﹁日本書紀﹂から﹁草枕﹂まで 文選語の流れ | 八けド ℡ しよ卜 りⅤ 卜 中村 宗彦 しょうとする試みである。 巴い文口は 仮寛 に文 よったことを示す。注文におけ 以下、文選本文は胡刻本︵芸文印書館刊︶による。訓 ほ ついて、 ロ 九口は九条家本、 811 は本文の当該語 の右記である。︵例 ・浩一西都 に渡来したかは明らかではないが、その影響は早くも ﹁湯岡 漢東 、輪目11、長安 四。において、11は漢京の省印ル︶ 昭明太子帯親︵ 五0 一|五三一︶撰の詩文総集﹁文選﹂が何 ︵推古天皇四年・五九六逸文伊予国風土記︶や﹁ 十セ条憲 推古天皇十二年・六0四︶の文辞に表れる。﹁日本書細口 の 見 @ 田 養老四年・ ゼ二0︶に際しても、編者は到る処に文選の曲出 文辞を模倣・改変して取り込んでおり、これについての研究 精細である。また﹁懐風藻﹂﹁本朝文粋﹂以下の漢詩文集は んのこと、﹁万葉集﹂をはじめ、物語・随筆・謡曲等におけ -llの影響の跡についての考察も多い。ただ本稿は文選語|文選 まりとなる。 文選文辞の利用はその形態から次の三類 に分けられる。 故事・成語等。 として、おおむね二旬が最小の文のまと 何 主として熟語。 文馴健文 B 語 A C A は文選の丈を丸どと、あるいは多少の改変を加えつつ利用して O いるもので、文選受容の態度としては最も主体性に乏しい。 五 一般は ついて、時代に沿う てその利用の実態をたどり、漢語 選語が本邦の文化史上に占める重要な意義の一斑を明らかに 八一Ⅴ 邦 の ( 」 ( な に ろ 語 選 文 月の、句は本文における意義を把握し選択して地楡として主体的に c については、文選の普及に従って一般使用の語彙量も増加する。 利用しており、 A に比して文選の受容態度が進んでいるといえる。 一0-ハ いので敬ヨ日を避け、その極端な本文引用の例のみを @る 。 掲デ 伯瞬間 女 産児、 往賀智家、前月夜 還 。 於蓮葉 丘 警固 陵 下 、逢騎赤 者。兵馬持潰略而龍寡、歓待羅布鴻 鵠。異体蓬生、殊 相 遮光。 伯 駆驚迅於滅没 。云々 就硯面旧歓 之 。乃鞭所 乗鞍馬、斉 頭並轡 。南方方駿超櫨絶於挨塵 、 わば文選から離れて一人立ちしてゆく。この文選語 の普 & には、文 傍線部は文選の文で、番号はその順 を 示す︶ 撃耳 、 顔渕年 ・挿白馬 賦の文辞の え 、異 改めたこと がせめても 昏睡 邸 歯。秀行 0 十コ君 老眼中 之 糟糠 囲。 醜随不グ可。見レ人、頑都下げ可。仕 /主。 其 師@ 岡 廿 ク按 、 セ ク叉抗 耳痛。 ︵好賦 色 口 九口︶ ム登 桂子別本。 然 。共裏蓬頭 洛神の諸賦の如きも古来幾度となく利用されている。 たちどころに 塊麗 な文章が現出する。巻十九の高唐 ・神女,好色・ 語 が豊富であるか ら、作者が適宜に文・旬を採取して組み合せると このように文選 の賦はもともと百物を賦陳列叙する性格上、形容 し、絶於挨塵 に政 用・改変する上において整然とした対表現をめざしている点を指摘 の独自性の主張であった。なお、榎本福寿氏は書紀編者は原文を襲 峯生の峯を蓬に、組夫鹿轍を絶於挨塵に、 惑は大きい。結局、説話の筋に添うよう句の順序を入 れ 換 し、駿馬の描写に詳しい文選巻 十四 月夜の警固使丁に展開される奇異な赤駿説話を漢文に改編するに 雄略 紀 九年 セ月 鰹醍 喧嘩堂々等の 語を含む︶ 文選の文の本格的な利用はコ日本書紀口の文章の編述 に始まる。 -3- 書紀編者がいかに文選の文辞に多くを依拠したかは先学の研究に詳 八二ノ を除いて多くは日常語の世界から消え去っていったものである。 は限られた語 ︵宇宙経営消息 時停滞したが、明治初・中期一部に再び文選 語が復活し ている。現代 多量に日常語化するのも院政期以降である。近世の文選語利用は 一 して平安中期以降特に中世はB の利用が著しい。c の文 選出典語が 政期までで終る。文選の教養が僧侶武士層まで拡がったことを反映 するのに留めたい。概括すれば文選の模倣としてA の利用はぽぼ院 のため瞥見 選語﹂とは厳密にc のみを指すこととし、A.B は参老, 以上便宜的に文選文辞をA.B.cに大別したが本稿における﹁文 たした役割が大きい。 速読1例えば﹁魏 々トタカシ﹂における 昔 と訓の同時 受容の果 ただ一部の作家を除いては直接文選出典とは意識されなくなり、い し 0 の 孫 .駿 体 読 際 為グ休 、蓬頭 額短 、取唇頓長 、簗耳額太 、 % 高頗窄 。 歴歯膵艇 、 0恵与。 才拙、実価 廿セ歩呵︵ 湯岡碑文︶ これを始めとして、文選は﹁故事成語の大辞典﹂として され続ける。 猿楽 記 ︶ なう 0 宏に 斉回 に婦人あり、無塩君と號く 。 形 醜くして 色黒し。⋮⋮ 腰 市れ︵巻十九・南唐賦 ︶ ム妾巫山立女山⋮⋮妾在臣巫山立場、高正之阻 @旦恭二朝幸一 @ 暮 明為 二行 れ、 ⋮①棚鍵と鼻びせ㎏祀醸ど成ぶら高に㎏鍬鮮と健 " は折れたるが如く 、胸は突き出せるが如し。