平成 25 年度 精神保健福祉士(大学 研究所/イギリス) はじめに 1 問題意識 2013(平成 25)年 6 月、わが国では「子どもの貧困対策の推進に関する法律」(以下、 「子どもの貧困対策法」という)が国会で成立した。この法律の目的(第 1 条)は「子 どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることがないよう、貧困の状況に ある子どもが健やかに育成される環境を整備するとともに、教育の機会均等を図るため、 子どもの貧困対策に関し、基本理念を定め、国等の責務を明らかにし、および子どもの 貧困対策の基本となる事項を定めることにより、子どもの貧困対策を総合的に推進する ことを目的とする」というものであり、その基本理念は「子どもの将来がその生まれ育 った環境によって左右されることのない社会を実現すること」(第 2 条)である。この 「生まれ育った環境に左右されることのない」とは、貧困家庭の子どもが貧困から抜け 出せるようにする、いわゆる貧困の世代間連鎖(世代的再生産)を断ち切ることを目指 すものであろう。また加えて、わが国では子どもの教育機会が生まれ育った家庭の経済 状況などに左右されてしまうという現実がある。貧困によって子どもの夢や希望が奪わ れることは何としても防がなければならない。したがって、貧困の状況にある子どもの 教育や生活環境を整備して、子どもの貧困対策を総合的に推進することはわが国に与え られた大きな使命であるといえる。 このわが国の子どもの貧困対策法の成立から遡ること 3 年、イギリスでは「Child Poverty Act 2010(2010(平成 22)年 3 月)」が成立し、2020 年度までに達成すべき 貧困の削減に関する数値目標を掲げている。その内容は次の 4 つである。①相対的低所 得に関する目標(the relative low income target)で、相対的低所得世帯(所得中央 値の 60%未満の世帯)に暮らす子どもの割合を 10%未満にするというもの。②低所得 と 物 質 的 剥 奪 の 複 合 に 関 す る 目 標 ( the combined low income and material deprivation target)で、低所得の状態でありなおかつ物質的剥奪(例えば、修学旅行 などの基本的な学校行事に参加できない状態、暖房用燃料のような基本的物品の利用が できない状態など)を受けている世帯に暮らす子どもの割合を 5%未満にするというも の。③絶対的低所得に関する目標(the absolute low income target)で、週 210 ポン ド相当の所得(なお、この数値は 2000 年現在のもので、物価変動などを加味してその つど補正される)、すなわち最貧困層の世帯に暮らす子どもの割合を 5%未満にすると いうもの。④貧困の継続に関する目標(the persistent poverty target)で、貧困状 態にある期間を減少させるというもの(具体的な数値目標は 2015(平成 27)年までに 決定されることになっている)である。 そもそも貧困は、一般的には個人もしくは家族が社会生活を営むために必要な資源を 欠く状態であり、その状態が身体的・精神的な荒廃を引き起こすことになる。その原因 としては、個人の怠惰や能力の低さなどに結び付ける考え方と、経済状況や雇用状態、 個人の努力では回避できない社会的な問題から生じるとする考え方がある。そこでよく 用いられる考え方に「絶対的貧困」と「相対的貧困」がある。絶対的貧困とは、栄養学 的にみて生存することが不可能な状態を指す。一方、相対的貧困は、特定の社会におけ る基準的な生活様式との比較において許容できない状態を示し、その状態は時代や社会 において異なるものである。すなわち、この相対的貧困は、絶対的貧困のように単なる 衣食住のみが足りた状態ではなく、生活する社会の標準的な生活様式や慣習、活動に参 加することができない剥奪を生み出す状態を指す はピーター・ラウントリー注 1) 1) 。特に 1960 年代以降、イギリスで の調査研究等から「貧困の再発見」がなされ、この相対 的貧困が注目されるようになった。現在、日本も含め OECD(経済協力開発機構)など の先進諸国では、この相対的貧困の概念が用いられている。 2 本研修・調査の目的 さて、報告者は現在、大学(付設研究所)に勤務しながら、福岡県内で実施されてい る子どもの健全育成支援事業(貧困家庭に暮らす子どもへの福祉的支援)に精神保健福 祉士として従事している。日常の支援の中で、子どもの貧困問題の複雑さや困難さ(例 えば、親のメンタルヘルスの問題や就労の問題、子どもの障がい、家族の社会的孤立や 排除など)と社会的支援の必要性を痛感しており、今こそ、ソーシャルワークの価値、 知識、技術を結集して、貧困の連鎖の解決あるいは貧困による社会的排除や孤立の防止 に有効な地域包括支援を実行していくことが重要だと考える。2015(平成 27)年 4 月 からの「生活困窮者自立支援法」の実施を目前に控えた今、子どもの貧困対策の先進国 であるイギリスにおいて子どもの地域包括的総合支援の実際を学び、そしてソーシャル ワーカーの実践的役割を調査・研究することで、わが国における子どもの貧困問題の解 決に向けた有益な手だてを得ることを目的とした。この目的を達成すべく、今回の海外 研修・調査では次のような内容を計画して実施した。①ロンドン市内のチルドレンズ・ センターでの聞き取り調査および家族支援プログラムの実態を学ぶ。②リバプールの子 どもの貧困対策におけるソーシャルワーカーの活動実践に関する聞き取り調査、ならび に実際にソーシャルワーカーに同行して貧困地域におけるソーシャルワーカーによる福 祉的支援に関する調査を実施する。③子どもの貧困問題に関して活動を行うチャリティ ー団体(CPAG)およびトインビー・ホールを訪問し、イギリスにおける貧困対策に関す る現状と課題について聞き取り調査を行う。 おわりに 今回、イギリスのロンドンとリバプールでの子どもの貧困問題に関する現地調査およ び現地視察によって、子どもの貧困問題への具体的手立てやソーシャルワーカーに求め られる価値、知識、技術について多くの示唆を得ることができた。 今回の経験から、子どもの貧困問題に対する地域における総合相談支援の必要性を痛 感した。貧困の根絶には、教育支援、就労支援、保育支援、財政支援などの包括的な支 援が必要不可欠であり、チルドレンズ・センターで行われているシュア・スタートやリ バプールの最貧困地区での相談支援は大変参考になるものとなった。またイギリスでは、 その総合相談支援が地域に根ざした形で包括的に実施されており、その制度的システム はわが国にも必要なシステムであると感じた。 またワーキング・プア(in-work-poverty)や貧困の世代間連鎖など、その問題への アプローチは大変困難であり、イギリス、日本ともに同じように突きつけられた課題で あることが分かった。この問題に関しては、個人への直接的な支援と同時に社会全体に 対してのアプローチ、すなわちミクロからマクロまでのエコロジカル(生態学的)な視 点注 7) による支援の展開が不可欠であると感じた。まさにソーシャルワーカーとして、 ミクロからマクロまでの視点を常にもち、生活に困窮する者の生活を正確に捉え、そし て支え、社会全体の支援体制を構築していくことが重要となる。 さらに、貧困問題は特定の原因だけから発生するものではなく、実にさまざまな要因 が複雑に絡み合っていることが今回の調査を通じて改めて分かった。貧困と社会的孤立、 貧困と虐待・暴力、貧困と犯罪・非行など貧困を背景とする諸問題への対応も大きな課 題である。貧困に陥る人を孤立化させず必要な支援を届け、貧困そのものが生まれにく い社会をいかに創造するか、それがソーシャルワーカーの大きな責務であると感じた。
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