をケーススタディとして取り上げ、多くの会社で実現可能な労働時間削減法について模索
していく。最後に、日本人が働くことについてどういう考えを抱いているか問うたアンケ
ート調査と、執筆者の海外の友人のインタビューを通し、日本と世界の働き方に対する考
え方の違いについて考える。その考察から日本人の働き方について見直し、日本人にとっ
てより良い働き方を最後に提言できればと思う。
第1章
日本と世界の働き方
日本は労働時間が長い、日本人は働き過ぎだとよくテレビなどで耳にするが、実際はど
れくらい働いているのだろうか。まずは日本と海外の労働時間と生産性の比較、有給休暇
取得率の比較をし、その実態を探る。本章の最後には、ヨーロッパ2カ国のちょっと変わ
った働き方(スペインフィエスタ、ドイツ6時以降残業禁止)を紹介する。
第1節
労働時間と生産性の国際比較
近年の日本では、働きすぎによる過労死や自殺、うつ病などの精神的な病の増加がよく
ニュースで報道されている。日本人は働きすぎだ、とよく言われるが、実情はどうなのか。
答えは年間約1800時間。数字だけ見ると長いのか短いのかよくわからないが、それに
対してドイツは年間約1400時間であるから、その差は400時間もある。1日8時間
労働とすると、日本人はドイツ人よりも約50日、つまり年間で一か月半近くも長く働い
ていることになる(図表1)。国の経済力に大きな差があるわけでもないのに、どうしてこ
んなことになるのか。
4
図表 1
出所:社会実情データ図録。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3100.html(2014 年 12 月
10 日アクセス)。
1947年、日本において初めて8時間労働制を定めた法律である労働基準法が制定され
た。労働基準法の制定で戦前からの日本の長時間労働体質が改善されると思われたが、こ
の法律には抜け道があった。使用者は、同法第36条の規定にもとづいて労使協定を締結
し届け出ることを条件に、時間外・休日労働に関してほとんど無制限の自由を手にしてき
たのだ。つまり労働基準法が長時間労働を容認しているということになる。現在ではこの
36協定による労働時間の延長に、1週15時間、1カ月45時間、1年360時間など
の限度が設けられているが、これは強制力のない指導基準に過ぎず、実際には、特別条項
に1日15時間、月100時間といった延長を盛り込んでいる場合が多い。時間外労働の
うちには、所定時間外に労働しながら、賃金または割増賃金の一部または全部が支払われ
ない、いわゆるサービス残業が含まれている。労働者調査である総務省「労働力調査」の
非農林業一般常雇の労働時間と事業所調査である厚生労働省「毎月勤労統計調査」の一般
労働者の労働時間の差から推定すると、近年の1人当たり年間サービス残業時間は、約2
50時間、月に換算すると20時間以上に上る。
5
「労働力調査」の男女計の年間労働時間は、1950年代後半には2700時間近くあ
ったが、1960年代初めから1970年代半ばにかけて2400時間台まで減少した。
1970年代後半から1980年代末までは微増ぎみに横ばいに推移したが、1990年
代に入ると再び減少に転じ、最近では2000時間を切っている。しかしこの減少は、女性
を主力とするパートタイム労働者(アルバイ
トや派遣をも含む週35時間未満の短時間労
働者)の増加によるところが大きく、男性のフ
ルタイム労働者の労働時間はほとんど変化し
ていない。2006年の総務省「社会生活基
図表 2 出所:労働生産性の国際比較。
http://www.jpc-net.jp/annual_trend/annu
al_trend2014_3.pdf
(2014 年 12 月 10 日アクセス)。
本調査」では、男性正規労働者は、週平均5
2.5時間、年間ベースでは依然として約2
700時間働いている。男女の年間労働時間
は開いており、最近では、開差は600時間
近くにまで達している。この事実を踏まえる
と、日本にはジェンダーによって引き裂かれ
た2つの労働時間があると言わなければなら
ない。OECD の労働統計によれば、2006
年の英米独仏伊の男性フルタイム労働者の週
労働時間は週平均41.6時間であった。こ
れに比べれば日本の男性正規労働者の週労働
時間は11時間も長い。同年の日本の女性正
規労働者の週平均労働時間は、44.9時間
で日本の男性に比べると7.6時間短いが、
上記5ヵ国の女性フルタイム労働者の週平均
38.8時間と比べると6.1時間も長い。2
日本の労働時間は国際的に見ても長く、
年々減少しているといっても、パートタイム
労働者の増加が統計に含まれているための
「見せかけの減少」ということがわかった。
これだけ日本人が働き者であるのなら国の経
済力もトップの位置を誇るのではないかと予
想ができる。しかしこちらのグラフを見てほしい。図表 2 は OECD 加盟諸国の1人当たり
GDP(2013 年)を示すものだ。
先進 34 カ国で構成される OECD(経済協力開発機構)加盟諸国の 2013 年の国民 1 人当た
り GDP を見ると、第 1 位はルクセンブルク(90,457 ドル/936 万円)であった。以下、ノル
ウェー(65,515 ドル/678 万円)、スイス(54,094 ドル/560 万円)、米国(53,086 ドル/549
万円)といった国が上位に並んでいる。
2
『経営労務事典』、労務理論学会編、晃洋書房、2011 年、100・101 ページ。
6
日本の国民 1 人当たり GDP は、36,315 ド
ル(376 万円)で、34 カ国中第 17 位となって
いる。これは、フランス(37,069 ドル/383
万円/第 16 位)や英国(36,202 ドル/374 万
円/第 18 位)といった国とほぼ同じ水準であ
る。図表1と図表2を見比べると、フランス
やドイツは日本より労働時間が短いが、国の
経済力ではフランスと同等、ドイツは日本の
上を行く数値となっているのがわかる。
こちらのグラフも見ていただきたい。図表
3は OECD 加盟諸国の労働生産性(2013 年)
を比較したものだ。労働生産性とは、投入し
た労働量に対してどれくらいの生産量が得
られたかを表す指標である。日本の労働生産
性は先進 34 か国中 22 位。それに対して短い
労働時間で日本と同等かそれ以上の GDP を生