蓬乱の髪 は登徒が 妻に ㍼ の如きは最も愛好きれた故事である。 0屋 あららかに吹き、時雨きとしたるぽど、涙も争ふ 、 心地して、 目沙 みたり。︵保元物語 巻二一・無塩君の事①③は 巻四十五・ 解瑚 ﹁ 頒頓抗顔﹂②④は 巻二 ・西京職﹁僻目高目﹂による。 楽︶ ﹁雨となり、雲 とやなりにけむ。今は知らず﹂とうちひ とりどちて、 物まm.@ ︵源氏 ム著 。 粉 大白。 施 。 朱則 大赤。周知工学 羽 @ 胴如 二白予昆 ︵ 好色 賦 ロ元じ ム朱唇的英知。 丹 、⋮⋮ 毛嫡部げ扶不 。足 二程式 @ 凹地 掩 。両地。之無 。 九口︶ 0巫侠行雲恒百二 襟 上 @洛Ⅲ但書常処二 袖山 り ︵玉造 小 町子壮衰書︶ 賦ロ 色 。︵神女 0彼草 につなぐ疲馬は胡国を忍びて北風に噺く、 ︵ 海 追記︶ 情哉 。︵将門記︶ 0斯調馬荷﹂北風 之愁 @烏有二南枝 之悲 Ⅱ伺祝人倫於。思何無二棟土之 ︵ 巻 三十九・詣庫平王上書︶なども特に人口に檜夷する 九 ・古詩十九百︶﹁習蓼虫之 忠平﹂︵巻末・魏都賦 ︶ ﹁身非木石﹂ ﹁胡馬体北風、越鳥 巣南枝﹂﹁共著日収疎、生者日以剃 ﹂︵ 巻 二十 も近づくか。︵謡曲舟橋︶ 09 日漸く傾きて霞の空もかき昏 らし、雲 となり市と なる中高の道 ト振ヒ居タリ。︵太平記・巻 二十一塩冶判官譲死ノ 事 ︶ 0巫女廟ノ花ハ夢ノ巾二残り⋮⋮師直物 ノ怪ノ村タル様二ヮナ 1{ ︶{ ︶ 。 諦 0 玉顔 之艶 、雨域 障レ秩両夫。 魂 。素質 之閑 、西施 掩 。面 面無 /色 。︵続 施 @集 ,万変Ⅱ 不 。着 。粒目白 、 不 。 浦島 子伝 ﹁南城﹂は 巻 三十四・ セ啓 ︶ 0 十二君・・・⋮開立青黛芝眉半面 ︵新猿楽記︶ ︵太平記善一立后 事 嫡西施モ百 ヲ恥、 白雄。 潤唇 虹二円葉 @ 膏膚如 二白雪 づ 0垂柳 ノ風 %台メル御形、毛 全一う 故事・成語については、巻 六十・陳忠正 セ歩詩の故事 が文選中ょ り最も早く引かれる。 一Oセ 一0 九 0 。序に 0越鳥南枝に巣をかけ、胡馬北風にいぱへ けるも生十 を 思ふ 故ぞか し。︵平治物語 下 ・頼朝 遠流の事︶ -5- 平安中期の、源為憲 撰 ﹁世俗諺文﹂︵寛治四年・ ︵太平 一 一Ⅱ 一O 八 労兵、 尺 翰鳥 ノ級ヲ 出、 轍粍ノ水ヲ得タ ルガ 如 クニ テ ︶W ム浮草聯融夢 翰鳥 櫻 。組 面壁ニ曽雲之唆れ ︵巻十セ ・文 MW 巻 二十九・将軍親子 御 過失 事 ︶ 口玉 0まことや文選の言葉に、﹁徳を積み功をかきぬること、之ての一 知らざれども時に用 ぬることあり。義を捨て理を背く こと、その よれば三巻で六百三十一章の諺を収めるが、現存観智 院本は上巻・ 0 これや文選の辞に﹁しやうにみちては瑞を豊年に頭し、丈にあ 而亡 。︵ 巻 三十九・上書課員王 ︶ 有。 徳累 。行木。知 二具書有 。暗面用 、葉。義背 。埋木。 知 二具悪 ム積 。 モ ロ 典文学大系曽我物語 を 知らざれども時に滅ぶることあり。︵日本 骨肉 之観ム ・同じく伊東が死する事︶ 二百二十三章のみ︶ 中 、文選出典︵注を含む︶を記す のは次の二十 ム侯河之清ム 黄河清市聖 A聞書 若 驚 、康恵 如儲 ム文人相堅ム ム九年一毛ム一人向 壁、満座本論ム不 飲盗泉 八犬馬忠憤ム反哺 烏 ム茅茨木蘭ム白 近 放還 章 である。 ム守在 海外 ム孔席 不媛 人生八千載一過 ム一巻 師 ム 浮雲之富八 蓼虫 忘辛 ム 瘡痕 之清 、回収 濯我櫻 鉛刀文一割 賦 、 n九口︶ ては禍をいんとくにあられす︵同巻二 ・若君の御事︶ アカ @チ A 盈@ 。 キハ 尺刷呈 吝二@・ 瑞於 豊年 @表。立川表笘珍於 陰徳 - ︵巻 十三 であろうか。とにかくこの数は諭語の三十一章、史記の 二十 セ 章に 0 身のあや ぅきは勢のすぐる所となり、禍のつもるは寵 のきかん この中、現代にも生きるのは千載一過、九年一毛、蓼虫忘辛 程度 次ぎ、毛詩の十五章、礼記の十コ章を上回り、当時の文選の並 日及、 る るこゑ てなり。︵同︶ ﹁曽我物語﹂には 他 八条、計十二条の文選の格言が引用されて ム土持 ゾ知。田者用、女為 。説 。巴君容 。︵ 巻 四十一・ 報任 少 郷書︶ ︵ 同 ,巻五五郎が 情 かけし 女 出家の事︶ 0士は己を知るもののために容をつく る ふと文選の言 葉 なるを や 寵盛 Ⅱ︵巻 四十六・衰亡 賦 序 ︶ ム身危 山坂放語過 ⋮・・禍 ・起 ・異族 受容の程度を反映する。 出家の由来︶ の川 Ⅲ 中世に至って、軍記物語の類、特に司曽我物語 L に文 速成 註佃 用 が著しい。 0吉凶純両縄の如しと 云本文あり。︵平治物語上・信西 ム吉凶 如糾鯉、憂喜相紛統 。︵ 巻 二十・征西宮 属送於捗陽侯 作詩︶ 他日窮困 ノ軍 己 - を 巻 頭 i@t5 寺 Ⅱ 成祖 し絶対化する姿勢が 露わである。ただ真字本ならば とも かく、 に教訓的性格が濃い。