日本語訳はこちら - ISSEY MIYAKE INC.

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ISSUE 65
HaaT の妙技
自らがクリエイティブディレクターを務めるブランド HaaT の誕生 15 周年を迎え、なおも
未来を見つめ続ける皆川魔鬼子
日本を代表するデザイナー三宅一生氏の会社、株式会社イッセイ ミヤケを訪ねた。打ちっ
ぱなしのコンクリート建築で、ファサードが全面ガラス張りのすっきりとした白い空間に
は見事なテキスタイルや服がラックに掛けられてきれいに並べられており、驚くほどに美
しいオフィスに目を見張る。三宅ブランドの中でも際立った独自性と洗練性が特色のブラ
ンド HaaT は、折しも誕生 15 周年を迎えたところである。
HaaT という名(ヒンディー語で「ヴィレッジマーケットの意」)は、伝統と未来、そして
東洋と西洋の融合を願って名づけられている。このような“寛大な視点”でもって、HaaT
はアイディア段階からデザイン、生産に至るまで一貫して素材重視の服づくりを行ってい
る。かくしてテキスタイルの“開発”に並々ならぬこだわりを持ちながら独創性と合理性
を追求する HaaT の服は、入念に開発されたファブリックの特性をまさに活かすものとなっ
ている。
ブランド発足以来 HaaT は、職人やメーカーと協働しながら、また小規模工場と共に現代的
な服づくりの可能性を実験研究しながら、
“メイド・イン・ジャパン”ライン「HeaRT」に
力を入れてきた。HaaT は“ブランド独自の世界観”で伝統技術を解釈しながら、快適で現
代的、軽やかで繊細、そして多くの人に好まれる魅力を備えた、いつまでも楽しく着られ
る服を作り続けている。この HaaT ブランドの中核を担っているのが、長年にわたって株式
会社イッセイ ミヤケのテキスタイルデザインのディレクターを務めてきた HaaT クリエイ
ティブディレクターの皆川魔鬼子である。
古(いにしえ)の都、京都に生まれ育った皆川は織物文化に囲まれて育ち、ゆえに子供時
代からテキスタイルに関心を持って自ら自分の服をつくり始めた。
「当時から服に慣れ親し
んでいて、服づくりはお手のものでした」。京都市立芸術大学テキスタイル専攻の学生時代、
彼女は生地づくりに情熱を注いだ。そして“恐るべき子供(アンファン・テリブル)”の皆
川は、学生時代授業が終わると午後は自らのアトリエで過ごし、そこで様々な染めの実験
を行い、時には絞り染めの T シャツを作って販売することもあった。
また彼女はたくさんの織物を織り、テキスタイルの世界を目指したいと思った。しかし望
み通りのものを織りあげることができず、フラストレーションを覚えた。
「もちろん頑張っ
て 100m 織ることはできましたが、私は大量生産という生産方式に胸がときめきました。
電動織機でなら 1000m 織ることが可能ですから。同時に、多様性というものにも魅せられ
ました。時代はちょうど現代芸術の興隆期で、私はアンディ・ウォーホルらのポップアー
トの制作方法に触発されました」。
大学時代以降、彼女はさまざまな要素が融合し合う、変化に富んだファッションの世界に
どんどん魅了されていった。ゆえに彼女がファッション界に入るのはいたって自然の流れ
だった。フリーランスのデザイナーとして出発した彼女はある日、三宅一生と偶然出会う。
ふたりは共に同じ価値観を持ち、そして「できるかぎり素晴らしいものをつくりたい」と
いう強い思いを共有していた。1971 年、ISSEY MIYAKE のテキスタイルデザイナーに任命
された皆川は、その仕事が自分に適任であることを悟った。
「当初から三宅との仕事は実に
視点が新鮮で魅力的でした。洞察と研究、すなわち絶え間ない探究を通して為される仕事
