「公徳」とは何か

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「公徳」とは何か
苅部 直
公徳とか公徳心とかいった言葉を目にして、どうもうさん臭いと
警戒する人は少なくないだろう。たとえば、現行の中学校学習指導
要領(2008年改訂)の第三章「道徳」には、「公徳心及び社会連帯
の自覚を高め、よりよい社会の実現に努める」と記されている。こ
の本文をみても、文部科学省による解説をみても、いったい何が「公
徳」なのかはっきりしないのだが、少なくとも「よりよい社会の実
現」に密接に結びつくものとして考えられていることは、確かなよ
うである。
こんな具合に、いまの世の中で「公徳」が口にされる場合は、公
徳心を涵養しようという教説や、最近は公徳心が失なわれたという
嘆きといった文脈にそっていることが多いようである。いわば「上
から目線」の言葉といったところだろう。典型的には、やはり文部
科学省による『心のノート』中学校版(2002年)のなかに、こんな
文句が見える。
「公徳とは、社会生活の中で私たちが守るべき道。
この世の中で生きていくうえで、他者への配慮や思いやりを大
切にして、社会の中の自分の在り方、生き方を考えることは当然
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のことです。
でもいまの世の中、自分だけがよければいいという人が多すぎ
ると思いませんか。
電車やバスの車内での悪いマナー、空き缶やたばこを無頓着に
ポイ捨てする人、平気で割り込みしてくる人……
こういう人たちが「公徳心のない人」と呼ばれるのです。
」
「社会生活の中で私たちが守るべき道」とか、「他者への配慮や思
いやり」といった事柄に異を唱える人はいないだろう。しかし、そ
れが「いまの世の中、自分だけがよければいいという人が多すぎる
と思いませんか」という嘆きにつなげられると、とたんに権威主義
の雰囲気をまとうように感じられてしまう。
インターネットの和英辞書で公徳・公徳心を検索すると、civic
virtues や public spirit と い っ た 通 常 の 訳 語 の ほ か に 、 official
morality という言葉もあてられている。この表現だと、政府で公式
に定められた道徳という意味にもとれてしまうから、ますます「上
から目線」性が強まってくる。個人の自己決定や、信条の選択の自
由を尊重する立場からすると、
「公徳」なるものを学校教育を通じて
教えること自体が、避けるべきことだという議論にもなるだろう。
だがこの性格は、
「公徳」を口にする人自身が、いったい何が「公
徳」と呼べるのかについて、先にもふれたようにはっきりと理解し
ていないことにも由来するのではないだろうか。『心のノート』の
記述も、
「ポイ捨て」や「割り込み」をやらないという程度のことし
か、具体的には語っていない。
「公徳」の内容が曖昧であれば、つべ
こべ言わずとにかく守れという権威的な空気も濃くなってくる。
「上から目線」性が強まるゆえんであろう。
実はこの「公徳」の語は、おそらく明治時代の日本で作られた漢
字熟語である。諸橋徹次著『大漢和辞典』や羅竹風主編『漢語大詞
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典』といった、大規模な漢和辞典・漢語辞典には、前近代の文献か
らの用例が見られない。
『漢語大詞典』に挙がっているもっとも古い
用例は、清朝末期に日本に亡命した思想家、梁啓超の著作である。
また、
『日本国語大辞典』
(小学館)は、
『晋書』に「公徳名儒」とい
う表現が見えるとして用例に挙げているが、原文にあたると「公徳」
ではなく「碩徳」であった。
そして、「公徳」の語の創作者は福澤諭吉ではないかと思われる。
その主著である『文明論之概略』の中ほどにある第六章は「智徳の
弁」と題されているが、その冒頭で、徳を「私徳」
「公徳」の二種類
に分類することを提唱している。
もともと、
「文明」とは進歩してゆくものであり、人間一般の約束
として、それぞれの国は「野蛮」から「文明」へと向上する努力を
続けるのがまっとうな道だと説くのが、この本の主眼である。そし
て、その進歩とは人心の向上、すなわち人間の「智恵」と「徳」と
の双方があいまって高度になってゆくことと考えられていた。「智
恵」と「徳」について正面から議論している第六章は、したがって
『文明論之概略』の中核をなす章ということもできるだろう。実際に
この章は全十章のうちでもっとも長いし、続く第七章も「智徳の行
はる可き時代と場所とを論ず」と、第六章の補遺のような性格をも
っている。