本文、文選に日く等の引用形式 には文 選 る帝 語 であっても、例えば楚辞・史記・漢書の文章にも用例のある語は ㈹文選は漢より 染 までの セ代の詩文の総集である。 で、直ちに、文選出典語が日常語化したとは認められな 故 に文選所出 の 文選の丈をかな書きすれば誤写も起り易く、正確な意味 の理解が伴 使用者が果して文選から引いたのか、直接原書に拠った し 難い。 わない。文選の引用が形式化する過程の表われであろ, 軍記物語に続いては、 宝 ﹂にも文選の文章が﹁漁父辞 ﹂以下九億収録きれる。 ㈹更に文選は文章の渕藪 として 唐 ・末において推重き ね、﹁古文 真 その 巌 石を切り石。︵謡曲・金札︶ 柳以下の唐木八大家も文選に学んでいるから、本邦人 0作品中の文 下水、 ム泰山之 雷穿 。石、魍魎 之 紋所。幹。水井 右左 鎮 @索非 二木立鋸 Ⅱ澗 選所出語 は ついて、その何れから取り入れた語であるか 0深きいけたを切るなるは、欄井のつるべ縄 、また 泰 白 。︵ 巻 三十九・上書誌貝玉杢 巳 磨使二玄黙 - とも困難である。 李杜 や、韓 0 車を作る椎の ホ、 車を作る椎の ホ、 ⋮・・・︵同︶ 右のような制約を受けるので、本稿での文選語 とは 頻 度 ︵文選出 所話が続いて頻繁に用いられる︶出所︵文選曲特に親しまれたと 思 ム夫権 輸為笘大略之始 @大幣 寧 百二椎輪之質 Ⅱ︵文選 序 ︶ 等 謡曲の詞章に多く取り入れられる。﹁白氏文集しと並んで 主要な われる 賦 ・詩 ・辞の類︶からみて、文選から摂取したと は ・ 噌 速 吉 一 』 日 日 @乙 2 群 一 き あ 一 要 め 由 , Ⅱ な う 千 と 難 。 ,丁日 て 文 次 選 索 口 ?@ 載 記 日生息 、 が 極 は 代 才 仁 一O 九 コ倭名類聚 抄 ﹂︵承平 次の的語である。︵Ⅰ印は師説 と任記 のある 訓︶ 四年・九二面千巻筆注本︶によって文選出典記載の 語を掲げれば るしい。 ム﹁、これ等の作品は除外して、まず 衰書 ﹂は﹁白氏文集﹂、﹁遊仙窟﹂と並んで文選諸 に よ る鍍刻が著 既に小島 憲之 博士の諭に詳しい。平安期に入っての 司玉造小町子 壮 -6- 内に放いてである。上代の万葉・日本書紀・風土記の文選 語 利用は 無性が高く、かつ平易な日常語を省くという程度の、漠 然 とした 枠 思われる 蓋 修辞の供給源である。 l) る 八血 Ⅱ︶ 典 句 文 の と ( 百 選 語 典 そ 年 所 を な 山 詞 っ ぞ 月 で 定 て れ 日 あ す 例 に ・1字 文 永 て や 出 文 選 え 愛 万 て子心るれ 「。 7D ミ主 般愛万 @ 事 的 -@ 語 愛 万 ●列卒 カ リ コ と記 きれ、由来の久しい渡来食物であることが示される 。︵ 核 斎は 一一O 0 苦酒 掩食 。之 。 蜀 八珍 焉 。︵ 巻 九︶ 0 舟子フナ コ 到達注を引いて 鏑と 姦は二物で、今のコンニャクは 正 しくは錫であ ● 潟カタ● 仮子ワラ ハ 0 傍サヲ 0 淀ヨドミ 0 撫子 イヲトリ 0海神● 泊湘 ササラ ブミ ぺ 0 Ⅰ 鰍ラ フ 文 速読の習慣も 院 政 末期の 、図 観智院本 同名義抄 口は 一千余 項巾 、 ここでは 当 ただ多くが読書語彙に偏るので、実際どの程度の語が実刑 せられ 文選出典語数は約一割、三千語と推測される。 出典記載を省略するので精確ではないが、総項目三万一 典を示す語が約二百三十語収録されている。 書寮本 ﹁類聚名義抄﹂零本︵ 法部 前半︶には、 拒池 ・乏 子以下文選出 抄 ﹂・﹁類聚名義抄﹂等の古字書に引き継がれる。 白業字類 コ倭名 抄 口中の文選語は更に多くが増補きれて次代の コ 恐らくこれと並行して行われてきたものであろう。 伝統が既に平安初期にまで沸 ることを推定きせる。 また的語中師説と注記する訓がG. 語i と半数近くを占め、 文選 訓の ることを考証する。︶ 0 蕩子 タ ハレ ヲ ● 辺邪 ア ッマ 。 ツ 0乏 0 0 間間サトノ 0 布衣 カ 0 拒 粒目コシ コメ 0 袷衣 アハ セノキ ヌ ●桂月ハシマ Ⅰ 文檀方 サレル ノ キス ケ 嵩上械 師 ●両賞アキ ヒト Ⅰ 宇ヤカズ ● 陣タタラメ● 歴 薗ハ ワカレ ● 翻 マフ シ 母兄ハラ ヒトツ ノコノ カミ ヤフヤ ギ ● 瞠 コシ リ ● 柿 タタリカ タ 飛槽 ●帆綱 ホ 。ツナ 0 助刷 理髪 0 膠敷 サカアフラ カト Ⅰ浮蟻サカ キササ 0姑 タカタヌキ リキス 0糟 サカ フ不 Ⅰ 籠 サテ 0代ク 0 如ユテ モノ● 寒ココ シモノ ●媒鳥 ヲトリ 0 継キ ツナ 0 紐ヲ 0 叉ヒシ 0 凌70 紬鶏ササキⅠ掛襟 フクケ ● 淋参ツッ ケ ヒ 0水 豹 アサ ラシ 0 茄窮苦 適夜火︵訓は ● 肢モノハミ● 軒寡ハ フル● 嚇 カヵ ナク 0 竃タチカ 。 0鰭 ハタ・ヒレ ザ 0 沈牛 最後の例を除いて万葉仮名をカタカナに直す。原書無載 と考証きれ ム﹁後 各資料との照合が必要である。 