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NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
ピエール・ロチに於ける文体の發展
Author(s)
引田, 稔
Citation
經營と經濟, 35(1), pp.五一一-五三〇; 1955
Issue Date
1955-09-25
URL
http://hdl.handle.net/10069/36160
Right
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文
学
ピ
ニ
L
.
J
レ
ロ
チ
於
n
る
女
体
の
展
議
5
1
田
稔
ぜエール・ロチに於ける文体の発展
ω︶と﹁書簡﹂
アジヤデ、
O i一九一一一一一︶の処女作﹃﹀ Nロ﹀巴何﹄
hpN曲
q 一訟を扱った虫OHSFO
吋同︵一八五
F
︵ 0223 ︶ とから一成り立っている。またとの作品の﹁序文﹂において、
Aとの幸田は
MQ。印吋叶,HOZ︵発端︶
z。何dロ︵展開︶と、口開・
L﹃
J ︵結末︶とを一示すように配列されている。故にわれわれは乙の作品を普通一般の小説として取扱うと
開
、
と
版であった。
F02の名が−初めてあらわれたのは次の作品﹃ F関宮﹀何回﹀の開口何回 。
iョ
﹄
主
王
︵ロチの結婚︶ ︵一八八
︵
註
︶ l 処女作﹃アジヤヂ﹄には﹁ピエール・ロチ﹂のベシネームはまだ用いていない。それは全くの無名の出
を完全な一つの物語にまとめとげる小説的た技法を欠いていたためと恩われる・
た作者の真意は、小説的な技巧として、内容を尤もらし︿見せ小けようとしたととの外に、作者ロチが、との作品
︵即ち日記︶、あるいは﹁書簡﹂を組合せたものである。しかし、との工うた副題を敢て掲げ友ければ怒ら放かク
とができる。しかし、作者は、何故乙の工うな副題をわざわざつけたか。事実との作品はその日その日の﹁ノ 1 f﹂
z
o
d開ζ何回
あるが、全体としては文学作品の伝統的な定石どおりに、
る乙とは明瞭である。即ち外観はいかにも副題が一不すように、﹁/ 1 F﹂と﹁書簡﹂との寄せ集めにすぎ友い土うで
と定義している。しかし、との作品を注意深く読めば、とれが一貫した小説的な司戸﹀Z の上に組み立てられてい
小
説︶ではない。少くもその登場人物である主人公の生涯そのもの以外には一貫した筋をもっていない V
ggg ︵。
円
。
Z
﹁手記﹂ ︵
︿一八七九年︶は、その副題に﹁イギリス海軍士宮の/ 1ト沿よび書簡の抜翠﹂と記されている・即ち乙の作口聞は
コ1カサス出身の若い Tルコの女
I
Aggg の作者による
。年︶の第六版︵一八八四年︶以後である。それ以前の諸版においては、
が書き添えられていた。
Vという副題
A綴ったその日
aわれわれはとれをロチにおける﹁小説的構成
女作﹃﹀
から、やがてその後半にみられる一クの文休的ゑ自覚と自信とに到達して行︿過程を興味深く観察する
NHJ
とができる。
グラデ4アタlw
︵註︶|すでに北海、プ戸りヵ、ポ・リネ Vャ、セネガル︵アフリカ︶と極東を除いて略
唱ロ向山門口
ζ
ジェ,アシ
HP け汲い︶ものであったが、それは終生ロチを捉えて離さなかったものの如︿である。と
︵
あ ﹂
ふと目覚めた夏の夜の十善寺︵長崎﹀の仮住いで、傍に臥している日本の女﹁治菊﹂を眺めて、激しい自責と自己
のととがあってから八年、即ち一八八五年︵明治一八年︶には、初めてロチは日本を訪れたが、彼女故に、真夜中
はいかに丸
N
q白血骨に対寸るロチの態度︵情熱︶
約一年に近い期間をとの異境に過ごした。そして偶然知旬合ったトルコの女﹀
﹂己﹀CU ︵ロチ︶ は時にご六才、サロニヵ、コ γスグシチノ 1プルを中心に一八七六年八月から翌年の五月まで、
す,q 才
U同﹄に坐乗を命ぜられた海軍少尉﹄ロロ何回
いたが、土耳古のコ γ スグ γチノ 1プルに常駐する砲艦﹃。戸﹀己冨吋E
A全世界の海を渡クてきて
goロ
円
︶
同﹀口開﹄の中には、その努力の跡がはっきりと写し出されており、その前半における暗中模索︵gg口口 0・
を決定し、また作家としてのロチの価値をも決定するものであると考えるととができる。結論からいって、との処
への努力﹂左呼びたい。そしてとのロチの﹁小説的構成への努力﹂の跡を尋ねるととが、 ロチにおける作品の価依
記的材料︵印象記︶をいかに﹁小説化﹂するかにあクたからである
何故怒らば、 ロチが最も苦心したととるのものは、その後の多くの作品が示しているように、日
ヨ
王
ピエ F 凡・ロチに於ける文体の発展
嫌惑に陥クている様子がみられる
画
ー
ー
首
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開
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た
心行くまで涙を注いだ。
ハ
﹁
同
月hZM
