石山脩平のコア・カリキ ュラムへの志向

第4章
経験主義国語教育の摂取(3)−石山脩平のコア・カリキ
ュラムへの志向―
第4章では、経験主義教育観摂取の一実態を石山脩平の教育理念とともに考察していき
たい。①石山のカリキュラム論の特質を明らかにし、②石山の経験主義教育観における独
自性と問題点を国語教育の立場から改めて検証していく。
石山脩平は戦後教育改革期において「新教育指針」作成、社会科創設に尽力し、梅根悟、
倉澤剛、重松鷹泰らとともにその後のカリキュラム改造運動をリードした人物である。1948
(昭和 23)年 10 月、石山はコア・カリキュラム連盟の初代委員長に就任、雑誌『カリキ
ュラム』創刊号(1949(昭和 24)年 1 月)の巻頭論文「コア・カリキュラムへの必然性」
において「アメリカにおけるとは異なった用法において、われわれが目ざす生活カリキュ
ラム、又は経験カリキュラムと名づける慣習が日本の教育界に出来つつある」と述べ、ア
メリカの経験主義教育と一線を画す立場を提示している。CIE との折衝によって経験主義
教育観を摂取した石山が、アメリカとは「異なった用法」においてコア・カリキュラムを
必然とする要因はどこにあったのだろうか。本章では以上の課題を手がかりに、後のカリ
キュラム改造運動につながる経験主義教育観摂取の実態をとらえたい。
第1節
石山脩平の経験主義教育摂取の実態
社会科の創出の過程において日本側の強い反対論があったことは先行研究 1 で明らかに
されている。先に述べたように、社会科の創出は日本側によって編集されていた「公民教
師用書」を基にCIE主導で進められていくが、総合性・広域性を内包する公民科に加えて歴
史、地理を統合することに日本側が憂慮を示したのである。
日本側は教科課程に関する定例会議(1946(昭和 21)年 8 月 19 日)で折衷的な分科案
を提出した 2 後も、繰り返し反対論を提出している。そこで最も問題となったのは社会的
行動と系統的知識との統合であった。特に初等段階後期から中等段階において独立型の歴
史・地理を存続すべきとする意向は根強かったが、CIE側は社会科目の統合の可能性を研究
し、それまでの教材が「抜け落ちないよう」 3 という留意点を示し社会科の導入を決定し
ていく。
以上の経緯の中で、石山は積極的に社会科の創出に尽力している。分科案が出された同
年 8 月 19 日には、青木誠四郎とともにカリキュラムに関する基礎調査の経過を次のように
報告している。
1
Mr. Ishiyama reported that they were making a study of researches on interests
and
social activities of Japanese children and were planning to build the
course-of-study on various subjects on this base. They will develop a chart of
the major interests and social activities of Japanese children at various age
63
levels, ….