持頭 用 せられていた、掲焉周章等二、三の語につい て説明するに ていたかという点、 百科事彙的な性格上、居処、調度や動植物等の品彙に偏り、 文稗 留める。 る 語を除く︶ 飛檜 ・沈牛 ・叉等の単なる机上の知識に留まる語が多 い 。ただ 茸 八 掲焉 V 仏 上托 ︶ 掲焉中崎︵ 巻二 ・西京風、 ロ九口善国、 掲、再挙世︶ 一/テ @ ィテ シル シ ︵観智 院本類聚名義抄・ ム子 章珍館 窮は、 以臣灰汁 煮 則 変成、以﹁ 0 掲焉 文選 蜀都賦注云藍錫 。其根灰白、 ム英国別育苗錫某 英風 鴫 ⋮・・・ 巻︵ 四 ・蜀都賦 ︶ 0 鏑窮 本文によれば、掲焉は宮殿白飴が高く箸 える状である してはむしろタカクシテが適当である。 しかし﹁文選 読 ﹂によって、掲焉 トィチ シル シの誹議 が 固定して されたものである。 0宇佐官而柄然昇天 ︵類聚既験抄 ︶ 且 0 帰休の 義畑焉 なる物をや︵諏訪大明神絵詞︶ 八周章 V 有 ラムト 周テ念ギ参 リタリ︵ ム﹁昔物語十六| 十八︶ 以来、この語は専ら次のように霊験あらたかなさまに用いられるよ 0 何事二ヵ 0周章アハ。 ツ ︵ 観智 院本名義抄・ 仏 上村︶ l 几1︵類聚既験 抄こ うになった。 0 日本 雌 ,神明掲焉 @ 0講師 モ周テ 物モ下表ズ︵ 同 ・十九| 十四︶ 同 0 凡神力自在 而霊験掲焉。︵ あはてふためき ︵ 巻五 ・兵部賦 である。 良日⋮⋮⋮、 潤 思惟 0討手の軍兵は此形勢にますます周章、︵椿説弓張月 ・統仇 五︶ ︵太平記巻尺・摩耶合戦 ノ事 ︶ あり士 さ ニモ タラデ 引退 シケレバ 京中一八波羅ノ周 草本科。 0猿周テ仰様 二脚レタル 二 ︵ 同 ・二十六 | 八︶ 事共有ケリ︵同十九 ノ 一︶ 掲焉ニ司有キ二露此 クハ 元ケレバ 0 僅 二千 騎二ダ 0感応 之掲焉︵伊呂波字類抄八白山社︶ 0物ノ気現レテ 霊験掲焉ナル 0 阿 ニモ此ク二 紋付 バ験ハ貴ク 敬モ 元 ニコソ 有 ヌレ ト ︵ ム﹁昔物語・十九 ノ十八︶ 夷楢 、 不知明之也コ 文目︶ ム 軽食 狡獣 、 語 の観 さえある。この語の命脈は長く、近世にも次の側 が見える。 周章は狼狽等と連なって現在でも普通に用いられる文 選語 コム﹁昔物語 口に 、掲焉なる語は特に多用されて、あたかも今昔専用 0面をあはして掲焉 き奇瑞を感価したりしが、︵椿説ヨ張月残ノ 喚起が可能であったためであろう。 八軒 旬 V ハ哩坤 V 0 然 レバ 国ノ 四軒 旬テ錦ヲ 張り⋮ 岬旬テはノ ノシリ テと 読むのであろうが、これも文選読が 介在す 宋 ﹁昔物語 十 ー三十一 一︶ い う 文選 読が 普及していて、そのため周一字でも アヮツ という概念 周 童 @ アワツと また﹁ 周 ﹂単独でも アヮッ 意味に用いられるのは、 向日柄、朋世︶ 一︶ ︵巻 四十五・三都賦序 なおこれと類義の 柄然 ・畑 焉の用例も多い。 @ン@ 同 。風 。︵若一・両郡 賦序 ︶ 4% 荒弓二三代 A遺文 柄然。 @ 。 、同じく次のように神仏の霊験記に多用 而して、畑にテル、畑芋 に テル、等の文選 訓 によって 柄 然 、畑 焉 にも テルという訓が固定し 一一一 麟冑。︵浩二・西京 賦ロ 九口消日 るであろう。 だ・ だ 文選には、 8 集年帰鼻 。 ・ 月︶ @@ とあって 軒 旬の語はないが、 鳥 奮迅 ⋮⋮蛭瑞 陪官浩二疾霧 Ⅱ︵巻三 ・東京風⋮⋮ 錘 敬之 声白 ︶ ム伐昌善哉 シルという 文 ︵ ム﹁お日物 記 ・巻 二十二一 ︵源平盛衰記・ 頼 政最後 ノ事︶ フ訓が固定し 選語の語が行われ、更に 旬 一字に対する ノノ シルとい, たものである。 0 渡セ ヤ波 セ 土岐順達参会御幸 致狼 箱車︶ 0 只師 直二布ムロテ勝負 っ決セョト 声々二旬 呼 ハリ閑 二週 ︵同 ・浩二十六四条縄手合戦事︶ また、 哩坤トノノ シルという文選読も行われる。 4% 謹 : 哩坤が芽亜蔭映 。︵巻立・ 呉都賦口 九口 向 日 音声山︶ 人声が騒がしいさまであるが、 0 ﹁英ニ微妙キ車 也 ﹂ ト云テソ 人々皆目 ヲ讃メ嗅リケ 0多ノ人ノ浜 二世 デテ皇 シル昔ヲ聞テ ︵ 同 ・五一一︶ 語 ・二十八 | 二十九︶ 一一一 右のように哩 ・皇をノノ シル義に宛てているのも、哩 ルという文選読の語が常用されていたため、嗅 ・皇 一字に対しても ノノ シルという訓が及ぼされたものである。 なお、 司今昔物語しに次の語例が見える。 0彼此準渚トテ哩ルヲ瞬間召テ ︵二十八 | 三十セ︶ 審 十二・海賦善国11把 用地︶ 日本古典文学大系補注には準渚を未詳とするが、これも文選語で ある。 ム驚浪雷弗⋮⋮準潅 。 もと波浪の沸きたつきまをいうが、これを人声の騒がしさに転用し たもので、一応 シツケツと背読しておくべきであろう。 天文元年二五三二︶成立の﹁ 塵添環襄抄 ﹂に引かれる項目で、 饗 ︵ 巻 四︶ ケ 。 