平成天皇家の真摯な平和思想 平成 28 年 2 月 27日 日本義塾 新村 紘宇二 日本義塾の平成天皇家(以下、天皇家)に対する結論を申し上げます。 天皇家の以下発言を検証すると、天皇家は毅然とした現日本国平和憲法の擁護者であります。 ●天皇の新年にあたる発言 「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが今、極 めて大切なことだと思っています」 ●天皇の誕生日に際した記者会見での発言 「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本 国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、 かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いてい ます。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」 ●美智子皇后の 10 月 20 日の誕生日を前にした文書コメント 「私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A 級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い 恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところ は少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国 民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖 れであったのだと思います」 ●美智子皇后の 2013 年の誕生日に際しての発言 「5 月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていた ように感じます」 「明治憲法の公布(明治 22 年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を 重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、 法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204 条が書かれており、地方自治権等について も記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも 40 数か所で作ら れていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未 来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た 19 世紀末の日本で、 市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではな いかと思います」 ●浩宮皇太子の誕生日に際しての発言 「戦争の惨禍を再び繰り返すこのとないよう過去の歴史に対する認識を深め平和を愛する心を育ん でいくことが大切ではないかと思います」 ●上記の発言は、天皇、皇后ご夫妻にあっては、「比翼連理・一心同体」が顕正され、天皇、皇后と 浩宮皇太子親子にあっては、「五味相生・一蓮托生」が顕正されました。従って、上記の天皇、皇 后、皇太子の発言は、現日本国平和憲法を必死且つ懸命に擁護しているものであり、平和を愛す る真摯な愛国者でありました。然し乍ら、惜しむらくは、所謂「心裡留保/真意」であって、刑事 法学における「期待可能性」の責任阻却事由でしかありません。天皇ご一家が、軍国主義者・安倍 晋三内閣を「否」とするには、それは天皇、皇后ご一家の、平和を愛する良心をもって、毅然とし て、軍国主義者・安倍晋三内閣の【認証取り下げ及び認証拒否】をするべきであります。 天皇家の天命(神仏の下命)は、自らの意思で民間人に降下することであります。 人生は涅槃の道の一里塚 老い老い楽し死もて極楽 聖 四門 天皇、皇后ご一家様の永遠のご多幸を衷心よりご祈念致します。 日本義塾 新村 紘宇二/僧名 聖 四門 平成天皇家降下の意味 平成 28 年 2 月 27日 日本義塾 新村 紘宇二 ※ 天皇家皇族の「降下」という意味については、別添「臣籍降下」を参照されたい。 1 日本義塾は、逆賊伊藤博文らによって弑逆された孝明天皇、睦人皇嗣をもって、 真正な日本天皇史は終わったと認識している。 2 従って、大室寅之祐なる明治天皇及びその血脈である、大正天皇、昭和天皇、 平成天皇を「僭称天皇」と認識している。 3 しばしば、皇国史観・国家主義の立場に立つ者らの言う、「北朝系天皇」であると か、「南朝系天皇」であるとか、の、「あるとか論」を耳にするが、言語道断である。 4 人間は、元来、生まれながらにして、「神仏の赤子」である。 5 「皇帝」であるとか、「大王」であるとか、「王様」であるとか、況や「天皇」であると か、これみな、単なる「あるとか論」であって、只管、勝者の「僭称」でしかない。 6 「国・邦」とは何か!。「国・邦」とは、「天」に相対する「地」を言うのである。 7 人類は生まれながらにして、上記6「国・邦」に生まれ育ったのである。 8 人類とは何か!。人類とは、「ヒト科ヒト属ヒト」である。即ち「人」である。 9 上記8の「人」が知恵を得て「家」を造ったのである。即ち「人家」である。 10 上記 10 の「人家」の「向こう三軒両隣」が、所謂、古代国家の原型であり、「村落 共同体」と言われる「村」である。 11 「村」こそが、「国家」なのである。なぜなら、「人」が「人々」となり、その「人」と 「人々」が、互助共済の共同生活を営み、その「人々」が上記6の「国・邦」に共生し て「国の人々」となり、そこに「長幼の序」が生まれ、その長となった者を家長と し、その家長の指導に従う人々が、「民」となったのである。即ち「人民」である。 12 「国家」とは、「村」であり、「村々」であり、「村々々」であり、「村々々々」であり、 その史的延線上にある、「村」の「集合体」である。 13 「国民」とは、上記 12 の「村」の「集合体」である「国家」の「指導者」に従う「人民」 であり、従わないものは強制的に「隷属」されられ「奴隷」に落とされるか、乃至 は「村」から追放されて、所謂、島流しの生活を余儀なくされたのである。 14 つまり、「指導者」に従うか、従わないかの「差別」によって、「村民」に「差別」が 生じ、従順なる者は、家来となり、やがて「指導者」が「王様」と僭称するに至っ て、その家来が下臣となったのである。 15 人類史の課題は、その土地々々の「村落共同体」が共有する史的資質と史的民度 によって輩出された、その長=「指導者」の器量如何が、「軍国主義者」なのか!、 それとも、「愛国主義者」なのか!、という、両極たる二者の選択肢なのである。 16 人類は、上記4の通り、全て「神仏の赤子」であって、人類が従うものは「神仏」 のみである。「神仏」の御前においては、人類に一切の「貴賎」はないのである。 17 「生命に貴賎なし」、「生活に貴賎なし」、「職分に貴賎なし」。「身分?に貴賎なし」。 18 軍国主義者が造る「国家」は、全て「貴賎」であり、「貴賎」に基づく「身分」であり、 「身分制度」であり、それが、「臣下の礼」といわれる「親分子分の血の儀式」である。 19 人類は「神仏の赤子」として生まれてきたのである。 20 人類が、従うは「神仏の教化」のみである。 21 蓋し、天皇家なるものは「神仏」にあらず!。民間人に降下するのは「神仏の理」 である。どうか天皇家の皆様、一日も早く降下して「神仏」に帰依して下さい。
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