学校だより2月15日号

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渡
平成28年
部
強
2月15日
◆ランドセル
2月も半分を過ぎて、「卒業」の文字をたくさん見聞きするようになりました。
今年度最後の講話朝会(2/9)は、学級担任時代、ある先生から聞いたランドセル
の話をしました。今から、何年前になるでしょうか。6年生を担任していた時のこと、
ランドセルを背負うバンドに紐を継ぎ足して使っていた男の子がいたのです。
その子は、卒業の日も紐を継ぎ足したランドセルを背負って、登校しました。いや、
その子だけではなく、多くの子がランドセルを背負って、登校してきたのです。そして、
ランドセルの中に卒業証書を入れて、校門を出て行きました。どの子も誇らしげで、喜
びにあふれた笑みが見られたそうです。
それには、次のような話がありました………。
高学年になり、ランドセルで登校することが「ダサイ」と見られる風潮があり、
多くの子が、まだ使えるのにランドセルを使わなくなり、それぞれが自由なカバン
を使うようになってきた頃のことです。
ある日、ある男の子の、紐で継ぎ足したランドセルを見た友だちが、
「お前のランドセルは、ぼろい」
「新しいのを買ってもらったら」
と言ったことがありました。しかし、男の子は、次
の日も、その次の日も紐を継ぎ足したランドセルで、
登校して来ました。するとまた、友だちは、
「お前の家は、買ってもらえないの……」
と言ったそうです。
このことを、男の子は、日記に、次のように書い
てきました。
ぼくは、友だちに、「お前のランドセルはぼろい」とか、「そんなぼろいラン
ドセルを、いつまで使っているんだ」とか言われている。しかし、ぼくは、新
しいカバンを買ってもらえないわけでもないし、このランドセルをぼろいとは
思っていない。
紐を継ぎ足しているのは、体の方が大きくなって、バンドに手を通すことが、
無理になってきたためだ。その時、家の人は、新しいカバンを買ってやろうと
言ってくれた。でも、ぼくは、卒業までこのランドセルを使いたいと思って、買
ってもらわなかった。
このランドセルは、今は亡くなってしまったが、ぼくのおじいちゃんが、入
学祝いにと買ってくれたものなんだ。小さい頃は、「こんな重たい物」とか「ダ
サイなあ」と思ったこともあったが、おじいちゃんが亡くなってからは、この
ランドセルは、やさしかったおじいちゃんの思い出となってしまった。
入学前に、ランドセルを背負ったぼくに「おめでとう」と言ってくれた、こ
のランドセル。入学式の日、玄関でにこにこしながら見送ってくれたおじいち
ゃんの顔を、今でも思い出す。ぼくは、このランドセルに、おじいちゃんの僕
に対する思いが詰まっていると思っている。だから、このランドセルに、卒業
証書を入れて卒業したい。
「お前のランドセルはダサイ」なんて言う友だちがいるが、「君たちだって、
誰かにお祝いとしてもらったのだろう。使えなくなったのなら仕方がないが、
カッコよさだけでやめてしまうのなら、ぼくのダサイランドセルの方が、カッ
コ良い」と言ってやりたい。
このことを学級で話すと、学級の友達は、悪口を言わなくなったことはもちろん
のことですが、次の日から、ランドセルをつけて、一人が登校してきました。
「ぼくだって、親戚の人にもらったんだ、ぼくも卒業まで使う」
それから、一人二人と……ランドセルで登校してくる子が、増えて来ました。
そして、卒業式の日、家族や親戚の人たちの思いのつまったランドセルに、いっ
ぱいの小学校生活の思い出と卒業証書をつめて、巣立って行きました。
子どもたちが毎日背負ってくるランドセルにも、きっとたくさんの
人たちの思いが詰まっていることでしょう。
「楽しい小学校生活を送ってもらいたい」
「お勉強ができるようになってほしい」
「お友達と仲良くよくしてほしい」、
そんな思いの詰まったランドセルを大事にしてほしいと思っています。
物を大事にすること、それは「心」を大事にすることなのだと思います。
◆みんなほんもの
トマトがねえ/トマトのままでいれば/ほんものなんだよ/
トマトをメロンに/みせようとするから/にせものに/なるんだよ/
みんなそれぞれに/ほんものなのに/
骨を折って/にせものに/なりたがる
(相田みつを「いのちのことば」より)
私たち大人だって、自分に自信がないとき、あるいは自分が子どもだったころに、自
分の親や教師から、「これでいいよ」と認められ、愛されてきた経験がなければ、こう
いうきわめて当たり前のことばの本当の意味に気づかないものです。そしていつもいつ
も、「それではダメ」「こうでなければダメ」と言われ、「トマトじゃダメだ、メロンに
なれ」と言われ続けてきたのでは、子どもたちに「そのままでいいよ」「トマトのまま
でいいよ」と言ってやることはできないのかもしれません。
でも、努力して、「トマトのままでいいよ」「トマトのままがいいよ」と心から言って
やれる大人になりたいと思います。そうすれば、子どもたちは、それぞれにほんものの
まま輝くだろうから……。
相田みつをさんや星野富弘さんの詩に出合うと、ほんとに心に染みます。正直な自分
になれます。