将来 累 ル @ 葉,9 亀 キ鏡 き 五︶陸梁 魏 々堂々進退 谷ル ︵巻こ サ @佐 サ波 @恵 佐 ソ渡 ︵ 約 、心悉 ︶ ︵若一︶ 滞 @支 ヵ 4 @ 、忙 ホ々ルル 縮 ム 文選︵文選注を含む︶出典のものは次の通りである。 ノ朝 ウ ,ウ . ノ 両 偏@ 頗 ︵ヰ合一一一︶ 巻十三︶京芋 ︵ 巻九︶樽 ソ蝸 , 。。 蘭, ︵巻十︶天文地理宰鼓 盧 消息︵巻十一︶管字 睨泌礫グ人折 ン @ウ森 両郡 ほ字揖 芸事桑門 仏徒の著述として一応当時の知識層の舌口語への関心集 を約してお り 、文選語の受容と普及程度を示す好資料であろう。文 選語として 現代に生きる 睾雌ヰアクセク消息等が当時も既に普 とが知れる。また陸梁の次の説明も興味が深い。 放 していたこ 竣酸 ﹂︵内力 U、 凡ソ人ノ 腹立 時ハ必ズヲ 陸梁 ノ事 、人 ノ腹立 ヲ リクリヤウト五ハ 何ノ謂レソ陸 梁 卜書 ク ヲ トルト コ ム也、文選 云陸梁 トヲ トルト 陸梁は文選 巻二 ・西京職﹁怪獣陸梁、大筈 路 盧橘埴馬塞馬艦 遠道南地白 汗支 イカ 根 イ 籍 以上は一端に過ぎないが、現代に生きる語も見出され、 鞄 講義 文選 語が 日常に浸透してゆく様をうかがわせる。ただ、字書としての性格上 保守性が強く、制、白鶴︵弔客︶の如き死語に近いものも収められ ︵7部 ・膝を蔽 う皮製の 続目陸梁、東西侶伴 也 ︶ 而支 ︵ 巻三 ・東京 賦 戸立ロ続目 ハイ ・ 刀ィ馬 イサム 也 ︵渡部︶に 対 して意味が % 壊而沌支づ 現存本に は 正しい はラ ドルの訓はない。︵ 巻セ 、籍田賦、﹁ 龍験騰駿而汚 支 ﹂も同訓︶ 文選によれば 汀支は天子の六周 が 勇みたっ形容であり、 、伸二姿容 目面︶ ム六二女加之 変変 @ 百二 転 託している点注目をひく。 ﹁伊 呂波字類抄﹂ また、﹁ 浦支根 ぬ﹂ ねは 、 武具︶も盛んな文選 調 習の跡を留めるだけの語である。 株翰 る 。駒験 ︵タ郎・北国産の良馬の名︶ 陸梁﹂八九 U、 n 文口 では陸梁トミダルの 訓 。済口、 往 によれば陸梁は侶伴1 % 征することであり、また 巻 セ、甘泉 賦 ﹁飛蒙 背面 走 却走 貌 ︶では乱れ走るきまである。いずれにしてもヲ は適当ではないが、陸梁1%ドルの訓が固定し、 更に これを人が立 腹 しておどりあがるさまに転用したことがしれ、 け 、明治三年 大の男のふとりせのたるが、いかりにいかりて陸梁 せ られけれど そら も、 ︵古活字本平治物語 出 ・源氏勢 汰への事︶ 0例が有名である。なお、この語は明治初期まで生き続 発行コ布令 字弁口に陸梁ガイ ラ フルフコトと 説明 きれている。 ﹁ 浦支 、 馬 イサム 也 ﹂と コ伊呂波字類抄 口 に採られたの が、 間もなく馬の暴れ狂 うき まに転用きれている。 ﹁易林本節用集﹂︵慶長二年・ミ一五九セ ︶刊行︶も 多 数の文選 詰を収録する。試みに イ ・ロ, ハ部から文選出典 と推足 される語を 0内大臣 被二供奉 @ リ ケル二局油女シテ春日 ソ大宮 二 工員クアカリ テ走り 廻 リケンバ路上二下り立タレケリ。︵源平盛衰記 ・二十八 挙げると次の通りである。︵普通語を除く︶ 陣浬 一一一一一 京座 禰大臣 井拝賀 事 0 御随身奏事射、北面の下野入道信願を ﹁落馬の相ある 大 なり。 一一四 明治初年、王政復古に伴 う法令布告に漢語が多用きれたことで 一 @年 ︶の如き 書 時 漢語が盛行し、民衆教育用に一・布令宇井﹂︵明治二一 0固 0 生民 タ 0邦家クニ ノ コト 0列聖・神霊天子 ノゴセン 代 ・大三 イマ 0溌乱乱ラ オ サ メルコ ト 0商賈アキンド ノコト が発行された。その中に見出される文選語は次の如きものである。 0 安堵 填 しみ給へ﹂といひけるを⋮⋮﹁きはめて桃尻にして 而文 の馬を好みしかばこの相を負せ侍りき。⋮⋮﹂︵徒然草 ・百四十四 ミ目ショウ よく 段︶ 晒 イヤ シ キトイフコ ト コ、ロヲ チック コト 士 の袷 、祐 、 0寺兵衛がたぐりかけて打つ泥砂、出合拍子に馬上の武 0 流離︵ 姐難 ︶ アチ コチハ々 レテ ︵ナンギス ル 0歩卒ゾウ ヒヤ ウ ソコト また好適な辞源でもあり得た。勲爵万機皇基 機 負 ,っているで 綱細剣璽 に迫られた際、 詔 ・令 ・表 ・書 ・訴等多様な文書を収録 する文選は 維新に際して官僚群 が政治・法制上の新たな用語を案出する必要 コト ︶ スタ 7 シヒノコト 上︶ 馬 ノ半使 狂へ 文選 沖文ラ ド リアガルト ョ 皆具まで ぎ つくとかかるも時の運、栗毛たちまち 泥付毛 、滞支鞍も 鎮 らず。︵女殺油地獄・ これに対して﹁ 塵添堆嚢抄 ﹂でも ソ ノ武ウテ寄 ル考 ヲクヒ フ ス二寄テ 八%モ表敬 而文事八%ハイカイナト五ハ何事 ょ馬 関 将校畿内神道の語の如き漢語も恐らく文選に ルヲ 表記 也 ︵番一︶ あろう。 明治が欧化朋を過ぎて復古期 に入り、国文・漢文の見直しが行わ と見える。