(邦訳は引用者による:石山は日本の子供たちの興味と社会的行動の調査が行われてい
ること、その基底にさまざまな教科をおいたコース・オブ・スタディが試みられている
ことを報告した。それらは各年齢・発達段階における日本の子供たちの主要な興味と社
会的行動のチャートに発展していくだろう。)
ここで石山が担当した調査は社会科のチャートに発展していくものであり、「その基底に
さまざまな教科をおいたコース・オブ・スタディが試みられている」という記述から社会
科が他教科の領域内容をも内包するものとして具体化されていることがみてとれる。石山
はこの後も社会科を推進する方向で CIE との折衝にあたっていく。この姿勢は社会科反対
論を繰り返した文部省の日高第四郎、有光次郎、野村武衛らとは著しい対照を成すもので
あり、ここに石山の経験主義教育観の積極的な摂取とともに石山自身の教育観の展開をみ
るべきであろう。
第1章で触れたように、磯田一雄は、石山が作成の中心となった「新教育指針」に生活
教育の拡大化を指摘している。磯田は「第一次アメリカ教育使節団報告書」は公民教育に
限りカリキュラムの生活化を認め、他領域については直接教授を否定していないことを指
摘した上で、「新教育指針」が学校内のすべての生活に生活化の範囲を拡大している点に注
目する。そしてその点に石山の「国民学校の教育課程理念を通じて伝えられた生活教育思
想」4の表出を指摘している。
「第一次アメリカ教育使節団報告書」において示唆された公民教育の範囲を拡大し、他
の社会科目との統合を図りつつ社会科を創出していくという CIE 側の方針は、石山の従前
の教育観とまさに符合するものであった。というよりも生活化の拡大こそが石山の目指し
た新しい教育の方向性であった。1947(昭和 22)年7月 18 日、ヘファナンは石山の「統
合された生活中心のカリキュラム」への関心を時期尚早と制したとし、次のように報告し
ている。
石山氏は、小学校においてさらに関心を呼ぶカリキュラムを開発するという彼の興味に
ついて話した。本官は、文部省で開発してきたプログラムは、統合された生活中心のカリ
キュラムに向かって第一段階を講じたことを述べ、しかし、進歩は、教師の準備の段階と
本や資料の欠乏を考慮に入れながら、ゆっくりとなされるべきであることを勧告した5。
第2節
1
石山脩平のカリキュラム論
中心課程(コア学習)の尊重
ヘファナンのC.R.にあるように、石山は「統合された生活中心のカリキュラム」を志向
した。それは文部省の教科課程(カリキュラム)を改造するという方向であり、文部省の
社会科よりも「一そう広い内容を有する統合的中核」として「必要な経験要素を多方面か
64
ら吸収し統合」6した中心課程(コア学習)が成立することになる。
中心課程(コア学習)の領域について、石山は「児童生徒を生活の場に立たせ、社会の
要求とかれらの興味及び能力との交錯するところに生活課題を把握させ、これが解決のた
めの諸活動を機能的に総合させる」 7 と定義する。ここで生活課題設定の条件として「社
会の要求」「子どもの興味」に加えて「能力」が挙げられていることに注目したい。石山の
中心課程の構想にはヴァージニア・プランを構成する原理である「社会機能」と「興味の
中心」とともに「能力」が示される。この「能力」とは後に述べるように教科の能力であ
り、石山は中心課程において教科と経験との統合を果たそうとするカリフォルニア・プラ
ンとの止揚も志向している。
中心課程で展開される学習を単元学習とよぶ石山は、その内実を次のように述べている。
単元学習は、自分で、自分たちで、まとまった仕事をやりとげることである。ひとに引
っ張られてついていったり、何もかも与えられ教えられて、ただ受けいれるということで
なく、自分自身のうちに源泉をもつところの自分の問題と取りくみ、自分の目的を自覚し、
自分の責任を果たし、自力で生活を切りひらきつくりあげていくための修練である。8
1949(昭和 24)年前後から指摘された学力問題に対しても、1951(昭和 26)年の日米講和
