青野 慶久〈あおの・よしひさ〉 10.04[SUN]@幕張メッ セ 15』メイン司会! 20 会 『超域クラウド交流 サイボウズ株式会社代表取締役社長 1971年生まれ。愛媛県今治市出身。大阪大学工学 永谷 研一〈ながや・けんいち〉 部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナ 発明家・株式会社ネットマン 代表取締役 「チームワーク溢れる社会を 創 る 」をミッションとし 、グ ループウェアや業務改善アプ リを軸に、世界中のチームを 支援するサイボウズ。 グルー プウェアは国内トップシェア、 さらなるグローバル展開とブ ランド力向上を目指す。 目 標 達 成 や 人 材 育 成 のプ ロフェッショナルである永 谷研一が心理学や行動科 学の 豊富な知見を組み合 わ せ、1 万 人以上 の 行 動 分 析 から導 か れ た 、 「絶対に 目標 達 成 する人 」の 5 つ の 技術を、わかりやすく解説。 アイ デ ア を 切 り 捨 てる 勇 気 が 小 さ な 成 功への 第一歩 と な る 永谷 青野さんがサイボウズを立ち上げ たのが 年でしたよね? 青 野 そ うです、前の年 あたりからイン ターネットが普及し始め、世の中が変わ ると直感しました。インターネット技術 を使ったソフトウェアの時代が来ると確 信し、松山市で仲間と起業しました。 永谷 その後、最初のオフィスソフトを発 売したのが … 青 野﹁サイ ボ ウズ Office ﹂を 出 したの は、その年の 月でした。既にロータス 社のグルー プウェアを 多 くの大 企 業 が 採用していましたが、機能も価格もリッ チでした 。僕 らは 必 要 最 小 限の機 能に 絞って低コスト化し、中小企業を中心に 販売しました。そういう意味ではうまく 時代の波に乗れたわけです。 永谷 タイミングが味方してくれたんで すね。しかもあのソフトはダウンロード ︵ D L ︶販 売という 戦 略 をとったでしょ う。あれはものすごく画 期 的でした。雑 誌の付録で CD-ROM が付いているのが精 一杯の時 代でしたから、ソフトウェアを DL販売するなんて夢のまた夢ですよ。 青 野 あ れ は 戦 略 で も 何 で も な くて 、 DLしか選択肢がなかったんです︵笑︶ 。 僕ら販売ルートがないうえに営業担当 もいない、資金がないからCDも焼けな い。 とにかく一番ローコストな方法といっ たらDLしかなかったんです。 永谷 そうだったんですか! でもサイボ ウズがきっかけで、今やDL販売がスタ ンダードの時代ですからね。 青野 当時はネットがまだ常時接続じゃ ない時代でしたから﹁ネットで売れるわ け が ない﹂と 散 々 言 わ れ ま し た 。内 心 ﹁す ぐつながるか ら!﹂と 思ってました よ。DLしやすいようにデータをできる だけ軽く、フロッピーディスク1 枚に収 まる容量にしました。販売が始まるとシ ンプルで使いやすいと評 判になって、ブ レイクしたわけです。 永谷 私がもうひとつ驚いたのは、データ ベース ︵DB︶まで組み込んでいた事。し かも I S A Mファイルという 単 純なテ キストファイルのね。﹁うまいことやった な!﹂と思いましたよ。 青野 よくご存知ですね。 ベンチャーで生 き残ろうと思ったら、新しい価値を生み 出していく必要があります。当時の僕ら みたいな少 人 数の会 社は一気に全 市 場 を狙うのではなく、まず限られた人に最 適なものを提 供していくという 第 1 歩 が肝心で、そこから徐々に広げていけば いいと考えました。やりたい事の全体像 があったら、そこから肉をそぎ落として いくという発 想が起 業 家には必 要 だと 思います。 永谷 ときには切り捨てる事も大切です よね、 こだわり過ぎていたらDB開発だ けで 数 年 は か かってし まったでしょう ね 。青 野 さ んのあのD B の発 想 、我 々 ITベンチャーは﹁これでいいんだ!﹂と 勇 気 づけられました。ところで、広 告 宣 伝にはどのくらい投資したんですか? 青野 売上の半分程度ですね。 永谷 %! 広告宣伝費といえば通常 は売上の7∼ %ですよ。 青野 このビジネスモデルは規模が大き くなれば利 益 率 が上 がりま すし、競 合 に勝つにはブランドを高めるのが先決だ と思っていました。ほかの費 用を抑えて でも広告宣伝費にまわす。それでも大手 ほどの費 用は出せないので、 いかにイン パクトを残すかを考えました。 永谷 目 標を達 成 する人って、青 野さん みたいに最 初はスモールスター トです よ。高すぎる目標は、途中で挫折してし まう。データを見ても、目 標が高い人や 30 31 10 15 グ ル ープ ウェア 国 内 シェア N o .1 を 誇る サ イボウズ 株 式 会 社 の 青 野 代 表と株 式 会 社 ネットマン の 永 谷 代 表 。 1 0 年 来 の 親 交 の ある ふ たりが 自 身 の 経 験 談 を 交え、 経 営 者としての 心 得 を 語りあった 。 対談 97 50 起 業 家 が 成 功 するた め の 心 得 スペシャル サ イボウズ株式会社 代表取締役社長 青野 慶久 発 明 家・株 式 会 社 ネ ッ ト マ ン 代 表 取 締 役 永谷 研一 1966年、静岡県沼津市出身。東芝テック、日本ユニ ソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイ シスを経て1999年4月、教育にITを活用する株式会 ボウズを設立。2005年4月代表取締役に就任(現 社ネットマンを設立。行動変容システムで日米で特 任)。社内のワークスタイル変革を推進し離職率を 許取得した発明家。1万人以上の行動実践データを 検証・分析し、目標達成のための行動習慣化メソッ 6分の1に低減するとともに、3児の父として3度の育 児休暇を取得。また2011年から事業のクラウド化 ド「PDCFAサイクル」を開発。三菱東京UFJ銀行、日 を進め、有料契約社は11,000社を超える。総務省 立グループなどの人材育成に採用されるほか、明 治大学、東海大学などでキャリア開発研修の講師 ワークスタイル変革プロジェクトの外部アドバイ ザーやCSAJ(一般社団法人コンピュータソフトウェ を務める。著書に「絶対に達成する技術」。 ア協会)の副会長を務める。
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