室町期 には馬の暴れる様と並行して人の乱暴狼 籍の様の なお 半漢も東京職 抹 して新しい当代の写生文を築こう とした所謂美文派 の作家の一派 れた明治二十年代、円熟した漢文学の素養の上に流麗な国文 調 を加 形容にもなっていて、日常語として活用きれたものであろう。 に ﹁天馬半漢 ﹂とあって 柿支 と同 義 である。 流 ともいえる。 何 として志賀重昂、武島羽衣、 セ年 ︶ 遅塚麗水の文を引用 然れども日本人が日本江山の海美を謂ふは、 何ぞ菅に 其の吾 郷 に在 する。 八志賀重昂 V ﹁日本風景論﹂︵明治二十 が登場する。幾世代にもわたって蓄積され来 った文選 圭巾の最後の奔 ノ馬乗ト 聞ヘシ 本間 0 具相形 ゲ ニモ尋常 ノ馬 二典也 ⋮⋮真北天下一 藤 四郎 ヲ被 。召テ被 。乗 二半漢離梁甚 不二尋常Ⅱ︵太平記十三・龍馬道 奏事︶ 五 ( "ノ るを以てならん。︵緒論︶ ︵巻末・ 魏都 眩目九口向日向、英世︶ 三通 注 、 武 蔵 野の地平 ム車土山川之悼異、物産之魁殊 -.. ⋮.生生 之 功二宮厚ハ淘英之 所 "不 " 漁也 0秋高く、気清く、天長へに繊雲 なく、富士の高嶺、 線上に突九す。︵ 緒め巴 ム悲哉秋之為 。 気也 ・・・⋮大高市 気清 。︵ 巻 三十三・九 弁 を堀 起し、︵四︶ 万魁の鮮血 鵬 ぎて 掃落 たる、︵ 同 ︶ 峯の裏区 に入り、︵同︶ 0 連山 層 等文選語を縦横に駆使して豪宕 雄動 と評される名文を織り成して 二八ゼニ ー 山善 ︵圭ニ・西都 賦 Ⅰ 文 か はりつつ、 日広雅同11 、 なく、 日文日害 日11 、長貌 ︶ 形となりて遠逝たる連山のいただきに -1 o一九六 セ ︶﹁金明水﹂︵ 明 浩二十八年 - いる。東海散士、徳富雄峯と 並称きれる所以である。 八 武島羽衣 V よ べの名残の雨雲の五色の渥 揺曳せるなど、 ︶ 秋天高 朗、体清明 也 ム路透逸而修廻今。︵ 巻十一・登楼 賦 0 高地 ︶ 樵境 。 乾坤を貫ける絶大の天柱は礁暁 として 撃づ るに道も 0 捨 千古 丹 の浦島積雪端々、最高天より一条の噴煙斜 めに 騰沸す 。 ︵緒論︶ ム 武臣雲霧 之 香香 @ 渉ニ積雪 之鎧 々 - ︵ 巻九 ・北征賦口女 口王通注説 文目 鎧瞠 、霜雪白文魏也︶ 0 ︵ 巻四 ・礒部賦 ロ丸日向日 喬木は長享となり、兵革はまた離々たる断章と何 0 ゆゑ に出獄我々として高く智え 、 是に応じて 海甚深 し 。︵一一︶ tフサナ ム布二緑葉 之婁婁ハ結 ﹂朱実之 離離 ぺ ︶ 0萎 々たる 繊草 ︵ 霧分衣 ︶ 0 莞穆 の 嶋 君 磯際 として繁り , のへる木 @W 一 ︵鹿革 寺 の富士︶。 ︵明治二十六 -u- 八達 塚 麗水 V ︵一八六六| 一九四二︶﹁不二の高嶺﹂ に箸 えたちて、︵北陸源草 ︶等の語が見える。 ︵同︶玲鹿 たる芙蓉 峯の、 その他、 文字に引かれてこの原義を誤解したのではなかろうか。 離々は草木果実の繁茂しているさまであるから、羽衣 はあるいは 茂盛貌 @タカ クキナ 入@ ム清洲洋洋、神山嶺 嵌 。︵巻二 ・西京賦ロ 九口続目| | 、高大也︶ ︵番一・西都 賦 八九り銃口、11兆 也 ︶ 市燈は其間より明滅し、電燈の青焚 なる ものは更に青 | ふ 。︵三︶ 0 聖水一色、 焚 |を添 ム班理青焚 0 日本風 ︵同︶ 0伊予に石槌 山 0 雲来 往迅速、膨 涯 0汎々 と して大海上の その他、上野信濃の連山⋮⋮地平線上に練暁す︵緒論︶ 景 の浦酒 、美、 趺君 なる所以此の如し︵同︶ 0到る処漢水 渥浅 島 興を化成す。︵同︶日本海上雲霧具合︵同︶ として天を捲き︵付録︶ 一一五 けつてい ・・・ 駄⋮醍寵鼠 。︵巻尺・ 上林賦、書目郭撲同11、生三日 時の駄 展して炎の如き竜を振 ふ が 如きあり。 0朱 年 ・︶ 獣則 4具 而超 二具母づ翰日北方 獣名 ︶ 麗水は駄 提 の本義に拘わらず、これを馬の馳走する状に転用したも のである。 (わん 一一、ノ であったという。なお田山花袋の作品中にも文選語が見 は省略する。 ハ山 ハⅤ えるが、今 最後に、夏目漱石の﹁草枕﹂中の文選話 について触れ ておきた い。嘗て二松学舎に学び、一時は漢学者を芯したといわれる漱石と 漢籍との深 い関係は汎く知られる。特にコ草枕口中の陶渕明、李白、 杜甫、王維、孟浩然、白居易等の詩、論詰、荘子・柳め 本元、欧陽脩 金剛力士の金兜を戴き朱 甲を還 |し て。 0 八枚 復援ゾ施環 。甲 ︵ 巻 四十四・ 為衰紹敵 予州、善国 | 、 貫也 ︶ 次第に光明を加えて光荘 陸離、 遂 に混じて 狸 血の色をなす。 0 巻四 ・南都 賦月 九口書目、11 猶 l 上 。 3 -, 次に楚辞を含む﹁草枕﹂中の文選詔使用の箇所を掲げ る 。︵Ⅰは 如 ・さ流布本に塞 いたと考えるのが自然である。 き事書に拠ったとするよりほ、注や訓の備わった寛文坂コ文選 ロの が文選に求められるから、漱石は楚辞については﹁楚 群集注 Lの如 きれていないようである。