条約締結後の単元学習への批判に対しても、単元学習こそが「独立日本にとってますます
必要である」とする石山の姿勢は一貫している。その基盤には、新しい人間と社会の創造
を教育によって遂行しようとする展望がある。
・個性は決して閉ざされたモナド(窓なき単子)ではない。それはむしろ開かれた統一体
であり、他の個性と相触れ相結んで共同の課題を負いながら、しかも自覚をもつて自立的
に自己の本領を分担し、自己の諸活動・諸経験を統一総合するものである。他方において
は社会は個人を単位とする統一総合体であるが、それは決して個性の厭迫によつて保たれ
るファッショ的結束があつてならない。むしろ成員各個の自由意志に基づく協同によつて、
内からの責任感と奉仕観念とによつて、はじめて強固な永続的な社会となり得るのである。
9
「主体性、総合性、目的性をそなえた生活経験を能動的に展開する学習活動」 10 こそが、
一個の人間と、個人の統一総合体としての社会との関係性を体得し得る。石山の教育観の
基盤にはこのような社会観、人間観がある。以上の点は中心課程において「自然的並びに
社会的環境と取り組んで、環境によりよく適応しながら、環境を歩一歩改善していく経験」
11
2
を再構成することと言い換えられ、経験主義教育観の反映が色濃くみてとれよう。
「生活経験の要素」としての言語能力
65
中心課程で展開される単元学習は、新しい人間と社会の創造に資する。石山のカリキュ
ラム論の根底には、戦前教育への厳しい批判がある。その批判は「学校的実力」を越える
「真の実力」の育成へと石山を向かわせている。
・ 人々はしばしば新しい教育のやりかたが、児童生徒の実力を低下させるといつて、心
配したり非難したりする。しかし実力とは何であろうか。それが単に学校生活をうま
く切り抜けるためにのみ価値あるもの、実社会では用のないものであったとしたら、
そんな学校的実力はかえって社会的無力を意味するのではないか。(略)それら(引
用者注:学校的実力)の場合に有用であった実力のうち、果たしてどれだけが、現在
の実生活に役立っているであろうか。いわゆるインテリの無力さとして痛感せられる
だけでなく、ファッショの嵐にまきこまれて自主性を失い、社会を現在のような惨め
なものにしてしまつた罪として痛感せられるではないか。12
「真の実力」をどのように育成するか。そのためのカリキュラム構成の手順として、石
山は2つの方向性を提示する。一つは最小限度の本質的経験(ミニマム・エッセンシャル
ズ)の確立、もう一つは生活カリキュラムに教科の単元要素を構成するという方法である。
前者の本質的経験は、活動分析、経験分析による科学的方法によって抽出される。児童
生徒に習得させるべき経験を「歴史哲学・社会哲学・文化哲学などによる人生の目標の把
握」13から抽出する方法であり、この前提に、能力と経験との関係性の把握がある。それ
は、能力とは「環境から抽出された主体のはたらき」14であり、主体が環境へと働きかけ
るところに始めて真の実力となるという関係性である。その把握は、能力は中心課程にお
いて「生活経験として作用する場」を考え、「経験の素材と結びついて『経験要素』(element
of experience)として把握された方が効果的である」15という考え方に到達する。
後者の方法もその問題意識は同様である。「経験要素」とは従前の教科カリキュラムか
ら抽出される要素であり、その「経験要素」が生活課題と結びついて「環境から抽出され
た主体のはたらき」すなわち「真の実力」となることが重視される。これは海後勝雄が「コ
アを予想した言語活動の様態がある」16と指摘した領域であり、問題となっているのは中
心課程(コア学習)において展開される言語能力の内実である。コア・カリキュラムにお
いて国語科は周辺領域にのみ位置づけられるのではなく、中心課程(コア学習)における
言語能力の如何が論議されていた。なかでも石山はそれが「生活経験の要素」となること
17
を強調したのである。
言語能力と「生活経験の要素」について、石山は次のように説明している。