は、よってオルタナティブかつアヴァンギャルドなものを生み出すことになり、大変刺激
的でした」。
70 年代のロンドンで世界のファッションの状況を知った彼らは、しかし興味深いことに、
これを機に、今日まで続く日本の素材への徹底したこだわりへと向かう。最初は自国の幅
の狭い布で、次いでその二倍の幅の布を用いて、彼らはついに東洋と西洋の衣服の伝統と
の融和に到達した。後に皆川は経済好景気の日本で創造の自由を享受しながら、素材およ
び技術開発を通して工業生産のものづくりを思いのままに探究し、様々なアイディアをか
たちにした。
彼らのこのような研究開発への情熱は、ファッション界の慌ただしいサイクルと果たして
兼ね合うのかと不思議に思う人もいるかもしれない。「2 年に渡る準備と6ヶ月サイクルの
服づくりにおいて、研究開発は実際のところ、アイディアを大いに刺激する役割を果たし
ています。我が社ではフルサイクル、すなわち素材からファブリック、プロダクトまでの
一連のプロセスを通した服づくりを行っており、絶えず次のことを考えています——“来
年は何を作ろうか?”と」。テーマが何であれ、そして準備や製造プロセスがどんなもので
あれ、そこにはたくさんの未知が横たわっており、その未知なるものの可能性を追求して
ゆくことこそ大切なのだ。皆川曰く、“トレンド”を決して意識しないわけではないが、イ
ッセイ ミヤケ社では得てしてその逆方向に向かうことが多かった。
また彼女は、ファッションのシーズンサイクルは不自然で過酷なペースであると感じてい
る。「変化というものはゆっくりとしたペースで進むほうが良いと思います。重要なのは、
アイディアが合理的であること、そして肝心な点を押さえていることです。生半可なアイ
ディアは短命に終わることが必至です。テキスタイルと服づくりの使命は、人々が着て美
しいものを作りだすことです。」
皆川は広い心と博識でもってテキスタイル開発を行う。素材に関しては、格別強度と耐久
性にこだわる。シーズンサイクルでコレクションを創造しなければならないゆえテーマは
毎回変化するが、しかし服づくりで最も重要なことは、人々が気分良く着られる服をつく
ることだ。彼女は言う。「自然素材をこよなく愛しています。可能ならば、オーガニックの
ものを使いたいですね。自然素材の良さを引き出した着心地の良い服づくりを行っていき
たいと思います」。さらに職人の道具も皆川にとっては重要なものだ。「何世代にも渡って
使われてきたそれらの道具はもちろん年月とともに摩耗してゆきます。ですが、少々出来
が“均一ではない”ことがかえって、生地に独特の“風合い”をもたらしてくれるのです」。
日本の伝統的な板締めやインド古来のブロックプリントの探究を通して、皆川は板を用い
る染めやプリントの独特の魅力に気づいた。そして、まさに板締めの技術を再解釈して実
現されたのが 2015 年春夏コレクションの「板締めボーダー」シリーズである。
色彩について尋ねると皆川は、我々はいかに色彩に囲まれて生活しているかと述べ、そし
て色彩は常に感じ取られるものであると言う。HaaT では、色彩は日常から直感によって抽
出・選択され、インスピレーションは共感するものから得、そしてデザインが適切である
か否かは服を肌に合わせてみて判断される。「我々はピュアな色彩に関心を寄せています。
昨シーズンは京都の紋付(伝統的な家紋)の染色プロセスを採用しました。それは特別な
黒の染料を用いる染色技術で、我々は試行錯誤を重ねて実現にこぎつけましたが、その過
程でこの染色技術の貴重なノウハウを保持している方にご協力いただきました。この伝統
的な染色技術は大変素晴らしいものなので、今シーズンも再び採用しました」。今 2015 年
春夏コレクションにはさらに、お気に入りの宮崎産有機緑茶からインスパイアされ実現さ
れたティーカラー(茶の色)が新たに加わった。このティーカラーの誕生はカラーパレッ
