障害者差別解消法施行後の

平成 27 年度全国障害学生支援セミナー専門テーマ別セミナー【1】
障害者差別解消法施行後の発達障害学生への支援を考える
(筑波大学人間、DAC センター アクセシビリティ部門長・竹田 一則)
竹田/ここからは、演者の先生方とフロアのご参加の皆様と、本日のテーマ「障害者差別
解消法施行後の発達障害学生の支援を考える」で考えていきたいと思います。このテーマ
を考えるときに、副題をどうするか、いろいろ話し合いました。
評価、カリキュラム調整、キャリア支援等いろいろ難しく、我々も日々、支援をしていく
中で、なかなか正解がない、教科書にも書いていない、ということで、整理しておきたい
項目を選びこれらになっています。
筑波大学も信州大学もそうですが、今、短い期間ですが、義務化ということなので対応要
領の作成をやっております。
大学が 1 つの対応要領とか法律に対して、職員がどう対応をするか、服務規程のようなそ
ういう性格のあるものを作るというのは大変で、学生だけではなく、図書館も、附属学校
も対象になります。
それらを全てカバーして、障害のある方に対しての対応の指針で1本のものを作るという
のは難しいと、考えながらやっています。
そういう中で、発達障害、精神障害もそうですが、状態像というか病態というか、そうい
うものの概念自体が新しい気もします。
これまでなかったというわけではありませんが、認識が十分されていたとは言いがたい。
そういう方たちへの支援のノウハウも経験もない、いろいろなトラブルの経験もないとい
う中で、義務化をするというのは、戸惑うこともあります。
今日のディスカッションで何か結論が出ることはないかと思いますが、お集まりの同じ状
況の方々のディスカッションを通じて、進むべき方向性のようなものが示されるよう、積
極的に議論をしていただければと思います。
議論、ディスカッションの進め方は特に決めていませんが、評価とカリキュラム調整とキ
ャリア支援の 3 つを柱として押さえていますので、各先生方の発表の時には、敢えて質疑
応答時間を設けませんでしたので、この 3 つのポイント毎に進めます。
順番としては、演者の先生方で、ご意見、あるいは演者の先生同士の質問、やり取りをし
ていただいた後、フロアの皆さんから質問・意見をいただいて、議論をしていくという形
にします。
〔評価、アセスメント〕
発達障害の評価というのは、何か検査をして数値を出すものなのか、診断書なのか、捉え
方はいろいろあると思います。
青木先生の講演3で、実践的な話もあり、面談そのものが重要なアセスメントだという話
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が非常に印象に残っていますが、まず演者の先生方の中で、このテーマで何か議論を始め
ていただきたいと思います。
青木/アセスメントということで、本学では検査は必須ではありませんが、合理的配慮の
根拠となるアセスメントとして、検査は 1 つあると思います。
その前に、支援する時のエビデンスのようなものを問われることもありますが、何がエビ
デンスなのかを最初に議論しないといけないと思います。
本当に数値がエビデンスか、検査がそうなのか、どういうふうに捉えるかは考えないとい
けないと思いますが、今、使えるもの、標準化されているもの、そういうものを考えたと
きに、知能検査などで本人の認知的な特徴を知る、困っていることの背景に何があるかを
知るための手がかりとして、検査があるのが 1 つ。
実際の日常的な課題の中で、具体的にどんなことができそうで、どんなことが今課題にな
っていて、学生は何をすべきで、私たちがどこまで配慮すべきかは、検査とあわせて面談
で見えることもあるかと思います。
それらもアセスメント、評価として位置付けてはどうかと私たちは考えていますので、そ
ういった形で検査と、面談の中での評価と、2 つの柱で進めています。
他の先生方はいかがでしょうか。
高橋/信州大学の中でも、ケースによって必要があれば、というのが基本かと思います。
全ての学生に一律に検査、ということではありません。
面談を通して、ニーズや困難の状況が明らかなら、その上で、何か数値がないと認めない、
そういったものではないかと思います。
ただ、合理的配慮の中でも何における配慮か、という部分は、必要な書類の根拠の程度に
も影響すると思います。
やはり試験ということになってくると、公平さが強く求められるので、そういった根拠資
料の必要性は高くなるとは思います。
また、どのくらいなら根拠にできるか、というのもありますが、1 つは試験担当の先生の納
得感においても、
「こんなデータが出ている」とお示しすると、そのデータの意味がどのよ
うなものか、という理解はともかく、数字があると、納得感が得られやすいと思います。
