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聖書に基づいて
彼ら<エホバの証人〉 と
論じる
「パウロはいつもしているように,会堂にはいって行って,三つの安息
日にわたり,聖書に基づいて彼らと論じた。そして,キリストは苦しみ
を受け,死者の中からよみがえらなければならないことを説明し,また
論証して,『私があなたがたに伝えているこのイエスこそ,キリストな
のです。』と言った」。
−使徒17:2,3新改訳一
ヨ巨要犬柔項目
エホバの御名..............、
5
投票....….......….131
祈りはだれに...........、14
地獄.......…...........、134
終りの日...................、16
伝道.......…............141
キリストの再臨.........、16
復活.......…...........、145
キリストの神性.............、34
復活した体...........、147
三位一体...................、63
ミカエル.......
死.........................、79
良いたより(福音)………153
十字架..........…....….、88
異なっている福音……155
救い.......................、90
預言..……….……….157
聖霊......................、100
患難時代………..…157
創造.......................106
携挙...…...........、159
組織.......................108
イスラエル人.........、160
14万4,000人.....、112
王国.................、161
魂........................、116
新しい天と地.........、164
誕生日とクリスマス........、118
図表….…….…….166
血.........................120
霊(人間)..…..........、167
中立と職業の選択….......、128
業…………….……171
...、151
「聖書に基づいて彼らと論じる」と題する
一一
の二本の使L,方
「あなたは熟練した者,すなわち,真理のみことばをまつすぐに説き明かす,恥じ
ることのない働き人として,自分を神にささげるよう,努め励みなさい」。
一テモテ第二2:15新改訳一
神が息を吹き込まれた霊感の書物である「聖書」をまつすぐに説き明かすために,
この本は用意されました。「まつすぐに説き明かす」というギリシャ語は新約聖書に
一度しか登場してこないオルソトメオー(「まつすぐに切る」が語源)です。たとえ
ば,紙の端を手で持ってぶら下げ,カッターでまつすぐに切ることはむずかしいです
が,定規を当てて切るとまつすぐに切れるのと同じように,熟練した者は真理のみ言
葉である聖書を用いて正しく切ることが求められています。
オルソトメオーというギリシャ語から,オーソドックス(正統)という英語が誕生
だつそ
しました。従って,15節の文脈を考慮しますと,脱疽のように広がる偽教師である
異端に対して正しい福音の説き明かしが求められていることが明らかです。
この本に治められている質問や聖句は,皆さんが正しい福音を擁護するだけでなく,
異端のベールを切り落とすのに役立つでしょう。
確かに,正統クリスチャンにとって,「神の知識に逆らって立てられ,強固に守り
固められた,いろいろな偽りの教えや推論を覆す」のに助けとなる強力な道具となり
ます。一コリント第二10:4,5新世界訳一
ほとんどの聖句は「新世界訳聖書」1984年版を引用しています。尚,「エホバ
の証人は次の事を信じている」の項目の中で,「dwp.4」という記号は,姉妹
版『ものみの塔文書資料集』の4ページにその出典を見出だすことができます。
主題は「論じる」とありますが,エホバの証人を論破することに専念するあまり,
彼らの救いの道を閉ざしてしまわないようにして下さい。
「反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると,神は彼らに悔い改めの
心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。それで悪魔に捕らえられて,思うまま
にされている人をでも,目ざめてそのわなを逃れることもあるでしょう」。
−テモテ第二2:25,26新改訳一
柔和な心で訓戒しなさいと書かれているように,厳しく両刃の剣であるみことばで
エホバの証人を裁くのは効果的ではありません。聖句をまつすぐに用いて,御霊の実
を培って話し合って下さい。そうする時,聖書を純粋に愛するエホバの証人の目から
うろこが落ちる経験を涙をもって味わうことができるでしょう。
敬意をこめて
みな
エホバの御名
エホバの証人は次の事を信じている。
1.救いを得るべき神の御名はエホバであり,エホバの御名を宣く伝えなければなら
ない。(「神の御名は永久に存続する」p、29dwp、115)
イエスは祈られた時,神の御名「エホバ」を用いられた。
2
.
(「神の御名は永久に存続する」p.3)
出エジプト3:13-15:「『その方の名は何というのか』と彼らが言うとすれ
ぱ,わたしはこれに何と言えばよいでしょうか。すると神はモーセに言われ
主,『わたしは自分がなるところのものとなる(「わたしはある」という者
である。一新改訳一)』。そしてさらに言われた,『あなたはイスラエルの
−
子らにこう言うように。『わたしはなるという方(「わたしはあるという方」
一新改訳一)がわたしをあなた方のもとに遣わされた』。そののち神はもう
一度モーセに言われた,『あなたはイスラエルの子らにこう言うように。
『あなた方の父祖の神,アブラハムの神,イサクの神,ヤコプの神エホバが
わたしをあなた方のもとに遣わされた』。これは定めのない時に至るわたし
の名,代々にわたるわたしの記念である」。
<註>神の名は何であると書かれていますか。14節と15節を比較
して下さい。エホバ(ヤーウェ)には意味があることが判明します。
すなわち,「わたしはある(エゴー・エイミ)」という称号をまず返
答されたことに注目しなければなりません。つまり真の神は他の神々
より,はるかに崇められるべき存在であり,真の神ご自身を知ること
には,固有の御名を用いる以上の意義があります。
詩編83:18:「それは,人々がその名をエホバというあなたが,ただあなた
だけが全地を治める至高者であることを知るためです」。
<註>エホバの証人は神の御名をどう扱うかが,その人の将来を左右
すると強調します。しかし神の御名を用いることが神によって是認さ
れている保証にはなりません。例えば,創世記4章1節で,神の御名
エホバを用いたからといって,エバが決して神の是認を受けていたこ
とにはならないことからも明らかです。
cf.創世記4:1:「さて,アダムはその妻エバと交わりを持ち,彼
女は妊娠した。やがて彼女はカインを産んで,こう言った。『わたし
はエホバの助けでひとりの男子を産み出した』」。
− 5 −
エホバの御名
6
イザヤ43:10,11:「『あなた方はわたしの証人である』と,エホバはお告
げになる,『すなわち,わたしが選んだわたしの僕である。それはあなた方
が知って,わたしに信仰を抱くためであり,わたしが同じ者であることを理
解するためである。わたしの前に形造られた神はなく,わたしの後にもやは
りいなかった。わたしが−わたしがエホバであり,わたしのほかに救う者は
いない」。
<註>エホバの証人は現代のユダヤ教主義者として,古代へプライ人
の神の名を高く評価しています。一方クリスチャンはだれの名を高く
評価しているでしょうか。使徒1章8節では,「地の最も遠い所にま
で,わたしの証人となるでしょう」。と,イエス・キリストは言われ
ました。歴史の記録では,キリストの追随者はクリスチャン(キリス
ト者一使徒11:26−)として,世から取り分けられて来ました。
従って,もしエホバの御名が重要ならキリスト者ではなく,エホバ者
として有名になっていたはずです。cf.啓示2:13。
「救い主はだれですか」の項35-36,60頁参照。
クリスチャンはだれの御名を宣く伝えますか
ルカ24:47:「その(キリストの)名によって罪の許しのための悔い改めが
あらゆる国民の中で宣く伝えられる一エルサレムから始めて」。
ヨハネ17:6,26:「わたしは,あなたが世から与えてくださった人々にみ名
を明らかにしました。…そしてわたしはみ名を彼らに知らせました。また
[これからも]知らせます。それは,わたしを愛してくださった愛が彼らの
うちにあり,わたしが彼らと結びついているためです」。
<註>イエスは弟子たちにエホバの御名を明らかにされたとは書かれ
ていないことに注目しなければなりません。ではだれの御名を明らか
にされたのでしょうか。11節と12節の文脈から判断できます。
ヨハネ17:11,12:「聖なる父よ,わたしに与えてくださったご自身のみ名
のために彼らを見守ってください。わたしたちと同じように,彼らも一つと
なるためです。わたしは,彼らと共におりました時,わたしに与えて<ださ
ったあなたご自身のみ名のために,いつも彼らを見守りました。そしてわた
しは彼らを守り,滅びの子のほかには,そのうちだれも滅びていません。そ
れは聖句が成就するためでした」。
<註>「わたしに与えてくださったご自身のみ名」とは,「イエス」
(エホバは救い)です。参照聖句マタイ21:9,1:23。
エホバの御名
7
使徒1:8:「しかし,聖霊があなた方の上に到来するときにあなた方は力を
受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリヤの全土でも,また地の最も遠い所
にまで,わたしの証人となるでしょう」。
使徒3:6:「しかしペテロは言った,『銀や金はわたしにありませんが,わ
型_塵迄_皇_迄_空一堂』辿圭迄_茎_左_墜呈皇_菫_童。ナザレ人王_エス・キリストの名
において,歩きなさい!」
◎
使徒9:15:「しかし主(イエス)は彼に言われた,『行きなさい。わたし
にとってこの者は,わたしの名を諸国民に,また王たちやイスラエルの子ら
に塗えて行くための選びの器だからです」。
コリント第一1:2:「コリントにある神の会衆,キリスト・イエスと結ばれ
て神聖なものとされ,聖なる者となるために召されたあなた方,ならびに,
いたるところでわたしたちの主イエス・キリス肢,すなわちその主でありわ
たしたちの[主]である方の名を呼び求めているすべての人たちへ:」。
イエスは地上におられた時,祈る際,父なる神に「エホバ」と呼びかけられたことが
あったでしょうかまた祈りに,「エホバ」を用いるようにすすめられましたか
マタイ6:9,10:「そこで,あなた方はこのように祈らなければなりません。
『天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされます
ようにoあなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じ
ように,地上においてもなされますように」。
<註>祈り方について,イエスは一度も「エホバ」を用いて祈るよう
に教えられたことはありません。
マタイ11:25:「その時,イエスはこたえ応じて言われた,『天地の主なる
−
−
父よ,わたしはあなたを公に賛美します。あなたはこれらのことを賢くて知
能のたけた者たちから隠し,それをみどりごたちに啓示されたからです」。
<註>イエスは地上におられた時,150回も父なる神に祈られまし
たが,一度も「エホバ」と呼びかけられたことはありませんでした。
マタイ26:39-42
『わたしの父よ,
てください』
「そして少し進んで行き,うつ伏してこう祈られた。
もしできることでしたら,この杯をわたしから過ぎ去らせ
[イエス]は再び,二度目に離れて行って,こう祈られた。
エホバの御名
8
『わたしの父よ,これが,わたしが飲まないでは過ぎ去ることのできないも
のでしたら,あなたのご意志が成るようにしてください』」。
マルコ14:36:「そしてさらにこう言われた。『アバ,父よ,あなたにはす
べてのことが可能です。この杯をわたしから取り除いてください。...』」。
ルカ10:21:「折しも,[イエス]は聖霊により喜びにあふれて,こう言わ
れた。『天と地の主なる父よ,わたしはあなたを公に賛美します。…』」。
ルカ11:2
「そこで[イエス]は彼らに言われた,「いつでもあなた方が
祈るときには,こう言いなさい。『父よ,あなたのお名前が神聖なものとさ
れますように。あなたの王国が来ますように。…』」。
ルカ22:42:「こう言われた。『父よ,もしあなたの望まれることでしたら,
一
この杯をわたしから取り除いてください。…』」。
ルカ23:34,46:「しかしイエスはこう言われるのであった。『父よ,彼ら
をお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのですから』…
そしてイエスは大声で呼ばわって言われた,『父よ,わたしの霊をみ手に託
します』」。
ヨハネ11:41:「そこで彼らは石を取りのけた。それからイエスは目を天の
ほうに向けて,こう言われた。『父よ,わたし[の願い]を聞いてくださっ
たことを感謝いたします』」。
ヨハネ12:27,28:「『..、今わたしの魂は騒ぎます。何と言えばよいので
しょう。父よ,わたしをこの時から救い出してください。しかしやはり,わ
たしはこのゆえにこの時に至ったのです。父よ,み名の栄光をお示しくださ
い』。すると,天から声があった,『わたしはすでに[その]栄光を示し,
さらにまた[その]栄光を示す』」。
ヨハネ14:14:「あなた方がわたしの名によって何か求めるなら,わたしは
それを行ないます」。
<註>「王国行間逐語訳」では,「わたしの名によってわたしに何か
を求めるなら」である。つまり「わたし[イエス]に」が挿入されて
おり,全能の神であることの証明となっています。
エホバの御名
ヨハネ17:1,5:「イエスはこれらのことを話し,それから目を天に向けて,
こう言われた。『父よ,時は来ました。あなたの子の栄光を表わしてくださ
い。子があなたの栄光を表わすためです。…それで,父よ,世がある前に
わたしがみそばで持っていた栄光で,わたしを今ご自身の傍らにあって栄光
ある者としてください」。
ヨハネ17:11,12:「聖なる父よ,わたしに与えてくださったご自身のみ名
のために彼らを見守ってください。わたしたちと同じように,彼らも一つと
なるためです。わたしは,彼らと共におりました時,わたしに与えてくださ
ったあなたご自身のみ名のために,いつも彼らを見守りました。そしてわた
しは彼らを守り,滅びの子のほかには,そのうちだれも滅びていません。そ
れは聖句が成就するためでした」。
一世紀のクリスチャンは誰に祈りましたか「エホバ」と呼びかけましたか
使徒7:59:「そして,訴えながら,『主イエスよ'わたしの霊をお受けく
ださい』と言うステファノに向かって,彼らは石を投げつづけた」。
<註>「新世界訳」だけが60節に「エホバ」を用いています。ギリ
シャ語ではキュリオス(主)であり,旧約聖書の引用箇所でもない故
に,59節と同様に一貫して「主」と訳出しなければなりません。
ローマ8:14,15:「神の霊に導かれる者はみな神の子であるからです。あな
た方は,再び恐れを生じさせる奴隷身分の霊を受けたのではなく,養子縁組
の霊を受けたのであり,わたしたちはその霊によって,「アバ,父よ!」と
叫ぶのです」。
<註>「父なる神」と御子イエスは本質においては同じです。イエス
もイザヤ9章6節では,「とこしえの父」として崇拝の対象として描
写されています。
コリント第一1:2:「コリントにある神の会衆,キリスト・イエスと結ばれ
て神聖なものとされ,聖なる者となるために召されたあなた方,ならびに,
いたるところでわたしたちの主イエス・キリスト,すなわちその主でありわ
たしたちの[主]である方の名を呼び求めているすべての人たちへ:」。
コリント第二12:8,9:「これについては,それがわたしから離れるよう,
みたび
わたしは三度主に懇願しまし迄。しかし[主]は,まさにこう言われました。
9
エホバの御名
10
『わたしの過分の親切はあなたに対してすでに十分である。[わたしの]力
は弱さのうちに全うされるのである』。それゆえわたしは,自分の弱いとこ
ろについてむしろ大いに喜んで誇り,こうしてキリストの力が天幕のごとく
わたしの上にとどまるようにします」。
ガラテア4:6,7:「では,あなた方は子なのですから,神はご自分のみ子の
霊をわたしたちの心の中に送ってくださり,それが,『アバ,父よ!』と叫
ぶのです。ですから,もはや奴隷ではなくて子です。そして,子であれば,
神による相続人でもあります」。
だれの名に信仰を働かせますか
ヨハネ1:12:「しかし,彼を迎えた者,そうした者たちすべてに対しては,
神の子供となる権限を与えたのである。その者たちが,彼の名に信仰を働か
せていたからである」。
ヨハネ2:23:「しかしながら,過ぎ越しの時,その祭りのさい彼がエルサ
レムにいた間に,たくさんの人が彼の行なうしるしを見て,その名に信仰を
持った」。
ヨハネ3:18:「彼に信仰を働かせるものは裁かれません。信仰を働かせな
い者はすでに裁かれています。その人は,神の独り子の名に信仰を働かせて
いないからです」。
ヨハネ第一3:23:「実際,これが[神]のおきてです。すなわち,わたし
たちがそのみ子イエス・キリストの名に信仰を持ち,彼がわたしたちにおき
てを与えたとおり,互いに愛し合うことです」。
ヨハネ第一5:13:「わたしがこれらのことをあなた方に書くのは,神のみ
子の名に信仰を置くあなた方が永遠の命を持っていることを知らせるためで
す」。
バプテスマはだれの名によりますか
使徒2:38:「ペテロは彼らに[言った],『悔い改めなさい。そしてあなた
方ひとりひとりは,罪の許しのためにイエス・キリストの名においてバプテ
エホバの御名
11
スマを受けなさい。そうすれば,無償の賜物として聖霊を受けるでしょう』」。
使徒8:16:「それは彼らのうちのだれにもまだ下っておらず,彼らはただ
−
主イエスの名においてバプテスマを受けていただけだったからである」。
使徒10:48:
−
「そうして, イエス・キリストの名においてバプテスマを受け
るようにと彼らに命じた。 それから彼らは,幾日かとどまるようにと彼に頼
んだ」。
使徒19:4,5:「パウロは言った,『ヨハネは,悔い改めの[象徴としての]
のち
バプテスマを施して,自分の後に来る方,つまりイエスを信じるよう民に告
げました』。これを聞くと,彼らは主イエスの名においてバプテスマを受けた」
<註>聖書では,エホバという固有の名においてバプテスマを受ける
場面がありません。もし,エホバに献身しなければならないならば,
エホバの名によってバプテスマを受けることによって,エホバに服す
ることを表明するはずです。
クリスチャンはだれの名によって苦しみを受けますか
マタイ10:22:「そしてあなた方は,
わたしの名のゆえにすべての人の憎し
みの的となるでしょう」。
マタイ24:9:「その時,
人々はあなた方を患難に渡し,あなた方を殺すで
しよう。またあなた方は,
わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的と
なるでしょう」。
<註>ハルマゲドン前の患難時代には,やはりイエスの名のゆえに,
キリスト者(クリスチャン)は迫害を受けます。133頁参照。
ルカ21:12:「しかし,これらのすべての事の前に,人々はあなた方に手を
ひとや
かけて迫害し,あなた方を会堂や獄に引き渡し,あなた方はわたしの名のた
めに王や総督たちの前に引き出されるでしょう」。
使徒4:17,18:「しかしそうではあるが,民の間にこれ以上広まることがな
いよう,もうこの名によってだれにもいっさい語らぬよう,脅しを加えて命
じておこう』
。そうして彼らを呼び,どこにおいてもイエスの名によって何
か口にしたり教えたりすることはないように,と言い渡した」
。
。
エホバの御名
12
使徒5:28:「言った。『この名によってもう教えてはならないときっぱり
命じておいたのに,見よ,あなた方はエルサレムをあなた方の教えで満たし
てしまい,しかも,この人の血をわたしたちにもたらそうと決めている』」。
使徒5:40-42:「そこでみんなは彼[のことば]に注意を向け,使徒たちを
呼び出してむち打ち,イエスの名によって語るのをやめるようにと命じてか
ら,彼らを去らせた。そのため,これらの者は,彼の名のために辱められる
に足る者とされたことを歓びつつ,サンヘドリンの前から出て行った。そし
て彼らは毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト・イエス
についての良いたよりを宣明し続けた」。
<註>ユダヤ人がイエスを殺害した後は,「家から家へと」宣明した
主要なテーマは,イエス・キリストであって,王国ではありません。
良いたよりの項153-155頁参照。
使徒9:16
「彼がわたしの名のためにいかに多くの苦しみを受けねばなら
ないかを, わたしは彼にはっきり示すのです」。
使徒15:26:「わたしたちの主イエス・キリストの名のために自分の魂を引
き渡した人たちと共に,あなた方のもとに遣わすことがよいと考えました」。
使徒21:13:「するとパウロはこう答えた。『あなた方は泣いたりわたしの
心を弱めたりして,何をしているのですか。わたしは,縛られることばかり
か,主イエスの名のためにエルサレムで死ぬ覚悟さえできているのです』」。
ペテロ第一4:14
「キリストの名のために非難されるなら,あなた方は幸
いです。栄光の[霊],すなわち神の霊があなた方の上にとどまっているか
らです」.。
啓 示 2 3:「またあなた方は忍耐を示しており,わたしの名のために耐えて
一
きた。 そ し て う み 疲 れ た こ と が な い 」 。
啓示2:13:「わたしはあなたが住んでいる所を知っている。それはサタン
の座のある所である。それでもあなたはわたし(イエス)の名をしっかり守
りつづけており,あなた方の傍ら,サタンの住むところで殺された,わたし‐
(イエス)の証人,また忠実な者であるアンテパスの日にも,わたしに対す
る信仰を否定しなかった」。
13
エホバの御名
クリスチャンはだれの名によって共に集まりますか
マタイ18:20:「二人か三人がわたしの名において共に集まっているところ
には,わたしもその中にいるからです」。
コリント第一5:4:「わたしたちの主イエスの名において,あなた方が共に
集まるとき,わたしの霊もわたしたちの主イエスの力と共に[そこにあり]」。
クリスチャンが清められ,神聖なものにされるのはだれの名によりますか
使徒10:43:「この方についてはすべての預言者が証しをし,彼(キリスト)
に信仰を持つ者は皆,その名によって罪の許しを得ると[述べて]います」。
コリント第一6:11:「とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもい
ました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされた
のです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの
神の霊をもって,義と宣せられたのです」。
【要約】
「新世界訳」の新約(ギリシャ語)部分には,237回も「エホバ」が用
いられています。日本においても近年50以上の翻訳がなされています。も
ちろん,新約聖書に「エホバ」が登場するのは「新世界訳」だけです。では,
世界各地に現存する約5,000の新約聖書の写本に,へプライ語のテトラ
グラマトン(mR9)が一つも残っていないのはなぜでしょうか。
み名を復元すべきか
現存する写本にみ名が含まれていないという
事実を考慮すると,翻訳者にはみ名を復元する
権利があると言えるでしょうか。そうする権利が
あると言えます。ほとんどのギリシャ語辞典は,
「#艸鮒紬に糒州0ロッシュア-p.26
エホバの証人は「ご自分のみ名のための民」として,歴史の中で選び出さ
れてきたと主張します。(使徒15:14)もしそうなら,聖書筆者として,
または,写本家として,幾世紀にもわたって新約(ギリシャ語)部分にテト
ラグラマトンを残す努力をしてきた証拠が,写本に残っていなければなりま
せん。従って,新約聖書の主[キュリオス]は,いかなる場合においても,
エホバとは訳出できません。
祈りはだれに
14
◇だれに祈りますか
マタイ6章9節の主の祈りはエホバの証人によっても何度も祈られている
でしょう。もし「わたしたちの天のお父さま」と呼びかけても,天の父を喜
ばせていないとしたら悲劇です。
エホバの証人は自分たちのことを,天の父の子供であるとみなしているで
しょうか。ものみの塔の指導者は組織に属する証人の99%は神の子供では
ないと主張しています。神の子供は14万4,000人に限定しています。14
万4,000人以外の証人は千年期の終りまで忠節を示したら,最後に神から報
いとして「神の子供」になれるかもしれないという教理なのです。
−「ものみの塔」誌1985年12月1日号p、18.−
「イエスがキリストであることを信じる者はみな神から生まれたのであり,
生まれさせた方を愛する者は皆,その方から生まれた者を愛します」。
−ヨハネ第−5:1。−
この聖句にあるように,「みな」ということばは,ある特定のクリスチャ
ンだけに言及しているのではありません。参照聖句ヨハネ1章12節
さて,永遠の命は将来の報いなのかどうか確認してみましょう。
,「そして,神がわたしたちに永遠の命を与えてくださり,この命がそのみ
ぬ
子の内にあるということ,これがそのなされた証しです。み子を持っている
者はこの命を持っています。神のみ子を持っていない者はこの命を持ってい
ません。わたしがこれらのことをあなた方に書くのは,神のみ子の名に信仰
を置くあなた方が永遠の命を持っていることを知らせるためです」。
−ヨハネ第−5:11-13.11節,12節ではすべてのクリスチャンは永遠の命をすでに与えられて
いることが明らかです。一方エホバの証人は,永遠の命をすでに持っている
ことを否定するばかりか,「神のみ子の名に信仰」を働かせません。
従って,エホバの証人は,天の父と本当の親子の関係ではありませんから,
何千回,何万回祈っても聞かれるはずはありません。→ヨハネ第−3:23。
神の御名とは何ですか
一世紀当時,クリスチャンが伝道に用いた聖書はセプトゥアギン夕訳(旧
約聖書のギリシャ語版)でした。セプトゥアギン夕訳にはテトラグラマトン
YHWHのへプライ語を用いているものがあったかも知れません。しかし,
ユダヤ人やすべてのクリスチャンは,テトラグラマトンをアドナイ[主]と
祈りはだれに
15
読んでいたことは歴史的事実として明白です。さらに,写本に注目してみま
すと真実が露見します。例えば,西暦70年のエルサレム陥落の前後の文献や,
考古学的資料にも,また,19世紀間にわたる新約聖書のギリシャ語の写本,
約5,000にも,テトラグラマトンは一つも発見されていません。すなわち,
旧約聖書のギリシャ語版の一部にはテトラグラマトンがあっても,新約聖書
の写本にはYHWHのへプライ語は全然引用されていないことに注目する必
要があります。一世紀のどのクリスチャンもテトラグラマトンをエホバとは
発音しませんでした。クリスチャンにとって,イエス・キリストの名に信仰
を置くことが重要でした。cf.ヨハネ3:16,18,使徒4:12,16:30,31。
もしYHWHのへプライ語が重要なら,「ご自分のみ名のための民」のメ
ンバーであった聖書筆者パウロ,マタイ,ルカたちや,西暦70年以降も活躍
したヨハネやクリスチャンたちが,新約聖書の写本にもmR9を残すこと
に心血を注いだはずです。従って,聖四文字が新約の写本に一つも保存され
ていないという事実は,救われるべき御名とは,イエス・キリストであるこ
とを明解に示しています。
因みに,エホバという発音は13世紀にカトリックの修道士ライムンダス・
マルティーニが考案した人造表現です。人造表現を神の固有のみ名として鬘
めるのは,不敬にならないでしょうか。山下さんに向かって,周囲の人たち
が相談して,川上さんと呼びかけるのが失礼なのと同じです。
「その『あなたの口の中にある言葉』,つまり,イエスは主であるという
ことを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を
働かせるなら,あなたは救われるのです。人は,義のために心で信仰を働か
せ,救いのために口で公の宣言をするからです。聖書は,『彼に信仰を置く
者はだれも失望させられない』と言っています。ユダヤ人とギリシャ人の間
に差別はないからです。すべての者の上に同じ主がおられ,この方はご自分
===========
を呼び求めるすべての者に対して豊かなのです。『エホバの名を呼び求める
者はみな救われる』のです。しかし人は,自分が信仰を持っていない者をど
うして呼び求めるでしょうか。また,自分が聞いたこともない者にどうして
信仰を持つでしょうか。また,宣く伝える者がいなければ,どうして聞くで
しょうか」。一ローマ10:9-14.-良いたよりの項55,155頁参照。
「新世界訳」は13節でヨエル2:32の引用として,キュリオス[主]をエ
ホバに誤訳しています。文脈を見れば,13節のキュリオスはイエスです。
【結論】
1.救いを受けるべき神の名は,イエス・キリストです。
2.祈る際は,「エホバ」を用いる必要はありません。
終りの日
エホバの証人は次の事を信じている。
1.キリストの再臨は1914年の秋に目に見えない形で始まったとする。
(「論じる」p.355-356,dwp.26)
2.キリストの再臨は目に見えない。(「論じる」p.140,dwp.25)
3.生来のイスラエル人に与えられた成就していない預言は「霊的イスラエル」
に適用される。(「論じる」p.409-411,dwp.80)
4.エホバの王国の計画には生来のイスラエル人の回復は含まれない。
(「論じる」p.409,dwp.80)
新約聖書(ギリシャ語聖書)に24回登場するギリシャ語「パルーシア」は目に
みえない臨在を裏付けているでしょうかそれとも目に見えますか
マタイ24
3:「あなたの臨在(パルーシア)…のしるしには何があります
。■■■■■■■■■■■■
か」。
ロ■■■■■■
マタイ24:27:「稲妻が東の方から出て西の方に輝き渡るように,人の子の
臨在(パルーシア)もそのようだからです」。
−
マタイ24:39:「そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませ
んでしたが,人の子の臨在(パルーシア)の時もそのようになるのです」。
■■■■■■■■■■■■■■
コリント第一15:23:「初穂なるキリスト,その後, その臨在(パルーシア)
−
の間に,キリストに属する者たちです」。
<註>復活の項150頁参照,携挙の項
159-160頁参照。
コリント第一16:17:「それにしても,わたしは,ステファナとフォルトナ
トとアカイコが共にいてくれること(パルーシア)を歓んでいます。彼らは,
あなた方がここにいない分を補ってくれたからです」。
コリント第二7:6:「神は,テトスをそこにいさせること(パルーシア)に
よってわたしたちを慰めてくださったのです」。
コリント第二7:7:「ですがそれは, 彼 ( テ ト ス ) が い た と い う こ と ( パ ル
−シア)だけによるのではなく」。
−16一
キリストの再臨
17
コリント第二10:10: 「[彼(パウロLの]手紙は重々しくて力強いが,身
■■■■■■■
を も っ て そ こ に い る 様 (パルーシア)は弱々しく」。
<註>パルーシアが用いられる場合、目に見えることが明らかです。
フィリピ1:26:「わたしのゆえに, わたし(パウロ)が再びあなた方のも
とにいること(パルーシア)により」
◎
フィリピ2:12:「従ってきましたが,つまり,わたし(パウロ)のいる(パ
ルーシア)時だけでなく,わたしのいない今いよいよ進んで」。
テサロニケ第一2:19:「わたしたちの主イエスのみ前, そ の 臨 在 ( パ ル ー シ
■■■■■■■■■■■■■■■■■
ア)の際に,わたしたちの希望,喜び」。
テサロニケ第一3:13:「その聖なる者たちすべてを伴ったわたしたちの主
イエスの臨在(パルーシア)の際に」。
−
テサロニケ第一4:15:「主の堕廷(パルーシア)の時まで生き残るわたした
ち生きている者は死んで眠っている者たちに決して先んじないということ」。
テサロニケ第一5:23:「わたしたちの主イエス.キリストの臨在(パルーシ
ー
ア)の際にとがめのないものでありますように」。
テサロニケ第二2:8
「まさにその時になると,不法の者が表わし示されま
す が , … そ の 臨 在 (パルーシア)の顕現によってこれを無に至らせるので
す」。
■■■■■■■■
テサロニケ第二2:9:「不法の者が存在す苞(パルーシア)のはサタンの働
きによるのであり」。
ヤコブ5:7:「主の塵廷(パルーシア)の時まで辛抱しなさい」。
ヤコプ5:8:「心を強固にしなさい。主の堕廷(パルーシア)が近づいたか
らです」。
ペテロ第二1:16:「わたしたちが,わたしたちの主イエス・キリストの力
と堕廷(パルーシア)についてあなた方に知らせた」。
キリストの再臨
18
ペテロ第二3:4:「この約束された彼の臨在(パルーシア)はどうなってい
−
るのか。わたしたちの父祖が[死の]眠りについた,日から」。
ペテロ第二3:12:「エホバの日の臨在(パルーシア)を待ち,[それを]し
と
つかりと思いに留める者となるべきではありませんか。その[日]に天は燃
えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶けるのです」。
ヨハネ第一2:28,3:2:「では今,子供らよ’彼と結ばれたままでいなさい。
彼(キリスト)が現わされる時,その臨在(パルーシア)の際に,わたした
ちがはばかりのない言い方ができ,恥を被って彼から退かなくてもよいよう
にするためです。…愛する者たちよ,今や.わたしたちは神の子供です。し
かし,わたしたちがどのようになるかはまだ明らかにされていません。彼が
現わされる時にわたしたちが彼のようになることは知っています。彼のある
がままを見るからです」。
キリストは現在も目に見えない様で臨在しておられますか
マタイ18:20:「二人か三人がわたしの名において共に集まっているところ
には,わたしもその中にいるからです」。
マタイ28:20:「わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と
共にいるのです」。
キリストの再臨は天から地上に戻られることを意味しますか
使徒1:9,11,12:「[イエス]は挙げられ,…「ガリラヤの人たちよ,な
ぜ空を眺めて立っているのですか。あなた方のもとから空へ迎え上げられた
このイエスは,こうして,空に入って行くのをあなた方が見たのと同じ様で
来られるでしょう』。そこで彼らは,オリーブ山と呼ばれる山からエルサレ
ー
ムに帰った。そこはエルサレムにほど近く,安息日の道のりである」。
=ゼカリヤ14:4:「またその足は,その日に,エルサレムの正面,その東側
にあるオリーブの山の上にまさに立つ」。
<註>オリンピックがどこかの都市で開催される時,通信衛星を通し
て,世界同時中継が可能となります。人間の技術で世界中が同時に
「見る」ことができるなら,神(イザヤ9:6)であるイエスにとって,
一度に世界中に現れることは容易であるにちがいありません。
キリストの再臨
19
使徒3:21:「天はこの方を…すべての事柄の回復の時まで,その内にと
どめておかなければなりません」。
ぬし
フィリピ3:20:「天にあり,わたしたちはまた,そこから救い主,主イェ
ス・キリスト[が来られるの]を切に待っています」。
かしら
テサロニケ第一4:16:「主ご自身が号令とみ使いの頭の声また神のラッパ
と共に天から下られる」。
<註>「号令」は,ヨハネ5:28の「彼の声」と同じです。
<註>ミカエルの項151-152頁参照。
テサロニケ第二1:7:「主イエスがその強力なみ使いたちを伴い,燃える火
のうちに天から表わし示される時」。
−
キリストは人間の目に見える様で戻られますか
こうや
マタイ24:26,27:「それゆえ,人々が,『見よ,彼は荒野にいる』と言っ
ても,出て行ってはなりません。『見よ,奥の間にいる』[と言っても],
■■■■■■■■■■■■■■■■■
それを信じてはなりません。稲妻が東の方から出て西の方に輝き渡るように,
人の子の臨在(パルーシア)もそのようだからです」。
マタイ24:30:「またその時,人の子のしるしが天に現われます。そしてそ
の時,地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき,彼らは,人の子が
力と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来るのを見るでしょう」。
マルコ13:26:「またその時,人々は,人の子が大いなる力と栄光を伴い,
雲のうちにあって来るのを見るでしょう」。
<註>「見る」とは,文字通り見ることです。18,33,54頁参照。
ルカ17:24:「稲妻は,そのひらめきによって,天の下の一ところから天の
下の別のところに輝きわたりますが,人の子もちょうどそのようだからです」。
ルカ21:27:「そのとき彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,雲のう
ちにあって来るのを見るでしょう」。
テモテ第一6:14:「わたしたちの主イエス・キリストの顕現の時まで」。
キリストの再臨
20
テモテ第二4:8:「義の冠がわたしのために定め置かれています。それは,
義なる審判者である主が,かの日に報いとしてわたしに与えてくださるもの
です。しかし,わたしだけにではなく,その顕現を愛してきたすべての人に」。
テトス2:13:「そしてわたしたちは,幸福な希望と,偉大な神およびわた
−
したちの救い主キリスト。イエスの栄光ある顕現とを待っているのです」。
へプライ9:28:「彼(キリスト)が二度目に現われるのは罪のことを離れ
てであり,それは,
[自分の]救いを求めて切に彼を待ち望む者たちに対し
てです」。
ヨハネ第一2:28:「では今,子供らよ'彼と結ばれたままでいなさい。彼
一
が現わされる時,その臨在(パルーシア)の際に,わたしたちがはばかりの
ない言い方ができ,恥を被って彼から退かなくてもよいようにするためです」。
ヨハネ第一3:2:「彼が現わされる時にわたしたちが彼のようになること」。
啓示1:7:「彼は雲と共に来る。そしてすべての目は彼を見るであろう」。
=ゼカリヤ12:10:「彼らは必ず自分たちが刺し通した者を見つめ」。
<註>「見る」とは,認めるとか,理解するという意味でしょうか。
また,雲は不可視性の象徴なのでしょうか。ゼカリヤ12:10の預言で
用いられている「見つめる」のヘブライ語は,文字通り肉眼で再臨を
見ることができるという意味です。18,33頁参照。
旧約聖書ではイスラエルの民の将来の回復や祝福について何と述べていますか
たれ
創世記3:15:「そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤と
かしら
の間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」
<註>創世記37:9,10でイスラエルの民は「太陽と月と十一の星」と
象徴的に扱われており,啓示12:1,5では,そのイスラエルの民から
イエス・キリストが現れることを描写しています。
創世記13:14,15:「そして,ロトが彼と別れた後に,エホバはアブラハム
にこう言われた。『どうか,目を上げて,あなたのいる場所から,北,南,
東,西の方を見るように。あなたの見ているすべての土地,わたしはそれを
あなたとあなたの胤に定めのない時に至るまで与えるからである』」。
0
キリストの再臨
創世記15:18:「その日,エホバはアブラムと契約を結んで,こう言われた。
『あなた(アプラハム)の胤にわたしはこの地を与える。エジプトの川から,
かの大川,ユーフラテス川まで』」。
<註>エジプトの川(ナイル川)からユーフラテス川までの領域をイ
スラエルの民は支配したことがあるでしょうか。①モーセに率いられ
てエジプトから帰還した時も,②ダビデ,ソロモンの支配中にも,③
バビロンから帰還したときも,④1948年にイスラエル共和国が設
立された時点でも,この預言(アブラハム契約)はまだ成就していま
せん。神は必ず約束を守られる方です。cf・イザヤ55:11。
創世記17:7,8:「そしてわたしは,わたしとあなたおよびあなたの後の代
々にわたるあなたの胤との契約を,定めのない時に至る契約として履行し,
わたしがあなたとあなたの後の胤に対して神であることを示す。そしてわた
しは,あなたとあなた(アブラハム)の後の胤に,あなたが外国人として住
んでいる土地を, すなわちカナンの全土を定めのない時に至る所有として与
皇_皇。わたしが彼らに対して神であることを示すのである」。
サムエル第二7:16:「そして,あなたの家と塾なた(ダビデ)の王国は確
かにあなたの前に定めのない時までも動くことがなu。あなたの王座は,定
めのない時までも堅く立てられたものとなる」。
詩編147:19,20:「[神]はみ言葉をヤコプに,その規定と司法上の定めを
イスラエルに告げておられる。[抄]はほかのどの国民にもそのようにはな
さらなかった」。
イザヤ2:1-4:「アモツの子イザヤがユダとエルサレムに関して幻で見た事
そして,末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く据えら
れ,もろもろの丘より上に必ず高められ,:すべての国の民は必ず流れのよう
にそこに向かう。そして多くの民は必ず行って,こう言う。『来なさい。エ
ホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。[神]はご自分の道についてわたし
たちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう』。律法はシオ
ンから,エホバの言葉はエルサレムから出るのである。そして,神は諸国民
の中で必ず裁きを行ない,多くの民に関して事を正される。そして,彼らは
その剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなく
なる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない」。
<註>ハルマゲドンの7年前に,ユダヤ人は世界各地から帰還します。
21
キリストの再臨
22
イザヤ11:9,11,12:「それらはわたしの聖なる山のどこにおいても,害す
ることも損なうこともしない。水が海を覆っているように,地は必ずエホバ
についての知識で満ちるからである。…そして,その日,エホバは再び,
二度目に手を差し伸べて,アッシリア,エジプト,パトロス,クシュ,エラ
ム , シ ナ ル , ハ マ ト , 海の島々から残っているご自分の民の残りの者を得る
のである。また,諸国の民のために必ず旗じるしを掲げ,ゴスラエルの追い
散らされた者たちを集め,ユダの散らされた者たちを地の四方の果てから集
められる」。
ばんぐん
イザヤ25:6-10:「そして,万軍のエホバはすべての民のために,この山
おり
で,油を十分に用いた料理の宴を必ず催される。それは,津[の上にたくわ
おり
えられたぶどう酒],髄と共に油を十分に用いた料理,津[の上にたくわえ
られ],こされた[ぶどう酒]の宴である。そして[神]はこの山で,すべ
ての民を覆い包んでいる覆いの顔と,すべての諸国民の上に織り合わされて
いる織物を必ず呑み込まれる。[神]は実際に死を永久に呑み込み,主権者
なる主エホバはすべての顔から必ず涙をぬぐわれる。また,ご自分の民のそ
しりを全地から取り去られる。エホバご自身が[そう]語られたからである。
そして,人はその日,必ず言うであろう,『見よ,これがわたしたちの神で
ある。わたしたちは[神]を待ち望んだので,[神]はわたしたちを救って
くださる。これがエホバである。わたしたちはこの方を待ち望んだ。わたし
たちは喜びに満ち,その救いを歓ぽう』。エホバのみ手が三の山にとどまる
からである」。
イザヤ27:6:「来るべき[日]に,ヤコブは根づき,イスラエルは花を咲
かせ,実際に芽を出すであろう。そして,彼らは産出的な地の表を産物でい
っぱいに満たす」。
イザヤ33:20,24:「わたしたちの祭りのときの町,シオンを見よ!あな
たの目は,エルサレムがかき乱されることのない住まいであ廷,だれも畳む
ことのない天幕であるのを見る。その天幕用留め杭は決して引き抜かれず,
その綱もひとつとして断ち切られることはない。…そして,『わたしは病
気だ』と言う居住者はいない。[その地]に住んでいる民は,自分のとがを
赦された者たちとなるのである」。
イザヤ35:5-10:「その時,盲人の目は開かれ,耳の聞こえない者の耳も開
けられる。その時,足のなえた者は雄鹿のように登って行き,口のきけない
キリストの再臨
23
こうや
者の舌はうれしさの余り叫びを上げる。荒野に水が,砂漠平原に奔流が噴き
出るからである。そして,熱で渇き切った地は葦の茂る池となり,渇いた地
は水の泉と[なる]からである。ジャッカルの住まい,[その]休み場には,
葦やパピルスの植物と共に青草があるであろう。そして,そこには必ず街道
が,道が生じ,それは“神聖の道”と呼ばれるであろう。清くない者がそこ
を通って行くことはない。そして,それは道を行く者のためのものであり,
愚かな者が[そこを]うろつくことはない。ライオンもそこにはいない。飽
くことを知らない野獣もそこに上って来ることはない。どれもそこには見い
だされない。買い戻された者たちは必ず[そこを]歩く。そして,エホバに
よって請け戻された者たちが帰って来て,歓呼の声を上げつつ必ずシオンに
こつJ,
来るであるユ。定めのない時まで続く歓びが彼らの頭の上にあるであろう。
彼らは歓喜と歓びを得,悲嘆と溜め息は必ず逃げ去るのである」。
イザヤ45:17:「一方ゴスラエルは,エホバと共にあって,定めのない時に
わたり必ず救いをもって救われる。あなた方は恥じることなく,とこしえの
定めのない時にわたって辱めを受けることもない」。
イザヤ52:1:「シオンよ’覚めよ,覚めよ,あなたの力を着よ!エルサ
レム,聖なる都市よ’あなたの美しい衣を着よ!割礼を受けていない汚れ
た者は,もはや再びあなたのもとに入って来ないからである」。
イザヤ65:17-21,24,25:「『いまわたしは新しい天と新しい地を創造して
いるからである。以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもな
い。しかし,あなた方はわたしが創造しているものに永久に歓喜し,[それ
を]喜べ。いまわたしは,エルサレム.を喜びのいわれ,その民を歓喜のいわ
れとして創造しているからである。そして,わたしはエルサレムを喜び,わ
たしの民に歓喜する。その中で泣き声や,悲しげな叫び声が聞かれることは
もはやない。数日しか生きない乳飲み子も,自分の日を全うしない老人も,
その場所からはもはや出ない。人は百歳であっても,ほんの少年として死ぬ
つみびと
からである。罪人については,その者が百歳であっても,その身の上に災い
を呼び求められるであろう。そして,彼らは必ず家を建てて住み,必ずぶど
う園を設けてその実を食べる。…そして,彼らが呼ばわる前に,わたし自
身が答え,彼らがまだ話しているうちに,わたし自身が聞くことになる。お
おかみと子羊が一つになって食べ,ライオンは雄牛のようにわらを食べる。
蛇に関しては,その食物は塵となる。これらはわたしの聖なる山のどこにお
いても,害することも損なうこともしない』と,エホバは言われた」。
