2016.1.29|恥じらいについて

東京ジャーミイ金曜日のホトバ
2016 年 1 月 29 日
恥じらいについて
親愛なる兄弟姉妹の皆様、皆様の金曜日が祝福に満ち
ます。過去においては礼儀 と恥じらいをより多く備えた
たものとなるようお祈り申し上げます。私たちの師であ
人物ほど、誉め讃えられたものでした。ところがいまや
る預言者(彼の上に平安あれ)は人びとにこのように告
礼儀と恥じらいを示すと、弱さの現れだとみなされるよ
げられました。「アッラーに対しては正真正銘の恥じら
うになってしまいました。無礼な話し方で話し道徳に欠
いを感じるようにしなさい」。彼に従う人びとは、声を
けるふるまいを行えば、それが自信と勇気のある自由の
合わせてこう答えました。「おお、全能の主の御使いよ。
証しだと考えられているのは非常に悲しいことです。 魂
私たちはすでにアッラーに対し十分に恥じらいを感じて
と精神を礼儀と恥じらいによって高める代わりに、あま
います。あらゆる感謝をアッラーに捧げています」。す
りにも多くの意識が無礼さの渦に飲み込まれてしまって
ると預言者はこのように返答されました。「あなた方が
いるのです。創造の清らかさを損ない、道徳を弱め、恥
すでに知っていると考えている恥じらいだけが、恥じら
じらいの幕を引きずり降ろす術ばかりが増えています。
いの全てではありません。正真正銘の恥じらいを感じる
一部の人々が示す無礼や悪意を、人びとは悲しみと共に
ということは、あらゆる罪と、私たちに禁じられている
眺めています。ソーシャル・メディアが、テレビが、印
ものから身を守るということです。現世の、つかの間の
刷物が、悪と暴力を助長する光景を大きく掲げています。
喜びに身を任せるべきではありません。やがて訪れる死
子どもたちが搾取され、女性たちが性の対象として演出
と、死後の生について忘れてはいけません」。 されています。礼儀に従う心を持っていれば、宗教の禁
親愛なる信仰者の皆様。恥じらいと礼儀をもって培わ
じるものには背を向けるでしょう。尊敬をたたえた目で
れた心は、優しさや慈しみを見出すものです。礼儀には
あれば、あらゆる禁じられたものへ興味をひかれること
高い価値があると考える心と魂からは、 価値のある行為
もないでしょう。 兄弟姉妹の皆様! これらすべての背
と思考だけが生じ得るのです。礼儀をもって語る舌から
後にあるのが、知恵と高い道徳によって築かれた意識で
誰がそれをもたらしますか
はないことは明白です。恥じらいと礼儀の欠落は、人類
全体規則)
は、善良で価値ある言葉のみが生じます。そのような舌
は 虚言やうわさ話、根も葉もない中傷を遠ざけます。 恥
が人間としての価値という意味において非常に貧しくな
OF ISLAM IS
EASY
じらいや礼儀を備えた視点から物事を見る目は、彼また
ってしまったことの現われなのです。それが無礼と不道
は彼女自身の過ちを探しはしても、他の人の欠点や過ち
徳の内実です。人間が、その創造において持たされて生
は見えません。「信じる者に告げなさい、彼らは自らの
まれた礼儀と恥じらいを失ってしまったなら、「最も高
目を守らねばならない」というクルアーンの章句が私た
く創られた」存在でありながら人間 としての地位を失い、
ちに告げています。すなわちこの章句によって学びを得
価値の無いただの生きものになってしまうことでしょう。
た目ならば、他の人の秘密やプライバシーを暴いたりは
私たちの預言者は、礼儀と恥じらいは信仰の表わ れであ
しないということです。恥じらいや礼儀をもって閉ざさ
り、これを捨て去った者は失望に引きずり込まれるだろ
れた耳ならば、全能の主が嫌いたもうあらゆる言葉を閉
うと語っておられます。 兄弟姉妹の皆様! さあ、共に礼
め出します。恥じらいと礼儀の甘さを味わった心と魂な
儀と恥じらいが大いなる宝物であることを今一度思い出
らば、敵意や悪意、傲慢や憎悪といった世間にはびこる
しましょう。共に私たち自身の過ちについて認め、 自ら
概念の檻に閉じ込められることもありません。 敬愛すべ
を正しましょう。審判の日が訪れ、時と場所とが私たち
き兄弟姉妹の皆様! いつの時代においても、人間はあら
の行為を証言する前に、共に私たち自身が自らの証人と
ゆる場面とあらゆる場所において礼儀と恥じらいを必要
なりましょう。良き信仰者であれるよう、共に努力しま
としています。私たちの文明において、礼儀は最高の価
しょう。私たちが最も愛する預言者の行為や態度をこそ、
値あるものとして考えられてきました。しかしながら現
共に私たち自身の鑑としましょう。 信仰者たちの勲章で
代においては多くの人びとが、礼儀と恥じらいを失なっ
ある美しい言葉をもって、本日の私のホトバを終わりま
てしまったために苦しんでいます。道徳の崩壊に直面し
す。「恥じらいとは、全能の主の聖なる光の中の王冠で
ているのです。道徳的な価値が、徐々に変質しつつあり
ある。この王冠をいただき、悪と害から免れよ」