岡崎先生、いかがでしょうか。
岡崎/どういうものを根拠にするか、数字もそうですが、1 つの観点としては、ここで取り
上げられる発達障害として、発達障害のある方、ASD、ADHD の方は、同じことがぱっと
できる時と、できない時があって、試験でもうまく行く時もあれば、行かないこともある。
能力的にどこまで出来るのか出来ないのかの判断をどうするか、それらを考えると、1 つの
数値、1 回の検査、観察で判断をしていくというのは、実際に難しいと考えられます。
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入学前に支援を受けていたか、それはどんな支援だったのか、最近は蓄積されてきていま
すので、本学でもそれらを携えて入学される方が増えてきています。
そういった方々の場合は、使えるものはあります。
大学に入ってからの気づきも含めての場合は、見なし的な判断をしてからになるかと思い
ます。
そこが例えば山岸先生が仰ったような入学から卒業、就職までのスパンで気づきがいつか
というところにもよりますが、ある程度見すえる形で考えるのと、学部とか専攻の必修科
目が、例えば 1 年生の春学期にいきなり支援体制を考えないといけないなら、いろいろな
意味で見なしを増やさないといけなくなります。
しかし、逆に 3 年生の専攻を決める試験等々となれば、そこまでのエビデンスや試験状況
が参考にできるということもある意味アセスメントとして考えていけるのではないかと思
います。
竹田/名川先生にお聞きします。
JASSO の統計では診断書の有無があるわけですが、それは医師の診断ということで、その
他のアセスメントの資料としてあるでしょうか?
名川/必ずしも診断書のみを示すのではなく、それらに類するものとなっていたと思いま
す。
「そうではない」というカテゴリーを加えたのは、現状では残念ながら診断書、もしくは
それに関する証拠書類を前提としないとその対象を確定できないとすると、それ以外のニ
ーズについて応えることができない。
そこを無視すると実際の支援の現場を考えると、統計として成り立たないということがあ
ります。
現状は両方を立てざるを得ないという構成です。
今後、何らかの形で就職した場合に同様のカテゴリーを設けるかは改めて検討すべきかと
思います。
竹田/山岸先生からグレーゾーンという言葉が出てきました。
必ずしもカミングアウトされていない、診断が曖昧な、就職活動が困難な学生の中にさら
に発達障害が疑われる学生がいて、グレーゾーンという表現がありました。
今日お集まりの先生の中でも、そのような学生の対応に苦慮されていると思います。
例えば、キャリア支援ではそういう学生や、一般の学生にもアセスメントする機会がある
と思うのですが、グレーゾーンの学生に対して何か特別な評価やアセスメントを、現在で
も今後想定されるような知見はありますでしょうか?
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山岸/グレーゾーンの学生も含めて、ということで、就職という場面では、職業評価を一
度受けてもらうことを奨励しています。
手帳や診断が確定していなくても、障害者職業センターで厚生労働省の職業評価テストが
ありますが、得意と不得意が、職業作業レベル、知能レベルで出てくるものを参考にして、
本人と話し合うことを取り入れている段階です。
竹田/五味先生のほうから、対象となる障害者と言う話がありましたが、どうしても法律
文書は抽象的な感じがします。
いわゆる障害者手帳の所持者に限られないということで、日常生活、または社会生活に相
当な制限を受ける社会的障壁があります。
こういった抽象的な概念でもあると思うのですが、そういう意味から、アセスメントの評
価の在り方をどのように捉えるべきかというご意見は何かありますか?
五味/実際に診断がついていない方、いわゆるグレーゾーンの方は、障害学生支援室でも、
保健管理センターを経由していてもそのような方はいます。
岡崎先生が仰ったように、実際に困っている場面があるなら、ある程度「見なし」として
支援を開始しながら、実際にどういうところに困っているのか、少しずつ見ていくことに
なるのかなと思います。
もちろん手帳のあるなしには関わらないのですが、それ以外に実際に確定診断がついてい
るかどうかということで、実際には、そこで支援をするしないの判断をするのは難しい部
分があって、見なしで、必要に応じてやっていくことが現実的だと思います。
竹田/それでは、フロアからご質問等、アセスメントについてありましたら、お願いしま
す。また、個々の先生方のご発表に関しての質問でもいいです。
アセスメントに関わるご質問であれば、この先生のご発表についてということで良いので、
いかがでしょうか?