たとえば言語能力は、話す・聞く・読む・書く・作るという能力に分析されるが、「話
す能力」というだけでは抽象的である。「家と学校で父母や教師に挨拶ができる」、「大ぜ
いの学級児童の前で意見が発表できる」、「討議会で議長となり司会をすることができる」、
66
「都内に電話をかけることができる」というような形になると、それは生活の場に具体化
され、相手の人間とか電話器とかの経験素材と結びついて、生活経験の要素となる。実際
の生活経験はさらに複雑な総合された活動のまとまりで、たとえば父母に挨拶することは、
家庭生活という大きな生活経験の要素であり、都内に電話をかけるという活動は、何かも
つと大きな社交生活、経済生活などの生活経験の一要素である。あたかも物体という総合
体を、分子に分けるか電子に分けるかの程度があるように、生活経験の要素分析にも、よ
り大きい要素から、より小さな要素に至る程度の差はあるが、しかし比較的小さな単位で
しかもあまりに抽象的な形でなく、生活経験の要素とみられ得る程度にまで分析したもの
が、カリキュラムの要素として適当だと思う。(中略)要素表はかくのごとく教育目標の
細案であると同時に、また教育内容の細案でもある。それは児童生徒に経験させようとす
る生活経験の要素であつて、とりも直さず教育内容の精細な内訳だからである。18
石山が単なる言語能力ではなく、場や経験素材と結びついた「生活経験の要素」として能
力を抽出し、教育内容に意義づけたことは高く評価されるべきものであろう。
実際、石山が指導した神奈川県福沢小学校においては「各科要素表」という名称で単元
要素カリキュラムを具現化している。石山は、教科カリキュラムにおける「経験要素」を
生活カリキュラムに過不足なく配置することでアメリカにおけるとは異なった方法 19 に
よって学力保障の実現を目指そうとした。教科を「教育内容の筋(トランド)」として認め
つつも、それをそのままの体系と形態において学習させるのではなく、中心課程(コア学
習)において生活課題との結びつきを最優先した点にその主眼がある。
3「総合的能力」の内実
育成すべき「真の実力」について、石山は総合をキーワードに次のようにも説明を加え
ている。
新教育の目標が平和的・文化的・民主的社会における実践的人間の形成に存すること、
そしてこの意味の理想的人間像が社会と個人との対極を止揚する「社会人間主義」にある
ことは、すでに述べたところである。ただこうした人間像が、近代社会生活の重要課題を、
もとより児童生徒の立場と程度とにおいて、解決するための総合的能力と、その総合的能
力を構成する要素的諸能力(いわゆる基礎能力)とを併せ有すべきことは、一そう具体的
な目標規定としてここに指摘しておかなくてはならない。20
ここで注目したいのは、石山が、中心課程(コア学習)において育成すべき能力を「解決
するための総合的能力」と「総合的能力を構成する要素的諸能力(いわゆる基礎能力)」と
に区別した上で、具体的な目標規定として両者を「併せ有すべきこと」をおいていること
である。ここから「生活経験の要素」すなわち「要素的諸能力」では構成し得ない総合的
67
能力の存在に石山は注目していたと推察されよう。要素的な諸能力としての基礎的な学力
が生活課題と結びついていく過程においては、従前の国語カリキュラムの範疇を越える新
たな能力が必要となる。つまり石山は「要素的諸能力」を総合するところに生じる新たな
「解決するための総合的能力」を取り上げている。
石山の中心課程の尊重は、志向する人間観、社会観を基盤とした新しい学力の提示であ
り、新しい教育内容の提示であった。新しい人間と社会の創出には新しい学力としての総
合的な能力が肝要である。そのために石山は生活課題への能動的な活動と教科における基
礎能力とを止揚統一することを志向し、そこで生じる新しい学力を総合的能力として提示
した。それでは石山のいう総合的能力とはどのような内実を有していたのであろうか。以
下、石山の弁証法的特質に着目してみたい。
第3節