キリストの再臨
24
イザヤ66:20,22:「そして,彼らはすべての国の民の中から,あなた方の
兄弟を皆エホバへの供え物として,馬,兵車,覆いの付いた車,らば,速足
の雌のらくだに載せて,わたしの聖なる山,エルサレムに実際に連れて来る
であろう』と,エホバは言われた,『イスラエルの子らが清い器に供え物を
入れて,エホバの家に携えて来るように。..、わたしの造っている新しい天
と新しい地がわたしの前に立っているのと同じように』と,エホバはお告げ
になる,『あなた方の子孫とあなた方の名も立ちつづけるからである』」。
エレミヤ3:17,18:「その時,彼らはエルサレムをエホバの王座と呼ぶ。す
−
べての国の民はそのもとに,エルサレムのエホバのみ名のもとに必ず集めら
れ,自分たちの悪い心の強情さに従って歩むことはもはやない。その日,彼
らは,ユダの家はイスラエルの家と共に歩き,彼らは共に北の地から出て,
わたしがあなた方の父祖たちに世襲所有地として与えた地にやって来る」。
エレミヤ23:3-8:「『そして,わたしはわたしの羊の残りの者を,わたし
が彼らを追い散らしたすべての地から集めるであろう。わたしは彼らをその
牧草地に連れ戻す。彼らは必ずよく生んで,多くなる。そして,わたしは彼
らを実際に牧する牧者たちを彼らの上に起こす。…『見よ,日がやって来
る」と,エホバはお告げになる,『わたしはダビデにひとつの義なる新芽を
起こす。そして,ひとりの王が必ず治め,思慮深く行動し,この地に公正と
義を行なうであろう。彼の日にユダは救われ,イスラエルも安らかに住むで
あろう。そしてこれが,すなわち,“エホバはわたしたちの義”[という
名]が,彼(キリスト)の呼ばれる名となるであろう』。『それゆえ,見よ,
日がやって来る」と,エホバはお告げになる,『彼らはもはや,「イスラエ
ルの子らをエジプトの地から連れ上ったエホバは生きておられる」とは言わ
ず,むしろ,「イスラエルの家の子孫を北の地から,また,わたしが彼らを
追い散らしたすべての地から連れ上り,導き入れたエホバは生きておられる」
と[言うようになり],彼らは必ず自分たちの土地に住むであろう』」。
<註>「義なる新芽」とは,イエス・キリストの事です。
エレミヤ33:14-16:「『見よ,日が来ようとしている』と,エホバはお告
げになる,『わたしは,イスラエルの家とユダの家とに関し,わたしの語っ
た良い言葉を必ず成し遂げるであろう。…その日,ユダは救われ,エルサ
レムも安らかに住むであろう...』」。
<註>歴史上,ユダヤ人が「安らかに住む」ことはありませんでした。
ハルマゲドンの7年前に中東和平が実現します。160-162頁参照。
キリストの再臨
25
エゼキエル16:60:「だが,わたしは,このわたしは,あなたの若い日のあ
なたとの契約を必ず思い出し,あなたのために定めなく存続する契約を必ず
立てる」。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
エゼキエル21:25-27:「そして,致命的な傷を負ったイスラエルの邪悪な
おさ
長(ゼデキヤ王)よ,その日が終りのとがの時に来たあなたについて,主権
者なる主エホバはこのように言われた。『ターバンを取り除き,冠を取り外
せ。これは同じではなくなるであろう。低いものを高くし,高い者を低くせ
よ。わたしはそれを破滅,破滅,破滅とする。これについてもまた,それは
法的権利を持つ者(キリスト)が来るまで,決して[だれのものにも]なら
ない。わたしはその者に[これを]必ず与える』」。
<註>異邦人の時が終わって,キリストが再臨なさる時に成就します。
エゼキエル37:25:「そして彼らは,わたしがわたしの僕に,ヤコブに与え
た地,あなた方の父祖たちが住んだ[地]の上に実際に住むであろう。彼ら
は,彼らとその子らとその子らの子らとは,実際にそこに定めのない時に至
るまで住み,わたしの僕ダビデ(キリスト)は,定めのない時に至るまで彼
らの長となるであろう」。
ホセア3:5:「後にゴスラエルの子らは戻って来て,自分たちの神エホバを
また自分たちの王ダビデを必ず求めるであろう。末の日に,彼らはエホバ
のもとに,その善良さのもとにわななきながらや_って来るのである」
。
ヨエル2:32:「しかし,エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れるこ
とになる。エホバの述べたとおり,ヱオンの山とエルサレムに,また生き残
つた者たちの中に逃れ出た者たちがいるからであり,その者たちをエホバは
呼び寄せているのである」。
ヨエル3:20:「しかしユダには,定めのない時に至るまで人が住む。また
エルサレムには代々にわたって」。
びと
アモス9:14,15:「そしてわたしは自分の民イスラエルの捕らわれ入たちを
再び集め,彼らは荒廃した都市をまさしく立て直して[そこに]住み,ぷど
う園を設けてそのぶどう酒を飲み,園を造ってその実を食べるであろう。そ
してわたしは彼らを必ずその土地に植え,彼らはわたしが与えたその土地か
4■■■■■■■
らもはや抜き取られることはない』と,あなたの神エホバは言われた」。
キリストの再臨
26
オバデヤ15,17:「あらゆる国の民に対するエホバの日が近いからである。
…シオンの山には逃れて来る者たちがいるであろう。そこは必ず聖なる所
とされるのである。そしてヤコプの家はその取得すべき物を取得しなければ
ならない」。
<註>シオン(ダビデが契約の箱を置いた丘)はエルサレムの別称です。
ミカ4:1-4,7:「そして,末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂
より上に堅く据えられ,もろもろの丘より上に必ず高められる。もろもろの
民は必ず流れのようにそこに向かう。そして,多くの国の民が必ず行って,
こう言う。『来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。[神]は
ご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道
筋を歩もう』。律法はシオンから,エホバの言葉はエルサレムから出るので
ある。そして,[神]は多くの民の間で必ず裁きを行ない,遠く離れた強大
な国々に関して事を正される。それで彼らはその剣をすきの刃に,その槍を
刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣
を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。そして彼らはまさに,各々自分の
ぶどうの木の下,自分のいちじくの木の下に座り,[これを]おののかせる
者はだれもいない。万軍のエホバの口が[これを]語ったのである。...そ
してわたしは必ず,びっこを引いていたその者を残りの者とし,遠くへ移さ
れていたその者を強大な国民とする。そしてエホバはシオンの山においてま
さに王として彼らを治める。今から定めのない時に至るまで」。
ゼパニア3:8,9,14-17:「わたしの司法上の決定は,諸国民を集め,わたし
がもろもろの王国を集め寄せて,その上にわたしの糾弾を,わたしの燃える
怒りをことごとく注ぐことだからである。わたしの熱心の火によって全地は
むさぼり食われるのである。その時わたしはもろもろの民に清い言語への変
化を与える。それは,すべての者がエホバの名を呼び求め,肩を並べて[神]
に仕えるためである。…シオンの娘よ,喜びの叫びを上げよ。イスラエル
一
よ’歓呼せよ。エルサレムの娘よ,心のかぎり歓びかつ歓喜せよ。エホバは
あなたに対する裁きを取り除かれた。あなたの敵を退けてくださった。イス
ラエルの王エホバがあなたの中におられる。あなたはもはや災いを恐れない。
その日エルサレムに向かってこう言われる。『シオンよ’恐れてはいけない。
あなたの手を垂れ下がらせてはいけない。あなたの神エホバがあなたの中に
おられる。強大な方であり,救いを施してくださる。歓びを抱いてあなたの
ことを歓喜される。その愛のうちに沈黙される。幸福な叫びを上げてあなた
のことを喜ばれる』」。
27
キリストの再臨
ハガイ2:6,7,9:「万軍のエホバはこのように言われたのである。『あと一
度−それはしばらくのことであるが一わたしは天と地と海と乾いた地とを激
動させる』。『またわたしはあらゆる国民を激動させる。あらゆる国民のう
ちの望ましいものが必ず入って来る。わたしはこの家を栄光で満たす』 と
,
−
万 軍 の エ ホ バ は 言 わ れ た 。 … 『 こ の , 後 の 家 の 栄 光 は , 先 [ の も の ] より
大いなるものとなる』と,万軍のエホバは言われた。『そして,この所にわ
たしは平和を与える』と,万軍のエホバはお告げになる」。
ゼカリヤ2:10-12:「『シオンの娘よ,声高らかに叫び,また歓べ。今わた
−
しは来て,あなたのうちに住むからである』と,エホバはお告げになる。
『またその日,多くの国の民が必ずエホバのもとに加わり,まさしくわたし
の民となる。わたしはあなたのうちに住む』。それであなたは,万軍のエホ
(自らわたしをあなたにお遣わしになったことを必ず知るであろう」。
ゼカリヤ8:20-23:「万軍のエホバはこのように言われた。『今後,もろも
ろの民また多くの都市の住民がやって来るであろう。一つの[都市の]住民
が必ず別の[都市の住民]のところに行って,こう言う。「さあ,真剣な気
持ちで行ってエホバの顔を和め,万軍のエホバを求めようではないか。わた
し自身も一緒に行く」。こうして多くの民また強大な国民がまさにやって来
て,エルサレムで万軍のエホバを求め,エホバの顔を和めようとするであろ
う』。万軍のエホバはこのように言われた。『その日には,諸国のあらゆる
言語から来た十人の者が,ユダヤ人である一人の者のすそをとらえ,まさし
くとらえてこう言う。「わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた
方と共におられることを聞いたからです」』」。
ゼカリヤ12:9,10:「そしてその日,わたしはエルサレムに攻めて来る国々
の民をすべて滅ぼし尽くそうとする。またわたしは−ダビデの家とエルサレ
ムに住む者たちの上に恵みと懇願の霊を注ぎ出す。彼らは必ず自分たちが刺
し通した者を見つめ,一人[子]について泣き叫ぶかのように彼について泣
き叫ぶ。また,初子のための激しい嘆きの時のような激しい嘆きがその者に
関してある」。
ゼカリヤ14:3,4,16,17:「そしてエホバは必ず進み出てそれら諸国民と戦
い,ご自分の戦いの日,戦闘の日のようにされる。またその足は,その日に,
エルサレムの正面,その東側にあるオリーブの山の上にまさに立つ。そして,
オリーブの山はその真ん中のところで,日の出の方から西に向かって裂ける
キリストの再臨
28
ことになる。非常に大きな谷ができるであろう。山の半ばはまさしく北に移
り,その半ばは南に[移る]。…また,必ずこうなる。[すなわち],エ
ルサレムに攻めて来るあらゆる国民のうち残っているすべての者,その者た
ちもまた年ごとに上って行って王なる万軍のエホバに身をかがめ,仮小屋の
祭りを祝わなければならない。そして必ずこうなる。すなわち,地のもるも
ろの家族のうち,エルサレムに上って来て王なる万軍のエホバに身をかがめ
ない者がいれば,その者たちの上に,降り注ぐ雨が生じることはない」。
ゼカリヤ14:4:「その足は,その日に,エルサレムの正面,その東側にあ
るオリーブの山の上にまさに立つ」。
= 使 徒 1:9,11,12:「そして,これらのことを言われたあと,彼らが見守る
中で,
[イエス]は挙げられ,雲に取り上げられて彼らから見えなくなった。
−
…『..、あなた方のもとから空へ迎え上げられたこのイエスは,こうして,
−
空に入って行くのをあなた方が見たのと同じ様で来られるでしょう』。そこ
で彼らは,オリーブ山と呼ばれる山からエルサレムに帰った」。
新約聖書はイスラエルの民の回復と祝福について何と述べていますか
マタイ5:35:
「エルサレムにかけても,なぜならそれは大いなる王の都市
だからです」。
マタイ10:23:「人の子が到来するまでにあなた方がイスラエルの諸都市を
回り尽くすことは決してないからです」。
マタイ19:28:「あなた方自身も十二の座に座り,イスラエルの十二の部族
を裁くでしょう」。
マタイ23:38,39:「見よ,あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられて
います。あなた方に言いますが,『エホバのみ名によって来るのは祝福され
た者!』と言うときまで,あなた方は今後決してわたしを見ないでしょう」。
ルカ1:31-33:「見よ,あなたは胎内に[子]を宿して男の子を産むでしょ
う。あなたはその名をイエスと呼ぶのです。これは偉大な者となり,至高者
の子と呼ばれるでしょう。エホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王
としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終りはあり
ません」。
キリストの再臨
29
ルカ13:34,35:「エルサレム,エルサレム,…わたしは幾たびあなたの
子供たちを集めたいと思ったことでしょう。それなのに,あなた方は[それ
を]望みませんでした。見よ,あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられ
ています。あなた方に言いますが,『エホバのみ名によって来るのは祝福さ
れた者』と言うときまで,あなた方は決してわたしを見ないでしょう」。
ルカ21:24:「
珊人の時)が厩
る ま で , 諸国民に踏みにじられるのです」。
諸国民
使徒1:6,7:「『主よ,あなたは今この時に,イスラエルに王国を回復され
るのですか』。[イエス]は彼らに言われた,『父がご自分の権限内に置い
ておられる時また時期について知ることは,あなた方のあずかるところでは
ありません』」。
使徒3:19-21:「ですから,あなた方の罪を塗り消していただくために,悔
い改めて身を転じなさい。さわやかにする時期がエホバのみもとから到来し,
あなた方のために任命されたキリスト,イエスを遣わしていただけるように
するためです。まさに,玉はこの方を,神が昔のご自分の聖なる預言者たち
の口を通して語られたすべての事柄の回復の時まで,その内にとどめておか
なければなりません」。
ローマ11:25-29:「兄弟たち,あなた方が[ただ]自分の目から見て思慮
深い者とならないために,わたしはあなた方がこの神聖な奥義について無知
でいることがないようにと願うのです。すなわち,諸国の人たちが入って来
てその人たちの数がそろうまで,感覚の鈍りがイスラエルに部分的に生じ,
こうして全イスラエルが救われることです。まさに書かれているとおりです。
『救出者がシオンから出て,不敬虐な習わしをヤコプから遠ざける。そして,
わたしが彼らの罪を取り去る時,これが彼らに対するわたしの契約である」。
確かに,良いたよりについて言えば,彼らはあなた方の益のために敵となっ
ていますが,卸の選びについて言えば,彼らはその父祖たちの益のために愛
されています。神の賜物と召しとは, 神が悔やまれる事柄ではないからです」
<註>「諸国の人たち…部分的に生じ」は,新改訳などでは,「そ
の奥義とは,イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完
成のなる時まてであり」と字義通りに訳出されています。
啓示7:4:「それはナ四万四壬であり,ユスラエルの子らのすべての部族の
。
キリストの再臨
30
者たちが証印を押された」。
啓示12:1,5:「また,大きなしるしが天に見えた。それは太陽で身を装っ
た女で,月がその足の下にあり,頭には十二の星の冠があって」。
創世記37:9,10:「そののち彼はさらに別の夢を見,それについても兄弟た
ちに話して,こう言った。『聞いてください,わたしはもう一度夢を見まし
た。そうです,太陽と月と十一の星がわたしに身をかがめていたのです』。
そして彼は兄弟(十一の部族)たちだけでなく父(イスラエル)にもそれを
話した。すると父は彼を叱って言った,『お前の見たこの夢はどういうこと
なのか。わたしが,そしてお前の母や兄弟たちがきっとやって来て,お前に
対して地に身をかがめると言うのか』」。
啓示14:1:「シオンの山に立っており,彼と共に2十四万四千人」。
啓示20:9:「そして,彼らは地いつぱいに広がって進み,聖なる者たちの
宿営と愛されている都市を取り囲んだ。しかし,天から火が下って彼らをむ
さぼり食った」。
<註>イザヤ52:1に登場している「聖なる都市」のエルサレムと同
一です。
エホバの証人が信じている事として,1914年のキリストの再臨に伴う教理に
何がありますか
1.啓示の預言の成就
啓示1:10:「わたしは霊感によって主の日に来ており」。
a・封印,ラッパそして鉢による裁き。啓示6,8,16章
b.14万4000人が証印を押される。啓示7:3-8
c・第一の復活。啓示20:4-6
..神の王国の誕生。啓示12:5
2.マタイ24章,マルコ13章,ルカ21章の「一つの世代」に起きる終
りの日の出来事が成就する。世界大戦,大地震,飢鐘,不法,病気など
が増大し,対処しにくい危機の時代となります。
3.羊とやぎを分ける
マタイ25:31,32:「人の子がその栄光のうちに到来し,…彼は,羊飼
いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます」。
31
キリストの再臨
キリストがどの年に戻られるかを知ることは可能ですか
マタイ24:42:「あなた方は,自分たちの主がどの日に来るのかを知らない
からです」。
マタイ24:44:「あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです」。
使徒1:6,7:「『主よ,あなたは今この時にユイスラエルに王国を回復され
るのですか』。[イエス]は彼らに言われた,『父がご自分の権限内に置い
ておられる時また時期について知ることは,あなた方のあずかるところでは
ありません』」。
わたしたちは終りの日にキリストの再臨が予め予告されることを予期すべきです
か
ルカ21:8,9:「惑わされないように気を付けなさい。多くの者がわたしの
名によってやって来て,『わたしがそれだ』とか,『その時が近づいた』と
か言うからです。そのあとに付いて行ってはなりません。さらに,戦争や無
秩序な事態について聞いても,恐れおののいてはなりません。これらはまず
必ず起きる事だからです。しかし,終わりはすぐには来ないのです」。
テサロニケ第二2:1-3:「しかし,兄弟たち,わたしたちの主イエス・キリ
ストの臨在,またわたしたちがそのもとに集められることに関して,あなた
方にお願いします。エホバ(キュリオスー主)の日が来ているという趣旨の
霊感の表現や口伝えの音信によって,またわたしたちから出たかのような手
紙によって,すぐに動揺して理性を失ったり,興奮したりすることのないよ
うにしてください。だれにも,またどんな方法によってもたぷらかされない
ようにしなさ、1.なぜなら,まず背教が来て,不法の人つまり滅びの子が表
わし示されてからでなければ,それは来ないからです」。
<註>「主の日」とは,コリント第−1:7,8にあるように,「主イエ
ス・キリストの日」のことです。「不法の人(単数)」,「減びの
子」とは,反キリスト(単数)のことであり,マタイ24:15,ダニエ
ル9:27の「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」と言い表されています。
従って,ハルマゲドンに近いとはいえ,反キリストがまだ顕現してい
ない現代は,イエスが再臨なさっているとは断定できません。
預言の項159,165頁参照。
32
キリストの再臨
【要約】
キリストの「目に見えない」再臨はいつか
ものみの塔の教えは,左右に揺れ動いています。dwp、25,26
①「主イエス再臨の時日は,1874年より始まりて」
「創造」昭和4年発行(英文1927年)p.419
②「1914年に於ける,主イエスの再臨の時まで」
「保護」昭和8年発行(英文1932年)p.45
③「此の1879年頃に於て主イエスの臨在が見え始め」
「光」第一巻昭和8年発行p.13
④「1943年,ものみの塔聖書冊子協会は,『真理はあなたがたを自由にす
る』と題する本を発行しました。同書は『時の計算』と題す…その結果,
人類生存の六千年の終わりは,1970年代の10年間の時期に移されるこ
とになりました。それで当然のこととして,西暦1874年を主イエス・キ
リストの再来およびその目に見えない臨在つまりパルーシアの始まりの年と
する考えは葬り去られました」
「神の千年王国は近づいた」(1974年発行)p.208-209
ものみの塔協会は1870年頃から50年間に渡って,「真理」として
「1874年」説を教えてきました。しかし,1930年代になりますと,
再臨についての考えが波のように左右に揺れたり,また戻ったりしました。
「神の立琴」の1937年版(英文)のp.235によりますと,1874年に
イエス・キリストの再臨が始まったと再び訂正しました。1943年になっ
てやっと1874説は,葬り去られたのです。その結果,日本で戦時中投獄
されていた,忠実を保った灯台社の主だったメンバーたちは,戦後釈放後,
1947年7月15日,再臨説の大きな変化につまずき,組織から離れました。
dwp、68
33
キリストの再臨
キリストの再臨に関して,聖書は混乱しているのでしょうか
ものみの塔協会が,みことばに忠実ならば,こんな醜態は演じなかったはず
です。聖書ははっきりと,イエス・キリストの再臨は目に見えるものであり,
誤って理解されることはないと示しています。
こうや
「それゆえ,人々が,『見よ,彼は荒野にいる』と言っても,出て行って
はなり,ません。『見よ,奥の間にいる』[と言っても],それを信じてはな
りません」。−マタイ24:26.−
一般の人の目につかない孤立したところにおられるとか,選ばれた少数の
残りの者にしかわからない臨在であるとか,まことしやかに言われても信じ
てはいけないとイエスは警告されました。イエスの到来は,「稲妻が東の方
から出て西の方に輝き渡るように,人の子の臨在(パルーシア)もそのよう
だからです」。一マタイ24:27.−と書かれていますように,明確に,また,
長時間をかけずに,だれにでもはっきり見ることができる再臨です。
マタイ24:24では,イエスの再臨を反聖書的にする実体について預言され
ています。「侭キリストや偽預言者が起こり,できれば選ばれた者たちをさ
え惑わそうとして,大きなしるしや不思議を行なうからです」。
キリストは山上の垂訓のマタイ7:20で,「あなた方はその実によってそ
れら[の人々]を見分けるのです」。と基準を教えられました。「実」とは
何でしょうか。証人の指導者は,「行う事柄」と教え込みます。行いかどう
かは,文脈から判断する必要があります。7章15節では何に警戒しなさい
と言われていますか。「羊の覆いを付けてあなた方のもとに来る偽預言者た
ちに警戒していなさ処。内側では,彼らはむさぼり食うおおかみです」。従
って,「実」とは,たとえばハルマゲドンが何年に到来するという自称クリ
スチャンの預言が成就するかしないかによって判断できる基準の事です。
【結論】
1.まだ成就していない生来のイスラエル人に関する預言は「異邦人の時」
の終わりに,肉のイスラエルの上に成就します。
2.生来のイスラエル人の回復と祝福は,神の千年王国達成に不可欠な要素
です。
3.キリストの再臨は,「1914年の秋に目に見えない様」で起こりませ
んでした。
4.キリストは目に見える様で天から現われ,地上に戻られます。
5.終わりの時代には,キリストの再臨を予告するにせ預言者が登場するこ
とを予期すべきです。
6.キリストの再臨の年代はだれも述べることはできません。
キリストの神性
エホバの証人は次の事を信じている。
1.イエスは父なる神の最初の被造物である。(「論じる」p、50,p、163)
2.イエスを崇拝することは適切でない。
(「論じる」p、56-57)
3.宇宙主権を持つのはエホバ神のみである。(「論じる」p、104)
4.イエスは神性を備えていても神ではない。
(「論じる」p.352,「あなたは三位一体を信ずるべきですか」p、27)
5.イエスはエホバではない。
(「論じる」p.93-94)
イエスはすべての物の創造者ですか
参照71頁
かたち
創世記1:26,27:「次いで神は言われた,『わたしたちの像に,わたしたち
と似た様に人を造り,…』。…そうして神は人をご自分の像に創造して
ゆき,神の像にこれを創造された」。
イザヤ44:24:「あなたを買い戻す方,あなたを腹[の時]から形造った方,
エホバはこのように言われた。「わたし,三二主竺竺,すべてのことを行ない,
独りで天を張り伸ばし,地を張り広げている。だれがわたしと共にいたか』」。
<註>創造に際して,エホバの傍らに有能な働き手がいましたか。
いいえ,いませんでした。つまり,創造者はお一人です。
ヨハネ1:3:「すべてのものは彼(キリスト)を通して存在するようになり
彼を離れて存在するようになったものは一つもない。彼によって存在する
ようになったもの」。
<註>もしイエスがすべてのものを創造されたとするなら,イエス
は被造物ではありません。新約聖書ではイエスが創造者です。
参照聖句:コロサイ1:16,へプライ1:10。
ヨハネ1:10:「彼 (イエス)は世にいたのであり, 世は彼を通して存在す
るようになったのに, 世は彼を知らなかった」。
ローマ11:36:「すべてのものは[神]から,また[神]により,そして
[神]のためにあるからで丈。[神]に栄光が永久にありますように」。
エフェソス3:9:「すべてのものを創造された神」。
−34一
キ1Jストの神性
35
かたち
コロサイ1:15,16:「彼(イエス)は見えない神の像であって,全創造物の
初子です。なぜなら,[他の]立垈工里_竺里は,天においても地においても,
見えるものも見えないものも,王座であれ主権であれ政府であれ権威であれ,
幽三生_三_工創堂臺_型迄血_旦亘立。[他の]丈べてのものは彼を通して,また
彼のために創造されているのです」。
<註>新世界訳はギリシャ語本文にないことばをつけ加えています。
[他の]ということばを15節から17節までに4回加えることによ
って自分たちの教理に合うように改ざんしています。また「初子」と
いうことばは必ずしも最初の被造物を意味しません。聖書の中では
「初子」は立至量ユ墨を表すことにもよく用いられています。
参照聖句:詩編89:27,創世記41:51,52→エレミヤ31:9.
へプライ1:8,10-12:「しかし垂王』三2里工墜こうです。…また,『主よ,
あなたは初めにこの地の基を据えられました。天はあなたのみ手の業です。
それらのものは滅びうせますが,あなたご自身は絶えずとどまっておられま
す。それらはみな外衣のように古び,あなたは外とうのように,外衣のよう
にそれらをたたまれます。それらは変わりますが,あなたは同じであり,あ
なたの年が尽きることは決してありません』と」。
<註>10∼12節が,イエスにあてはまることはものみの塔協会の
「論じる」の169頁に書かれています。cf.詩縞102:25-27。
へプライ3:3,4:「[家]
を造る者がその家よりも誉れを受けるからには,
−
その方(イエス)はモーセ以上の栄光に値するとみなされるからです。言う
=で鈍く,家はすべてだれかによ・て造られるのであり,すべてのものを
造られたのは神です」。
<註>「その方」がイエスであることは,「ものみの塔」誌1973年
7月15日号の439頁に書かれています。
イエスは救い主ですか
イザヤ43:11
参照60頁
「わたしが−わたしが王杢竺であり,空たしのほかに救う者
はいな虹」。
<註>「ほかに…いない」とは,救い主はエホバだけという事ですか。
イザヤ45:21:「それはわたし,エホバではないか。[わたし]を別にして
ほかに神はいない。義なる神,救い主はわたしを別にしてはいない」。
−
キリストの神性
36
ホセア13:4:「わたしは,エジプトの地以来あなたの神となったエホバで
ある。あなたが知っていた神はわたしのほかにいなかった。わたしのほかに
救う者はいなかった」。
使徒4:12:「さらに,ほかのだれにも救いはありません。人々の間に与え
られ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下にほかにない
からです」。
テトス1:4:「わたしたちの救い主キリスト・イエス」。
テトス2:13:「そしてわたしたちは,幸福な希望と,偉大な神およびわた
したちの救い主キリスト
イエスの栄光ある顕現とを待っているのです」。
テトス3:6:「わたしたちの救い主なるイエス・キリスヒ」。
ペテロ第二1:1:「わたしたちの神と救い主イエス・キリスhの義により,
わたしたちと同じ特権としての信仰を得ている人々へ」。
イエスは罪を許す権威がありますか
マルコ2:5-7,10:「それで,彼らの信仰をご覧になったイエスは, そ の ま
ひした人にこう言われた。『子供よ,あなたの罪は許されています』 。とこ
ろで,そこには書士が幾人かおり,座ったまま心の中でこう論じていた。
『なぜこの男はこのように言うのか。[神を]冒とくしている。ただ一人,
神以外のだれが罪を許せるのか』。…『しかし人の子が地上で罪を許す権
威を持っていることをあなた方が知るために』」。
ルカ5:21:「するとすぐ,書士とパリサイ人たちは論議を始めてこう言っ
た。『冒とくのことばを吐くこの者は何者か。神おひとりのほかにだれが罪
を許せるのか』」。
ルカ5:24:「人の子が罪を許す権威を地上で持っている」。
コリント第一8:12:「しかし,
こうして自分の兄弟に対して罪をおかし,
彼らの弱い良心を傷つけるなら, あなた方はキリストに対して罪をおかして
いることになります」。
キリストの神性
37
エフェソス4:32:「神がキリストによって惜しみなく許してくださった」。
イエスは裁き主ですか
参照60頁
創世記18:25:「そのように行動され,義人を邪悪な者と共に死に至らせて,
義人にも邪悪な者と同じ事が起きるようにされるなどというのは,あなたに
ついては考えられないことです。そのようなことはあなたについては考えら
れません。全地を裁く方は正しいことを行なわれるのではありませんか」。
詩編94:2:「地の裁菫主よ,身を起こしてください。ごう慢な者たちに応
報を与えてください」。
イザヤ33:22:「エホバはわたしたちの裁き主,エホバはわたしたちの法令
授与者,エホバはわたしたちの王だからである。[神]ご自身がわたしたち
を救ってくださる」。
ヨハネ5:22:
られるのです’
「父はだれひとり裁かず,裁くことをすべて子にゆだねてお
0
使徒10:42:「またこの方(キリスト)墜,民に宣く伝えるように,そして,
これが生きている者と死んでいる者との審判者として神に定められた者であ
ることを徹底的に証しするようにと,わたしたちにお命じになりました」。
ローマ14:10:「神の裁きの座(単数)の前」。
コリント第二5:10:「主リストの裁きの座(単数)の前」。
テモテ第二4:1:「わたしは,神のみ前,また生きている者と死んだ者とを
裁くように定められているキリスト・イエZの[み前]にあって,またその
顕現と王国とによって,あなたに厳粛に言い渡します」。
イエスは主の主ですか
参照60頁
申命記10:17:「あなた方の神エホバは神の神,主の主,偉大で力強く,畏
怖の念を抱かせる神であり,だれに対しても不公平な扱いをせず,まいない
を受け取ることもされず」。
キリストの神性
38
詩編136:1-3:「あなた方はエホバに感謝せよ。[神]は善良な方だからで
ある。その愛ある親切は定めのない時にまで及ぶからである。神々の神に感
謝せよ。その愛ある親切は定めのない時にまで及ぶからである。主の主に感
謝せよ。その愛ある親切は定めのない時にまで及ぶからである」。
テモテ第一6:14-16:「わたしたちの主イエス・キリストの顕現の時まで,
汚点のない,またとがめられるところのない仕方でおきてを守り行ないなさ
い。その[顕現]は,幸福な唯一の大能者がその定めの時に示されるのです。
[その方は]王として支配する者たちの王,主として支配する者たちの主で
力従==
あり,ただひとり不滅性を持ち,近づき難い光の中に住み,人はだれも見た
ことがなく,また見ることのできない方です。この方に永遠の誉れと偉力と
がありますように。アーメン」。
<註>14∼16節がイエスにあてはまることは「ものみの塔」誌1979年
2月15日号の「読者からの質問」31頁に根拠が書かれています。
啓示17:14:「これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,
王の王であるので,彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たち
も彼と共に[征服する]」。
もも
啓示19:16:「そして,彼の外衣に,実にその股[のところ]に,王の王ま
た主の主と書かれた名がある」。
<註>「王の王」という称号は聖書全巻でイエスだけに適用されます。
イエスは全知性がありますか
参照60頁
列王記第一8:39:「ただあなた(エホバ)だけが, す べ て の 人 間 の 子 の 心
一
をよく知っておられるのです」。
マタイ9:4:「ゴエスは彼らの考えを知っていてこう言われた。『なぜあな
た方は心の中で邪悪なことを考えているのですか。…jlo
マタイ12:25:「その考えを知って,[イエス]は彼らにこう言われた」
◎
マルコ2:8:「イエスは,彼らが自分の中でそのように論じていることをご
自分の霊によってすぐに悟り,彼らにこう言われた。『なぜあなた方は心の
中でそのようなことを論じているのですか。…』」。
キリストの神性
39
ルカ6:8:「しかし[イエス]は,彼らの論議を知っていた」
ルカ9:47:「イエスは彼らの心の中の論議を知り
来て自分のわきに立たせ」。
。
ひとりの幼子を連れて
ルカ19:2-8:「ここにザアカイという名の人がいた。彼は収税人の長であ
り,富んだ人であった。さて彼は,このイエスがどんな人かを見ようとして
いたが,群衆のためにそれができなかった。背が低かったのである。それで,
先に前方へ走って行き,[イエス]を見るためにいちじく桑の木によじ登っ
た。ちょうどそちらのほうに進んで行かれるところだったからである。さて,
その場所に来た時,ゴエスは彼を見上げて,‐こう言われた。『ザアカイよ、
急いで下りて来なさい。わたしは今日,必ずあなたの家にとどまるからです』
。そこで彼は急いで下り,歓びながら[イエス]を客として迎えた。しかし
[それを]見て,人々はみな不平をならしはじめ,『歎である人のところ
に泊まりに行ったのか』と言った。しかし,ザアカイは立ち上がって主に言
った,『ご覧ください,主よ,わたしは持ち物の半分を貧しい人々に与えて
いますし,何でも言いがかりをつけて人からゆすり取ったものは,四倍にし
て元に返しています』」。
<註>イエスは初対面にもかかわらず,ザアカイの名前だけでなく,
ザアカイが罪を悔い改めていることもご存知であった。
ヨハネ2:24,25:「しかしイエスご自身は,自分を彼らにゆだねることはさ
れなかった。彼らすべてを知っておられたからであり,人についてだれかに
証ししてもらう必要はなかったからである。人の内に何があるかを,ご自身
が知っておられたのである」。
ヨハネ11:11:「わたしたちの友ラザロは休んでいますが,
わたしは彼を眠
一
りから覚ましにそこへ行きます」。
<註>病気のはずのラザロがすでに死んでいることについて,別の場
所におられたイエスはご存知であった。
ヨハネ21:17:「[イエス]は彼に三度目に言われた。『ヨハネの子シモン
よ’あなたはわたしに愛情を持っていますか』。彼が三度目に,『わたしに
愛情を持っていますか』と言ったので,ペテロは悲嘆した。そして彼に言っ
た,『主よ,あなたはすべてのことを知っておられます。わたしがあなたに
愛情を持っていることを,あなたは気づいておられます』。イエスは彼に言
キリストの神性
40
われた,『わたしの小さな羊たちを養いなさい』」。
コリント第一4:5:「それゆえ,定めの時以前に,つまり主が来られるまで
は,何事も裁いてはなりません。[主]は,闇の隠れた事柄を明るみに出し,
また心の計り事を明らかにされます。その時,人は各自神からの称賛を受け
るのです」。
コロサイ2:3:「彼(キリスト)のうちには,知恵と知識とのすべての宝が
注意深く秘められているのです」。
むらと
啓示2:23:「すべての会衆は,わたしが腎と心を探る者であることを知る
であろう。そしてわたしは,あなた方一人一人にその行ないにしたがって与
えよう」。
イエスは遍在しておられますか
参照72頁
マタイ18:20:「二人か三人がわたしの名において共に集まっているところ
には,わたしもその中にいるからです」。
マタイ28:20:「わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と
共にいるのです」。
イエスは永遠の存在ですか
参照69頁
ミカ5:2:「ベツレヘム…イスラエルにおいて支配者となる者があなたの
中から…その者の起こりは遠い昔から,定めのない昔の日からである」。
ヨハネ1:1:「初めに言葉がおり」。
<註>1∼3節まで,創造については言及されていません。「初めに」
に相当するギリシャ語アルケーは,啓示22:13の「わたしはアルファ
でありオメガであり,最初であり最後であり,初めであり終りである」
の「初め」と同じ単語です。啓示3:14の「創造の初め(アルケー)」
は,「創造の支配者」と訳出することがふさわしいです。新世界訳で
も,アルケーを「政府の役人」(ルカ12:11)と訳したりします。
コロサイ1:17:「彼(イエス)は[他の]すべてのものより前からあり」。
41
キリストの神性
へプライ7:3:「彼(イエス)は,父もなく,母もなく,系図もなく, 生 涯
■■■■■I■■■■■■■■■
の初めもなければ命の終わりもなく,神の子のようにされていて」。
イエスは不変ですか
へプライ1:8−12
参照62頁
「しかしみ子についてはこうです。…また,『主よ,
−
あなたは初めにこの地の基を据えられました。天はあなたのみ手の業です。
それらのものは滅びうせますが,あなたご自身は絶えずとどまっておられま
す。それらはみな外衣のように古び,あなたは外とうのように,外衣のよう
にそれらをたたまれます。それらは変わりますが,あなたは同じであり,あ
なたの年が尽きることは決してありません』と」。cf.p.31。
きのう
へプライ13:8:「ゴエス・キリストは些昨日も,今日も,そして永久に同
じです」。
イエスに仕えることは適切ですか
ヨハネ12:26:「だれでもわたしに仕えようとするなら,その人はわたしの
後に従いなさい。そうすれば,わたしのいる所,そこに,わたしに仕える者
もいることになります。だれでもわたしに仕えようとするなら,父はその人
とうと
を尊ばれます」。
ローマ1:1:「イエス・キリストの奴謹であり,使徒となるために召され,
神の良いたよりのために分けられた垈立_且から」。
コリント第一4:1:「それで人は,わたしたちを, キリストに従属する者,
また神の神聖な奥義の家令と評価すべきです」。
コリント第二5:15:「彼がすべての人のために死んだのは,生きている者
たちがもはや自分のために生きず,自分たちのために死んでよみがえらされ
た方のために[生きる]ためである,と」。
ガラテヤ1:10:「もしいまだに人間を喜ばせているとすれば,わたしはキ
1■■■■■■
リストの奴隷ではありません」。
フィリピ1:1:「キリスト・イエスの奴隷であるパウロとテモテから」。
42
キリストの神性
一
コロサイ3:24:「主人であるキリストに奴隷として仕えなさい」。
コロサイ4:12:「キリスト・イエスの奴隷で,
あなた方のところから来た
エパフラス」。
ヤコブ1:1:「神および主イエス・キリストの奴隷ヤコブから」
ユダ1:「イエス・キリストの奴隷,
0
しかしヤコブの兄弟である三芝から」。
イエスに祈ることは適切ですか
ヨハネ14:14:「あなた方がわたしの名によって(わたしに− 「王国行間逐
=============
語訳」−)何か求めるなら,わたしはそれを行ないます」。
<註>「王国行間逐語訳」によりますと,「あなた方がわたしの名に
よって何かをわたしに求めるなら,わたしはそれを行ないます」と訳
出されています。
使徒7:59:「そして,訴えながら,『主イエスよ’わたしの霊をお受けく
ださい』と言うステファノに向かって,彼らは石を投げつづけた」。
<註>60節の「エホバ」がイエスである根拠:
9頁参照。
使徒9:14:「そしてここでは,あなたのみ名を呼び求める者を皆なわめに
かけようとして,祭司長たちから権限を受けているのです」。
<註>「あなたの」が,イエスであることは17節から判断できます。
使徒9:20,21:「すぐに諸会堂でゴエスのことを,すなわちこの方こそ神の
子であると宣く伝えはじめた。しかし,彼[のことば]を聞く者はみな非常
に驚き,『これは,エルサレムでこの名を呼び求める者たちを痛めつけた人
であり,そうした者たちを縛って祭司長のもとに引いて行くという目的のた
めにここに来たのではなかったか』と言うのであった」。
使徒22:16:「立って,バプテスマを受け, その(イエスの)名を呼び求め
工あなたの罪を洗い去りなさい」。
使徒22:17-19:「ところが,エルサレムに帰って神殿で祈りをしていると,
わたしはこうこつとした状態になり,その方(イエス)がわたしに,『急い
キリストの神性
で,早くエルサレムから出なさい。彼らは,わたしについてのあなたの証し
に同意しないからです』と言っておられるのを見ました。それでわたしはこ
う言いました。『主よ,わたしが次から次へと会堂をまわり,あなたを信じ
て頼っている者たちを投獄したりむち打ったりしたことを,彼ら自身がよく
知っています…』」。
コリント第一1:2:「コリントにある神の会衆,キリスト・イエスと結ばれ
て神聖なものとされ,聖なる者となるために召されたあなた方,ならびに,
いたるところでわたしたちの主イエス・キリスト.すなわちその主でありわ
たしたちの[主]である方の名を呼び求めているすべての人たちへ」。
コリント第二12:8-10:「これについては,それがわたしから離れるよう,
みたび
わたしは三度主に懇願しました。しかし[主]は,まさにこう言われました。
『わたしの過分の親切はあなたに対してすでに十分である。[わたしの]力
は弱さのうちに全うされるのである』。それゆえわたしは,自分の弱いとこ
ろについてむしろ大いに喜んで誇り,こうしてキリストの力が天幕のごとく
わたしの上にとどまるようにします。 したがって,わたしは弱いところを,
侮辱,窮乏,迫害や困難を,キリストのゆえに喜びとするのです。わたしが
弱いとき,その時わたしには力があるからです」。
テモテ第一1:12:「わたしは,自分に力を授けてくださったわたしたちの
主キリスト・イエスに感謝しています」。
啓示22:20:「『アーメン1主イエスよ’来てください』」。
イエスに栄光を与えることは適切ですか
イザヤ42:8:「わたしはエホノミである。それがわたしの名である。わたし
はわたしの栄光をほかのだれにも与えず」。
イザヤ48:11:「わたしはわたしの栄光をほかのだれにも与えない」。
ダニエル7:13,14:「わたしが夜の幻の中でずっと見ていると,見よ,天の
雲と共に人の子のような者が来るのであった。その者は日を経た方に近づき,
彼らはこれをその方のすぐ前に連れて来た。そして,垂の者には,支配権と
尊厳と王国とが与えられた。もろもろの民,国たみ,もろもろの言語の者が
43
キリストの神性
44
皆これに仕えるためであった」。
<註>「尊厳」と「栄光」は同じへプライ語です。
わ彼
ヨハネ1:14:「こうして,言葉は肉体となってわたしたちの間に宿り,
たしたちはその栄光,父の独り子が持つような栄光を目にしたのである。
は過分の親切と真理とに満ちていた」。
ヨハネ5:23:「それは,すべての者が,父を尊ぶと同じように子をも尊ぶた
めです。子を尊ばない者は,それを遣わされた父を尊んでいません」。
−
ヨハネ11:4:「『この病気は死のためのものではなく,神の栄光のため,
神の子がそれによって栄光を受けるためのものです』」。
ヨハネ13:31,32
「今や人の子は栄光を受け,神は彼に関連して栄光を受
けておられます。 ま た 神 は 自 ら 彼 に 栄 光 を お 与 え に な り , し か も す ぐ に 栄 光
をお与えになるのです」。
ヨハネ16:13-15:「しかし,その者,すなわち真理の霊が到来するとき,
あなた方を真理の全体へと案内するでしょう。彼は自分の衝動で話すのでは
なく,すべて自分が聞く事柄を話し,来たらんとする事柄をあなた方に告げ
知らせるからです。その者はわたし(イエス)の栄光を表わすでしょう。彼
はわたしのものから受けて,それをあなた方に告げ知らせるからです。父が
持っておられるものは皆わたしのものです。そのためわたしは,彼はわたし
のものから受けて,[それ]をあなた方に告げ知らせると言ったのです」。
ヨハネ17:5:「それで,父よ,世がある前にわたしがみそばで持っていた
栄光で,わたしを今ご自身の傍らにあって栄光ある者としてください」。
■■■■■■■■■■■■■■■
使徒3:13:「アブラハムとイサクとヤコブの神,わたしたちの父祖の神は,
ご自分の僕イエスに栄光をお与えになりましたが」。
コロサイ1:16:「すべてのものは彼を通して,また彼(イエス)のために
創造されているのです」。
テサロニケ第二1:12:「わたしたちの主イエスの名があなた方の中で栄光
を受け」。
キリストの神性
ペテロ第二3:18:「むしろ,わたしたちの主また救い主なるイエス・キリ
ストの過分のご親切と知識において成長しなさい。この方に,今も,またと
こしえの日に至るまでも栄光が[ありますように]」。
啓示1:5,6:「そして,『忠実な証人』,『死人の中からの初子』,『地の
王たちの支配者』であるイエス・キリスーヒからの過分のご親切と平和があり
ますように。わたしたちを愛しておられ,ご自身の血によってわたしたちを
罪から解いてくださった方に−そしてこの方はわたしたちを,ご自分の神ま
た父に対して王国とし,祭司としてくださったのである−実にこの方にこそ,
栄光と偉力が永久にありますように。アーメン」。
啓示5:11-14:「それから,わたしが見ると,み座と生き物と長老たちの周
りにいる多くのみ使いたちの声が聞こえた。彼らの数は数万の数万倍,数千
の数千倍であり,大声でこう言った。『ほふられた壬圭は,力と富と知恵と
強さと誉れと栄光と祝福を受けるにふさわしい方で丈』。そして,天と地と
地の下と海の上とにいるあらゆる被造物,およびそこにあるすべてのものが
こう言うのが聞こえた。『み座に座しておられる方と壬羊とに,祝福と誉れ
と栄光と偉力が限りなく永久にありますように』。すると,四つの生き物は
『アーメン!』と言い,長老たちはひれ伏して崇拝した」。
イエスを崇拝する(ギリシャ語:プロスキュネオー)ことはふさわしいですか
マタイ2:1,2:「東方からの占星術者た_ちがエルサレムに来て,こう言った。
『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。わたした
ちは東方に[いた時],その方の星を見たのです。わたしたちはその方に敬
意をささげる(プロスキュネオー)ために参りました』」。
マタイ2:7,8:「そこでヘロデは…そして,彼らをベツレヘムに遣わす際
にこう言った。『行ってその幼子を注意深く捜し,見つけたら,わたしのと
ころに報告しなさい。わたしも行ってそれに敬意をささげるためである」。
マタイ2:11:「家の中に入った彼らは,その母マリアと共にいる幼子を見,
ひれ伏して敬意をささげた(プロスキュネオー)」。
マタイ4:10:「その時,イエスは彼に言われた,『サタンよ,離れ去れ!
