脂肪組織のメチオニン代謝による組織修復の遠隔制御

脂肪組織のメチオニン代謝による組織修復の遠隔制御
~体内環境が治癒力に与える影響~
1.発表者:
樫尾宗志朗(東京大学大学院薬学系研究科 薬科学専攻 博士1年)
小幡史明(研究当時:東京大学大学院薬学系研究科 薬科学専攻 特任助教)
(現:英国 The Francis Crick Institute 研究員)
三浦正幸(東京大学大学院薬学系研究科 薬科学専攻 教授)
2.発表のポイント:
◆ショウジョウバエ幼虫の上皮組織(成虫原基、注1)をモデルとして、組織修復の遠
隔制御を担う遺伝子を明らかにする実験系を構築した(図1)。
◆ 成虫原基への局所的な傷害に対して、傷害部位と離れた器官である脂肪組織(脂肪
体、注 2)が応答し、メチオニン代謝経路が変化することを発見した。
◆ 人為的に脂肪体内のメチオニン代謝経路を操作させることによって、成虫原基の修
復が遠隔的に阻害されることを明らかにした(図2)。
3.発表概要:
組織修復は生体が損傷した際の重要な防御応答の一つであり、個体の生存に不可欠な
メカニズムです。多細胞生物の健常性は多くの臓器の連関(組織間相互作用、やり取り)
によって維持されていますが、組織修復の過程においても他の組織からのサポートが重
要である可能性が示唆されてきました。しかしながら、組織修復を支える体内環境因子
の分子実体や、その普遍性についての理解は依然として立ち遅れています。
東京大学大学院薬学系研究科の樫尾宗志朗大学院生、小幡史明特任助教(研究当時、
現:英国 The Francis Crick Institute 研究員)、三浦正幸教授らの研究グループはショウジ
ョウバエ幼虫の上皮組織(成虫原基)を用いて、損傷した組織の修復を遠く離れた組織
が制御する仕組みを明らかにする実験系を構築しました。この実験系を用いて、脂肪体
におけるメチオニン(アミノ酸の一種)の代謝が成虫原基の修復に重要であることを発
見しました。
本研究グループは代謝産物の分析により、成虫原基が傷害を受けると、脂肪体内のメ
チオニン代謝が変化することを発見しました。さらに脂肪体のメチオニン代謝経路を人
為的に変化させると、成虫原基の組織修復が阻害されることを示しました。メチオニン
代謝経路はショウジョウバエとヒトで共通していることから、本研究成果によって明ら
かになった遠隔組織による組織修復制御機構の健康増進・医療への応用が期待されます。
4.発表内容:
①
研究背景
損傷した組織の修復は生体の恒常性維持に重要であり、このメカニズムが破綻すると
予後の悪化、ひいては個体の死を招きます。近年の分子生物学の発展によって傷害を受
けた組織がどのように修復されていくのか、その分子機構が明らかになってきました。
しかしながら、これまでの研究では、傷害を受けた組織そのものに着目したものがほと
んどで、修復中の組織に対して周囲の組織がどのように働きかけをして、その修復をサ
ポートしているかはあまり研究されてきませんでした。組織修復に寄与する組織非自律
的な応答を解明するためには、
「どの組織で」
「どのような因子が」
「どのように働くか」
を明らかにする必要がありますが、複数の組織で独立して遺伝子の機能解析をおこなう
実験自体が技術的に難しいことが、研究を進めづらい一因として挙げられます。
ショウジョウバエ幼虫には成虫原基と呼ばれる、成虫の器官の元となる上皮組織が存
在しており、成虫原基は古くから再生能力を持つことが知られていました。ショウジョ
ウバエは局所的かつ一過的な遺伝子操作を簡便に行える優れた実験系が発達していま
す。さらに近年、個体内において、複数の組織で同時にかつ独立して遺伝子操作をおこ
なう技術が発達してきました。そこで本研究グループは、成虫原基への一過的な組織傷
害の誘導をおこないつつ、そこからの修復過程をサポートする遺伝子を「離れた組織」
で解析する実験系を構築しました。
アミノ酸の一種であるメチオニンは、それ自体でタンパク質を構成するのみならず、
S アデノシルメチオニン(SAM、注3)をはじめとした重要な代謝産物の原料となる必
須アミノ酸です。本研究グループは以前の研究
(http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_260418_j.html)で、脂肪体のメチオニン代謝が、
上皮組織の壊死に応答して変化することを見出していました。このことから、脂肪体に