つ。ぃ言問匂。包悶沼凶つ!﹂東洋の幻
iv
一八八七年ハ九月
l一
O月︶、それは正確にアジヤデと別れてから十年になるが、ロチはロシ﹄︿タシチノIプルに彼女の基を訪私、
,
園
、
等点。
﹁
ノ 1 ︸﹂ ︵手記︶は、日記と解説的な記録とから成り立クている。そして﹁日記﹂という便利な枠
A土耳古の風設、風俗、紀行、紹介、事件および冒険、 エピソード、感想、追憶・夢、告白、反省、意見::
の中には、次のように、あらゆる内容が盛られている|
とであるが、
4hpU
O
司P
開﹄の構成のとに眺めてみると、﹃﹄ FNHdA
開﹄を組立てているものは、前述の如︿、 ﹁
ノlt﹂と﹁審制﹂
2・
文体を観察するにるたクて、まや最−初に問題とたるのは﹁主題﹂を展闘するその形式である。乙れを作品﹁﹀
I
︿連結符︶としての彼割をこれら
kの場面や個 Aの日記の背設となジている
z
五一三
の﹁書簡﹂に呆させている乙とである・ーーしかし、乙乙に技法との問題がある・日記も書簡も、その時現在の感
否。
事情を、第三者︵読者︶に解説するたあに、いわばそれらの吋拘去、吋ud
FLVデユ−−オシ
きない﹁作口問の構成約た事情の説明﹂を呆させることであクた。即ち個
で﹁書簡﹂に託した手法との役割は、 ﹁日記﹂あるいは﹁手記﹂という一人称形式では到底反闘しクくす乙とがで
﹁書簡﹂もまた同様である。その中には、あらゆる内容を盛ることができる。しかし、 ロチが、特にこの作品の中
v
五一四
﹁過去﹂ではなく、 ﹁末
情や思想を諮るととはできるが、 ﹁未来の時点に立クて現在を眺める﹂といういわゆる﹁小説家の立場﹂に取って
代る乙とはできたいからである・しかるに、最もよく﹁現在﹂を説明して︿れるものは、
来﹂である。そして、﹁日記﹂あるいは﹁書簡﹂の形式を借りた叙述には、常にとのような﹁末来の立場﹂、﹁客観
同M
国HF ωO日川出回開
。
︵哲学︶に結びクいてい
ω同
日
開
︵U
、口司︵回顧
的た術観の立場﹂が欠けるととになる。ととろが、とのようゑ﹁末来に立クての立場﹂、同州開吋河O
的︶た見方は、 ロチの最も本質的な開吋﹀吋匂﹀出向開︿心状︶治よびその
ステ4ル
ω吋
d
p開︵文体︶﹂であp、他
た。とのためにロチは単なる日記と書簡との外になんらかの形式でとの﹁小説家の立場﹂と﹁自己の軒同学﹂とを表
現する方法を見出さ友ければ散らたかクた。そして選んだ手法の一つが、 ﹁回想の
の一つが、 ﹁先走クた解説風のノ l t﹂を﹁日記﹂あるいは﹁書簡﹂の擬装の下に挿入するととでるクた。人は主
︿余りにも多いロチの回想癖、その回想調について非難する。しかし、 ロチに沿いて乙の﹁回想﹂は、単にセシチ
、 それはこうした文体的な必然性をも併せている乙とを見落してはゑら猿
メyfルた彼の気質によるのモはもιく
するのであクたが。︶
︵四一真︶
AT ロ・色目包ωzmnoZ一百円ogBov −−包包白血山司Zmg
え
・
:
:
頁
︶
を愛してはい友かった︶ ︵
五0 .
の基本的た構成が﹁日記﹂および﹁書簡﹂によクて成り立ち、日附を追クて生
Aと叙述が進められている一方にお
とれらは、作者が一クの未来に立って、その未来の立場から過去の姿を説明している文休である。しかし、物語
V ︵その当時は後に怒ってほどまだ私はとの周
A・
:
: oHAES司窓口円。司自。ロ品骨百回忌円。自 B O E口。ロP己︾︵そして彼は後に友クて私の出発に子供のように一段
﹁先走クた解説風のノ I F﹂にクいて、その例を拾クてみると、例えば次のような文に行き当るll|
.
u
、
ぜ
"
' -J
I
-・ロチに於ける文体の発展
いて突然、
とのようも仏先走クた解釈や回想が加えられる乙とは、
小説的な興味を箸しく減殺する総呆にたクてい
モチの一クの技法との未熟と評して差支えないであろう・しかし、 ﹁回想﹂は、従クてその文体における﹁問
'
.
:
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1 l
漁
両夫
叶
開
町﹀口開﹄ においてその﹁回想調﹂が成功しなかったとしても、それはロチがやがては自覚せ
NHJ
ζの文体土の欠陥を克服し、
り
開
t
'
"
'
〉
ユztタ
﹁回想的であるために一層美しく、回想的であるために一一周しみじ
︵死と憐側の書︶
河
司
間 )
:
s一
間八
。
〉
〈
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吋
〉
︵東洋の幻﹀
H
a
︿河切り MW
﹃
ド
肘 F
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吋
』由
ハhM
菊さん﹀
︵一八九一年︶、
’
司
口八
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5七
宮年
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吋
.
.