1
石山脩平の経験主義教育観
―「弁証法的止揚」の内実―
「弁証法的止揚」における言語能力
石山は新教育の方法は弁証法的止揚にあると一貫して主張する。それは文脈において総
合、統合、統一止揚といった術語を駆使して規定されるアウフヘーベン(「弁証法的特質」)
という現象である。弁証法的止揚は、教育の本質、目的、内容、方法における対立原理を
止揚することであり、その対象として石山は、環境と主体、経験(生活)と教科、社会と
個人、自由と統制、児童中心主義と国民錬成主義、自発と注入を示している。
弁証法について石山は「ソクラテスのデイアレクティケー」の態度方法であり「物事を
正しく考え、適切に処理するために、つねに守るべき心構え」であると位置づけ、現在の
新教育にのみ適用するのではなく「過去の教育の未来の教育も、その原理において同じも
ので貫かれながら、その原理の適用される素材において刻々に新しくなつて行く」という
意味で「永遠不変の教育原理」21であると述べている。
この止揚という概念は、当時「文理大的止揚」と揶揄され批判の対象となった概念でも
ある。指摘されたのは実際の止揚段階における非現実性や困難性であるが、最も憂慮され
たのは、社会現実すなわち対象への認識が欠如しているという点22であった。石山の止揚
概念には対象や価値そのものを相対化する視点や認識が欠如していたのであろうか。
結論から述べれば、石山は価値の相対化をこそ止揚概念の大原則としていた。そしてそ
の止揚段階における言語能力の重要性を繰り返し提言している。さらにいえば、言語能力
にこそ弁証法的止揚の可能性を見出している。
戦後の早い時期に発表された論稿「新教育の弁証法的性格」23(1947(昭和 22)年 11
月)において石山は討議法を取り上げ、それを弁証法という視点から次のように説明する。
討議法においても、各自は自己の思うところ欲するところを、率直に明白に表現すると
共に、それが独断偏見に陥らぬために、他人の意見に傾聴し、反対論の立場をも尊重しな
ければならぬ。そして自他の対立の止揚を求めて歩一歩、高い立場に進んで行くのが、討
68
議法の本質である。そのためには、自己と相手との両極弁証法が、つねに自己の内面及び
相手の内面における自問自答の単極弁証法と結合することが必要であつて、教育の本質た
る弁証法的性格は教育方法としての討議法においてそのままに具現する。
ここで石山は討議法の本質を自他の対立の止揚におく。その上で自己と相手との「両極弁
証法」のみならずそれぞれの内面における「自問自答の単極弁証法」を問題にし、次のよ
うに述べている。
人と人という両極があつて対話的に交渉することを私は両極弁証法と名づけておく。こ
の場合に人というのが個人であつても、家とか学校とか社会とか国家とか世界とかの広義
の「社会」であつてもよい。また人のつくり出した作品とか、思想とか制度とか慣習とか
の広義の「文化」であつてもよい。ともかくこれらの人間的なはたらきが、たがいに交渉
し合うことは、教育の本質であつて、そこに両極弁証法が存在する。
しかし人が人と交渉するとき、それぞれの極をなす人の内面において、自己が自己に話
しかけるところの内面的対話がある筈である。反省とか思索とか呼ばれる作用が、これで
ある。それは現実の自己と理想を求める自己とが対立し、現実を理想に照して反省し、現
実をいかにして理想化すべきかを思索するのである。このように、内に自ら省みて自問自
答することを、単極弁証法と私は名づける。文化愛と呼ばれるものは、これである。
ここで石山は「人」という術語を家、学校、社会、国家、世界、作品、思想、制度、慣習
等、広義の「社会」や「文化」といった概念を内包するものとして定義する。そこがやや
わかりにくさにつながってはいるが、ここで石山が述べようとしている討議法の本質は総
合、統合、止揚という本質を焦点化するものである。
まず石山は「単極弁証法」の定義において、両極に位置づけられるそれぞれの概念が、
自身の「内面」において「自己に自己が話しかける」という内面的対話によって自身を相
