平成天皇家降下の意味

平成天皇家降下の意味
平成 28 年 2 月 27日
日本義塾 新村 紘宇二
※ 天皇家皇族の「降下」という意味については、別添「臣籍降下」を参照されたい。
1 日本義塾は、逆賊伊藤博文らによって弑逆された孝明天皇、睦人皇嗣をもって、
真正な日本天皇史は終わったと認識している。
2 従って、大室寅之祐なる明治天皇及びその血脈である、大正天皇、昭和天皇、
平成天皇を「僭称天皇」と認識している。
3 しばしば、皇国史観・国家主義の立場に立つ者らの言う、「北朝系天皇」であると
か、「南朝系天皇」であるとか、の、「あるとか論」を耳にするが、言語道断である。
4 人間は、元来、生まれながらにして、「神仏の赤子」である。
5 「皇帝」であるとか、「大王」であるとか、「王様」であるとか、況や「天皇」であると
か、これみな、単なる「あるとか論」であって、只管、勝者の「僭称」でしかない。
6 「国・邦」とは何か!。「国・邦」とは、「天」に相対する「地」を言うのである。
7 人類は生まれながらにして、上記6「国・邦」に生まれ育ったのである。
8 人類とは何か!。人類とは、「ヒト科ヒト属ヒト」である。即ち「人」である。
9 上記8の「人」が知恵を得て「家」を造ったのである。即ち「人家」である。
10 上記 10 の「人家」の「向こう三軒両隣」が、所謂、古代国家の原型であり、「村落
共同体」と言われる「村」である。
11 「村」こそが、「国家」なのである。なぜなら、「人」が「人々」となり、その「人」と
「人々」が、互助共済の共同生活を営み、その「人々」が上記6の「国・邦」に共生し
て「国の人々」となり、そこに「長幼の序」が生まれ、その長となった者を家長と
し、その家長の指導に従う人々が、「民」となったのである。即ち「人民」である。
12 「国家」とは、「村」であり、「村々」であり、「村々々」であり、「村々々々」であり、
その史的延線上にある、「村」の「集合体」である。
13 「国民」とは、上記 12 の「村」の「集合体」である「国家」の「指導者」に従う「人民」
であり、従わないものは強制的に「隷属」されられ「奴隷」に落とされるか、乃至
は「村」から追放されて、所謂、島流しの生活を余儀なくされたのである。
14 つまり、「指導者」に従うか、従わないかの「差別」によって、「村民」に「差別」が
生じ、従順なる者は、家来となり、やがて「指導者」が「王様」と僭称するに至っ
て、その家来が下臣となったのである。
15 人類史の課題は、その土地土地の「村落共同体」が共有する史的資質と史的民度
によって輩出された、その長=「指導者」の器量如何が、「軍国主義者」なのか!、
それとも、「愛国主義者」なのか!、という、両極たる二者の選択肢なのである。
16 人類は、上記4の通り、全て「神仏の赤子」であって、人類が従うものは「神仏」
のみである。「神仏」の御前においては、人類に一切の「貴賎」はないのである。
17 「生命に貴賎なし」、「生活に貴賎なし」、「生業に貴賎なし」。「身分?に貴賎なし」。
18 軍国主義者が造る「国家」は、全て「貴賎」であり、「貴賎」に基づく「身分」であり、
「身分制度」であり、それが、「臣下の礼」といわれる「親分子分の血の儀式」である。
19 人類は「神仏の赤子」として生まれてきたのである。
20 人類が、従うは「神仏の教化」のみである。
21 蓋し、天皇家なるものは「神仏」にあらず!。民間人に降下するのは「神仏の理」
である。どうか天皇家の皆様、一日も早く降下して「神仏」に帰依して下さい。