随想 インドの呼ぶ声 依田昌三 某外国銀行の日本代表の家に招かれた時、たまたま訪日中のイン ド大蔵省の高官B氏に紹介された。立食のパーティーで、私が果物 を取りに行くと彼もやって来て、苺をつまみながら「日本の果物は 素晴らしい」と言う。マンゴウを食べようとしていた私は「このマ ンゴウはフィリピン産だが、これも美味しいよ」と言った。彼は背 筋を伸ばして「貴方はインドのマンゴウを食べたことがあるか」と 聞 く 。「 な い 」 と 答 え る と 、「 そ れ は 残 念 。 世 の 中 で マ ン ゴ ウ と 呼 べ るのはインドのマンゴウだけで、貴方が食べているのはマンゴウの 名 に 値 し な い 別 の 物 だ 」 と 言 う 。「 ご 自 慢 の よ う だ が 、 イ ン ド の マ ン ゴ ウ な ど 見 た こ と も な い 」と 言 う と 、「 検 疫 の 問 題 な ど で 日 本 へ の 輸 出が実現していないのは残念だ。しかし、物事の本質はそんなとこ ろにあるわけじゃない。ご承知のように猿は人間に似ている。しか し、猿を人間だと言う者はいない。インドのマンゴウを人間だとす れば、他の国のマンゴウと呼ばれているものは猿みたいなものだ」 と宣うた。 マンゴウ論議に辟易した私は、話題を変えて、インドの仏教の状 況 に つ い て 尋 ね て み た 。B 氏 曰 く「 あ あ 、ア レ は 大 変 評 判 が 良 く て 、 いろんな国が欲しがるものだから、気前良く分けてやってインドに はあまり残っていない。しかし、元になる宗教的な考え方は我々の 血肉となって受け継がれている。インドへ足を踏み入れた者は、皆 1 哲学者になって帰って行くと言われるくらいだ。まだインドへ来た こ と が な い な ら 、 是 非 一 度 、 我 が 国 を 見 に 来 て 欲 し い 」。 B 氏 の 機 智 溢 れ る 応 答 に 舌 を 巻 き つ つ も 、「 良 く 言 う よ ! 」と 言 い た い 気 持 ち で い た 私 も 、「 イ ン ド を 訪 れ た 者 は 哲 学 者 に な っ て 帰 る 」 と言う言葉は何となくうなずける気がした。 インドは、その不思議な魅力で多くの人を惹きつけて来た。イン ドを舞台に、三島由紀夫は『暁の寺』を書き、遠藤周作は『深い河』 を書いた。先ごろ亡くなった秋野不矩画伯もインドに魅入られ、四 十年通い詰めた。知人のM氏は大商社の役員で、欧米やオーストラ リアに長年駐在していたベテランであるが、日本以外の国に永住す るなら若い頃いたことのあるインドが良いと言う。私の会社もイン ドに事務所があって、駐在員から、汚い、不衛生などと散々苦労話 を 聞 か さ れ て い た の で 、イ ン ド を 選 ぶ 理 由 を 聞 く と 、「 イ ン ド へ 行 っ た人はインドが大好きになるか、大嫌いになるか、どちらかだと言 われますが、私は大好きになった方です。インドは大きくて深いで すよ。まあ一度ベナレスへ行ってご覧なさい。人生観が変わります よ」と言われた。インドの高官氏の、聞きようによっては鼻持ちな らぬ自慢話を割合素直に聞けたのは、M氏の言葉などが心の奥に残 っていたからかも知れない。 一 度 行 っ て 見 た い と い う 憧 れ と 、な か な か 大 変 な と こ ろ ら し い ぞ 、 という恐れを持ってインドを眺めて来たが、段々行ってみたいとい う気持ちが強くなって来ている。しかし、インドへの旅は相当用心 2 し た 方 が 良 い と 言 わ れ る 。病 気 や 災 害 、盗 難 な ど も さ る こ と な が ら 、 はまってしまって帰って来られない恐れがあるというのである。文 芸春秋の女性編集スタッフで、インドへ行ったが、そのまま現地の 寺に入って帰って来ない人がいたとか。親しい友人のお嬢さんも、 大証券のヨーロッパ現法で活躍していたが、卒然とインドへ修行に 行ってしまい、親を心配させたりした。ある女流写真家は、これを 恐れて「半年たっても音沙汰がなかったら、探し出して、ひっぱた いても何をしても良いから日本へ連れ戻して欲しい」と本気で友人 に頼んで出かけたと言っている。 私も人一倍はまり易い方なので心せねばと思うが、家人など身近 の関係者の了承が得られるかという、それ以前の問題の方が難しそ うである。インドの呼ぶ声が遠くから聞こえるような気がするが、 応 え ら れ る 日 が 来 る か ど う か ――。 (個人会員) 3
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