ミャンマー出張報告:政権交代で成長期待膨らむ「ラスト

Feb 26, 2016
No.2016-008
Economic Monitor
伊藤忠経済研究所
主任研究員 武田
淳
03-3497-3676 [email protected]
ミャンマー出張報告:政権交代で成長期待膨らむ「ラスト・リゾ
ート」
「ラスト・リゾート」として注目集めるミャンマーであるが、注目の大統領人事の行方は不透明
であり政治情勢は混沌としている。ただ、円滑な政権交代に向けた配慮はされており行政実務に
は大きな混乱はない見込み。一方、経済情勢は堅調な内需の拡大によりインフレ圧力が高まって
おり、金融インフラの未整備が経済成長の制約要因となるなど、課題も多い。その意味でミャン
マーは典型的な「成長初期の新興国」と言え、過度な期待は禁物であるがリスクに過敏になるこ
ともなく、中長期的な視点で取り組むことが肝要であろう。
「ラスト・リゾート」として注目集める
ミャンマーの人口は 5,149 万人、ASEAN10 か国中の中ではインドネシア(2.49 億人)
、フィリピン(9,234
万人)、ベトナム(9,250 万人)
、タイ(6,593 万人)に次ぐ比較的大きな規模を有している。一方で、所
得水準を示す一人当たり GDP は約 1,000 ドルと低く 1、その分成長余地は大きい。さらに、勤勉な国民
性と豊富な資源を有するなど、新興国の成長要素を数多く備えているため、周辺の新興国において開発が
進む中、未開の「ラスト・リゾート」として注目を集めている。
そのようなミャンマーの最近の注目点は、ミャンマー民主化運動の指導者アウンサンスーチー氏が率いる
野党の国民民主連盟(以下、NLD)が昨年 11 月の総選挙で大勝し、今年 3 月に NLD への政権交代が予
定されていることである。過去を遡ると、2010 年 11 月に実施された総選挙で、現与党の連邦団結発展党
(以下、USDP)が約 8 割の議席を確保、翌 2011 年 3 月に現テイン・セイン政権が発足し、一応の民政
移管が実現した。ただ、2010 年の選挙では選挙活動に制約があるなどの理由から NLD がボイコットして
いる。また、USDP は軍の関係者を中心としており実態は軍政の延長線上とも言える部分を残しているた
め、欧米による経済制裁も現時点では完全に解除されていない。そうした経緯から、今回、NLD も参加
した選挙を経て新たな民主政権が誕生すれば、経済制裁などの制約から解放され、経済活動が活発化する
との期待が膨らんでいるわけである。
以下、ヤンゴン出張(2/7~9)でヒアリングした内容を中心に、ミャンマーの政治・経済情勢について現
状を整理する。
政治情勢:大統領人事の行方は不透明ながら行政実務に大きな混乱はない見込み
現在、政治に関して最も注目されているテーマは、3 月 30 日に任期を迎える大統領の後任選びである。
昨年の総選挙を受けて、
NLD が過半を占める新たなメンバーによる国会が 2 月 1 日から開催されており、
この中で新大統領が選ばれることになる。最有力候補は、言うまでもなく NLD 党首のアウンサンスーチ
ー氏であるが、その実現には憲法上の大きな壁がある。すなわち、現行の憲法では、外国籍の家族がいる
者の大統領就任を認めていないため、このままでは英国籍の二人の息子がいるスーチー氏は大統領にはな
1 かつては一人当たり GDP が 992 ドル以下の最貧国(後発開発途上国)とされていたが、2014 年に 31 年ぶりに実施された国
勢調査によって人口が従来の 6,000 万人程度から 5,149 万人へ大幅に修正されたため、約 1,000 ドルへ上方修正された。
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、伊藤忠経済研
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なく変更されることがあります。記載内容は、伊藤忠商事ないしはその関連会社の投資方針と整合的であるとは限りません。
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れない。
現時点で、スーチー大統領実現のための選択肢として、憲法の改正、ないしは憲法の「外国籍」条項の一
時凍結のいずれかが挙がっているが、大統領候補届出期限 3 月 17 日までの残り時間を考えると憲法の改
正は間に合わないため、
「条項の一時凍結」について軍部との調整が進められている。しかしながら、今
のところ両者の距離感が縮まっている様子はなく、大統領人事については全く先行きを見通せない状況に
あると言える。
ただ、誰が大統領になるにせよ、NLD は、省庁再編こそ実施するとみられるが、官僚については基本的
に USDP 政権から引き継ぐ方針を示すなど、円滑な政権交代を志向している。そのため、現地では行政
実務において大きな混乱はないとの見方が大勢を占めている。
最大のリスクは、NLD がスーチー大統領の実現を強行する結果、NLD と軍との対立が深まり、軍が政権
交代を拒むこと(事実上のクーデーター)であるが、スーチー氏の言動からは混乱を避ける現実的な選択
をする傾向が窺われる。実際に大統領に関する事項を含め、政権交代に向けた丁寧な話し合いが進められ
ている模様であり、大きな混乱が生じる可能性は低いだろう。
経済情勢:堅調な内需の拡大によりインフレ圧力高まる
IMF の推計によると、ミャンマー経済は、1999 年から 2007 年にかけて二桁成長が続いていたが、2007
年に起きた大規模デモに対して政府が実力行使を行ったことを受けて欧米諸国は経済制裁を強化、リーマ
ン・ショックによる世界経済の低迷も相俟って、成長率は大幅に低下した。その後は、2011 年の民政移
管以降、経済制裁が徐々に緩和され、2013 年には 8%台まで成長率が高まり、2014 年も 8.5%の高成長
を記録した。ただ、2015 年の成長率は、洪水の影響により主力農産品であるコメの生産が落ち込んだこ
とを主因に、7%前後へ減速した模様である。
