エレミヤ書 2015年 4期 熊本教会 池増信男 第9課 エレミヤのくびき 11月28日 はじめに 神様がエレミヤに命じられたことはメッセージを民に語る事だけではなく、メッセージを具現化した生き方をすること でした。エレミヤ自身が民に対して実物教訓になるようにとの召しです。しかしその事は、エレミヤが一人の人間とし て、普通の社会生活が出来ない事と民からの反対を受ける事を意味しておりました。預言者として歩むという事の厳 しさを見せられます。しかし、その召しに応えるエレミヤの姿勢に感銘を覚えます。 日曜日 孤独な人生 エレミヤは結婚して家族を持つこと、弔いの家に入ること、そして喜びや祝いの祭りに加わることを禁じられました。 社会生活をおこなわず、孤独無縁の生活をせよという命でした。それは預言者のメッセージを拒むユダの民が、バビ ロン人によって国が亡び、その為に家族関係が引き裂かれて悲劇的な別離を味わうという実物教訓でした。預言者 としての務めを果たすことには孤独感が伴いました。同様にキリスト教信仰を貫くことにも孤独感が伴います。しかし そのなかにあっても主は私たちと共におられ、慰めて下さることを信じたいと思います。 月曜日 エレミヤのくびき エレミヤに命じられた二番目の実物教訓はくびきを首にはめる事でした。これはユダの王と周辺国の王たちにバビ ロンの属国になれとの命でした。さらに突き詰めると、それは神の計画に従いなさいという命であったのです。国の独 立を願う王たちにとっては屈辱的な言葉です。王だけでなく、人間は他者に従属する事に抵抗感をおぼえます。束 縛されるのではなく自由な生き方を求めます。しかしそこに本当の自由があるのでしょうか。聖書は徹頭徹尾、神の 主権を認め、それを受け入れなさい、それが人間たるゆえんであると言っています(コヘレト12:13参照)。自分の思 いではなく神のみ旨を求める歩みに徹したいものです。 火曜日 預言者たちの戦い 預言者の宿命は常に反対に会うという事です。エレミヤの預言は、同じ預言者であるハナンヤに反対されました。 この預言者も主の名によってバビロン王のくびきは2年の内に打ち砕かれると預言したのです。それに対して、エレミ ヤはひるむことなく過去の預言者、ホセア、ハバクク、ゼパニヤなどの預言を引用して再度語るのでした。アドベンチ ストのメッセージ、例えば土曜安息日、死後の問題、天の聖所におけるキリストの仲保の働き、再臨前審判(調査審 判)、主の再臨、預言の霊等も他教会からしばしば反対を受けております。でも、私たちはこれらのメッセージが聖書 に基づいているという確信をもち、臆することなく語り続けてまいりたいと思います。 水曜日 鉄のくびき 預言者ハナンヤはエレミヤの首からくびきをはずして打ち砕きました。これはエレミヤを通して語られた神の預言を 無視する行動でした。神に挑戦したのであります。しかし、神様はエレミヤに今度は鉄製のくびきをつけるように命 じられました。木のくびきは壊すことはできても、鉄のくびきは壊すことはできません。そのようにエレミヤを通して語 られた神の言葉は偽りではなく必ず成就します。神のご計画を人は止められません。人ができるのは悔い改めて、神 に従うことだけではないでしょうか。無駄な抵抗はせず、すなおに「主よ、わかりました。」という歩みをしたいもので あります。 木曜日 偽りを信じる エレミヤの預言とハナンヤの預言、どちらの預言が正しかったのか、その決着はその後すぐにつきました。エレミヤ が予告した通り、ハナンヤはその年の七月に亡くなったからです(エレ28:15~17参照)。偽りの預言をしたので、 主がハナンヤの命を取られたのでしょう。でも偽りの預言は彼の死と共に終息したわけではありませんでした。ユダの 民は偽りの預言を信じ続けてしまったのです。そちらの方が受け入れやすかったからでしょう。しかし受け入れやす いものが正しい預言というわけではありません。その預言が受け入れやすいかではなく正しいかという事が大事にな ります。ところで、キリストや使徒たちは偽預言者が出現すると警告しておりますし(マタイ7:15、第2ペテロ2:1、第1 ヨハネ4:1)、ホワイト夫人もその事を警告しています。従って、すべての預言を受け入れるのではなく、識別しないと いけませんね。その基準として、新しい光・真理と言われるものが神の言葉に一致し、かつこれまでの解釈との継続 性があるのか、預言者の言動が聖書の原則と一致しているのか、そして預言が成就しているのかがあげられます。 私たちは注意を払いながら新しい光と唱えられるものをみていかなければなりません。
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