『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず(プロスキュネオー)
45
46
キリストの神性
この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあるのです』」。
<註>この聖句は申命記6章13節の引用です。
<註>「新世界訳」では,エホバに対する時にのみプロスキュネオー
を「崇拝する」と訳出しています。マタイ4:10,啓示5:14,啓示
14:7など以外では,意図的に「敬意をささげる」と誤訳しています。
エホバの証人はプロスキュネオーに「敬意をささげる」という意味も
あると主張します。では使徒10:25で,人間ペテロは「敬意をささげ
られる」という意味なら拒む必要はなかったはずです。
マタイ14:33:「その時,舟にいた者たちは,『確かにあなたは神の子です』
と言って,敬意をささげた(プロスキュネオー)」。
マタイ28:9:「イエスが彼女たちに出会って,『こんにちは!』と言われ
た。彼女たちは近づいてその足を抱き,彼に敬意をささげた」。
マタイ28:16,17:「±=人の弟子はガリラヤに赴き,イエスが彼らのため
に取り決めた山に行った。そして,イエスを見ると,彼らは敬意をささげた」。
ヨハネ9:1,38:「さて,進んで行かれる際,イエスは生まれた時から盲目
の人をご覧になった。…すると彼は言った,『わたしはほんとうにその方
に信仰を持っています,主よ』。そして彼はイエスに敬意をささげた」。
へプライ1:6:「『そして神のみ使いたちはみな彼に敬意をささげよ』」。
<註>詩煽97:7の引用であり,そこでは「身をかがめる」対象はエ
ホバになっています。へプライ1章6節をものみの塔協会の「新世界
訳」(英文)も,1982年迄,「崇拝をささげよ(worship)」
と訳出していました。cf.「王国行間逐語訳」1969年版参照。
ミカエルの項152頁参照。
啓示5:8:「そして彼が巻き物を受け取った時, 四つの生き物と二十四人の
長老は子羊の前にひれ伏した」。
啓示14:7:「大声でこう言った。『神を恐れ,[神]に栄光を帰せよ。
[神]による裁きの時が到来したからである。それゆえ,天と地と海と水の
わき出るところとを造られた方を崇拝せよ』」。
<註>創造者はイエスですから,崇拝されるのはふさわしいことです。
キリストの神性
47
イエスは主権者ですか
マタイ25:31:「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが
彼と共に[到来する]と,そのとき彼は自分の栄光の座に座ります」。
1■■■■■■■
マタイ28:18:「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています」。
ヨハネ3:31:
「上から来る者は他のすべての者の上にある。地からの者は
地からであって, 地の事柄を話す。天から来る者は他のすべての者の上にあ
る」。
ヨハネ3:35:「父はみ子を愛しておられ, すべてのものをその手にお与え
■■■■■■■■■ロ■■■■■■
になったのである」。
ヨハネ13:3:「[イエス] は,父がすべてのものを[自分の]手中にお与
えになったこと…」。
ヨハネ16:15:「父が持っておられるものは皆わたしのものです。そのため
わたしは,彼はわたしのものから受けて,[それ]をあなた方に告げ知らせ
ると言ったのです」。
ヨハネ17:10:「わたしのものはみなあなたのもの,あなたのものはわたし
のものなのです」。
フィリピ2:9-11:「まさにこのゆえにも,神は彼をさらに上の地位に高め,
[他の]あらゆる名に勝る名を進んでお与えになったのです。それは'天に
あるもの,地にあるもの,地の下にあるもののすべてのひざがイエスの名に
よってかがみ,すべての舌が,イエス・キリストは主であると公に認めて,
父なる神に栄光を帰するためでした」。
<註>「新世界訳」はギリシャ語本文にない「他の」を付け加え,聖
書を改ざんしています。あたかもエホバ以外であるかのようにです。
へプライ1:2:「[神]は彼をすべてのものの相続者に定め」
◎
へプライ2:8:「…あなたはすべてのものを彼の足の下に服させました』。
[神]はすべてのものを彼のもとに服させたのですから,彼に服さないもの
キリストの神性
48
を何一つ残さなかったのです」。
啓示22:3:「神と子羊とのみ座が[その都市]の中にあり,その奴隷たち
は[神]に神聖な奉仕をささげるのである」。
イエスは神ですか
申命記32:39:「今こそ見よ,わたし,このわたしがその者である。わたし
■■■■■■■■■■■■■■■■q■■■■■■■■■■
のもとに神々はいない」。
イザヤ9:6:「そして彼(キリスト)の名は,“くすしい助言者”
墜力
■■■■■■■
ある神”,“とこしえの父”,“平和の君”と呼ばれるであろう」。
<註>イザヤ10:21では「力ある神」とはエホバのことです。
イザヤ43:10:「わたし(エホバ)の前に形造られた神はなく,わたしの後
にもやはりいなかった」。
イザヤ44:6:「イスラエルの王,これを買い戻す方,万軍のエホバ,エホ
バはこのように言われた。『わたしは最初であり,わたしは最後であり,わ
たしのほかに神はいない...』」。
イザヤ48:12:「わたしは最初である。しかも,わたしは最後である」。
啓示1:17,18:「恐れてはいけない。わたしは最初であり最後であり,また,
生きている者である。わたしは死んだが,見よ,限りなく永久に生きており」。
啓示2:8:「『最初であり,最後である者』,死んで,生き[返った]者が
このように言う」。
啓示21:6,7:「わたしはアルファでありオメガであり,初めであり終わり
である。..、わたしはその神となり」。
啓示22:12,13,20:「『見よ,わたしは速やかに来る。…わたしはアルフ
ァでありオメガであり,最初であり最後であり,初めであり終わりである』。
…アーメン1主イエスよ’来てください」。
啓示22:13-16:「『わたしはアルファでありオメガであり,最初であり最
後であり,初めであり終わりである』。…『わたしイエスは自分の使いを
遣わし...』」。
<註>「ものみの塔」誌1979年1月1日号
−20はエホバではなく,イエスです。つまり,
とはイエス・キリストのことです。
16頁では,啓示22:12
「アルファでオメガ」
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キリストの神性
49
ヨハネ5:18:「まさにこれがもとで,ユダヤ人たちはいよいよ彼を殺そう
とするようになった。彼が安息日を破っているだけでなく,神を自分の父と
呼んで,自分を神に等しい者としているという理由であった」。
ヨハネ8:19:「あなた方はわたしも,わたしの父も知りません。もしあなた
方がわたしを知っているとすれば,わたしの父をも知っているはずです」。
ヨハネ8:28:「ひとたび人里王を挙げてしまうと,そのときあなた方は,
わたしが[その者]であり(エゴー・エイミ),わたしが何事も自分の考
えで行なっているのではないことを知るでしょう」。
<註>「わたしがその者であり」は「IAM」であり,ギリシャ語
本文では「エゴー・エイミ」です。すなわちセプチュアギン夕訳
の出エジプト3:14の「エゴー・エイミ」と同一表現です。
出エジプト3:14:「神はモーセに言われた,『わたしは自分がなるところ
のものとな量(エゴー・エイミ)』。そしてさらに言われた,『あなたはイ
スラエルの子らにこう言うように。「わたしはなるという方(エゴー・エイ
ミ)がわたしをあなた方のもとに遣わされた」』」。5頁参照。
ヨハネ8:58,59:「ゴエスは彼らに言われた,『きわめて真実にあなた方に
言いますが,アブラハムが存在する前からわ_たしはいるのです(エゴ一・エ
イミ)』。そのため彼らは,イエスに投げつけようとして石を拾った」
◎
<註>なぜユダヤ人はイエスに石を投げたのでしょうか。イエスご自
身が「エゴー・エイミ」という称号を用いて,「神である」ことを公
に示された故に,ユダヤ人が憤慨したからです。→ヨハネ10:31-33
ヨハネ10:28-33:「『そしてわたしは彼らに永遠の命を与え,彼らはい
つまでも決して滅ぼされることがなく,だれも彼らをわたしの手から奪い取
る者はいません。父がわたしに与えてくださったのは,ほかのすべてのもの
より偉大なものであり,だれもそれを父の手から奪い取ることはできません
…』。またもやユダヤ人たちは,彼を石打ちにしようとして石を取り上
げた。イエスは彼らにお答えになった,『わたしは,父からのりっぱな業を
あなた方に数多く見せました。そのうちどの業のために,あなた方はわたし
を石打ちにするのですか』。ユダヤ人たちは彼に答えた,『りっぱな業のた
めではなく,冒とくのために,つまり,あなたが人間でありながら自分を神
とするからこそ,わたしたちは石打ちにするのだ』」。
0
キリストの神性
50
1:23:「『..、彼らはその名をインマヌエルと呼ぶであろう』。こ
マタイ
れは, 訳せば,
『わたしたちと共に神はおられる』・という意味である」。
マタイ13:41:「人の子は自分の使いたちを遣わし」。
&愚
ヨハネ1:1:「初めに言葉がおり,言葉は神と共におり,言葉は神であった」。
<註>夫婦の関係を考える際,妻の頭は夫だから,妻は99%だけ人間
恩
で1%は人間ではないと言ったら問題です。同様に父なる神と
間
園
「言葉」(イエス)が初めに向かい合っておられる場面から,
イエスは99%神であって1%だけは神ではないと言うならどう
でしょうか。「言葉は神であった」と証明されていることを無
視することになります。40,59頁参照。
ヨ ハ ネ 2:19,21:「イエスは答えて彼らに言われた,『この神殿を壊してみ
なさい。 そ う し た ら , わ た し は 三 日 で そ れ を 立 て ま す 』 … し か し , [ イ エ
ス]はご自分の体の神殿について語っておられたのであった」。
<註>自力復活の項149頁参照。
ヨハネ12:44:「しかしながら,イエスは叫んで言われた,『わたしに信仰
を持つ者は,わたしだけでなく,わたしを遣わした方にも信仰を持つのです」。
ヨハネ13:19:「わたしは今この時から,それが起きる前にあなた方に告げ
ておきます。それが実際に起きる時,わたしが[その者]である(エゴ一・
エイミ)ことをあなた方が信じるためです」。
ヨハネ14:7-9:「『..、あなた方がわたしを知っていたなら,わたしの父
をも知っていたでしょう。今この時から,あなた方は[父]を知っており,
また見たのです』…『わたしはこれほど長い間あなた方と過ごしてきたの
に,フィリポ,あなたはまだわたしを知らないのですか。わたしを見た者は,
父を[も]見たのです。どうしてあなたは,「わたしたちに父を示してくだ
さい」と言うのですか...』」。
ヨハネ15:13:「友のために自分の魂をなげうっこと,
これより大きな愛を
持つ者はいません」。
エフェソス3:19:「知識を超越したキリストの愛を知ることも十分できる
キリストの神性
51
ようになり,こうしてあなた方が神の与えてくださる満ち満ちたさまに余す
ところなく満たされるためなのです」。
ヨハネ18:4-6:「それゆえイエスは,自分に臨もうとするすべての事柄を
知り,進み出て彼らに言われた,『あなた方はだれを捜しているのですか』。
彼らは,『ナザレ人のイエスを』と答えた。[イエス]は彼らに言われた,
『わたしが[その者]です』。さて,[イエス]を裏切る者であるユダも彼
らと共に立っていた。しかしながら,『主たしが[その割です』と[イエ
ス]が言われた時,彼らは後ずさりして地面に倒れた」
◎
<註>「わたしがその者です」は「IAM」であり,ギリシャ語本
文では「エゴー・エイミ」です。すなわちセプチュアギン夕訳の出
エジプト3:14の「エゴー・エイミ」と同一表現です。
ヨハネ20:28,29:「それに答えてトマスは彼に言った,『わたしの主,そ
してわたしの神!』イエスは彼に言われた,『あなたはわたしを見たので
信じたのですか。見なくても信じる者は幸いです』」。
<註>ギリシャ語本文では「神」ざeEづS(ホセオス)と定
冠詞がついています。ものみの塔協会の出版物によりますと,神のギ
リシャ語に定冠詞が付く場合は例外なく父なる神エホバを意味します。
すなわち,トマスは「わたしの神」myGodと呼ぶ事によって,
イエスをエホバ以外の神として崇拝していることになります。
「ものみの塔」誌1988年6月1日号p.1914節参照。
さらにヨハネ20:29でイエス・キリストがトマスを叱責されずに,
崇拝を認められた事も注目に値します。
フィリピ2:6:「彼(イエス・キリスト)は強の形で存在していました」
<註>イエスは地上に来られるために神としての栄光を捨てられまし
さま
た。cf.ヨハネ17:5.地上ではみ使いより低い様を甘受されました。
。
コロサイ2:9:「というのは,ーLキリスト]の中にこそ,神の特質の満ち満
ちたさまが形を取って余すところなく宿っているからです」。
テモテ第一3:15,16:「神の家の者たちの中でどのように行動すべきかをあ
なたに知ってもらうためです。それは生ける神の会衆であり,真理の柱また
支えなのです。明らかなことですが,この敬虐な専心に関する神聖な奥義は
まことに偉大です。すなわち,『彼は肉において明らかにされ…』」。
キリストの神性
52
テトス2:13:「そしてわたしたちは,幸福な希望と,偉大な神およびわた
したちの救い主キリスト・イエスの栄光ある顕現とを待っているのです」。
〈註〉「新世界訳」では,ギリシャ語のxalを「および」と誤訳す
ることによって,あたかも2人に言及しているかのように訳出してい
ます。ギリシャ語を少しでも学んだ生徒なら理解できる「グランビル
・シャープの法則」を無視しています。つまり,「神」と「キリスト」
の2つの名詞が同じ格で,定冠詞が一つしか付いていない場合は,ま
ったく同一人物になります。
ギリシャ語本文に忠実な字義訳例:
「大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光」新改訳
「大いなる神,わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光」口語訳
「偉大な神であり,救い主であるイエズス・キリストの光栄」バルバロ訳
わたし
「偉大なる神であり,私たちの救い主であるイエスス・キリストの栄光」共同訳
「偉大な神であり,わたしたちの救い主であるイエズス・キリストの栄光」
フランシスコ会訳
「大いなる神,我らの救主イエス・キリストの栄光」関根訳
「大いなる神でわれらの救い主にいますキリスト・イエスの栄光」前田訳
へプライ1:3:「彼は[神の]栄光の反映,またその存在そのものの厳密な
描出であり,その力の言葉によってすべてのものを支えておられます」。
−
−新改訳一「御子は神の栄光の輝き,また神の本質の完全な現われであり,
その力あるみことばによって万物を保っておられます」。
へプライ1:4:「こうして彼はみ使いたちよりも優れた名を受け継ぎ,それ
だけ彼らに勝る者となられました」。
へプライ1:8:一新改訳一「御子については,こう言われます。『神よ。あ
みざ
なたの御座は世々限りなく...』」。
=詩編45:6:一新改訳一「神よ。あなたの王座は世々限りなく」。
へプライ3:3,4:「[家]を造る者がその家よりも誉れを受けるからには,
その方(イエス)はモーセ以上の栄光に値するとみなされるからです。言う
までもなく,家はすべてだれかによって造られるのであり,すべてのものを
造られたのは神です」。
<註>「その方」がイエスであることは,「ものみの塔」誌1973年
7月15日号439頁に書かれています。
キリストの神性
53
ペテロ第二1:1:「わたしたちの神と救い主イエス ・キリストの義により,
わたしたちと同じ特権としての信仰を得ている人々へ」。cf・テトス2:13
「私たちの神であり救い主であるイエス・キリスト」新改訳・現代訳
「神であり救い主であるイエス・キリストから」リビングバイブル
「わたしたちの神,救い主イエスス・キリストの正しさ」共同訳
「わたしたちの神,救い主,イエズス・キリストの正しさ」フランシスコ会訳
ヨハネ第一5:20:「わたしたちは,神のみ子が来て,真実な方について知るこ
とができるよう,わたしたちに知的な能力を与えてくださったことを知っていま
す。そしてわたしたちは,み子イエス・キリストによって,真実な方と結ばれて
います。三の方こそまことの神であり,永遠の命です」。
啓示22:3,4:「神と子羊とのみ座(単数形)が[その都市]の中にあり,その
奴隷たちは[神]に神聖な奉仕をささげるのである。彼らは[神]の顔を見,そ
のみ名が彼らの額にあるであろう」。
イエスはご自身の父であるエホバとして聖書の中で語られていますか
ゼカリヤ2:8-11:「万軍のエホバはこのように言われたからである。『そ
の栄光に続いて,[神]は,あなた方から奪い取っていた諸国民のもとにわ
たしをお遣わしになった。あなた方に触れる者はわたしの目の玉に触れてい
るのである。今わたしは彼らに向かってわたしの手を振る。彼らは自分の奴
隷たちの分捕り物となるのである』。それであなた方は,万軍のエホバがわ
たしをお遣わしになったことを必ず知るであろう。『シオンの娘よ,声高ら
かに叫び,また歓べ。今わたしは来て,あなたのうちに住むからである』と,
エホバはお告げになる。『またその日,多くの国の民が必ずエホバのもとに
加わり,まさしくわたしの民となる。わたしはあなたのうちに住む』。それ
であなたは,万軍のエホバ自らわたしをあなたにお遣わしになったことを必
ず知るであろう」。
ゼカリヤ11:12,13:「その時わたしは彼らに言った,『それがあなた方の
目に良いとされるなら,わたしの賃金を[わたしに]下さい。そうでないな
ら,やめてください』。そこで彼らは,わたしの賃金として銀三十枚を支払
った。するとエホバはわたしにこう言われた。『それを宝物庫に投げ入れよ
-彼らの見地でわたしが値積もりされたその立派な価を』。そこでわたしは
その墾二±蓮を取って,エホバの家の宝物庫に投げ込んだ」。
キリストの神性
54
マタイ26:14,15:「その時,十二人の一人で,ユダ・イスカリオテと呼ば
れる者が,祭司長たちのところに行って,こう言った。『彼を裏切ってあな
た方に渡せば,わたしに何をくれますか』。彼らは銀三十枚を彼に[与える
ことを]定めた」。
ゼカリヤ12:10:「またわたしは,ダビデの家とエルサレムに住む者たちの
上に恵みと懇願の霊を注ぎ出す。彼らは必ず自分たちが刺し通した者を見つ
め,一人[子]について泣き叫ぶかのように彼について泣き叫ぶ。また,初
子のための激しい嘆きの時のような激しい嘆きがその者に関してある」。
<註>一新改訳一「わたし(エホバ“1節参照”)は,ダビデの家と
エルサレムの住民の上に,恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは,自分たち
が突き刺した者,わたしを仰ぎ見,ひとり子を失って嘆くように,そ
の者のために嘆き,初子を失って激しく泣くように,その者のために
激しく泣く」。つまり旧約では「刺し通した者」とはエホバです。
啓示1:7:「見よ,彼は雲と共に来る。そして,すべての目は彼を見るであ
ろう。彼を刺し通した者たちも見る。また地のすべての部族は彼のゆえに悲
嘆して身を打ちたたくであろう」。
<註>終りの日の項20頁参照。
ゼカリヤ14:3-5:「そしてエホバは必ず進み出てそれら諸国民と戦い,ご
自分の戦いの日,戦闘の日のようにされる。またその足は,その日に,エル
サレムの正面,その東側にあるオリーブの山の上にまさに立つ。…そして,
わたしの神エホバは必ず来る。すべての聖なる者たちはそれに伴っている.」。
マタイ25:31:「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが
−
彼と共に[到来する]と,そのとき彼は自分の栄光の座に座りま丈」。
<註>「栄光の座」とはどこにありますか。使徒1:11,12参照。
使徒1:11,12:「『ガリラヤの人たちよ,なぜ空を眺めて立っているのです
か。あなた方のもとから空へ迎え上げられたこのイエ塁は,こうして,空に
入って行くのをあなた方が見たのと同じ様で来られるでしょう』。そこで彼
らは,オリーブ山と呼ばれる山からエルサレムに帰った」。
ゼカリヤ14:5:「そして,わたしの神エホバは必ず来る。すべての聖なる
者たちはそれに伴っている」。
キリストの神性
55
テサロニケ第一3:13:
「その聖なる者たちすべてを伴ったわたしたちの主
イエスの臨在の際に’。
マタイ3:3,マルコ1:2,3,ルカ3:4,ヨハネ1:23:「実際これは,預言
者イザヤを通して次のように言われた人である。『聴け,だれかが荒野で叫
んでいる』。『あなた方はエホバの道を備えよ!その道路をまっすぐにせ
よ』」。
ルカ1:76,77:「しかし幼子(バプテストのヨハネ)よ,あなたは,至高者
の預言者と呼ばれるでしょう。その道を備えるため,罪の許しによる救いの
知識をその民に与えるために,エホバのみ前を先立って行くからです」。
<註>バプテストのヨハネはイエスのために道を備えました。
マタイ21:15,16:「祭司長と書士たちは,彼の行なった驚嘆すべき事柄,
そして,神殿の中で,『趣いたまえ,ダビデの子を!』と叫んでいる少年た
ちを見て憤慨し,『これらの者たちの言っていることが聞こえるか』と彼に
言った。イエスは彼らに言われた,『はい。あなた方は,「みどりごや乳飲
み子の口から,あなたは賛美を備えられた」とあるのを読んだことがないの
ですか』」。
<註>詩編8:2では「賛美を備えられる」のはエホバです。
ヨハネ17:11:「聖なる全よ,わたしに与えてくださったご自身のみ名のた
■■■■■■■■■
めに彼らを見守ってください」。
ヨハネ17:12:「わたしは,彼らと共におりました時,わたしに与えてくだ
さったあなたご自身のみ名のために,いつも彼らを見守りました」。
ローマ10:9-14:「その『あなたの口の中にある言葉』,つまり,イエスは
−
主であるということを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと
心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。人は,義のために
心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をするからです。聖書は,
『延延這迎を置く者はだれも失望させられない』と言っています。ユダヤ人
とギリシャ人の間に差別はないからです。すべての者の上に同じ主がおられ,
聖互はご自分を呼び求めるすべての者に対して豊かなのです。『エホバの
名を呼び求める者はみな救われる』のです。しかし人は,自分が信仰を持っ
ていない者をどうして呼び求めるでしょうか。また,自分が聞いたこともな
キリストの神性
56
い者にどうして信仰を持つでしょうか。また,宣く伝える者がいなければ,
どうして聞くでしょうか」。
<註>新世界訳は,ヨエル2:32が引用されているゆえに「主」をエ
ホバとしています。しかし,11節の「彼」および12節の「主」,
「この方」は13節のエホバと同一人物であることに注意しなければ
なりません。エホバの御名,良いたよりの項15,61,155頁参照。
フィリピ2:9:「まさにこのゆえにも,神は彼をさらに上の地位に高め,
[他の]あらゆる名に勝る名を進んでお与えになったのです」。
<註>新世界訳はギリシャ語本文にない「他の」を付け加えています。
へプライ1:4:「こうして彼はみ使いたちよりも優れた名を受け継ぎ,それ
だけ彼らに勝る者となられました」。
へプライ1:8,10:「しかしみ子についてはこうです。…また,『主よ,
あなたは初めにこの地の基を据えられました。天はあなたのみ手の業です」。
<註>ものみの塔協会の「講じる」の169頁でも,10節はイエス
に当てはまると述べています。
詩編102:24,25:「わたしは言いはじめました,『わたしの神よ,わたしの
よ
日の半ばにわたしを取り去らないでください。あなたの年はすべての代に及
びます。あなたは昔,この地の基を据えられました。天はあなたのみ手の業
です」。
−
イエスは人間として地上に来られた時どんな方でしたか
51頁参照。
フィリピ2:6,7:「彼は神の形で存在していましたが,強いて取ること,つ
まり,自分が神と同等であるようにということなどは考えませんでした。い
え,むしろ,自分を無にして奴隷の形を取り,人のような様になりました」。
さま
<註>天での栄光を捨てられ,み使いより低い様になられました。
ルカ4:18,19,イザヤ61:1:「エホバの霊がわたしの上にある。貧しい者
に良いたよりを宣明させるためわたしに油をそそぎ,捕らわれ人に釈放を,
盲人に視力の回復を宣く伝え,打ちひしがれた者を解き放して去らせ,エホ
バの受け入れられる年を宣く伝えさせるために,わたしを遣わしてくださっ
たからである」。
キリストの神性
57
マタイ20:23,マルコ10:40:「わたしの右また左に座るこのことは,わた
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
しの授けることではなく,わたしの父によってそれが備えられている人たち
のものです」。
マタイ24:36,マルコ13:32:「その日と時刻についてはだれも知りません。
天のみ使いたちも子も[知らず],ただ父だけが[知っておられます]」。
マタイ27:46,マルコ15:34:「わたしの神,わたしの神,なぜわたしをお
見捨てになりましたか」。
ルカ22:42:「父よ,もしあなたの望まれることでしたら,この杯をわたし
から取り除いてください。しかしやはり,わたしの意志ではなく,あなたの
[ご意志]がなされますように」。
ヨハネ1:18:「いまだ神を見た人はいない。父に対してその懐[の位置]
にいる独り子の神こそ,彼について説明したのである」。
ヨハネ4:34:「わたしの食物とは,
わたしを遣わした方のご意志を行ない,
そのみ業をなし終えることです」。
ヨハネ5:19:「きわめて真実にあなた方に言いますが,子は,自分からは
何一つ行なうことができず,ただ父がしておられて,自分が目にする事柄を
[行なえる]にすぎませ&。何であれその方のなさること,それを子もまた
同じように行なうのです」。
ヨハネ6:38:「わたしは,自分の意志ではなく,わたしを遣わした方のど
意志を行なうために天から下って来たからです」。
ヨハネ6:57:「生ける父がわたしをお遣わしになり,わたしが父によって
生きているのと同じように」。
ヨハネ7:28:「わたしは自分の考えで来たのではありません。わたしを遣
わした方が実在しておられるのですが,あなた方はその方を知りません」。
ヨハネ7:29:「わたしはその方を知っています。 わ た し は そ の 方 の 代 理 者
であり,その方がわたしを遣わされたからです」。
キリストの神性
58
ヨハネ8:28:「わたしが何事も自分の考えで行なっているのではないこと
を知るでしょう。わたしはこれらのことを,
ちょうど父が教えてくださった
とおりに話しているのです」。
ヨハネ8:42:「わたしは決して自分の考えで来ているのではありません。
その方がわたしを遣わされたのです」。
ヨハネ12:49:「わたしを遣わした父ご自身が,何を告げ何を話すべきかに
ついて,わたしにおきてをお与えになったからです」。
ヨハネ14:28:「父はわたしより偉大な方だからです」。
ヨハネ14:31:「父がおきてを与えてくださったとおりに行なっている」。
ヨハネ17:1-4:「父よ,…あなたがすべての肉なるものに対する権威を
[子]に与え,そのお与えになった者すべてについて,[子]がそれらの者
に永遠の命を与えるようにされたことに応じてです。彼らが,唯一まことの
神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての
知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています。わたしは,わた
−
しにさせるために与えてくださった業をなし終えて,地上であなたの栄光を
表わしました」。
cf.三位一体の項68頁参照。
ヨハネ20:17:「わたしは,わたしの父またあなた方の父のもとへ, わ た し
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
の神またあなた方の神のもとへ上る」。
ヨハネ20:21:「父がわたしをお遣わしになったと同じように,わたしもあ
なた方を遣わします」。
かしら
コリント第一11:3:「すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であ
り,キリストの頭は神です」。
<註>「女の頭は男」とありますが,頭でないからといって,女は99
%が人間で1%は人間ではないと言うなら,問題です。同様に,キリ
ストは99%だけが神であって1%は神ではないとは断言できません。
へプライ2:11:「神聖にしている者も神聖にされている者たちも, み な 一
一
人の方(父)から出るのであり」。
ー
キリストの神性
59
ヨハネ第一4:9:「神はご自分の独り子を世に遣わし」。
【要約】
I.誰がイエスを神であると言いましたか。
二人か三人の証人がいれば,聖書ではその事は有効になります。
申命記19:15:「人の犯すどんな罪の場合であれ,何かのとがまた罪に関し
ただ一人の証人が立ってこれを責めるべきではない。二人の証人の口または
三人の証人の口によってその件は定められるべきである」。
1.使徒ヨハネの証言(ヨハネ1:1)
「言葉は神であった」。
2.使徒トマスの証言(ヨハネ20:28)51頁参照。
「わたしの主,そしてわたしの神!」。
〈註〉「神」−ギリシャ語本文ではざeEづS(ホ・セオス)に定
冠詞がついています。新世界訳のヨハネ1:1にあるようにagodで
はなく特定の神を示しています。又,ヨハネ20:29でイエス・キリス
トがトマスを叱責されずに,崇拝を認められた事も注目に値します。
3.使徒ペテロの証言(ペテロ第二1:1)52頁参照。
「私たちの神であり救い主であるイエス・キリスト」新改訳・現代訳
「神であり救い主であるイエス・キリストから」リビングバイブル
「わたしたちの神,救い主イエスス・キリストの正しさ」共同訳
「わたしたちの神,救い主,イエス・キリストの正しさ」フランシスコ会訳
4.使徒パウロの証言(テトス2:13)52頁参照。
「大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光」新改訳
「大いなる神,わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光」口語訳
「 偉 大 な 神 で あ り ,わたし
救い主であるイエズス・キリストの光栄」バルバロ訳
「偉大なる神であり,私たちの救い主であるイエスス・キリストの栄光」共同訳
「偉大なる神であり,わたしたちの救い主であるイエズス・キリストの栄光」
フランシスコ会訳
「大いなる神,我らの救主イエス・キリストの栄光」関根訳
「大いなる神でわれらの救い主にいますキリスト・イエスの栄光」前田訳
5.イザヤの証言(イザヤ9:6)
「“力ある神”,“とこしえの父”,“平和の君”と呼ばれるであろう」。
<註>イザヤ10章21節では,「力ある神」(全く同じへプライ語)
"MightyGod"は,エホバになっています。
キIノストの神性
60
6.イグナティウス(初代教父,西暦30-117)の証言
「肉体を持ち,かつ霊であるところの唯一の医者がおられる。彼は人から生
まれ,同時に人によらないで生まれ,神が人となり,死のうちに真の生命を
得た者,マリヤと神とから生まれ,まず苦しみを受けることができ,次には
苦しみを受けることができない,われらの主イエス・キリストである」。
(キリスト教文書資料集)
Ⅱ,キリストの神性
キリストの神性
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キリストの神性
61
Ⅲ、三位一体論とイエスの神性
1.イエスに対する神名の賦与
(1)神ヨハネ1:1,20:28,テトス2:13,ペテロ第二1:1,
イザヤ9:6.
(2)神の子マタイ8:29,14:33,16:16,17,マルコ3:11,14:61,
ルカ1:35,4:41,ヨノ、5:25,10:36,11:4,20:31。
●「神の御子」と言う表現は,キリスト者が神の子たちと呼ばれるのと
は違い,父なる神と本質的同一を意味するところの,イエスにのみつ
けられた特別な呼称です。(ヨハネ5:18)。他の語と区別するため
に「神のみ子」,「独り子」は,本文には必ず定冠詞が付いています。
●「∼の子」という場合,必ずしも親子の関係とは限りません。たとえ
ば,ヨハネはマルコ3:17で「雷の子」というが,ヨハネの父の名が
雷ではありません。ヨハネの気性が雷の権化のように荒っぽい気性で
あったためです。「慰めの子」(使徒4:36)のバルナバも同様です。
従って,イエスが「神の子」と言われる場合,神性が関係しています。
(3)主(KUP&og:キュリオスーヘライ語:アドナイ)
マタイ22:43-45,使徒4:33,9:27,10:36,
ローマ10:9.エホバの御名の項15頁参照。
●この称号はキリスト在世当時,ユダヤ人にとって神に対してのみ適用
された言葉です。旧約のヤーウェ(エホバ)に対して,新約において
は「主」(キュリオス)と呼ばれています。
●聖書の中で「主」の意味は,「支配者」,「主人」,「神」などを示
しています。コリント第一12:3には「イエスは主である」とありま
す。現在,ユダヤ人が使うヘブライ語の新約聖書では,「イエスは
mR9(エホバ)である」です。従って,一世紀当時,ユダヤ人
が「イエス・キリストは主である」と「口で公に宣言する」時には,
単なるナザレの大工の息子ではなく,「イエスは神である」ことを公
に宣言したことになります。cf.15,55-56,155頁参照。
(4)その他の称号
「神の右」(神と同等の立場を表す表現)cf.詩編110:1。64頁参照。
「王の王」(イエスにのみの称号)啓示17:14,19:16,テモテ第一6:15
「インマヌエル」マタイ1:23.
2.礼拝の対象
聖書では,礼拝の対象は神のみであることを明確にしています。
マタイ2:1,2,2:7,8,2:11,4:10,14:33,28:9,
28:16,17,ヨハネ9:1,38,へプライ1:6,啓示5:8,14:7.
。
62
キリストの神性
クリスチャンはイエス・キリストを神ご自身と同等の地位に置きます。
クリスチャン以外の人はイエスを預言者として扱う(イスラム教徒)
か,絶対的な神より劣る一つの神のような存在(エホバの証人)か,
あるいは偉人として敬います。しかし,たとえイエスを偉大な人とみ
なしても,神と等しいお方として崇拝しなければ是認されません。
父なる神
永遠の存在
ローマ16:26
イエス・キリスト
聖 霊
イザヤ9:6
へプライ9:14
ミカ5:2
ヨハネ2:24,25
全 知 性
マタイ10:29−30
ヨハネ21:17
コリント第一2:11
マタイ9:4
全 能 性
エフェソス1:19
フィリピ3:21
ヨブ33:4
テモテ第一6:14-16
へプライ13:8
不 変 性
マラキ3:6
聖霊の人格としての
働きを拒否するなら
へプライ1:12
永久に救われない。
マタイ12:32
ヨハネ1:3
創 造 者
イザヤ44:24
コロサイ1:16
創世記1:2
へプライ1:10
遍 在 性
エレミヤ23:24
マタイ18:20
使徒17:27
マタイ28:20
ヨハネ1:1
神と呼ばれる
申命記6:4
詩編139:7-8
使徒5:3,4
ヨハネ20:28
へプライ3:7−11
イザヤ9:6
へプライ10:15,16
さんみ
三位一体
エホバの証人は次の事を信じている。
1.三位一体という言葉は聖書にないので,人間の考え出した教理である。
(「あなたは三位一体を信ずるべきですか」p.5,「論じる」p.159)
2.神はお一人であられ,三人ではない。
(「あなたは三位一体を信ずるべきですか」p.12,「論じる」p.166)
3.イエスは被造物であられ,神とは区別されている。
(「あなたは三位一体を信ずるべきですか」p.13,16,「論じる」p、171-180)
みこ
4.父なる神,御子,聖霊は実体,力,永遠性において同等でない。
(「論じる」p.164-166)
三位一体は人間の考え出した教理なのでしょうか
マタイ28:19:「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,蕊と蕊
と蕊霊との名において彼らにバプテスマを施し」。
<註>エホバの証人によりますと,三位一体論者が「父」+「御子」
+「聖霊」=3人の神を一人の神だと言うのは,矛盾だと非難します。
1+1+1=3なのに,答えは1だと盲信していると攻撃します。と
ころで,この聖句「父と子と聖霊との名」の「蕊」は,単数でしょう
か,それとも,複数でしょうか。「名」は「新世界訳」(英文)にお
いても,name(単数)です。たとえば,マタイ10:2の「十二使
徒の名」では,names(複数)になっています。つまり,三位一
体の神とは,1×1×1=1であります。人格的な区別はありますが,
本質(62,78頁の表参照)において,同じことは明白です。
コリント第二13:14:「主灘議蕊蕊蕊灘蕊議蕊の過分のご親切と識の愛,なら
P ■ ● 旬 ■ e ■ 口 ● 、 ■ 旬 ● ●
ー
びに蕊霊にあずかることが,あなた方すべてにありますように」。
<註>聖書には,「父なる神」,「御子」,「聖霊」が一体となって,
人間に対する救いのご計画の成就のために働いておられます。
マタイ3:16,17:「バプテスマを受けたのち,蕊灘蕊はすぐに水から上がら
れた。すると,見よ,天が開け,[イエス]は,神の義がはとのように下っ
て自分の上に来るのをご覧になった。見よ,さらに天からの声があって,こ
う言った。『これは霧繍の子,[わたしの]愛する者である。この者をわ
たしは是認した』」。
−63−
64
キリストの神性
ルカ1:35:「み使いは答えて言った,
『蕊蕊があなたに臨み,灘の力
があなたを覆うのです。そのゆえにも, 生まれるものは聖なる者,嬢蕊篝と
呼ばれます」。
ヨハネ14:26:「しかし,蕊がわたしの名によって遣わしてくださる助け手,
つまり蕊霊のことですが,その者はあなた方にすべてのことを教え,霧蕊鱗
が告げたすべての事柄を思い起こさせるでしょう」。
使徒2:33:「それで,蕊灘謹は神の右に高められ,約束の蕊議を鍵から受
けたので,この,あなた方の見聞きするものを注ぎ出されたのです」。
<註>「右に出る者がいない」と言いますが,聖書で右とは同等の力・
立場を持っている者に用います。cf・列王第-2:19,詩編45:9。
使徒7:55:「しかし彼は蕊議に満ち,天を見つめて,神の栄光および灘蕊
溌が難の右に立っておられるのを目にし」。
使徒10:38:「すなわち,ナザレから来た錐溌議のことで,蕊がどのように
璽霊と力をもってこの方に油そそがれたかということです」。
使徒10:42-44:「また蕊蕊蕊は,民に宣く伝えるように,そして,これが
生きている者と死んでいる者との審判者として灘に定められた者であること
を徹底的に証しするようにと,わたしたちにお命じになりました。この方に
ついてはすべての預言者が証しをし,彼に信仰を持つ者は皆,その名によっ
て罪の許しを得ると[述べて]います。ペテロがまだこれらのことについて
話しているうちに,蕊議がみ言葉を聞いているすべての人の上に下った」。
ローマ15:16:「[それが与えられたのは,]わたしが諸国民に対する議灘
義蕊蕊蕊篝蕊蕊の公僕となって鐘の良いたよりの聖なる業に携わり,こうして,
捧げ物であるそれら諸国民が,蕊謹によって神聖なものとされ,受け入れら
れるものとなるためでした」。
エフェソス2:18:「この方(灘蕊議)を通してわたしたち両方の民は,一
つの鍵のもとに蕊に近づくことができるからです」。
エフェソス3:14-17:「このゆえに,わたしは蕊に対し,すなわち,天と地
のあらゆる家族がその名を負う方に対してひざをかがめます。その栄光の富
三位一体
65
にしたがい,その議による力をもって,あなた方の内なる人を強くしてくだ
さり,[あなた方の]信仰により,あなた方の心の中に,愛をもって灘議鐵
蕊を住まわせてくださるようにするためです。これは,あなた方がしっかり
根ざして土台の上に堅く立つため」。
テサロニケ第一1:3-5:「あなた方の忠実な働きと愛の労苦,またわたした
ちの主謹蕊議議灘懲議に対する希望のゆえに[あなた方が]わたしたちの
神また蕊のみ前で[示す]忍耐を絶えず覚えているからです。神に愛される
兄弟たち,わたしたちはあなた方に対する[神]の選びを知っているのです。
わたしたちの宣く伝える良いたよりは,ただことばだけでなく,力と蕊鍵と
強い確信をも伴ってあなた方のところにもたらされたからです」。
テトス3:5,6:「[蕊]は,わたしたちが義の業を行なったからではなく,
ただご自分の憐れみのもとに,わたしたちを命に導いた洗いと,蕊謹によっ
てわたしたちを新たにすることとによって,わたしたちを救ってくださいま
した。[神]はこの[霊]を,わたしたちの救い主なる蕊撫議議溌撫塞議を
通して豊かに注ぎ出してくださったのです」。
へプライ9:14:「まして,永遠の霊により,きずのないすがたで自分を熱
にささげた議灘鑿蕊の血は,わたしたちの良心を死んだ業から清めて,生け
る神に神聖な奉仕をささげられるようにしてくださるのではないでしょうか」。
へプライ10:12-15:「しかしこの[方](諺溌瀦蕊)は,罪のために一つ
の犠牲を永久にささげて漁の右に座し,それ以来,自分の敵たちが自分の足
の台として置かれるまで待っておられます。彼が,神聖にされつつある者た
ちを永久に完全にしたのは,一つの[犠牲の]捧げ物によるのです。さらに,
蕊議もわたしたちにこう証ししています」。
ペテロ第一1:2:「蕊隷議識の予知にしたがい,霊による聖化をもって,
[また]従順な者となって灘蕊蕊鐵溌蕊鐵灘の血を振り掛けられる目的で選
ばれた者たちへ」。
ヨハネ第一4:13,14:「...[神]がわたしたちと結びついていてくださる
ことを知ります。すなわち,神がご自分の霊をわたしたちに分け与えてくだ
さったことによってです。加えて,わたしたち自身,蕊がご自分の蕊霧を世
の救い主として遣わされたことを見,[それ]について証しをしています」。
三位一体
66
ユダ20,21:「しかし,愛する者たちよ,あなた方は,自分の抱く極めて聖
なる信仰の上に自らを築き上げ,蕊霊をもって祈ることにより,自分を蕊の
愛のうちに保ちなさい。そして,永遠の命を目ざしつつわたしたちの主灘蕊
塞溌溌職溌溌の憐れみを待ちなさい」。
啓示14:12-13:「『…ここが,聖なる者たち,すなわち蕊のおきてと蕊
蕊鍵の信仰を守る者たちにとって,忍耐となるところである』。またわたし
は,天から出る声がこう言うのを聞いた。『こう書きなさい:今からのち主
と結ばれて死ぬ死人は幸いである。しかり,彼らはその労苦を休みなさい,
彼らの行なったことはそのまま彼らに伴って行くからである,と蕊は言う』」。
エホバは何人ですか
かたち
創世記1:26:「次いで神は言われた,「わたしたちの像に,わたしたちと
きま
似た様に人を造り(単数),彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と
地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう』」。
<註>エホバの証人は,「わたしたち」というのは,エホバがイエス
と語り合っておられる場面であると強調します。そうであるならば,
「神は言われた」の「神」はヘブライ語では複数形になっていること
と調和して,「言われた」という動詞も複数形になってしかるべきで
す。しかし,主語の「神」が複数形であるにもかかわらず,その動詞
の「言われた」が単数形なのはどうしてなのでしょうか。
「神」のヘブライ語エローヒームが文法的に尊厳,能力などの強調を
意味しているとするなら,創世記3章22節,創世記11章6,7節,
イザヤ6章8節などはどのように解釈したら良いのでしょうか。
創世記3:22:「次いでエホバ神はこう言われた。『さあ,人は善悪を知る
点でわたしたちのひとりのようになった。今,彼が手を出してまさに命の木
からも[実を]取って食べ,定めのない時まで生きることのないように−」。
創世記11:6,7:「その後壬丞型(単数形)は言われた,『見よ,彼らは一
っの民で,彼らのすべてにとって言語もただ一つである。そして,このよう
なことを彼らは行ない始めるのだ。今や彼らが行なおうとすることでそのな
し得ないものはないではないか。さあ,わたしたちは(複数形)下って(単
数形)行って,あそこで彼らの言語を混乱させ,彼らが互いの言語を聴き分
″
けられないようにしよう』」。
三位一体
67
イザヤ6:8:「それから,わたしはエホバ(単数形)の声がこう言われるの
を聞くようになった。『わたしはだれを遣わそうか。だれがわたしたち(複
数形)のために行く(単数形)だろうか』。そこでわたしは言った, 『ここ
にわたしがおります!わたしを遣わしてください』と」。
創世記18:1-3,9,13,22,19:1,18,24:「後にエホバはマムレの大木林で彼
(アブラハム)に皇われ迄。それは,昼の暑いころ,彼が天幕の入口に座っ
ていた時のことであった。彼が目を上げて見ると,自分から少し離れたとこ
ろに二人の人が立っているのであった。それを見かけると,彼はその人たち
を迎えるため天幕の入口から走り出て,地に身をかがめた。そうしてこう言
った。『エホ(よ,もし今,私があなたの目に恵みを得ておりましたら,ど
うかこの僕のところを素通りなさらないでください…』。そののち彼らは
(アブラハム)に言った,『あなたの妻サラはどこにいるのか』。それで彼
は言った,『ここ,天幕の中におります』。…そのときエホバはアプラハ
ムに言われた,『サラが笑って,「わたしは年老いてしまったのに果たして
ほんとうに子を産めるだろうか」と言ったのはどうしてか…』。ここでそ
Q▲室_昼そこから向きを転じてユドムの方へ進んで行った。しかしエホバの
ほうはなおもアブラハムの前に立っておられた。…さて,かの二人のみ使
−
一
い は 夕 方 ま で に ソ ドムに着いたが,ロトはソドムの門の中に座しているとこ
ろであった。ふたりを見かけると,ロトは立ち上がってこれを迎え,地に顔
を伏せて身をかがめた。…そのときP卜はその人々に言った,『エホバ,
どうかそのようにではなく1…』。…そのときエホバは,硫黄と火の雨
をエホバのもとすなわち天からソドムとゴモラの上に降らせられた」。
<註>霊であられる神は,人間に啓示や指示を与えられる時,ご親切
にも人間と直接話されるために,み使いのさまをとられたりしました。
cf.出エジプト33:20と出エジプト33:11を比較してください。
イザヤ6:1とヨハネ12:41も比較して下さいocf.創世記32:28。
●エホバは3人でアブラハムに現れています。(1節)。アブラハム
は3人にエホバとしてあいさつをおくっています。(3節)。歓迎
された3人は,9節では,「彼らは(複数形)」になっているのに対
して,13節では,「エホバ(単数形)」として扱われています。
さらに,3人のうち2人がソドムのロトを訪問して留守の間,アブラ
ハムは残っている一人を「エホバ」と呼んでいます。(22,30節)
ところが,ロトは残りの2人を「エホバ(単数形)」と呼んでいま
一
す。(19章1,18節)。
三位一体
68
申命記6:4:「イスラェルよ’聴きなさい。わたしたちの神エホバはただひ
とりのエホバである」。
=======
<註>「ただひとり」とか「一つ」というヘブライ語は「エハド」を
用います。この語は単一個体だけでなく,複合的な統一体をも意味し
ます。たとえば創世記2:24ではアダムとエバは「エハド」つまり
ひとふさ
「一体」です。また,民数記13:23の「一房」は「エハド」であり,
一つの枝に結実した多数のぶどうのつぶの集まりに用いられてい.ます。
従って,神が“エハド”「ただひとり」であるという意味は,父も
子も聖霊も性質において同一であり,統一がとれていて,意志がいつ
も貫かれています。「父・御子・聖霊」の働きはいつも愛においても,
聖なることにおいても,義なることにおいても,同じ働きをもって現
れるということです。
ヨハネ17:3:「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わ
しになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠
の命を意味しています」。
<註>エホバの証人は「唯一まことの神」と「あなたがお遣わしにな
ったイエス・キリスト」に明らかな違いがあると主張します。もし
「唯一まことの神」としての神性は,父だけが所有しているものと決
めつけるなら,ユダ4節にもこうした決めつけが適用することになり
ます°そこではイエスは「わたしたちの唯一の所有者また主」と呼ば
’■■■■■■■
れています。つまりイエスだけが「主」とか「所有者」としての資格
あが
を有しているものと決めつけるなら,父なる神は「主」として崇める
ことはできなくなることになります。エホバの証人は「主エホバ」と
して呼びかけることができなくなるのではありませんか。
<註>「知識を取り入れること」が,救い主に対する信仰より優先す
るという聖書解釈を絶対化するための根拠としています。つまり2冊
の書籍を学ばなければ救いのためのバプテスマを承認されないと言い
ます。しかし,エチオピア人の官官もフィリポから手引きしてもらっ
てイザヤ53章の「ほふられた子羊」が救い主イエスであり,イエス
に信仰を持った時すぐにバプテスマを受けました。また,イエスが処
刑されるとき,傍らの悪行者も,2冊の書籍を学んだりしなくても,
「パラダイスにいるでしょう」と是認されました。従って,神から是
認されるためには,「知識を取り入れること」より,ガラテア4章6
∼9節にあるように,神の子供になり,「いえむしろ,神に知られる
ようになった」ことが重要です。
dwp.75
三位一体
69
永遠の存在であるのは父なる神だけですか
40-41頁参照。
ローマ16:26:「今や明らかにされ,しかも,信仰による従順を推し進める
ため,永遠の蕊の命令のもとに,預言的な聖句を通してあらゆる国民の間に
知らされた神聖な奥義の啓示にしたがって,あなた方を確固たる者とするこ
とのできる方に」,
イザヤ9:6:「わたしたちのためにひとりの子供(蕊溌溌蕊)が生まれ,わ
たしたちにひとりの男子が与えられたからである。君としての支配がその肩
に置かれる。そして彼の名は,“くすしい助言者”,“力ある神”,“とこ
しえの父”,“平和の君”と呼ばれるであろう」。
ミカ5:2:「そして,ベツレヘム・エフラタ,ユダの幾千の中に入るには小
さすぎる者よ,イスラエルにおいて支配者となる者があなたの中からわたし
のために出る。その者(灘蕊議識)の起こりは遠い昔から,定めのない昔の
日からである」。
<註>「定めのない昔」と訳出されているヘブライ語は,詩編90篇
2節の「定めのない時から定めのない時に至るまで」と同じです。
従って,詩編90:2を神の永遠性の根拠とするなら,イエスも永遠に
存在しておられることになります。40-41頁参照。
へプライ9:14:「まして,永遠の霊により,きずのないすがたで自分を神
にささげたキリストの血は,わたしたちの良心を死んだ業から清めて,生け
る神に神聖な奉仕をささげられるようにしてくださるのではないでしょうか」。
全知性があるのは父なる神だけでしょうか
38頁参照。
マタイ10:29,30:「すずめ二羽はわずかな価の硬貨ひとつで売っているで
はありませんか。それでも,あなた方の蕊の[知ること]なくしては,その
一羽も地面に落ちません。ところが,あなた方の頭の毛までがすべて数えら
れているのです」。
ヨハネ2:24,25:「しかし議蕊蕊蕊ご自身は,自分を彼らにゆだねることはさ
れなかった。彼らすべてを知っておられたからであり,人についてだれかに
証ししてもらう必要はなかったからである。:人の内に何があるかを,ご自身
が知っておられたのである」。
70
三位一体
ヨハネ21:17:「[綴蕊塞]は彼に三度目に言われた,『ヨハネの子シモン
よ’あなたはわたしに愛情を持っていますか』。彼が三度目に,『わたしに
愛情を持っていますか』と言ったので,ペテロは悲嘆した。そして彼に言っ
た,『主よ,あなたはすべてのことを知っておられます。わたしがあなたに
愛情を持っていることを,あなたは気づいておられます』」。
マタイ9:4:「だが,黍溌鑑は彼らの考えを知っていてこう言われた。『な
ぜあなた方は心の中で邪悪なことを考えているのですか…』」。
コリント第一2:11:「というのは,人の事柄は,その人のうちにある人間
の霊を別にすれば,人々のうちいったいだれが知っているでしょうか。それ
と同じように,神の事柄も,神の霊を別にすれば,だれも知らないのです」。
<註>「神の霊」という場合,神が所有しておられる非人格的な活動
力を意味しているのでしょうか。単なる活動力にすぎないなら,物事
を「知っている」とか「教える,任命する」事はできません。
ギリシャ語の「∼の」は,所有の概念だけでなく同格の場合も多いの
です。102頁参照。つまり「神の霊」の正しい意味は,「神が霊」
ということです。→「キュリオスは霊です」。コリント第二3:17。
全能性をもたれるのは父なる神だけでしょうか
62頁参照。
エフェソス1:19:「そして,わたしたち信じる者に対する[綴]の力の卓
抜した偉大さがどんなものかを,あなた方が知るようになるためです。それ
は[神]の強大な力の働きによるのであり」。
フィリピ3:21:「彼(泰蕊譲砿)はその持つ力,すなわち一切のものをご
自分に服させるほどの[力]の働きにより,わたしたちの辱められた体を作
り替えて,ご自分の栄光ある体にかなうものとしてくださるのです」。
テモテ第一6:14-16:「わたしたちの主義蕊燕蕊蕊灘識燕の顕現の時まで,
汚点のない,またとがめられるところのない仕方でおきてを守り行いなさい。
その[顕現]は,幸福な唯一の大能者がその定めの時に示されるのです。
[その方は]王として支配する者たちの王,主として支配する者たちの主で
あり,ただひとり不滅性を持ち,近づき難い光の中に住み,人はだれも見た
ことがなく,また見ることのできない方です。この方に永遠の誉れと偉力と
がありますように。アーメン」。
三位一体
71
ヨプ33:4:「神の霊がわたしを造り,次いで全能者の息がわたしを生かし
た」。
<註>ここでも「神の霊」というのは,所有の意味ではなく,文法的
に同格であることに注意します。102頁参照。
すなわち「全能者」とは,「霊」と平行記述になっています。
不変性をもたれるのは父なる神だけでしょうか
41頁参照。
マラキ3:6:「わたしは蕊謹蕊であり,わたしは変わっていないのである」
へプライ1:12:「あなた(蕊蕊議溌)は外とうのように,外衣のようにそ
れらをたたまれます。それらは変わりますが,あなたは同じであり,あなた
の年が尽きることは決してありません」。
,.、w…....、‘ず..….…‘鈴.、.…...…….….…….w,、きのう
へ プ ラ イ 1 3 8:「讓蕊譲蕊議識蕊蕊は,昨日も,今日も,そして永久 に同
−
じです’。
マタイ12:32:「たとえば,人の子に逆らう言葉を語るのがだれであっても,
その者は許されるでしょう。しかし,蕊謹に言い逆らうのがだれであっても,
その者は許されないのです。三の事物の体制においても,また来たるべき
[体制]においてもです」。
<註>聖霊の人格としての働きを拒否するなら永久に救われません。
創造者であられるのは父なる神だけでしょうか
34-35頁参照。
イザヤ44:24:「あなたを買い戻す方,あなたを腹[の時]から形造った方,
エホバはこのように言われた。『わたし,謹蕊蕊は,すべてのことを行ない,
型=鬘丞圭垂_2-蛙墜L昌一塑圭垂_a四エエムュ_量。至れがわたしと共にいたか」。
:=========
ヨハネ1:3:「すべてのものは彼(塞蕊鍵蕊)を通して存在するようになり
彼を離れて存在するようになったものは一つもない」。
コロサイ1:16:「なぜなら,すべてのものは,天においても地においても,
見えるものも見えないものも,王座であれ主権であれ政府であれ権威であれ,
彼(蕊謹蕊慧簔)によって創造されたからです 。すべてのものは彼を通して,
また彼のために創造されているのです」。
◎
三位一体
72
ヘブライ1:10:「また,『主(議議蕊議蕊)よ,あなたは初めにこ堕塑2基
を据えられました。天はあなたのみ手の業です」。
創世記1:2:「さて,地は形がなく,荒漠としていて,闇が水の深みの表に
あった。そして,神の活動する力(蕊)が水の表を行きめぐっていた」。
遍在性をもたれるのは父なる神だけでしょうか
エレミヤ23:24:「『わたしは天と地に実際に満ちているのではないか』と,
義撫綴はお告げになる」。
<註>ものみの塔協会は,成員を神の唯一の伝達経路である統治体に
従わせるために,神の遍在性を認めません。第二次世界大戦前の出版
すばるざ
物では,神は昴座におられると主張していました。「和解」(昭和5
年発行)15頁。cf.「住まわれる定まった場所」一列王第-8:43-
使徒17:27,28:「人々が神を求めるためであり,それは,彼らが[神]を
模索してほんとうに見いだすならばのことですが,実際のところ[鍵]は,
わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません。わた
したちは[神]によって命を持ち,動き,存在しているからであり…」。
マタイ18:20
「二人か三人がわたしの名において共に集まっているところ
に は , わ た し (灘蕊議蕊)もその中にいるからです」。
マタイ28:20:「わたし(議蕊灘灘)は事物の体制の終結の時までいつの日
もあなた方と共にいるのです」。
詩編139:7-8「わたしはあなたの蕊のもとからどこへ行くことができるで
しょうか。あなたのみ顔のもとからどこへ走り去ることができるでしょうか。
たとえわたしが天に上ろうとも,あなたはそこにおられます。たとえわたし
がシェオルに寝いすを設けようとも,ご覧ください。あなたは[そこにおら
れるのです]」。
神と呼ばれるのは父なる神だけでしょうか
申命記6:4:「イスラエルよ’聴きなさい。わたしたちの蕊エホバはただ
ひとりのエホバである」。64頁参照。
三位一体
73
誰がイエスは神であると言ったか
2人か3人の証人がいれば、聖害ではその事は有効になります。
「人の犯すどんな罪の場合であれ、何かのとがまた罪に関してただ一人の証人が立ってこれを責める
べきではない。二人の征人のロまたは三人の証人の口によってその件は定められるべきである。」
( 申 命 配 1 9 : 1 5 ) 新 世 界 訳
1 . 使 徒 ヨ ハ ネ : 「 言 葉 は 神 で あ っ た 」 新 世 界 訳
(ヨハネ1:1)
2.使徒トマス:「私の主、そして私の神」新世界訳
(ヨハネ20:28)
(注)「神」一ギリシャ語本文では6徒6ぐ(ホセオス)に定冠詞がついています。新
世界駅の誤訳のヨハネ1:1のagodではなく特定の神を示しています。
(注)さらにヨハネ20:29でイエス・キリストがトマスを叱責されずに、崇拝を認められ
た事も注目に値します。
3.使徒ペテロ:「私たちの神であり救い主であるイエス・キIノスト」新改訳・現代訳
(ぺテロ篤二1:1)「神であり救い主であるイエス・キリストから」リビングパイル
「わたしたちの神、救い主イエスス・キリストの正しさ」共同訳
「わたしたちの神、救い主、イエズス・キリストの正しさ」フランシスコ認
4.使徒パウロ:「大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光」新改訳
(テトス2:13)「大いなる神、「わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光」口語訳
「偉大な神であり、救い主であるイエズス・キリストの光栄」バルバロ訳
「偉大なる神であり、「わたしたちの救い主であるイエスス・キリストの栄光」共同訳
「偉大なる神であり、「わたしたちの救い主であるイエズス・キリストの栄光」フランシスコ鍬
「大いなる神、我らの救主イエス・キリストの栄光」関根訳
「われらは大いなる神でわれらの救い主にいますキリスト・イエスの栄光」前田訳
5.イザヤ:「力ある神、とこしえの父、平和の君」新世界訳
(イザヤ9:6)
(注)イザヤ10:21では「力ある神」はエホバです。
6.イグナティウス(西暦30∼117年)初代教父の−人
新世界訳
受 肉
肉体を持ち、かつ麓であるところの唯一の医者がおられる。彼は人から
生まれ、同時に人によらないで生まれ、神が人となり、死のうちに真の生
命を得た者、マリヤと神とから生まれ、まず苦しみを受けることができ、
次には苦しみを受けることができない、われらの主イエス・キリストであ
る 。 キ . リ ス ト 教 文 書 資 料 集
rr
●●●
3●●4
●●●
55
徒徒
使使
きょき
」。
「神に対して虚偽の振る舞いを…」。
へプライ3:7-11:「それゆえ,謹鱗が述べるとおりです。『今日,もしこ
の方の声を聴いたら,あなた方は,苦々しい怒りを引き起こした時のように,
荒野で試した日のように心をかたくなにしてはならない。そこであなた方の
父祖たちは試みをもってわたしを試した。しかもそれはわたしの業を四十年
三位一体
74
のあいだ見たのちのことであった。そのためわたしはこの世代に嫌悪を覚え
て,こう言った。『彼らの心は常に迷い,彼ら自身はわたしの道を知るに至
らなかった』。それでわたしは怒りのうちに誓った,『彼らにはわたしの休
みに入らせない』と」。
詩編95:7-11:「この方はわたしたちの神,わたしたちはその放牧地の民,
そのみ手の羊だからである。今日,もしあなた方がその声を聴いたなら;メ
リバにおけるように,荒野のマッサの日におけるように心をかたくなにして
はならない。そのとき,あなた方の父祖たちはわたしを試した。彼らはわた
しを調べ,またわたしの働きを見た。わたしは四十年間その世代に対して嫌
忌の念を抱きつづけ,そして言うようになった,『彼らは心の定まらない民
である。彼ら自身はわたしの道を知るに至らなかった』と。彼らに関して,
わたしは怒りのうちに誓った。『彼らにはわたしの休み場に入らせない』と」。
へプライ10:15,16:「さらに,蕊謹もわたしたちにこう証ししています。
『これが,それらの日の後にわたしが彼らに対して締結する契約である』と,
エホバは言われる。『わたしは,わたしの律法を彼らの心の中に置き,それ
を彼らの思いの中に書き記す』」。
エレミヤ31:33,34:「『これこそ,わたしがそれらの日の後にイスラエル
の家と結ぶ契約だからである』と,エホバはお告げになる。『わたしは彼ら
の内にわたしの律法を置き,彼らの心の中にそれを書き記す。そして,わた
しは彼らの神となり,彼らはわたしの民となるであろう』。『そして,彼ら
はもはや各々その友を,各々その兄弟を教えて,「エホバを知れ!」とは言
わない。彼らはその最も小なる者からその最も大なる者に至るまで,皆わた
しを知るからである』と,エホバはお告げになる。『わたしは彼らのとがを
許し,彼らの罪をもはや思い出さないからである』」。
クリスチャンに内住されるのはだれですか
ヨハネ14:23:「それに答えてイエスは彼に言われた,『だれでもわたしを
愛するなら,その人はわたしの言葉を守り行ない,わたしの蕊はその人を愛
し,ぬたしたちはその人のところに来て住まうのです」。
エフェソス3:17:「[あなた方の]信仰により,あなた方の心の中に,愛
をもって蕊蕊蕊蕊驚を住まわせてくださるようにするためです。これは,あな
三位一体
75
た方がしっかり根ざして土台の上に堅く立つため」。
ローマ8:9:「神の蕊があなた方のうちに真に宿っているなら」
◎
コリント第一3:16:「あなた方は,自分たちが神の神殿であり, 神の霊が
自分たちの中に宿っていることを知らないのですか」。
−
律法とはだれの律法ですか
ローマ7:22:「わたしは,内なる人にしたがえば蕊の律法をほんとうに喜
んでいますが」。
ガラテア6:2:「互いの重荷を負い合い,
こうして霊灘議議の律法を全うし
なさい」。
ローマ8:2:「その[蕊]の律鑓が,あなたを罪と死の律法から自由にした
からです」。
命を与えるのはだれですか
ヨハネ5:26
子にもまた,
「蕊は,ご自身のうちに命を持っておられると同じように,
自らのうちに命を持つことをお許しになったからです」。
ヨハネ1:3,4:「彼(蕊蕊霧蕊)によって存在するようになったものは命で
あり,命は人の光であった」。
ヨハネ第一5:13:「わたしがこれらのことをあなた方に書くのは,灘蕊護
憲の名に信仰を置くあなた方が永遠の命を持っていることを知らせるためで
す」。
ガラテア6:8:「霊のためにまいている者は識〕ら永遠の命を刈り取ること
になるからです」。
真理を持っておられるのはだれですか
ヤコブ1:18:
「[蕊]は自らそう意図されたので,わたしたちを真理の言
三付一体
76
葉によって生み出し,わたしたちがある意味で被造物の初穂となるようにさ
れました」。
ヨハネ14:6:「蕊蕊蕊は彼に言われた,『わたしは道であり,真理であり,
命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはあり
ません』」。
ヨハネ14:17:「それは真理の議であり,世はそれを受けることができませ
ん。それを見ず,また知らないからです。あなた方はそれを知っています。
それはあなた方のもとにとどまり,あなた方のうちにあるからです」。
知恵を持っておられるのはだれですか
ローマ11:33:「ああ,蕊の富と知恵と知識の深さよ・その裁きは何と探り
−
−
がたく,その道は[何と]たどりがたいものなのでしょう」。
コロサイ2:3:「彼(畿蕊撫蕊) のうちには, 知 恵 と 知 識 と の す べ て の 宝 が
q■■■■■■■■■■■■■
注意深く秘められているのです」
。
イ ザ ヤ 1 1 2:「そして彼の上にエホバの霊が必ずとどまる。それは知恵と
理解の霊, 計り事と力強さの霊,知識とエホバへの恐れの霊である」。
平和を生み出す方はどなたですか
ローマ15:33:「平和を与えてくださる蕊があなた方すべてと共におられま
すように。アーメン」。
イザヤ9:6:「わたしたちのためにひとりの子供が生まれ,わたしたちにひ
とりの男子が与えらえたからである。君としての支配がその肩に置かれる。
そして彼(羅蕊灘蕊)の名は,“くすしい助言者”,“力ある神”,“とこ
しえの父”,“平和の君”と呼ばれるであろう」。
ヨハネ14:27:「わたし(蕊§蕊議溌)はあなた方に平安を残し,わたしの平
安を与えます」。
ガラテア5:22:「一方,蕊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切…」。
77
三位一体
【要約】
神は,お一人しかいないことは明白です。。
聖書に三位一体という言葉がないにもかかわらず,一世紀からなぜクリスチ
ャンは三位一体の神を宣明してきたのでしょうか。
(1)被造物の証拠:
ローマ1:20:「というのは,[神]の見えない[特質]’すなわ
ち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められる
ので,世界の創造以来明らかに見えるからであり,それゆえに彼ら
は言い訳ができません」。
神が創造された「空間」には,“長さ”,“幅”,“高さ”の3
つがあり,「時間」には,“過去”,轡現在”,“未来”の3つが
あります。地上においては,「水」(H20)は“氷","水",
“蒸気”で成り立ち,「人間」は“感情”,“意志”,“行動”に
よって生活しています。cf.啓示21:16,ヨハネ第-5:7,8・
(2)偽りの宗教の模倣:
コリント第二11:14:「それも不思議ではありません。サタン自身
が自分をいつも光の使いに変様させているからです」。
★エジプト。西暦前2,000年紀のホルス,オシリス,イシスの三
つ組の神々。
★バビロン。西暦前2,000年紀のイシュタル,シン,シャマシュ
の三つ組の神々。
★パルミラ。西暦一世紀ごろの月神,天の主,太陽神の三つ組の
神々。
★インド。西暦7世紀ごろのヒンズー教の三者一体の神。
★カンボジア。西暦12世紀ごろの仏教徒の三者一体の神。
★モルモン。西暦1820年代に始まった三体同位の神。
★啓示16:13:「そしてわたしは,かえるのように[見える]三つ
たつ
の汚れた霊感の表現が,龍の口から,野獣の口から,偽預言者の
口から出るのを見た」。
<註>『龍』はサタン,『野獣』とは「荒廃をもたらす嫌悪
すべきもの(反キリスト)一マタイ24:15,ダニエル9:27」
であり,『偽預言者』とは,宗教指導者(統治体を含む)の
ことです。158,159頁参照。
(3)イエスの神性:
「キリストの神性」の項参照。
コロサイ2:9:「というのは,[壬リスi]の中にこそ,神の特質
の満ち満ちたさまが形を取って余すところなく宿っているからです」。
78
三位一体
へブル1:3:新改訳「御子は神の栄光の輝き,また神の本質の完
全な現われ重塑_且,その力あるみことばによって万物を保っておら
れます。また,罪のきよめを成し遂げて,すぐれて高い所の大能者
の右の座に着かれました」。
<註>イエスも,聖霊も,本質においては父なる神と同じです。
すなわち永遠性,全知性,遍在性などの神性を有しておられま
す。しかし,父なる神,御子,聖霊は人格において区別があり
ます。
(4)聖霊の神性:
「聖霊」の項参照。
侭や
で
な
で
な
い
い
で な い
@
【結論】
1.聖書の神は,三位一体の神です。
2.イエスは神です。
3.聖霊は神です。
4.父なる神,御子,聖霊は実体,力,永遠性において同等です。
死
エホバの証人は次の事を信じている。
1.人間の魂は死の際死ぬ。
(「論じる」
2.死後から復活まで生き続けるものは何もない。(「論じる」
p.302)
p、381)
「眠る」という言葉は聖書の中では霊に当てはまるのですか?それとも魂でしょう
か?あるいは体にのみあてはまるのでしょうか?