しかし楚辞にしてもその引用箇所の殆ど 等の丈の引用が明らかにされており、楚辞の句も四箇所にわたる引 Ⅱ用が指摘済みである。ただ管見の及ぶ所、文選との関係は特に注意 ム其 竹川⋮・・・酒浸陸離。︵ 参差 也 ︶ -つ @ @. わ @ . つ 蝶 。︵ 巻一 ・西都 賦 八九 口善同11百峻貝 ︶ ん= きん 仰ぎ見れば岬蝶たる絶頂は四案 を成して高く天を衝き、 0 金石崎 ム 桂に没するの沙は浄 う して繊塵な し。踏みて行けば珊々としてモ s, 0 あり。 しり 人じり ん 俊巡 として曇り勝ちなる春の空を 、 、 価声也 ︶ 楚辞の語句による 文。なお、この場合の楚辞とは低回原作及び宋玉 作 の丸井に限る。︶ 超 顧巧技して Ⅰ着想を紙に落きぬとも鋳 膠 の音は胸裏に起る︵一︶ A 膠錨鳴分琳眼 。︵啓三十三・九 歌東皇 太一工通日 鋸 等多数の文選 語が 綴られる。 恐 造々漠々 ム排 。堀声之 珊々。︵ 巻 十九・神女賦ロ 九口番注11、 声也 ︶ その他、委蛇 圏援蓮進行 佛 乗珠磯紛た渥 日大芹寂々 らく文選全巻を読破し、文辞を自家薬籠中のものとした最後の文人 であろう。麗水は駿河の人、江戸﹁迎曄塾 ﹂に学んだ他は殆ど独学 ム西都賀俊巡降 。陪 ︵番一・東都 賦 さん ぐわん 爾雅洋 日11 却去也 ︶ ・ , 十@ , 。︵ -- 高唐賦王逸 注11 山 錦貝︶ 媚幌 とあら削りの柱の如く費 えるのが天狗君 だそ う 0 ム離岸岨 玩 ⋮⋮︵ 巻 十九・ ︵ 巻三十三・九章王通 注 、| |美玉山。 琳 Ⅰ芸術家は無数の琳娘を見、無上の宝砧を知る。︵ 二一 ム被コ明月 分冊立 宝略れ たる 彩光は 畑芋として、︵三︶ 娘は前出。︶ 0 燦燗 同文目︶ ム燦燗炉煥 、︵浩二丁東京 賦 、1111潔白鮮明文具︶ 儀炉 ユ手世宗 り ︵番一・東都 賦 せん @わい ヱハ ︶ ●無限の域に 御 檀して、 。︶ なき有様、︵一八︶ ︵十︶ ▲入漁 浦余檀 御侍。︵ 巻 三十三・九章五日本 作遭廻 。 済口 遭 転廻 旋也 此演然 として 侍托 0 白雲脚。︵六︶ ム % 然 無二憂患Ⅱ︵ 巻 五十三・養生論︶ 0 緬遡 ム緬遡 令長乖 。︵ 巻十六・寡婦 賦 ︶ に滋 き、黄を百 畦に樹ゑて、 通法11 %蕩而虚静 也 ︶ ●演蓼 たる春夜の真中に和尚ははたと掌を拍 つ。︵ 十 一︶ 弁王 二 %家令大高市 気清 。︵恭三十三・九 贈 秀才人車︶ 0 一人の男がしきりに 垂 倫を見詰めて居る。︵十三︶ ム流耳傭平 皐 @ 重二 % 長 Ⅲ。︵浩二十四・ 0 柳と 何との間に的 礫と 光るのは白桃らしい。︵十三︶ の境 ﹂三一︶ 此浬然 ﹁ ム丹繭凌 。波面的礫 。︵巻末・ 魏都賦口 九口書目11 、光明 也 ︶ 沸 事柄濁の俗界﹂︵一︶﹁皓麻 その他、﹁ 裏 ﹂ ヘ-八︶ %台俣 かり めぃ は{ ﹁随所に離離たらしむる﹂﹁空気と、あたたかみと、宴遊11 なる調子﹂ の @ヤ @ @@ @ として 胎蕩 たる天地の大気象﹂︵五︶﹁元の儲なる 人 がある﹂ せきとう ︵セ ︶﹁ 石 硅を登りづくしたる時 ﹂︵十︶﹁尺素を染め ず ﹂﹁古今 窩究 是非 低 々 趙 黄鳥 巻 三十・ 郡 進物化等 多くの文選 万象 ︵十二︶等も文選 語 である。︵出典は省略︶。他に、﹁ 出 門多 所思﹂ 寸心 ︵十三の五言古詩には、出門所思春風芳草 宛転 高雲 所出語を数え、全体として文選古楽府の情調が流れる ︵なお、﹁呪 愉 し難きムード﹂︵六︶については、文選 愉呪 市大 懐 ﹂ 等の何れに 内覧望 め ﹁愉悦魂屡遷 ﹂ か、楚辞還遊 め ﹁ % ●蘭を九 ︵ 巻 十九・好色 賦 ︶ んやりとして名状し難きムード﹂の竜に解しておくべきであろう ろ うが、ただ﹁愉悦 し難きムード﹂という表現が不審 よ るか明らかではない。心が不安・ぼんやりしたきま な い う のであ 二丁 票り 鳩然 たる青を血管に吹く。︵十︶ ム金 既滋二蘭 芝九碗 今、又 樹壷 ぬ芝面風 づ ︵巻 三十二・ 離 略@︶ 0 しらぬ間に ム鳩然 一笑、惑二場 城 @迷 一一 セ ノ L ヂ0 リ︶ 以上、﹁草枕﹂には楚辞を出所とする 五語を含み、 少 なくとも 三 土語以上の文選 語 が数えられる。漱石の机辺に文選の存したことは に求 めるのが 一 確実である。而して従来、﹁草枕﹂の主題| 非人情・ 出世間の世界 への 憧 撮を老荘思想及び細渕明 ・王維等の詩の影響 般 であった。しかしこの主題は同時に楚辞の、混濁の俗世を逃れて コ草枕 ヒの 創作基盤として楚 辞文学の影響 遠く天上の理想境 に遊ばうとする屈原の希求とも重なりムロ う 。単に 文辞の借用のみでなく、 一一入 という 比 四辺の風光と拮抗する程の影響を余の頭脳に与へたならば、 余は両 間 に立って頗る円柄万 撃の感に打たれただらう。︵五︶ この、﹁円柄 万翠 ﹂︵丸いほ ぞ が四角の穴に入らない︶ ム 孔子・孟子⋮・・此 ・ 貴意,阿 ,世俗@ 荷台 而巳 、 哉 。