対化することを期待する。「内に自ら省みて自問自答する」こと、すなわち「反省とか思索
とか呼ばれる作用」は、「現実を理想に照して反省し、現実をいかに理想化すべきかを思索
する」という思考であり、自身の相対化を実現する。
例えば、社会と個人との関係においては、社会における「内面的対話」と個人における
「内面的対話」が相互に関連し合いながら「両極弁証法」において高め合わなければなら
ない。社会という価値においても「現実の自己と理想を求める自己とが対立」し、「現実を
いかにして理想化すべきか」という思索が前提となる。つまり、社会そのものの向上や発
展、問題の解決といった点を見据え、個人は社会に関わらなければならない。
石山の止揚は対立的価値それぞれの相対化を含む概念であり、止揚に働く言語能力も自
他の交渉とともに個々の「内面的対話」を含むものとして意義づけるべきものであろう。
石山の教育目的の弁証法的性格は「矛盾を止揚するところ」にあらわれるものであり、そ
69
ういった対立的価値を相対化する過程において、相互に偏することなく認識し思考する言
語能力が石山にとっての総合的能力の内実であった。
2
石山脩平の経験主義教育観の独自性と問題
以上に検討したように、石山は一貫して中心課程(コア学習)の尊重を提唱、社会と個
人との止揚を志向する。その実現のために近代社会生活の重要課題の解決を教育目標とし
て規定し、教科を超えた単元学習の展開を提唱した。石山が中心課程(コア学習)におい
て育成すべきとした総合的能力は「総合的能力を構成する要素的諸能力(いわゆる基礎能
力)」では構成しきれない能力であり、国語教育の視点から述べれば、「生活経験の要素」
として分析し体系化した国語カリキュラムの範疇を越える、言わば新しい言語能力であっ
た。
終戦直後の教育改革において戦前との連続性を有する生活思想を展開した石山である
が、その基盤には戦前教育への厳しい批判があった。その批判は、社会を相対化する個人
を育て得なかった教育の無力さに焦点化され、新教育は「対立原理の止揚」を可能とする
「真の学力」を育成しなければならないという論として展開される。以上の止揚という概
念は、ギリシャ哲学を基盤にデューイ経験哲学、リットによる個人と社会との弁証法、ブ
ルーバッハ−の対立的立場の総合等を理論的に検証 24 しつつ石山が導き出した教育の目
指すべき実体でもあった。
石山は「真の実力」を「主体と環境との相互機制に成立する経験」、その意味における
「経験の再構成を不断に進めて行く力」25とデューイ経験論の本質をふまえて述べ、討議
法において価値を相対化する過程で相互に偏することなく認識し思考する言語能力を重視
した。それは自他の交渉を再構成し続けることでそれぞれの理想化を志向するという高邁
ともいえる思考態度の育成である。
新しい学力観とカリキュラム観を提唱し、従前の言語能力の範疇を拡大しつつ多角的に
認識し思考する言語能力の育成を教育の根幹においた石山の主張は、経験主義教育の積極
的摂取の一側面として位置づけてよい。しかしその内実については、石山自身十分に具現
化し得たとはいえない。特に実践化の段階に多くの課題を内包していたため、その点がコ
ア・カリキュラム及び戦後経験主義教育への批判ともなっていった。以下、実践の問題に
ついては後述する。
1
片上宗二『日本社会科成立史研究』風間書房 1993(平成 5)年 4 月 P.P.649-651
CIE Records Box.5595 (国立国会図書館憲政資料室所蔵)詳細は第2章の注参照のこと。
3
注2と同じ。
4
磯田一雄「第三章」海後宗臣監修 肥田野直・稲垣忠彦編著『戦後日本の教育改革 第六巻 教育課
程論』P.140 P.146
5
小久保美子『CIEカンファレンス・リポートが語る改革の事実―戦後国語教育の原点―』東洋館出版社
2002(平成 14)年 P.90
6
「コア・カリキュラムへの必然性」『カリキュラム』創刊号 誠文堂新光社 1949(昭和 24)年 1 月 P.3
7