詩編146:3,4:「高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。
彼らに救いはない。その霊は出て行き,彼は自分の地面に帰る。その日に彼
の考えは滅びうせる」。
<註>人間は死ぬ時,「霊」はどこへ「出て行く」のでしょうか。
伝道3:21にあるように,「上に(天に)」上って行くのです。
マタイ9:24:「イエスは,『そこをどきなさい。この少女は死んだのでは
−
ない,眠っているのです』と言いだされた」。
<註>「眠っている」のは,「少女」自身であって,少女の霊,ある
いは少女の魂とは述べられていません。
ヨハネ11:11:「わたしたちの友ラザロは休んでいますが,わたしは彼を眠
りから覚ましにそこへ行きます」。
使徒7:59,60:「そして,訴えながら,『主イエスよ’わたしの霊をお受け
下さもl』と言うステファノに向かって,彼らは石を投げつづけた。…[死
の]眠りについた」。
<註>ステファノは「わたしの霊を消して下さい」と言ったのではな
く,「受け取って下さい」と言いました。
使徒13:36:「というのは,一方でダビ完は,…[死の]眠りについて父
祖たちと共に横たえられ,確かに腐れを見たからです」。
<註>「眠りについて」から「腐る」のは,体か霊か魂かは明白です。
テサロニケ第一4:14:「イエスは死んでよみがえったということがわたし
たちの信仰であれば,神はゴエスにより[死んで]眠っている者たちをも彼
と共にやはり連れ出してくださるからです」。
−79−
死
80
死者の状態は無意識ですか
ヨブ34:14,15:「もし[神]がその心をだれかに留め,[もし]その人の
−
霊と息をご自分に集められるなら,すべての肉なるものは共々に息絶え,地
の人も塵に返る」。
ヨブ26:5,6:「死んだ無力な者たちは震えている。水とその中に住まう者
との下にあって。シェオルは[神]の前では裸であり,滅び[の場所]も覆
うものがない」。
詩編116:3:「死の綱がわたしを取り巻き,シェオルの苦しい状況がわたし
を見いだしました。わたしは苦難と悲嘆を見いだし続けました」。
詩編146:4:「その霊は出て行き,彼は自分の地面に帰る。その日に彼の考
えは滅びうせる」。
<註>死ぬと肉は塵に帰り,霊は神のもとに出て行くのです。
伝道9:5,6:「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死ん
−
だ者には何の意識もなく,彼らはもはや報いを受けることもない。なぜなら,
彼らの記憶は忘れ去られたからである。また,その愛も憎しみもねたみも既
に滅びうせ,彼らは日の下で行なわれるどんなことにも,定めのない時に至
るまでもはや何の分も持たない」。
<註>エホバの証人は,「何の意識もなく」という聖句から,死者は
無意識であると字義通りに受け止めます。しかし,何が,どこで無意
識なのか,また,どこで「もはや報いを受けることもない」のかにつ
いて文脈を調べる必要があります。
すなわち,死ぬと,「日の下」(地上)では肉の体は塵になり,も
はや報いを受けることはありません。
では,死ぬ時,霊はどうなりますか。伝道12:7参照。
伝道12:7:「そのとき,塵はかってそうであったように地に帰り,霊もこ
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
れをお与えになった[まことの]神のもとに帰る」。
<註>ものみの塔協会の指導者は,象徴的な解釈を押し付けています。
「将来の命に対する希望は完全に神にかかっている」と説明します。
では,伝道9:5が文字通りとするなら,12章7節も一貫して文字通
りとしなければなりません。
死
81
イザヤ14:9,10:「下のシェオルも,あなたが入って来るのを迎えるため,
あなたを見て動揺した。それはあなたを見て,死んだ無力な者たちを,地の
やぎのような指導者すべてを目覚めさせた。それは諸国民のすべての王をそ
の王座から立ち上がらせた。彼らはみな話しはじめ,あなたに言う,『あな
たまでもわたしたちと同じように弱くされたのか…』」。
エゼキエル32:21:「力ある者の主立った者たちは,彼を助けた者たちと共
に,望エオルの中から彼に話しかける。彼らは必ず下って行くであろう。彼
らは,剣によって打ち殺された割礼をうけていない者として必ず横たわる」。
ルカ16:23:「ハデスの中で目を上げると,自分は責め苦のうちにありまし
た」。
■■■■■I■■■
ルカ16:24:「わたしはこの燃えさかる火の中で苦もんしている」。
啓示6:9-11:「また,彼が第五の封印を開いた時,わたしは,神の言葉の
ために,またその行なっていた証しの業のためにほふられた者たちの魂が祭
壇の下にいるのを見た。そして,彼らは大声で叫んで言った,『聖にして真
実な,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対
するわたしたちの血の復しゅうを[控えて]おられるのでしょうか』。する
と,白くて長い衣がその一人一人に与えられた。そして彼らは,自分たちが
[殺された]と同じように殺されようとしている仲間の奴隷また兄弟たちの
数も満ちるまで,あとしばらく休むように告げられた」。
イエス・キリストは死なれた時,どのような状態でしたか
ルカ23:43,46,マタイ27:50,ヨハネ19:30:「イエスは彼に言われた,
『今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいる
でしょ芝』。…そしてイエスは大声で呼ばわって言われた,『父よ,わた
しの霊をみ手に託しま式』。こう言ってから,[イエス]は息を引き取られた」
<註>新世界訳では「今日…」のあとに読点(,)の位置を変えて
います。「王国行間逐語訳」のギリシャ語文にも,レゴー(私は言い
ます)の後に,コンマ(読点)があります。つまり,そこでは「あな
たに真実に言いますが,今日あなたはわたしと共にパラダイスにいる
でしょう」。−「王国行間逐語訳」−と証明されています。従って,
傍らの犯罪者は,信仰によって,パラダイスに入るのが許されました。
。
死
82
<註>エホバの証人は次の質問にどのように答えるでしょうか。
a・イエスは処刑された後,どこにおられ'ると言われましたか。
b.パラダイスはどこにありますか。cf・コリント第二12:1-3.
c・パラダイスでは,イエスはどんな体で傍らの犯罪者と共におら
れるのですか。cf・コリント第二12:1-3,啓示2:7.
d.いつから,パラダイスにおられるのですか。
e・イエスの「霊」はどうなりましたか。cf・ヨハネ19:306
使徒13:34-36=詩輻16:10:「そして,彼をもはや腐れに帰すること
のない[者として]死人の中から復活させたことについて,[神]はこのよ
うに述べておられます。『わたしは,ダビデに対する忠実な愛ある親切をあ
なた方に与える』。ゆえに,別の詩の中で,『あなたはご自分の忠節な者が
腐れを見ることをお許しにならない』とも言っておられます。というのは,
一方でダビデは…[死の]眠りについて父祖たちと共に横たえられ,確か
に腐れを見たからです」。
<註>イエスの肉の体は腐って塵に帰ったのではなく,3日後に肉の
体で復活されたのです。つまり,肉の体で復活なさったからこそ,墓
の石が取り除かれたのです。復活の項145-146頁参照。
テモテ第一6:16:「ただひとり不滅性を持ち,近づき難い光の中に住み,
人はだれも見たことがなく,また見ることのできない方です。この方に永遠
の誉れと偉力とがありますように。アーメン」。
<註>16節はエホバではなく,イエスについて言及されています。
裏付け資料:「ものみの塔」誌1979年2月15日号p.31。
ペテロ第一3:18,19:「キリストでさえ罪に関して一度かぎり死なれました。
義なる方が不義の者たちのためにです。それはあなた方を神に導くためでし
た。彼は肉において死に渡され,霊において生かされたのです。この[状態]
でまた,彼は獄にある霊たちのもとに行って宣く伝えました」。
<註>イエスの肉の体は,3日間墓にありました。一方イエスの霊は
その三日間どうされていましたか。傍らの悪行者と共にパラダイスに
おられただけでしたか。19節によりますと,「獄にある霊たちのも
とに行って宣く伝えました」とあります。
<註>「霊において生かされる」とは,コリント第二13:3,4と調和
して理解する必要があります。すなわち,「霊によって」とは霊の体
で復活された事ではなく,「神の力のゆえに」生きておられるのです。
死
83
聖書は死後から復活まで生き続けるものについて語っていますか
創世記15:15:「あなた自身は,平安のうちに父祖のもとに行く。あなたは
良い齢に達して葬られるであろう」。
<註>墓に葬られる前に,アブラハムは先祖のいるところへ行くとい
うことに注目しますと,死後,生き続けるものがある事が判明します。
創世記25:8:
「その後アプラハムは息絶え,良い齢に達して死んだ。年老
一
いて満ち足り,
こうして自分の民のもとに集められた」。
申命記32:50:「そしてあなたは,上って行くその山で死に,自分の民のも
とに集められるように。あなたの兄弟アロンがホル山で死んでその民のもと
■■■■■■■■■■■■■■
に集められたのと同じように」。
創世記37:35:「『わたしは嘆きながら我が子のもとへ,シェオルヘ下るの
だ!』」。
<註>ヤコブはシェオルにいるヨセフに会いに行こうと思っています。
申命記18:10,11:「あなたの中に…死者に問い尋ねる者などがいてはい
けない」。
申命記32:22:「わたしの怒りの中で火は燃え立っており, そ れ は シ ェ オ ル
ー
に,最も低い所にまでも燃えてゆく」。
サムエル第一28:11-15:「『わたしのためにサムエルを連れ出してくれ』。
…『神が地から上って来るのを見ました』。…すると,“サムエル”は
サウルに言いだした,
『なぜあなたはわたしを連れ出させて,わたしをかき
乱したのか』」。
あたま
アモス9:1,2:「彼らを,そのすべてを頭のところで切り断て。そうすれば,
くだ
そのしんがりはわたしが剣で殺ヨニ。…たとえシェオルに掘り下るとしても,
わたしの手がこれをそこから取り出式。たとえ天に上るとしても, わ た し は
これをそこから引き下ろす」。
マタイ10:28:「そして,体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐
れてはなりません。むしろ,魂も体も共にケヘナで滅ぼすことのできる方を
死
84
恐れなさい」。
マタイ17:3,
マルコ9:4:「そして,見よ,モーセとエリヤが彼らに現わ
れ,[イエス] と 語 り 合 っ て い た 」 。
<註>ペテロが3人のために天幕を立てようと考えたのは幻を見たか
らでしょうか?幻の中に出てくる人が天幕に住むのは不合理です。
マタイ27:49:「エリヤが救いに来るかどうかを見よう」。
マ タ イ 2 7 50:「イエスは再び大声で叫び,それから[ご自分の]霊をゆだ
ねられた」
◎
マルコ15:36:「エリヤが下ろしに来るかどうを見よう」。
ルカ12:5:「殺したあとにゲヘナに投げ込む権威のある方を恐れなさい」○
ルカ16:30:「だれかが死人の中から行けば」。
ヨハネ8:51:「きわめて真実にあなた方に言いますが,だれでもわたしの
−
言葉を守り行なうなら,その人は決して死を見ることがありません」。
ヨハネ11:25,26:「わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生き
返るのです。そして,生きていてわたしに信仰を働かせる者はみな決して死
ぬことがありません」。
ヨハネ19:30:「頭を垂れ,[ご自分の]霊を引き渡された」。
使徒7:59,60:「そして,訴えながら,『主イエスよ’わたしの霊をお受け
下さい』と言うステファノに向かって,彼らは石を投げつづけた。…[死
の]眠りについた」。
<註>ステファノは「わたしの霊を消して下さい」と言ったのではな
く,「受け取って下さい」と言いました。
使徒20:9,10:「眠ったまま転げて三階から落ち,抱き起こしてみると死ん
でいた。しかしパウロは階下に降り,彼の上に伏して抱きかかえ,『騒ぎ立
てるのはやめなさい。彼の魂は彼の内にある』と言った」。
死
85
ローマ8:38,39:「死も,生も,…わたしたちの主キリスト・イエスにお
ける神の愛からわたしたちを引き離しえないことを,わたしは確信している
−
からです」。
コリント第二5:8:「わたしたちには勇気があり,むしろこの体から離れて
主のもとに自分の住まいを定めることを大いに喜んでいます」。
フィリピ1:23,24:「わたしはこれら二つのものに迫られています。しかし,
わたしがほんとうに願っているのは,解き放たれること,そしてキリストと
共になることです。言うまでもなく,このほうがはるかに良いからです。し
かし,あなた方のためには,わたしが因の様でとどまっていることのほうが
必要です」。
<註>「解き放たれる」とは,「世を去る」ことを意味します。
cf.コリント第二5:1-8,フィリピ3:17-21,ペテロ第二1:13-15。
フィリピ2:10:「天にあるもの,地にあるもの, 地の下にあるもののすべ
てのひざがイエスの名によってかがみ,」。
テモテ第二4:6:「わたしはすでに飲み物の捧げ物のように注ぎ出されてい
るのです。iフたしの解き放たれる定めの時は目前に迫っているからです」。
へプライ11:5:「エノクは死を見ないように移され, 神が彼を移されたの
で,彼はどこにも見いだされなくなりました」。
へプライ12:22-24:「しかしあなた方は,シオンの山,生ける神の都市な
る天のエルサレム,幾万ものみ使いたち,[すなわちその]全体集会,天に
登録されている初子たちの会衆,すべてのものの裁き主なる神,完全にされ
た義人たちの霊的な命,…振り注ぎの血に近づいたのです」。
<註>クリスチャンは「義人たちの霊的な命」に会えると書かれてい
ます。従って,義人の霊は生きています。
ペテロ第二1:13-15:「ですが,わたしがこの幕屋にいるかぎり,思い出さ
せるためにあなた方を奮い立たせるのは正しいことであると思います。わた
しは自分の幕屋をまもなく脱ぎ捨てることになるのを知っているからです。
それは,わたしたちの主イエス・キリストがわたしに示されたとおりでもあ
ります。それで,わたしは,自分の去った後,あなた方が自分でこれらのこ
死
86
とを語れるよう,時あるごとに力を尽くして励むつもりでもいます」。
<註>幕屋(移動用の一時的住まい)である肉の体を脱ぎ捨てること
が死ぬことです。
啓示20:4:「イエスについて行なった証しのため,また神について語った
ために斧で処刑された者たち…の魂を見たのであ量。そして彼らは生き返
り,キリストと共に千年のあいだ王として支配した」。
【要約】
死についての聖書の教え
1.死は自然,運命ではなく罪の報いです。
創世記2:17,ローマ5:12,6:23.
2.死は分離であり,消滅ではありません。創世記2:17,3:8-10,
エフェソス2:1,ルカ15:24,フィリピ1:22-24,
コリント第二5:1-9.
マタイ10:28での「滅ぼす」のギリシャ語はアポルミーです。
この同じ言葉がルカ15:24,19:10で使われ,「失う」と訳さ
れています。従って,「滅ぼす」というのは存在が消滅するので
はなく,物事があるべき状態ではなくなるという意味です。
3.死ぬと全員がハデスに行きますか
天国
ハルマゲ「ン
新しい天と地
死
87
4
.
3つの死(分離)
(1)霊的死
●神との交わりの分離・断絶のこと。
創世記2:17,3:8-10。
●堕落したアダムの性質を受け継いで生まれた全ての人間は生まれ
ながら霊的に死んでいます。
創世記5:1-3,エフェソス2:1。
●全ての人は神の国に入るためには新生が必要です。
ヨハネ3:3,コリント第二5:17。
●霊的死の結果として,肉体の死と永遠の死という2つの死が生じ
ました。
(2)肉体の死:霊と魂が肉体と分離
●人間の構成。
創世記1:26,27,2:7,伝道12:7,マタイ10:28,
テサロニケ第一5:23,ヤコブ2:26.
非物質的な部分:霊と魂物質的な部分:肉体
●人間の体は土で形造られ(ヘブライ語:ヤァーサル),神の息
(ネシャマー)が吹き込まれて,生きるもの(ネフェシュ=生き
ている魂)となった。
●クリスチャンは肉体の死を迎えても,その瞬間から霊と魂はイエ
ス・キリストと共にあります。
コリント第二5:8,フィリピ1:23,3:20。
(3)永遠の死:肉体の死後,永遠に神から分離される。
●未信者は肉体の死後,第二の死(裁きの復活後)を経験する前に,
ハデスーシェオルという「待合所」のような苦しみの場所に置か
れます。ルカ16:19-31。
●第二の死:
火の池に永久に置かれる。霊と魂はハデスから出て復活し,体が
再び結合させられて,ゲヘナで永遠の責め苦を経験します。
啓示14:11,20:5,15。
【結論】
1.「眠る」という言葉は聖書では霊に関しても,また魂に関しても一度も
用いられていません。「眠る」は体に関してのみあてはまります。
2.聖書は死の直後に,霊において生かされていることをはっきりと裏付け
ています。すなわち個々の人間は霊の状態で肉体の復活を待つのです。
十字架
エホバの証人は次の事を信じている。
1.イエスは一本のまっすぐな杭の上で処刑された。
dwp.101)
(「論じる」p.218
イエスは一本のまっすぐな杭の上で処刑されたのでしょうか
ヨハネ20:25:「そのためほかの弟子たちは,『わたしたちは主を見た!』
と彼に言うのであった。しかし彼は言った,『その手にくぎの跡を見,わた
しの指をくぎの跡に差し入れ,手をその脇腹に差し入れない限り,わたしは
決して信じない』」。
<註>「その手にくぎの跡を見」のくぎ"nail"は,
「新世界訳」
の英文では単数でしょうか,それとも複数でしょうか。
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協会発行
「王国行間
逐語訳」
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汀1面EUO②、
Iwouldbelieve
と含、ちらの糸会力ざ菖昌轡’二基一づし、てし、ヨミす力、
「また彼らは、
『ユダヤ人の王
イエス』と記し
た罪状を彼の頭
上に掲げた」。
マタイ27:37
「罪状」は何の上
にあったでしょう
か。手の上ですか
−88一
十字架
89
クリスチャンは十字架を誇りにすることができますか
コリント第一1:17,18:「キリストが私をお遣わしになったのは,バプテス
マを授けさせるためではなく,福音を宣く伝えさせるためです。それも,キ
リストの十字架がむなしくならないために,ことばの知恵によってはならな
いのです。十字架のことばは,滅びに至る人々には愚かであっても,救いを
一新改訳一
受ける私たちには,神の力です」。
ガラテア6:14:「しかし私には,私たちの主イエス・キリストの十字架以
外に誇りとするものが決してあってはなりません」。一新改訳一
フィリピ3:18:「というのは,私はしばしばあなたがたに言って来たし,
今も涙をもって言うのですが,多くの人々がキリストの十字架の敵として歩
一新改訳一
んでいるからです」。
【要約】
イエスが十字架で処刑
i
f
篝
I されたことは歴史的に
も,考古学上も証明さ
れています。
ちな
因みに初代会長C、T.
ラッセルが,アドベン
ティストのバーバー氏
と1877年に分裂したの
は,イエスの十字架の
蹟いに対する見解の違
いでした。その時以降,
ラッセルは十字架のバ
ッチを組織の旗印にし,
自分の墓にまで執念を
[今日までのべテル指導者たち専用の共同墓地の一角]
持ち込みました。
ピッツバーグ,1986年8月撮影。
【結論】
1.イエスの処刑は十字架によってなされた。
2.十字架は偶像崇拝の対象ではなく,クリスチャンが誇りにできるものです。
救い
エホバの証人は次の事を信じている。
1.救われるために人々が果たさねばならない事。
(1)知識を取り入れる。
(ものみの塔1983年5月15日号p.12)
(2)イエス・キリストを信じる。(「崇拝」p.35,149)
<註>イエスのもとに直接来るのではなく,イエスを通して,父のみもとに
近づくことができるという解釈。
(3)悔い改め。(「真の平和と安全」p.178)
(4)転向。(「真の平和と安全」p.179)
(5)エホバへの献身。(ものみの塔1985年6月1日号p.29)
(6)組織を神の経路と認める。(ものみの塔1983年5月15日号p.12)
dwp.50,76
(7)組織や組織の代表者に対する信仰。(ものみの塔1984年7月1日号p.15)
dwp、79
(8)千年期間,エホバへの忠誠を示さなければならない。
(ものみの塔1985年12月1日号p.18)
2.人は救われるために新生(霊的な再生)する必要がない。
(ものみの塔1986年2月15日号p.14)
3.キリスト教会のクリスチャンが「救われました」と言うのは盲信である。
(「論じる」p.257)
4.千年統治の直後まで,「救われる」事が定まらない。
(ものみの塔1985年12月1日号p.18)
救われていない人々は神のみ前ではどんな状態ですか
「イエスは彼に言われた,『わたしのあとに従いつづけなさ
マタイ8:22
い。そして,
死人に自分たちの死人を葬らせなさい』」。
一
マタイ10:6:「そうではなく,いつもイスラエルの家の失われた羊のとこ
−
ろに行きなさい」。
ルカ13:1-5:「ちょうどその時期に,ある者たちが居合わせて,ガリラヤ
人たちのこと1-つまりピラトがその人たちの血をその犠牲と混ぜたことにつ
いて彼に知らせた。そこで[イエス]は答えて彼らに言われた,『そうした
苦しみに遭ったのだからこれらのガリラヤ人はほかのすべてのガリラヤ人よ
一90−
救い
91
りひどい罪人だったとで,も思いますか。あなた方に言いますが,決してそう
ではありません。しかし,あなた方が悔い改めないなら,みな同様に滅ぼさ
れるのです。また,シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人のことですが,
これは彼らがエルサレムに住むほかのすべての人より負い目のある者だった
しるしだとでも思いますか。あなた方に言いますが,決してそうではありま
せん。しかし,あなた方が悔い改めないなら,みな同じように滅ぼされるの
です』」。
ルカ15:24:「このわたしの息子が,死んでいたのに生き返ったからだ。失
われていたのが見つかったのだ」。
ルカ19:10:「人の子は,失われたものを尋ね求め,それを救うために来た
のです」。
ヨハネ3:18:「信仰を働かせない者はすでに裁かれていま丈」。
ヨハネ3:36:「み子に信仰を働かせる者は永遠の命を持ってい苞。み子に
従わない者は命を見ず,神の憤りがその上にとどまっているのである」。
ローマ3:10-12:「こう書かれているとおりです。『義[人]はいない,一
人もいない。洞察力のある者はいない,神を探し求める者はいない。すべて
[の人]が[道から]それ,みな共に価値のない者となった。親切を行なう
者はいない,一人すらいない』」。
ローマ5:10:
「わたしたちが敵であつ_た時にみ子の死を通して神と和解し
たのであれば,
まして和解した今,[み子]の命によって救われるはずだか
らです」。
ガラテヤ4:9:「それなのに,
神を知るようになった今,いえむしろ,神に
知られるようになった今」。
エフェソス2:1:「さらに,あなた方は自分の罪過と罪にあって死んでいま
したが,そのあなた方を[神は生かしてくださいました]」。
■■ロ■■■■■■■■■■
エフェソス2:3:「それら[不従順の子ら]の中にあって,わたしたちは皆’
一時は自分の肉の欲望にしたがって生活し,肉と考えとの欲するところを
92
救い
行なって,ほかの人々と同じく生まれながらに憤りの子供でした」。
コロサイ2:13:「さらに, あなた方は自分の罪過と肉に割礼のないことと
に よ っ て 死 ん で い ま し た が , 」。
テサロニケ第二1:7-9:「主イエスがその強力なみ使いたちを伴い,燃える
火のうちに天から表わし示される時,わたしたちと共に安らぎをもって報い
ることこそ,神にとって義にかなったことであると言えるからです。その際
イエスは,神を知らない者と,わたしたちの主イエスについての良いたより
に従わない者に報復をするのです。実にこれらの者たちは,主のみ前から,
またその力の栄光から[離れて]永遠の滅びという司法上の処罰を受けます」。
啓示20:15:「また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖に投
げ込まれた」。
人はどのようにして救われますか
業の項171-177頁参照。
マタイ11:28-30:「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのとこ
ろに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょ
う。わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和
で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやか
なものを見いだすでしょう。わたしのくびきは心地よく,わたしの荷は軽い
のです」。
マタイ19:25,26:「それを聞くと,弟子たちは非常な驚きを表わして,
『いったいだれが救いを得られるのでしょうか』と言った。イエスは彼らの
顔をまともに見て言われた,『人にとってこれは不可能でも,神にとっては
すべてのことが可能です』」。
ヨハネ5:39,40:「あなた方は聖書によって永遠の命を持てるようになると
考えて,それを調べています。そして,これこそわたしについて証しするも
のなのです。それなのにあなた方は,命を持つためにわたしのところに来よ
うとしません」。
ヨハネ6:35:「わたしは命のパンです。わたしのもとに来る者は少しも飢
えず,わたしに信仰を働かせる者は決して渇くことがありません」。
救い
93
ヨハネ6:37:「父がわたしにお与えになるものは皆わたしのもとに来ます。
そして,わたしのもとに来る者を,わたしは決して追いやったりはしません」。
ヨハネ6:44:「わたしを遣わした方である父が引き寄せてくださらない限
り,だれもわたしのもとに来ることはできません」。
ヨハネ6:45:「父から聞いて学んだ者は皆わたしのもとに来ます」。
ヨハネ7:37,38:「さて,最後の日,祭りの大いなる日に,イエスは立って
おられたが,叫んでこう言われた。『だれでも渇いている人がいるなら,わ
たしのところに来て飲みなさい。わたしに信仰を持つ者は,まさに聖書が言
験いおつ
ったとおり,『その内奥のところから生きた水の流れが流れ出る』のです』」。
ヨハネ12:32:「しかしわたしは,自分が地から挙げられたなら,あらゆる
人をわたしのもとに引き寄せます」。
ヨハネ14:6:「イエスは彼に言われた,『わたしは道であり,真理であり,
命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはあり
ません』」。
−
へプライ13:13:「わたしたちは宿営の外に出て[イエス]のもとに行き」。
ペテロ第一2:24:一新改訳−「そして自分から十字架の上で,私たちの
罪をその身に負われました。それは,私たちが罪を離れ,義のために生きる
ためです。キリストの打ち傷のゆえに,あなたがたは,いやされたのです」。
<註>罪の隔てがある限り,永遠の命を享受できません。イエスが地
上に来られた理由は,私たちが受けなければならない罪の刑罰をキリ
ストご自身が記録してくださるためでした。罪のないイエス・キリス
トが身代わりになってくださいました。154頁参照。
ペテロ第一2:25:「あなた方はさまよっていて,羊のようであったからで
す。しかし今は,あなた方の魂の牧者また監督のもとに帰って来ました」。
ペテロ第一3:18:「キリストでさえ罪に関して一度かぎり死なれました。
義なる方が不義の者たちのためにです。それはあなた方を神に導くためでし
た。彼は肉において死に渡され,霊において生かされたのです」。
94
救い
人は救われるために何をしなければなりませんか
ヨハネ3:14-16:「そして,モーセが荒野で蛇を挙げたと同じように,人の
子も挙げられねばなりません。それは,彼を信じる者がみな永遠の命を持つ
左_竺_重立。というのは,神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,型]豊二豆
も彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされた
からです」。
ヨハネ3:36:「み子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている。み子に
従わない者は命を見ず,神の憤りがその上にとどまっているのである」。
ヨハネ6:47:「きわめて真実にあなた方に言いますが, 信 じ る 者 は 永 遠 の
命を持っているのです」。
ヨハネ15:5:「わたしはぶどうの木,あなた方はその枝です。わたしと結
びっいたままでおり,わたしが結びついた[ままでいる]人,その人は多く
の実を結びます。わたしから離れては,あなた方は何も行なえないからです」。
使徒13:38,39:「ですから,兄弟たち,このことを知ってください。すな
わち,この方を通して罪の許しがあなた方に広められており,モーセの律法
のもとであなた方が無罪と宣せられなかったすべてのことについても,信じ
る者は皆,この方によって無罪と宣せられるということです」。
使徒13:48:一新改訳一「異邦人たちは,それを聞いて喜び,主のみこ
とばを賛美した。そして,永遠のいのちに定められていた人たちは,みな,
(キリストの)信仰にはいった」。
使徒16:29-31:「それで彼は明かりを求めてから中に駆け込み,おののき
ながらパウロとシラスの前にひれ伏した。そして,彼らを外に連れだしてか
らこう言った。『皆様,救われるためにわたしは何をしなければなりませ
44血』。彼らは言った,『主イエスを信じて頼りなさい。そうすれば救われ
ます。あなたも,あなたの家の者たちも』」。
ローマ10:9,10:「その『あなたの口の中にある言葉』,つまり,イエスは
主であるということを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと
心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。人は,義のために
救い
95
心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をするからです」。
ローマ10:13:一新改訳一「『主(キュリオス)の御名を呼び求める者
は,だれでも救われる。』のです」。
<註>「主」がエホバかどうかは「御名」の項15頁参照。
啓示3:20:「見よ,わたしは戸口に立ってたたいている。わたしの声を聞
いて戸を開けるなら,わたしはその者の[家]に入って彼と,そして彼はわ
たしと晩さんを共にするであろう」。
クリスチャンが「救われた」と宣明することはふさわしいですか
ヨハネ3:36:「み子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている。み子に
従わない者は命を見ず,神の憤りがその上にとどまっているのである」。
ヨハネ5:24:「きわめて真実にあなた方に言いますが,わたしの言葉を聞
いてわたしを遣わした方を信じる者は永遠の命を持ち,その者は裁きに至ら
ず,死から命へ移ったのです」。
ヨハネ6:47:「きわめて真実にあなた方に言いますが, 信 じ る 者 は 永 遠 の
命を持っているのです」。
ローマ5:11:「この[キリスト]を通して,わたしたちは今や和解を授か
ったのです」。
<註>「和解」とは,神から分離(霊的な死)している状態から救わ
れた関係のことです。
ローマ8:1,2:「こういうわけで,キリスト・イエスと結ばれた者たちに対
して有罪宣告はありません。キリスト・イエスと結びついた命を与える霊,
その[霊]の律法が,あなたを罪と死の律法から自由にしたからです」。
エフェソス2:5,8:「わたしたちが罪過にあって死んでいたその時にさえ,
キリストと共に生かし−あなた方は過分のご親切によって救われているので
−
立一…まさにこの過分のご親切のもとに,あなた方は信仰によって救われ
ているので童。そして,これはあなた方によるのではなく,神の賜物なのです」。
<註>日本語では過去と完了の時制があいまいです。ところがギリシ
救い
96
ャ語は世界で比類ない詳細な文法を持っており,特に時制においては
明確な原則を持っている言語です。主イエス・・キリストの言葉がギリ
シャ語で扱われた事には意義があります。ギリシャ語の完了時制は単
なる完成でなくて,完成した結果の継続です。過去において完成し,
その結果が現在にまで継続しています。従って「救われている」とは,
「救い」が過去に完成し,その結果が現在にまで及んでいるのです。
つまり将来に「救われる」という教理は聖書の教えではありません。
エフェソス4:32:「神がキリストによって惜しみなく許してくださった」。
フィリピ4:3:「わたしのほかの同労者たちと共に,良いたよりのためにわ
たしと相並んで奮闘したのであり,こうした人たちの名は命の書の中にある
のです」。
テモテ第二1:8,9:「ですから,わたしたちの主についての証しを恥じては
ならず,この方のために囚人となっているわたしのことを[恥じて]もなり
ません。むしろ,神の力にしたがい,良いたよりのため,共に苦しみを忍ん
でください。[神]はわたしたちを救い,聖なる召しをもって召してくださ
号
いました」。
ペテロ第一1:23:「あなた方は,朽ちる[種]ではなく,朽ちることのな
い,[再生する]種により,生ける,いつまでも存在される神の言葉を通し
て新たな誕生を与えられたのです」。
ヨハネ第一3:14:「わたしたちは,自分たちが兄弟を愛しているので,死
一
から命に移ったことを知っています。愛さない者は死のうちにとどまってい
ます」。
ヨハネ第一5:1:「イエスがキリストであることを信じる者はみな神から生
まれたのであり,生まれさせた方を愛する者は皆,その方から生まれた者を
愛します」。
<註>新生するのは,14万4,000人だけですか。そうではありませ
ん。「みな」と書かれていますように,すべてのクリスチャンです。
ヨハネ第一5:11:「そして,神がわたしたちに永遠の命を与えてくださり,
この命がそのみ子のうちにあるということ,これがそのなされた証しです」。
97
救い
ヨハネ第一5:13:「わたしがこれらのことをあなた方に書くのは,神のみ
子の名に信仰を置くあなた方が永遠の命を持っていることを知らせるためで
す 」 O .
どのようにしてクリスチャンは「救われた」ことを認識できますか
ローマ8:16:「霊そのものが,わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の
子供であることを証ししています」。
エフェソス1:13:「しかしあなた方も,真理の言葉,すなわちあなた方の
救いについての良いたよりを聞いた後,この方に望みを置きました。そして
信じた後,やはりこの方により,約束の聖霊をもって証印を押されたのです」。
ヨハネ第一5:13:「わたしがこれらのことをあなた方に書くのは,神のみ
−
子の名に信仰を置くあなた方が永遠の命を持っていることを知らせるためで
す」。
人は「救われた」かどうか確認することができますか
コリント第二13:5:「自分が信仰にあるかどうかを絶えず試しなさい。自
分自身がどんなものであるかを絶えず吟味しなさい。それともあなた方は,
イエス・キリストがあなた方と結びついておられることが分からないのです
かoそれは,あなた方が非とされているのでなければのことですが」。
肉体の救いに関してはクリスチャンは将来のこととして考えていますか
ローマ5:9,10:「それゆえ,わたしたちは[キリスト]の血によって今や
義と宣せられたのですから,ましてこの方を通して憤りから救われるはずで
す。わたしたちが敵であった時にみ子の死を通して神と和解したのであれば,
まして和解した今,[み子]の命によって救われるはずだからです」。
ローマ8:11:「そして,イエスを死人の中からよみがえらせた方の霊があ
なた方の内に宿っているのなら,キリスト・イエスを死人の中からよみがえ
うち
らせたその方は,あなた方の内に住むご自分の霊によって,あなた方の死ぬ
べき体をも生かしてくださるのです」。
エフェソス4:30:「また,神の聖霊を悲しませることのないようにしなさ
救い
98
い。蹟いによる釈放の日のために, あなた方はそれをもって証印を押された
のです」。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ペテロ第一1:4:「朽ちず,汚れなく,あせることのない相続財産へ[の誕
生]です。それはあなた方のために天に取って置かれているものです。その
あなた方は,終わりの時期に表わし示されるように備えられている救いのた
め,信仰により,神の力によって保護されています」。
クリスチャンは救いの確信を持っていますか
ヨハネ1:12:「彼を迎えた者,そうした者たちすべてに対しては,神の子
供となる権限を与えたのである。その者たちが,彼の名に信仰を働かせてい
たからである」。
ヨハネ5:24:「きわめて真実にあなた方に言いますが,わたしの言葉を聞
いてわたしを遣わした方を信じる者は永遠の命を持ち,その者は裁きに至ら
−
ず,死から命へ移ったのです」。
ヨハネ10:28,29:「そしてわたしは彼らに永遠の命を与え,彼らはいつま
でも決して滅ぼされることがな_く,だれも彼らをわたしの手から奪い取る者
はいません。父がわたしに与えてくださったのは,ほかのすべてのものより
偉大なものであり,だれもそれを父の手から奪い取ることはできません」。
ローマ8:1,2:「こういうわけで,キリスト・イエスと結ばれた者たちに対
して有罪宣告はありません。キリスト・イエスと結びついた命を与える霊,
その[霊]の律法が,あなたを罪と死の律法から自由にしたからです」。
ローマ8:11:「そして,イエスを死人の中からよみがえらせた方の霊があ
なた方の内に宿っているのなら,キリスト・イエスを死人の中からよみがえ
うち
らせたその方は,あなた方の内に住むご自分の霊によって,あなた方の死ぬ
べき体をも生かしてくださるのです」。
ローマ8:35,38,39:「だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すでしょ
うか。患難,あるいは苦難,迫害,飢え,裸,危険,剣でしょうか。…死
も,生も,み使いも,政府も,今あるものも,来たるべきものも,力も,高
さも,深さも,またほかのどんな創造物も,わたしたちの主キリスト・イエ
救い
99
スにおける神の愛からわたしたちを引き離しえないことを, わ た し は 確 信 し
ているからです」。
エフェソス1:13,14:「しかしあなた方も,真理の言葉,すなわちあなた方
のち
の救いについての良いたよりを聞いた後,この方に望みを置きました。そし
て信じた後,やはりこの方により,約束の聖霊をもって証印を押されたので
す。それはわたしたちの相続財産に関する事前の印であり,また,[神]ご
自身の所有物を蹟いによって釈放し,その栄光ある賛美とすることを目的と
しています」。
エフェソス4:30:「また,神の聖霊を悲しませることのないようにしなさ
い。瞳いによる釈放の日のために,あなた方はそれをもって証印を押された
のです」。
−
フィリピ4:3:「わたしのほかの同労者たちと共に,良いたよりのためにわ
たしと相並んで奮闘したのであり,こうした人たちの名は命の書の中にある
のです」。
コロサイ3:3,4:「あなた方は死んだのであって,あなた方の命は,神と結
ばれてキリストと共に隠されているからです。わたしたちの命であるキリス
卜が現わされるとき,その時にあなた方もまた,彼と共に栄光のうちに現わ
されることになるのです」。
へプライ10:35:「それゆえあなた方は,はばかりのないことば[で語る態
度]を捨ててはなりません。それには当然与えられる大きな報いがあります 」。
ヨハネ第一5:13:「わたしがこれらのことをあなた方に書くのは,神のみ
子の名に信仰を置くあなた方が永遠の命を持っていることを知らせるためです」
【結論】
1.救われるためにしなければならないこと。業の項171-177頁参照。
(1)イエス・キリストを信じます。新約聖書には約200回,キリストヘ
の信仰が述べられています。
(2)イエス・キリストを自分の救い主として心の中に受け入れます。
2.クリスチャンが「救われた」と語ることは適切です。
3.業を行ったから,救われるのではなく,救われたならば業が伴います。
。
龍一正
聖
エホバの証人は次の事を信じている。
1.聖霊は神の活動力であり,人格を持たない。(「論じる」p.431-432)
イエスは聖霊について語る時,聖霊を人格的存在として扱われましたか
ヨハネ14:26:「しかし,父がわたしの名によって遣わしてくださる助け手,
つまり聖霊のことですが,その者はあなた方にすべてのことを教え,わたし
が告げたすべての事柄を思い起こさせるでしょう」。
<註>「助け手」(ギリシャ語:パラクレートス)は,風や水や火な
どの非人格的なものと違います。非人格的なものに「その者」とは言
いません。エホバの証人は,17節で,聖霊が中性代名詞で対応して
いることを良くとりあげます。さらに聖霊のギリシャ語はプネウマで
中性名詞だから知性,意志や感情を持つはずがないと主張します。
しかし非人格的なエネルギーに「教え」,「思い起こさせ」,「証し」
そして,「話し」たりすることなどできるでしょうか。
し
ちし
わで
なる
すす
わ霊一
手証
けて
助い
すつ
わに
遣し
にた
方わ
たが
な者
あの
らそ
か︲
とき
もと
のる
父す
が来
し到
たが
.、理
rの
11小、
鮒真
駅る
ハか
ネら
ョ父
ょう」。
■■■■■■■■■■■■■■■
ヨハネ16:7,8:「しかしやはり,わたしはあなた方に真実を告げます。わ
たしが去って行くことはあなた方の益になるのです。わたしが去って行かな
ければ,助け手は決してあなた方のもとに来ないからです。しかし,去って
行けば,わたし(キリスト)は彼をあなた方に遣わします。そして,その者
が到来すれば,罪に関し,義に関し,裁きに関して,納得させる証拠を世に
与えるでしょう」。
ヨハネ16:13-15:「しかし,その者,すなわち真理の霊が到来するとき,
あなた方を真理の全体へと案内するでしよ。。彼は自分の衝動で話すのでは
なく,すべて自分が聞く事柄を話し,来たらんとする事柄をあなた方に告げ
知らせるからです。その者はわたし(イエス)の栄光を表わすでしょう。彼
はわたしのものから受けて,それをあなた方に告げ知らせるからです。父が
持っておられるものは皆わたしのものです。そのためわたしは,彼はわたし
のものから受けて,[それ]をあなた方に告げ知らせると言ったのです」。
−100−
聖霊
101
聖霊は話しますか
マタイ10:20:「話すのは単にあなた方ではなく,
あなた方の父の霊が,あ
なた方によって話すのです」。
使徒1:16
ですが」。
使徒8:29:「そこで霊がフィリポに言った,『近づいて,この兵車と一緒
になりなさい』」。
<註>聖霊は伝道者に指示しています。フィリポがその指示を果たす
と,39節で次の働きに関与されます。
「彼らが水から上がって来ると,エホバの霊がフィリポを急いで連れ
去り,苣官はもう彼を見なかつ迄が,歓びながら自分の道を進んで行
った。しかしフィリポはアシュドドに来ていた」。使徒8:39,40。
聖霊が,瞬時にして30m離れたアシュドドに,フィリポを転送してお
られる場面です。
使徒10:19,20:「霊が言った,
『わたしが彼らを遣わしたのですから』」。
使徒20:23:「どの都市においても,聖霊が繰り返しわたしに証しをし,な
わめと患難とが待っていることを述べるのです」。
へプライ3:7:「それゆえ,聖霊が述べるとおりです」。
へプライ10:15:「さらに,聖霊もわたしたちにこう証ししています」。
啓示22:17:「壷と花嫁健,『来なさい!』と言いつづける」。
聖霊は教えますか
ルカ12:12:「聖霊血i,言うべきことをその時あなた方に教えるからです」。
ヨノ、ネ14:26:「しかし, 父がわたしの名によって遣わしてくださる助け手,
つまり聖霊のことですが, その者はあなた方にすべてのことを教え,わたし
が告げたすべての事柄を思い起こさせるでしょう」。
−
聖霊
102
ヨハネ16:13-15:「しかし,その者,すなわち真理の霊が到来するとき,
あなた方を真理の全体へと案内するでしょう。彼は自分の衝動で話すのでは
なく,すべて自分が聞く事柄を話し,来たらんとする事柄をあなた方に告げ
知らせるからです。その者はわたし(イエス)の栄光を表わすでしょう。彼
はわたしのものから受けて,それをあなた方に告げ知らせるからです。父が
持っておられるものは皆わたしのものです。そのためわたしは,彼はわたし
のものから受けて,[それ]をあなた方に告げ知らせると言ったのです.」。
聖霊は証しをしますか
ヨハネ15:26:「わたしが父のもとからあなた方に遣わす助け手,すなわち
父から出る真理の霊が到来するとき,その者がわたしについて証しするでし
−
−
ょう」。
ローマ8:16:「霊そのものが,わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の
子供であることを証ししていま古」。
聖霊は知性や意志や感情を持っていますか
イザヤ63:10:「彼らは反逆し,その聖霊に痛みを覚えさせた」。
エフェソス4:30:「また,神の聖霊を悲しませることのないようにしなさ
い。蹟いによる釈放の日のために,あなた方はそれをもって証印を押された
のです」。
<註>「神の霊」とは,神が所有されている活動力という意味でしょ
うか。ギリシャ語の「∼の」は,所有の概念だけでなく同格の場合も
多いのです。たとえば,「新世界訳」でも,ギリシャ語の「∼の」を
次のように翻訳しています。「そうすれば,無償の賜物全して聖霊を
受けるでしょう」。一使徒2:38.−70頁参照。
コリント第-12:11:「これらのすべての働きを同一の霊が行なうのであり,
その欲するとおりに各々に分配するのです」。
<註>聖霊が意志をもって行動なさっていることは明白です。
使 徒 15:28:「というのは,聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほか
−
は
,
あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからです」。
聖霊
103
使徒16:6:「アジア[地区]でみ言葉を語ることを聖霊によって禁じられ
たからである」。
I■■■■■■■
使徒7:51:「あなた方はいつも聖霊に抵抗しています」。
<註>聖霊に人格としての働きがあるからこそ,人はこの方を冒とく
したり,この方に逆らったりできるのです。
マタイ12:31:「人はあらゆる種類の罪や冒とくを許されますが, 霊 に 対 す
る冒とくは許されません」。
クリスチャンは聖霊と親交を持つことができますか
ヨハネ14:16,17:「そしてわたしは父にお願いし,[父]は別の助け手を
与えて,それがあなた方のもとに永久にあるようにしてくださいます。それ
は真理の霊であり,世はそれを受けることができません。それを見ず,また
知らないからです。あなた方はそれを知っています。それはあなた方のもと
にとどまり,あなた方のうちにあるからです」。
ローマ8:9:「けれども, キリストの霊を持たない人がいれば, そ の 人 は 彼
に属する者ではありません」。
ローマ8:11:「イエスを死人の中からよみがえらせた方の霊があなた方の
うちに宿っているのなら,
あなた方のうちに住むご自分の霊によって」。
ローマ8:14
「神の霊に導かれる者はみな神の子であるからです」
0
ローマ8:26:「霊そのものがことばとならない うめきと共にわたしたちの
ために願い出てくれるからです」。
コリント第−3:16:「あなた方は,自分たちが神の神殿であり,神の霊が
自分たちの中に宿っていることを知らないのですか」。
−
コ リ ン ト 第 一 6 19:「あなた方の体が,塗なた方の内にある聖霊の神殿で
あること」。
コリント第二13:14:「聖霊にあずかることが, あなた方すべてにあります
聖霊
104
ように」。
テモテ第二1:14:「わたしたちのうちに宿る聖霊によって守りなさい」。
聖霊はどんな立場にありますか聖霊は神ですか
創世記1:2:一新改訳一「神の霊は水の上を動いていた」。
<註>創世記1:1で,「初めに神が天と地を創造した」とあること
に注目するとよい。つまり,聖霊は創造者であります。
マタイ12:32:「聖霊に言い逆らうのがだれであっても,その者は許されな
いのです」。
<註>聖霊の人格としての働きを拒否するなら,永久に救われません。
ルカ12:10:「聖霊を冒とくする者は許されません」。
ヨハネ14:26:「しかし,父がわたしの名によって遣わしてくださる助け手,
つまり聖霊のこと」。
使徒1:16:「聖霊がダビデの口によりユダについてあらかじめ壷_2-主もの
ですが」。
へプライ1:1:「神は,昔には,多くの場合に,また多くの方法で,預言者
たちによってわたしたちの父祖に語られまし迄」。
使徒28:25:「聖霊は預言者イザヤを通してあなた方の茎担左_Z_E適塑IE¥
ったものです」。
使徒5:3,4:「蕊議に対して虚偽の返る舞い堂=鐘IEML工璽豊里返る鑿L壁」。
一
へプライ3:7-11:「それゆえ,聖霊が述べるとおりで女。『今日,もし三
一
の方の声を聴いたら,あなた方は,苦々しい怒りを引き起こした時のように,
荒野で試した日のように心をかたくなにしてはならない。そこであなた方の
父祖たちは試みをもってわたしを試し迄。しかもそれは"/ELの業を四十年
のあいだ見たのちのことであった。そのためわたしはこの世代に嫌悪を覚え
て,こう言った。「彼らの心は常に迷い,彼ら自身は3,/ELの道を知るに至
らなかった」。それでわたしは怒りのうちに誓った,「彼らにはわたしの休
みに入らせない」と』」。
105
聖霊
詩編95:7-11:にの方はわたしたちの趣,わたしたちはその放牧地の民,
そのみ手の羊だからである。今日,もしあなた方がその声を聴いたなら,メ
リバにおけるように,荒野のマッサの日におけるように心をかたくなにして
はならない。そのとき,あなた方の父祖たちはわたしを試した。彼らはわた
しを調べ,またわたしの働きを見た。わたしは四十年間[その]世代に対し
て嫌忌の念を抱きつづけ,そして言うようになった,『彼らは心の定まらな
い民である。彼ら自身はわたしの道を知るに至らなかった』と。彼らに関し
て,わたしは怒りのうちに誓った,『彼らにはわたしの休み場に入らせない』
と」。
へプライ10:15,16:「さらに,聖霊もわたしたちにこう証ししています。
『「これが,それらの日の後にわたしが彼らに対して締結する契約である」
と,エホバは言われる。「わたしは,わたしの律法を彼らの心の中に置き,
それを彼らの思いの中に書き記す」』」。
=エレミヤ31:33,34:「『これこそ,わたしがそれらの日の後にイスラエ
ルの家と結ぶ契約だからである』と,エホバはお告げになる。『わたしは彼
らの内にわたしの律法を置き,彼らの心の中にそれを書き記す。そして,わ
たしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となるであろう』。『そして,彼
らはもはや各々その友を,各々その兄弟を教えて,「エホバを知れ!」とは
言わない。彼らはその最も小なる者からその最も大なる者に至るまで,皆わ
たしを知るからである』と,エホバはお告げになる。『わたしは彼らのとが
を許し,彼らの罪をもはや思い出さないからである』」。
【要約】
I.神性三位一体の項63-78頁参照。
Ⅱ、人格性
語る,教える,励ます,助ける,悲しむ,逆らわれる,導く,証しする,
禁止する,認めさせる,任命する,指示する,命令を与える,慰める,
召すなどと言及されています。
Ⅲ、西暦325年のニケア会議で,三位一体説を否定したアリウスも聖霊は神
として認めていた。
【結論】
1.聖霊は人格をもった存在です。
2.聖霊には知性,意志,感情があったり,教え,証しし,励まし,語り,
命令を出したりすることができるゆえに,単なる活動力ではありません。
創造
エホバの証人は次の事を信じている。
1.創造の「一日」は7,000年である。
(「聖書はほんとうに神の言葉ですか」
「ものみの塔」誌1970年6月1日号
p.19,
p.345-348)
創世記1章の「一日」(ヨーム)は24時間ですか
創世記1:5:「そして神は光を“昼”と呼ぶことにし,闇のほうを“夜”と
呼ばれた。こうして夕となり,朝となったb一日(ヨーム)目である」。
創世記1:14:「次いで神は言われた,『天の大空に光体が生じて昼と夜と
を区分するように。それらはしるしとなり,季節のため,また日(ヨーム)
と年のためのものとなる」。
<註>創世記1章で,「日」(ヨーム)が24時間以上の期間を示唆
する箇所はありません。
出エジプト20:9-11:「あなたは六日のあいだ務めをなし,自分のすべての
仕事をしなければならない。しかし,七日目はあなたの神エホバに対する安
息日である。どんな仕事もしてはならない。あなたもあなたの息子や娘も,
あなたの男奴隷や女奴隷も,あなたの家畜,そしてあなたの門の内にいる外
人居留者も。エホバは六日の間に天と地[と]海とその中のすべてのものを
造り,そののち七日目に休みに入ったからである。それゆえにエホバは安息
日を祝福して,それを神聖なものとしているのである」。
ヨブ42:2:「私はあなたがすべてのことをなし得ることを知りました。あ
なたには達成し得ない考えはないことを」。
<註>全知全能の神にとって,24時間ですべての物を創造なさるこ
とは容易です。
ダニエル8:14:「するとその者はわたしに言った,『二千三百の夕[と]
朝を経るまでである。こうして聖なる場所は必ずその正しい状態にされるで
あろう」。
<註>「ものみの塔」誌1972年3月1日号150頁では,「二千三
百の夕と朝」は文字通りの2,300日として計算しています。
−106−
倉リ造
107
マルコ10:27:「イエスは彼らをまともに見て言われた,『人には不可能で
も,神にとってはそうではありません。神にとってはすべてのことが可能な
のです」。
−
ペテロ第二3:8:「しかし,愛する者たちよ,この一事を見過ごしてはなり
ません。エホバにあっては,一日は千年のようであり,千年は一日のようで
あるということです」。
<註>「一日は千年のよう」とは,エホバの証人が主張するように,
一日が7,000年であるとするならば,神の観点では「7,000年は千年
のよう」であるとなり,七分の一になり,理解できなくなります。
<註>「千年は一日のようである」ということは,浸蝕などの自然が,
あるいは,人間が1,000年近くの期間を費やしても成就できない事柄
を,全知全能の神は24時間ほどの時間で達成なさることが可能であ
ることを裏付けている聖句です。
【要約】
I.創世記1章の「日」(ヨーム)の長さは,24時間です。
●「日」が数詞と共に用いられている場合,例外なしに24時間です。
出エジプト23:12,民数11:31,サムエル第一25:38,列王第二3:9,25:1,
歴代第一9:25,歴代第二3:2,29:17,エズラ3:6,6:22,ネヘミヤ8:2,
エステル1:4,4:16,ヨナ3:4,ハガイ1:15,2:1,20。(162箇所)
●同じ節に「朝」と「夕」が用いられている場合,通常の24時間です。
出エジプト16:8,18:13,レビ6:20,ダニエル8:14。(38箇所)
●「六日目」「七日目」には,冠詞があり,文法の規則どおり24時間です。
●もし24時間以上であったなら,「日」を用いずに「時代」を使います。
従って,エホバの証人が,創世記2:4,詩編90:4,5,ペテロ第二3:8を引用
して,「日」(ヨーム)を長期間とする解釈は独断的です。
Ⅱ、創造の記録は奇跡の記録です。
●創造に際して,時間は瞬間的で,突如として複雑になりました。
一方,進化論者や証人は,創造物は長期間を経て複雑化したと主張します。
①アダムとエバの創造:創世記2:7,2:21,22。
②イエスの35の奇跡:カナの婚宴で水をぶどう酒に。ヨハネ2:1-11.
