学びいっぱい 笑顔いっぱい 元気いっぱい 「長者館(ちょうじゃたて)と宿(しゅく)」 ~伝説・金売(かねう)り吉次(きちじ)ものがたり ~ 石巻市立須江小学校 校長 手代木 吉之 「暑さ寒さも彼岸まで」 とはよく言ったもので、 ここ数日ようやく落ち着いた秋の清清しい季節となりました。 きんもくせいの甘い香りが秋の訪れを感じさせるともに、 「実りの秋」本番を迎え学校では子どもたちが学習 に運動に一番力を発揮する季節となりました。 9月は行事のたびに「雨」が続き、6年生の修学旅行は全行程雨となり、1年生から4年生の遠足は雨に加え て津波注意報が発令されたため延期となりました。9月は雨に泣かされた月となりましたが、大崎地方では渋井 川の堤防決壊という想定外の事態が起き、改めて自然の怖さを思い知らされたとともに、非常時に備える大切さ を教えられた思いでおりました。 さて、来週29日(火)には「ようこそ須江小へ(石巻支援学校との交流) 」が行われます。この活動は昭和 58年から継続して行われている本校でもっとも大切にしている行事の1つです。 この行事のねらいは発足当時 から、交流を通して互いにそれぞれの立場を理解し合って支え合う社会の大切さを実感することにあります。来 週も支援学校の小学部の36名が来校する予定になっていますが、短い時間でも深い友情が芽生えるような、本 当に価値ある活動が継続していると実感しているところです。 さて、本日の朝会では、 『義経記(ぎけいき) 』を題材に須江地区にまつわる伝説について話してみました。 『義経記』といえば義経と弁慶の物語はあまりにも有名です。義経は歴史上悲劇のヒーローとして今も多くの 日本人の心をつかんで離しません。 「判官贔屓」という言葉も、日本人が力の弱いものを応援したい、というこ とから起こったようです。 この義経ですが、兄頼朝から追われる前に、まだ京の五条で弁慶とも会う前に奥州平泉に藤原秀衡を訪ねてい ます。この時、義経を平泉に案内したのが「金売り吉次」と呼ばれる商人です。当時、奥州では砂金が多く産出 され、お金の代わりに中国との貿易に使われていたのでした。吉次は奥州と京を行き来し、広く商売をしていた 男とされています。 この吉次が実は現在の代官山に住んでいて、代官山の頂上の広い平らなところ「長者平」に住んでいた屋敷跡 があると言われています。 長者平のふもとにある山根地区に今も「宿」という地名があるのは、その頃の宿場で、金売り商人や旅人たち の泊まる宿屋があったためとも言われています。なお、東松島市の五味倉にも吉次が月見をしたといわれる、お よそ千年前に植えられた「月観の松」があります。 さてこの伝説、果たして事実かどうかは定かではありませんが、その昔、奥州で金が採掘されていたことは間 違いではありません。そして須江に「オニゴシ」 「オニガサワ」 「カジタ」など鬼や鍛冶、梶の漢字が当てられた 地名があります。この「オニ」こそ金の採掘に関わって発生したものと言われています。 さて、現在の須江小のある住所の「代官山」ですが、伊達正宗が金発掘に際し、代官を派遣したために付けら れた、と言われているのです。 子どもたちには悠久の古に思いを馳せながら、自分たちの「ふるさと」が歴史の舞台の1つとして語り伝えら れている、ということを理解してもらいたいと思い9月の朝会のテーマとして扱ってみました。 【参考文献:わたしたちの河南町 河南町教育委員会】 【参考文献:河南町史】
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