第六章の冒頭で福澤は、智恵と徳のそれぞれを二種類にわけ、私
徳・公徳・私智・公智の四つを区別する議論を展開する。智恵の方
に関してみれば、私智は「物の理を究めて之に応ずるの働」であり、
公智は「人事の軽重大小を分別し、軽小を後にして重大を先にし、
其時節と場所を察するの働」である。福澤によればこの公智は、人
間生活のあらゆる場面で働く総合的な判断力であり、その意味で智
と徳の双方を兼ねる、もっとも重要な精神の働きなのであった。そ
れはごく普通に考えられるような智恵、すなわち私智とは次元の異
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なるものなのである。
徳について福澤が私徳と公徳とを分けたことについても、智恵に
かかわる議論と同じような性格を窺うことができるだろう。この第
六章は全体として、政府が一定の「徳」を指定して国民にそれを身
につけさせることを通じて、社会の統合をはたそうとする世の議論
に対する批判になっている。その対象は、旧勢力としての儒教・神
道・仏教に基づく国教論にとどまらず、洋学者の一部が説いている
キリスト教普及の議論にも及ぶのである。そうした、従来の学者た
ちが説いてきた徳はみな「私徳」にすぎず、社会において人々が共
有すべきものとして重要なのは「公徳」だ。そうした主張も読みと
ることができるだろう。
福澤によれば、そうした国教論者たちがもちあげる徳とは、ひた
すら自己の内にある欲望を制御することだけに集中するものであ
り、「私徳」にすぎない。これに対して、「公徳」は「外物に接して
じんかん
あら
人 間 の交際上に見 はるゝ所の働」なのである。ジョン・ステュアー
(1859年)は、福澤が『文
ト・ミルの著作『自由論(On Liberty )』
明論之概略』を書いたさいに参照した重要な書物の一つであった。
ミルは同書の第四章で、 the self-regarding virtues と the social
virtues とを区別して、前者よりも後者の方が社会全体の幸福の増
進のために重要であるが、この両方を、教育を通じて培う必要があ
ると論じている。福澤が造りだした「公徳」の語は、この the social
virtues をヒントにしたものだろう。ここでのsocialは他者とのかか
わりという意味だろうから、
「人間の交際上」という福澤の説明とも
整合している。
ただし、この第六章「智徳の弁」それ自体は、
「私徳」を政府が国
民に教化すべきだと説く国教論に対する批判に終始しているため、
「公徳」そのものについて詳しい議論を展開しているわけではない。
いちおう「廉恥、公平、正中、勇強等の如き」と具体的に列挙しては
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いるが、この徳目を見ただけでは、
「私徳」との違いがわかりにくい。
おそらく福澤が「公徳」の内容として示そうとしたものは、
「文
明」化した社会における人間関係のありさまそのものであった。
『文明論之概略』の後半で福澤は、西洋社会に伝統的に根づいてい
る「自由独立の気風」の存在に注意をむけ、それは徳川時代の武士
に見られたような、自分より上にいる者にへつらい、下にいる者を
抑圧する、
「権力の偏重」の気風とは対極にあるものだと説いている。
「自由独立の気風」が確立し、人々が思うままに意見を述べ、活発な
討論が続けられることで、進歩してゆく社会。そうした人の生き方
そのものが、福澤が「公徳」の語を考えたさいに思い描いたもので
あったと思われる。
「公徳」もしくは「公徳心」の語は、その後の日本で定着し、中国
や韓国にも輸出されるに至った。私徳・私智・公智の語が広まるこ
とはなく、
「公徳」のみが日常語の世界にとりいれられたのは、やは
り先に見たような、モラルの解体現象に対する嘆きを発言するさい
に、便利な言葉だからだろう。単に道徳ではなく「公徳」が大事だ
と言った方が、社会の存立にとって重大だという意味あいが強めら
れる。
しかし、この言葉が福澤が造語したさいに考えていた構想のとお
りに用いられてきたかと言えば、疑問である。むしろ先に見た『心
のノート』の例に見えるように、福澤が批判した国教論に近いよう
な態度で「公徳」が口にされることも多いのではないか。その意味
で、
「公徳」をめぐる議論にはやはり警戒が必要なのである。そして
同時に、自由な社会を支えるための人の生き方はどのようなものか
を考えてゆくことが、
「公徳」の言葉の本来の意味を現代に生かす手
がかりなるはずである。
(かるべ
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ただし
東京大学法学部教授)