大学等における発達障害学生の理解

平成 27 年度全国障害学生支援セミナー専門テーマ別セミナー【1】
障害者差別解消法施行後の発達障害学生への支援を考える
(筑波大学人間系・岡崎 慎治)
「大学等における発達障害学生の理解」ということで、皆さま、発達障害については十分
ご存じのことかと思いますが、改めて確認ということで、私、岡崎からご説明します。
現在、高等教育機関に限らず、幼、小・中・高、企業等の社会で発達障害への関心は高ま
っています。
増えている、という言葉が使われますが、確かに調査での数は増えているということがあ
りますが、どちらかと言うと、専門的立場からはそれ自体が増えているというよりは、気
づきが増えているという取り方ができるかと思います。
とりわけ、その中で知的発達を伴わない発達障害をどう考えるかも課題です。
現実問題として、入試を伴う高等機関の教育の場でうまく行かないところが目立っている。
LD、ADHD、ASD 等、今までは、高機能自閉症と呼ばれていたことが、自閉症スペクトラ
ム障害として高機能自閉症、アスペルガー症候群を含めて取り扱われるということもご存
じの先生方が多いかと思います。
これらの共通する状態像、概念として、中枢神経系の機能不全という言われ方をされます。
学生に対する授業でも言うことですが、この言い方も、是非、置き換えていただきたい。
彼らの、脳の機能、情報の扱い方、物事の捉え方は、しばしば大多数のものとは異なると
いう捉え方を、この文言からしていただきたいと思います。
この点、
「機能不全」というのは、機能はしているけど、機能の仕方が完全ではないという
ことで、学習面であれば LD、行動調整面なら ADHD、社会的関係であれば ASD として扱
われています。「発達」の観念から見ると遅れ、偏り、というような、定型発達に対して、
遅いとか、バランスが悪い、そして歪み、通常、発達では見られない状態像等、これらが
形成されていると考えられています。
しかし、そのような発達のアンバランスがありながらも、社会適合できる方も少なくない
のですが、現実としてそこがやりにくい世の中かと思います。
示される困難は、非常に分かりやすい。
出来ない、とか、トラブルになる、等が困難ですが、問題なのは、起きた困難の背景にあ
る特性等がどんなものなのかが表面的にわかりにくいことです。
しかも高等教育段階になれば、その人なりの生活経験、知識も加わり、これもアンバラン
スの結果として、独特かつ偏ったものになっている可能性が高いといえます。
その結果、ますます背景にあるその人の特徴がわかりにくい、かつ誤解を受けやすいかと
思います。
加えて、各障害として名前がつく状態に対して、これこれ、というのが当てはまりにくい
というのが言えると思いますが、その 1 つは、その人の状態像が単独というより重複して
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現れることが特徴だと思います。
ここでは、高等教育機関段階である、思春期以降を考えます。
ディスレクシアに代表される読み書き障害があります。読み書き、あるいは計算といった、
学習の困難の背景に、情報処理上の特性があると考えれば、そのような困難さというのは
本質的に起こると言わざるを得ません。
しかし、適応できない人はそれを知っていても、知らないとしても、その人なりの対処法
というのを身につけていく。
そう考えると,支援の中身は必ずしも苦手を克服しようということではなく、苦手なこと
をどうやって避けようか、最小限にしようかということも含まれると思います。
一方、それらの特性を得意である、伸ばせる、ということとして周囲を含めた理解によっ
て、適切な進路選択や就職が可能な場合も少なくないと思います。私は教育相談で、もっ
と小さい子どもの相手をすることが多く、そういったお子さんが成長していく過程でそう
いった経緯もあるだろうと思います。
読み書きに関しては、日本語より英語のような文字のほうが、困難が生じやすいことも分
かっています。
その点で,日本ではとりわけ外国語の授業、あるいは学習で困難が目立つと思われます。
一方で、友人等のサポートで乗り切れることも少なからずあるかとは思います。
次に ADHD です。
こちらの、中核的な症状であるのが注意欠如/多動性です。
不注意については,思春期以降では一見,表面的には見受けられないことも多い。誤解も
あって「大きくなれば治る」などと言われることもあるようですが、表面的には収まって
いるように見えても、場合によっては困難が生じるといえます。
とりわけ注意のコントロールの難しさは、その人、周囲の人にとって大きな制約になりう
るかと思います。
そのため,社会人では、仕事やそれに伴う対人関係でトラブルが起きやすく、国内ではな
いものの、海外にあるデータから海外では ADHD の人は交通事故が起きやすいといわれて