み出しているフランスやドイツは、もちろん
労働生産性が高い。
ではなぜ日本の労働生産性は低いのか。
様々な要因が予想されるが、一つには労働者
の’意識’の問題があげられる。ダラダラと
毎日長い時間働いているだけで目標もなく
休みも十分に取れずにいる状態は、日々の仕
図表 3 出所:図表 2 と同上。
事のモチベーションの低下につながる。それ
が低い労働生産性につながる理由の一つではないかと筆者は考える。この状況を打破する
一つの提案として、リフレッシュの時間を長く取れないものかと考える。ところで日本の
有給休暇取得率の状況はどうなっているのであろうか。
第2節
年次有給休暇の取得率の国際比較
国際比較で無視できないのは、日本の年次有給休暇の取得率の著しい低さである。図表
4、図表5にも見られるように、EU 諸国では年間30日前後の有給休暇が付与され、その
ほぼ9割が消化されているが、2009年に日本の企業が付与した有給休暇日数は、労働
者 1 人平均17.9日で、そのうち実際に取得した日数は8.5日、取得率は47%と5
0%を下回った。それも実際には大半が病休の振り替えや、余暇目的以外の用途に使われ
ているというのが現状だ。3
3
『経営労務事典』、労務理論学会編、晃洋書房、2011 年、101 ページ。
7
図表 4 有給休暇の平均付与日数
出所:有給休暇取得率の国際比較2009より引用。
http://www.kankokeizai.com/image/top/090502_8.pdf(2014 年 12 月 10 日アクセス)
。
図表 5 平均付与日数のうちの平均取得日数
取得日数/付与日数
出所:図表3と同上。
第1節でも述べたように、イギリスは労働時間については日本と同程度、つまりヨーロ
ッパの中でも長時間労働の国と言われているが、日本と比べ有給休暇の取得率については
8
高いことがわかった。実際筆者が留学している際も、語学学校の教師が、家族とスキー旅
行に行くから一週間お休みを頂くと、生徒には何のお知らせもなく急に学校を休む、娘が
熱を出したから今日はお休みだ、ということがあった。彼らが有給休暇を使って休むこと
はいたって普通のことなのだが、あの時筆者がびっくりした感情を持った時点で、日本で
‘休む’ということが特別なことのように思われているのだな、と感じる。日本での学校
生活を思い返してみても、家族と旅行で一週間まるまる休むという教師はいなかったと記
憶している。留学直前の 4 月上旬、最後の、大学側の留学事務室とメールでやり取りをし
ている際も、イースター休暇だから返信が遅くなるという旨の自動返信メールが来た際に
は、これが海外の働き方なのだ、と思ったのを今でもはっきりと覚えている。このように
労働時間が長くても、リフレッシュする時間を多く取れるというのは、労働者にとって良
い傾向なのではないか。精神的負担、身体的負担共にグッと軽くなり、日々の仕事にも良
い影響を与えると予想する。事実、イギリスの労働災害の発生件数は日本のそれより少な
いというデータもある。
第3節
世界各国のちょっと変わった働き方
―スペイン~仕事の合間に取る昼寝休憩シエスタ―
スペインでは、伝統的に仕事の合間の午後2時から 5 時ぐらいまでに長いランチタイム
と昼寝休憩をとるシエスタという習慣がある。その間に帰宅して食事を取り、休憩や昼寝
などで気分転換するという。しかし、基本的な労働時間の長さは他国と変わらないため、
その分、終業時刻が遅くなる。スペインの人々の多くは、午後 9 時前に帰宅することなど
考えていないという。この習慣は 1940 年頃、仕事を掛け持ちしなければならない人が多い
時代にできたものであるが、他国とやり取りする企業にとっては経済活動の妨げになって
おり、多くの地域でスーパーや個人商店、公共施設などが一斉に閉まるため、観光客にと
っても非常に不便な状況を生み出している。近年では、職場と自宅を往復することが難し
い人も増えており、この習慣をやめている人々も多いという。現在スペインは債務危機が
懸念されており、国がシエスタ制度をなくそうとする動きが出ている。スペインの議会委
員会は、だらだらと長時間働く状況を改善して、生産性を向上させようと、午前 9 時から
午後 5 時までを標準的な労働時間と定めると提案した。スペインは 2012 年に、ユーロ圏諸
国から 1000 億ユーロ(約 13.4 兆円)を上限とする銀行支援プログラムを受けるほど、経済状
態が悪く、同年の失業率は 26%、16~24 歳の若年層に限ると、実に 57%にまで高まってい
る。欧州危機の救い手として最も多く資金を出しているドイツの就業時間は、周囲の国に
比べて短いが、それはドイツの生産性が高いからだ。スペインも「自助努力の精神」に立
ち返り、生産性を高め、他国にやっかいになる状況から早く抜け出すべきだろう。4
4
スペイン 3 時間の昼休み「シエスタ」をやめる? 自助努力の精神を、
http://the-liberty.com/article.php?item_id=6843
(2014 年 12 月 15 日アクセス)。
9
ドイツ~残業禁止法案成立~
ドイツの連邦労働大臣アンドレア・ナーレス氏は、長時間の労働が人の心に及ぼす影響
についての研究を根拠として、午後 6 時以降に仕事をすることを禁止する方向で、2016 年
までに法改正を進めることを示唆した。
午後 6 時以降や週末に業務上のメールのチェックなどを行う人は、うつ病や何らかの心
の病なかかる可能性が高くなるとされており、午後 6 時以降は業務に関わるメールの閲覧
自体を禁止する方針だ。もちろん、急に習慣を変えることは難しいため、2016 年までの間
は試用期間として、労働者の中には時間外の閲覧を禁止するアプリなどを使用する人も現
れた。仕事より個人の生活が大切という、ヨーロッパ人らしい考え方であると思った。
ちなみに、フランスでは、1999 年から週 35 時間労働が導入されているが、その規制にも
かかわらずメールのチェックで労働時間が長くなる人が多かったため、すでに時間外の業
務に関わる電話やメールが禁止されている。スマートフォンなどの普及で、いつでもどこ
でもメールのチェックなどをできて便利な反面、ついつい労働時間が長くなりがちな現代
人には、必要な法律なのかもしれない。5
Germany might ban work emails after 6pm and on weekends.