おけるメチオニン代謝が、離れた組織のダメージに応答して、その回復をサポートする
可能性が考えられました。
②
研究内容
本研究グループは、一過的な組織傷害とその後の組織修復を誘導できる実験系を構築
するために、温度感受性ジフテリア毒素(DtAts)に着目しました。温度変化によって
細胞死を誘導できる DtAts をショウジョウバエ翅成虫原基で特異的に発現させたところ、
温度変化によって組織傷害を一過的に誘導できる実験系が構築できました。この DtAts
による組織傷害と並行して遺伝子操作を離れた組織で行うことで、どの組織のどの遺伝
子が修復に重要であるかが調べられます(図1)
。
次に本研究グループは、成虫原基における傷害後にメチオニン代謝経路内の代謝産物
量を測定しました。その結果、上皮組織の壊死への応答と同様に本実験系でも、脂肪体
で活発に起こっているメチオニン代謝経路が変化し、特にメチオニン量や SAM 量が減
少していることが分かりました。
そこで、脂肪体でメチオニン代謝を操作し、組織修復に与える影響を調べました。
SAM を消費してその量を調節する代謝酵素 Gnmt(注 4)やメチオニンから SAM を合
成する酵素 Sams(SAM 合成酵素)を脂肪体特異的に操作したところ、成虫原基の組織
修復が不完全になることを発見しました。これらのことより、脂肪体におけるメチオニ
ン代謝の適切な調節が成虫原基における組織修復に必須であることが示されました(図
2)
。
③ 今後の展望
本研究から、特定の組織の修復過程が、どのような体内環境に影響されるのか、その
分子機構の一端が明らかにされました。今後の課題として、脂肪体が組織損傷をどう感
知して、どのようにメチオニン代謝を変化させるのか、何が脂肪体から出て離れた組織
の修復をサポートするのか、など、傷害組織と脂肪体のコミュニケーションを介在する
因子を明らかにする必要があります。
まずはこの知見がヒトに当てはまるかを詳細に検討する必要がありますが、メチオニ
ン代謝経路の酵素がヒトとショウジョウバエに共通することから、似たような現象があ
る可能性が考えられます。またメチオニン代謝の変化は、糖尿病や慢性肝炎をはじめと
したいくつかの疾患時に見られており、適切なメチオニン代謝経路の調節が乱された状
況下での、離れた組織での組織修復機能に異常がないかを詳しく調べる必要があります。
ヒトやマウスの肝臓は、その7割近くを切除しても再生することが知られていますが、
興味深いことに、Gnmt や Sams(マウス MAT1A)の機能が低下したマウスにおいて、
肝臓の再生が阻害されることが報告されています。本研究成果を応用した、新たな薬剤
や健康法の開発が期待されます。例えば、肝臓や脂肪組織のメチオニン代謝を調節する
ことによって、他の組織の損傷からの回復や術後の予後を改善できる可能性が考えられ
ます。
本研究は、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(S)
「発生頑強性を規定する細胞死
シグナルの解明」
(研究代表者:三浦 正幸)、挑戦的萌芽研究「メチオニンによる腸幹
細胞の増殖制御機構の解明」
(研究代表者:小幡 史明)と、国立研究開発法人日本医
療研究開発機構革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST)の研究開発領域「生体
恒常性維持・変容・破綻機構のネットワーク的理解に基づく最適医療実現のための技術
創出」(研究開発総括:永井 良三)における研究課題「個体における組織細胞定足数
制御による恒常性維持機構の解明」
(研究代表者:三浦 正幸)の一環で行われました。
なお、本研究開発領域は、本年度4月の日本医療研究開発機構の発足に伴い、国立研究
開発法人科学技術振興機構より移管されています。
5.発表雑誌:
雑誌名:「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America」
出版・発行: 2016 年 2 月 1 日(米国東部時間 午後 3 時)
論文タイトル:Tissue non-autonomous effects of fat body methionine metabolism on
imaginal disc repair in Drosophila.