会場/体制整備の話から具体的な話までありがとうございました。
今ちょうどアセスメントの話がありましたが、アセスメント評価と対にして考えるニーズ
もあるかと思います。
その点について、五味先生が終盤あたりに、本人からの申し出が必要であり、積極的にニ
ーズを探りに行くことはしないという話をされていました。
一方で、岡崎先生の話にあった ASD のある学生の自己理解の難しさ、そして、名川先生の
報告にあるような本人以外からの申請が多いということ、高橋先生の報告の意思表明の難
しさを考えますと、本人からの申し出を重要視することは非常にわかりますが、それに対
して積極的にしないということに対してはどのように考えたら良いのか補足いただけると
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ありがたいです。
五味/駆け足で話したので誤解もあったと思います。
本人から申し出がなければ、こっちは座って待っているというわけではありません。
実際に親御さんから、あるいは、担当教員や事務組織の方から、
「ちょっと気になる学生が
いる」という報告が少なくないのが現状です。
加減の問題ですが、このような極端なケースはあまりないかもしれませんが、実際に、例
えば本人はそういう自覚が全くなく、親御さんは非常に心配していて、本人を飛び越した
形で、親御さんと支援者、大学側がどういう配慮をしようかということを決めていってし
まうことは避けたいという思いがあります。
もちろん、入口として親御さんやいろいろなところからニーズは入ってきます。
そこで話し合っていきますが、どこかの段階で、やはり本人をそこに組み込んでいきたい。
すぐにはいかないかもしれないが、本人から、「自分はここに困っている」ということが出
てくる方向にうまく繋げたいと思います。
そういう意味では、本人の意思の表出をどこかの段階では確保しておきたい、ということ
で「本人の意思表出が前提である」と申し上げた次第です。
例えば、実際には発達障害の学生にはこういう人がいますよと、FD 研修会や相談会のよう
なことをやっています。
そういうことをやっていくと、先生方から気付きがなされて、ニーズがある意味掘り起こ
されます。
当然それを否定しているわけではありません。
何と言うか、うまく表現ができないのですが、一生懸命「障害者はいないのか」と掘り起
こすことはしたくないと。
竹田/では私からも追加で。
今、対応要領を作っていて、国大協から雛形が送られてきた中に意思表明支援というのが
あります。
これはなかなか難しい概念だと思います。
意思の表明の支援というのは何だろう、と我々も激論をして、結局、何もやっていない人
に、
「あなた、困っているでしょう、こういう支援があるよ、やったほうがいいよ」と引っ
ぱり出すことがいいのか。
それは本当の支援なのか、そうではなく、高橋先生のスライドにありましたが、意志の表
明のプロセスを支援しましょうと考えています。
医学の世界にはスクリーニングというのがありますよね。
赤ちゃん全員を調べましょうと。
そういうことを大学がやることが、合理的配慮かどうかは考えないといけない。
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誰も気づかない段階から、例えば、入学者全員に、スクリーニング検査をして、スコア化
して、一定基準を満たした人を呼び出して……これは極端な言い方をしているだけですが、
こういう支援がありますよ、と積極的なアプローチで、早期介入を行なう。
おそらく、五味先生が「敢えてニーズを探さない」と言われたのはそういうことで、ニー
ズを表明できない人がどこが窓口か分からないなど、そういう状況はよくないであろう、
こういう支援がありますよ、とアプローチしやすい環境の整備は必要で、今の段階ではそ
ういう方向性だと思います。その他いかがでしょうか。
会場/2 点あります。
意思表明のところですが、今回の一連の法改正を通じて、日本の中で障害者観が大きく変
わってくると思います。
世の中が、障害というのは当たり前のものである、と欧米化してきて、権利としていつで
も手が挙げやすくなる、この流れがないといけないと思います。
私たちも、そういう流れを作るような努力を、今後もしていかないといけないのではない
か。
そうすれば、自己表明がしやすくなると。
もう 1 つ、高橋先生のお話の中のアセスメントのところで、先生が作られた、困り感質問
紙、あれは支援の内容を計画するとき役立つので、かなり使わせていただいていますが、
ただ、あれは自己申告ですよね。
アセスメントとして、実際にはどう活用できるのか、それは無理なのか、その辺のご意見
をお聞かせいただきたいのですが。
高橋/お話の中にも、一瞬出した、困り感質問紙、資料のほうでも、文献リストの、資料
64、65 ページに私の関連するものの中でも紹介しています。
どのぐらい自己申告が使えるかという話ですが、私が今までこの質問集を作ってきた感じ
だと、ADHD 系の困り感については、ほぼ、訴えてきた学生は、その通りだとの印象を持
っています。
一方で、自閉系の質問項目については、外から見ると自閉的特徴をたくさん持っているよ
うな学生さんが、とても低めに申告してきたりというのが多い、自閉的問題に関しては、
