視 座 新型インフルエンザ等対策特別措置法について 宮城県医師会理事 米 谷 則 美 平成 21 年3月 18 日,メキシコでの5歳の男子の感染を端緒としたパンデミックウイルス H1N1 のアウ トブレイクは,6月 11 日 WHO によるフェーズ6宣言が発出されるに至って世界中を震撼させた。我が 国においても同年5月 19 日,神戸の症例を初発として感染は全国に広がり,7月 24 日までに 4,986 名の 感染者を記録した。幸い死亡率が 0.001 %以下と,季節性インフルエンザ(約 0.1 %)と比べて低かった こともあり大災禍には至らなかった。しかしながら今回の新型インフルエンザに対しては,官民ともに 準備不足であったことは否めず,ワクチンの供給や,抗インフルエンザ薬の備蓄・配備等をめぐって医 療現場が混乱したことは記憶に新しい。この経験を踏まえて平成 23 年9月 20 日,政府は「新型インフル エンザ対策行動計画」を改定した。しかし,今後発生が予想される新型インフルエンザが国民の生活と 経済に与える影響の大きさに鑑み,各種対策の法的根拠を明確化する必要性が提唱された。これを受け て政府行動計画の実効性をさらに高めるべく,今般「新型インフルエンザ等特別措置法」 (以下本特措法) が制定され,平成 25 年6月に施行された。本稿では本特措法に関する幾つかの項目について概説する。 インフルエンザウイルスの場合,その特性上侵入の完全阻止を目標とすることは現実的ではない。本 特措法においても,基本的な考え方は新型インフルエンザの侵入阻止ではなく,侵入をできるだけ遅ら せ,流行のピークを下げて流行規模の平坦化を図り,医療への負荷を減じることにある。行政による住 民行動の制限については,「外出自粛要請」,「興行・催物等の制限の要請」等の措置を想定しているが, 医療が関与する主な項目は抗インフルエンザ薬の備蓄と,ワクチンの早期開発・生産・接種による予防 接種体制の構築である。 まず抗インフルエンザ薬の備蓄であるが,これについては平成 25 年6月に閣議決定された「新型イン フルエンザ等対策“政府”行動計画」によって,国民の 45 %に相当する量を目標とした抗インフルエン ザ薬の備蓄がなされている。現時点で,流通備蓄分の 400 万人分を除いて 5,700 万人分の薬剤が,国と都 道府県によって均等に備蓄されている。備蓄薬剤の内訳は「タミフル」が8割,「リレンザ」が2割であ る。平成 18 年度に備蓄が開始された「タミフル」の使用期限については,過去3回にわたって3年から 5年,7年,10年と延長され,また「リレンザ」については,5年から7年,そして 10年へと使用期限の 延長がなされてきたが,平成 28 年度からはいずれも順次その使用期限が切れる。これを契機に,今後の 備蓄のあり方が見直され始めている。具体的には,今まで備蓄の対象にされていなかった「イナビル」 と「ラピアクタ」についても,市場流通量等を参考にして備蓄することが決まった。また,吸湿性のた 宮医報 841,2016 Feb. め長期の備蓄には不向きとされていた「タミフルドライシロップ」 についても,吸湿性が改善されたとの報告があり,備蓄の方向で検 討されている。また,中国で発生し「タミフル」,「リレンザ」の効 果が低い H7N9 に関しては「アビガン錠」が有効とされているが, 動物実験で催奇形性が確認されていることから,現在さらに検討中 である。平成 27 年 11 月に検討された「備蓄目標量の新案」によれば, 目標量を国民の 45 %相当とすることには変化はないが,抗インフル エンザ薬の市場流通量が増大していることを考慮して,流通備蓄分 を 1,000 万人分,行政備蓄分を 4,650 万人とすることとなった。 次に新型インフルエンザ発生時のワクチン接種についてであるが, 可及的速やかに国民全員分のワクチンを確保するため生産体制を強 化すべく,新たに「武田薬品」,「化血研」,「北里・第一三共」の3 社に細胞培養法によるワクチンの生産が承認された。本特措法における予防接種体制は「特定接種」と 「住民接種」の2つに大別されている。特定接種とは新型インフルエンザ発生時に,「医療従事者」,「国 民生活・経済の安定に寄与する事業者で厚生労働省の登録を受けているものの従業員」,そして「対策 の実施に関わる公務員」に対して行われるプレパンデミックワクチン(プレパンデミックワクチンが有 効でない場合にはパンデミックワクチン)の接種のことである。接種は原則的に1回あたりプレパンデ ミックワクチン 0.5ml の筋注の形で行われる。接種順位は,①医療従事者,②インフルエンザ対策実施 公務員,③国民生活・経済安定分野の事業者の順である。プレパンデミックワクチンは現在のところ H5N1 の流行を想定して従来通りの鶏卵培養法で製造・備蓄されているが,中国で発生している H7N9 に 対するプレパンデミックワクチンも開発中である。次に住民接種であるが,その実施主体は市町村であ り,パンデミックワクチンの 0.5ml ないし 1ml(製造販売業者により異なる)の,原則筋注によって提供 される。接種順位については,住民を①医学的ハイリスク者(基礎疾患を有する者,妊婦),②小児 (1歳未満にあっては保護者,身体的理由により接種が受けられない小児の保護者を含む),③成人・若 年者,④ 65 歳以上の高齢者の4群に分類し,基本的対処方針諮問委員会に諮った上で,政府対策本部で 決定される。接種体制については,パンデミックワクチンの多くがマルチバイアルによって供給される ため,原則として 100 人以上を単位とした集団接種によって行われる。接種会場には,小中学校・保健 所・保健センター・体育館などの公共施設を活用し,およそ人口1万人に1箇所程度を確保することと なった。パンデミックワクチンは前述の如く細胞培養法によって製造されるが,製造販売業者によりワ クチン形態,アジュバントの有無,成分,接種量,接種方法が異なるため,原則として同一ワクチンを 使用し,3週間の期間をあけて2回接種することとなった。なお,新型インフルエンザ発生からワクチ ン接種開始までに要する期間は概ね6か月を目指している。新型インフルエンザワクチンの流通計画に ついてであるが,平成 21 年の H1N1 パンデミックワクチンの際には,各医療機関別の納入量の調整を地 域のワクチン接種事情に必ずしも明るくない都道府県に委ねたため,結果としてワクチンの偏在を惹起 し,いわゆる「消えたワクチン」問題が発生した。この反省から本特措法では,都道府県の卸組合が管 内の卸売業者間の数量調整役を担う形でワクチンの納入・販売をコントロールすることになった。 我が国の新型インフルエンザ対策は,本特措法によりその具体性・実効性が増したことは間違いない。 しかしながら,ひとたび発生すれば殺到するであろう多数の接種希望者に対応する充分な医師数の確保 や,筋注ワクチンであるが故の接種時の疼痛等への対策,行政と医療の連携を図る懇談や実働シミュレ ーションの不足等,未だ問題は山積している。いつかは必ず到来する新型インフルエンザである。いた ずらに恐れることなく粛々と準備を進めていかなければならない。
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