ζ
同﹀り何﹄ を読みかえし、次のように書いている。ーlA懐しい小著、・たしかに極あて拙い作品、しかし私
NHJ
五一五
他菌、その行聞に漂う青春時代の愛の渇き、問え、胃潰の激しさ、水 Aしさに、十年の歳月を距ててなお自らの胸
驚かせる
vlーとのように、作者ロチは、彼自身の処女作のの。号oesoz ハ構成︶の未熟を自白したがらも、
むように、忘れ田県てていたそれらの頁の一ク一クを繰P始めた。それは、かつてそれを書き綴クた自分自身すらも
はとの警の中に当時の私のすべての心を投げ乙んだv、 AA
私は静かに、恰も、墓石をとり除いて墓場の中を税き
作﹃﹀
︵
註
︶ l 一八八七年、アジヤヂの幻影を求めてコシス F Yチノ 1プルへ単身旅立ったその前夜、ロチは彼の処女
回 R
アカ 47
ミ1
:
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0
U冨切れ出回同
J
B﹀Z4国関宮開﹄
︵一八八六年︶、 ﹃呂 KF﹀
t
可、〉
︵一八九一年︶等がよく一不すとうりである。
F 島
a
F
k
r
z
u開﹄︵氷
ととは、 一八九一年、彼が﹀S 巴伊 回目。の会員に選ばれるその前後の諸作品、特に﹃沼自民間口河口−
開注文体の調子を創り出すまでにそれを高め、完成し得た
みと人間の宿命を読みとらせるよう訟﹂一クの CZHρC
後年、彼が見事に
ざおを得ない技法との欠点、未熟であクて、ロチは乙の図想調を鋤棄するととはできなかったのである。そして、
る・従クて乙の﹃﹀
想の調子﹂は、 ロチの本能的な気質によクてもたちされている・かクそ乙からまた彼の哲学l宿命傷ーも生じてい
る
〉の
ュ
g 己︶
を強︿揺り動かされている︵﹁司8850ι6
﹀Z
の
M
同 Ml
一、こを除いて、
五一六
Aの長さは、
﹁発端﹂に当る部分一は、 一通の﹁書簡﹂によクて括
仲町を通わせて、もし﹁ハ 1 レムの禁﹂を犯すものがあれば、その男の運命もまた斯︿の如しという乙とを暗示した
言している・恐らくとれは、乙の作品の﹁冒頭﹂の一節に掲げられた﹁T ルコ人による死刑執行の凄惨な光景﹂と意
っていかに危険なものであるかを、 一人の友人に対して語p 、しかもゑお自分は乙の恋と冒険とに身を捧げると宣
られている。その内容は、 ハ1 レム︵国民OB︶の女、即ち T ルコの人妻に対する邪友恋と冒険とが宮人公ロチにと
VKFZ をもクと一去ったが、その
さきに乙の作口聞は E
てその企図しだととるの効呆を達成し得ているであろうか。結呆は全く反対である・
を描き出す一点に集中されている。しかし、作者ロチは、とのよう友役割を託した﹁書簡﹂の挿入にたいて、果し
中を打明け、反対にそれを批判させている・そしてそれらのすべての目的は唯一ク、作中人物の﹁迄O己 ︵己れ﹀
モア
即ち、 ﹁書簡﹂自体を検討してみると、それらは﹁書簡の往復﹂という形を借りて、登場人物である作者自身の胸
それらに変化を与え、また片 kたるつ手記﹂の集りの聞に一クの物語的な撃がりを持たせるように配慮されている。
よく散布されている・との乙とから直ちに気づくように、それらは﹁日記﹂または﹁ノ l t﹂のみの単調を破p 、
多くは二頁または三頁程度のものである・そしてそれらの書簡は五クの部編に分れているとの作品の各編ごとに程
ロチがともあれとの作品の中に挿入した﹁書簡﹂の数は全部柄、二O通で、その各
I
ぜ :.− J
I
, n チに於ける女体の発展
・
プロ冒lグ
もの柄、あろうが、しかし、問題は、全編を通じても設も迫力に富んだ乙の開幕の
セーヌ
ωの明Z開︵場面︶が‘むしろそれ
に劣らねもう一つの一一層優れた﹁客観的な描写﹂によクてその可知。岡、。。口開 の幕を閉じゃに、事実は、とのよう
友会くを γチメシグルゑ説明、解説のための自己紹介、を盛った極めて平凡な一通の﹁垂直筒﹂によクて結ぼれてい
るというととは、ま乙とに惜しまれると乙ろである。しかも乙れが、乙の作品の二O通にも及ぶ﹁書簡﹂の最初の
’
Aと生人公ロチの﹁人生観﹂な
一一通であるという乙とは、きわめて象徴的である。同じように、別ゑある一通は、 111
何れも乙の物語の登場人物
とは直綾的にはなんの関係もたい相手方であるが、ーーその中で、作者ロチは、細
披漉しているll
︽
円
。
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同 ORVE叶 no HZ
.。ロ目。ロ ω固め目 m
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M町田匹附HEwωuon
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﹄
A神も道徳も存在したい@存在するものは、やがて去り行く人生のみである・:: v
︵ロロイ白官m
L−R可曲目白切町。自。包︼ 0・ 乱。口出
Z品。 UBロ
件。同山口司白匡ロ 04MOA
回
一
旬
釦ω
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︶ ︵