それでも内需は総じて堅調に推移している。目立つのは自動車であるが、その中心となる中古車の輸入拡
大が続いており、交通渋滞が深刻化し政府が輸入を規制するほどである。なお、日本からミャンマーへの
中古車輸出は 2014 年に 16 万台に達し、台数ベースでは最大の輸出先となっている 2。
実質GDP成長率の推移(前年比、%)
消費者物価上昇率の推移(前年同月比、%)
20
16
14
15
12
10
10
8
5
6
4
0
2
※2015年は見込み
0
1999
( 出所) IM F
2001
2003
2005
2007
2009
2011
2013
2015
▲5
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
( 出所) C EIC DAT A
輸入の増加に加え、資源価格の下落を受けた輸出の減少もあって貿易赤字が拡大したことなどから、通貨
チャットが大幅に下落、対米ドルの下落幅は 2015 年中に約 3 割に達した。チャット安は輸入品価格を押
2
2015 年は 14 万台へ減少ながら 1 位をキープ、2 位は UAE13.6 万台、3 位はニュージーランド 11.8 万台。
2
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し上げ、消費者物価上昇率は 2015 年 7 月以降、前年比二桁で推移、インフレ圧力の高まりが景気拡大の
持続性を懸念させる状況となっている。そのため、現在は輸出の拡大による貿易収支の改善が待たれる状
況にある。
そうした中、日本の全面的な支援により整備が進められているティラワ工業団地に対して、輸出拡大への
貢献が期待されている。同工業団地は、昨年 9 月に開所式を行い、現状は開業済を含め 400ha を整備中、
うち第一期分(211ha)は道路などの整備が完了、日系企業を中心に概ね完売、稼働済 4 件を含め徐々に
工場建設が進むなど順調なスタートを切っている。今後は建設中の向上が順次稼働し、輸出の拡大に貢献
するとみられるが、一方で電力や道路などのインフラ整備が遅れており、稼働工場が増加する中で、どこ
まで対応できるのか不透明さを残している。
ティラワ工業団地のみならず、電気の世帯普及率が約 3 割にとどまることからも分かる通り、インフラ整
備はミャンマーの経済成長にとって大きなボトルネックとなっている。そのほか、米国の経済制裁の影響
が残っており、円滑な政権交代による制裁の完全解除が待たれるところである。また、ミャンマーは密輸
が多く貿易統計が実態を反映しきれていないほか、外貨準備高も全てをカバーしていない可能性があるな
ど、経済統計の精度が著しく低いとの指摘が多い。成長のためには海外からの投資拡大が不可欠であるが、
こうした環境面において未だ課題を多く残しているというところが実情であろう。
金融情勢:金融インフラの未整備が経済成長の制約要因
持続的な経済成長を実現するためには金融インフラの整備も重要な課題である。その意味で、昨年 12 月
の証券取引所開設は明るい材料と言えよう。未だ上場企業はないが、3 月末までに数社の上場が予定され
ている。一方で、預金口座の世帯普及率が 1 割以下という数字が示す通り、国民の銀行に対する信頼度は
極めて低く、貯蓄手段は専らタンス預金である。さらに、銀行の貸出姿勢は非常に保守的なため、民間企
業の成長に必要な資金供給が不十分な点が問題視されている。
こうした金融環境のため、産業発展の担い手になるのは、資金力豊富な一部の民間企業を除けば、政府や
国営企業ということになる。しかしながら、財政赤字は GDP 比 5%程度と決して健全とは言えない水準
で推移しており、上記のような脆弱な金融基盤では持続的かつ安定的な財政ファイナンスの確保に懸念が
残る。そのため、政府は税収拡大に向けた動きを強めている。そのこと自体は、これまで政府の徴税力が
極めて脆弱であったことを踏まえると健全な方向性であろうが、特に外資系企業においては税負担の増加
に留意する必要があろう。
為替相場の推移(チャット/米ドル)
また、ドルを中心に資金の流動性の乏しさを問題点と
1,350
する声が現地では多く聞かれた。現在、ドルの引き出
1,250
しは週 1 万ドルに制限されているが、海外への送金に
1,200
不都合が生じることもあり、外資系企業にとっては資
1,100
金管理上の問題が少なくない。さらに、統計上では外
貨準備が輸入の 3 ヵ月程度と十分とは言えず、そうし
た状況を背景にチャット相場は 2015 年初め頃までの 1
ドル=1,000 チャット程度から 2015 年後半には 1,300
チャ ッ
ト安
1,300
1,150
1,050
1,000
チャ ッ
ト高
950
900
2014/1
2014/7
2015/1
2015/7
2016/1
( 出所) C EIC DAT A
チャット前後まで下落した。今年に入り幾分チャット高に戻してはいるが、今後もチャット安リスクのほ
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か、今以上に海外送金など対外取引の制約が強まる恐れがあることは懸念材料である。
「ラスト・リゾート」とは典型的な「成長初期の新興国」
冒頭でも触れた通り、ミャンマーが成長のポテンシャルを十分に秘めた「ラスト・リゾート」であること
は間違いない。その一方で、民政移管の深化という特殊な政権交代を控えた政治情勢の不安定性、やや過
熱気味の内需拡大がもたらす貿易赤字と通貨安、未整備なインフラや金融システムなど、安定成長を実現
するための課題を多く残していることも事実である。ただ、これらの課題の多くは、成長初期の新興国に
おいて一般的なものであり、その意味でミャンマーは成長力とリスクの大きい典型的な「成長初期の新興
国」ということである。過大な期待は禁物であるがリスクに過敏になることもなく、中長期的な視点で取
り組むことが肝要であろう。
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