「教育の国家基準とコア・カリキュラム」『カリキュラム』第 4 号 1949(昭和 24)年 4 月 P.6
2
70
8
「単元学習の危機」『教育研究』東京教育大学内初等教育研究会編 1951(昭和 26)年 8 月P.3
石山脩平前掲論文「コア・カリキュラムへの必然性」P.P.2-5
10
石山脩平前掲論文「単元学習の危機」P.4
11
石山脩平前掲論文「コア・カリキュラムへの必然性」P.3
12
石山脩平前掲論文「コア・カリキュラムへの必然性」P.3
13
石山脩平前掲論文「コア・カリキュラムへの必然性」P.4
14
石山脩平『地域社会学校』(引用は、石川松太郎監修『近代日本学校教育論講座⑩「地域社会学校」』
クレス出版 2001(平成 13)年P.149)
15
石山脩平前掲書P.150
16
「コア・カリキュラムと基礎学習の練習」(1949(昭和 24)年 3 月)。以上は当時のコア・カリキュラ
ム推進者にとっても共通の課題であった。1949(昭和 24)年 3 月の雑誌『カリキュラム』誌上の座談会
「コア・カリキュラムと基礎練習の問題」(司会:石山脩平、出席者:海後勝雄、梅根悟、滑川道夫、小
島忠治、金子孫市ら)の中で、海後勝雄は「問題にぶつかったときに展開すべき領域で〔ママ〕ある。こ
ういうふうなコアを予想した言語活動の態様がある」と述べ、石山は「現在の社会の生活を分析して、
将来予想される社会の予想、それから来た教育的の面から見た、いわゆるミニマム・エッセンシャル、
そういう研究がなければいけない」と発言している。
17 石山のカリキュラムの構造論については一貫した論はみられない。中心課程以外を「日常生活課程、
関連課程、技術課程、教養課程」と示したり、「ドリル・コースや情操のコースや体育のコースや、日常
化されたしつけのコースや特別教育活動のコース」と示したりする。連盟案としても種々の案が討議さ
れており、全体として試行錯誤の段階にあったといってよい。
18
石山脩平前掲書P.P.150-152
19
石山が、基礎能力を「生活経験の要素」として分析し体系化すべきとした意図の一つにアメリカのプ
ラグマティズムとエッセンシャリストの止揚総合があった。「アメリカにおける進歩派と本質派との対
立に相当する対立がわが国にも見られる。(引用者略)しかしわたくしは、ここでも進歩派と本質派との
対立を止揚した立場を主張したい。そのためにまず本質派の主張を容れて単元要素カリキュラムを構成
し、次にこれを進歩派の主張する生活カリキュラムに構成するという二段がまえのカリキュラム構成を
実験学校にすすめている」と述べている。
20
石山脩平前掲書P.185
21 『新らしい教育と文化』日本教職員組合編集 1947(昭和 22)年 11 月創刊号 P.2
22
『生活学校』(第四巻二号 1949(昭和 24)年 4 月号)には「特集コミュニテイー・スクール福澤を見
る」が組まれ「1 コミュニテイー・スクール福澤…編集部」「2 教育学者の効用はどれぐらいなものか…
国分一太郎」から構成されている。編集部によるルポルタージュでは、福澤プランには歴史的認識が欠
如していることを批判した上で、報徳教育が今もって根づき、貧窮に直面する村の実態を認識すること
なく止揚を説く石山の姿勢を鋭く批判している。
一方、国分一太郎は、国語要素カリキュラムと生活カリキュラムの止揚に関して「むすびつきがたい
ものを、コトバのアヤだけでむすびつけようとするもの」と述べ、国語の要素表に関して福沢小の井上
校長が「国語にいたつては、まったく自信がありません」と発言したことを記述している。國分は「言
語教育の自律性を尊重」すべきであり、そういった国語カリキュラムと、やはり「一定の自律性」を有
する社会科との止揚は「教育上効果は少ない」と断じている。詳細は第 10 章で検討する。
23
『新らしい教育と文化』日本教職員組合編集 1947(昭和 22)年 11 月創刊号 P.P.2-6
24 石山脩平前掲書 P.P.25−88
25
石山脩平前掲論文「コア・カリキュラムへの必然性」P.3
9
71