蕭何 ・・ 後方支援 今回、俗に⾔う、「縁の下の⼒持ち」 が⾃分の所属するチームを勝利に導く原動⼒になった⼈、 蕭何という⼈について書きたいと思います。 ⼈生もある意味戦いです。 現在では、直接命のやり取りはしませんが、昔の戦いは命のやり取りです。 戦いは、基本的に戦闘員が⾏いますが、戦闘員は戦場に出て武器を⼿にして戦う⼈たちで、敵地 に乗り込んだり、攻めてくる敵を追い払います。 しかし、戦闘員だけでは戦いは成⽴しません。 ⾃軍や敵の武器や戦闘員の⼈数や配置を探る⼈、これに基づき作戦を⽴てる⼈、 また味方に武器や⾷料などの物資を送る後方支援部隊があり、戦闘員と後方支援部隊の総合 ⼒で戦いの優劣が決まります。 今回は、後方支援の名⼈、蕭何の話です。 ちなみに、当事務所の 「後方支援」 という名前は、この蕭何の活躍にあやかりたいとの願いに由来 しています。 蕭何がいた頃は、大昔の中国で、紀元前 200 年頃なので、今から 2200 年くらい前です。 当時は、秦という国が中国を統一しましたが、統一した王様(秦の始皇帝)の息子が典型的な 2 代目のドラ息子で、⺠衆をないがしろにして贅沢三昧だったので、⺠衆は不満に満ち満ちていま した。 当然、各地で謀反が起こり、数多くの豪族たちが「打倒、秦︕」 を掲げて戦いを繰り広げました が、最後に項⽻と劉邦の 2 つの勢⼒が勝ち残りました。 最後には、劉邦が勝利して漢と⾔う国ができたのですが、蕭何は漢の王様になった劉邦の側近中 の側近でした。 この項⽻と劉邦の戦いでは、劉邦は 72 回戦って何回か引き分けはありましたが、 ほとんど全て全敗で、最終決戦に 1 回勝っただけで、統一中華の王様になったのです。 オフィス後方支援 p. 1/2 連敗中の劉邦の勢⼒は、不思議と負け続けていた時でも脱⾛兵が少なかったのは、蕭何の⾒事 なやりくりで、⾷料を確保し続けたことが勝因の 1 つにあると⾔われています。 ちなみに、劉邦は若い頃はいわゆる街のチンピラでした。 一方、蕭何は役場に勤める役⼈でした。 蕭何は、劉邦の⼈間性に何かを感じ、何かと目を掛けていましたが、やがて役所を辞めて一緒に 愚連隊みたいなものを結成し、勢⼒は徐々に拡大していきました。 蕭何は元々役⼈なので、戦いは苦⼿と⾔うか、戦場ではあまり役に⽴ちませんでしたが、何故か⾦ のやりくりや物資の調達は抜群に上⼿かったようです。 当時、仲間になる者の目的は、腹いっぱい飯を⾷うってことが第一目標というか最終目標に近いも のがあったので、飯を⾷わせてくれない軍団では、特に下級の足軽クラスには逃げられてしまいます。 一方、腹いっぱい飯を⾷わせてくれる劉邦軍には、⾃然とだんだん兵⼒は集まってきました。 一方、敵である項⽻は、元々は楚という超大国の筆頭大臣の家系で、家柄は抜群。 今で⾔う、超エリートのセレブと⾔ったところです。 しかも、項⽻は頭もよく戦いも滅法強い。 そんな⼈と戦い、最終的に勝利を得ることができたのは、筆頭第一功労者は蕭何であると王様の 劉邦が⾔うほどです。 私も、⼈生においてお客さんが劉邦みたいな勝利者になってもらうために、蕭何のような後方支援 を⾏っていきたいとの願いから、屋号を後方支援としました。 また、蕭何の重要な功績にはもう 1 つあります。 これは、韓信と⾔う無名の若輩者の素養を⾒出し、いきなり大将軍にするよう劉邦を説得し、この 結果、韓信の⾒事な大活躍があったことにより中華統一を果たせたことによります。 蕭何と韓信には、その後に不幸な結果が訪れますが、これはまた別の機会に記すことにします。 当事務所も、「後方支援」 と名乗る限りは、お客さんと⾔う劉邦に⼈生の勝利者になっていただけ るよう、⼈生と⾔う戦いの途中でお客さんが⾦銭と⾔う物資に困ることが無いよう、真に正しい情報 を提供していきたいと考えております。 オフィス後方支援 p. 2/2
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