博二方柄叡 。内耳 園 繋@ 其能 入手。︵史記・ 孟珂伝 ︶ しかし史記の句ももと楚辞・丸井に基づく。そして九 弁も文選 巻 三十三に収められている。 ム鼻鳩首煕 ㍉丸染 鰯 今、 鳳 , 叫瓢妬 ,面廊萄 。翻 , ,ル雛 , 両方 柄。 をも改めて視野に入れる必要がありはしないか。 善国 知笘真鍋錯雑。 入 。︵Ⅰ文目王通日、正直 邪柾 、 行 殊 別所。猪本。 ちよう @わえう ム明月を被 て宝硝を価ぶ 。 世油濁して余を知る 莫し 。 五目方に高く 馳 さん 折 二方 木 @内も之也 。 同 。右耳粉墨 叫姐鍍 、相距貝 。済口 若 ,峯 二回穴 - 告ゆう 孟子の現世的で峻厳な生き方と草枕の人生観とは棺文わる面は殆 両心参差 不レ可ゾ入。︶ せて顧みず。 青軋を駕し 白 璃を鯵にし、 吾重華と 瑠の圃 に 遊ぶ。 ︵九章・港江︶ ム将に俗に従ひて富貴以て生を愉しまんか、寧ろ超然として再挙 に俗世を離れて 高挙する丸井のこの感慨こそ草枕的世界 にふき れし どないから、漱石が史記より引いたとする根拠は乏しい。風のよ,っ 右のような楚辞の思想は草枕の各処に 深く沈潜してい るであろ 離 騒 ﹂にも﹁不 い。出典はこの箇所に求められるべきである。なお﹁ し、 以て真を保たんか。︵卜居︶ う。楚辞の、恵美人・卜居・還遊等の題名も暗示的である。作者も きれた﹁坊ちゃん﹂の主題ででもあろう。 英里 @ ロ えば、この﹁旧製万柄 ﹂的人生観は﹁草枕﹂と同年に発表 ほぞ 穴は丸くほ ぞ は四角で、円盤石楠とあるのが自然で ある。︶ 尾撃市正 柄侍 ﹂と見える。︵ただ漱石は、円柄 万塁と用 いているが、 エソサ@ ク ウゼイ コ草枕 L中の﹁円盤石楠﹂の語に ついてもこ 還遊 し、卜居してその非人情の詩境を紡律したのでは なかったか。 なお、補足として、 れを文選 語 としておきたい。 0 地景色と 此親方とは到底調和しない。もし此親方の人 格 が強烈で べく、同情を表すべき価値のある人物であるが、単純過ぎて経験 話が、﹁坊ちゃん﹂の中の坊ちゃんと云ふ人物は或点までは愛す 人生観と云ったとて、そんなにむづかしいものじゃはい。手近な 倣的な概説を試みたに過ぎない。不 の歴史という観点か ら 一応の鳥 であったかも知れな についてもなお考察を要する点が多く、分量的にも別稿 に譲るべき 文選 語 と他の漢語と の重なりについても問題を残す。漱石の文選語 い。しかし、古代から近代に続く文選語の受容 か乏し過ぎて現今の様な複雑な社会には円満に生存しにくい人だ 充分な点については更に追考を期したい。 ︵ ェ︶芝野六助 氏 ﹁文選の訓点と其の他に就て﹂︵国学院雑誌廿 八柱 V なと読者が感じて合点しき へすれば、それで作者の念願が読者に 明造 二十九年九 徹したと云ってよいのです。︵文学談 ﹁文学界﹂ 月 0︶ と漱石は述べている。正に﹁目撃刀柄しの言い換えである。坊 ちゃ Ⅱ口 五ノ四は、文選の影響を、㈲文学㈲謬伝説㈱ 物 口 ㈲ んに対して種々の観点があっても、坊ちゃんは畢章人生 の失敗者で 人名⑪年号㈹熟語㈲風俗に分かって解説してい ︵2︶ 景照本による拙著 ロ九条本文選古訓集目︵風間車立円一ぼ︶ ある。﹁正直が邪柾の世にムロれないことへの嘆き﹂とい ぅ楚辞の主 題がやはりこの小説に顕在しているのではないか。コ功ちゃんロの ︵3︶小島 憲之博士﹁上代日本文学と中国文学﹂上 ・ ﹁日本書紀 を 参考 し 小説的構造の未熟または破綻を説く批評が多いが漱石の意図はもと の述作﹂ ︵4 ︶﹁仏教大学研究紀要﹂ 第㏄ 号 もと﹁円撃刀柄 ﹂的生き方の愚かきと滑稽さを活写することだけに あったのではないか。題材が題材であるだけに楚辞や文選詰 は一切 ︵5︶リラの会 編 ﹁観智院本世俗諺文本文と出典﹂ 寛 ﹂所収 ︵9︶﹁漢字講座﹂︵明治書院︶第八巻付録﹁明治初 期 の漢伍幅一 ︵7︶︵ 8︶﹁群書類従﹂所収 ︵6︶注 3及び同書上・第四篇。同書中・第五篇 @ キ @。 @ @ 使用きれていない。しかし明治三十九年四月、八月の ㍉草枕口にわ れないのである。 ずかに先立って発表きれたこの小説に、楚辞の影が全く表れていな いということは、殆ど信じ<.r ︵おムリハリに︶ く 、かつ ﹁文選語の流れ﹂と題しながら、考察に洩れた対象が多 一一九 ︵ いし ︶ 改造社販﹁現代日本文学全集ヒ0 。 紀行随筆集 コ草枕しにおける中国思想・中 国 ︵ヰ土︶ ︵ 托 ︶に同じ。なおこの作品は﹁国民之友﹂に発表し、 岳文学の先斑とされる。 ︵ 0 乙︶ 海老日脚司辰夏目漱石 文学・日本漢文の影響について︵その三︶︵北九州エ業高等 ︵ 00 ︶ 岩波書店﹁漱石全集﹂﹁草枕﹂補注 筑摩書房 コ現代日本文学大系﹂による。 専門学校研究報告︶ ︵ アサ ︶ 一二 O
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