自己申告だけで何とかしようというのは、限界があるかと思われます。
ただ、一方で、信州大学の中で、診断のある学生とない学生で、差を見たところ、意外に
診断有りの学生さんの困り感が高く、そういう意味でいうと、全く使えないわけではない
のかな、という手応えはあります。
感触として、自閉的特徴がほとんどなくても、いわゆる社交不安、対人恐怖的な、自閉的
特徴の項目で高く、困っていることが多いので、これだけには依存はできないということ
で、使っていただければと思います。
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竹田/今のご質問の前半の、自分で権利を主張できる、セルフ・アドボカシーかと思います
が、それがすごく大事かなと思いますよね。
発達障害の人の困難の中で、表明がしにくい、それが特徴であり、踏まえた上で、支援す
る側、される側が対等な関係で、支援を必要とする方は、権利を主張できる社会状況にな
ることが大前提なのかなと思います。
〔カリキュラム調整について〕
カリキュラムの調整は、大学の本質に関わることですので、ある意味、大学側がやらなけ
ればいけない重要なテーマでもあります。
カリキュラム調整について、実践的な中でお話がでてきた、青木先生と、実習系専攻とい
うことで、高橋先生からもお願いします。
青木/お話の中で、実際にどういう例があったかを紹介しました。
1 つは、事前に、カリキュラムを組む際に、カリキュラム調整とは違うかも知れませんが、
どういう授業が、自分にあっていそうかを考える。
共通科目は必修なので、自分の取れそうなものを選んでいくというのが 1 つと、英語に関
しては、TOEFL が何点以上なら英語の科目を採らなくてもいいとか、学内の規程として、
科目の振替ができるようなものもありますので、現在は今あるものを使って、カリキュラ
ム調整しているところです。
まだそれ以外の範囲、発達障害の学生に限って、カリキュラム調整している例は、報告が
ありません。
高橋/実際例として、別科目での代替例には今のところ、出会ったことがないというのが
正直なところです。
竹田/筑波大学の体育の先生とお話すると、体育が必修科目ですが、いろいろな科目があ
ります。
例えば、他の学生は取れなくて、必ず面談を受けて取るトリム運動というのが以前からあ
って、一般の必修ですが、身体的な理由により、トリム運動という軽運動をとることで、
単位を与える、ということがあります。
今思うと、体育の先生と話していて、すごいカリキュラム調整だと話しています。
一方で、昨年か一昨年、アメリカのワシントン大学を見学した時にそちらの障害学生支援
センターの業務の 1 つとして、高橋先生や五味先生の話にあったようにディスレクシアの
学生ですが、外国語の必修授業ができない学生がスペインの文化を学ぶという授業を履修
することで、変更できるという、そのようなカリキュラムの変更を認めるのがそちらの仕
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事だという話を聞きました。
第二外国語を学ぶことは、スペイン語でのコミュニケーションができるようになること、
というよりはスペインという国の文化を言語を通して知り、教養を広めるのが必修科目の
本質なので、このような考えもあるのだなと思いました。
日本ではそういう形のカリキュラム変更はないと思うのですが、今後はそのような考えが
必要になるのではと思いました。
高橋/実際に今、竹田先生が仰ったような調整の変更の対応は、合理的であって、あって
良いものであり、どんどんやっていいことかなと思います。
このカリキュラムにおける変更は、カリキュラムの中核的なものと周辺的なものはやはり
あるかなと思います。
1 つの授業における合理的配慮は、本質の部分は変えられないけれど、方法論、例えば授業
の評価方法、学習成果の表明の変更はできるが学習の本質は変えられないのと同じことで
す。
カリキュラム全体でここは譲れないという部分は必ずあって、軽視するわけではありませ
んが、明らかに工学の専攻なのに英語の 1 個の単位ができないだけで、卒業できないのは
理不尽となります。
カリキュラム全体における中核と周辺はあるのかなと思います。
ただ一方で、これも事例というと、問題ないとは思うのですが、教育学部、教員養成課程
は、教員免許を取らないと卒業できないという形になっているかと思います。
ただ、一方でどうしても教育実習ができない学生に対して、教育実習の単位を他の単位で
振り替えるという特例措置は準備されている大学とそうでない大学とがあり、やむを得な
い場合は卒業できるとなっていることがあり、ある意味、本質を変えるという意味ではど
うなのかという思いはあります。
一番中核的なところなのに、そこを変えてでも卒業資格を与えたいという。
でも、これは日本の大学の特色というか、入学させたからには卒業させたいという、これ
の反映だろうと思いますが難しい課題だと思います。
竹田/卒業要件の中での配慮ということですか。
高橋/卒業要件として教育実習を取らないと卒業できないのに、他の科目で置き換えるこ
とを認められているケースがあるということです。
竹田/ライセンスには到達できないということですか?
