1830 年代~40 年代の朝鮮における「異様船」対応と対外認識 久留島哲 【本研究の概要】 18 世紀後半から 19 世紀中盤にかけて、欧米諸国はより積極的に東アジア海域へと参入 し、東アジア諸国(中国・朝鮮・日本・琉球など)はこれに危機意識を抱きつつ対応するこ とになった。さらに、中国における両次アヘン戦争(第 1 次:1840 年~42 年、第 2 次:1856 ~60 年)などの様々な衝突や相互交渉を経て、従来の東アジア国際秩序は変容を遂げ、近 代外交体制へと移行していく。本研究では、そうした国際情勢の中、19 世紀朝鮮がどのよ うに近代外交体制へと移行していくのか、19 世紀中盤から朝鮮半島にも頻繁に来航する「異 様船」 (西洋船)への朝鮮側の対応と認識を切り口にして、その変容過程を明らかにしてい く。 【先行研究】 従来の研究の枠組みでは、朝鮮と西洋諸国(フランス・アメリカ)の間で武力衝突が発生 した 1860 年代・1870 年代を、朝鮮における近代外交体制の始源とみなし、それ以前の時期 に関しては、近代外交体制の前段階である鎖国攘夷政策(西洋との通商拒否・キリスト教弾 圧)という観点で主に把握してきた。原田環1、三好千春2は、19 世紀初頭~中盤の朝鮮の対 西洋認識を、両次アヘン戦争の影響と関連付けて論じた。また、閔斗基3はアヘン戦争の影 響だけではなく、同時期に朝鮮半島に来航した西洋船に着目して、この時期の朝鮮の対外認 識を明らかにしようとした。以上の先行研究では、アヘン戦争の影響や西洋船来航という側 面に新たに注目しつつも、依然として、朝鮮の対外政策を「鎖国」から「開国」へ向かう単 線的歩みとして把握する傾向が強い。 【研究方法】 本研究では、閔斗基の指摘を踏まえ、19 世紀朝鮮における西洋船来航事例について主に 注目しつつ、先行研究では十分に吟味されてこなかった、来航した西洋船と朝鮮王朝の接触 過程や交渉内容に着目していく。その際に、朝鮮王朝の編纂史料(『実録』 『承政院日記』 『日 省録』 『備辺司謄録』 )の他に、地方官庁の報告を収めた『各司謄録』内の記録も利用し、王 朝中央の史料には現存しない、来航現場における地方官員と西洋船乗員の細かな応答に注 目する。そして、こうしたやり取りや朝鮮側の認識を分析し、西洋船来航など西洋諸国の圧 力に直面した朝鮮政府が、西洋諸国に対する認識のみならず、自国を含めたそれ以前の東ア ジア伝統的国際秩序(朝中間の「宗属関係」や朝日間の「交隣関係」 )をどのように再解釈 し、自国の立ち位置を再規定していくのか、考察していく。その上で、従来の先行研究で述 べられてきた鎖国攘夷政策が妥当か、検討していく。 1「十九世紀の朝鮮における対外的危機意識」 『朝鮮史研究会論文集』21、1984 年。 年。同「両次アヘン 戦争と事大関係の動揺-特に第二次アヘン戦争時期を中心に」(『朝鮮史研究会論文集』 27、1990 年。 3「十九世紀後半朝鮮王朝의 対外危機意識」 『東方学志』52、1986 年。 13 2「アヘン戦争に関する燕行使情報」 『史艸』(日本女子大)30、1989
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