司
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︶
日
しかし、このように重要な作者の人生観、作者の哲学を盛クた手紙が、前述のように、小説の本筋とは全く無関
︵十年後に、自ら評して、 A53g
係な、喰名宛人としてしか登場したい蔭の人物に肉クて誇られているととるに、﹁との書簡﹂が、﹁乙の形式﹂が、
﹁ζの告白の調子﹂が一向に小説として生きて乙たい根本的な理由がるる。
−
−
︿
円
。
何
回
片
山
耐
目
立
ロ V ︵幼稚永小口問︶ と盟問りながら乙の書を閉じているとき、乙のような檎成的な欠点はロチ自身の問問
Aと人の胸を打クのである。﹂しからざる阪
p、
にももはや明白であクたにちがいない。︶
ll ﹁作者の哲学や思想、それは、文学的に前切な位置3日C﹀忌 OZ﹀
を与えられ、正しい意味柄、︵︵小説化︶︶されてのみ、真に強く、生
いかに優れた重要な一言葉であクても、それは徒らに胤み、空転し、物語の均衡を害ね、小説的な効果を逆に減歩る
五一七
f
ラ’
五一八
mlqヰ ル ル ず ユ
l
結呆と・なるととも覚悟しなければならない.乙の乙とに、ロチは何故もクと亭く気づかなかクたのであるうか@
F凶 Hhの
r伺ロ凹 FO
向
国﹄の題名を決定したり
ロチの第二の作品 ﹃PK
︿EhF
開何回出己開﹄
︵
註
︶ l 一八八O年、即ち小説﹁﹀ N弓﹀口開﹄を公刊した翌年、ロチは初めて、﹃FKFZOC
ジユリエ7p アダシ
E
H
O ﹄E55﹀同︶﹀尽を隷クた.
の創刊者室邑
も彼女であクたが、彼女はロチを力強く文壇に押し出し、 ロチは彼女を第二の母として敬愛し続け、常にそのよさ
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﹃
2 司曲目ω
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nロ
ロO旬
白0
ロn
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u﹃。ロ円。丘町。。=笠宮︼EBog 2MMESSF−
。EHERGER 4
文学的な助言を仰いだ。彼女に宛てた一八八二年二月一五日附の手紙には次のような一言葉さえみえるil 品︿。巳忠
−
。
、
﹄
−
−
宮包gZ
巴巴2 ・2 OHgnug向。円曲目。口 g・
0Rang骨骨ロozm聞記。円骨円。唱E22
円
V ︵どうか赤または青の鉛筆
ララユ
明、感いと恩われる単語文個所に印をクけて下さい。作目聞をあまりひどく害さないように気をクけながら、それら
ωロ・開ZZCH﹄に関して︶。 ロチの第二の作品の原名は ﹃河﹀FP出C ﹄
を書き改めるクもりです。︶︵作品﹃E h c同
であクたが、アグン夫人はとれを前記のように﹁ロチの結婚﹂に改め、内容の一一部を省略し、章節を新たにして公
刊したのであった。
しかし、 ロチがたとえ乙のような誤りに気づいたとしても 一度設初に引かれた﹁主題展開の司F﹀Z﹂ は後から
﹄ は不可避的に作者を乙の欠陥のまま推し進めて行くより外に
乙れを覆すととは不可能である。小説﹃﹀NRKFU開
は道を残していゑい。無論乙れは、ま乙とに幼稚な、初歩的な誤りにすぎない。われわれはロチが何故乙の作品の
構築の目、 krz そのものを思い切って破棄し、出発点を変えて筆をとる勇気をもたなかクたかを一誇るのみである。
思うに、海軍の現職と作家生活という時間的にも甚だ困難な矛盾、両立し難さ︵ーその矛盾をロチの場合、極めて
li︶と、作家的自立への暗中模索、そうしたものが、大きく表面に立ちはだかクて
傍停にも調和し得たとはいえ
いたとと拡相像に難︿ないが、しかしそれらはそれとしても、とのような根本的ゑ勇気をこの処女作に沿いて望む
のは、いやれにしても時期街阜であったととは、否めない。何故ならば、との作品の文休との欠点は他にも街多く
吋
﹀
凶
円
九
見出し得るからである・例えば、乙の作品が、いくクかの章において、後述するように、見事な﹁画面﹂ ︵
Z
H
V円﹄口吋開︵単純︶
a
p
d
u
Cを措いて沿りたがら、その反面、 EPPZ全体としても、また個一点の章節においても、 ω
伺
スタンプル
ω吋﹀出向ω
o
d
H
h の単
K問、吋開︿明瞭︶を欠き、 dZ H,
HW︵統一︶を欠いているのをみるからである・そして、その理由はすべ
を欠き、 円U F炉
、
岡
て、ロチが、全体の調和と明るさを生かすために、不純友ものを思い切クて捨て去るという勇気を未だもた念かク
たととに起因しているからである・例えば
﹄昨
AC固 め 出E qEGEV ︵月蝕の夜﹀
の描写においては、初めロチ独特の迫力に富んだ凄蒼な零囲気のうちに筆が進められて行く。
純ゑ人達のとにとの天休の兇変が具様な不安を投げかけながら、月蝕が進む・ ロチはとの幼稚な土耳士口人達に、
本のロ 1ソクと、傍の密柑を手にして、月蝕の理由を説明する・しかし、蒙昧な民衆は全く理解しようとし左い。