http://elitedaily.com/news/world/germany-ban-work-emails/783212/
(2014 年 12 月 15 日アクセス)。
5
10
第2章
長時間労働が引き起こす問題
長時間労働が人々の生活に及ぼす影響は多々ある。睡眠時間が確保できず肉体的にも精
神的にも疲れがたまる、ストレスの増大、家族や友人と過ごす時間が減る、趣味に割く時
間を十分に取れない・・・など様々な点があげられる。これらはやがて日常の仕事に集中
できずミスを連発したり、仕事のへのモチベーションが低下したり、ゆくゆくはたまりた
まったストレスで会社を休むようになり、最悪の場合は自ら死を選ぶ過労自殺ということ
も考えられる。現に近年の日本では長時間労働が要因となって自殺、うつ病、過労による
脳梗塞やくも膜下出血などで命を落とす人が増加している。
第1節
長時間労働が健康に及ぼす影響
近年、職場における労働者の健康問題としてとくにその深刻化が指摘されるのが、過労
死(過労自殺を含む)、そしてうつ病をはじめとする精神疾患(メンタルヘルス問題)である。
もともと、これらの問題は個々の労働者の肉体的精神的状態と深くかかわっているうえに、
不規則・不安定な勤務・就業形態、雇用不安の増大や成果主義型賃金体系のもとでの心理
的圧迫感の増加、さらには個人の年齢や体力、家庭環境、疾患の危険因子等の複合的な要
因によって生じるものと考えられる。しかし、これらが労働災害として認定されるか否か
についての判断基準としては、時間外労働の長短がもっとも重要な尺度となっているし、
電通過労自殺裁判の最高裁判決(2000年3月24日)での「常軌を逸した長時間労働は
うつ病をもたらすことは周知の事実である」との指摘に見られるように、その因果関係は、
産業医学の見地からも、労働法の見地からも、明白なものとされている。
また近年ニュースでもよく取り沙汰される過労死。過労死とは、過重な労働が誘因とな
って脳・心臓(あるいは循環器系)の疾患を発症し、死亡したケースをさし、死亡しなかっ
たケースを含めて“「過労死」等”と呼ぶこともある。また、同様の要因で自ら命を絶つケ
ースを「過労自殺」という。過労死という言葉は1970年代から使用されていたが、世
間に注目されはじめたのは、ストレス疾患労災研究会が「過労死110番」という全国電
話相談ネットを立ち上げた1988年以降である。その後、1988年11月13日付け
シカゴ・トリビューン紙が「日本人は、仕事に生き、仕事に死ぬ」という論評とともに過
労死裁判を紹介したことにより、世界中に Karoshi という言葉は広まった。現在では、オ
ックスフォード英語辞典のオンライン版にもこの言葉は登録されているほどだ。6
6
『経営労務事典』、労務理論学会編、晃洋書房、2011 年、110 ページ。
11
第2節
精神への影響
死亡という最悪のケースまでいかないものの、職場内外の心理的圧迫の増加にともなっ
て、精神的なバランスを崩し、うつ病などの精神疾患を発症する労働者は、1996年に
は請求件数が18件だったのが2000年には212件と膨れ上がっており、年々増加し
ている。2013年の精神障害の労災請求件数は1,409件(前年度比 152 件増)と過去
最多を記録している(図表6)。厚生労働省は第11次労働災害防止計画の中で「メンタル
ヘルスケアに取り組んでいる事業場の割合を50%以上とすること」と明記しているが、
最近では20-30歳代で発症するケースも増えるなど、むしろ問題は深刻化している。
メンタルヘルス問題は、薬物治療と十分な休養によって完治することがほとんどであるに
もかかわらず、職務外要因や個人の気質、家庭環境とも複雑に絡み合っているため、対応
に苦慮している職場は少なくない。また、疾病が回復に向かった場合の職場復帰の判断基
準や手順についての妥当性や法適合性など、さらに慎重な議論を要する課題が山積してい
る実態である。7
図表 6
出所:平成 25 年度「脳・心臓疾患と精神障害の労災補償状況」を公表。
http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11402000-Roudoukijunkyokuroudouhos
houbu-Hoshouka/seishin_2.pdf(2014 年 12 月 10 日アクセス)。
第3節
ワタミの過労自殺問題
異常な長時間労働が原因で、自らの命を絶つという選択をした人がいる。森美菜さん
(26)は2008年6月、名古屋から大手居酒屋チェーン店の「和民」(ワタミ)に
就職するために上京した2ヶ月後に過酷な労働を苦とし自殺した。亡き美菜さんは京急
久里浜店に配属され(1)一週間の座学後、強制的に長時間労働(2)最大7日間連続の勤務
(3)研修もまったくないまま、なれない大量の調理業務(4)休日や勤務終了後もレポート
書きに追われ、十分な休息時間がとれなかった(5)体調不良を訴えていたにもかかわらず
7
『経営労務事典』、労務理論学会編、晃洋書房、2011 年、110・111 ページ。
12
会社はなんら適切な措置をとらなかった(6)さらに朝3時に閉店後も電車が動いていな
いため帰宅できずお店にいて始発電車で帰ることとなり、過度な疲労と精神的負担が蓄
積されていった。名古屋に住む両親が横須賀労基署に労災を申請した。当初、労基署は
残業時間100時間を超える労働に従事していたことを認めたが、業務外と決定した。
しかし、その後の両親の働きかけにより、2011年2月、美菜さんの自殺が仕事の過
労による業務上のものと認定された。両親によると、亡くなるおよそ一カ月前の手帳の
日記には「体が痛いです。体がつらいです。気持ちが沈みます。早く動けません。どう
か助けてください。誰か助けてください。」と悲痛な心の叫びが記されていたという。8
第3章
ケーススタディ
多くの企業がより良い働き方を実現するため、また最悪のケースは過労による自殺や病
気を引き起こす長時間労働を改め直すため、働き方の改革を積極的に行っている。「マルセ
イバターサンド」で知られる北海道の企業、六花亭製菓では、過労で社員が辞めたのを機
に働き方を変えた。「ムダを徹底して省く」