高橋/免許は取れなくても卒業でき得るケースが準備されているということです。
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竹田/フロアからご質問をお願いします。
カリキュラム調整という、たぶんあまり馴染みがないことだと思いますが、発達障害の学
生さんの指導の中ではカリキュラムに触れるというか、関わる部分が増えてくると思いま
す。いかがでしょうか?
会場/看護系の大学です。
発達障害を持っている学生ですが、1 期生の時にはそのまま実習に行かせて、教員を 1 人貼
り付けにしてやっているつもりだったのですが、受け持ちの患者さんのところに、教員が
目を離したすきにカーテンを開けて中に入ってしまったということがありました。
その時点で、ストップ。お宅の大学からは実習生は取りませんとなってしまいました。
非常に大きな失敗でした。
その後にも結構、発達障害学生が入ってきました。
ではどうしようかとなった時、学生に 1 人教員をピッタリと貼り付けるのは、大学にとっ
ても人がいない状態で非常に困難です。
しかし、何とか乗り切って、3 回生、4 回生と卒業させてきています。
また別の事例で、聴覚障害があって視力が弱い学生がいました。
この学生に対してはどうすることもできなかった。
単位は取れないが、周りの学生はどんどん卒業していく。
ある日、厚生労働省の看護課の方に伺いました。
厚生労働省の考えとしては、2 週間の実習のうち 2 日間くらい現場を見させて、その後、学
内の実習と振替ができると指示をいただいたのですが、実際、看護過程も展開できない中
で卒業させて良いのか。
実習に行かなくても卒業認定をしたら、他の学生と差がかなり出てきます。
結局、保健師の地域実習で単位を落として卒業できず、6 年目に進路変更ということでやめ
ていきました。
その事例で考えたのは、そういう学生に、合理的配慮ができるのだったらそれで良い。
でも、卒業認定ができるということが許されるなら、今後、看護系の大学にもどんどん入
ってくる。
卒業させますが、看護大学の卒業資格を与えても、国家試験の受験資格が取れないという
ことでいいなら、本人にとっては、これが一番良いのかなと思ったりするのですが、それ
についてどのようにお考えなのか教えていただきたい。
竹田/プラクティカルというか、医学部、薬学部、看護、教育というようなところから、
よくいただくご質問と疑問です。
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我々自身もどうかと思う点です。
他の方で何人か同じようなご意見がありましたら、頂いてから答えていただきます。
他のご参加の方から、同じような経験、あるいはこのように思うとか、自分の教育組織で
はこうしているとか、うまくいった例、今の話のようにトラブルが起きた事等々あれば、
差し支えない範囲で紹介していただければと思います。
例えば、医学系の先生の所でお話した時、カミングアウトしている学生、リスクがある学
生を最初の段階からある程度ふるいにかけるのは差別なのか?という質問をいただくこと
はよくあります。
現状の考え方、法律の考え方としては、理解としては障害があるからダメ、というのは NG
です。
理念としてはそうかも知れないが、現場では難しいです。
先ほど、高橋先生のスライドにもあった、第三者の権利もありますので、医学系、看護系
の実習なら患者さんの権利もありますし、そのあたりのバランスは非常に難しいと思いま
す。
特に、こういう専門課程の組織からいらっしゃった方、ご意見を伺えればと思います。看
護系、医学、薬学等で。
会場/本学は工学部系です。
工学はモノづくりをしないといけないので、旋盤をいじるとかして、モノづくりをします。
そういうときに、どうやって対応したらいいのだろうと。
一緒に貼り付けてずっと実習をするのか。
実技の試験をやろうとしても、どうやってカバーしようか、いろいろ考えています。
工学の場合、下手をすると事故になる可能性もあります。
その辺も悩んでいるところで、合理的配慮をどこまで考えたらいいのか、今、悩んでいる
ところです。
竹田/ではまず、高橋先生と、名川先生が、そういうご経験があるかと思いますので、コ
メントをいただきたいと思います。
高橋/何が正しいかという観点からは、やはり、中核を変えてまで卒業させることは本質
的ではない。有るべき姿ではないな、というのが正直なところです。
ただ、現実的な、ということでいうと、入ってきて目の前に学生がいて、話をしてという
状況では、何とかこの学生を卒業させてあげたい、という教育者の気持ちがあるのもまた
事実です。
確かに、無理矢理、何とか形だけでもやらせて、でもやっぱり、最後に「結局無理だよね」