います。
ストレス耐性の低さも、様々な物質への依存にも繋がります。
このあたりが重篤な場合、精神疾患が少なからずあるとされますが、これらは全て二次的
なものと考えます。
次に ASD です。おそらく教育という場で考えると、ASD の対応が幼・小・中・高も含め
て、課題になっていると思います。
知的能力が高い、あるいは遅れがない方々は、その結果としてさまざまな知識・経験を得
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ていて、これが自分の対処法だということを、何となく身につけている、ただ、それが合
わないという状況で、柔軟にやり方を変えることが非常に困難として見える。
これは社会的孤立に繋がるし、自己中心のように捉えられやすい。
しかし、なぜ自分がそう捉えられるかが、自己モニタリングの弱さゆえに難しい。
様々な特徴で、同一性が保持しにくい。
その同一性も、周囲が考えるものと、その人が考える同一性がしばしば一致しない。
それが周囲との軋轢や本人の感情、感動のコントロールの弱さに繋がります。
これがパニックや興奮状態に繋がるともいえるでしょう。
高等教育段階で,小学校等であるような、パニックや、興奮して大声を出すことがあるの
か、と思われる大学教員の方もいらっしゃいます。
周りの学生のほうが、どちらかというと柔軟で、
「アイツ、また騒いでる」となる。
先生方からすればそれでは困るということも含めて、規制やルールにこだわる。
本人達はそれがあることを知っていて、対応の仕方を身に付けていることも少なくありま
せん。
しかし、それにこだわりすぎることが大きな軋轢につながると思われます。
このように,本質的に持つ特性から生じる困難さが表面化してくる、ということだと思い
ます。
このような対人関係、生活上、行動情緒面の困り感、学業面の困り感に対して、高等教育
機関の中で、役割分担を支援の分担をしていくという観点が重要だと考えます。
その際、もちろん、完全にきれいな役割分担は難しいわけです。
個人的印象で言うと、支援がうまくいく発達障害学生は、自分自身で自分を取り巻く対応
部署を何となく理解しています。
学習面の支援はこの人、生活面支援はこの人というように、時間なり相手なり場所等を理
解している。
そしてそれを使い分けることができていく印象があります。
ということは、やはり各対応部署が、このような困難さがこの人の中に今の時点である、
あるいは過去どういうものがあったかを考えていくことが重要だと思います。
そのような各部署の支援の基本的な考えや方向性を考えると、発達障害は克服できるもの
とは捉えないほうがいいのではないか、ということです。
その人の特性…特性という言い方をするのですが、それが困難に繋がりやすいのが発達障
害の特性です。
そのような特性は持っているのだけれど、トラブルは最小限になる。
成功体験が得られるようなうまい生き方を、教える、というと上から目線で嫌なのですが、
そういう生き方に気付いてもらうというのが基本的な方向性だと思います。
ご本人も自分の苦手なことを知っている、一方自分の得意なことを知っているということ
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も重要で、それに対する対応方法を知っている、そして実行できる。
ここを支えることが非常に重要だと考えます。
その点で、ご本人が、例えば大学の中の支援部署や関わる方々を知っていて、使い分ける
ことは望ましい姿だと考えます。
そのような支援に向けてということでは、確定診断、大学の中で支援するに足る状態だと
診断することが、合理的配慮の観点から見て重要だと考えます。
評価、アセスメント、支援要請に基づく支援、事務の方、教育や支援者など様々ですが、
まず受け入れる場所が必要になってきます。これが相談窓口になります。
その中で学習面の支援としてこのようなものが挙げられます。
・座席の位置
・講義内容についての追加資料の配付
・講義の録音等の許可
・パソコンの使用の許可
・質問する時間と場所を明示する
・レポート締切の延長等
・テスト時間の延長と別室試験
これらは感覚障害に対する支援をベースにして、障害のある学生の支援の代表的なものと
して発展してきているものかと思われます。
大学入試センターでもこういったものに近い、配慮がされていることもご存じかと思いま
す。
ADHD に相当するような行動の調整に困難のお子さんの支援は例えば、生活行動面の支援
として電子デバイス等のツールをうまく使うということが挙げられます。
提供してやれば問題はないが、
「うまく使える」というところをどうサポートするかが重要
だと思います。
対人関係面での支援として、いわゆるマナーや、ソーシャルスキルなどを確認するという
のは、本人が自覚せずにうまくやれる時があるので、それに対して「うまくやれている」