5,000人に食事をさせる。マルコ6:30-44。
【結論】
1.創造の「一日」は,文字通りの24時間です。
組織
エホバの証人は次の事を信じている。
1.永遠の命という救いは,この地上の組織を通して与えられる。
(「ものみの塔」誌1983年5月15日号dwp.76)
2.地上の組織と連絡を保たなければ,どれほど多く聖書を読むとしても,聖書を理
解することはできない。
(「ものみの塔」誌1968年1月15日号dwp.53,
「ものみの塔」誌1981年12月15日号dwp.54,
「ものみの塔」誌1982年3月1日号dwp.50)
3.ルカ12章32節の「小さな群れ」は,啓示7章,14章の14万4,000人に相
当する。(「論じる」p.336)
4.諸国民の中から証印を押された14万4,000人が霊的イスラエル人である。
(「啓示の書」p.118cf.dwp.81)
5.14万4,000人に証印を押す業は,西暦33年に始まった。
(「啓示の書」p.115cf.dwp.65)
6.ヨハネ10章16節の「他の羊」は,啓示7章9節の「大群衆」に相当する。
(「論じる」p、336cf.dwp.85)
7.今日生存しているクリスチャンの大半,すなわちエホバの証人の99.7%は大群衆
である。(「ものみの塔」誌1986年1月1日号cf.dwp.82)
8.大群衆は1935年以降集められていて,天に行かずに,そのまま地上で永遠の
命を得られる。(「論じる」p、337,338cf.dwp.83)
一世紀以来神はどのグループと交渉を持ってこられましたか
使徒20:28:「[神]がご自身のみ子の血をもって買い取られた神の会衆」。
−
コリント第一12:12,13:「体は一つであっても多くの肢体に分かれており,
また体の肢体は多くあっても,その全部が一つの体を成しますが,キリスト
ー
もそれと同じなのです。..、みな一つの霊によって一つの体へのバプテスマ
を受け,みな一つの霊を飲むようにされたからです」。
コリント第二11:2:「わたしは敬戻なしっとをもってあなた方をしっとし
ているのです。あなた方を貞潔な処女としてキリストに差し出すため,わた
し自身があなた方をただ一人の夫に婚約させたからです」。
−108−
109
組織
エフェソス2:21,22:「彼と結びあって建物全体は調和よく組み合わされ,
エホバのための聖なる神殿に成長してゆきます◎彼と結びあってあなた方も
共に築き上げられ,神が霊によって住まれる所となってゆくのです」。
エフェソス4:4:「体は一つ,霊は一つです。それは,あなた方が自分たち
の召されたその一つの希望のうちに召されたのと同じです」。
<註>この聖句がはっきり証明しているように,神は,「天的なクラ
ス」と「地的なクラス」という異なる希望が混在する会衆と交渉なさ
ることはありません。
エフェソス5:29-32:「自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むし
ろ人は,それを養い,また大切にします。キリストが会衆に対してするのと
同じです。わたしたちは彼の体の肢体であるからです。『このゆえに,人は
その父と母を離れて自分の妻に堅く付き,二人は一体となる』とあります。
この神聖な奥義は偉大です。今わたしはキリストと会衆とについて述べてい
るのです」。
テモテ第一3:15:「神の家の者たちの中でどのように行動すべきかをあな
たに知ってもらうためです。それは生ける神の会衆であり,真理の柱また支
えなのです」。
へプライ12:22,23:「しかしあなた方は,シオンの山,生ける神の都市な
る天のエルサレム,幾万ものみ使いたち,[すなわちその]全体集会,天に
登録されている初子たちの会衆」。
「忠実な奴隷」のたとえは,たった一つのグループしか登場しませんか
マタイ25:20-23:「『ご主人様,わたしに五タラントをゆだねてくださいま
したが,ご覧ください,わたしはさらに五タラントをもうけました』。主
人は彼に言いました,『よくやった,善良で忠実な奴隷よ!あなたはわず
かなものに忠実であった。わたしはあなたを任命して多くのものをっかさど
らせる…』。…『ご主人様,わたしにニタラントをゆだねてくださいま
したが,ご覧ください,わたしはさらにニタラントをもうけました』。主
人は彼に言いました,『よくやった,善良で忠実な奴隷よ!あなたはわず
かなものに忠実であった。わたしはあなたを任命して多くのものをっかさど
−
らせる...』」。
110
組織
イエスはいつ忠実で思慮深い奴隷を任命し,ご自分のすべての持ち物をつかさど
らせるでしょうか
マタイ24:44-47:「このゆえに,あなた方も用意のできていることを示し
なさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです。主人が,時に応じ
てその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠実で思
慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。主人が到着して,そうしているとこ
るを見るならば,その奴隷は幸いです。あなた方に真実に言いますが,[主
一
人]は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう」。
<註>いつ,「主人(イエス)が到着」するのでしょうか。
イエスの再臨の項16-20頁参照。
ものみの塔協会は,西暦33年以来忠実で思慮深い奴隷級が霊的食物
を分け与えてきたと主張しています。ところで,もし忠実で思慮深い
奴隷の教理が重要なら,「復活」や「王国」のように,みことばの中
で何度も強調されるはずです。しかし「忠実で思慮深い奴隷」という
表現は聖書に一度しか登場して来ません。
聖書を理解するには,入間製の組織が必要ですか
マタイ16:16,17:「シモン・ペテロが答えて言った,『あなたはキリスト,
生ける神の子です』。イエスはそれに答えて言われた,『ヨナの子シモンよ,
あなたは幸福です。肉と血があなたに[これを]啓示したのではなく,天に
おられるわたしの父がそうなさったからです』」。
マタイ18:20:「二人か三人がわたしの名において共に集まっているところ
には,わたしもその中にいるからです」。
マタイ28:20:「いつの日もあなた方と共にいるのです」。
ヨハネ14:26:「父がわたしの名によって遣わしてくださる助け手,つまり
聖霊のことですが,その者はあなた方にすべてのことを教え,わたしが告げ
たすべての事柄を思い起こさせるでしょう」。
ヨハネ15:26:「わたしが父のもとからあなた方に遣わす助け手,すなわち
−
父から出る真理の霊が到来するとき,その者がわたしについて証しするでし
ょう」。
I■■■■■■■■■■■■■■■■
組織
111
ヨハネ16:13:「しかし,その者,すなわち真理の霊が到来するとき, あ な
■■■■■■■■■■■■■■■■
た方を真理の全体へと案内するでしょう」。
ガラテア1:16-18:「わたしに関連してご自分のみ子を啓示することをよし
一
とされ,こうしてわたしがその[み子]についての良いたよりを諸国民に宣
明することになった時,わたしは直ちに血肉と協議したりはしませんでした
。また,エルサレムに上って,わたしより先に使徒となっていた人たちのと
ころへ行くこともせず,ただアラビアに行き,それから再びダマスカスに戻
って来ました。 そ れ か ら 三 年 後 に , わ た し は ケ フ ァ を 訪 ね る た め エ ル サ レ ム
に上り」。
ヨハネ第一2:26,27:「わたしは,あなた方を惑わそうとしている者たちに
ついてこれらのことを書きます。そして,あなた方についていえば,彼から
受けた油そそぎがあなた方のうちにとどまっており,だれかに教えてもらう
必要はありません。むしろ,彼からの油そそぎがすべてのことについてあな
た方を教えており,またそれが真実であって偽りでないように,そしてそれ
があなた方に教えたとおりに,引き続き彼と結ばれていなさい」。
<註>エホバの証人はヨハネ17:3を用いて「知識」を強調します。
三位一体の項68頁参照。
ヨハネ第-5:20:「しかしわたしたちは,神のみ子が来て,真実な方につ
−
いて知ることができるよう,わたしたちに知的な能力を与えてくださったこ
とを知っています。そしてわたしたちは,み子イエス・キリストによって,
真実な方と結ばれています」。
神はかつて人間的な機関を用いて,ご自分の民を教えられたことがありますか
使徒8:30,31:「『あなたは自分の読んでいる事柄がほんとうに分かります
か』。彼は言った,『だれかが手引きしてくれなければ,いったいどうして
[分かる]でしょうか』。そして,乗って,一緒に座るようにとうイリポに
懇願した」。
<註>ノア,モーセの時代も,一世紀のクリスチャンの時代も,神は
ご自分の計画を啓示されるときには,いつも一人の人を通して語られ
て来ました。66冊の聖書のいずれの筆者も,常に一人であって,人間
的な機関や組織が用いられることはありませんでした。
三位一体の項68頁参照。
112
14万4,000人
ルカ12章32節の「小さな群れ」とは誰のことですか
ルカ12:32:「恐れることはありません,小さな群れよ。あなた方の父は,
あなた方(十二使徒)に王国を与えることをよしとされたからです」。
14万4,000人の証印は誰に押されますか
預言の項
159頁参照。
啓示7:4:「証印を押された者たちの数を聞いたが,それは十四万四千であ
り,イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された」。
啓示7:9:「すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつく
すことのできない大群衆」。
<註>14万4,000人はイスラエル人になるために証印を押されるの
ではありません。イスラエルの民の中から選び出されていることに注
目しなければなりません。つまり大患難時代に,「神の奴隷」として
証印を押される生来のイスラエルの民の数が14万4,000人です。
啓示14:1:「またわたしが見ると,見よ,子羊がシオンの山に立っており,
彼と共に,十四万四千人の者が」。
啓示14:6:「わたしは別のみ使いが中天を飛んでいるのを見た。彼は,地
に住む者たちに,またあらゆる国民・部族・国語・民に喜ばしいおとずれと
して宣明する永遠の良いたよりを携えており」。
<註>「14万4,000人」は啓示7章及び14章だけに登場します。文脈
を考慮しますと,「証印を押されたイスラエル人」と「あらゆる国民」
の間には明確な区別があります。「あらゆる国民」が文字通りとする
なら,7章4節の「イスラエル」も文字通りとしなければなりません。
啓示5章10節の王たちはどこで支配を行いますか
啓示5:9,10:「あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人々を
買い取ったからです。そして,彼らをわたしたちの神に対して王国また祭司
とし,彼らは地に対し王として支配するのです」。,新世界訳,
<註〉”認識型蕊撫:噌細。識轆篭習響:蝋::蟹駕
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Engd6iHanaPrieStS;andtheyarereignmgUpQnlandtheyaretorule
溌畠鬼薑rt"g。zE血.
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over"と"upon"ではかなり意味が異なります。ギリシャ
語の、汀とp(over)と前i(upon)[接触して上に]の
14万4,000人
113
叩
両
印
違いは,「王国行間逐語訳」の見開きページの前置詞の図表を参照さ
れると分かりやすいです。つまり「地に対し」支配するのは,天から
ではなく地上です。従って,啓示5:10の預言は,創世記1:28の人
I
扇扇臺丁 間が地球を管理・支配するという神の最初の目的の完成の描写です。
いつ14万4,000人の証印が押されますか
啓示7:1-3:「この後わたしは,四人のみ使いが地の四隅に立ち,地の四
方の風をしっかり押さえて,地にも海にも,またどの木にも風が吹かないよ
うにしているのを見た。また,別のみ使いが日の昇る[方角]から,生ける
神の証印を携えて上って行くのを見た。彼は,地と海を損なうことを許され
た四人のみ使いに大声で叫んでこう言った。『わたしたちが,わたしたちの
神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは,地も海も木も損なってはな
−
らない』」。
14万4,000人が用いられている箇所の文賑で,「王」「祭司」「キリストの花
嫁」との関連が少しでも言及されていますか
「神の奴隷たち」
「額に証印を押してしまう」
8
−
3344113444
7777444444
111111
啓示
「14万4,000人」
「イスラエルの部族から証印が押される」
「子羊と共にシオンの山に立っている」
「子羊の名と彼の父の名を額に書いてある」
「地から買い取られた」
「女によって自分を汚さなかった。童貞を保つ」
「子羊の行くところにはどこへでも従って行く」
「神と子羊に対する初穂として人類の中から買
い取られた」
14:5
「その口に偽りは見いだされなかった。傷のな
い者たちである」
ヨハネ10章16節の「ほかの羊」とは誰のことですか
ヨハネ10:16:「また,
わたしにはほかの羊がいますが, そ れ ら は こ の 囲 い
−
のものではありません。 それらもわたしは連れて来なければならず,彼らは
14万4,000人
114
わたしの声を聴き,‐一つの群れ,一人の羊飼いとなります」。
ヨハネ11:51-52:「イエスが国民のために死ぬように定められていること,
しかもそれがただ国民のためだけではなく,各地に散る神の子たちを彼が一
つに集めるためでもあることを預言したのである」。
エフェソス2:13,14,16:「しかし,かつては遠く離れていたあなた方が,
今やキリスト・イエスと結ばれ,
キリストの血によって近い者となりました。
[キリスト]はわたしたちの平和であり,二者を一つにし,その間にあって
隔てていた壁を取り壊した方なのです。…両方の民を一つの体とL,苦し
みの杭を通して神と十分に麺避させるためでした」。
ヨハネへの啓示の中の神の神殿とはどこにありますか
150頁参照。
啓示7:9,15:「左謹ま…そして,その神殿[ナオス]重昼も夜も[神]
に神聖な奉仕をささげている」。
<註>「神殿」のギリシャ語には,ナオスとヒエロンがあります。ど
のギリシャ後辞典を調べても,「建物だけでなく中庭を含む」の意味
を持つのはヒエロンです。ヨハネ2:14,15。(ヒエロンの使用例)。
ナオスの定義には,中庭が含まれることはありません。つまり,大群
衆が地上の中庭にいるというのはこじつけです。150頁参照。
啓示3:12:「征服する者一わたしはその者をわたしの神の迦謹の中の柱と
し,彼はもはや[そこから]決して出ないであろう」。
啓示11:1,2:「それから,杖のような一本の葦がわたしに与えられ,その
際に彼はこう言った。『立って,神の神殿[の聖なる所]と祭壇とそこで崇
拝する者たちを測りなさい。しかし,神殿[の聖なる所]の外側にある中庭
は,これをまったくほって置き,そこを測ってはならない。それは諸国民に
与えられているからである。彼らは聖なる都市を四十二か月のあいだ踏みに
じるであろう...』」。
<註>「神殿」の定義に,中庭が含まれないことが明白です。
啓示11:19:「天にある神の神殿」
啓示19:1:「これらのことの後,わたしは大群案の大きな声のようなもの
を天に聞いた。彼らは言った,『あなた方はヤハを賛美せよ!救いと栄光
と力はわたしたちの神のものである…』」。
組織
115
【要約】
エホバの旺人が言うこと:
救いは組織を通して得られ
すべてのキリスト教世界はサタン
に誤導されている。逃れの唯一の
道はエホバの狂人になることである
エホノ
驫蕊鶚
わたしたち
の組織に
来なさい
【結論】
1.イエスのたとえの中の「忠実な奴隷」は,一つのグループとは限りませ
ん。
2.イエス・キリストはまだ再臨なさっていないゆえに,「忠実で思慮深い
奴隷」級はまだ任命されてません。
3.「忠実で思慮深い奴隷」とは,患難時代に救われるクリスチャンです。
4.クリスチャンは人間的な機関ではなく,基本的には,聖書や聖霊によっ
て教えられます。
5.一世紀と同様に,今日でも神はイエス・キリストを頭とする教会と交渉
をもたれます。
6.「統治体」,「神権組織」という聖句は一か所もありません。つまりわ
たしたちの救いはイエス・キリストを通して与えられるのであって,組
織が必要であることを裏付ける聖句はありません。
7.14万4,000人とは,生来のイスラエルの中から選ばれて,証印を押さ
れた「神の奴隷」のことです。
8.14万4,000人が証印を押されるのはハルマゲドンの直前です。
9.ヨハネ10章16節の「ほかの羊」と,啓示7章9節の「大群衆」とは
同一ではありません。「他の羊」とは異邦人のクリスチャンのことです。
10.「大群衆」とは,
0.「大群衆」とは,患難時代に救われるクリスチャンのことです。
魂
エホバの証人は次の事を信じている。
1.人間は魂である。魂は霊を伴う体で構成されている。(「論じる」p.300)
2.魂は肉体の死後,存続しない。(「論じる」p、302)
霊の項
人間は何で構成されていますか
169頁参照。
創世記2:7:「それからエホバ神は地面の塵で人を形造り, その鼻孔に命の
息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった」。
一
テサロニケ第一5:23:「平和の神ご自身が,あなた方を全く神聖なものと
してくださいますように。そして,あなた方[兄弟たち]の霊と魂と体があ
らゆる点で健全に保たれ,わたしたちの主イエス・キリストの臨在の際にと
がめのないものでありますように」。
聖書によると,魂は肉体の死後存続しますか
創世記35:18:「そしてついに,その魂が去り行こうとするとき(彼女は死
んだのである)」。
列王記第一17:21-22:「『私の神エホ(よ,どうか,この子供の魂をこの
子の内に帰らせてください」。ついにエホバはエリヤの声を聴き入れられた
ので,その子供の魂はその子の内に帰り,その子は生き返った」。
マタイ10:28:「そして,体を殺しても魂を殺すことのできなLユ者たちを恐
れてはなりません。むしろ,魂も体も共にゲヘナで滅ぼすことのできる方を
恐れなさい」。
使徒20:9,10:「眠ったまま転げて三階から落ち,抱き起こしてみると死ん
でいた。しかしパウロは階下に降り,彼の上に伏して抱きかかえ,『騒ぎ立
てるのはやめなさい。彼の魂は彼の内にある』と言った」。
啓示6:9-11:「また,彼が第五の封印を開いた時,わたしは,神の言葉の
ために,またその行なっていた証しの業のためにほふられた者たちの魂が祭
壇の下にいるのを見た。そして,彼らは大声で叫んで言った,『聖にして真
一116一
魂
117
実な,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対
するわたしたちの血の復しゅうを[控えて]おられるのでしょうか』。する
と,白くて長い衣がその一人一人に与えられた。そして彼らは,自分たちが
[殺された]と同じように殺されようとしている仲間の奴隷また兄弟たちの
数も満ちるまで,あとしばらく休むように告げられた」。
啓示20:4:「イエスについて行なった証しのため,また神について語った
ために斧で処刑された者たち…の魂を見たのである。そして彼らは生き返
り,キリストと共に千年のあいだ王として支配した」。
【要約】
エホバの証人の問題点は「魂」と「体」を混同するところから生じます。たとえ
ば,「罪を犯している魂一それが死ぬのである」。−エゼキエル18:4−の聖句
は,死後に何の意識も持たないことを意味しているのでしょうか。文脈を考慮す
る必要があります。2節には,「父たちが熟していないぶどうを食べるのに,子
らの歯が浮く」とあり,イスラエル人たちは,神から罰せられなければならない
のは自分たちの父祖であると不平をこぼしています。不従順であった先祖が負う
べき責任を何の罪も犯していない子孫がどうして負わねばならないのかと抗議し
ています。そこで神は4節で,「罪を犯している魂−それが死ぬのである」と返
答されています。従って,文脈は死者の状態について述べていないことが判明し
ます。聖書の中で「魂」(へプライ語:ネフェシュ,ギリシャ語:プシュケー)
は多くの異なる意味を持っています。「人の生命」,「人自身」(エゼキエル
18:4),そして「死後も生き続ける人の内にある部分」などです。魂に「死後も
生き続ける人の内にある部分」がある根拠の一例にルカ12:4,5:「体を殺しても,
その後もう何もできない者たちを恐れてはなりません。しかし,だれを恐れるべ
きかをあなた方に示しましょう。殺したあとにゲヘナに投げ込む権威のある方を
恐れなさい」。があります。人間の体は殺される場合があります。殺された者は
死んでいます。しかし死後に死者に対しては何もなし得ないのではありませんか。
「殺したあとにゲヘナに投げ込む」を考慮しますと,エホバの証人が主張するよ
うに,死後には何もないとするなら,何がゲヘナに投げ込まれるのでしょうか。
啓示6:9-11では,「』まふられた(殺された)者たちの魂」が会話しています。
つまり聖書には不滅の魂について多く書かれています。cf.へプライ9:27。
【結論】
1.人間は霊と魂と体で構成されています。
2.聖書全巻を見るとき,「魂」の多くは肉体の死後の魂に関してです。
誕生日とクリスマス
エホバの証人は次の事を信じている。
1.誕生日を祝うことは,聖書に2回しか登場しない。しかもその祝いも悪い人物に
関する記述である。
(「論じる」p.305)
2.クリスマスを祝うと神の恵みを失う。
(「ものみの塔」誌1984年12月15日号p.3-7)
誕生日を祝う記録は2回だけですか
ヨブ1:4:「そして,その息子たちは行って,
自分の日に各々の家で宴会を
催し,人をやって,その三人の姉妹をも招いて一緒に食べたり飲んだり した」。
ヨブ3:1-3:「ヨプが口を開いて自分の日に災いを呼び求めたのは,その後
のことであった。さてヨブは答えて言った。『わたしの生まれた旦は滅びう
せるように。また,「強健な者が宿されたた!」と,だれかの言ったその夜
■■■■■■■■■■、■■■■■
も...』」。
ルカ1:14:「そしてあなたには喜びと歓喜とがあり,多くの人がその誕生
を歓ぷであろう」。
<註>神のみ使いが,バプテストのヨハネの誕生に関して語っている
場面です。そうであるなら,イエスの誕生にはもっと大きな喜びが
あったのではないでしょうか。
ルカ2:8-20:「またその同じ地方では, 羊飼いたちが戸外に住んで,夜間
に自分の群れの番をしていた。すると突然,エホバのみ使いが彼らのそばに
立ち,エホバの栄光が彼らの周りにきらめいた。そのため彼らは非常な恐れ
を感じた。しかしみ使いは彼らに言った,『恐れることはありません。見よ,
わたしはあなた方に,民のすべてに大きな喜びとなる良いたよりを告げ知ら
せているのです。今日,ダビデの都市で,あなた方に救い主,主なるキリス
トが生まれたからです。そして,これがあなた方のためのしるしです。あな
た方は,幼児が布の帯にくるまり,飼い葉おけの中に横たわっているのを見
つけるでしょう』。すると突然,大勢の天軍がそのみ使いと共になり,趣圭
賛美してこう言った。『上なる高き所では栄光が神に,地上では平和が善意
の人々の間にあるように』。それで,み使いたちが彼らを離れて天に行って
から,羊飼いたちは互いにこう言いはじめた。『ぜひベツレヘムまで行って,
エホバがわたしたちに知らせてくださったこの出来事を見てこようではない
−118−
誕生日とクリスマス
か』。そこで彼らは急いで行き,マリア,それにヨセフ,そして飼い葉おけ
の中に横たわっている幼児を見つけた。彼らはそれを見ると,この幼子につ
いて自分たちに語られていた事柄を知らせた。すると,聞く者は皆,羊飼い
たちの話す事柄に驚嘆した。しかしマリアは,心の中であれこれと結論を下
しつつ,こうして語られる事柄すべてを[記憶に]にとどめていった。それ
から主飼いたちは,自分たちが聞いたり見たりした事すべてについて神の栄
光をたたえ,また賛美しながら戻って行った。 自 分 た ち に 告 げ ら れ て い た 卜
おりであったのである」。
ローマ14:5,6:「ある人は,ある日がほかの日に勝ると判断し,別の人は,
どの日もほかのすべての日と同じであると判断します。おのおの自分の思い
の中で得心していなさい。日を守る者は,それをエホバに対して守ります。
また,食べる者は,エホバに対して食べます。その人は神に感謝をささげる
からです。そして,食べない者は,エホバに対して食べません。それでもそ
の人は神に感謝をささげます」。
【要約】
クリスマスは救い主の誕生を人々に思い出させるものです。世の人々にと
っては,クリスマスは商業主義の権化のように映るかも知れません。エホバ
の証人は異教に起源を持つ誕生を祝うより,イエスの死を記念すべきだと主
張します。しかしクリスチャンにとって一年中で特別な意義を持つ日です。
神が私達人類のために自らを差し出して下さったからです。ヨハネ3章16
節には,「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え…」とありますよう
に,クリスマスの時期にはクリスチャンも自分を何らかの方法で差し出すこ
とを吟味できる良い機会です。
たいていのクリスチャンが知っているように,12月25日はイエスの誕生し
た実際の日付とは確かに異なっています。さて,一世紀当時の人々はイエス
の誕生にどんな反応を示しましたか。−「幼子を見,ひれ伏して敬意をささ
ムエ迄」(マタイ2:11),「民のすべてに本きな喜びとなる良いたよりを告げ
知らせている」(ルカ2:10)一従って,クリスチャンは生誕を喜びます。
【結論】
1.誕生日を祝う記録は,ファラオ(パロ)王やヘロデ王以外にもあります。
2.イエスの生誕を賛美したみ使いや羊飼いたちは神の恵みを失いませんで
した。従って,クリスマスを祝うことを非とする聖句はありません。
3.特別の日を祝ってはいけない聖書的根拠はありません。
119
血
エホバの証人は次の事を信じている。
1.「血を食べてはいけない」は一時的な律法ではない。
(「エホバの証人と血の問題」p.17
dw
p.89∼99)
dw
p.93,94)
2.血の禁止命令には人間の血も含まれる。
(「論じる」p.308
旧約聖書で血を避けるように命ぜられたのはどうしてですか
創世記9:3-6:「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物とし
てよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与え
る。ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。さらにわた
しは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしは
その返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは▲
の魂の返済を求める。だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流
たち
される。神は自分の像に人を造ったからである」。
<註>肉食の承認が与えられましたが,「いのち」が血であり,生命
を尊重し,流血を避ける原則が明らかにされました。従って,神は人
の血を流す殺害者がたとえ獣であっても,殺人の罪を免れないという
殺人禁止の戒めを宣明されました。
レビ17:10-14:「だれでもイスラエルの家の者あるいはあなた方の中に外
国人として住んでいる外人居留者で,いかなるものであれ血を食べる者がい
れば,わたしは必ず自分の顔を,血を食べているその魂に敵して向け,その
者を民の中からまさに断つであろう。肉の魂は血にあるからであり,わたし
は,あなた方が自分の魂のために蹟罪を行なうようにとそれを祭壇の上に置
いたのである。血が,[その内にある]魂によって蹟罪を行うからである。
それゆえにわたしはイスラエルの子らにこう言った。…だれでもイスラエ
ルの子らに属する者あるいはあなた方の中に外国人として住んでいる外人居
留者で,食べてよい野獣または鳧を狩猟で捕らえた者がいれば,量_里宣旦量
の血を注ぎ出して塵で覆わねばならない。あらゆる肉なるものの魂はその血
であり,魂がその内にあるからである。そのためわたしはイスラエルの子ら
にこう言った。『あなた方はいかなる肉なるものの血も食べてはならない。
あらゆる肉なるものの魂はその血だからである。すべてそれを皇≦_至宣』主逝
たれる』」。
−
-120-
121
<註>イスラエルの祭司が祭壇に血を注ぐことによってキリストのあ
がないを予表するひな型となっています。従って,イエス・キリスト
はカルバリーの十字架で,ご自身のいのちである血を注がれる事によ
って,この律法を成就されました。cf・マタイ26:28。
使徒15:28,29:「というのは,聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄の
ほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからで
す。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと
淫行を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば,
あなた方は栄えるでしょう。健やかにお過ごしください」。
<註>ユダヤ人のクリスチャンが律法から解放されても,つまずく要
素の最大のものが4つの定めであった。それ故に,エルサレム会議に
おいてユダヤ人がキリストの福音を受け入れ易いように配慮した確認
事項であって,永遠の律法ではありません。
血の入った動物を食べると断たれましたか
レビ7:23-27:「イスラエルの子らに話してこう言いなさい。『あなた方は
雄牛や若い雄羊ややぎの脂肪をいっさい食べてはならない。また,[すでに]
死体となっていたものの脂肪や引き裂かれた動物の脂肪はほかのどんな事に
用いてもよい。しかし,決してそれを食べてはならない。だれでもエホバへ
の火による捧げ物として自分が[脂肪]をささげる獣のその脂肪を食べる者
がいれば,それを食べる魂は民の中から断たれねばならないのである。また
あなた方は,自分の住むいずれの場所においても,烏のものであれ獣のもの
であれいっさい血を食べてはならない。どんな[血]にせよ血を食べる魂す
べて,その魂は民の中から断たれねばならない』」。
<註>旧約聖書の律法では脂肪を食べる事と同列に扱われています。
cf.出エジプト29:12,13,レビ1:8-12,3:2-5,3:13-17,7:2-5,
サムエル第二1:22,エゼキエル39:17-19,44:7.
レビ17:14,15:「あらゆる肉なるものの魂はその血であり,魂がその内に
あるからである。そのためわたしはイスラエルの子らにこう言った。『あな
た方はいかなる肉なるものの血も食べてはならない。あらゆる肉なるものの
魂はその血だからである。すべてそれを食べる者は断たれる』。[すでに]
死体となっていたものあるいは野獣に引き裂かれたものを食べる魂がいれば,
その地で生まれたものであれ外人居留者であれ,その者は自分の衣を洗い,
122
血
水を浴びなければならない。その者は夕方までは汚れた者とされる。そのの
ち清くなるのである…」。
<註>いつまで「断たれる」のかというと,夕方までです。すなわち,
血を食べると夕方まで,ユダヤ人の共同体から村八分(16節「とが
に対して責めを負わねばならない」一神の民からの追放)にされるの
です。「そののち情<なる」とありますように,生存しています。
血によって「断たれる」とは死を意味しましたか
レビ11:39,40:「さて,あなた方の,食用の獣のいずれかが死んだ場合,
その死体に触れる者は夕方まで汚れることになる。また,その死体の何かを
食べた者は自分の衣を洗う。その者は夕方まで汚れた者とされなければなら
ない。その死体を運び去った者は自分の衣を洗う。その者は夕方まで汚れた
者とされなければならない」。
<註>屠殺しなかったり,血を抜かずに自然死した動物を食べると,
罪ではなく,夕方まで汚れた者となりましたocf・エゼキエル4:14。
罪の場合は,石打などによって処刑されました。「汚れ」と「罪」を
混同することによって,1945年に狂信的な教理が生まれました。
レビ17:14,15:「あらゆる肉なるものの魂はその血であり,魂がその内に
あるからである。そのためわたしはイスラエルの子らにこう言った。『あな
た方はいかなる肉なるものの血も食べてはならない。あらゆる肉なるものの
魂はその血だからである。すべてそれを食べる者は断たれる。[すでに]死
体となっていたものあるいは野獣に引き裂かれたものを食べる魂がいれば,
その地で生まれたものであれ外人居留者であれ,その者は自分の衣を洗い,
水を浴びなければならない。その者は夕方までは汚れた者とされる。そのの
ち清くなるのである」。
<註>このページの一番上をご覧ください。
民数15:30,31,35:「『しかし,何事かを故意に行なった魂は,その地で生
まれた者であれ外人居留者であれ,エホバについてあしざまに語っているの
であり,その魂は民の中から断たれねばならない。エホバの言葉をその者は
侮り,そのおきてを破ったのであるから,その魂は必ず断たれるべきである。
自らのとががその者の上にある』…やがてエホバはモーセにこう言われた。
『その者は必ず死に処せられるべきである。宿営の外で全集会がこれを石撃
ちにする」」。
血
123
血を避けることは人類の永遠の律法ですか
よよ
レビ3:17
「これはあなた方の住むすべての所で代々定めのない時に至る
法令となる。すなわち,あなた方は脂肪も血もいっさい食べてはならない」。
−
<註>脂肪を避けることも永遠の律法でしょうか。
申命記14:21:「あなた方は,何にせよ死んでいたものを食べてはならない。
あなたの門の内にいる外人居留者にそれを与えてもよい。その者がそれを食
くるのである。あるいは,それは異国の者に売られるかもしれない。あなた
は,あなたの神エホバにとって聖なる民なのである」。
<註>正しい方法で血を注ぎ出していない野獣でも,律法下になかっ
た諸国民は食べて良かった。つまり血の律法はユダヤ人だけのための
養育係であり,すべての人類に適用されませんでした。
使徒21:25:「諸国民の信者たちについては,偶像に犠牲としてささげられ
た物,ならびに血と絞め殺されたもの,また淫行から身を守っているべきで
あるとの決定を下して,使いの者を送ってあるのです」。
<註>使徒15:29のエルサレム会議の10年後にも,再確認されまし
た。ユダヤ人のクリスチャンが律法から解放されても,つまずく要素
の最大のものが4つありました。それ故に,エルサレム会議において
ユダヤ人がキリストの福音を受け入れ易いように配慮した確認事項で
あって,永遠の律法ではありません。
啓示21:8:「しかし,憶病な者,信仰のない者,不潔で嫌悪すべき者,殺
人をする者,淫行の者,心霊術を行なう者,偶像を礼拝する者,またすべて
の偽り者については,その分は火と硫黄で燃える湖の中にあるであろう。こ
れは第二の死を表わしている」。
<註>使徒15:29の筆者であるルカや,パウロ,ペテロたちは西暦70
ただひとり
年までに殉教しています。70年以後,生き残った使徒はヨハネ唯一人
です。そのヨハネは70年以降,クリスチャンに何を強調しましたか。
千年王国の後の新しい天と地に招かれていない人には,どんな罪を犯
した人がいるか具体的に語りました。キリストに対して「信仰のない
者」は,「火と硫黄」で焼かれるとあります。もちろん救われたクリ
スチャンの中でも,これらの一覧表と同じような罪を犯す場合がある
かもしれません。しかし聖書という鏡を通して罪だと示されたときに,
「はい,罪を犯しました」と罪を神に告白するなら恵み(過分のご親
血
124
切)によって許されます。ヨハネ第-1:9。つまり真のクリスチャ
ンは啓示21:8,21:27,22:15の裁きの一覧表には含まれません。
いずれにしましても,血の禁止は救いとは関係がありません。
命より律法を守ることは重要ですか
マタイ12:1-5:「イエスは安息日に穀物畑の中を通られた。その弟子たち
は飢えを覚え,穀物の穂をむしって食べ始めた。これを見てパリサイ人たち
は彼に言った,『ご覧なさい,あなたの弟子たちは安息日にしてはいけない
ことをしています』。[イエス]は彼らに言われた。『あなた方は,ダビデ
および共にいた人たちが飢えた時に[ダビデ]が何をしたかを読まなかった
のですか。すなわち,彼が神の家の中に入り,みんなで供え物のパンを食べ
たことを。それは,彼も,また共にいた者たちも食べることを許されず,た
だ祭司たちだけに[許された]ものだったのです。またあなた方は,安息日
に神殿にいる祭司たちが安息日を神聖でないもののように扱っても罪になら
ないことを,律法の中で読んだことがないのですか...』」。
<註>イエスを救い主として受け入れたクリスチャンはすべて祭司で
あり,モーセの律法から解かれています。cf・ペテロ第-2:9
マタイ12:7:「しかし,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』
ということの意味を理解していたなら,あなた方は罪科のない者たちを罪に
定めたりはしなかったでしょう」。
マタイ12:10-12:「すると,見よ,片手のなえた人がいた。それで彼らは,
『安息日に[病気を]治すことは許されるだろうか』と[イエス]に尋ねた。
彼を訴える理由を得ようとしてであった。[イエス]は彼らに言われた,
『あなた方のうち,一匹の羊を持っていて,それが安息日に穴に落ち込んだ
場合,それをつかんで引き出さない人がいるでしょうか。どう考えても,人
は羊よりずっと価値のあるものではありませんか。それで,安息日にりつば
なことをするのは許されているのです』」。
マルコ2:23-26:「さて,[イエス]はたまたま安息日に穀物畑の中を通っ
ておられたが,弟子たちは道を進みながら穀物の穂をむしり始めた。それで
パリサイ人たちは,『それご覧なさい,なぜ彼らは安息日にしてはいけない
ことをしているのか』と彼に言いだした。しかし[イエス]は彼らにこう言
われた。『ダピデが,つまり彼および共にいた人たちが窮乏して飢えた時に,
125
血
彼が何をしたか,あなた方はかつて読んだことがないのですか。すなわち,
祭司長アビヤタルに関する記述の中で,彼が神の家の中に入って供え物のパ
ンを食べたことを。それは,祭司たちのほかは,だれも食べることを許され
ないものですが,彼はそれを自分と共にいた者たちにも与えたのです』」。
マルコ3:1-5:「[イエス]はもう一度会堂の中に入られた。すると,片手
のすっかりなえた人がそこにいた。それで人々は,安息日にその人を治すか
どうかを見ようとして,じっと彼を見守っていた。彼を訴えようとしてであ
った。すると,[イエス]はその片手のなえた人にこう言われた。『立って,
中央に[来なさい]』。次いで彼らにこう言われた。『安息日に許されてい
るのは,善行をすることですか,悪行をすることですか。魂を救うことです
か,殺すことですか』。しかし彼らは黙っていた。それで[イエス]は憤り
を抱いて彼らを見回したのち,その心の無感覚さを深く憂えつつ,『あなた
の手を伸ばしなさい』とその人に言われた。そこで彼が伸ばすと,その手は
元どおりになったのである」。
ルカ6:1-5:「さてある安息日のこと,[イエス]はちょうど穀物畑の中を
通っておられ,弟子たちは穀物の穂をむしり,それを手でこすって食べたり
していた。すると,パリサイ人のある者たちが,『なぜあなた方は安息日に
してはいけないことをしているのか」と言った。しかしイエスは彼らに答え
て言われた,『ダビデおよび共にいた人たちが飢えた時に彼が行なった事柄
について,あなた方は読んだことがないのですか。すなわち,彼が神の家の
中に入り,供え物のパンを受け取って食べ,自分と共にいた者たちにも分け
与えたことを。それは,ただ祭司たちのほかは,だれも食べることを許され
ないものなのです』」。
ルカ6:9-11:「それからイエスは彼らに言われた,『あなた方に尋ねます
が,安息日に許されているのは,善を行うことですか,危害を加えることで
すか。魂を救うことですか,脚ぎすことですか」。そして,彼らすべてを見
回してから,その人にこう言われた。『あなたの手を伸ばしなさい』。彼が
そのとおりにすると,その手は元どおりになったのである。ところが,彼ら
イエスに対して何を行なおうかと話し合いをはじめた」
は狂わんばかりに怒り,イエスに対して何を行なおうかと話し合いをはじめ
<註>輸血を行ったエホバの証人に対して,組織は審理委員会を開き,
排斥にします。組織は信仰の主人ですか。cf・コリント第二1:24。
ローマ4:15:「実際のところ,律法は憤りを生じさせ,律法のないとこ・ろ
0
126
血
には違犯もないのです」。
食べてはいけない血とは何の血でしたか
レビ17:13,14:「だれでもイスラエルの子らに属する者あるいはあなた方
の中に外国人として住んでいる外人居留者で,食べてよい野獣または烏を狩
猟で捕らえた者がいれば,その者はその血を注ぎ出して塵で覆わねばならな
い。垂らゆる肉なるものの魂はその血であり,魂がその内にあるからである。
そのためわたしはイスラエルの子らにこう言った。『あなた方はいかなる肉
なるものの血も食べてはならない。あらゆる肉なるものの魂はその血だから
である。すべてそれを食べる者は断たれる』」。
<註>野獣または烏といった犠牲動物に限定しており,人間や魚は含
まれていません。だからといって人血を容認しているわけではないこ
とは言うまでもありません。
使徒10:14,15:「しかしペテロは言った,『いえ,それはできません,主
よ。わたしはいまだかつて汚れたものや清くないものを何も食べたことがな
いからです』。すると,その声が再び,二度目に彼に[言った],『あなた
は,神が清めたものを汚れていると呼んではならない』」。
<註>清くない野獣でさえ,イエスのあがない以来,清められました。
従って,モーセの律法の食物規定は,1世紀以降廃棄されました。
血を食べることと輸血は同じですか
マタイ15:17:「口の中に入jるものはみな腸に進んで行き,下水に排出され
ることに気づいていないのですか」。
<註>輸血が血を食べることなら,輸血として血を飲ませる医師がい
てもよさそうなものです。座薬を口から入れてもあるいは静脈に注射
しても同じ事になるのでしょうか。
マルコ7:18:「それで[イエス]はこう言われた。『あなた方も彼らのよ
うに悟る力がないのですか。外から入って行くものは何一つとしてその人を
汚すことができないことに気づいていないのですか…』」。
<註>たとえ売血のゆえの黄色い血であったとしても,輸血によって
霊的に汚されることはありません。ましてや輸血によって永遠の命を
断つとは聖書のどこにも書かれていません。
127
血
マルコ7:19:「『…それは[その人の]心の中にではなく,陽の中に入
って行き,それから下水に出て行くからで丈』。こうして[イエス]はすべ
ての食物を清いとされたのである」。
輸血禁止のために多くの命を奪った組織はどうなると述べられていますか
イザヤ26:21:「見よ,ご自分に対する地の住民のとがに関して言い開きを
求めるため,エホバはその場所から出て来られるからである。その地は必ず
その流血をあらわにし,もはやその殺された者たちを覆い隠すことはなL」。
啓示18:24:「しかも彼女の中には,預言者と聖なる者たちの[血],そし
て地上でほふられたすべての者の血が見いだされたのである」。
【要約】
I・創世記9:3-6の要点は,①肉食の承認,②「命」=「血」③殺人の禁止です。
従って,殺人がいかに神の不興を被るか強調されている場面です。
Ⅱ、レビ17:10-14の血の入った動物を食べると断たれるとは。
(1)民数記15:30-35では,「断たれる」とありますが,安息日を守
らない時に被る処罰は石打ちによる処刑です。
(2)レビ7:26,27の「血を食べる魂は民の中から断たれる」とは,石
打ちによる処罰でありません。24,25節によると,「脂肪を食べ
る者も断たれる」とありますが,石打ちで処刑されたのではあり
ません。つまり,脂肪や血を食べると,夕方まで,ユダヤ人の共
同体から村八分にされることを意味します。
cf・レビ11:39,40,17:14,15,エゼキエル4:14。
Ⅲ、使徒15:28,29は4つの禁止事項が,ユダヤ人のクリスチャンのために確認
されました。ルカによる「使徒たちの活動」が書かれたのは,西暦61年頃で
す。ところで,12使徒の中で,西暦70年のエルサレム陥落以降生き残ったの
はヨハネだけです。約30年後,ヨハネはクリスチャンが当然避けるべき永遠
の律法を,啓示21:8で強調しましたが,血は含まれていません。
参照119頁,cf.レビ3:17。dwp.90。
【結論】
1.血の律法はイエスのあがないを予表するものであり,イエスの十字架上
の犠牲によって成就しました。
2.血の禁止は旧約時代において動物にのみ限定されました。
中立と職業の選択
エホバの証人は次の事を信じている。
クリスチャン
1.「もはや戦いを学ばない」(イザヤ2:4,ミカ4:3)に基づいて,クリスチ』
は自衛隊員,機動隊員,ピストルを携帯する警察官などの職業には就けない。
(「ものみの塔」誌1983年10月15日号,1973年7月1日号)
2.武道などの授業を一切支持しない。
(「ものみの塔」誌1983年10月15日号,「学校とエホバの証人」p、
(の証人」p.29)
3.政治家は「野獣」であって,サタンに操られているゆえに,○○議員にはな・
○○議員にはなって
はいけない。投票の方法によって人を選んではいけない。
(「論じる」p、320,「学校とエホバの証人」p.17)
4.多数決による民主的方法は非聖書的である。
(「崇拝」p.166-168,「学校とエホバの証人」p.17)
聖書は神から是認されるために職業を変えなさいと述べていますか
マタイ8:5-10:「[イエス]がカペルナウムに入られると,ひとりの士官
ロ■■■■■■■■■■■■■
(百人隊長)がそのもとに来て,懇願してこう言った。『閣下,私の下男は
まひして家にこもったまま,ひどく苦しんでおります』。[イエス]は彼に
言われた,『わたしがそちらへ行った時に治してあげましょう』。士官は答
えて言った,『…と申しますのは,私も権威のもとに置かれた人間ですが,
私のもとにも兵士がおりまして,この者に,「行け!」と言えば,その者は
行き,別の者に,「来い!」と[言えば],その者は来ます。また,私の奴
隷に,「これをせよ!」と[言えば],それを致します』。これを聞いてイ
エスはすっかり驚き,自分のあとに従って来る者たちにこう言われた。
『あなた方に真実を言いますが,イスラエルの中のだれにも,わたしはこれ
ほど(百人隊長)の信仰を見たことがありません」。
<註>職業を変えなくても最大級に祝福されています。
ルカ3:14:「また,兵役についている人々も‘『わたしたちとしてはどう
したらよいのでしょうか』と尋ねるのであった。すると彼は言った,『だれ
をも悩ましたり,だれをも偽って訴えたりしてはならず,自分の給与で満足
しなさい』」。
ルカ22:38:「すると彼らは言った,『主よ,ご覧ください,ここに剣が二
振りあります』。[イエス]は彼らに言われた,『それで十分です』」。
−128−
中立と職業の選択
129
ヨハネ18:10,11:「その時シモン・ペテロは,剣を携えていたので,それ
を抜いて大祭司の奴隷に撃ちかかり,その右の耳を切り落とした。その奴隷
の名はマルコスといった。しかしイエスはペテロに言われた,『剣をさやに
納めなさい。父がわたしにお与えになった杯,わたしはそ、れをぜひとも飲む
べきではありませんか』」。
<註>預言の目的の成就のためであるならば,使徒ペテロでさえ,剣
を携帯することが許された場面です。しかし,エホバの証人は軍服を
着用したり武器を取ったりすることを拒むだけでなく,非戦闘員の任
務に就いたり,あるいは軍務に代わるものとして他の仕事の割り当て
を受けたりすることも断固拒絶するように教えられています。
(cf.「崇拝」p.167)
使徒10:1-8,24,34,35,48:「さて,カエサレアにコルネリオという名の人
がいた。イタリア隊と呼ばれる[部隊]の士官(百人隊長)であったが,篤
信の人であり,自分の家の者たちすべてと共に神を恐れ,民に憐れみの施し
を多く行ない,絶えず神に祈願をささげていた。…自分に話したみ使いが
去るとすぐ,彼は家僕ふたりと,自分にいつも付き添っている者の中から篤
一
信の兵士ひとりを呼び…その翌日,彼はカエサレアに入った。もとより,
コルネリオは彼らを待ち受けており,自分の親族や親しい友人たちを呼び集
めていた...。そこでペテロは口を開いてこう言った。『わたしは,神が不
公平な方ではなく,どの国民でも,[神]を恐れ,義を行う人は[神]に受
け入れられるのだということがはっきり分かります。..、そうして,イエス
・キリストの名においてバプテスマを受けるようにと彼らに命じた。それか
ら彼らは,幾日かとどまるようにと彼に頼んだ」。
<註>コルネリオについて詳しく扱われている使徒10章で,軍人を
やめた記録はありません。つまり,軍人でもバプテスマを受けること
はできました。12使徒や特別の召しを受けた福音宣明者以外で職業を
変えた記録はありません。たとえばらい病をいやされたナアマンは職
業.立場を変えませんでした。cf.列王第二5:17-19。
ローマ13:4:「それ(警察など)はあなたの益のための神の奉仕者だから
です。しかし,もしあなたが悪を行っているのであれば,恐れなさい。それ
はいたずらに剣を帯びているのではないからです。それは神の奉仕者であり,
悪を習わしにする者に憤りを表明する復しゅう者なのです」。
<註>ピストルを携帯する警察官は神の奉仕者であり,立派な職業で
す。参照聖句出エジプト22:2。dwp、102∼103。
中立と職業の選択
130
政治家は聖書でいう「野獣」ですか
創世記41:41-43:「そしてファラオはさらにヨセフに言った,『見なさい,
わたしはあなたを確かに据えてエジプトの全土をつかさどらせ量』。そうし
てファラオは認印指輪を自分の手から外してヨセフの手にはめ,上等の亜麻
布の衣を彼に着せ,金の首飾りをその首に掛けさせた。さらに,自分の持つ
第二位の兵車に彼を乗らせて,その前に『アブレーク!』と呼ばわらせ,こ
うして彼をエジプトの全土の上に据え迄」。
<註>ヨセフはエジプト(世界強国の一つ)の総理大臣になりました。
ネヘミヤ2:1,2:「そして,王アルタクセルクセスの第二十年,ニサンの月
に,[王]の前にぶどう酒があり,わたし(ネヘミヤ)はいつものようにぶ
どう酒を取り上げ,それを王に差し上げたのである。ところで,かつてわた
しは[王]の前で一度も憂うつな様子をしたことはなかった。それで,王は
わたしに言った,『あなたは病気でもないのに,どうして憂うつな顔をして
いるのか。これは心が憂うつになっているからにほかならない』」。