、「誰かがが休むと全員で補う」
、「一人三役をこ
なす」
・・・など、労働を凝縮したことで「有休取得率 100%」
「残業ゼロ」を実現し続けて
いる。
このように本章では、一日の総実労働時間や残業時間削減に向け画期的な取り組みを行
い、成功させている日本企業の例を紹介する。その例から成功のポイントや、一企業だけ
でなく、日本企業全体に導入され得る新しい労働時間もしくは残業時間削減法について考
察していく。以下紹介する三社の取り組みは、上記で紹介した三社の取り組みは確実に労
働者を正常な労働時間へと導くものだと思う。
第1節
伊藤忠商事株式会社(総合商社、従業員数4,276人)
―朝残業制度~だらだらやる「夜残業」より、気分スッキリ―
伊藤忠商事は 2012 年 10 月から、
「働き方」に対する意識改革に取り組んでいる。一部社
員を除きフレックスタイム制度を廃止するなど、残業削減に努めてきた結果、一定の効果
は得られた。しかしグローバルなネットワークを持ち、24 時間業務が続く総合商社の性格
上、さらなる残業削減は困難と判断し、さらなる業務の効率化を図るため深夜残業を禁止
し、朝残業制度を試験的に取り入れ始めた。朝型残業を提唱した岡藤正広社長は、自身も
8
ワタミで働き過労自殺、http://agentleaks.blog.fc2.com/blog-entry-13.html
(2014 年 1 月 7 日アクセス)。
13
朝型で、午前 7 時には出社している。同社の勤務時間は、午前 9 時から午後 5 時 15 分まで
で、午後 10 時には完全消灯し、夜の残業は禁止する。その代わりに、やりきれなかった仕
事を朝に回す「朝残業」制度を導入した。午後 10 時から午前 5 時までの深夜勤務に対して
支給している 50%の割増賃金を、早朝勤務にも適用している。朝 8 時までに始業した社員
には、伊藤忠グループになった Dole 社ブランドのバナナやヨーグルトを無料で支給すると
いう、社員には嬉しい取り組みも付せて行われている。対象になるのは、管理職を含めた
国内の正社員約 2600 人で、2013年 3 月までの時限的な措置だったが、図表7と以下の
ように社員の意識や効率化、残業時間削減など効果的な取り組みと判断されたため、20
14年5月より正式に導入された。9
図表 7
・入退館状況(昨年度同時期比)
20 時以降:約 30% → 約 7%
22 時以降:約 10% → ほぼ 0 名
※事前・突発申請者数名
8 時以前: 約 20% → 約 34%
・夜間の時間外勤務時間削減
総合職:49 時間 11 分 → 45 時間 20 分(約 4 時間減)
事務職:27 時間 3 分 → 25 時間 5 分(約 2 時間減)・コスト削減
早朝割増賃金、軽食無料配布の増加分を含めても、結果として時間外勤務手当の約 4%のコ
スト削減。電気使用量も昨年度比 6%減。10
9
伊藤忠の「朝残業」は定着するか?多様化する働き方最前線~交代制、フレックス、在宅
…、http://biz-journal.jp/2013/10/post_3147.html
(2014 年 12 月 18 日アクセス)
10 より効率的な働き方の実現に向けた取組について~朝方勤務の正式導入~、
http://www.itochu.co.jp/ja/news/2014/140424.html
(2014 年 12 月 4 日アクセス)
14
・社員の生活の変化
社員が健康的で充実した生活を送れるようになった。総合職の女性社員からメールをもら
った。これまで上司が夜に残業するので早く帰れなかったのが、今は午前7時半に出社、
午後4時に退社し、子供を託児所に迎えに行き、夕食を夫と一緒に食べているという。朝
型勤務ならば、非常に健康的な生活ができる。本当に必要がある残業は、半分もないので
はないか。早朝勤務の手当を増額したので時間外勤務の人件費は増えると思ったが、実際
には前年同期よりも7%減った。他社も導入を検討しているようだ。
夜の残業を全社的に禁止することでダラダラ残業をなくすことができると思う。よく受
験生は深夜まで勉強するより早起きしてやったほうが、勉強がはかどり合格するといわれ
るが、その理論と似ているところがあるだろう。実際労働時間は少しだが確実に減少して
いるし、様々なコスト削減にも成功している。朝ごはんを用意するという粋な計らいや、
人事部主導で全社的に取り組んだことも、効果を生んだ理由の一つだと思う。早朝出勤す
ることで、朝の通勤ラッシュを避けられるという利点も見込める。特に小さい子供を持つ
働く母親にとっては、子供を早く迎えに行け、一緒に過ごせる時間が増える。他社も導入
を積極的に検討すべきだと思う。
第2節
コクヨ株式会社(文房具、オフィス家具の製造・販売、従業員数 6,399 名)
―時間の使い方の「見える化」―
株式会社コクヨでは、2008年7月から約6ヶ月間、まずコクヨグループ内の特定部
署を選定し、
「働き方見直しプロジェクト」を実施した。目的は、生産性を高める効率的な
働き方の工夫と、ワークライフバランスの充実を目指す意識醸成とし、主に業務の棚卸と
その業務毎の時間分配等のあり方を見直した。具体的には、各自メンバーが1週間の業務
予定や行動予定を事前に立て、実際の所要時間を把握し、業務の優先順位を付けて無駄な
行動を省いた。
「ポイントはスケジュールを「15 分単位」で立てること。一つの仕事の予定
終了時刻を、○時 15 分や△時 45 分など、15 分刻みで切ります。5 分では細か過ぎて大変
だし、30 分では大まか過ぎる。この業務はこれくらいの時間でできそうだとか、できるよ
うにするためにはどうすればいいのかといった“時間の見積もりの精度”を高める意識付
けとして、本プロジェクトではこの 15 分単位の時間管理法を取り入れたのです。
」
15
その結果、プロジェクト開始前後の比較で、部署全体の月間総労働時間が削減でき、意
識面や働き方の気付きという点でも大きな変化が出てきた。また、部署内のコミュニケー
ションが活性化しお互いのノウハウを今まで以上に共有することで、部署全体も活性化さ
れた。11
JILPT 調査によると、残業をする理由の一位が、業務量が多いからというデータがある。