と路線変更するのが後になればなるほど、本人には辛い。
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むしろカリキュラムの最初の段階で、明らかに適正が合わない、そこでやっていくことは
辛いと本人が感じるような状況であれば、それに相談に乗りつつ、ではどういう方法なら
やりやすいのかを考える体制のほうがいいのかなと。
それを無理矢理先延ばしにするよりは、早い段階で方向転換もありかなと。
それに納得するのに時間がかかることもあるので、信頼できる教員と学生と、時間をかけ
た話し合いは不可欠なのかなと思います。
もう 1 点、ではどうしたらミスマッチというか、入ってからの苦しい状況を減らせるかか
ら言うと、入学前の段階での情報提供に力を入れることかなと思います。
今、オープンキャンパスって、受験生は必ず親と一緒に来ますよね。
授業の内容まで含めて、こんなことをやります、こんなことが求められますよ、とはっき
り具体的に提示する。
その中で考えていただく、というのが大事かなと思います。
ただし、入学に関して相談を受けた時、
「いや、うちの学部でやっていくには、コミュニケ
ーションをすごく求められるから厳しいですよ」みたいな感じで、いかにも「受けないで
ね」という姿勢で説明してしまうと、それはハラスメントになってしまいますので、そう
いう意図を持って説得するのではなくて、あくまで、情報をみんなに提供する、それがミ
スマッチを減らす 1 つの方法かと思います。
名川/発達障害については、理系・工学系にも多く在籍していると思いますが、工学系大
学・学部や高専では JABEE という資格を取るところが多いと思います。
JABEE というのは、大学等高等教育機関において一定のカリキュラム規格を評価、クリア
した場合には、国際的にエンジニアとしての資格を認めるという組織と聞いています。
本学でも肢体不自由ですが、学生さんが入学した時、工学系でどう評価するか、実際、
JABEE
に聞いてみたのですが、
「お宅で適切性が図られていれば」と返されてしまいました。
しかし今後は一定の議論をしていただいたほうがいいのではないかと思います。
ところでその学生は、上肢が操作困難ですが、工学系でよい成績を挙げていて勉強を続け
ています。
その人と、高校の先生や親御さんも含めて、入試課、関係教職員と入学前後に話し合いの
機会を持っていたのですが、その時に出て来たことがあります。
一定のカリキュラム、課題の中で、いくつかできないことがある場合、それを、何らかの
補助や、支援のプロセス、試みをした上で免責というかわかりませんが、それでも出来な
い部分はあるだろうと。
いくつかの部分的技術がクリアできない、これは、適正にしっかり評価すべきだと思いま
すが、それを踏まえて、全体の資格、単位の取得がダメになるのは違うのではないか。そ
れはそれとして評価するべきではないか。ただし、その場合には 1 つ、2 つ、部分的に出来
ないことがあれば、評価は当然、低くなります。
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そうして全体を考えてはどうか、という話をしたことがあります。
その後、当該学部がどう整理したかは分かりませんが、その段階ではそのような協議が行
われました。
竹田/プラクティカルな問題ですが、1 つはライセンス。
社会に参加したときのライセンスの考え方、欠格条項が廃止されていく中で、スタンダー
ドがどう受け止められているか。
大学等の高等教育機関はそういうプロフェッショナルを養成するわけで、教育を実施する
上での合理的配慮、その上で求められるスタンダードがありますが、欧米の大学等では、
かなり明確に書かれています。
医学系等でも、こういう人材が必要です、求めています、と。
日本でも見直しで、コンピテンシー・スタンダードをしっかり明確にする、とあります。
ライセンスに求められる人材を社会がどう認めるか、その辺が全部リンクしてくるのかな
と思います。
この辺は一番難しい、センシティブなところで議論は尽きません。
〔キャリア支援〕
竹田/「出口」ということで何のために大学で支援をするのか。
出口がないと意味がないということであります。
文部科学省の一次まとめの中でも、支援をする意味・意義、それは慈善事業でやるわけで
はなく、意欲と能力のある障害のある学生を他の学生と同じスタートラインに立たせてそ
の能力を発揮させて社会に参加させること、それが一番の目的です。
大学は訓練機関でもないし、慈善事業でもないので、意欲と能力のある学生を教育するか
らには、その人たちを後押しをすることは支援をする上でも大切なゴールであると思いま
す。
山岸先生から追加のご発言はありますか?