<註>ネヘミヤは王の献酌官であり,大きな信任を受けた誉れある地
位で,人々が望む地位でした。(「霊感」p.88)
エステル2:17:「そして,王はほかのどの女たちよりもエステ上を愛する
ー
ようになったので,彼女はほかのどの処女たちよりも[王]の前に恵みと愛
ある親切を得た。そこで[王]は王妃の頭飾りを彼女(エステル)の頭に置
き,ワシテの代わりに彼女を王妃とし迄」。
ダニエル2:48:「こうして王はダニエルを大いなる者とし,沢山の大きな
贈り物を与え,彼をバビロンの全管轄地域の支配者,またバビロンのすべて
の賢人たちの大長官とした」。
<註>ダニエルもヨセフも国の総理大臣になりました。バビロンやエ
ジプトは創造者を認めない一連の世界強国でした。
ルカ
23:50-52:「さて,見よ,ヨセフという名の人がいた。謹全里二亘重
あり, 善良で義にかなった人であった−この[人]は彼ら(パリサイ人)の
謀りごとや行動を支持する投票をしなかったのである−彼はユダ人の都市Z
リマタヤの人であり,神の王国を待っていた。この人がピラトのもとに行き,
イエスの体を頂きたいと願い出た」。
<註>一世紀のクリスチャンの中にも,議会の一員がいました。
中立と職業の選択
131
クリスチャンは無政府主義者ですか又政府に批判的ですか
蔵言24:21:「我が子よ, エ ホ バ と 王 を 恐 れ よ 。 変 化 を 求 め る 者 た ち と 掛 か
り合いになるな」。
伝道8:2:「わたしは[言う],『王の命令を守れ。神への誓いを考えてそ
うするように...』」。
伝道10:20:「自分の寝室にいるときでも,王の上に災いを呼び求めてはな
らない。自分が横になる奥の部屋にいるときも,富んだ者の上に災いを呼び
求めてはならない。天の飛ぶ生き物がその声を伝え,翼を持つ物がそのこと
を告げるからである」。
マタイ22:21;マルコ12:17;ルカ20:25:「彼らは,
『カエサルのです』
と言った。そこで[イエス]は言われた,『それでは, カ エ サ ル の も の は 力
エサルに,しかし神のものは神に返しなさい』」。
<註>クリスチャンは税を払うこと,法律を守ること以外に,政府の
支配者に正当な敬意を払います。つまり良いたよりを宣く伝える時に
政治に批判的な態度を示すことは肉の業ではないでしょうか。
使徒23:5:「するとパウロは言った,『兄弟たち,わたしは彼が大祭司で
あるとは知りませんでした。「あなたは2−あなたの民の支配者を悪く言って
はならない」と書いてあるからです』」。
ローマ13:1,7:「すべての魂は上位の権威に服しなさい。神によらない権
威はないからです。存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられ
ているのです。…すべての者に,その当然受けるべきものを返しなさい。
税を[要求する]者には税を,貢ぎを[要求する]者には貢ぎを,恐れを
[要求する]者にはしかるべき恐れを,誉れを[要求する]者にはしかるべ
き誉れを」。
<註>クリスチャンは正直に税金を納めるだけでなく,上位の権威で
ある政治を担う人々の欠点に攻撃的であってはいけません。
コロサイ1:16:「なぜなら,[他の]すべてのものは,天においても地に
おいても,見えるものも見えないものも,王座であれ主権であれ政府であれ
権威であれ,彼(キリスト)によって創造されたからです」。
投票
132
テモテ第一2:1-3:「そのようなわけで,わたしはまず第一に勧めます。あ
らゆる人について,また王たちや高い地位にあるすべての人々について,祈
願と,祈りと,取りなしと,感謝をささげることとがなされるようにしてく
ださい。それはわたしたちが,敬虐な専心を全うし,まじめさを保ちつつ,
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
平穏で静かな生活をしてゆくためです。これは,わたしたちの救い主なる神
のみ前にあってりっぱなこと,受け入れられることです」。
テトス3:1:「政府や権威者たちに服し,[自分の]支配者として[それに]
従順であるべきことを引き続き彼らに思い出させなさい。また,あらゆる良
い業に備えをし」。
ペテロ第一2:13,17:「人間の創造したものすべてに,主のために服しなさ
い。上位者としての王に対してであろうと,…あらゆる[人]を敬い,仲
間の兄弟全体を愛し,神を恐れ,王を敬いなさい」。
会衆で,又必要の大きなところで働く奉仕者をどのように選びますか
神権的にですか,それとも民主的にですか
使 徒 6 3,5-7:「それで,兄弟たち,あなた方の中から,霊と知恵に満ちた
確かな男子七人を自分たちで捜し出しなさい。わたしたちがその人たちを任
命してこの必要な仕事に当たらせるためです。…こうして話されたことは
大勢の者全員の喜ぶところとなった。それで彼ら(会衆全員)は,信仰と聖
霊に満ちた人ステファノ,およびフィリポ,プロコロ,ニカノル,テモン,
パルメナ,またアンティオキアの改宗者ニコラオを選び出した。そして彼ら
を使徒たちの前に立たせると,[使徒たち]は祈ってから彼らの上に手を置
いた。その結果,神の言葉は盛んになり,弟子の数はエルサレムにおいて大
いに殖えつづけた。そして,非常に大勢の祭司たちがこの信仰に対して従順
な態度を取るようになった」。
使徒15:22:「そこで,使徒や年長者たち,また全会衆は,自分たちの中か
ら選んだ人々を,パウロおよびバルナバと共にアンティオキアに遣わすこと
がよいと考えた。すなわち,バルサバと呼ばれるユダとシラスで,兄弟たち
の中で指導的な人たちであった」。
使徒15:25,26
「わたしたちは全員一致のもとに,人を選んで,わたした
ちの愛するバルナバおよびパウロ,わたしたちの主イエス・キリストの名の
中立と職業の選択
133
ために自分の魂を引き渡した人たちと共に,あなた方のもとに遣わすことが
よいと考えました」。
<註>「新世界訳」では,「全員一致のもとに」と訳出していますが,
他の翻訳も参考にしてください6
「衆議一決しました」。「新改訳,フランシスコ会訳,口語訳」
「全会一致で決議しました」。「リビング・バイブル,前田訳」
「わたしたちは満場一致で決定しました」。「新共同訳」
【要約】
1.政治と教会は分離していなければなりません。この原則はマタイ27:
17-22に基づいています。クリスチャンは投票したり,政府に従います
が,決して政治に結び付いているのではありません。クリスチャンは政
治に対して平衡のとれた見方が必要です。正直に税金を納め(ローマ
13:7),服し(テトス3:1),敬い(ペテロ第一2:17)そして,
祈る事が求められています。一方,政治は教会の信仰の自由,および霊
的活動を保護する責任を持っています。政治はいかなる宗教活動に対し
ても,迫害はできませんし,一つの宗教だけに特別な特典を付与するこ
とも許されていません。政治が介入するのは,クリスチャン市民が,財
産あるいは私的な問題が脅かされて保護を求める場合のみに許されます。
Ⅱ.「野獣」とは何ですか。
ダニエル7章の4頭の「獣」は,ライオン[金の頭](バビロン),熊
[銀の胸と両腕](メディア・ペルシャ),ひょう[青銅の腹ともも]
(ギリシャ),名のない獣[鉄のすね](ローマ)を表しています。
「野獣」(啓示13:1-10)とは,4頭の「獣」のことではなく,ダニエ
ル7章8,11,20-22,24-26節で登場する「一本の小さな角」のことです。
①「目と口があって大仰な事柄を語り」:不遜な預言者のごとく,
神に対して反抗的な精神で傲慢に人々に影響を与えます。
②「聖なる者たちを絶えず悩ます」:クリスチャンを迫害します。
③「一時と二時と半時」:この野獣は3年半支配します。cf.啓示13
⑤’一時と一時と半時」:この野獣は3年半支配します。cf・啓示13:5
すなわち,新約聖書に預言されている「野獣」とは,政府ではありません。
人の子の再臨の時に滅ぼされる「反キリスト」の事です。158,159頁参照。
【結論】
1.自衛隊員,警察官は,転職しなくてもクリスチャンになれます。
2.政治家であっても,転職しなくてもクリスチャンになれます。
3.投票や多数決によって人を選ぶことは聖書的です。
地獄
エホバの証人は次の事を信じている。
1.死後の命はない。従って,死後に祝福やハデス・シェオルの責め苦があると考え
(「論じる」p.188)
るのは,不合理である。
2.ゲヘナ,火の湖に投げ込まれる人々は永遠の滅びであり,無意識である。
(「地上の楽園で永遠に生きられます」p.87,「論じる」p.190)
ハデス(シェオル)において祝福を受けたり,責め苦にあうことはあり得ますか
レビ20:14:「また,人が女とその母とを共にめとるなら,それはみだらな
行ないである。その者もその女たちも火の中で焼くべきである」。
<註>正義の要求の高い神は,罪人を火で焼く事を命じられた。
エレミヤ7:31の人身御供は,罪人ではないので許されなかった。
申命記32:22:「わたしの怒りの中で火は燃え立っており,それはシェオル
に,最も低い所にまでも燃えてゆく」。
一
ヨブ26:5,6:「死んだ無力な者たちは震えてい畳。水とその中に住まう者
との下にあって。シェオルは[神]の前では裸であり,滅び[の場所]も覆
うものがない」。
詩編116:3:「死の綱がわたしを取り巻き,シェオルの苦しい状況がわたし
を見いだしました。わたしは苦難と悲嘆を見いだし続けました」。
ルカ16:23:「ハデスの中て目を上げると, 自分は責め苦のうちにありまし
た」。
■■■■■■■■
ルカ16:24:「わたしはこの燃えさかる火の中で苦もんしている」。
ゲヘナあるいは火の湖に投げ込まれる人々の状態はどのようですか
イザヤ66:24:「そして,彼らは実際に出て行き,わたしに対して違反をお
かしていた者たちの死がいを見つめるであろう。それらについた虫は死なず,
その火は消されず,それらはすべての肉なる者にとって必ず嫌悪の情を起こ
させるものとなるからである」。
−134一
地獄
135
ダニエル12:2:「また,塵の地に眠る者のうち目を覚ます者が多くいる。
この者は定めなく続く命に,かの者は恥辱に,[また]定めなく続く憎悪に
−
[至る]」。
マタイ3:12:「[穀物を]あおり分けるシャベルがその手にあり,
その方
は自分の脱穀場をすっかりきれいにし,自分の小麦を倉の中に集め,
もみが
らのほうは,消すことのできない火で焼き払うのです」。
マタイ5:22:「だれでも,『卑しむべき愚か者よ!』と言うものは,火の
−
燃えるゲヘナに処せられることになるでしょう」。
マタイ8:12:「一方,王国の子らは外の闇に投げ込まれるのです。そこで
[彼らは]泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう」。
マタイ8:29:「ところが,見よ,彼らが絶叫してこう言った。『神の子よ,
わたしたちはあなたと何のかかわりがあるのですか。わたしたちを責め苦に
遭わせようとして,定められた時よりも前にここに来たのですか』」。
マタイ10:28:「そして,体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐
れてはなりません。むしろ,魂も体も共にケヘナで滅ぼすことのできる方を
恐れなさい」。
<註>ゲヘナが神の永遠の裁きでないとすれば,神と人間の力が同じ
ことになってしまいます。なぜなら,エホバの証人によると「からだ」
を殺すことと「魂」を殺すこととは同じことを意味するからです。
マタイ13:42:「それを火の燃える炉の中に投げ込みます。 そこで[彼らは]
−
泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう」。
マタイ13:49,50:「事物の体制の終結のときにもそのようになるでしょう。
み使いたちは出かけて行って,義人の中から邪悪な者をより分け,彼らを火
の燃える炉にほうり込むのです。そこで[彼らは]泣き悲しんだり歯ぎしり
したりするでしょう」。
マタイ18:8:「二つの手または二つの足をつけて永遠の火に投げ込まれる
よりは,不具または足の不自由なまま命に入るほうが,あなたにとって良い
のです」。
地獄
136
マタイ22:13:「その手足を縛って彼を外の闇に投げ出しなさい。
そこで
−
[彼は]泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするであろう」。
マタイ25:41:「ついで彼は自分の左にいる者たちにこう言います。『のろ
われた者たちよ,わたしから離れ,悪魔とその使いたちのために備えられた
永遠の火に入りなさい…』」。
<註>エホバの証人は「火」は裁きの象徴として理解しています。
cf.哀歌2:3,4,ペテロ第二3:7.
ではイエス・キリストは,なぜ「永遠の」をつけられたのでしょうか。
マタイ25:46:「そして,これらの者は去って永遠Q切断(コラシン)に入
り,義なる者たちは永遠の命に入ります」。
<註>新世界訳では「永遠の責め苦」を「永遠の切断」と訳していま
す。ものみの塔協会が版権を所有している「ダイアグロット」(ギリ
シャ語・英語対照の聖書)も,ギリシャ語「コラシン」を「切断」と
誤訳しています。しかし,いかなるギリシャ語辞典,及び他の翻訳に
おいても「コラシン」は「責め苦」となっています。
マルコ5:7:「そして,大声で叫んでから,こう言った。『至高の神の子イ
エスよ’わたしはあなたと何のかかわりがあるのですか。わたしを責め苦に
遭わせないことを神にかけて誓ってもらいます。』」。
マルコ9:43-48:「そして,もしあなたの手があなたをつまずかせることが
あるなら,それを切り捨てなさい。二つの手をつけてゲヘナに,すなわち消
すことのできない火の中に行くよりは,不具の身で命に入るほうが,あなた
にとって良いのです。また,もしあなたの足があなたをつまずかせるなら,
それを切り捨てなさい。二つの足をつけてゲヘナに投げ込まれるよりは,足
の不自由なまま命に入るほうが,あなたにとって良いのです。また,もしあ
なたの目があなたをつまずかせるなら,それを捨て去りなさい。あなたにと
っては,片目で神の王国に入るほうが,二つの目をつけてゲヘナに投げ込ま
れるよりは良いのです。そこでは,うじは死なず,火は消されないのです」。
<註>ゲヘナが無意識とするなら,自分の手を切り捨てることは自分
の死体をゲヘナに捨てるよりもずっと痛いことではありませんか。
ルカ3:17:「しかし,もみがらのほうは, 消すことのできない火で焼き払
一
うでしょう」。
地獄
137
ルカ10:12:「あなた方に言いますが,その日には, その都市よりソドムの
ほうが耐えやすいでしょう」。
dw
p、60∼62
ルカ12:4,5:「さらに,わたしの友であるあなた方に言いますが,体を殺
しても,その後もう何もできない者たちを恐れてはなりません。しかし,だ
れを恐れるべきかをあなた方に示しましょう。殺したあとにゲヘナに投げ込
む権威のある方を恐れなさu」。
使徒1:25:「自らの所へ行こうとしてユダはそれから外れたのです」。
テサロニケ第二1:9:「実にこれらの者たちは,主のみ前から,またその力
の栄光から[離れて]永遠の滅びという司法上の処罰を受けます」。
<註>「滅び」も,消滅であるならば,「永遠の」は不要なはずです。
へプライ10:27-29:「裁きに対するある種の恐ろしい予期と,逆らう者た
ちを焼き尽くそうとする火のようなねたみとがあるからです。だれでもモー
セの律法を無視した者は,二人か三人の証言に基づいて,同情を受けること
なく死にます。では,神の子を踏みつけ,自分がそれによって神聖にされた
契約の血をあたりまえのものとみなし,過分のご親切の霊をないがしろにし
た者は,はるかに厳しい処罰に値する」。
啓示14:9-11:「野獣とその像を崇拝して,自分の額または手に印を受ける
者がいれば,その者は,憤りの杯に薄めずに注がれた神の怒りのぶどう酒を
飲むことになり,聖なるみ使いたちの見るところで,また子羊の見るところ
で,火と硫黄による責め苦に遭わされるである量。そして,彼らの責め苦の
煙は限りなく永久に上り,彼ら,すなわち,野獣とその像を崇拝する者,ま
ただれでもその名の印を受ける者には,昼も夜も休みがない」。
啓示19:20:「彼らは両方とも生きたまま,硫黄で燃える火の湖に投げ込ま
れた」。
一
啓示20:10:「そして,彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込
まれた。そこは野獣と偽預言者の両方が[すでにいる]ところであった。そ
■■■■I■■■■■■■■■■■■■■■■
して彼らは昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭うのである」。
<註>悪魔や野獣や偽預言者が無意識で存在しなくなったとは描写さ
れていません。「責め苦にあう」とか「苦しむ」というのが滅びて消
地獄
138
えてしまうことなら,マタイ8:6で「まひして…ひどく苦しんで」
の「苦しんで」も同じギリシャ語ですが,どのように理解したらよい
のでしょうか。「存在しなくなるように滅ぼす」という意味でないこ
とは明らかです。啓示20:15:「また,だれでも,命の書に書かれて
いない者は,火の湖に投げ込まれた」。
啓示22:14,15:「その門から都市の中に入れるようになる者たちは幸いで
ある。その外にいるのは,犬,心霊術を行う者…」。
■■■■■■■
【要約】
地獄は存在します。
(1)火で処刑するように神は命じられました。
レピ20:14,21:9.
(2)シェオールは苦しみの場所になることもあります。
申命記32:22,ヨブ26:5,6,詩編116:3.
(3)ハデスも苦しみの場所になることもあります。
ルカ16:23,24。
(4)ゲヘナや火の湖は千年王国の後に待ち受けている永遠の責め苦の
場所のことです。
啓示20:5,14:9-11,20:10.
聖書の中でハデスやシェオールは最後の刑罰ではありません。ハ
デス(シェオール)は永遠の火による最後の裁きを受けるまでの
「待ち合い所」のようなところです。ハデスにも苦しみがありま
す。しかし千年王国後に「裁きの復活」を迎える「海の砂の数」
のような人々の刑罰は,永遠の責め苦のゆえに,ハデス以上の苦
しみになります。つまり生前イエスを救い主として受け入れなか
った霊と魂はハデスから出て復活し,肉の体が再び結合し,ゲヘ
ナで永遠の責め苦を経験します。
復活の項145-146頁参照。
(5)神は公正です。へプライ2:2。
「み使いたちを通して語られた言葉が揺るがいものとなり,違犯
と不従順のすべてが公正にかなう応報を受けたのであれば」。
死後,残虐な大量殺裁をしたヒトラーやスターリンは,一般の
人々と同じような待遇を受けるのでしょうか。イスカリオテ・ユ
ダも死ねば一般の人々と同じように無になるのでしょうか。
139
地獄
(6)イスカリオテ・ユダの死後の状態は生まれてくる前と同じですか。
マルコ14:21:「人の子を裏切るその人は災いです1その人に
とっては,むしろ生まれてこなかったほうがよかったでしょう」。
ユダの死後は災いがきますと書かれています。生まれる前はすべ
ての人が無意識であるのに,生まれる以前より「のろわれる」と
か「災いです」という状態は,死後の「永遠の責め苦」の存在が
明白です。
「篝篝議蕊蕊蕊鍾鍾篝霧蕊議蕊」
ルカ16:19-31:「ところで,ある富んだ人がいて,紫と亜麻布で身を飾り,
豪しゃな日々を楽しんでいました。一方,重ザロという名のあるこじきは彼
の門のところに置かれ,かいようだらけの身で,その富んだ人の食卓から落
ちる物で腹を満たしたいと思っていました。そのうえまた,犬が来ては彼の
かいようをなめるのでした。さて,やがてこじきは死に,み使いたちによっ
てアブラハムの懐[の位置]に運ばれました。また,富んだ人も死んで葬ら
れました。そして,ハデスの中で目を上げると,自分は責め苦のうちにあり
ましたが,はるか離れた所にアブラハムがおり,ラザロがその懐[の位置]
にいるのが見えました。それで彼は呼びかけて言いました,『父アプラハム
よ’わたしに憐れみをおかけになり,ラザロを遣わして,その指の先を水に
浸してわたしの舌を冷やすようにさせてください。わたしはこの燃えさかる
火の中で苦もんしているからです』。しかしアブラハムは言いました,『子
よ’あなたが自分の生きている間に,自分の良い物を全部受け,それに対し
てラザロが良くない物を[受けた]ことを思い出しなさい。しかし今,彼は
ここで慰めを得,あなたは苦もんのうちにある。そして,これらすべてに加
えて,わたしたちとあなた方との間には大きくて深い裂け目が定められてお
り,そのため,ここからあなた方のもとに行きたいと思う者たちもそれがで
きず,人々がそこからわたちたちのところに渡って来ることもできない』。
すると彼は言いました,『それなら,お願いです,父よ,彼をわたしの父の
家に遣わしてください。わたしには五人の兄弟がいますから。こうして彼が
徹底的な証しをし,彼らもこの責め苦の場駈に入ることがないようにするの
です』。しかしアブラハムは言いました,『彼らには圭一セと預言者た量が
ある。それに聴き従えばよい』。すると彼は言いました,『いいえ,そうで
はありません,父アプラハムよ’だれかが死人の中から行けば,彼らは悔い
改めることでしょう』。しかし[アプラハム]は彼に言いました,『モーセ
や預言者たちに聴き従わないなら,だれかが死人の中からよみがえっても,
やはり説得に応じないであろう』」。
140
地獄
ルカ16章19節∼31節は決してむずかしくありません。もしある特
定の教理を押し付けられてから,この部分を読む‘とむずかしくなります。
サングラスをかけてみことばを読むことになりますから,なかなか理解で
きなくなります。
ものみの塔協会の出版物では,「富んだ人とラザロの話し」は単なるた
とえ話しにすぎないと主張します。
エホバの証人の注解によると,「ペンテコステ以降,キリストの追随者
たちが偽りの宗教指導者たちの邪悪な業を暴露した時に被る苦しみについ
て述べられている」というのです。こうしたものみの塔協会の飛躍した注
解にはすぐに順応できないはずです。聖書の著者である神は,人間を混
乱させるためにみことばを書かれたのではありません。教訓を得るように
書かれました。イエス・キリストも混乱させるために「富んだ人とラザロ
の話し」を語られたのではありません。
イエスは死後になにが起きるか,パラダイスあるいは責め苦の場所に行
くかどうかは,悔い改めに依存しているという真理について教えておられ
たのです。イエスのたとえ話しならば,主人公には通常「主人」,「ある
人」,「ひとりの人」という表現が用いられています。しかし,この話の
中では,「ラザロ」,「アブラハム」という特定の名前が登場しています
から,たとえではないことが判明します。
ラザロは貧乏人でした。22節によるとラザロは死んだと書かれていま
す。しかしラザロが葬られたとは書かれていないことに注目してください。
ラザロは墓を持てないほど生活困窮者だったのです。つまり,ラザロのな
きがらはエルサレムの城壁のすぐ外にある「ごみ捨て場」に置かれたので
す。一方,富んだ人は22節にあるように「葬られました」。
機械的にものみの塔協会の教理をあてはめますと,22節の理解はおか
しなことになります。ラザロは共同ごみ捨て場であるヒンノムの谷,すな
わちゲヘナに行き,富んだ人は人類共通の墓であるハデスに行ったことに
なります。
ところで,「富んだ人とラザロ」は死後どうなったでしょうか。
ラザロの体はヒンノムの谷に置かれたあとr1「アブラハムのふところ」
であるパラダイスに行ったのです。アブラハムのふところという場面は,
宴会で主賓席の隣の快適な長椅子に招かれた重要なお客さんを示していま
す。誉れある招待客は,招く側にとってふところの位置に座っていただく
ものです。一方,富んだ人の体は墓に葬られました。おそらく立派な葬
式が行われたことでしょう。しかし富んだ人は責め苦にあっています。
地獄
141
富んだ人はなぜ責め苦にあうのでしょうか。
「日の下」で,すなわち地上の生涯期間中に,「モーセや預言者」のこと
ばに信仰を持てなかったからです。cf・ヨハネ5:46,使徒10:
43.ハデスにおいて苦しまねばならないのは,殺人,淫行,盗みなどが原
因ではありません。ヨハネ3章18節によると,その人がイエス・キリス
トを救い主として受け入れなかったからです。パラダイスに行く人も罪人
である事にはかわりはないですが,ハデスに行く人と異なって業ではなく,
地上での生涯期間中に,イエス・キリストの十字架の意義に対する信仰を
働かせて,罪が許されたからです。cf・使徒13:38,39。
【結論】
1.人が,ハデスすなわちシェオルで責め苦にあうことはあり得ます。
2.ゲヘナあるいは火の湖に投げ込まれる人々は,永遠の意識あるもとで
責め苦を受けます。
3.地獄を否定する教理は異端の特徴です。
伝道
エホバの証人は次の事を信じている。
1.伝道することはクリスチャンの義務であり,自分を訓練して無理に正しいことを
することによってエホバに是認される。
(「ものみの塔」誌1966年6月15日号,
1972年8月1日号,dwp.106,107)
2.伝道者になると,神権的組織に所属し,従うことを実証していることになる。そ
して野外奉仕を定期的に行なうことが要求される。
(「ものみの塔」誌1988年11月15日号,
「王国宣教」1984年6月号,dwp.108)
3.今日宣明されている布告は,1914年に天で設立された王国である。
(「ものみの塔」誌1981年8月1日号dwp、109)
因みに,「ものみの塔」誌の副主題は「エホバの王国を告げ知らせる」である。
クリスチャンは証言するように励まされていますか
マ タ イ 2 8 19,20:「それゆえ,行って…人々を弟子とし,…教えなさい」。
<註>キリストの弟子は,伝道者でなくても喜んで証しをします。
使徒5:42:
「そして彼ら(使徒たち)は毎日神殿で,また家から家へとた
ゆみなく教え, キリスト,イエスについての良いたよりを宣明し続けた」。
使徒20:20:「何でも益になることをあなた方に話し,また公にも家から家
にもあなた方(エフェソス会衆の長老たち)を教え畠ことを差し控えたりは
しませんでした」。
コリント第一9:16:「わたし(パウロ)にはその必要が課せられているか
−
らです。実際,もし良いたよりを宣明しなかったとすれば,わたしにとって
は災いとなるのです!」。
コリント第一11:1:「わたしがキリストに[見倣う者]であるように,型
たし(パウロ)に見倣う者となりなさい」。
エフェソス6:15:
「平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっか
りと立ちなさい」。
−142−
143
伝道
ひとや
フィリピ1:14:「主にある兄弟たちの多くは,わたしが[獄に]つながれ
たことのために確信を持ち,神の言葉を恐れずに語る勇気をいよいよ示して
いるのです」。
テモテ第二4:1,2:「あなた(テモテ)に厳粛に言い渡します。み言葉を宣
べ伝え|・
−
啓示22:17:「そして,だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい」。
すべてのクリスチャンが宣教にあずかる責務がありますか
コリント第一12:28,29:「そして禅は会衆内にそれぞれの人を置かれまし
た。第一に使徒,第二に預言者,第三に教える者,次いで強力な鑿,次いで
いやしの賜物,迦土になる奉仕,指揮する能力,種々の塁宣です。すべてが
使徒ではないでしょう。すべてが預言者ではないでしょう_・すべてが教える
者ではないでしょう」。
エ フ ェ ソ ス 4 11:「そして彼は,ある者を使徒,ある者を預言者,ある者
を 福 音 宣 明 者 (伝道者),ある者を牧者また教える者として与えました」。
<註>会衆の全員が伝道者に召されるとは述べられていません。
今日クリスチャンによって宣明されるべきものはどんな布告ですか
ルカ24:45-47:「そして,聖書の意味をつかむよう彼らの思いを十分に開
いてから,こう言われた。『このように書いてあります。すなわち,キリス
トは苦しみを受け,三日目に死人の中からよみがえり,その名によって罪の
許しのための悔い改めがあらゆる国民の中で宣く伝えられる−.エルサレムか
ら始めて...」」。
コリント第一1:17,18,23,24:「キリストがわたしを派遣されたのは,バプ
テスマを施すためではなく,良いたよりを,ことばの知恵によらないで宣明
するためであったからです。それは,キリストの苦しみの杭が無駄にならな
いようにするためです。苦しみの杭についての話は,滅びゆく人々にとって
は愚かなことですが,救われつつあるわたしたちにとっては神の力なのです。
…しかしわたしたちは杭につけられたキリストを宣く伝えるのです。これ
は,ユダヤ人にとってはつまずきのもとであり,諸国民にとっては愚かなこ
伝道
144
とです。しかし,召された者にとっては,ユダヤ人にもギリシャ人にも,神
の力また神の知恵なるキリストなのです」。
コリント第一15:1-4:「さて,兄弟たち,わたしはあなた方に良いたより
を知らせます。それはわたしがあなた方に宣明したもの,またあなた方が受
け入れたものであり,あなた方はまたその中に立ち,それにより,わたしが
あなた方に良いたよりを宣明したそのことばをもって救われつつあります。
もしあなた方がそれをしっかりと守っているなら,実際,いたずらに信者と
なったのでなければですが。というのは,わたしは,最初の事柄の中で,
[次の]ことをあなた方に伝えたからです。それは自分もまた受けたことな
のですが,キリストが聖書にしたがってわたしたちの罪のために死んで<だ
さった,ということです。そして,葬られたこと,そうです,聖書にしたが
って三日目によみがえらされたこと」。
<註>キリストがアダムの罪のために死なれたとは書かれていません。
コロサイ1:19-23:「なぜなら,[神]は満ち満ちたさまが余すところなく
彼のうちに宿ることをよしとし,また,苦しみの杭の上で[彼の流した]血
を通して平和を作ることにより,地上のものであれ天にあるものであれ,
[他の]すべてのものを彼を通して再びご自分と和解させることを[よしと
された]からです。そうです,思いが邪悪な業に向けられていたためにかっ
ては疎外され,また敵となっていたあなた方を,−[神]は今やこの方の肉の
体により,[その]死を通して,再び和解させてくださったのです。それは
あなた方を,神聖できずがなく,何ら訴えられるところのない者としてその
み前に立たせるためでした。もとよりそれは,あなた方が引き続き信仰にと
どまり,土台の上に堅く立って揺らぐことなく,自分たちの聞いた良いたよ
りの希望からそらされないでいるならばのことです。その[良いたより]は
■■■■■■■■
天下の全創造物のなかで宣く伝えられたのです。私パウロは,
この[良いた
よりの]奉仕者となりました」。
【結論】
1.クリスチャンは追随者に証言することは奨励されています。
2.家から家の伝道は救いの必要条件ではありません。
3.会衆の中でクリスチャンはそれぞれの賜物を持っており,全員が福音宣
明者になるとは限りません。
4.今日クリスチャンによって宣く伝えられるべき音信とはキリストの十字
架による苦しみです。良いたよりの項153-156頁参照
復活
エホバの証人は次の事を信じている。
1.イエスの肉体はよみがえらなかった。(「論じる」p.381)
2.天的な希望を持つクリスチャンの肉体はよみがえらない。
(「論じる」p.383)
3.地上における命に復活する者たちは千年期間の行ないにしたがってさばかれる。
(「ものみの塔」誌1987年3月1日号p、29dwp.60∼63)
4.第二の復活(裁きの復活)は千年期間中に成し遂げられる。
(「論じる」p.386-387)
イエスの肉体はよみがえりましたか
マタイ12:40:「ヨナが巨大な魚の腹の中に三日三晩いたように,人の子も
し ん −
‐
また地の心に三日三晩いるのです」。
<註>ヨナは魚の腹の中にいる間,祈ったりしていることから,イエ
ス・キリストも三日間無存在ではありませんでした。
マルコ16:6:「ここにはいません。見なさい,彼を横たえた場所です」。
ルカ24:3:「イエスの体は見あたらなかった」。
ルカ24:39:「わたしに触り,また見なさい。 霊 に は , あ な た 方 が わ た し に
一
見るような肉や骨はないのです」。
<註>イエスの復活が,霊的復活でない決定的根拠です。
ルカ24:41-43:「しかし,全くの喜びのあまり彼らがなお信じられず,た
だ不思議に思っていると,[イエス]は,『そこに何か食べる物があります
か』と言われた。それで彼らは焼いた魚一切れを渡した。すると彼はそれを
受け取り,彼らの目の前でそれを食べた」。
ヨハネ2:19,21:「イエスは答えて彼らに言われた,『この神殿を壊してみ
なさい。そうしたら,わたしは三日でそれを立てます』。…しかし,[イ
エス]はご自分の体の神殿について語っておられたのであった」。
<註>ご自分で復活なさることを宣明された。
他の自力復活の聖書的根拠:マルコ8:31,
−145−
9:31,10:32-34。
復活
146
ヨハネ20:27:「次いで彼はトマスに言われた,
『あなたの指をここに当て
て,わたしの手を見,あなたの手を持って来て, わ た し の 脇 腹 に 差 し 入 れ な
−
さい。そして,信じない者ではなく,信じる者となりなさい」。
使徒2:27=詩編16:10:「あなたはわたしの魂をハデスに捨て置かれず,
あなたの忠節な者が腐れを見ることもお許しにならないからである」。
<註>イエスの肉体は腐って塵に帰ったのではなく,3日後に復活さ
れたのです。復活のギリシャ語アナスタスインには,再び立ち上がっ
て生きるという意味があります。つまり肉の体でよみがえります。
使徒13:34-36:「そして,彼をもはや腐れに帰することのない[者として
]死人の中から復活させたことについて,[神]はこのように述べておられ
ます。『わたしは,ダビデに対する忠実な愛ある親切をあなた方に与える』。
ゆえに,別の詩の中で,『あなたはご自分の忠節な者が塵れを見ることをお
許しにならない』とも言っておられます。というのは,一方でダビデは…
[死の]眠りについて父祖たちと共に横たえられ,確かに腐れを見たからで
す」。
コロサイ2:9:「というのは,[キリスト]の中にこそ,神の特質の満ち満
ちたさまが形を取って余すところなく宿っているからで丈」。
クリスチャンの体はよみがえりますか
ローマ8:11:「そして,イエスを死人の中からよみがえらせた方の霊があ
なた方の内に宿っているのなら,キリスト・イエスを死人の中からよみがえ
らせたその方は,あなた方のうちに住むご自分の霊によって,あなた方の死
ぬくき体をも生かしてくださるので童」。
フィリピ3:20,21:「わたしたちの市民権は天にあり,わたしたちはまた,
そこから救い主,主イエス・キリスト[が来られるの]を切に待っています。
彼はその持つ力,すなわち一切のものをご自分に服させるほどの[力]の働
きにより,わたしたちの辱められた体を作り替えて,ご自分の栄光ある体に
かなうものとしてくださるので丈」。
<註>イエスは復活なさった後,戸を開かないで部屋に自由に出入り
することのできる栄光の体でした。同様に復活したクリスチャンも
時間・空間の支配を受けない体です。参照聖句ルカ24:36。
復活した体
147
復活した体は元の体と全く同じですか
ヨ ハ ネ 2 0 26:「戸には錠がかかっていたのに,イエスは来て彼らの真ん中
に立ち,」
◎
−
かたち
コリント第一15:49:「そして,わたしたちは,塵で造られた者の像を帯び
てきたように,また天的な者の像を帯びるのです」。
コリント第一15:52:「わたしたちは変えられるからです」。
コリント第一15:54:「[朽ちるものが不朽を着け,また]死すべきものが
不滅性を着けた」。
フィリピ3:20,21:「わたしたちの市民権は天にあり,わたしたちはまた,
そこから救い主,主イエス・キリスト[が来られるの]を切に待っています。
彼はその持つ力,すなわち一切のものをご自分に服させるほどの[力]の働
きにより,わたしたちの辱められた体を作り替えて,ご自分の栄光ある体に
かなうものとしてくださるのです」。
<註>イエスは復活なさった後,戸を開かないで部屋に自由に出入り
することのできる栄光の体でした。同様に復活したクリスチャンも
時間.空間の支配を受けない体です。参照聖句ルカ24:36。
復活した人間は千年期間における行ないによって裁かれますか
マタイ16:27:「人の子は,自分の使いたちを伴って父の栄光のうちに到来
することに定まっており,その時,各々にその振る舞いに応じて返報するの
です」。
ルカ11:31,32:「南の女王は裁きの際にこの世代の人々と共によみがえら
され,この[世代の人々]を罪に定めるでしょう。彼女はソロモンの知恵を
聞くために地の果てから来たからですが,見よ,ソロモン以上のものがここ
にいるのです。ニネベの人々は裁きの際にこの世代と共に立ち,この[世代]
を罪に定めるでしょう。彼らはヨナの宣く伝えることを聞いて悔い改めたか
らです。しかし,見よ,ヨナ以上のものがここにいるのです」。
<註>シバの女王やニネベの人々は地上における行ないによって,よ
みがえりますが,一方罪人は裁きの復活を余儀なくされます。
148
復沽
ヨハネ5:28,29:「記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る
時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとう
べきことを習わしにした者は裁きの復活へと[出て来るのです]」。
使徒17:31:「地を義をもって裁くために日を定め」。
コリント第二5:10:「わたしたちは皆キリストの裁きの座の前で明ら.かに
されなければならないからです。こうして各人は,それが良いものであれ,
いとうべきものであれ,自分が行なってきたことにしたがい,その体で行な
つた事柄に対する自分の報いを得るのです」。
へプライ9:27:「そして,人がただ一度かぎり死に,そののち裁き[を受
けること]が定め置かれているように」。
啓示20:12-13:「死んだ者たちはそれらの巻物に書かれている事柄により,
その行ないにしたがって裁かれた。そして,海はその中の死者を出し,死と
ハデスもその中の死者を出し,彼らはそれぞれ自分の行ないにしたがって裁
かれた」。
−
裁きの復活はいつ行なわれますか
啓示20:5:「残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった」。
<註>聖書の中でハデスは最後の刑罰ではありません。ハデスとは永
遠の火による最後の裁きを受けるまでの「待合所」のようなところで
す。ハデスにも苦しみがあります。しかし千年王国後の裁きの復活で
ある刑罰は,永遠の火の責め苦を伴うハデス以上の苦しみになります。
従って,霊と魂はハデスから出て復活し,体が再び結合させられて,
ゲヘナで永遠の責め苦を経験します。地獄の項134-141参照。
<註>「煉獄」(ハデスからパラダイスへ移行する前の一時的な苦し
みの場所)の教理を裏付けるものはありません。
【要約】
I.イエスの復活
◎肉体の復活の証拠
(1)墓の石が取り除かれていた。マタイ28:2-4
霊的な体で復活されたなら,墓石をそのままににしていたほうが
一148−
復活
149
信じやすかったはずです。
(2)預言の成就。詩編16:10=使徒2:27。
「腐れを見ることをお許しにならない」と預言されていることか
ら,肉の体は腐って塵になるのではありません。
(3)復活後の証拠。ルカ24:36-43。
● 栄 光 の 体 ル カ 2 4 : 3 6
イエスは復活なさった後,戸を開かないで部屋に自由に出入りす
ることのできる栄光の体であった。時間・空間の支配を受けな
い体です。
●「血肉の体」ではない。ルカ24:39
イエスは復活後のご自分のからだについて,「肉や血」といわれ
ずに,「肉や骨」と言われました。「血は命」(レビ17:14)
です。すなわち,イエス・キリストはカルバリの十字架上でご自
身の命である血をすべて注ぎ出されました。
すなわち,コリント第-15:50にありますように,「血肉の体」
は天の王国を受け継ぐことはできません。
(4)食事をされた。ルカ24:41-43
霊の体なら食事を楽しむとは考えられません。復活するクリスチ
ャンも,栄光の体で,千年王国で食事を楽しむのです。
◎弟子たちがイエスだと直ぐに判断できなかった理由
(1)弟子たちの「目はさえぎられていた」ルカ24:16−新改訳一
エマオヘ行く途中で,すぐに正面から現れなかったのは,2人の
「うちに燃えている」信仰を確認なさろうとされたからです。
cf.マリア・マグダレネがイエスを園丁と間違えたのも,マリ
アが救い主に対する信仰を示す機会を与えられたからです。
◎自力復活
(1)復活を予知しておられた。マタイ27:63,12:39,40.
3日でよみがえることを教えられた。
(2)証明:
●ヨハネ2章19節では,「三日で神殿を立て直す」と言われまし
た。父なる神が立て直すとは述べられていません。この「神殿」
とは21節に書かれていますように,イエスの「体」です。
●マルコ10:32-34:「[イエス]は十二人をもう一度わきに連れ
て行き,自分の身に降り懸かるはずの事柄についてこう言い始め
皇_』L迄。『さあ,わたしたちはエルサレムに上って行きます。そ
して,人の子は祭司長と書士たちのもとに引き渡され,彼らはこ
復活
150
れを死罪に定めて諸国[の人々]に引き渡します。ついで彼らは
これを愚弄し,つばをかけ,むち打ち,そして殺します。しかし
三日後に彼はよみがえるのです』」。cf.マルコ8:31,9:31。
<註>イエスはご自分で「三日後に」だけでなく,「よみがえる」
ことも宣言されています。「新世界訳」でも,「よみがえらされ
る」ではなく,ギリシャ語本文に忠実に訳出しています。
●テモテ第一6:16:「ただひとり不滅性を持ち,近づき難い光の
に住み,人はだれも見たことがなく,また見ることのできない方
です。この方に永遠の誉れと偉力がありますように。アーメン」。
Ⅱ、旧約聖書の聖徒たちの復活
(1)旧約聖書にみられる復活の期待
ヨブ14:1-13,19:25,26,詩編16:10,49:15,イザヤ26:19-21,
ダニエル12:1,2,ホセア5:15-6:2,へプライ11:17-19。
(2)携挙の時ではなく,キリストの地上再臨の時に起こります。
ダニエル12:1,2(1節は大患難時代,2節で復活)
イザヤ26:19-21(死者からの目覚めは,イエス・キリストがハ
ルマゲドンの時に行動される時と関連しています。)
●携挙でよみがえるのは,「キリストにある死者」と呼ばれる新約
の聖徒たちを示しています。cf.テサロニケ第-4:16。
Ⅲ、患難時代のクリスチャンの復活114,166頁参照。
患難時代,キリストに信仰をもつ14万4,000人以外のクリスチャ
ンの多くは,野獣を崇拝しないために殉教します。啓示13:7。
大患難から出て天の神殿で昼も夜も神聖な奉仕をするクリスチャ
ンのことを大群衆と呼びます。cf・啓示7:9,14,15.
Ⅳ、復活の順序
①初穂としてのイエス・キリストの復活。コリント第一15:23.
②携挙の時,教会時代のクリスチャンの復活。テサロニケ第一4:16.
③患難時代のクリスチャンの復活。啓示20:4,5。
④旧約時代の聖徒の復活。③と同じ時。
ダニエル12:1,2,イザヤ26:19。
⑤未信者の裁きのための復活。(千年後)啓示20:5,11-15。
【結論】
1.イエスの肉体はよみがえりました。
2.天的希望を持つクリスチャンの肉体はよみがえります。
3.復活の際,人は地上で存命中であった期間の行ないによって裁かれます。
4.裁きの復活は千年期間終了後に生じます。
ミカエル
エホバの証人は次の事を信じている。
1.天使長ミカエルとは,イエス・キリストのことである。(「論じる」p、60)
ミカエルは聖書に何回登場しますか5回の中で,イエス・キリストと結び付く
聖句があるでしょうか
ダニエル10:13:「しかし,ペルシャの王土の君が二十一日間わたしに逆ら
って立ちつづけた。すると,見よ,主立った君のひとりミカエルがわたしを
助けに来た。それでわたしはそこにいて,ペルシャの王たちの傍らにとどま
った」。
<註>「主立った君のひとり」ということは,ミカエル以外にも「主
立った君」が存在することになります。
ダニエル10:21:「しかしわたしは,真実の書の中に書き留められた事柄を
あなたに告げる。これらの事に関してわたしを強く支えてくれる者は,あな
た方の君ミカエルのほかにいない」。
ダニエル12:1:「そして,その時に,あなたの民の子らのために立つ大い
なる君ミカエルが立ち上がる。そして,国民が生じて以来その時まで臨んだ
ことのない苦難の時が必ず臨む。しかしその時,あなたの民,すなわち害に
記されている者はみな逃れ出る」。
ユダ9:「しかし,み使いの頭ミカエルは,悪魔と意見を異にし,モーセの
体について論じ合った時,彼に対しあえてあしざまな言い方で裁きをもたら
そうとはせず,ただ,『エホバがあなたを叱責されるように』と言いました」。
たつ
啓示12:7:「また,天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と
匙_主。龍とその使いたちも戦ったが」。
イエスはみ使いの頭(天使長)ですか
テサロニケ第一4:16:「主ご自身が号令とみ使いの頭の声また神のラッパ
と共に天から下られると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によ
みがえるからです」。
−151−
ミカエル
152
<註>「み使いの頭」とは「主ご自身(イエス・キリスト)」でしょ
うか。前後関係を見てみますと,「み使いの頭の」と「神の(ラッパ)
の」は同格の言い回しであることがわかります。ものみの塔協会の教
理を強引に当てはめて,「み使いの頭」が「主ご自身」とするなら,
「神」も「主ご自身」ということになります。
へプライ1:3-5:「彼(キリスト)は[神の]栄光の反映,またその存在そ
■■■■■■■■■■■■■■■
のものの厳密な描出であり,その力の言葉によってすべてのものを支えてお
られます。そして,わたしたちの罪のための浄めを行なった後,高大な所に
おられる威光の右に座られました。こうして彼はみ使いたちよりも優れた名
を受け継ぎ,それだけ彼らに勝る者となられました。たとえば,み使いたち
のうちのだれに[神]はかつてこう言われたでしょうか。『あなたはわたし
の子。わたしは,今日あなたの父となった』。また,『わたしは彼の父とな
り,彼はわたしの子となるであろう』と」。
<註>神の御子であられるイエス・キリストは,み使いと比較して,
優位性が強調されています。3節では,イエスは神の栄光の「反映」
であり,「その存在そのものの厳密な描出であり,その力の言葉によ
ってすべてのものを支えておられます」とキリストの神性が浮き彫り
にされています。5節にありますように,御父はかってみ使いたちに
「あなたはわたしの子」と言われたことがあるでしょうか。いいえ,
一度もありません。さらに,み使いたちは首尾一貫して崇拝されるこ
とを拒絶しています。啓示22:8,9しかし,御子に対するみ父の命
令は,6節で述べられています。「神のみ使いたちはみな彼に崇拝を
ささげなさい(worship)」1982年版までの新世界訳(英文)。
【要約】&【結論】
ユダの9節で,み使いの頭ミカエルはモーセの体についてサタンと論じ合っ
ています。この「事物の体制の神」であるサタンを,ミカエルが戒めること
ができなかったのはどうしてですか。裁き主ではないということです。一方,
イエスはヨハネ5:22で明らかなように裁き主です。37頁参照。イエ
スはエルサレムの神殿で売り買いをしていた両替人たちをどうされましたか。
義憤の怒りで追い出されました。マルコ11:15。従って,サタンをあえて
責めることができなかったミカエルは力ある者でしたが,単なる天使にすぎ
ません。なぜなら,サタンをあえて責めることができなかったからです。エ
ホバの証人のように,天使長ミカエルをイエスとするなら,会衆の頭に服す
るクリスチャンは,み使いをあがめる崇拝行為をしていることになります。
良いたより(福音)
エホバの証人は次の事を信じている。
1.宣明されなければならない福音とは,1914年に天で設立された王国のことだ。
(「ものみの塔」誌1981年1月1日号,8月1日号,dw.109,72)
2.王国の音信に耳を傾けない人は,ハルマゲドンで滅ぼされてもやむを得ない。
(「啓示の書」p、227)
3.エホバの証人の宣く伝える福音は,一世紀のクリスチャンが宣く伝えた良いたよ
りと同じである。
(「神のご意志を行うエホバの証人」p.16-17
dwp.109)
新約聖書に登場するギリシャ語の「良いたより」は115回ですがどのように
用いられていますか
蹟い
神
王国
恵み
喜び
422
イエス・キリスト
回回回回回回回回
89077211
良いたより(福音)
平和
使徒たちによって宣く伝えられた良いたよりとは何でしたか
使徒5:42:「そして,彼らは逗旦神殿で,また家から家へとたゆみなく教
え,主リスト・イエスについての良いたよりを宣明し続けた」。
ローマ15:19:「そのためわたしは,エルサレムから,そして巡回しながら
イルリコに至るまで,壬リストについての良いたよりを徹底的に宣く伝えま
した」。
コリント第一1:17,18,23,24:「キリストがわたしを派遣されたのは,バプ
テスマを施すためではなく,皇いたよりを,ことばの知恵によらないで宣明
するためであったからです。それは,キリストの苦しみの杭が無駄にならな
いようにするためです。苦しみの杭についての話は,滅びゆく人々にとって
−153−
良いたより(福音)
154
は愚かなことですが,救われつつあるわたしたちにとっては神の力なのです。
,..しかしわたしたちは杭につけられたキリストを宣く伝えるのです。これ
は,ユダヤ人にとってはつまずきのもとであり,諸国民にとっては愚かなこ
とです。しかし,召された者にとっては,ユダヤ人にもギリシャ人にも,神
の力また神の知恵なるキリストなのです」。
コリント第一15:1-4:「さて,兄弟たち,わたしはあなた方に良いた.より
を知らせます。それはわたしがあなた方に宣明したもの,またあなた方が受
け入れたものであり,あなた方はまたその中に立ち,それにより,わたしが
あなた方に良いたよりを宣明したそのことばをもって救われつつあります。
もしあなた方がそれをしっかりと守っているなら,実際,いたずらに信者と
なったのでなければですが。というのは,わたしは,最初の事柄の中で,
[次の]ことをあなた方に伝えたからです。それは自分もまた受けたことな
のですが,キリストが聖書にしたがってわたしたちの罪のために死んで<だ
さった,ということです。そして,葬られたこと,そうです,聖書にしたが
って三日目によみがえらされたこと」。
<註>すべての人はローマ3:9,10にありますように罪の下にありま
ねた
す。「汝の敵を愛せよ」と言われても,愛せないで妬み,恨むことな
どが罪です。正義の要求の高い神との罪という隔ての壁がある限り,
幸福な人生,永遠の命を得ることはできません。つまり,イエスが地
上に来られた理由はアダムの罪のためだけでなく,「わたしたちが受
けなければならない罪」の刑罰を,罪のないイエスご自身が記録して
下さるためでした。cf.ペテロ第-2:22,へプライ4:5.