トを豊かにするだけではなく、茶を飲む習慣を讃えるものでもある。
皆川は毎シーズン、伝統技術を少なくともひとつは探究し、その技術を継承してゆくため
の新提案を披露する。2014 年秋冬コレクションでは殊更それに取り組み、古来の伝統技術
である絞り、絣、インドのイカット、そして日本のハンドカットを新たに解釈して服づく
りを行った。また 2015 年春夏コレクションでは、由緒ある染物屋で再発見された“テンパ
ープリント(練り込み)”技術を採用。転写プリントの先駆けであるこの技術は、混ぜ合わ
せ、まとめ合わせ、そしてプリントローラーに成形が可能な着色“クレイ”を用いる。ロ
ーラーはいくぶん寿命が限られるゆえ、プリントには魅惑的なはかなさと独自性が生まれ
る。こうして生まれた色彩豊かな美しいモノクロームの「スクエア柄」に加え、鮮やかで
新鮮な「カラーモザイク」は遊び心に溢れ魅力的で、まさに皆川ならではの仕事である。
高度な伝統技術として特に皆川を魅了してきたのは 80 年初めに訪れたインドのクラフツマ
ンシップである。その後アシャ・サラバイと三宅デザイン事務所のコラボレーション Asha
by MDS の仕事でインドを何度も訪れた彼女は、ひたむきな職人たちによる精巧かつ繊細な
技術の数々と出会い、さらに深く魅了された。かくして、アーメダバードの工房との継続
的なコラボレーションによる、インド最良の伝統技術を駆使した服を、“メイド・イン・イ
ンディア”の「HaaTH」(ヒンディー語で「手」の意味)を通して提案している。
皆川の仕事において、手仕事はきわめて重要性な鍵であり続けている。生産効率も確かに
大事なことだが、それ以上に重要なのは良い仕事をすることで、そのためにはゆっくり時
間をかけることも必要だ。彼女がその昔アシャ・サラバイから学んだことの一つは、職人
の手の力と心意気についてだ。
「素晴らしい仕事を成し遂げることは、そのためにかかった
お金や労力よりもはるかに重要なことなのです。」
インスピレーション源について尋ねると、驚くほどに素っ気ない、仕事外の答えが返って
きた。彼女の楽しみは時折美術館を訪問することで、特にロンドンのヴィクトリア&アル
バート博物館が大好きで、いつもそこから何か忘れ難い大切なものを“得て帰って”くる
という。また東京の民藝館とパリのギメ美術館もお気に入りとのこと。とはいえ、彼女の
主たるインスピレーション源はおそらく、我々をとりまく世界の中の物事であり続けてい
る。
生まれ育った土地を思い出しながら彼女は都市空間の緑について熱く語る。
「私は京都出身
です。幸運にも京都は寺社仏閣と庭園に恵まれています。そうした認識は昔からありまし
たが、最近改めてその価値を痛感しています。私はまた滝も好きです。滝はそう滅多にお
目にかかれるものではありませんが、滝水には特別なエネルギーとクオリティが備わって
いると感じます」。国外にも魅力を感じる場所はある。機会があったら旅してみたい場所を
尋ねると、彼女は「氷の国々」と打ち明けた。「白氷の世界はものすごく迫力ある風景にち
がいありません。いつの日か行って見てみたいですね」。
野心に関しては、皆川は謙虚だ。
「人間は小さな存在です。人間にできることは限られてい
ます。私の場合は、人々が身につけて幸せな気持ちになれるような本物の良いものをつく
っていくことが自らの務めだと思っています」。それがために皆川魔鬼子は忙しい。「私に
はあまり自由時間がありません。まるで、常に前へ前へと泳ぎ続けている大洋のマグロの
ようです」。
偉大なテキスタイルの達人、皆川はまさに深海を進むマグロのように深い探究から新たな
インスピレーションと新たな素材の(再)発見を得て、その成果を我々に見せてくれるこ
とだろう。それが次にこの目の前のキラキラ輝くラックにかかって現れる日が待ち遠しい。
文:Tim Parry-Williams