特に発達障害の学生といった時、よく引き合いに出されるのは、欧米、特にアメリカだと
よく例に出されるエジソンとか「とんがった人材」という言い方をするのですが、それを
拾い上げるシステムが日本の大学にはなくて、切り捨てられる。
もしかしたら大学まで辿り着かないかもしれない。
先生の中でもとんがった人材があったかもしれません。
そういう人が世の中を動かしたり、巨万の財をなしたり、国の産業を左右するようなこと
に関わったこともあったかもしれません。
とんがった人材をどのようにキャリア支援していくか。
導入として話をお願いします。
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山岸/エジソンやビル・ゲイツのような人材があれば、才能だけで切り拓いていくことに
なると思いますが、スペクトラムというか連続線で多様な人々がいます。
現実的には 1 つずつ成功事例を積むことがいいのかなと感じています。
例えば私は筑波大学におりますが、筑波大学の発達障害学生を採用してみたらすごく良い
と言われる事例を積んでいく。
その事例は何かを明文化、言葉にしていく。
職種によっても求められるものが違ってくると思います。
実践をやっていく上で感じているのは、まず生活リズムがある程度整うことと、最低限の
報・連・相と言われますが、これら最低限で良いのです。
配慮に満ちたものとか、三歩先を読んだものでなくて良いのです。最低限の報・連・相、
その辺りが配慮されて、その後何ができるか。
どの点に配慮すれば、健常の学生以上に能力を発揮させて、実際その配慮をやっただけで
すごく活躍してくれたという例をたくさん作っていくことから始まっていくのではという
気がしております。
竹田/青木先生は、めでたく学位を取れたというものに実践的に関わられています。
ある部分で才能が秀でているのだけれど、このような特性によってそれがハンディキャッ
プになって、なかなか、うまく大学という場に適応できなくて、俗な言い方をすると「損
をしている」という学生がいると思います。
その辺はどうでしょうか。発達障害の学生が、ある程度の支援で能力を発揮できるという
ことが今後あるとお考えでしょうか?
青木/状況や体調によりけりという部分が大きいと思います。
さきほどご紹介した学生は、生活面ではとても困っていますが修学上はあまり問題なく、
授業を受ける上での配慮はあまり必要でなかったのですが、ただ、うまくいく状況を知っ
ていると、それは他にも応用できるのではないかとか、あの人のやり方は私もできそうだ
からやってみようと、アンテナが張れたりします。
本人のスキルを伸ばす、自分の能力を発揮できるような場面や条件は、誰かと一緒に確認
する場があると、伸ばしていける部分もあるのかなと思います。
竹田/ではフロアのほうからキャリア支援について質問をいただきたいと思います。
会場/もしかするとキャリア支援の話より広がった質問になるかもしれません。
山岸先生にお尋ねします。
話の中で企業の意識啓発・推進にあたりリーフレットを配布されたという話がありました。
このとき、私が新しいなと思ったのですが、合理的配慮を声高に言いすぎない表現になる
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ように工夫されたという話は印象的でした。
というのは、合理的配慮というのは、そもそも足し算的な考え方ではなく、フラットな状
態を確保するために必要な調整が合理的配慮ということだという話がある。
だけれども、それに関して不慣れな人や機関が合理的配慮を論ずる時、足し算になってい
くというのが今勉強している中での印象でした。
そんな中で合理的配慮を引き算にして外に発信されたというのが、私にとても印象的でし
た。
引き算をするときにどこに視点をおかれてされたのか。
逆に何を残すべきだと、線引き・区別されたのかに関心を持ちました。
マニアックな質問かもしれませんが、教えていただければ幸いです。
山岸/これが本当にいいものかどうかは自信がないところですが。
まず、何のためにこの合理的配慮のお願いをするかというと、意欲と才能のある学生を受
け入れてもらいたいという目的があります。
「ここまで配慮しなければならない」という印象を与えるものだと却ってマイナスになっ
てしまうと考えました。
第一弾としては、
「就業の場面での合理的配慮とは何か」
。
募集・採用時と就労の継続で合理的配慮の基本的なことをお伝えしたいということ、あと
は削った部分になるかもしれませんが、様々な例示がありますが、最低限の例示にとどめ
る。
そうでないと全部やらなくてはいけないような印象を与えてしまうと思います。
このように調整をすれば、才能ある学生が採れるかも知れない。