古代ユダヤ人や,パリサイ人は自分たちの罪深さを謙遜に認めず,先
祖に責任を転嫁しました。今日の異端のグループの人達も同じです。
救い主イエスを受け入れ,自分たちの罪の許しを得ようとしません。
コリント第二10:14:「..、わたしたちは,キリストについての良いたより
を宣明しながらあなた方のところにまで来た最初の者だったのです」。
ガラテア1:16:「わたしに関連してご自分のみ子を啓示することをよしと
され,こうしてわたしがその[み子]についての良いたよりを諸国民に宣明
することになった時,わたしは直ちに血肉と協議したりはしませんでした」。
エフェソス3:8:「すべての聖なる者たちの中で最も小さな者よりさらに小
さな者であるわたしにこの過分のご親切が与えられ,こうしてわたしは,王
異なっている福音
リストの測りがたい富に関する良いたよりを諸国民に宣明し」。
フィリピ1:18:「ではどうなるのでしょうか。見せかけであっても真実で
あっても,あらゆる方法でキリストが言い広められている,ということにほ
かなりません。そのことをわたしは歓んでいます…」。
フィリピ1:27:「ただ,キリストについての良いたよりにふさわしく行動
しなさい。...」。
コロサイ1:19-23:「なぜなら,[神]は満ち満ちたさまが余すところなく
彼のうちに宿ることをよしとし,また,苦しみの杭の上で[彼の流した]血
を通して平和を作ることにより,地上のものであれ天にあるものであれ,
[他の]すべてのものを彼を通して再びご自分と和解させることを[よしと
された]からです。そうです,思いが邪悪な業に向けられていたためにかつ
ては疎外され,また敵となっていたあなた方を,[神]は今やこの方の肉の
体により,[その]死を通して,再び和解させてくださったのです。それは
あなた方を,神聖できずがなく,何ら訴えられるところのない者としてその
み前に立たせるためでした。もとよりそれは,あなた方が引き続き信仰にと
どまり,土台の上に堅く立って揺らぐことなく,自分たちの聞いた良いたよ
りの希望からそらされないでいるならばのことです。その[良いたより]は
天下の全創造物の中で宣く伝えられたのです。私パウロは,この[良いたよ
りの]奉仕者となりました」。
テサロニケ第二1:8:「その際[イエス]は,神を知らない者と,わたした
ちの主イエスについての良いたよりに従わない者に報復をするのです」。
<註>どんなに強力な業を行っていても,マタイ7:23にある通り,
「不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ」と是認されません。
もし異なっている福音(良いたより)を宣明しているならどうなるでしょうか
ガラテア1:8,9:「しかし,たとえわたしたちゃ天からのみ使いであろうと,
わたしたちが良いたよりとして宣明した以上のことを良いたよりとしてあな
た方に宣明するとすれば,その者はのろわれるべきです。わたしたちが上に
述べたとおりのこと,それをわたしは今もう一度言います。あなた方が受け
入れた以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明している者は,だれで
あろうとのろわれるべきです」。
155
156
良いたより(福音)
【要約】
真の福音(良いたより)とは何ですか
エホバの証人はマタイの福音書24章14節をよく引用して,宣く伝える中心テーマは王国とエホバの
御名であると主張します。一方,聖書やパウロが強調した最大の福音とは何でしょうか。
「兄弟たち。私は今,あなたがたに福音を知らせましょう。これは,私があなたがたに宣く伝えたもので,あな
たがたが受け入れ,また,それによって立っている福音です。また,もしあなたがたがよく考えもしないで信じ
たのでないなら,私の宣く伝えたこの福音のことばをしっかり保っていれば,この福音によって救われるのです。
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは,私も受けたことであって,次のことです。キリストは,
聖書の示すとおりに,私たちの罪のために死なれたこと」。コリント第一15:1−3(新改訳)
ですから,福音とは,イエス・キリストに関する良いたよりです。わたしたちのために地上に住
まわれ,わたしたちの罪のために死なれ,よみがえられたことが,最も大切な福音なのです。
ローマ10章14節の「宣く伝える者がいなければどうして聞くでしょうか」という聖句の文脈を考
慮しますと,クリスチャンは何を宣く伝えるのでしょうか。
9節にありますように「イエスは主(アドナイ)であることを公に宣言」することです。すなわち,
イエスが救い主,裁き主,創造主,主の主として宣明されなければなりません。
この良いたよりは,ほぼ2,000年間宣く伝えられて来ました。1世紀に宣明されたように,人の
住む全地で伝えられて来たのです。
この事は,エホバの証人によって家から家に宣く伝えられている「王国の良いたより」と同じで
しょうか。
もし同じでないなら,350万人以上のエホバの証人は,指導者たちによって聖書に基づかない活
動に携わっていることになります。
使徒パウロの言葉に目を留めてみましょう。
「しかし,私たちであろうと,天の御使いであろうと,もし私たちが宣く伝えた福音に反することをあなたがた
に宣く伝えるなら,その使者はのろわれるべきです」。ガラテヤ1:8(新改訳)
パウロの警告にもかかわらず,エホバの証人は,神の王国が1914年に天に設立されたことを宣く
伝えています。ということは,キリスト教会が,約2↑000年間宣明して来た福音は決して真実の良
いたよりではなかったということになります。
ここで,エホバの証人の機関紙をとりあげてみましょう。
「キリスト教世界の様々な宗教組織が幾世紀にもわたって行なってきた王国の福音伝道の業と,第一次世界大戦
が終った1918年以降エホバの証人が行なってきた宣く伝える業とを,正直な心を持つ人に比較させましょう。そ
れらは,一つの,同類のものではありません。エホバの証人が宣く伝えているのは,真実の“福音”つまり「良
いたより」です。それは異邦人の時が終った1914年にみ子イエス・キリストが即位することによって設立された
神の天の王国に関するものだからです。」「ものみの塔」誌1981年8月1日号
ものみの塔の指導者は,キリスト教会の宣教師によってなされてきた福音は異なっていると主張
しています。つまり,エホバの証人は「異なる」良いたよりを宣明していることを誇りに思ってい
ますが,みことばによりますと,「のろわれるべき」とあります。
【結論】
1.福音とは,第一にイエス・キリストに関する良いたよりです。
2.使徒パウロや一世紀のクリスチャンたちが宣明した福音は,キリスト
の十字架」です。
3.エホバの証人の宣く伝える福音は,一世紀の使徒やクリスチャンたちに
よって宣明された良いたよりとは相入れないものです。
4.エホバの証人によって宣く伝えられる福音とは「のろわれるべきもの」
と聖書に書かれています。
■■■■■■
預
■■■■■■■■
■■■■■
■■■■■
F.
エホバの証人は次の事を信じている。
1.現在すでに,人類は患難時代(終りの日)に住んでいる。
(「論じる」p.116-124)
2.14万4,000人の残りの者だけが,「空中で主と結ばれる」ため, 体 ご と 地 か ら
引き上げられる。
(「論じる」p、339-343)
今は患難時代ですか
ダニエル9:24:「あなたの民(イスラエルの民)とあなたの聖なる都市に
関して定められた七十週がある。これは,違反を終結させ,罪を終わらせ,
とがの贈いをし,定めのない時に至る義を携え入り,幻と預言者とに証印を
押し,聖の聖なる所に油そそぐためである」。
<註>ダニエル9章24∼27節の預言には,メシアの登場する年代
に関する預言だけでなく,「聖都エルサレムと聖なる場所」の回復に
ついて,神の計画が明示されています。
●「七十週」とは,一週は7年ですから,7×70=490年です。
●「違犯を終結させ…聖の聖なる所に油をそそぐ」というイスラエル
民族に対する預言が成就するのは,490年が経過した後です。
●「七十週」の後に,イスラエルの民との6つの約束が果たされること
になっていました。
①「違犯を終結させ」
②「罪を終わらせ」
③「とがの蹟いをし」
④「定めのない時に至る義を携え入り」
⑤「幻と預言者とに証印を押し」
⑥「聖の聖なる所に油をそそぐ」
以上の6つの約束は,現代になってもまだ成就していません。
●①の「違犯を終結させ」と②の「罪を終わらせ」は,ハルマゲドンに
おいて,主イエス・キリストによって終止符が打たれます。
●④の「定めのない時に至る義を携え入り」と⑤の「幻と預言者とに証
印を押し」は,王国で義なる方イエス・キリストと共に住むことによ
って成就します。
●⑥の「聖の聖なる所に油をそそぐ」とは,千年王国において主の栄光
が全地に満ちる描写です。水が海をおおうように,真理が満ちます。
−157−
患難時代
158
ダニエル9:25:「そして,あなたが知り,また洞察するべきことであるが,
エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから指導者であるメ
シアまでに,七週,そしてさらに六十二週があるであろう。それは元どおり
−
−
にされ,公共広場や堀と共にまさしく建て直されるが,それは苦境の時にな
されるであろう」。
<註>「エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから」
という命令は,ペルシャ王アルタクセルクセス(アルタシャスタ)が
西暦前455年3月14日に出しています。cf・エズラ7:11-28。
●「指導者であるメシアまで」
7週=49年[エズラ,ネヘミヤが聖都エルサレムを再建する期間]
62週=434年[預言者マラキにより旧約聖書の完成]
69週=483年[メシア(キリストのへプライ語)のバプテスマ]
つまり,西暦29年に,使徒10:38に示されているように油注
ぎを受けられました。cf.ルカ3:23。
●「公共広場や堀と共にまさしく建て直されるが,それは苦境の時」と
は,メシアが来られるまでに,バビロン帰還後のエルサレムの復帰作
業の苦境の時代を予告していました。
ダニエル9:26(前半):「そして,その六十二週の後にメシアは断たれる。
自らのためには何も持たないであろう」。
<註>「メシアは断たれる」とはキリストの死の預言です。
ダニエル9:26(後半),9:27:「そして,その都市と聖なる場所とは,や
って来るひとりの指導者の民がこれを滅びに至らせる。それで,その終わり
は洪水によるものとなる。そして,終わりに至るまで戦争がある。定められ
ているものは荒廃である。また彼は多くの者のために一週のあいだ契約の効
=======
力を保たねばならない。そして,週の半ばに,彼は犠牲と供え物とを絶えさ
せる。また,嫌悪すべきものの翼の上には,荒廃をもたらす者がいるである
う。そして,絶滅に至るまでは,定められている事柄が,荒廃に横たわるも
のの_上にも常に注ぎ出されるであろう」。
<註>「ひとりの指導者の民がこれを滅びに至らせる」とは,西暦70年
に,ローマの将軍ティツスが,軍事力の洪水によってエルサレムを壊滅
させることによって実現しました。cf.ルカ21:24。
●「荒廃をもたらす者がいるであろう。そして,絶滅に至る」とは,反
キリストの登場の預言です。すなわち,最後の一週である7年間に,
「8人目の王」が,イスラエルを強大な国民とする契約を結びますが,
159
携挙
契約期限の「週の半ば」,つまり三年半の時に,ユダヤ教の宗教儀式
を禁止します。cf.啓示12:6,14,11:2-3,13:5。
●ハルマゲドンで反キリストの上に絶滅が降りかかる。
<註>なぜ69週目と70週目の間に19世紀間のずれがありますか。
イエス・キリストが王として来られたのに,イスラエルの民が受け入れ
なかったからです。その結果,マタイ16:18で明言されているように
「教会の時代」が挿入されました。cf.マタイ16:1-4。
マタイ24:3,15:「[イエス]がオリーブ山の上で座っておられたところ,
弟子たちが自分たちだけで近づいて来て,こう言った。「わたしたちにお話
しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨
在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか』。『それゆえ,荒廃を
もたらす嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖な
る場所に立っているのを見かけるなら,(読者は識別力を働かせなさい)』」。
<註>「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」である反キリストを識別で
きるようになる時が,患難時代です。
従って,マタイ24章,マルコ13章,ルカ21章の預言はまだ成就
していません。
クリスチャンの携挙はいつですか
ヨハネ14:3:「そしてまた,
わたしが行ってあなた方のために場所を準備
したなら,わたしは再び来て,
あなた方をわたしのところに迎えます。わた
しのいる所にあなた方もまたいるためです」。
<註>ハルマゲドンの7年前に,クリスチャンは天に携挙されます。
その後,患難時代に地上では,「羊とやぎをわける」ために用いられ
る忠実で思慮深い奴隷であるクリスチャン(大群衆のこと)や,14
万4,000人の生来のイスラエル人が厳しい迫害の中で集められます。
●大群衆:114,150,166頁参照。十四万四千人:112頁参照。
コリント第一15:50-52:「また,兄弟たち,わたしはこのことを言います。
肉と血は神の王国を受け継ぐことができず,朽ちるものが朽ちないものを受
け継ぐことはありません。ご覧なさい,わたしはあなた方に神聖な奥義を告
げます。わたしたちはみな[死の]眠りにつくのではありませんが,わたし
たちはみな変えられるのです。一瞬に,またたくまに,最後のラッパの間に
です。ラッパが鳴ると,死人は朽ちないものによみがえらされ,わたしたち
は変えられるからです」。
イスラエル人
160
<註>死の眠りについている一世紀以降のクリスチャンは,復活の時
に栄光の体になりますが,患難時代直前に,死を経験しないで,たち
まち天に引き上げられ栄光の体に変えられる事を携挙と言います。
かしら
テサロニケ第一4:16,17:「主ご自身が号令とみ使いの頭の声また神のラッ
パと共に天から下られると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初に
よみがえるからです。その後,生き残っているわたしたち生きている者が,
彼らと共に,雲のうちに取り去られて空中で主に会い,こうしてわたしたち
は,常に主と共にいることになるのです」。
<註>7年の患難時代の直前に,主イエスご自身が「終りのラッパ」
と共に携挙の約束を果たされます。まず,死の眠りについている一世
紀からのクリスチャンが最初によみがえります。直後に,現在のクリ
スチャンが空中に一挙に引き上げられます。
イスラエルは近い将来どうなりますか
創世記15:18:「その日,エホバはアプラムと契約を結んで, こう言われた。
たれ
『あなたの胤にわたしはこの地を与える。エジプトの川から, か の 大 川 , ユ
一フラテス川まで』」。
<註>エジプトの川(ナイル川)からユーフラテス川までの領域をイ
スラエルの民は支配したことがあるでしょうか。①モーセに率いら
れてエジプトから帰還した時も,②ダビデ,ソロモンの支配中にも,
③バビロンから帰還した時も,④1948年にイスラエル共和国が設
立された時点でも,この預言はまだ成就していません。神は必ず約
束を守られる方です。cf.イザヤ55:11。21頁参照。
申命記28:64-66:「またエホバは必ずあなた(イスラエルの民)をあらゆ
る民の中に散らして,地の果てから果てに至らせるであろう。そこであなた
は,あなたも父祖たちも知らなかった他の神々に,木や石に仕えることにな
る。そして,それら諸国民の中にあってあなたに安らぎはなく,あなたの足
の裏を休める場所さえ見当たらないであろう。エホバはその所で,おののく
心を,また目の衰えと魂の絶望とをあなたに与えるのである。そしてあなた
は自分の命についてのこの上ない危難のうちに置かれ,夜昼非常な怖れを抱
くことになる。自分の命についておぼつかなく思うであろう」。
<註>西暦70年,ローマ人がやって来てエルサレムを壊滅させて以来,
ユダヤ人は流浪の民として悲劇を経験し,また大量虐殺を被りました。
161
イスラエル人
申命記30:1-4:「そして,これらのすべての言葉,すなわちわたしがあな
たの前に置いたこの祝福と呪いがあなたに臨む時,あなたの神エホバがあな
たを離散させたそのあらゆる国民の中にあってそれをあなたの心に思い返し,
あなたの神エホバのもとに立ち返り,あなたもあなたの子らも,わたしが今
日命じるすべてのことにしたがい,心をつくし魂をつくしてそのみ声に聴き
従ったなら,あなたの神エホバもまた必ずあなたの捕らわれ人たちを連れ戻
ー
し,あなたに憐れみを示し,あなたの神エホバがあなたを散らしたそのあら
ゆる民のもとから再びあなたを集めてくださるであろう。あなたの離散した
民が天の果てにいるとしても,あなたの神エホバはそこからあなたを集め,
そこから連れて来てくださる」。
<註>世界各地に離散したユダヤ人は,再び約束の地に連れ戻され,
繁栄することが保証されています。その時「強大な国民」となります。
おさ
エゼキエル38:2-6:「人の子よ,あなたの顔をメシェクとトバルの長の頭
1■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
(へプライ語では“ロシ”)であるマゴグの地[の]ゴグに向け,これに向
かって預言せよ。そしてあなたは言わなければならない,『主権者なる主エ
ホバはこのように言われた。『メシェクとトバルの長の頭であるゴグよ’い
まわたしはあなたを攻める。そしてわたしは必ずあなたを引き戻し,あなた
のあごに鉤を掛け,あなたをそのすべての軍勢,馬と騎手と共に連れ出す。
彼らは趣味の非常によい服装をした,大盾と丸盾を持ったおびただしい会衆
であり,みな剣を使う。ペルシャ,エチオピアとプトも彼らと共におり,み
な丸盾とかぶとをつけている。ゴメルとそのすべての隊,北の最果て[の]
トガルマの家,およびそのすべての隊,多くの民があなたと共にいる」。
<註>北の最果てに位置する軍事国家はソ連です。2節の「メシェク,
トバル,ロシ」は,へプライ語辞典によりますと,「モスクワ,ウク
ライナ,ロシア」であることが判明します。5節の「ペルシャ=イラ
ン,エチオピア,プトーリピア」の連合軍と共に,イスラエルに奇襲
攻撃で侵攻します。イスラエルの地域に埋蔵する豊富な地下資源を傘
下に治めるためです。
エゼキエル38:8,14,15:「『多くの日の後,あなたに注意が向けられる。
あなた(イスラエル)は,末の年に剣から連れ戻され,多くの民の中から集
められた[民の]地に来て,ずっと荒れ廃れた所となっていたイスラエルの
山々に上る。それはもろもろの民の中から連れ出された[地]であって,彼
らは皆[そこに]安らかに住んでいた。...』...それゆえ,人の子よ,預
言せよ。あなたはゴグに言わなければならない,『主権者なる主エホバはこ
162
王国
のように言われた。「わたしの民イスラエルが安らかに住んでいるその日に,
あなたは[それを]知るのではないか。そしてあなたは,必ずあなたの場所
から,北の最果てからやって来る。あなたと,あなたと共にいてすべて馬に
乗る多くの民,大いなる会衆,おびただしい軍勢とは…」』」。
<註>ユダヤ人が世界各地から帰還し,「安らかに住んでいた」と預
言されていますように,中東和平が実現している時期に,突然にソ連
のイスラエル侵攻が始まります。
従って,イスラエルが「強大な国民」になった時,ソ連や同盟国の軍
事行動が勃発します。イザヤ60:22。「小さな者が千となり,小なる
者が強大な国民と[なる]・自ら,エホバが,その時に速やかにそれ
を行う」。北からの侵略は,38章の後半で預言されていますように,
神が介入なさり,同士討ちや「火や硫黄」によって失敗に終わります。
その後,反キリストの台頭が顕著になります。
千年王国の後もだれが王ですか
詩編89:29:「わたしは必ず彼(ダビデ)の胤を永久に立て,その王座を天
ひかず
の日数のように[する]であろう」。
たれ
く註>「天」が永久に存続するというなら,胤であるイエスの王座も
永久に続くことになります。
詩編89:36:「彼の胤は定めのない時に至るまでも続き, そ の 王 座 は わ た し
の前にあって,太陽のように[永続する]であろう」。
ダニエル2:44:「そして,それらの王たちの日に,天の神は決して滅びる
ことのないひとつの王国を立てられます。そして,その王国はほかのどんな
民にも渡されることはありません。それはこれらのすべての王国を打ち砕い
て終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続きます」。
ルカ1:33:
す。そして,
「彼(キリスト)は王としてヤコブの家を永久に支配するので
彼の王国に終わりはありません」。
使徒17:7:「ヤソンはこれを手厚く迎え入れました。しかも,これらの者
たちはみんなカエサルの布告に逆らって行動し,イエスという別の王がいる
と言っています」。
<註>一世紀のクリスチャンは誰が全地の王だと宣明しましたか。
王国
163
コリント第一15:24-28:「次いで終わりとなります。その時,彼は王国を
自分の神また父に渡します。その時,彼はあらゆる政府,またあらゆる権威
と力を無に帰せしめています。神がすべての敵を彼の足の下に置くまで,彼
は王として支配しなければならないのです。最後の敵として,死が無に帰せ
しめられます。神は『すべてのものを彼の足の下に服させた』からです。し
かし,『すべてのものが服させられた』と言うとき,すべてのものを彼に服
させた方が含まれていないのは明白です。しかし,すべてのものが彼に服さ
せられたその時には,み子自身も,すべてのものを自分に服させた方に自ら
服し,こうして,神がだれに対してもすべてのものとなるようにするのです」。
<註>千年王国の最高統治者であられるキリストが,千年支配の最後
に王国を父に返されるということは従属関係を意味しているのでしょ
うか。教理をあてはめる前に,文脈を読む必要があります。
28節では,「子」ではなく,「み子」(ざUfag)と定冠詞
が付いています。イエス・キリストにのみ用いられる表現です。
すなわち,聖書の中で,「み子」という場合,神性が関係しています。
王国を父なる神に返される「み子」は,人類の身代わりのために仲保
者としての役割がありました。その役割の完成が千年期の最後だとい
うことです。従って,フィリピ2:7,8にあるように,天の栄光を捨て
られて,み使いよりも低い立場をとられた役割の区切りがつけられる
終止符の合図です。ではその後,イエスは王ではないのでしょうか。
いいえ,イエスはとこしえの王の王です。
テモテ第一1:17:「では,朽ちることがなく,[人が]見ることのできな
いとこしえの王,唯一の神に,誉れと栄光が限りなく永久にありますように。
アーメン」。
< 註 > 「唯一の神]がイエスに適用される根拠。
68頁参照。
テモテ第一6:14-16:「わたしたちの主イエス・キリストの顕現の時まで,
汚点のない,またとがめられるところのない仕方でおきてを守り行ないなさ
い。その[顕現]は,幸福な唯一の大能者がその定めの時に示されるのです。
[その方は]王として支配する者たちの王,主として支配する者たちの主で
あり,ただひとり不滅性を持ち,近づき難い光の中に住み,人はだれも見た
========
ことがなく,また見ることのできない方です。この方に永遠の誉れと偉力と
がありますように。アーメン」。
<註>この聖句がイエスについて言及されている証明は,
塔」誌1979年2月15日号の31頁に書かれています。
「ものみの
新しい天と地
164
ペテロ第二1:11:「事実,そうすることによって,わたしたちの主また救
い主イエス・キリストの永遠の王国に入る[機会],が,あなた方に豊かに与
えられるのです」。
<註>クリスチャンはだれの永遠の王国に入りますか。新約聖書で,
「エホバの王国」という聖句はどこにも登場しません。
啓示11:15:「また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が
天で起きてこう言った。『世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国
となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう』」。
<註>「新世界訳」では「わたしたちの主とそのキリストの王国」と
誤訳することによって,まるでおこ方がいるかのようです。ここでも
ギリシャ語の基本的な文法ルールが無視されています。52頁参照。
啓示17:14:「これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,
王の王であるので,彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たち
も彼と共に[征服する]」。
もも
啓示19:16:「そして,彼の外衣に,実にその股[のところ]に,王の王ま
た主の主と書かれた名がある」。
<註>「王の王」という称号は,聖書全巻でイエスだけに用いられ
ています。
千年王国の後,現在の「天と地」はどうなりますか
詩編102:25,26:「あなたは昔,この地の基を据えられました。天はあなた
のみ手の業です。それらのものは滅びうせますが,あなたご自身は立ちつづ
けます。それは衣のようにみな古びてしまいます。あなたは衣服のようにそ
れを取り替えられます。そしてそれは用を終えるのです」。
イザヤ51:6:「あなた方の目を天に上げよ。下の地を見よ。その天も煙の
ように必ず散り散りになり,地も衣のように古び,その住民もただのぶよの
ように死んでゆく。しかしわたしの救いは,定めのない時に至るまで存続し,
わたしの義が打ち砕かれることはない」。
イ ザ ヤ 6 5 17:「いまわたしは新しい天と新しい地を創造しているからで
ある」。
新しい天と地
165
マタイ5:18:「あなた方に真実に言いますが,律法から最も小さな文字一
つまたは文字の一画が消え去って,[記された]すべてのことが起きないよ
りは,むしろ天地の消え去るほうが先なのです」。
マタイ24:35,マルコ13:31,ルカ21:33:「天と地は過ぎ去るでしょう。
しかしわたしの言葉は決して過ぎ去らないのです」。
へプライ1:10-12:「また,『主よ,あなたは初めにこの地の基を据えられ
ました。玉はあなたのみ手の業です。それらのものは滅びうせますが,あな
たご自身は絶えずとどまっておられます。それらはみな外衣のように古び,
あなたは外とうのように,外衣のようにそれらをたたまれます。それらは変
わりま式が,あなたは同じであり,あなたの年が尽きることは決してありま
せん』と」」。
ペテロ第二3:7:「しかし,その同じみ言葉によって,今ある天と地は火の
ために蓄え置かれており,不敬虚な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれて
いるのです」。
ペテロ第二3:10,11:「しかし,エホバの日は盗人のように来ます。そのと
き天は鋭い音とともに過ぎ去り,諸要素は極度に熱して溶解し,地とその中
■■■■■■■
の業はあらわにされるでしょう。 これらのものはこうしてことごとく溶解す
るのですから」。
ペテロ第二3:12:「エホバの日の臨在を待ち,[それを]しっかりと思い
に留める者となるべきではありませんか。その[日]に天は燃えて溶解し,
諸要素は極度に熱して溶けるのです」。
<註>新世界訳で「エホバの日」と訳出しているギリシャ語本文は,
「キュリオスの日」ではなく,「セオス(神)の日」です。旧約聖書
の引用箇所でもありませんから,正直な翻訳ではない一つです。
ペテロ第二3:13:「しかし,[神]の約束によってわたしたちの待ち望ん
でいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。
啓示20:11:「またわたしは,大きな白い座とそれに座っておられる方とを
見た。その方の前から型と天が逃げ去り,それらのための場所は見いだされ
なかった」。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■I■■■■■■■■
図表
166
啓示21:1:「それからわたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と
以前の地は過ぎ去っており,海はもはやない」。
新しい天
【要約】
と地
携挙
455BC
キ
リ
ス
トト
患難時代
テ
ス
マ
0テ
、 ハ ル マ 「ン
年
教会時代
69週年
千年王国
(483年)
62週
7週
巾鯏平誠
翻り醜
①一時と二時と半時
ダニエル7:25,12:7,
啓示12:14
②四十二か月
啓示11:2,13:5
③千二百六十日
啓示12:6
④週の半ば
ダニエル9:27
【結論】
1.患難時代はまだ到来していません。
2.現代のクリスチャンは携挙されます。
3.イエス・キリストは永遠の王です。
4.生来のイスラエルは強大な国民となりますが,ソ連の軍事侵略を受けます。
5.千年王国の後に,「新しい天と地」が到来します。
167
嗣壷
(人間)
エホバの証人は次の事を信じている。
1.人間の霊は体から離れて存在するものではない。(「論じる」p.434)
2.死ぬ際,霊は消失する。(「論じる」P、434)神が死者をご自分の記憶
の中にとどめておかれるにすぎない。
(「論じる」p、302)
人間の霊は体と異なっていますか
ゼカリヤ12:1:「エホバは… 人の内にその霊を形造っておられる」
。
マタイ26:41,マルコ14:38:「ずっと見張っていて絶えず祈り,誘惑に陥
らないようにしていなさい。もとより,霊ははやっても,肉体は弱いのです」。
マルコ2:8:「イエスは,彼らが自分の中でそのように論じていることをご
自分の霊によってすぐに悟り」。
ルカ1:46,47:「マリヤはこう言った。『わたしの魂はエホバを大いなるも
のとし,主主_L竺重は自分の救い主なる神のゆえに喜びにあふれます』」。
ローマ1:9:「自分の霊をこめて神聖な奉仕をささげている神」
。
ローマ8:16:「墨そのものが,わたしたちの霊と共に, わ た し た ち が 神 の
子供であることを証ししています」。
<註>「わたしたちの霊」とは,感情とか精神的傾向ではありません。
目に見えない領域におられる神に対する意識です。
コリント第一2:11
の霊を別にすれば,
−
「というのは,人の事柄は,量の人のうちにある人間
人々のうちいったいだれが知っているでしょうか」。
コリント第一5:5:「そのような人を肉の減mのためにサタンに引き渡し,
こうして主の日に霊が救われるようにするためです」。
コリント第一14:2:「塁言を話す人は,人に対してではなく,神に対して
話すからです。だれも聴いていないのに,その人は霊によって神聖な奥義を
話しているのです」。
霊(人間)
168
コリント第一14:14:「というのは,わたしが異言で祈っている場合,祈っ
ているのはわたしの霊[の賜物]であって,わたしの思いは実を結んでいな
いからです」。
コリント第二7:1:「因_と_霊のあらゆる汚れから自分を清め…ようではあ
りませんか」。
テモテ第二4:22:「主があなたの[示す]霊と共にいてくださいますよう
−
に」。
死の際霊はどうなりますか
伝道12:7:「そのとき,塵はかってそうであったように地に帰り,墨迄一三
れをお与えになった[まことの]神のもとに帰る」。
伝道3:19,21:「人間の子らに関しても終局があり,獣に関しても終局があ
り,これらは同じ終局を迎えるからである。一方が死ぬように,他方も死ぬ。
皆ただ一つの霊を持っており,したがって人が獣に勝るところは何もない。…
人間の子らの霊は上に上って行くのか,また獣の霊は地に下って行くのか」。
<註>「皆ただ一つの霊を持っており」とは,「同じ息を持っている」
というヘブライ語です。すなわち,人も獣も死の際,塵に帰りますが,
人間の霊は獣とは異なり,「上に上って行く」のです。
のぼ
イザヤ26:19:新改訳「あなたの死人は生き返り,私のなきがらはよみ
がえります。…地は死者の霊を生き返らせます」。
− 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ■ ■ ■ ■ I ■ ■ ■ h
ルカ8:52,55:「『泣かなくてもよい。彼女は死んだのではない,眠ってい
るのです』。…すると,彼女の霊は戻り,彼女はたちどころに起き上がっ
たのである」。
ルカ23:46:「父よ,わたしの霊をみ手に託します」。
使 徒 7 59,60:「そして,訴えながら,『主イエスよ’
わたしの霊をお受け
ください』と言うステファノに向かって,彼らは石を投げつづけた。…
[死の]眠りについた」。
<註>「わたしの霊を消して下さい」とは言いませんでした。
霊(人間)
169
へプライ12:22-24:「しかしあなた方は,シオンの山,生ける神の都市な
る天のエルサレム,幾万ものみ使いたち,[すなわちその]全体集会,天に
登録されている初子たちの会衆,すべてのものの裁き主なる神,完全にされ
た義人たちの霊的な命,新しい契約の仲介者であるイエス,…」。
<註>クリスチャンは「義人たちの霊的な命」に会えると書かれてい
ます。従って,義人の霊は生きています。
【要約】
I.人間には3つの部分,「霊」,「魂」,「体」があります。
テサロニケ第−5:23:「平和の神ご自身が,あなた方を全く神聖なもの
としてくださいますように。そして,あなた方[兄弟たち]の蕊と霧と蟻
があらゆる点で健全に保たれ,わたしたちの主イエス・キリストの臨在の
際にとがめのないものでありますように」。
1.「霊」・・・霊の部分は,神がなされる事柄を感知し,理解するところ
です。霊が受け入れる唯一のものは聖書の教理です。霊が
成長しますと,神の見方で物事を見る能力が発達します。
肉体が死んでも,霊は永遠に生き続けます。つまり霊とは
目に見えない領域におられる神に対する意識の部分です。
2.「魂」・・・魂の部分は,知性(理性),感情,意志で構成されていま
す。学校や職場やマスコミなどを通して培われる芸術,教
育,常識,文化などの情報を吸収・記憶できる能力を蓄積
するところです。たとえば,体に有害な麻薬・たばこを摂
取しないように決意するのは,魂の分野です。人間的な観
点で物事を見極める分野です。
つまり魂とは自分というものに対する意識の部分です。
3.「体」・・・「霊」と「魂」が宿る天幕であり,魂が指示する行動や欲
望を実際に具体化します。つまり周りの世界に対する意識
を生み出す部分です。
◇「魂」の部分は,直接物質の世界につながる
ことはできません。魂がたばこを吸いたいと
思っても,実際に吸うのは体の部分です。
◇「霊」の部分は神によって愛されていること,
自分が神の子どもとされたことを確信し,神
が望んでおられること,すなわち神のみここ
ろについて理解します。cf.ヨハネ爵−2:27。
霊(人間)
170
霊の部分で理解していることを実行するかどうかを決定するのは「魂」の
部分です。霊の部分は直接体を支配したり命じたり'することはありません。
霊の部分は魂の部分を通して体に働きかけを行います。
みことばを通して,霊が成長しますと,魂が禁煙を決意しなくても自然に
体はたばこを望まなくなります。
従って,禁煙に関して考慮してみますと,たとえ聖書を知らずに「霊」の
部分が成長していなくても,教育・思想・哲学・宗教などによって,「魂」
の部分を強めて禁煙を守り通すことは可能です。しかし律法主義者でない真
のクリスチャンは「霊」を成長させることによって,聖霊で,「魂」を聖い
思いで満たし,「体」を「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め,神への恐
れのうちに神聖さを完成しようではありませんか」(コリント第二7:1)の
みことばに調和して,神に栄光を帰してゆくことができます。
「霊」と「魂」を混同することは問題です。同様に「魂」と「体」を混同
することも問題です。
「神の言葉は生きていて,力を及ぼし,どんなもる刃の剣よりも鋭く,魂
と霊,また関節と[その]骨髄を分けるまでに刺し通し,心の考えと意向と
を見分けることができるのです」。
一へプライ4:12−
Ⅱ、死者の霊を慰めることができますか
日本では,先祖の供養や法事などの仏教行事が定着しています。
★仏教の葬式は,①死者を葬る行為である儀式十②宗教儀式=葬送儀礼です。
★法事は,出席者がいずれもヒンズー教に由来する輪廻思想と日本仏教に同化
されていった先祖崇拝を実践する行事です。
つまり法事を機会に親類縁者が一堂に会して食事をすることは,供養の一部
とされ,仏を交えた食事に由来するものです。
●肉体の死とは,「霊と魂」が「体」から分離することです。
「そのとき,塵はかってそうであったように地に帰り,霊もこれをお与えに
なった[まことの]神のもとに帰る」。−伝道12:7−
つまり「体」から分離した「霊」は,「日の下」の生きている人とはっきり
した隔離があります。その辺を浮遊して,「日の下」の人間にたたりや呪い
を与えることはあり得ません。
従って,死者の霊を慰めるために,死者を拝む行為は反聖書的です。
【結論】
1.人間の霊は異なった別の存在であり,通常人間の体に宿っています。
2.死の際,霊は体から離れます。
3.霊と魂は異なっていますが,不滅です。
捌業
エホバの証人は次の事を信じている。
1.クリスチャンは,キリストに対する信仰だけによって,義と見なされることは
(「ものみの塔」誌1985年12月1日号p、7)
ない。
2.真の信仰は立派な業によって示される。
(「ものみの塔」誌1985年12月1日号p.10)
3.伝道はクリスチャンの義務であり,宣く伝えないと血の責任が問われる。
(「ものみの塔」誌1972年8月1日号
dwp.106,107)
クリスチャンは信仰のほかに業をプラスしないと,義と認められないのでしょうか
ヨハネ1:12:「しかし,彼(キリスト)を迎えた者,
そうした者たちすべ
−
てに対しては,神の子供となる権限を与えたのである。 その者たちが,彼の
名に信仰を働かせていたからである」。
ヨハネ3:16:「というのは,神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,
だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるように
されたからです」。
ヨハネ3:17,18:「神はご自分の子を世に遣わされましたが,それは,彼が
世を裁くためではなく,世が彼を通して救われるためなのです。彼(キリス
卜)に信仰を働かせる者は裁かれません。信仰を働かせない者はすでに裁
かれています。その人は,神の独り子の名に信仰を働かせていないからです」。
ヨハネ3:36:「み子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている」。
ヨハネ5:24:「きわめて真実にあなた方に言いますが,わたしの言葉を聞
いてわたしを遣わした方を信じる者は永遠の命を持ち,その者は裁きに至ら
ず,死から命へ移ったのです」。
ヨハネ6:28,29:「それで彼らはこう言った。『神の業をするためにわたし
たちは何を行なったらよいのですか』。それに答えてイエスは彼らに言われ
た,『あなた方が,その方の遣わした者(キリスト)_に信仰を働かせること,
これが神の業です』」。
−171一
業
172
ヨハネ6:40:「というのは,子を見てそれに信仰を働かせる者がみな永遠
の命を持つこと,これがわたしの父のご意志だからです」。
ヨハネ6:47:「きわめて真実にあなた方に言いますが, 信 じ る 者 は 永 遠 の
命を持っているのです」。
ヨハネ20:31:「しかし,これらのことは,イエスが神の子キリストである
ことをあなた方が信じるため,そして,信じるゆえにその名によって命を持
一
つために記されたのである」。
使徒10:43:「この方についてはすべての預言者が証しをし,彼に信仰を持
つ者は皆,その名によって罪の許しを得ると[述べて]います」。
<註>過去・現在(ねたみ,人を許さない)・未来の罪が許されます。
使徒13:39:「信じる者は皆,この方(キリスト)によって無罪と宣せられ
るということです」。
使徒26:15,18:「『わたしはイエス,あなたが迫害している者です。…
それは,彼らが罪の許しと,わたしに対する信仰によって神聖にされた者た
ちの間にある相続財産とを受けるためです』」。
ローマ3:21-28:「しかし今や,律法からは離れて神の義が明らかにされま
した。律法と預言者たちによって証しされているとおりです。そうです,ユ
エス・キリストに対する信仰による神の義であり,信仰を持つすべての者の
ためのものです。差別はないからです。というのは,すべての者は罪をおか
したので神の栄光に達しないからであり,彼らがキリスト・イエスの[払っ
た]贈いによる釈放を通し,[神]の過分のご親切によって義と宣せられる
のは,無償の賜物としてなのです。神はこの方を,その血に対する信仰によ
るなだめのための捧げ物として立てられました。これはご自身の義を示すた
めでした。神は過去に,すなわちご自分が堪忍を働かせていた間になされた
罪を許しておられたからです。こうして今の時期にご自身の義を示し,イエ
スに信仰を持つ人を義と宣する際にもご自分が義にかなうようにされました。
では,誇るところはどこにあるのでしょうか。そのようなことは締め出され
ているのです。どんな律法によってですか。業の[律法]ですか。決してそ
うではありません。信仰の律法によってです。わたしたちは,人は律法の業
とは別に,信仰によって義と宣せられる,とみなすからです」。
173
業
ローマ4:5:「業を行なわなくても,不敬度な者を義と宣する方に信仰を置
く人に対しては,その人の信仰が義とみなされるのです」。
ローマ5:1:「それゆえ,わたしたちは信仰の結果義と宣せられたのですか
ら,わたしたちの主イエス・キリストを通して神との平和を楽しもうではあ
りませんか」。
ローマ6:23:「罪の報いは死ですが,神の賜物は,わたしたちの主キリス
ー
ト・イエスによる永遠の命だからです」。
ローマ7:6:「しかし,今やわたしたちは律法から解かれました。自分たち
が堅く抑えられていたものに対して死んだからです。それは,霊によって新
しい意味での奴隷となり,書かれた法典による,古い意味での[奴隷とはな
ら]ないためです」。
ローマ8:1,2:「こういうわけで,キリスト・イエスと結ばれた者たちに対
して有罪宣告はありません。キリスト・イエスと結びついた命を与える霊,
その[霊]の律法が,あなたを罪と死の律法から自由にしたからです」。
ローマ11:6:「さて,それが過分のご親切によるのであれば,それはもは
−
や業にはよらないのです。そうでなければ,過分のご親切はもはや過分のご
親切ではなくなってしまいます」。
ガラテア2:16:「人が義と宣せられるのは律法の業によるのではなく,た
だキリスト・イエスに対する信仰を通してであることを知っているので,こ
のわたしたちでさえキリスト・イエスに信仰を置き,こうして,律法の業に
よってではなく,キリストに対する信仰によって義と宣していただけるよう
にしたのです」。
ガラテア5:1:「キリストは,このような自由のためにわたしたちを自由に
してくださったのです。ですから,堅く立って,再び奴隷のくびきにつなが
れないようにしなさい」。
エフェソス2:8,9:「まさにこの過分のご親切のもとに,あなた方は信仰に
−
よって救われているのです。そして,これはあなた方によるのではなく,神
の賜物なので童。そうです,それは業によるのではありません。だれも誇る
業
174
ことのないためです」。
<註>日本語では過去と完了の時制があいまいです。ところがギリシ
ャ語は世界で比類のない詳細な文法を持っており,特に時制において
は明確な原則を持っている言語です。主イエス・キリストの言葉がギ
リシャ語で扱われたことには意義があります。ギリシャ語の完了時制
は単なる完成でなくて,完成した結果の継続です。過去において完成
し,その結果が現在にまで継続しているのです。従って,「救われて
いる」とは「救い」が過去に完成し,その結果が現在にまで及んでい
ることになります。つまり,将来に「救われる」という教理は聖書の
教えではありません。
<註>だれに対する信仰かというと,エホバではなくキリストに対す
る信仰です。cf.「崇拝」p.35,148-149。
フィリピ3:9:「彼(キリスト)と結ばれた者とみなされるためです。そし
て,律法による自分自身の義ではなく,キリストに対する信仰によるもの,
すなわち,信仰に基づいて神から来る義を得」。
コロサイ2:13,14:「さらに,あなた方は自分の罪過と肉に割礼のないこと
とによって死んでいましたが,[神]はそのあなた方を彼と共に生かしてく
ださいました。そのご親切によってわたしたちのすべての罪過を許し,わた
したちを責める手書きの文書を塗り消してくださったのです」。
コロサイ2:20-23:「世の基礎的な事柄に対してキリストと共に死んだので
あれば,なぜあなた方は,世に生きているかのように,『手にするな,味わ
うな,触れるな』といった定めになおも服するのですか。これは,用いつく
されてすべて滅びるはずのものに関することであり,人間の命令や教えにし
たがうものです。いかにもそうした事柄は,自ら課した崇拝の方式と[見せ
かけの]謙遜,すなわち体を厳しく扱うことにおいて,知恵の外見を有して
はいますが,肉の満足と闘う点では何の価値もありません」。
テモテ第二1:9:「[神]はわたしたちを救い,聖なる召しをもって召して
くださいましたが,それはわたしたちの業によるのではなく,ご自身の目的
と過分のご親切とによるのです」。
テトス3:5-8:「[神]は,わたしたちが義の業を行なったたからではな
一
く,ただご自分の憐れみのもとに,わたしたちを命に導いた洗いと,聖霊に
業
175
よってわたしたちを新たにすることとによって,わたしたちを救ってくださ
いました。[神]はこの[霊]を,わたしたちの救い主なるイエス・キリス
卜を通して豊かに注ぎ出してくださったのです。それは,わたしたちがその
■■■■■■■■■■■■■■■
方の過分のご親切によって義と宣せられた後,永遠の命の希望にしたがって
相続人となるためでした。このことばは信ずべきものです。そして,こうし
た点について,あなたが絶えず確固とした主張をするようにとわたしは願っ
ています。それは,神を信じた人たちが,りっぱな業を続けるべきことを思
いに留めるためです。これらはりっぱなことであって,人の益になります」。
へプライ4:10:「[神]の休みに入った人は,神がご自分の[業]を[体
まれた]と同じように,その人も自分の業を休んでいるからです」。
ヨハネ第一3:23:「これが[神]のおきてです。すなわち,わたしたちが
そのみ子イエス・キリストの名に信仰を持ち」。
ヨハネ第一5:1
「イエスがキリストであることを信じる者はみな神から生
まれたのであり,
生まれさせた方を愛するものは皆,その方から生まれた者
を愛します」。
ヨハネ第一5:13:「わたしがこれらのことをあなた方に書くのは,神のみ
子の名に信仰を置くあなた方が永遠の命を持っていることを知らせるためで
す」。
啓示7:14:「彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」。
純粋な信仰があれば,業は伴ってきますか
マタイ7:21-23:「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の
王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入る
のです。その日には,多くの者がわたしに,向かって,『主よ,主よ,わたし
たちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,
あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言う
でしょう。しかしその時,わたしは彼らにはっきり言います。わたしは決し
てあなた方を知らない,不法を働く者たちよ2わたしから離れ去れ,と」。
<註>エホバの証人は父のご意志を行なっているでしょうか。証人
によると父のご意志とは,エホバの御名と王国を宣く伝えることです。
業
176
しかし聖書は何と述べているでしょうか。ヨハネ6章40節参照。
すなわち,み子イエス・キリストに信仰を持つ事が父のご意志です。
エフェソス2:8-10:「まさにこの過分のご親切のもとに,あなた方は信仰
によって救われているのです。そして,これはあなた方によるのではなく,
神の賜物なのです。そうです,それは業によるのではありません。だれも誇
ることのないためです。わたしたちは[神]の業の所産であって,主り.スト
・イエスと結ばれて良い業のために創造されたのです。それは,わたしたち
がそのうちを歩むようにと神が前もって準備してくださったものです」。
フィリピ2:12-13:「恐れとおののきをもって自分の救いを達成してゆきな
さい。神が,[ご自分の]喜びとなることのため,あなた方が志しかつ行動
■■■■■ロ■■■■■■■■■■
するようにと,あなた方の中で行動しておられるからです」。
テトス3:5-8:「[神]は,わたしたちが義の業を行なったからではなく,
ただご自分の憐れみのもとに,わたしたちを命に導いた洗いと,聖霊によっ
てわたしたちを新たにすることとによって,わたしたちを救ってくださいま
した。[神]はこの[霊]を,わたしたちの救い主なるイエス・キリストを
通して豊かに注ぎ出してくださったのです。それは,わたしたちがその方の
過分のご親切によって義と宣せられた後,永遠の命の希望にしたがって相続
人となるためでした。このことばは信ずべきものです。そして,こうした点
について,あなたが絶えず確固とした主張をするようにとわたしは願ってい
ます。それは,神を信じた人たちが,りっぱな業を続けるべきことを思いに
留めるためです。これらはりっぱなことであって,人の益になります」。
○ヤコブ2:17:「このように信仰も,業が伴っていないばら,それだけで
は死んでいるのです」。
○ヤコブ2:20:「しかし,ああ,むなしい人よ,あなたは,業を別にした
信仰が無活動であることを知りたいと思いますか」。
○ヤコブ2:24:「これで分かるように,人は業によって義と宣せられるの
であって,ただ信仰だけによって[義と宣せられ]るのではありません」。
○ヤコブ2:26:「実際に,霊のない体が死んだものであるように,菫望_茎
い信仰も死んだものなのです」。
<註>上記の四つの聖句は,クリスチャン以外の人々に宣く伝える伝
道の業と関連があるのでしょうか。いいえ,ありません。14節に
「わたしの兄弟たち」と呼びかけている場面からも判断できるように,
業
177
信仰の仲間が窮している時に,援助の“業”を行なわないなら,純粋
な信仰が伴っていないことを描写しているのです。
【要約】
ものみの塔協会は,主の記念式に1,000万以上の出席者数があったことや,
「ものみの塔」誌の発行数が1,300万部以上印刷されたことなどを通して,
強力な業を誇っています。たくさんの弟子を産み出し,今や,ローマ・カト
リック教会に次ぐ巨大な自称キリスト教組織となっています。
コリント第二12:9で,パウロは復活なさったイエス・キリストと話し合
った際,クリスチャンは「強力な業」を誇るのではなく,「自分の弱いとこ
ろについてむしろ大いに喜んで誇」るべきだと勧めました。175-176頁参照。
従って,救い主イエスにより頼むこともせず,ただ自分たちの努力に頼っ
て業を誇っているなら,悲惨な結果を招きます。「『あなたの名において強
力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。しかしその
時,わたしは彼らにはっきり言います。わたしは決してあなた方を知らない。
不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と」。マタイ7:22-23,23:5。
エホバの証人
神
=図
綴
謡
ィv1−0,.−−
−
∼
一
合
寺
一
統治体のー
監督・指導一
;
救いは値のない鬮り物
今雨國
うり
廻分
救いは獲得する報い
【結論】
1.キリストの贈いの働きは完成しており,イエスに信仰を持つことによっ
て,すべての人々は義と認められ罪を許されます。
2.聖書は,業によって救われるとは述べていません。
3.立派な業は,純粋な信仰の結果生じます。
聖句索引
出エジプト 3:13−15
創世記1:1
104
創世記1:2
62,72,104
創世記1:5
106
創世記1:14
106
創世記1:26
66
創世記1:26,27
34,87
創世記1:28
113
創世記2:4
107
創世記2:7
87,107,116
創世記2:17
創世記2:21,22
創世記2:24
創世記3:8-10
86,87
107
68
86,87
創世記3:15
20
創世記3:22
66
創世記4:1
5
創世記5:1-3
87
創世記9:3-6
120,127
創世記11:6,7
66
創世記13:14,15
20
創世記15:15
83
創世記15:18
21,160
21
1-3,9,13,22
創世記18:1-3,9
67
1
8,24
創世記19:1,1
1,
8
,
25
創世記18:25
67
37,60
8
創世記25:8
83
28
創世記32:28
67
18
創世記35:18
116
9,10
創世記37:9,10
35
創世記37:35
20,30
83
1
-:
43
創世記41:414
4
130
51,52
創世記41:51,5I
35
出エジプト 3:14
49,51
出エジプト 16:8
107
出エジプト 18:13
107
出エジプト 20:9−11
106
出エジプト 22:2
129
出エジプト 23:12
107
出エジプト 29:12,13
121
出エジプト 33:11
67
出エジプト
67
33:20
レ ビ 1:8−12
121
レ ピ 3:2−5
121
レ ビ 3:13-17
121
レ ビ 3:17
123,127
レ ビ 6:20
107
レ ビ 7:2−5
121
レ ビ 7:23−27
121
レ ビ 7:26,27
127
レ ビ 11:39,40
122,127
レ ビ 17:10-14
120,127
レ ビ 17:13,14
126
レ ビ 17:14
149
レ ビ 17:14,15
レ ビ 20:14
レ ビ 21:9
記記記記
数数数数
民民民民
創世記17:7,8
5
11:31
13:23
134,138
138
107
68
15:30,31,35
122
15:30-35
127
申 命 記 6:4
申 命 記 6:13
申 命 記 10:17
−178−