著者: Kashio, S., Obata, F. *, Zhang, L., Katsuyama, T., Chihara, T., and Miura, M.*
(*:責任著者)
6.問い合わせ先:
<研究に関するお問い合わせ>
東京大学大学院薬学系研究科 薬科学専攻 遺伝学教室
教授 三浦 正幸(みうら まさゆき)
電話番号:03-5841-4860
FAX: 03-5841-4867
E-mail: [email protected]
<事業に関するお問い合わせ>
国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)
戦略推進部 研究企画課
TEL:03-6870-2224
FAX:03-6870-2243
E-mail:[email protected]
国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)
戦略研究推進部 ライフイノベーショングループ
川口 哲(かわぐち てつ)
電話番号:03-3512-3524 FAX:03-3222-2064
E-mail:[email protected]
<報道に関するお問い合わせ>
東京大学大学院薬学系研究科 庶務チーム
電話番号:03-5841-4719
E-mail:[email protected]
国立研究開発法人科学技術振興機構(JST) 広報課
電話番号:03-5214-8404 FAX:03-5214-8432
E-mail:[email protected]
7.用語解説:
(注 1)成虫原基:完全変態を行う幼虫に存在する組織。変態を経て成虫の器官に変化
する。原基本体を作る一層の上皮組織と扁平上皮の囲芽膜からなる袋状の組織であり、
再生能力を持つことが知られている。成虫のどの器官に分化するかは予め決定されてい
る。
(注 2)脂肪体:脊椎動物の肝臓と白色脂肪組織と同様の機能を持つ昆虫の器官。アミ
ノ酸や脂質、糖質の代謝に関与する組織であり、細菌感染に対する防御機構にも関わっ
ている。
(注 3)SAM:S アデノシルメチオニン。必須アミノ酸であるメチオニンの代謝によっ
て合成されて、ポリアミンやシステインの原料となる。活性型メチオニンとも呼ばれ、
DNA や RNA などの核酸や脂質、種々のタンパク質のメチル化修飾に必要。
(注 4)Gnmt:グリシン N メチルトランスフェラーゼ。肝臓に豊富に存在する酵素。
アミノ酸であるグリシンにメチル基を付与してサルコシンを合成する反応を担う。この
過程で SAM を消費するため、余分な SAM を消費してその量を制御する因子として機
能する。ショウジョウバエ、マウス、ヒトには存在するが、線虫には存在しない。
8.添付資料:
図 1 組織修復を遠隔的に支える遺伝子を明らかにするための実験系の構築
温度感受性ジフテリア毒素(DtAts)は低温下(18℃)で活性化し、高温下(29℃)
で不活性化される。DtAts をショウジョウバエ幼虫の上皮組織(翅成虫原基)で発現さ
せ、温度変化を利用することで、一過的な組織傷害とその後の組織修復が観察される。
組織修復が完了したかどうかは、成虫の翅が正常にできたかどうかで確認できる。これ
と並行して、損傷組織とは違う組織で遺伝学的操作を行い、どの組織のどの遺伝子が翅
成虫原基の修復に寄与しているかを調べることが可能である。
メチオニン代謝への
遠隔的な作用
非自律的な
組織修復への寄与
メチオニン
代謝
脂肪体
傷害組織
ショウジョウバエ幼虫
組織修復
脂肪体特異的な
メチオニン代謝の阻害
メチオニン
代謝
修復阻害
図 2 脂肪組織におけるメチオニン代謝の上皮組織修復への遠隔的な制御
上皮組織(翅成虫原基)への局所的な傷害に応答して、脂肪組織(脂肪体)のメチオ
ニン代謝が変化する。さらに脂肪体のメチオニン代謝を遺伝学的に阻害すると、翅成虫
原基の修復が不完全になる。このことから、脂肪体のメチオニン代謝が遠隔的に組織修
復に影響を与えることがわかる。