障害者雇用率を満たすことは、企業にとっては、語弊もありますが頭の痛い問題と考えて
いるところもあります。
そのような考えから、下肢障害から取っていくという企業もあります。
次、誰を採るかというとき、是非、良い学生がいたら紹介をしてほしい、と声をかけてほ
しい。
次に残したことは、是非、学校に相談して下さい、ということで、
「ご相談をお受けします」
と明記しました。
あとは、企業さんと、発達障害を持っている人との関係だけではなくて、間に外からの支
援者が入って就労を継続する仕組みがあるので、そのことについてもご相談にのります、
と記載して、なるべく敷居を下げました。
会場/就労支援のところで、お聞きしたいのですが、卒業後のフォローアップというのは、
今から重視されるところだと思います。
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本学でもこの 3 年ぐらいをかけて、フォローアップ支援をしています。
地域の格差もあるかと思います。
本学では、支援室に繋がっていた学生が就職して、その後も卒業後のフォローアップをや
っています。
学外的にも卒業後 1~2 年後はフォローしています。
ただ、これは本質的には、卒業後は移行支援ということで、専門的機関、障害者就労支援
センター等に繋ぎたかったのですが、大学を出た高機能の発達障害の方が、就職をしてい
くうえで、就労支援センターなどでは、うまくそこをサポートするのは難しい、という声
もあります。
大学でよくわかっている、という意味でサポートすることが良いと思っているのですが、
関東なら、私も以前、10 年近く高校生の発達障害の支援をしていました。
就労支援センター、横浜だと、北部、東部、戸塚など、18 歳以降の定着支援をしてくれる
ところがあって、良い関係が出来そうだと思うのですが、地域にそういった機関がないと、
模索しつつ、大学でフォローアップをしています。
筑波大学さんだと、フォローアップについての今後の在り方をどう考えているか、ご教授
いただければ。
山岸/現状、筑波大学においては、卒業までに就職が決まらなかった学生について、卒業
後の就職支援の継続、まずは、これは必須でやります。
もちろん、本人が連絡を絶てば別ですが、本人と繋がっていれば支援してきました。
その場合、就労準備訓練を受けたり、就労移行事業所を使ったり、外部連携を重視してい
ます。
つくば市では、つくば発達障害者支援ネットワークがありまして、茨城県つくば市中心の
支援機関がほぼ出そろって年に1回だけですが、集まるというネットワーキングができつ
つあります。
機関によって、支援の充実度が全く違うというのが現状かなと思いますので、その中で、
いい機関さんといい関係を築いて、何とか、初就職に結びつけたい、その仕組みを作って
いるところです。
筑波大の場合は、地方に戻る学生、キャンパスはつくば市ですが、全国から学生が来てい
るので、卒業後、物理的に学校に来てもらうことができない学生がいます。
その場合は地元のハローワークは土浦ですが、土浦のハローワークを通じて、地域のハロ
ーワークと連携してもらい、いつでも学校には連絡・相談してくれていいよとしています。
竹田/まだまだ議論は尽きませんが、残念ながら時間がきてしまいました。
障害学生支援自体が、比較的新しい支援ですし、発達障害、合理的配慮、いずれも何かち
ょっと見えない、モヤッとしたものが……それが 2 つかけあわさっているので、ますます
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不安にさいなまれる、ということは皆さん共有しているかと思います。
一方、障害のある方の権利保障の理念は素晴らしいものです。
あるいは一方で大学が支援する場合、私見ですが、何らかのインセンティブがないと普及
しないだろうと。
インセンティブは、個々の学生さんたちが、自己実現に結び付くことに少しでも寄与する。
それを支援する苦労もあるのかな、と私個人は思います。
今から 50 年、100 年くらい経つと、2015 年には大きな変革があったと言われるかも知れ
ません。
今、そういう現場にいるのかな、と思うと、今日お集まりの先生方も第一線にいるのかな
と思います。
それを担当している者同士が情報交換してより良いものにするということが、非常に大事
なのかなと思います。
今日は長時間にわたり、活発なご議論をありがとうございました。
演者の先生方、ありがとうございました。
改めてお礼を申し上げます。
以上をもちまして平成 27 年度 全国障害学生支援セミナー専門テーマ別セミナーを終了し
ます。
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