121,122,127
62,68,72
46
37,60
聖句索引
179
申 命 記 14 21
申 命 記 18 10,11
エステル2:17
130
83
エステル4:16
107
59,73
申 命 記 28 64-66
160
申 命 記 30 1-4
161
申 命 記 32 22
83,134,138
申 命 記 32 39
48
申 命 記 32 50
83
ブブブブププブブ
ヨヨヨヨヨヨヨヨ
申 命 記 19 15
123
1:4
118
14:1−13
150
19:25,26
26:5,6
33:4
サ ム エ ル 第 一 25:38
サ ム エ ル 第 一 28:11-5
107
83
118
3:1−3
34:14,15
42:2
150
80,134,138
62,71
80
106
サ ム エ ル 第 二 1:22
121
サ ム エ ル 第 二 7:16
21
詩編8:2
列 王 記 第 一 2:19
64
詩編27:1
列 王 記 第 一 8:39
38
詩編45:9
64
列 王 記 第 一 8:43
72
詩編45:46
52
詩編49:15
150
詩編16:10
列 王 記 第 一 17:21,22
116
55
82,146,149,150
60
詩編83:18
5
35
列 王 記 第 二 3:9
107
詩編89:27
列 王 記 第 二 5:17−19
129
詩編89:29
162
列 王 記 第 二 25:1
107
詩編89:36
162
歴代誌第一9:25
107
詩編90:4,5
歴代誌第二3:2
107
詩編95:7-11
歴代誌第二29:17
107
詩編90:2
詩編94:2
69
107
37,60
74,105
詩編97:7
46
詩編102:24,25
56
164
エ ズ ラ 3:6
107
詩編102:25,26
エ ズ ラ 6:22
107
詩編102:25-27
35
エ ズ ラ 7g11-28
158
詩編106:21
60
61
130
詩編116:3
80,134,138
107
詩編136:1-3
38,60
詩編139:7,8
62,72
詩編146:3,4
79
2
、、﹃、﹃﹃
L2
●●●
2●8
ヤヤ
ヘヘ
ネネ
エステル1:4
詩編110:1
107
聖句索引
180
詩 編 146:4
80
イ ザ ヤ 45 21
35,60
詩 編 147:19,20
21
イ ザ ヤ 48 11
43
131
イ ザ ヤ 48 12
48
イ ザ ヤ 51 6
164
蔵 言 24:21
伝 道 3:19-21
168
イ ザ ヤ 52 1
23,30
21,160
79
イ ザ ヤ 55 11
131
イ ザ ヤ 60 20
60
伝 道 9:6
80
イ ザ ヤ 60 22
162
伝 道 9:5,6
80
イ ザ ヤ 61 1
伝 道 3:21
伝 道 8:2
131
伝 道 10:20
80,87,168,169
伝 道 12:7
イ ザ ヤ 63 10
イザヤ
164
65 17
イ ザ ヤ 65 17-21,24,25
23
24
イ ザ ヤ 2:1−4
21
イ ザ ヤ 66 20,22
イ ザ ヤ 6:1
67
イ ザ ヤ 66 24
9,18,48,59,61,
イ ザ ヤ 9:6
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
イザヤ
01
11
11
42
52
62
62
62
73
33
33
54
14
24
34
44
44
44
5
1
イザヤ
134
66,67
イ ザ ヤ 6:8
イザヤ
56
102
21
62,69,73,76
48,59,73
エ レ ミ ヤ 3:17,18
エ レ ミ ヤ 7:31
エ レ ミ ヤ 23:3−8
24
134
24
62,72
2
76
エ レ ミ ヤ 23:24
9,11,12
22
エ レ ミ ヤ 31:9
9,10
81
エ レ ミ ヤ 31:33,34
74,105
6-10
22
エ レ ミ ヤ 33:14-16
24
19
150,168
19-21
150
21
127
哀歌2:3,4
6
22
エ ゼ キ エ ル 4:14
20,24
22
エ ゼ キ エ ル 16:60
22
35
37,60
エ ゼ キ エ ル 18:4
136
122,127
25
117
5−10
22
ェ ゼ キ エ ル 21:25-27
25
4
60
ェ ゼ キ エ ル 32:21
81
8
43
エ ゼ キ エ ル 37:25
25
ェ ゼ キ エ ル 38:2−6
161
6
48
エ ゼ キ エ ル 38:8,14,15
161
6,7
60
エ ゼ キ エ ル 39:17-19
121
エ ゼ キ エ ル 44:7
121
10,11
6
24
34,60,62,71
17
23
聖句索引
181
ダ ニ エ ル 7:20-22
ダ ニ エ ル 7:24-26
ダ ニ エ ル 9:24
ダ ニ エ ル 9:24-27
ダ ニ エ ル 9:25
ダ ニ エ ル 12:1
ダ ニ エ ル 12:1,2
ダ ニ エ ル 12:2
p
ダ ニ エ ル 10:21
,
ダ ニ エ ル 10:13
7
7
l
3
ダ ニ エ ル 9:26,27
ダ ニ エ ル 9:27
ダ ニ エ ル 12:7
4:1−4,7
107
26
5:2
40,62,69
7:8
60
ゼパニヤ3:8,9,14-17
ハ ガ イ 1:15
ハ ガ イ 2:1,20
26
70
77
0
11 2
,
ダ ニ エ ル 8:14
6
0
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ダ ニ エ ル 7:25
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ダ ニ エ ル 7:11
ダ ニ エ ル 7:13-14
ヨナ3:4
カカカ
ダ ニ エ ル 7:8
23
03
33
3333
360
775
785
865
115
103
56
6
11 1
1 43
116
115
115
116
115
115
116
1
ダ ニ エ ル 2:44
ダ ニ エ ル 2:48
ハ ガ イ 2:6,7,9
ゼ カ リ ヤ 2:8−11
53
ゼ カ リ ヤ 2:10-12
27
ゼ カ リ ヤ 8:20−23
27
ゼ カ リ ヤ 11:12,13
ゼ カ リ ヤ 12:1
ゼ カ リ ヤ 12:9,10
ゼ カ リ ヤ 12:10
ゼ カ リ ヤ 14:3,4,16,17
ゼ カ リ ヤ 14:3−5
53
167
27
20,54
27
54
ホセア
3:5
ホセア
5:15−6:2
ホセア
13:4
36
ヨエル
2:11
56
ヨエル
2:12
56
マタイ
1:23
ヨエル
2:13
56
マタイ
2:1,2
ヨ エ ル 2:32
15,25,56
マタイ
2:7,8
3:20
25
マタイ
2:11
マタイ
3:3
アモス9:1,2
83
マタイ
3:12
アモス9:14,15
25
マタイ
3:16,17
マタイ
4:10
45,46,61
マタイ
4:16
60
マタイ
5:18
165
25
ゼ カ リ ヤ 14:4
18,28
150
ゼ カ リ ヤ 14:5
54
マラキ3:6
ヨエル
オバデヤ15,17
26
62,71
6,50,61
45,61
45,61
45,61,119
55
135
63
聖句索引
182
マタイ5:22
135
マタイ5:35
28
マタイ16:1−4
マタイ16:16,17
159
61,110
7,14
マタイ16:18
159
マタイ7:15
33
マタイ16:27
147
マタイ7:20
33
マタイ17:3
84
135
マタイ6:9
マタイ7:22,23
マタイ18:20
マタイ7:23
155
マタイ19:25,26
マタイ8:5−10
128
マタイ19:28
マタイ8:6
138
マタイ21:9
マタイ8:12
135
マタイ21:15,16
マタイ8:22
90
マタイ22:13
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マタイ22:21
マタイ8:29
マタイ9:4
38,62,70
マタイ22:43-45
79
マタイ23:5
マタイ10:6
90
マタイ23:38,39
マタイ24:3
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マタイ10:28
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マタイ24:14
62,69
マタイ24:15
7
マタイ24:24
92
マタイ24:26
マタイ10:29,30
マタイ11:25
マタイ11:28-30
マタイ24:9
124
マタイ24:26,27
マタイ12:7
124
マタイ24:27
マタイ12:10-12
124
マタイ24:30
マタイ12:25
38
マタイ24:35
マタイ12:31
103
マタイ24:36
マタイ12:32
62,71,104
マタイ24:39
マタイ12:39,40
149
マタイ24:42
マタイ12:40
145
マタイ24:44
マタイ13:41
50
マタイ24:44−47
マタイ13:42
135
マタイ25:20−23
マタイ13:49,50
135
マタイ25:31
マタイ14:33
46,61
マタイ15:17
126
マタイ25:31−32
マタイ25:41
7
4
マタイ12:1−5
91
6
1
マタイ10:23
マタイ24:3−15
1
3
マタイ10:22
11
咽Ⅱ▲P
101
石Ⅱ且
マタイ10:20
毛Ⅱユ
マタイ9:24
13,18,40,62,72,110
屯OL名Ⅱユ
マタイ18:8
177
2865
95
4
0
6
56
31
31
67
78
26
19
51
16
57
73
33
33
33
3
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56
11
31
30
1も9
0
5
Ⅱユ
aI3
ユp3
4Ⅱ且
pp1
制Ⅱ
175
n︺﹄︵ソロ
マタイ7:21-23
聖句索引
マタイ
26:14,15
マタイ
26:28
マタイ
26:39−42
136
マルコ
10:40
54
マルコ
11:15
121
マルコ
12:17
7
マルコ
13:22
13:26
マルコ
133
マルコ
13:31
マタイ
27:37
88
マルコ
14:21
マタイ
27:46
57
マルコ
14:27
マタイ
27:49
84
マルコ
14:36
マタイ
27:50
81,84
マルコ
14:38
マタイ
27:63
149
マルコ
14:61
マタイ
28:2−4
148
マルコ
15:34
マタイ
28:9
46,61
マルコ
15:36
マタイ
28:16,17
46,61
マルコ
16:6
マタイ
28:18
47
63
28:20
18,40,62,72
マルコ
1:2,3
55
マルコ
2:5−7,10
36
ルカ1:76,77
マルコ
2:8
38
ルカ2:8
142
ルカ1:31−33
ルカ1:33
ルカ1:35
ルカ1:46,47
2:23−26
124
マルコ
3:1−5
125
マルコ
3:11
61
マルコ
3:17
61
ルカ3:14
マルコ
5:7
136
ルカ3:17
マルコ
6:30-44
107
ルカ3:23
マルコ
7:18
126
ルカ4:18,19
マルコ
7:19
127
ルカ4:41
マルコ
8:31
150
ルカ5:21
マルコ
9:4
84
マルコ
9:31
150
マルコ
9:43-48
136
ルカ6:8
マルコ
10:27
107
ルカ6:9−11
マルコ
10:32-34
149
ルカ8:52,55
ルカ2:8−20
ルカ2:10
ルカ3:4
ルカ5:24
ルカ6:1−5
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マルコ
イ04屯Ⅱ凡414
マタイ
ルカ1:14
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6
28:19
28:19,20
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マタイ
マタイ
8
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8
118
22
64
67
65
57
68
19
15
58
26
38
56
51
66
36
35
2
21
6
131
167
27:17−22
1
26:41
1
マタイ
マタイ
7217959687
61
67
54
85
4
25:46
55
13
1 516
13
17
マタイ
183
聖句索引
184
ルカ
ルカ10:12
137
ルカ
ルカ10:21
8
ルカ
8
ルカ
147
ルカ
117,137
ルカ
ルカ11:2
ルカ11:31-32
ルカ12:4,5
84
104
ルカ12:12
101
ルカ12:32
112,115
ルカ13:1−5
90
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29
ルカ15:24
ルカ16:19−31
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87,139,140
134
ルカ16:23,24
138
ルカ16:30
84
ルカ17:24
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39
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11
ルカ21:24
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ルカ21:27
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ルカ22:42
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ルカ23:46
168
ルカ23:50-52
130
ル力24:3
145
ルカ24:16
149
ルカ24:27
6
34,60,62,71
60,75
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55
107
114
149
50,145
149
10
39,62,69
87
分p
ルカ21:12
40,50,59,61,62,73
81
8
1
31
6
47
6
1
ルカ21:8,9
143
P
ルカ20:25
86,91
45-47
5
2
ルカ19:10
145,149
タ
81,134
145,149
41-43
1
2
ルカ16:24
39
1
15
令Ⅱユ−
ルカ16:23
149
36三43
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ルカ12:10
146,147,149
36
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ヨ
ルカ12:5
4
24
24
24
24
24
2
39
ルカ9:47
94
119,171
15
171
10,91,141
47
47
91,94,95,171
57
49,61
57
37,60,152
44
I
185
聖句索引
ヨ ハ ネ 5:24
95,98,171
ヨ ハ ネ 11:51−52
114
41
ヨハネ 5:25
61
ヨハネ 12:26
ヨ ハ ネ 5:26
75
ヨ ハ ネ 12:27,28
19
ヨ ハ ネ 12:32
93
19,148
ヨ ハ ネ 12:41
67
ヨハネ 5:28
ヨ ハ ネ 5:28,29
8
92
ヨ ハ ネ 12:44
50
ヨ ハ ネ 5:46
141
ヨハネ 12:49
58
ヨハネ 6:28,29
171
ヨ ハ ネ 5:39,40
ヨ ハ ネ 13:3
47
ヨ ハ ネ 6:35
92
ヨ ハ ネ 13:19
50
ヨ ハ ネ 6:37
93
ヨ ハ ネ 13:31,32
44
ヨ ハ ネ 6:38
57
ヨハネ 14:3
159
ヨ ハ ネ 6:40
172,176
ヨ ハ ネ 14:6
76,93
ヨハネ 6:44
93
ヨ ハ ネ 14:7−9
ヨ ハ ネ 6:45
93
ヨ ハ ネ 14:14
ヨハネ 6:47
94,95,172
ヨ ハ ネ 14:16,17
50
8,42
103
198
ヨ ハ ネ 14:17
76
57
ヨハネ 14:23
74
ヨ ハ ネ 7:28
57
ヨハネ 14:26
64,100,101,104,110
ヨ ハ ネ 7:29
57
ヨ ハ ネ 14:28
58
ヨ ハ ネ 7:37,38
93
ヨ ハ ネ 14:31
58
ヨ ハ ネ 8:12
60
ヨ ハ ネ 15:5
94
ヨ ハ ネ 8:19
49
ヨ ハ ネ 15:13
50
ヨ ハ ネ 8:28
49,58
ヨ ハ ネ 15:26
100,102,110
ヨ ハ ネ 8:42
58
ヨ ハ ネ 16:7,8
100
ヨ ハ ネ 8:51
84
ヨ ハ ネ 16:13
111
ヨ ハ ネ 8:58,59
49
ヨ ハ ネ 6:53,54
ヨハネ 6:57
ヨ ハ ネ 16:13−15
44,100,102
ヨ ハ ネ 16:15
47
113,115
ヨ ハ ネ 17:1−4
58
ヨ ハ ネ 10:28,29
98
ヨ ハ ネ 17:1−5
9
ヨ ハ ネ 10:28−33
49
ヨ ハ ネ 17:3
68,111
ヨ ハ ネ 10:31−33
49
ヨ ハ ネ 17:5
44,51
ヨ ハ ネ 10:36
61
ヨ ハ ネ 17:6,26
ヨ ハ ネ 9:1,38
ヨ ハ ネ 10:16
46,61
6
ヨ ハ ネ 11:4
44,61
ヨ ハ ネ 17:10
47
ヨ ハ ネ 11:11
39,79
ヨ ハ ネ 17:11
55
ヨ ハ ネ 11:25,26
ヨ ハ ネ 11:41
84
8
ヨ ハ ネ 17:11,12
ヨ ハ ネ 17:12
6,9
55
186
ヨ ハ ネ 18 10,11
51
129
ヨハネ 19 30
81,82,84
ヨ ハ ネ 20 17
58
ヨ ハ ネ 20 21
58
ヨ ハ ネ 20 25
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ヨ ハ ネ 20 26
147
ヨ ハ ネ 20 27
146
ヨ ハ ネ 20 28
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ヨ ハ ネ 20 29
51,59,73
ヨ ハ ネ 20 28,29
51
ヨ ハ ネ 20 31
61,172
ヨ ハ ネ 21 17
39,62,70
使 徒 1:6,7
使 徒 1:8
使 徒 1:9,11,12
使 徒 1:11,12
29,31
6,7
18,28
54
使 徒 1:16
101,104
使 徒 1:25
137
使 徒 2:27
146,149
使 徒 2:33
64
使 徒 2:38
10,102
使 徒 3:6
7
使 徒 3:13
44
使 徒 3:19−21
29
使 徒 3:21
19
使 徒 4:12
15,36,60,115
使 徒 4:17,18
11
使 徒 4:33
61
使 徒 4:36
61
使 徒 5:3
使 徒 5:3,4
73
62,104
使 徒 5:4
73
使 徒 5:28
12
使 徒 5:40-42
12
徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒・徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒徒
使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使使
ヨ ハ ネ 18 4-6
聖句索引
5:42
138,153
6
:
3
,
5
7
132
7:51
103
7:55
64
7:59
9,42
7:59,60
79,84,168
8:16
11
8:29
101
8:30,31
111
8:39,40
101
9:14
42
9:15
7
9:16
12
9:17
42
9:20,21
42
9:27
61
10:1-8,24,34,35,48
129
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126
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101
10:25
46
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61
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64,158
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37,60
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64
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10:48
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6
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13:36
13:38,39
82,146
79
94,115,141
13:39
172
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94
15:14
13
15:22
132
15:25,26
132
15:26
12
187
聖句索引
使 徒 15:28
102
ローマ
6:23
86,173
173
121,127
ローマ
7:6
使 徒 15:29
123
ローマ
7:22
使 徒 16:6
103
ローマ
8:1,2
使 徒 16:29-31
94
ローマ
8:2
75
使 徒 16:30,31
15,60
ローマ
8:9
75,103
162
ローマ
8:11
97,98,103,146
62
ローマ
8:14
103
、72
ローマ
8:14,15
ローマ
8:16
97,102,167
11
ローマ
8:23
146
84,116
ローマ
8:26
103
使 徒 15:28,29
使 徒 17:7
使 徒 17:27
使 徒 17:27,28
使 徒 17:31
使 徒 19:4,5
使 徒 20:9,10
148
75
95,98,173
9
使 徒 20:20
142
ローマ
8:35,38,39
98
使 徒 20:28
108
ローマ
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101
ローマ
10:9
使 徒 21:13
12
ローマ
10:9,10
94
使 徒 21:25
123
ローマ
10:9−14
15,55
使 徒 22:16
42
ローマ
10:13
95
使 徒 22:17-19
42
ローマ
10:14
156
使 徒 23:5
131
ローマ
11:6
使 徒 26:15,18
172
ローマ
11:25−29
使 徒 28:25
104
ローマ
61,156
173,177
29
マママママママママママママ
ーー一一一一一一一一一一一
口ロロロロロロロロロロロロ
11:33
76
ローマ
11:36
34
ローマ
13:1,7
131
1:1
41
1:9
167
ローマ
13:4
129
77
ローマ
13:7
133
154
ローマ
13:17
150
3:10-12
91
ローマ
14:5,6
119
3:21−28
172
ローマ
14:10
37
173,177
ローマ
15:16
64
4:15
125
ローマ
15:19
153
5:1
173
ローマ
15:33
76
5:9,10
97
ローマ
16:26
62,69
5;10
91
5:11
95
コリント第一1:2
5:12
86
コリント第−−1:7,8
1:20
3:9,10
4:5
7,9,43
31
188
聖句索引
89
コ リ ン ト 第 二 5:10
37,60,148
143,153
コリント第二 5:15
41
コ リ ン ト 第 一 2:11
62,70,167
コ リ ン ト 第 二 5:17
コ リ ン ト 第 一 3:16
75,103
コ リ ン ト 第 二 7:1
168,170
コリント第一
41
コ リ ン ト 第 二 7:6
16
コ リ ン ト 第 一 4:5
40
コリント第二 7:7
16
コ リ ン ト 第 一 5:4
13
コ リ ン ト 第 二 10:10
17
167
コ リ ン ト 第 二 10:14
154
コ リ ン ト 第 二 11:2
108
コ リ ン ト 第 一 1:17,18
コ リ ン ト 第 一 1:17,18,23,24
コ リ ン ト 第 一 5:5
コ リ ン ト 第 一 6:11
13
87
コ リ ン ト 第 一 6:19
103
コ リ ン ト 第 二 11:14
77
コ リ ン ト 第 一 8:12
36
コ リ ン ト 第 二 12:1−3
82
コ リ ン ト 第 一 9:16
142
コ リ ン ト 第 二 12:8,9
コ リ ン ト 第 一 11:1
142
コ リ ン ト 第 二 12:8-10
コ リ ン ト 第 一 11:3
58
コリント第二 12:9
コ リ ン ト 第 一 12:3
61
9
43
177
コ リ ン ト 第 二 13:5
97
コ リ ン ト 第 一 12:12,13
108
コ リ ン ト 第 二 13:14
コリント第一
143
コ リ ン ト 第 一 14:2
167
コ リ ン ト 第 一 14:14
168
コ リ ン ト 第 一 15:1−3
155
コ リ ン ト 第 一 15:1−4
144,154
コ リ ン ト 第 一 15:23
150
コ リ ン ト 第 一 15:24
163
コ リ ン ト 第 一 15:49
147
コ リ ン ト 第 一 15:50
149
コ リ ン ト 第 一 15:50−52
159
コ リ ン ト 第 一 15:52
147
コ リ ン ト 第 一 15:54
147
コ リ ン ト 第 一 16:17
16
ーアーナーアーアーナーアーアーナーナーナーナーナーナーナ
ーフーフーフーフーフーフーフーフ一フーフーフーフーフーフ
12:28,29
アアアアアアアアアアアアアア
82
102
ガガガガガガガガガガガガガガ
コ リ ン ト 第 二 13:3,4
コ リ ン ト 第 一 12:11
1:8
156
1:8,9
155
1:10
41
1:16
154
1:16-18
111
2:16
173
4:6,7
68
4:9
91
5:1
173
5:22
76
6:2
75
6:8
75
6:14
89
125
コ リ ン ト 第 二 3:17
70
コ リ ン ト 第 二 5:1,8
85
エフェソス
1:13
86
エフェソス
1:13,14
85,87
エフェソス
1:19
コ リ ン ト 第 二 5:8
10
4:6−9
コ リ ン ト 第 二 1:24
コ リ ン ト 第 二 5:1−9
63,103
97
99
62,70
189
聖句索引
2:1
86,87,91
エフェソス
2:3
91
エフェソス
2:5,8
95
エフェソス
2:8
177
エフェソス
2:8,9
173
エフェソス
2:8-10
176
114
エフェソス
2:13,14,16
エフェソス
2:18
エフェソス
2:21,22
109
エフェソス
3:8
154
エフェソス
3:9
エフェソス
エフェソス
64
イイイイイイイイ
フフフフフフフフ
エフェソス
リピ 2:12,13
176
リピ 3:9
174
リピ 3:17,21
85
リピ 3:18
89
リピ 3:20
19,87
146,147
リピ 3:20,21
リピ 3:21
62,70
リピ 4:3
96,99
35
コロサイ
1:15,16
34
コロサイ
1:16
34,44,60,62,71,131
3:14−17
64
コロサイ
1:17
35,40
3:17
74
コロサイ
1:19−23
50
コロサイ
2:3
40,76
109
コロサイ
2:9
51,77,146
2:13
エフェソス
3:19
エフェソス
4:4
144,155
92
エフェソス
4:11
143
コロサイ
エフェソス
4:30
97,99,102
コロサイ
2:13,14
174
エフェソス
4:32
37,96
コロサイ
2:20-23
174
エフェソス
5:29−32
109
コロサイ
3:3,4
99
エフェソス
6:15
142
コロサイ
3:24
42
コロサイ
4:12
42
フ ィ リ ピ 1:1
41
フ ィ リ ピ 1:14
143
テ サ ロ ニ ケ 第 一 1:3−5
65
フ ィ リ ピ 1:18
155
テ サ ロ ニ ケ 第 一 2:19
17
フ ィ リ ピ 1:22−24
86
テ サ ロ ニ ケ 第 一 3:13
17,55
フ ィ リ ピ 1:23
87
テ サ ロ ニ ケ 第 一 4:14
79
フ ィ リ ピ 1:23,24
85
テ サ ロ ニ ケ 第 一 4:15
17
フ ィ リ ピ 1:26
17
テ サ ロ ニ ケ 第 一 4:16
19,150,151
フ ィ リ ピ 1:27
155
テ サ ロ ニ ケ 第 一 4:16,17
テ サ ロ ニ ケ 第 一 5:23
160
17,87,116,169
フ ィ リ ピ 2:6
51
フ ィ リ ピ 2:6,7
56
フ ィ リ ピ 2:7,8
163
テ サ ロ ニ ケ 第 二 1:7
19,92
56
テ サ ロ ニ ケ 第 二 1:8
155
フ ィ リ ピ 2:9−11
47
テ サ ロ ニ ケ 第 二 1:9
137
フ ィ リ ピ 2:10
85
テ サ ロ ニ ケ 第 二 1:12
44
17
テ サ ロ ニ ケ 第 二 2:1−3
31
フ ィ リ ピ 2:9
フ ィ リ ピ 2:12
190
聖句索引
テサロニケ第二2:8
17
へブライ
1:8
52
テサロニケ第二2:9
17
ヘブライ
128,10
56
ヘブライ
1:8,10-12
35
テ モ テ 第 一 1:12
43
ヘブライ
1:8−12
テ モ テ 第 一 1:17
163
ヘプライ
1:12
62,71
テ モ テ 第 一 2:1−3
132
ヘプライ
1:10
34,60,62,72
テ モ テ 第 一 3:15
109
ヘブライ
1:10-12
41
35,165
テ モ テ 第 一 3:15,16
51
ヘ ブ ラ イ 2:2
138
テ モ テ 第 一 6:14
19
ヘ ブ ラ イ 2:8
47
ヘ ブ ラ イ 2:11
58
テ モ テ 第 一 6:14-16
38,60,62,70,163
82,150
ヘ ブ ラ イ 3:7
96
ヘ ブ ラ イ 4:5
154
174,177
ヘブライ
4:10
175
104
ヘブライ
4:12
170
一一一一一一一一一一一一一一一一
ーアーアーナーアーナーアーアーア
61
テ モ テ 第 一 6:16
第第第第第第第第
一アーアーナーアーアーアーアーア
モモモモモモモモ
テ モ テ 第 一 6:15
ヘ ブ ラ イ 3:3,4
ヘ ブ ラ イ 3:7−11
1:8,9
1:9
1:14
4:1
37,60
4:1,2
4:6
4:8
ヘ ブ ラ イ 7:3
35,52
101
62,73,104
41
143
ヘ ブ ラ イ 9:14
62,65,69
85
ヘ ブ ラ イ 9:27
117,148
20
ヘブライ
9:28
168
ヘブライ
10:12-15
ヘブライ
10:15
36
ヘプライ
10:15,16
62,74,105
20,36,52,59,60,61,73
ヘプライ
10:27−29
137
3:1
132,133
ヘブライ
10:35
99
3:5
177
ヘブライ
11:5
85
4:22
ーアーナーアーアーナーナーア
ススススススス
トトトトトトト
1:4
2:13
20
65
101
3:5,6
65
ヘプライ
11:17-19
150
3:5−8
174,176
ヘブライ
12:22,24
85,109
3?6
36
へプライ
1:1
104
ヘブライ
1:2
47
ヘブラ式
1:3
52,78
へブライ
1:3−5
ヘブライ
へプライ
ヘブライ
12:22-24
ヘプライ
13:8
ヘプライ
13:13
ヤ コ ブ 1:1
169
41,62,71
93
42
152
ヤ コ ブ 1:18
75
1:4
52,56
ヤ コ ブ 2:14
176
1:6
46,61
ヤ コ プ 2:17
176
191
聖句索引
ヤコブ
ヤコブ
ヤコブ
176
ヨハネ第一
176
ヨハネ第一
87,176
ヨハネ第一
17
ヨハネ第一
17
ヨハネ第一
ヨハネ第一
3344555555
ヤコブ
04
6
2
2
278
●ロ●■●●●●●
2●2
255
ヤコブ
1 4 9 6
2310,14,175
9
5
9
1 3 , 1 4 6 5
114,96,175
7 , 8 7 7
1 1 9 6
65
ヨハネ第一
ペ テ ロ 第 一 1:4
98
ヨハネ第一
ペ テ ロ 第 一 1:23
96
ヨハネ第一
ペ テ ロ 第 一 2:9
124
ヨハネ第一
ペ テ ロ 第 一 2:13,17
132
ペ テ ロ 第 一 2:17
133
ユダ 1
42
ペ テ ロ 第 一 2:22
150
ユダ 4
68
ペ テ ロ 第 一 2:24
93
ユダ 9
151,152
ペ テ ロ 第 一 2:25
93
ユ ダ 20,21
ペ テ ロ 第 一 3:18
93
ペ テ ロ 第 一 3:18,19
82
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
第第第第第第第第第第第
ロロロロロロロロロロロ
ーナーアーナーナーナーナーアーナーアーナーア
ペペペペペペペペペペペ
1:1
1:11
12
36,53,59,60,61,73
164
1:13−15
85
1:16
17
3:4
18
3:7
136,165
3:8
107
3:10-11
165
3:12
18,165
3:13
165
3:18
45
ヨ ハ ネ 第 一 1:9
124
ヨ ハ ネ 第 一 2:26,27
111
ヨ ハ ネ 第 一 2:27
169
ヨ ハ ネ 第 一 2:28
18,20
ヨ ハ ネ 第 一 3:2
18
一ホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホ示
ペ テ ロ 第 一 4:14
啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓
ペ テ ロ 第 一 1:2
1:5,6
1:7
1 1 − 1 3 1 4
1310,75,97,99,115,175
20
53,111
66
45
20,54
1:10
30
1:17
60
1:17,18
48,61
2:3
12
2:7
82
2:13
2:8
6,12
48,60,61
2:23
40
3:12
114
3:14
40
3:20
95
5:8
5:9,10
5:10
46,61
112
112,113
5:11−14
45
5:14
46
6:9−11
7:1−3
81,116,117
113
聖句索引
192
7:4
7:4−8
7:9
30
29,112,113
113
112,115
7:9,14,15
150
7:9,15
114
7:14
175
11:1,2
114
11:2
165
11:2,3
159
11:15
164
11:19
12:1,5
114
20,30
12:6
165
12:6,14
159
12:7
151
12:14
165
13:1-10
133
13:5
133,159,165
14:1
30,112,113
14:3
113
14:4
113
14:5
113
14:6
112
14:7
14:9−11
46,61
137,138
14:11
87
14:12,13
66
16:13
77
17:14
38,60,61,164
18:24
127
19:1
19:16
19:20
20:4
114
38,60,61,164
137
86,117
一ホーホーホ示一不示一ホーホーホーホーホーホーホーホ示示一ホーホーホ示示示一ホーホーホ
7:3−8
113
啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓
一不一不一ホーホーホーホーホーホーホーホーホー不一ホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホーホ示一ホーホーホーホーホーホーホーホ示一不
啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓啓
7:3
20 4,5
150
20 4-6
30
20 5
20 5,15
20 9
138,148,150
87
30
20 10
137,138
20 11-15
.150,165
20 12-13
20 15
21 1
21 6,7
21 8
148
92,138
165
48
123,124
21 16
77
21 27
124
223
48
223,4
53
22 8,9
152
22 12,13
61
22 12,13,20
48
22 13
40
22 13-16
48
22 14,15
138
22 15
124
22 17
101,143
2220
43
インマヌエル
用語索引
50,61
ウ
初子
35
ア
愛
154
証しをする
ニエニ
142,153栄光の体147,149
家から家に
12,153
イエスのために
贈い
6,7,12,153-155
エゴー・エイミ
93,154,177
アブラハム契約
三人それとも一人66-68
48
旧約のエホバは新約のイエス
エホバの日
−
イエス・キリスト
エゴー・エイミ
神のみ子
イ
35,40,41
唯一まことの神66-68
105
アルファ・オメガ
5−15
初めがない
21
アリウス
49
エホ(
1
エ ル サ レ ム の5
修復
60
31,165
8
34-62
4
9
二
才
6
1
,
1
6
3
王
38,162-164
キリストの頭は神50,58王国162-164,166
キリストの再来16-20,31ango"166
樹立の時
見えない再臨16-20王の王
38,162-164
臨在
16-20,31終わりの日16-33,157-162
杭それとも十字架の上で死なれたか
雲に乗って来る
死
神性
救い主
いま進行中157-159
88,89オリーブ山54
16-20女(創世記3:15)20,30
79−87
6
3
−
7
8
ブ
フ
35,36,60神34-62,63-78
創造の初め[アルケー]40
創造物の初子
地上でのイエス
35
56−59
復活の体145,146,148-150
イスカリオテ・ユダ138,139
イスラエル,聖書預言20-30,157-164
祈り
14,42,43
神としてのイエス
34−78
神としての聖霊100-105
神の名は聖書翻訳のどこに出ているか
5-15,165
初めはない
35,40,41
目に見える
67
唯一まことの神66-68
神はだれの祈りを聞かれるか14'42神の女(創世記3:15)20,30
異 邦 人 の 時 2 5 , 2 9
−193一
194
用語索引
神の右
61,64 シ
神のみ子
61,163
患難時代
157-159
死 7 9 − 8 7
イエスの死は異なっている81,82,
148-150
死後の刑罰134-141
キ
飢きん
30,157-159
死後の状態79-87,116-117,168-170
162
魂116,117,169,170
強大な国民
銀三十枚
53,54
復活の希望145-150
シ ェ オ ル 7 9 − 8 7
88−89
シ オ ン 2 6
マ
20
地 獄 1 3 4 - 1 4 1
118,119
ゲヘナ134-141
ス
ス
リ
ク杭雲ク
自衛隊員,警察官128,129,133
シ ェ オ ル 7 9 − 8 7
富んだ人とラザロ
ケ
139-141
携挙159,160,166
ハデス86,134-141
ゲヘナ86,134-141
黙示録(啓示)で言及されている『と
獣(「野獣」とは異なる)133
こしえの責め苦』137,138,148,150
研究68,110-111
地獄の火134-141
手 引 き 1 1 1死 者 7 9 - 8 7
知
識
6
8 苦しみ80-81,134-141
状態79-87,116-117,168-170
復 活 1 4 5 - 1 5 0
二.
支配は天からそれとも地上112,113
荒廃をもたらす嫌悪すべきもの
31,158,159
告白
123,124
宗 教 1 6 9 , 1 7 0
組 織 さ れ た 宗 教 7 7
十字架,イエスの死88,89
14万4,000人,救われるのはそれらの人
サ
祭司
124
たちだけか92-99,109,112-115,177
再臨
16-20,31
生来のユダヤ人だけ29,30
54
112,113,115
138,148
文字どおりの数29,30
刺し通した者
裁き,裁きの復活
三位一体
63−78
112,113,115
教えの起源
77
祝日,クリスマス118,119
被造物の証拠
77
主 の 日 3 1
職業の選択128-133
用語索引
195
諸国民の定められた時
期間(日:ヨーム)
29
信仰
信仰だけでは不十分?
108-115
神は組織を持たれるか
14,96
神殿(ナオス)
40
組織
171-177
新生
106,107
創造の初め(アルケー)
92-95,171-177
108-111,115
114
神殿の中庭
114,150 夕
大患難時代
ハルマゲドン
ス
大群衆
崇拝[プロスキュネオー]45,46,61
地的な希望
イエスに対する45,46
十 字 架 8 9た ば こ
人 間 に 対 す る 4 6 魂
救い
不滅性
いちど救われたなら,いつまでも
誰に対する信仰
95-97,123,124,154
誕生日
14万4,000人だけのため14,96
158,159,166
114,150,159,166
150,164-166
170
116,117,169,170
復活
90-99
157-159,166
145-150
116,117,169,170
94-95,171-174
118,119
108,109
万人のための救い
14,96,109 ヲ二
救い主35,36,60 血
120-127
地
164-166
知識
セ
政 治 家 1 3 0 忠実で思慮深い奴隷
政 府 1 3 1 - 1 3 3 中東和平
中立
聖霊63-78,100-105
世
代
3
109,110,115
24,160
128-133
0
責め苦,とこしえの,黙示録(啓示)で
ミソ
言及されている86,137,138,148,150
富んだ人とラザロ
68,111
妻,クリスチャンの家族の中での地位
50,58
139-141
1 9 1 4 年 3 0 , 3 1 罪の告白123,124
全ての人は罪人(霊的に死んでいる)
戦争,終りの日30,157-159
ハルマゲドン158,159,166
154
今日でも罪があるのか93,123,124,
先 祖 崇 拝 1 7 0
式造
ソ葬創
154,172
170 ラニ
106,107
手引き
111
用語索引
196
158,159,166
天159,160,164-166週の半ば
クリスチャンが天に連れて行かれる時
159,160,166〃、
主が『天から下ってくる』159,160初め(アルケー)
だれがそこに行くのか86,150,159,ハデス
40
86,134-141
81,82,86
160パラダイス
天にいる人の体147,149ハルマゲドン
158,159,166
31,133,158,159
天に取り去られる人々は地に戻るか反キリスト
86,147,149,150
天に運び去ること
伝道
徹底的に宣く伝える
伝道は義務ではない
159,160 t二
日,創造の日の長さ
106,107
火,地獄
134-141
142-144
153
裁きの日
165
羊とやぎを分ける
30
独り子
61
143,144
卜
投票
132-133
とこしえの責め苦
134-141 フ
富んだ人とラザロ
139-141
再 び 生 ま れ る 9 6
復 活 1 4 5 - 1 5 O
イエスが復活して持った体147-150
ナ
ナオス
中庭
114
福音142-144,153-156
114,150
不法30,157-159
不 法 の 人 3 1 , 1 5 9
不滅性116,117,150,168-170
I■■■■■■■■
■■■■■■■■■■
偽預言者
77
遍
在
7
2
法 事 1 7 0
ほかの羊113-115
ネ
滅 び の 子 3 1
年代
イエスのバプテスマ
158,166
70週
157,166 ミ
69週
158,166
携挙
患難時代
実によって見分ける
159,160,166
ミカエル
157,159,166
右
166
み使いの頭
四十二か月
166
み名
千二百六十日
166
一時と二時と半時
33
151,152
61,64
151,152
5−15
197
用語索引
メ
メシア
158
ヤ
ヤーウェ,エホバあるいは
ヤーウェもしくはヤハウェか
15
野獣77,130,133,158,159
二二L
輸血
120-127
人間の血の使用
126
血を避けること
120,121,127
唯一の神
ユダ・イスカリオテ
ユダヤ人
68
138,139
20-30,157-162
三ヨ
良いたより153-156
世の終わり16-33,157-162
預 言 1 5 7 - 1 6 6
これから成就するもの157-166
預言者,本物と偽物を見分ける31-33
在
り臨
16-20
し
霊 1 6 7 - 1 7 0
神の活動力100-105
聖霊→聖霊の項参照。
聖霊を持っている人々を見分ける
103,104
煉 獄 1 4 8
ワ
業,信仰と調和した
171-177
糸且織用言吾索弓I
集会①公開聖書講演会組織が準備した筋書きに沿って伝えられる講演。
②ものみの塔研究統治体が世界同時に教育する画一的な討議集会。
③神権宣教学校NHKのアナンサー養成なみの話し方訓練教室。
④奉仕会家から家へ巧みに本・雑誌などを販売する為の実演。
⑤書籍研究群れ単位(約20人)による最新の本の討議・勉強会。
王国会館上記の①∼④の集会を行う建造物。未信者にも出版物を販売。
組織2,000以上の取り決め(戒律)で管理される機構。
統治体1971年秋以降登場した,ものみの塔協会本部の最高幹部。
一世紀の使徒たちは宣教のために殉教しました。統治体(これまでに22名を投
票によって選出)のメンバーは,禁令下のマラウィーなどで多くのエホバの証人
が殺害されているにもかかわらず,排斥・除名3人,病死7人,殉教0人。
毎週水曜日に12人が集まって世界各地から寄せられる人数増大を検討。統治体
のメンバーは取り決め作りに忙しく,伝道時間は常にO。dwp、64,73.
忠実で思慮深い奴隷ブルックリン本部でも実体不明の14万4,000人の残りの者。
1925年当時9万434人,1988年には,8685人。dwp.81。
主の記念式イエスの死の記念式で,証人にとって唯一の特定の日。
パンとぶどう酒に預かる事ができるのは,「残りの者」だけです。
●ヨハネ6:53,54:「そこでイエスは彼らに言われた,『きわめて真実にあな
た方に言いますが,人の子の肉を食べず,その血を飲まないかぎり,あなた
方は自分のうちに命を持てません。わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者
は永遠の命を持ち,わたしはその人を終りの日に復活させるでしょう」。
<註>パンとぶどう酒に預からないエホバの証人は永遠の命を得ることがで
きないばかりか,終りの日に命への復活もありません。
●コリント第一11:26:「このパンを食べ,この杯を飲むたびに,あなた方は
主の死をふれ告げてゆくのであり,それは彼が到来する時にまで及ぶのです」。
<註>ものみの塔の教理によれば,イエスは1914年に天に到来しています。
ギレアデ学校ニューヨークのブルックリン世界本部にある証人の神学校。
1943年に開校。6ケ月で26単位を集中教育。(一般の大学は一年間で30単位)
支部委員日本の場合,7人で構成されている英語堪能な幹部クラス。
支部委員のトップを調整者と呼ぶ。ブルックリン本部の忠実な中継放送局。
上からの指示を消化するのに忙しく,家から家の伝道はほとんど0時間。
ベテル奉仕者18才∼35才の独身のエリートたち。印刷などの奉仕に従事。
約300名が神奈川県海老名市にある大理石張りの豪著な支部で共同生活。
一方,イエスの生き方は「頭を横たえる所がありません」。ルカ9:58.
−198−
組織用語索引
199
地域監督
約4つの巡回区を旅行しながら,巡回監督を掌握する監視役。
巡回監督
15∼20会衆を旅行しながら,会衆の長老を監視する指導者。
会衆
約70人で,一つの単位となっている地域に根差した集まり。
主宰監督
会衆の長老団のリーダー。
長老
会衆の指導者。通常2人以上の長老(監督)が会衆を支配。
書記
長老団の一人で,ものみの塔協会からの取り決めを伝える窓口。
王国宣教学校
長老たちが効率良く会衆をコントロールするための教育課程。
審理委員会
排斥者を決定する3人の長老からなる裁きの委員会。
排斥
輸血,たばこ,麻薬,同性愛,淫行などを犯した証人を除名。
『衝撃的なことですが,エホバの組織内で目立った立場にいたあ
る人々でさえ,同性愛,夫婦交換,子供に対するわいせつ行為な
どを含む不道徳な習慣に屈してしまいました。昨年は3万6638人
の人がクリスチャン会衆から排斥されなければならなかったこと
も注目に値します』。「ものみの塔」誌1986年1H1H号12-13頁‘
他のキリスト教会の同性愛容認(同性愛を容認する教会はキリス
ト教ではありません)を,ものみの塔協会の出版物は良く取り上
げて非難しますが,批判する資格はありません。cf.マタイ23:3。
断絶
教理の間違いに気付き,自らエホバの証人を辞めることを宣言
奉仕の僕
会衆の次期長老候補者。書籍研究の司会や,公開講演の話しの
し,離脱した人々・審理委員会では扱えません。
特権(エホバの証人の好きな言葉)が割り当てられる事もある。
正規開拓者
月に90時間以上野外伝道に携わる会衆成長の活発な推進者たち。
補助開拓者
月に60時間以上野外伝道に携わる正規開拓者の予備軍。
特別開拓者
全国で約800人が従事。仕事をせずに組織からのわずかな手
当てで宣教の最前線に遣わされる独身の開拓者。月に140時
間以上伝道に携わる。巡回監督の80%が元特別開拓者。
伝道者
月に2回伝道時間を報告する義務を持つ。
野外奉仕
家から家の伝道を中心とする宣教活動。
研究司会者
関心ある未信者を見出だし,育てる個人的な導き手。
パプテスマ
組織に無条件の献身の誓いを果たす伝道者が受ける浸礼の儀式。
出版物
ものみの塔協会の財源の73%は雑誌・本の売り上げによる。
寄付
自発的と宣伝しておきながら,生命保険・遺言の受取人は協会
本部へと平然と勧める。「ものみの塔」誌1986年12H1H号p.300
大会
①地域大会
会夏に,約4日間行われる証人のお祭り。(5,000-10,000人出席)
②巡回大会
会年に2回行われ,バプテスマ式もある巡回区規模のお祭り。
(約1,000人出席)。2回のうち1回は一泊二日。
ものみの塔出片反物参考文南犬
「燗岫0tルに今ヤ脇諦、綱「とこし刎醐」」1975
書籍(日本語版)順不同
「世々に渉る経輪」(「鶏職」第一巻) 1913
「純tO若い靴、そ鮴暇割もりを蝿」1977
「神の立琴」
1925
「聖霊一献&識鮴0繩に細力」1977
「神の救い」
1927
「純tを報にす§良いたより」1977
「創造」
1929
「舷6帥乢筋0世界政府-W旺国」1978
「政府」
1930
「人生には確かに目的がある」1978
「和解」
1930
「純測家族生活を報鯆0にす6」1979
「生命」
1931
「ヤコブの手紙の注解」1979
「預言」
1931
「最善の生き方を選ぶ」1979
「光」第一巻
1933
「幸福−それを見い出す方法」1981
「光」第二巻
1933
「あなたの王国が来ますように」1981
「証明」(「立証」)第一巻
1938
「唯一紅と0細崇拝嘘いて髄椛」1983
「証明」(「立証」)第二巻
1938
「新しい地へ生き残る」1984
「証明」(「立証」)第三巻
1938
「坪M燗Oもとで繩柵世界的な安全」1986
「保護」
1933
「神権宣教学校案内書」1971
「富」
1936
「躯撞く凧好緋6t&0組織」1972
「敵」
1938
「枕し筋0奉仕の務め裸tすt&0鮒」1983
「神を真とすべし」
1952
「聖書から論じる」1985
「新しい天と新しい地」
1953
「鶏鮴鯏0霊感綬1tも0で、雛です」1983
「すべてのことを確かめよ」
1963
「わたしの聖書物語の本」1978
「これは永遠の命を意味する」
1958
「純鮒趾0楽園で永遠に蛸ら鰄す」1982
「宗教臥馳tルに#鍼し跡?」
1955
「生命一Oようにして雛祁よう剛っ跡1985
「御心が地に成るように」
1963
進化かそれとも創造か」
「神が偽ることのできない事柄」 1966
「啓示の書一そり倣鳩調鯏}」1988
「細舳@子と#ってう脳臓0齢」
1967
「鶏一神の言葉,そ帷6燗0謀?」1989
「神の千年王国は近づいた」
1974
「その時,神の秘義は終了する」 1976
「若い人誠碩間-鶏に樋つ甑」1989
小冊子
「エホバの証人と血の問題」1977
「伽鵠力ら0燗0救い鮒い」
1976
F失婆園から復楽園まで」
1960
| 進化と創造-A剛どちら鴫戦す’」
1968
「二十世紀に洲6エホバの証人」1978
「とこしえの命に導く真理」
1969
「学校とエホバの証人」1985
「蕊鮒んとうに神のことliです畑
1969
「神のみ名は永久に存続する」1984
1972
「見よ!城し財べて@も0"L<*6」1986
「真岬祉避一どOよう蜆い熾肋」
1986
「剛巾で一凱榊Oご意志をけうエホ0証A」1986
「今ある命がすべてですか」
1975
「偉大な教え手に聞き従う」
ブロッシュアー(雑誌サイズの冊子)
「純鮒三位一体を儲6くきです力」1989
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聖書に基づいて彼らと論じる(略称:rj)
著作権:1989年10月28日
◎版権所有:岩村義雄
発行者:真理のみことば伝道協会
〒352新座郵便局私書箱26号
初版:1989年11月28日
3,000部
ISBN4-9900289-2-9COO16