ii深刻な表情で始めたが結未はこのように一穫の諾蕗しかも
ζの藷油断がなかクたならば、との意もまた議の目にも優れた一章となったのではなかろう
すると、 ロチは、諦めてその密柑を食べてしまう
苦笑に終クている・もし
か。晶同組障を否定するのではないが、 ロチにおいては、諾鎗が常にとのような何か思い切って笑い出し得ない歪んだ
k ζの
ものと怠っているのは、ロチ自身の生来の気質に基づくものであるう。しかし、とのような文体的な調子の乱れは
九
念んとしても許し難い。とのようゑ例は他にも決して少くない・しかも、最も傑出した﹁画面﹂において暫
五
p 宇に於ける文体の発展
ぜ,,,__凡・
0
同吋﹀口跡﹄ の中に挿入された﹁書簡﹂が結局はこの作品の最も大きな構成上の欠点となクていることは
KFN
を想像する乙とができる。
とき、われわれは乙乙に至るまでのロチの文学的な精進、その﹁小説的構成への努力﹂がいかなるものであったか
の場面に治ける純一無雑の明るさに到達している後年の作品、特に﹁氷島の漁夫﹄、あるいは﹃お菊さん﹄等を読む
主うな不純物がクけ加えられ、あるいは介入していることは、強︿惜しまれる。斯く観察し来るとき、 ロチが各 A
五
人物として語らせているll
w−−︼・色目仇VHF
−p 色
]0・TEn
一町宮、 MWUω 口口問恥 AZ
品
件吉弘ω 丘
−−︼同凶ロ巴件直E
A開
o
唱
EZE0・唱。戸円︼mgEOEHLO♂ ロ 巴Z E曲目H m−広日常包円。目。E g g s v
サミユエル
nFO
広0・.
0
F
ω
﹄
︽
﹀ N M2wHb
︵そしてそれから彼女は、彼
口巨円。
− を同じように独立した登場
Ess
d
句。白
︵ 司 ・ 回C司︶
曲
−
うに、作中人物のロチと対等同一の面で語らせ、他の一つにおいては、従者
進ぁ、文体の調子を一変させている。即ち、その一クに−おいては、トルコの女﹀丘 ME象
を純客観小説に−おけるよ
w
ロ聞のきわめて僅かな個所において、 ロチは、作中人物としての一人称の立場を離れ、 ﹁作家の立場﹂をとって筆定
の手紙の送り主を除いては、作品の最初の構想が一示すように、 一人称をもクて叙述を終始しているのであるが、作
に潜んでいる・その第一一は、次のように、文体上の矛盾そのものの中に看取される。即ち、 ロチは挿入された四人
前述の通りであるが、との欠点を克服すべき端緒もまた務芽の如く、乙の錯雑粉糾した文学的な﹀円、回Cζ の各所
作品﹃
I
V
ぜエ F J
I
-・ロチに於ける文体の発展
ι
L
考えたのであった。︶
が彼女を、金で買われてきた女奴緑、賎しいアグヤヂ捻る女を、ほんとろに愛しているにちがいもない、何故事品ら、
彼女を眺めたいばかりにあの主うに犬担にもその生命を賭けているのだから、
コoa10
とれは一見、作者が無意識に陥った叙述ヒの譲りではゑいかと恩わせる︿らい、とのような﹁客観的な描写﹂は
稀である・勿論、との土号、な不用意がロチにあったと考えるととはできない。とれば最も広い意味での
仲
田
島
町
内
山
口
同 EV
円
。
﹂ ︵自由開筏叙法︶の一種であろう。引用した原文の個所はロチの﹁回想﹂の中の一駒である。そし
戸
}
益
。そ
何
で
始
ν
、
る
を正しく理解するととはできない。即ち、との第五O章は、次のようなロチの﹁回想﹂の
ま
て
J
τ
フ
ω同, 同戸別
NqEb一の気持を相一像し放がら表現しているとの叙法は、との章の書き出しに愛で遡ってみ
て、乙の回想の中で﹀
笠宮
包の
ー次の例l
MYMCV
彼自らに怖れ戦き、その場を動かやに様え続けた。︶
−
︵
五
ゑい、真暗た何ものかが、 一瞬との亥れたサミユエルの頭をかすめた。−|,それから彼は両腕で自らの顔を蔽い、
︹
時
三 w品。−E BPS0・日岡田目。 HuoZROSFZ2:
出回
JPS3noES2︼阻止開店店内田ogmFSF252mwZSHOE
・
・
:
:
・v
−
−
︵﹁どうするゐですか、私をEうするんですか?﹂と彼は暗い、とり乱した芦でいった。耳にしたことも
− 品同唱巳ω
EMESao広口A
骨品卸ロω E S S品ロ旬m
H
E
4
5
ω曲
目z
。ロ巴﹄ロonF02q−
m
F
B
H
W芹ロロ BOBA
m
w
ロ岡田4
刊口同司自m
7
円
一
回 ωostga可。ロ宮恥?ミs e之内同令室二
p
t−qEM04。
A uhGeミミ?︻同
CZ040E芯N
E
J
S
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ω 品OEO− 吋 ︶
同島A
。
町
一OV ︵
A
ω戸
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S AC
0
F
F
ω件
唱
・
問
。
品
︶ ︵思えば、奇妙な始まり
白ロ品。ロ可 U
血
小
﹃
口
同
島OEO 1
口
同
ロZO
o−
o血
0・
mロω
﹄z
−
仲
百
−
だった、私達のとの物語の始まりは!︶
i
s
:.