そのことを考えると、まず取り組まねばならないこととして挙げられるのは、業務内容や
業務過程の見直しであろう。残業削減に当たってはどの会社も取り組まねばならないこと
だ。しかし個々人で業務の見直しをしようといっても効果は見込めないであろう。
「働き方
見直しプロジェクト」と大々的に取り組んだ点が成功の一因であると考える。はじめは一
部の部署に協力を要請し成功例を作り、それから全社的に取り組んでいくようにするとい
う働きかけも、人間の心理的に受け入れやすいことだと思う。長時間労働を減らすにはや
はり、誰か一人が行動するのではなく、経営者、従業員関係なく、一つの目標に向かって
取り組むことが必要不可欠なのではないか。
第3節
株式会社ヒューゴ(IT コンサルティング会社、従業員数 5 名)
―日本版シエスタ制度―
第1章でも取り上げたスペインのシエスタ制度だが、日本でこの制度を導入、採用して
いる会社がある。大阪にあるIT(情報技術)コンサルティング会社ヒューゴだ。
1 シエスタは昼寝や食事、読書に活用し、気分転換で仕事の効率上げる
2 仕事に集中できるよう時間の使い方を自己管理
3 即座に判断し、即座に動く
という3つの事柄をポイントとし、業務の効率化を図ろうとしている。日本で導入してい
る企業は数少ないが、中田大輔社長(34)は「仕事の効率を上げる最高の仕組み」と断言
する。競争の激しいIT業界で生き抜くためには、シエスタで頭をリフレッシュして即座
に物事を判断し、行動に移すことが必要不可欠という。
「シエスタは午後1時から午後4時まで。この間は『ただいまシエスタ中』という自動音
声が流れ、社内の電話は鳴りません。シエスタは自由時間です。寝てもいいですし、映画
観賞など趣味に活用してもいい。私はアイマスクを着けて 30 分間ほど昼寝して、残りの時
間を食事や読書に充てています。社員と一緒に長めの昼食に出かけ、親睦を深めることも
あります」
11
ダイバーシティ・プロジェクト 企業の取り組み
http://www.asahi.com/diversity/corp/kokuyo.html
(2014 年 12 月 18 日アクセス)
16
「ITコンサルという仕事柄、勤務時間は不規則になりがちです。前日に深夜まで仕事
して疲れが残っているような日は、昼寝で気分をリフレッシュすると仕事の効率が高まり
ます。業績面にも成果は表れ、この3~4年の売上高は毎年2桁台の伸びを示しています」
「2004 年に現在の会社を立ち上げる前は、アパレル商品を扱う商社に勤務していました。
昔気質の日本の会社で長時間勤務は当たり前。眠気をこらえて仕事をしなければなりませ
んでした。当然、仕事は非効率になり、ミスが多発します。眠い頭を抱えて仕事するくら
いなら、いっそのこと短時間でも寝て、集中力を回復させた方が効率的と常々考えていま
した。自分の会社では誰の目も気にせず、社内で堂々と昼寝ができるようにと、正式な制
度としてシエスタを導入しました」
「社外の人から『昼寝時間を設けるより終業時間を早めるべきだ』との指摘も受けます。
業務時間は午前9時から午後1時、シエスタを挟んで午後4時から午後8時です。ただ、
シエスタを利用せず、午後5~6時に退社することも可能です。要は時間の自己管理です。
集中したいときは自宅で作業することもありますし、社員にも『時間や場所にとらわれず
に仕事をしてほしい』と話しています。半面、午前9時の朝礼は欠かさず、参加は義務で
す」
「自由な働き方はITコンサルという業態が可能にしているのかもしれません。ホームペ
ージの閲覧数を増やすサービスや、集客力を増やすためのソフト開発などを手がけていま
す。受注した案件を納期までに仕上げればよく、自分のペースで業務を進められます。社
員はプログラマーやデザイナーで、職人集団のようなものです」
「即断即決では、物事を判断して決めるだけです。むしろ決断後すぐに行動に移すこと
が重要で、これを『即断即動』と名付けました。当社のような中小のITコンサルティン
グ会社が生き残っていくためには、顧客の要望に即時対応して満足度を高めていくしかあ
りませんからね」
「即断即動した新規事業の一つが欧米人向けに漢字の当て字をネットを通じて販売する
サービスです。漢字に関心を持つ欧米人が増えていますが、漢字の本来の意味や読み方を
理解できる人はごく少数です。ここにビジネスチャンスが埋まっているのではないかと思
いました。例えば、マイケル・ワトソンという人から注文が入った場合、『舞蹴和都尊』
という当て字を作ります。字体を選んだり、全体のバランスを整えたりしてデータとして
送ります。このデータを使って、漢字名入りTシャツをつくるなどして楽しんでいるよう
です」
17
「宣伝には著名人の利用が効果があると判断し、すぐに米国の州知事や市長の当て字を
勝手に作ってメールで送ったんです。もちろん、ダメでもともとでしたが、何とサンディ
エゴ市長などからお礼の連絡がありました。先方の了解を得た上でホームページに掲載し、
大変評判になりました。中小企業の醍醐味はこうした新規事業への挑戦です。リスクを恐
れず、シエスタで発想力を高めながら、社員とともに挑み続けていきたいと思います」12
同社がシエスタ制度を実施している午後 1 時から 4 時までの間にホームページにアクセ
スすると、以下のような画面が表示される(図表8)。シエスタとは何か、日本人の睡眠
状況、同社がこの制度を採用するにあたってのポリシーなど、シエスタに関連する様々な
情報が掲載されており、ヒューゴ社の会社情報などの一般的な情報は閲覧できない状態と
なっている。
図表 8 ヒューゴの午後1~3時のホームページ画面
出所:株式会社ヒューゴ HP より http://www.hugoinc.us/(2015 年 1 月 6 日アクセス)
なんともユニークな試みである。IT コンサルという仕事柄がシエスタの導入を促したと
いう通り、職種が限られる取り組みではあろう。クリエイティブな仕事をしている人にと
っては効果的な制度だと思う。
12
“昼寝”で業務効率化 ITコンサルが導入