と返せる、機会や相手が必要です。
心理面の支援としては、得意、不得意という観点を含めて、好きなことには没頭できる。
これは過集中とも言えますが、そういったアクティブさを、社会、本人にとってとても有
益な方向に向けるような支援が必要です。
一方で、自己否定的になるということが、モニタリングの弱さとしてどうしても表れがち
です。
その場合にどう対処するかを、本人や周囲が知っていく。
特にそのようなポジティブ、アクティブな部分とネガティブな部分のギャップが大きいこ
とを理解する。
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ちょっと前までは、
「そういうものだよね」と取れた、しかし最近はそうもいかなくなって
いるのが、こういった方々の生きづらさにつながっていると思います。
ご本人の葛藤も含めて、自分の考えていること、やりたいことをどれだけ言語化できるか。
ADHD の特徴として、言語による行動調整が内言化しにくいということがあります。
黙って自分の中で考えるのは難しく、言わなくてもいいことを言ってしまう。
一方で、問題解決的発言をうまくコントロールすることが大切で、このようなことにも繋
がります。
ASD の特徴は様々あります。
例えば、対応の中で、ご本人の特徴として、耳からの情報が入りやすい、目に見えるもの
が入りやすい、そのように考えることがあります。
基本的に見えるものは手がかりになる、しかし、見えすぎる、見えたものを判別する点で
の難しさを考えると、全部見えるものにすることが良いわけではない。
支援する側は見せたからわかるでしょ、と言うことがありますが、見たからといって理解
できるわけではない。
周囲から見て、失礼だとか、相手を傷つけるような言動をどうしても取りがちな方々でも
あります。
それが悪意を伴うものではないことを、まず理解するというか、そのように考える。
その中で、
「あなたはそう思うんだね」という語りが、結果的にはその人の修正の機会に繋
がると思います。
そして、イマジネーション、創造性、こだわりに関しては、事前に情報をどれくらい伝え
るか。
こちらが伝えた話が伝わっていない、斜め上に伝わるなどが起こりがちですが、そういっ
た確認も含めて、事前に情報を伝えることは、重要だと思います。
その人が今まで事前に情報を使ってうまくやるということができていない可能性がある。
だからこそ、大学生であっても事前情報を伝えるべき、それによって、その人の柔軟性を
少しでも引き出したい。
そういうことを、よく先生方には伝えます。
ASD という診断基準ができあがる状態で、感覚刺激の感受特異性がよく言われる。
聴覚過敏、視覚過敏と言う、感覚過敏です。
個人的には,その人の中に過敏さも鈍感さもあることが多いので,今、言った感受特異性
という言い方が適切かと思います。
それがありながらうまくやる。
どちらかというと、うまく行っているときはいいのですが、使うかどうか別として、落ち
着ける、安心できる場所、環境をとりあえず確保することが重要です。
これは試験時の別室対応等も含まれます。
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支援の優先順位をつけていく。
これは、やはりご本人だけでは難しいので、一緒に考える。
課題になるのは、合理的配慮につながるところの、支援がどの程度標準的なものから逸脱
していくか。
というところで、例として挙げているのが、現実には行われているが、それがその人への
適切な支援と言えるのか、おそらくこういう機会で話し合われると思います。
支援というのは、その人がこうやればできる、うまくできる、と繋がるためのチャンスを
提供するものだと考えます。
ただ、支援することによって、他の人と比べて、不公平になる、そう捉えられることは望
ましくないと思います。
こういったことを,これから考えていく必要があると思います。
関係機関との連携ですが、コーディネーション、様々な部署との繋がりにより、結果的に
こういった学生がクローズアップされることにより、大学なら大学内で密に連絡を取るこ
とを求められるようになってきているのではないかと考えます。
発達障害系の学生に限らず、メンタル面のサポートというのが課題になってきているかと
思います。
保健管理センターや学生相談関係の中で、発達障害への理解は着実に拡がってきており、
精神疾患として捉えられる発達障害の特性を、そういった方々の部署の方々が、見極めら
れるようになってきていると思います。
その辺を繋ぐ上でも、ここでの議論は重要です。
さらに、同級生等による支援、インフォーマルなサポート、組織化も課題ですし、キャリ
ア支援でも発達障害を考慮することが重要です。
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