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主
五
ニ
ニ
の欠点
ζの後者の例の方が、徹底的に﹁作家の立場﹂を表している。もし、とのような﹁話法﹂をもっと自由に活用す
BE
るととができた友らぽ、乙の作品の面目は大いに一新されたにちがいない。何故なら、作品﹃民弓
はあまりにも主観的念、主情的友、自己描写が多過ぎるととろにあるからである。 乙の意味で、作者が、 思い出
J﹃﹀富田。dFを去って行︿目、その去り行︿自介の姿を無言のまま、宛ら一枚のカシパスの中に覗き込むよう
のω
に、静かに、眺め下している終章に近い雨の日の﹁自画像﹂は見事友﹁日記﹂の一章というととができよう||
へ三月のある雨の朝、 一人の年とったユダヤ人がアq7 ︵回し。吋︼のトルコ名︶の家を引払っている。それをアク
︵下僕︶が、もの憂い限で眺めている。
づて行った。
とれでア引
7は終った。もうそん友人物は何処にもいない.
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ヤルム
FR目。︶に溢れたものとしては最
って行く荷物の婆である。しかし、その待物の傍に、閉じ︿雨に濡れて符んでいる作者の姿、うるんだ瞳が、不思
ととには、作者自身の姿が直接一言も描かれていない。描かれているものは、雨の朝であり、雨に漏れて河を下
去ってしまうのであろうが。 V ︵二七回頁︶
後のものとたるであろうが、 てれは永遠に終ってしまったのだ。そして多分、時が、やがてその思い出さえも消し
とのすべての東洋の夢は終った。私の生涯のとの一つの階種、
hMてらく魅力会
濡れた木箱、雨をぐっしょりと吸った荷包みが小舟に載せられて何処ともた︿コルヌ・ドールの河を海の方へ下
ーーさあ、知りません、とプグメが答える。
11アクメ、御主人はどちらへ行かれるのか友、と戸口に出てきた早起きの近隣の者たちが尋ねた。
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ぜ
♂ιール・旨チに於ける文体の発展
識な鮮明さをもって浮かびとって︿る。
ω 治よび
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ロチはとの書の回以、
白
、河﹀打開︹序文︶において宣言した。との作品は﹁Z。. H開
.‘開‘
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吋
河
開ω の集成﹂であ
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開﹄の最初の部 AT
が最も工︿示している。即ちそとにおいては、徒らに細かな
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。出﹀同 MH門
開︵章︶
ると・だが、それらの断片を無現に繋躍を合せようとしたとき、 ﹁破綻﹂が避けられないものに怠った。そのととは
作品﹃﹀ロペ
が設けられ、ある場合においてはその織令はほとんど支難減裂といっても決して過言ではない。けれども幸いにと
の主民ノ注文休と金︿無意味友﹁断章﹂がやがて作品の後半に至るに及んで、影をひそめ、 ﹁主題の転換﹂どとには
じめて章が令けられ、それらの章もまた、かならやしも前後の物語的危﹁筋﹂の発展に絡ませるとともな︿、自由に
のびのびと、次第に独立した、画像の鮮明友、真の意味での文学的な﹁断章﹂ へと発展させているロチの努カのあ
とが、既にとの処女作の中にみられるのである。
五二三
ろであるが、たしかに、 ロチの文体の特徴はその﹁絵画的﹂な点にある。そして、ロチの作品に沿いては、その金
ロチの文筆の冴えは、特にその風景描写において著しい。そしてそのととはすべての批評家が一致して認めるとと
て、流麗念、淀み−ない筆致をもっていたととは、との作品のい︿クかの﹁書簡﹂によっても明らかである。しかし
をもっているととが、その基本的な条件であるととはいうまでもない。 ロチが自己の感情や思想を表現するに当つ
治よそ﹁商家﹂にとっては描き得る乙とがその生命であるように、 ﹁作家﹂にとっても、優れた描写力、表現力
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回
り
仲
﹂ のどの頁をも直ちに引用するととができる︿らいである・
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を読んでみると、 ロチ、
だがロチ除、乙のような優れた﹁描写力﹂を一体いクから自八すのものにしているのであるうか・ 一九五O年、彼の
生誕百年を記念して初めて公けにされた彼の海軍兵学校生徒時代のつ日記﹄
F﹀
︵持︶﹃
ロ︿同 bFiuは実にとの頃から素晴らしい文体の持主であったととがわかる。
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註
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稲妻に照らし出された甲板kの一
例えば、 A出港の時刻、天侯、波、逆風と航海、柊錯、入港の第一印象・::等 A V−−そうしたものが、簡潔に
ム客観的に、鮮明に、美しく記述されている。しかもとのよう注入港の第一夜、
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ア自昌弘目。ヨ曲目FO
口呼目。ロωGEdE4ω唱