http://www.nikkei.com/money/features/29.aspx?g=DGXNASFZ2100J_21052014K15600
(2014 年 12 月 20 日アクセス)
18
第4章
日本と海外の声
本章では、まず日本人が長時間働くことについてどういう考えを抱いているか、その声
を紹介する。また、筆者の海外の友人のインタビューを通し、日本と世界の働き方に対す
る考え方の違いについて探る。
第1節
日本人が労働に抱く思い
時間外労働~簡単に言えば残業。多くの友人が社会人となり働き始めたことで、より残
業の二文字を聞く機会が多くなった。そんな話を聞いていると、日本のサービス残業とい
う悪しき文化は根深いものであると考えるようになった。
大手企業で働く社会人一年目の友人がいる。仮にその友人を A さんとしよう。入社して
最初の数か月は仕事が楽しく、残業をしてもちゃんと働いた分だけ残業代が支給され生活
的にも精神的にも充実した社会人生活を送っているという話を聞いていた。そんな A さん
だったが、ある日課長に呼び出されこんなことを言われたそうだ。「A さん、君はちょっと
残業しすぎじゃないかな。一年目の社員にこんな働かせていたら、人事部から注意される
かもしれないから、働き方をちょっと考え直してみてね。」A さんは、自分が残業した時間
分をそのまま正直に申告して残業代をもらっていたのだが、自分より残業しているはずの
上司の残業時間の申請分は自身のものよりずっと少ないものだったそうだ。これがまさに
サービス残業というものなのか、大手の企業でもこんなことがあるのかと、A さんは落胆し
たそうだ。それから A さんは仕事へのやる気を失ったとさえ言っていた。これこそ最悪の
場合は精神的な病の問題につながっていく事例なのではないか。しかしこの課長の言葉か
らは、もう一つの残業に対しての側面が見えるように思える。それは第1章でも考えた「生
産性」だ。働き方を考え直してみてね、という一言を言われたときに、短い時間でも頑張
って仕事を早く終わらせようとする思考を、A さんは持ち合わせるべきだったのではないか。
こういう思考を持てないのが日本人、こういう思考を持たせているのが日本社会の現状と
も言える。
また、ある酒販会社で働く社会人一年目の友人の労働状況についても話を聞いた。仮に B
さんとする。B さんは平日の夜10時まで働くことが常だそうだが、残業代は全く出ないと
いう。いわゆるサービス残業だ。土曜出勤することも時々あるそうなのだが、これももち
ろん給料は出ないタダ働き。これでは労働意欲がまぬかれても仕方ない。つらい、やめた
いと筆者に漏らす友人の声を聞くと、本当にかわいそうだと思うと同時に、決して大きな
会社ではないこともその過酷な労働条件の一因なのではないかと思う。日本人が長い時間
働く理由は、何か一つの理由があるわけではなく、色々な要因が昔から積み重なって出来
上がった負の遺産なのだ。
2年前、ある大手メーカーの子会社で働いている人事部の上位の役職の方に、長時間労
19
働の実態やお話を伺う機会があった。「法律が厳しくなっているから、昔に比べたらあまり
長い時間働かせることはできなくなったね。でもこれ以上、労働時間や残業を減らせって
いうのは難しいよ。無理なもんは無理なんだよ。」
彼の言葉から、労働時間を短縮させようという意思は彼には全くないのだなと思った。
トップがこうだと部下も働かざるを得ない。日本の長時間労働問題は相当根深いもので、
簡単に改善される問題ではないのだなと初めて筆者が認識した瞬間でもあった。
昔は「残業なんてしたくない。仕事ばっかりの人生は嫌だ。
」と言っていた友人も、社会
に出て働き始めると、言っていることが正反対になってきた。「定時に帰るなんてありえな
い。残業しないと仕事が終わらないんだよ!」やはり社会に出ると‘日本的働き根性’な
る思考が刷り込まれていくのだろうか、と社会の荒波にもまれていないあまちゃん学生の
筆者はそんなことを思ってしまう。そんな‘日本的働き根性’をまだ持ち合わせていない
筆者から言わせると、長時間労働問題を解決するカギとなるのは方法あれこれではなく、
改善させようとする思いなのではないかと強く思う。
第2節
イギリス人とフランス人へのインタビュー
インタビューは、筆者が留学していたバーミンガム大学で勉強していたフランス人と、
付属の語学学校で教師をしていたイギリス人に協力してもらった。前者は 28 歳で、シュナ
イダー・エレクトリックというフランスの世界的電機メーカーでの就業経験を持ち、現在
はスイスにあるボブストという大手機械メーカーで働いている。フランスは、第一章でも
述べたように、平均実労働時間が日本と比べて短いにもかかわらず、生産性の面では日本
と同等というある意味理想的な働き方を実現させている国の一つだ。また、有給休暇が取
りやすいこともその労働環境の特徴としてあげられる。一方、後者のイギリス人は大学付
属の語学学校時代お世話になった恩師で、日本での就業経験もある。イギリスは日本と同
程度の長時間労働の国として知られているが、有給休暇の取りやすさという面を考えれば、
日本よりはゆとりを持った働き方ができているのではないかと考える。彼らのインタビュ
ーを通してその実態を探りたい。
以下、フランス人男性を F、イギリス人男性を S、筆者を M としてインタビューの模様
を記す。
Case1
28 歳、フランス人男性、メーカー勤務
M「今はスイスのジュネーブで働いているみたいだけど、今まで働いたことのある国はどこ
なの?」
F「フランスでも働いたことがあるから、スイスとフランスの二か国だね。」
M「どういうところで働いていたの?」
F「フランスに本社を置くシュナイダー・エレクトリックっていう電機メーカーと、現在は
スイスのボブストっていう機械メーカーで働いているよ。」
20
M「へぇ、すごい。一日はどれくらい働いてて、どれくらい残業してるの?」
F「一日平均は8-9時間だね。残業は1-20時間くらい。必要にかられた時にしかしな
いよ。」
M「じゃあ休日出勤はしたことある?」
F「あるよ。」
M「へぇ、それは意外。フランスって週 35 時間労働とか、日曜日はお店があまり開いてな
かったりとか、比較的労働が緩いイメージがあるから…」