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犬演奏会 vというよう伝情緒に富んだ景観をも書き添えるととを忘れてい友いlll
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現してい念い小岩礁が、文字通り到るととるに散在し、寄観を呈している。夕方、稲妻に照らされて、と部前甲板
のみにて進む。午後五時、 ロキリ湾に入港、愛錨世間泊。 いかにも荒涼たる湾だ。海面から僅か数メートルしか頭を
鍋
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白
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円
出吋ずエルプールを出港。風は涼しい、雨催いの窪、海はやや時化ている。終日逆風を受け、ために艦は蒸汽推進機
山
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の絵画的な居慣れた描写にクいては、作品﹃
体の構成さえも﹁絵画的﹂である。更に評すれば、その﹁心理的措写﹂さえも﹁絵画的﹂である・そして乙のロチ
五
ピエ』ル・ロチに於ける文体の発展
に一大演奏会が開かれる。︶
︵一八六八年八月十四日、金曜日︶
その他の日記においても、用いられている単語は、 ﹁錨﹂︵曲目nZ﹀とか、 ﹁波頭﹂︵nBS 含紅白。︶とか、 ﹁荒
82問
。
の神慌をかき立てる。次の一節も、やはり同じ頃の﹃日記﹄
︵g
EO︶、 ﹁航跡﹂ ︵
ω ω問
。
︶ ゑど単純ゑ名詞が多い。
れている海﹂ ︵宙開gzogR︶とか、あるいは﹁泡﹂ b
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ユエアンシ
マージユ
﹀Zゎ
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h﹀の何をもった雪葉は、 ﹁海﹂に対してわれわれが常に抱いている潜在的
しかしとれらの独特の ZC
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友郷愁を呼び覚ますかの如︿、快い同窓K
の一部であるが、それは後年のロチの名作の、どの一一貝に加えても決して柳かの遜色もないだろうl l
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4。宵。世田。ロω 店円。ロω
。
ロn
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W白
市
品
品。自曲目ロ呂田己目・v ︵夕方、霧は晴れた。 しかし陸地は見えゑい。海は荒れて暗く、 赤い空は暗い雲を漂わせてい
る。そして太陽は鈍い赤味を帯びた円盤のような形で沈んで行く。われわれは皆との怖しいように美しい光去を感
︿八月十七日、月曜日︶
歎して眺めた。夜はまた荒れるのだろう。艦長は沖で古伐を明かすととに決断した。従ってわれわれは明朝どとに在
るかも知らぬまま、寝床に就く。︶
﹁簡潔﹂と﹁鮮明﹂と法み出るようゑ﹁色彩感﹂と、そとには後年のロチの特徴が遺憾友︿発揮されている。われ
われは、乙れら若き日のロチの﹃日記﹄の断片を手にして、その一言葉数のあまp にも少いのに、むしろ物足ら危さ
を感十る。 だが、 ﹁言葉少友に諮る﹂という乙と、 それは疑いもゑく、 海軍の援によって鍛えられた美徳である
五二五
ノ
、
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厳な光且 E Wを描いている。
﹁描︿﹂と評するのはしかし一言葉が多すぎる。何故ならば、﹄丘町。ロ Skpd
りは、そ乙で
A エジプトの女の土日 ながらの服装︵n
szgo︶ Vと&荒漠たる砂原に横たわる動物の白骨化した屍体v、ムその壮
。
同
廿ω虫色の特色のないヨーロッパ風の都市に対する失望 Vを述べた後に、対照的に
ような一文がみえる。即ち、 A旬
ぅ。更に、 一八七O年、即ちロチ二O才︵海軍少尉侯補生二年﹀のときの地中海における﹃日記﹄の一節には次の
五
−
S︶
と認められているのは、そとに沿いては、とのよう友過剰な感情の吐露︵ORE
−
﹃kpN4﹀口開﹄の中に
ロチとしては極限にまで
kしい印象を見事に刻んでい
る。そしてその傍では、士耳古の役人が微笑し、民衆に混って、幾組かの若い女の群さえ何知らぬ顔で遁迭してい
の︵最初に昏言及した﹀冒頭の一節は、土耳古政府に止る死刑執行の瞬間の、激しい、生
ともあれ、との士官侯補生時代の﹃日記﹄から六年、 一八七六年五月十六日の日附を有する処女作﹃民足ちと
た形に沿いて﹁運命の子守唄﹂の如︿、反復されているからに外友らない・
抑制され、文休的に客観化され、残された最少限の主情的な流逸が唱。何回開 の一行の如︿に圧縮され、圧縮され
古
ま
沿いてはた沿友がく、かつ根強︿、併存しているのをみるからである・とれに較ぺて、 ﹃氷島の漁夫﹄が彼の傑作
g
a
o︶とが、
のよう友慢れた描写と、その反面、あまりにも感傷的な詠歎、表訴の反復︵z
ζ
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と Lから砂漠が始ま
昨日。門広目立岳己目。g
goロ
・2nousa白向。自OB02仲立色白血OBとssv ︵
は、唯二つまたは三つの簡単友言葉を並べているにすぎないからであるlia
Ai
−−。.