M「じゃあもし、会社の上司が F に残業を頼んできたら引き受ける?」
F「それは引き受けるよ!」
M「でも自分の働く会社で、残業は当たり前だっていう風土は感じたことないでしょ?日本
の会社では結構あるみたいだけど…」
F「たしかにそれはないね。残業は、なにか特別な場合にすることで会社の利益になるのな
ら、例外的にされるべきだと思う。でも、残業をしなくてはいけないということは、要員
が足りていない、または/もしくは、業務過程が効率的でないいうことなのかもしれない
ね。
」
M「そっか~。じゃあ次は有給について。日本では、上司の顔色を伺って有給休暇が取りに
くいということがあるけど、F は今まで有給休暇を取るのをためらったことはある?」
F「場合によるね。休暇を取りすぎることに申し訳なさを感じることは時々あるし、上司が
好きな日程で休暇を取らせてくれないこともある。しかし一般的には有給休暇を取ること
は容易いことだし、経営者は給料を払うより、全ての有給休暇を取得させるほうを好むよ。」
M「やっぱりここらへんは日本と少し違うとこなのかな。じゃあ最後に、フランスとスイス
の労働環境についてとか、他に意見があれば教えてください。」
F「フランスとスイスは労働環境においていくつか似ている点を持っている:文化と言語、
少なくとも半日に一回はコーヒーブレイクを取るところ、上司たちとの密接でフレンドリ
ーな関係性、全体の意見とディスカッションに基づいた仕事をしていることだ。しかし相
違点もある。スイスは多文化的であり、多くの人はドイツ語を話すため、業務上での共通
言語は英語になることが多い。スイスでは、法定労働時間が週40時間、一方のフランス
は35時間であること。私は今スイスで働いているけど、たいてい週に42~45時間働
き、フランスで働いていたころは週38~40時間働いていた。あとは、フランスの労働
組合は強い一方、スイスのそれはそこまで活動的でないことが言えるね。でもスイスの労
働組合も年々強くなっているよ。」
Case2
33 歳、イギリス人男性、教師
M「前に日本で少し働いていたことがあるって仰ってましたけど、他にどこかの国で働いた
ことはありますか?」
S「イギリス、オーストリア、トルコ、日本で教師とか大学講師として働いたことがあるよ。
」
21
M「いまは一日平均どれくらい働いてて、一カ月平均どれくらい残業してるんですか?」
S「一日平均は 9 時間くらいだね。残業は試験期間中とかに1-20時間くらい。
」
M「では休日出勤をしたことはありますか?」
S「あるよ。」
M「へぇ~これまた意外です。海外の人ってなんとなく休日出勤とかしないイメージだった
ので…。じゃあもし上司が残業を自分に頼んできたら、引き受けますか?もしそうなら、
なぜですか?」
S「引き受けるね。それは、残業は時に必要なものだから、例えば試験期間中とかの繁忙期。
試験の採点をするとかね。
」
M「自分の働く会社で、残業は当たり前だという風土を感じたことはありますか?」
S「あるよ。基本的に試験期間中は皆が残業しているからね。一年に 6~8 週間ほどはその
期間になるね。」
M「では残業についてはどう考えていますか?」
S「残業は時には避けられないものだ。私の職は給料をもらってやっていることなのだから、
やらないということはない。でも、時給制の仕事をしているイギリス人は、残業代をもら
うことを望んでいるよ。」
M「では最後に…日本では、上司の顔色を伺い有給休暇が取りにくいということがあります
が、今まで有給休暇を取るのをためらったことはありますか?」
S「イギリスの経営者は積極的に労働者に有給休暇を取るよう推奨しているよ。有給休暇を
取りたい、と‘頼まなくても’いいんだ。上司が社員に‘いつ休暇を取りたいのか?’っ
てことを尋ね、社員はただ日にちを伝えるだけで済むのだよ。」
第3節
インタビューから見える事実
Case1 から言えることは、残業を当然とする風土を感じないというところから、フラン
スの労働環境の状況がうかがえる。また、上司とのフラットな関係性も労働者の精神的負
担を軽減させているのであろう。有給休暇の付与日数が38日と、またそのうちの平均取
得日数が36日と、有給休暇付与日数が平均的に多い EU 諸国の中でも群を抜いて有給が
多く、また、取りやすいフランス人らしい発言なのではないかと思う。
Case2 から見える傾向は、イギリスは日本と同様、労働時間が長い国として知られてい
るが、残業についても仕方のないことだと、日本と同様の受け止め方をしていると思う。
その一方で、有給休暇を取りやすい環境が整っており、労働者への負担は日本より小さい
のではないか。図表8にもあるようにフランスとイギリスは有給休暇をすべて取得した人
の割合で 1 位と 2 位を占めており、その休みの取りやすさは明らかだ。
22
図表 8
有給休暇をすべて取得した人の割合
出所:図表3、図表4と同上。
まとめ
長時間労働を是正しよう、残業をなくそうと言っても、世の中には様々な企業があり、
職種があり、働く環境はそれぞれによって全く異なるため、一概に「こうした方法がいい!」
とは断言できない。だがしかし、調査を通して重要だと感じることは、
① 経営者側が積極的に時短に取り組もうとする姿勢
② 労働者が無駄な仕事を省き集中して仕事に取り組む姿勢
③ 有給休暇を取得しやすくする環境作り
この3点の徹底だ。労働にかかわるすべての人がこの問題を真剣にとらえ、改善し、具体
的な行動へと結び付けていかねばならない。①に関して、上司の顔色をうかがいがちな文
化がある日本において不可欠な事柄であると思う。②に関して、長時間労働は当然のもの
だという考えを労働者自らが変えなければ、状況は変わらないだろう。日頃の業務内容、
過程に無駄がないか考え改め、ダラダラ仕事をなくすことも時短へとつながる道だ。③に
関して、労働時間を削減することに限界が来たとしても、リフレッシュの時間を取りやす
くすることで、心身ともに負担の軽減が見込めるのではないか。
筆者は日本が長時間労働の国である所以は、日本人の真面目過ぎる所、自らの業務を忠
23
実にこなそうとしていることがそもそもの原因だと考えている。残業の発生理由を問うた
アンケート調査13では、業務量が多い、仕事が終わらないなどということがその理由として
挙げられているが、これは日々の仕事を早く終わらせようとする努力が少し足りないので
はないかと思ってしまう結果だ。いまだ社会に出て働いたことがない身の筆者の勝手な予
想であるが、自分なりに考えた結果でもある。この考えは働き始めたらまた変わるのかも
しれない。
筆者は卒業後、総合商社の一般職として働くことが内定している。一般職というと、世
間的なイメージからすれば、お茶汲みやコピー取りなどの雑務が中心で、定時には仕事が
上がりアフター5は習い事・・・なんていう易しそうなものかもしれない。しかし OG の
お話をうかがうと、そう簡単には行かないらしい。業務内容も自分が望めば総合職と変わ
らない責任のある仕事を任せてもらえたり、海外出張に行ったりすることもあるという。
忙しい部署では毎日終電帰り、なんていう「長時間労働を是正しよう!残業をやめよう!」
と声をあげこの論文を執筆している筆者の考えとは、正反対のことが行われている。商社
という海外との取引が多い企業の性質上、日本時間の夜に始業時間を迎える海外の取引先
からメールや電話が来て、対応を求められることも多いという。しかし、ケーススタディ
で取り上げた同じ総合商社の伊藤忠商事の例にも見られるように、商社でも労働時間削減
や働き方の見直しということは大いに改善することが出来るはずだ。この論文を執筆した
意味がなくならないよう、働くときは働き、休むときは休むというメリハリのついた生活
をしていきたい。生産性を損なわぬよう、計画的に集中して仕事に取組み、自らの能力を
高めることで一刻も早く会社の力になりたい、そう願う。
13
仕事管理と労働時間―労働政策研究・研修機構、
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/06/pdf/027-038.pdf
(2015 年 1 月 5 日アクセス)。
24
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『経営労務事典』 労務理論学会編 晃洋書房
2011 年
2011 年
『人間らしい「働き方」・「働かせ方」人事労務管理の今とこれから』 黒田兼一・守屋貴
司・今村寛治 編著 ミネルヴァ書房 2011 年
伊藤忠の「朝残業」は定着するか?多様化する働き方最前線~交代制、フレックス、在宅
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仕事管理と労働時間―労働政策研究・研修機構、
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スペイン 3 時間の昼休み「シエスタ」をやめる? 自助努力の精神を
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http://www.asahi.com/diversity/corp/kokuyo.html(2014 年 12 月 18 日アクセス)
電通、海外 16 地域で日本のイメージや興味・関心を調査
―「ジャパン・ブランド」に好影響を与える日本人イメージ ―
http://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2012077-0704.pdf
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(2014 年 12 月 20 日アクセス)
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25
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より効率的な働き方の実現に向けた取組について~朝方勤務の正式導入~
http://www.itochu.co.jp/ja/news/2014/140424.html(2014 年 12 月 4 日アクセス)
労働生産性の国際比較
http://www.jpc-net.jp/annual_trend/annual_trend2014_3.pdf(2014 年 12 月 10 日アクセ
ス)
ワタミで働き過労自殺
http://agentleaks.blog.fc2.com/blog-entry-13.html(2014 年 1 月 7 日アクセス)
Germany might ban work emails after 6pm and on weekends.
http://elitedaily.com/news/world/germany-ban-work-emails/783212/
(2014 年 12 月 15 日アクセス)
あとがき
黒田ゼミナールに入室した当初から、研究したいと考えていた長時間労働問題を、3 年次
のゼミプレ、そしてこの卒業論文という二つの大きな段階を経て、一つの形にできたこと
を大変嬉しく思います。しかしそれと同時に、ゼミプレの研究段階から感じていたことで
すが、長時間労働問題、ひいては人事労務管理という研究分野は、社会に出て働いたこと
のない一学生の私が、解決という道に向かって考えるには、とてつもなく大きな、難しい
問題である、ということです。今回の卒業論文も、私なりに考え、長時間労働解消の道筋
ということでポイントを最後に挙げさせていただきましたが、それが本当に明るい道へと
つながるかは正直わかりません。しかし、この論文が、日本の労働者の皆さんが長時間労
働に何かしらの疑問・関心を抱き、自身の働き方について再考する一助となれば幸いです。
最後に、これまで大変お世話になった黒田教授、ゼミの同期、先輩方、後輩達に感謝の
意を表したいです。1 年間留学していたことで、後輩達と月一回ゼミの授業を受けるという
特別な措置を取ってくださった黒田先生には、大変ご迷惑をおかけしました。先生のおか
げで、この三年間よく学び、濃密な時間を過ごせたと感じています。本当にありがとうご
ざいました。
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