ω
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っている。
そしてとの陰惨な景色は壮厳極まりゑい︶ ︵一八七O年三月十日、十一日︶
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だが、乙のような﹁簡潔友﹂表現の文体的友真の価依をロチは果して自覚していたのであろうか。何故たら、
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ている﹁生﹂と﹁死﹂、﹁光﹂と﹁影﹂との明り断ったようたコシ F ヲストである。と同時に、見逃してはならたい
主
王
乗っている馬車を、同じく馬に跨ったロチが作品﹃﹀ NH吋kpu
開
﹄
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美しい﹁商商﹂l
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ロチの描写の筆力はたしかに冴えている。非凡である。しかし、
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ある道しるべ︵ハ UKF︿
局開︶
写は決して単たる描写のための描写ではないからである。密かに
JPロロを愛しているのきの乙女心が、 JEロロの
ヤショー
等の描写は、いかに生一点と、読者の胸をうつ乙とであろうか。そ乙に沿いては、描
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g1闘志海岸とその漁村、遭難船員の霊に祈クて立並ぶ木の十字架、素朴な教会、キリスト磯刑の像の
あるいは︵登場人物の活躍﹂との必然的な結びクきを欠いているからである。とれに反して﹁氷島の漁夫﹂に描か
に生かされてはいゑい。それは何故であるか。 いうまでもたく、それらの﹁背景的な描写﹂が﹁物語の発展﹂
た充 AH
入された﹁書簡﹂が前後の小説的友構成の中で一向に生かされゑかった上うに、乙れらのエキゾチックな拙写もま
開﹄の中で、克明に T ルコの風景を描いているが、しかし、その大部分は、挿
る乙とはできたい。 ロチは﹁﹀ NHJ同kpU
﹁描写﹂ーーーただそれだけで真に人を感動させ
行く。同様に、第一九章﹁サロニカの沖﹂での描写、第二二章﹁夢﹂を語る一節、たども皆このようた動きのある
音が耳もとに響いてくるような軽快な描写、やがて次の章で、との画題の女の一人が、 ロチとの物語を繰り展げて
の中で追いかける︵第四二意、 一九一頁︶。蹄の
へと﹁主題﹂を展開しているというととである。例えば、ふと擦れ違クた三人の土耳古の貴婦人、その三人が
る。そとには、かならや何かが動いている。そして、との﹁動き﹂が、やがてその﹁画面﹂を抜け出て、次の﹁画
面
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-・ロチに於ける文体の発展
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ピエ
家へ使いする道すがら、
一足ごとに鷹い、 その鴎いの中で立止まりつ、進みつ、 との荒涼たるプルタ 1 ニユの原
野、海浜を挑めているからである。
:︶で始まる次の第五五章等を挙げるととができる・特に、
︵ロシスグシチノ 1プルで聞いた夜ごとの物の音
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五二九
AFOBCONNgv ︵祈爵の時刻を寺院の尖塔から告
gngVHEze一切回忌宮内o
田 n
。
富田仲﹄目。立。・::
。
口ω
あるいは A叶
耳古の風俗の完全注一つの紹介記事﹂をはじめて挿入した第三部第五四章、 A土耳古高官の邸宅に催された古代会 V
﹁断章﹂を﹁断章﹂として独立させ、完成させる乙とであった。その好例を指摘するならば、われわれはまや﹁土
通じてであるととは疑いゑい・そして、それらのすべての文体的た努力の総決算として、 ロチが自覚したものは、
の本質的友欠点と長所とを自覚し、 将来の基礎を築くに到ったのは、 との処女作﹃﹀ NEKFU
開﹄の文体的た修練を
たか。何れにしても、 ロチが、その後年の作品に見られるように、自己の﹀冨開︵精神︶と自己の﹀岡山吋︵技法︶
﹁寸︿休的友危機﹂とのごつの危機が苧まれているととを意味する・その﹁文休の危機﹂をロチはいかにして乗り切っ
た別ない L方をすれば、との処女作の中には、彼の﹁人間的危苦悩の信機﹂と、将来、﹁作家﹂として立クベき彼の
の習作の中に彼のほとんどすべてを投じた、即ち彼の﹁人間﹂のすべてと、彼の﹁文体﹂のすべてとを。それはま
作の中には、初 kしい作者ロチの青春時代の苦悩が熱い吐息の如︿燃えつづけて読者の胸をうク。 ロチは乙の最初
吋﹀ UH川﹄ の中には、実にとのように多︿の、重品へ注文休との欠点が指摘できる。それにも拘らや、との処女
﹃
﹀ NH
V
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も
−
Zエザシ
げる同教の僧侶︶の縮写に筆を起している第五穴章において柱、 ftFコの
開M
向。吋同nud開
一
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五
O
た風俗摘写・と、との朝の
﹃主題
印象 の変装した可憐た婆が、し
祈 り の 時 刻 を 告 げ る 冨 EmNN
一口の声をきいて、急ぎ帰旬行︿作品のヒロイン﹀ N q
κ近く際立クている。
づ︿り・と溶け合って、哀感左異国情緒左の見事た零囲気を譲し出しているのをみるととができる。
うとと在、 ロチは次第に自覚し始めている。
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ヌ
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いる場合は、物語の筋にはか友らやしも深︿拘束されやに﹁断章﹂が﹁断章﹂として独立し得るものである﹄とい
が一つにまとまっていて、描写に統一いがあり、しかも作者と読者との聞に事件の推移を追って共通友関心が動いて
ζの土うに、処女作﹃ krNakpU
開﹄に沿いては、独立した﹁断章﹂の美しさが、巻未
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