勿体ない

新ヒラリ ズム
6 の9
勿体ない
陽羅
義光
〈断・捨 ・離 〉と唱 えて、
「捨てろ 、捨 てろ」 という 人もい るけ れ ども、
『もった いな い!』 と叫ん で、
〈ドキュ メン タリー 映画〉 を作る 人も い る。
多様化 の時 代だか ら、どっち も一理 あ るんだが 、
「捨て る」は〈 1の7 〉
でやって いる から、 今 回は その「 勿体 な い」のほ うを 取り上 げる。
『好色一 代男 』の井 原西鶴 の句。
【浮世の 月見 過しに けり末 二年】
実に含 蓄の ある句 で意味 が解り にく い 。
「人生五 十年 」
といわ れて いた時 代、西 鶴は五 十二 歳 になった 。
そこで 辞世 の句と して作 ったも ので あ る。
それを 考え るとす こしは 解って くる 。
この世 の月 を二年 も余分 に見過 ぎて し まった。
実に「 勿体 ない 」。
この「 勿体 ない」 には、
謙遜あ り、
感謝あ り、
揶揄あ り、
後悔あ り、
懺悔あ り、
惜別あ り、
畏敬あ り、
何でも あり 。
『広辞苑 』で 引 くと 、
「勿体な い」は、
「物 の本体 を失す る」意 だから 、物の 値打ち が生か され
ず無駄に なる のが惜 しい、 となる 。
つまり 、現 代の「 もった いない !」 は 、倹約・ 節約 ・リサ イクル 。
しかし、西鶴の「 末二年 」
(勿 体ない)には、さっ き列記 した色 んな 感
情がある 。
この色 んな 感情を 、現代 人も 参考に し て、今後 「勿 体ない 」を使 って
はどうか 。
さすれ ば色 んな感 情を籠 めら れるし 、 色んな生 活感 が味わ えると いう
ものであ る。
ううむ 、久 しぶり に良い 提案が でき た 。
我が西 鶴も 喜んで くれて いるに ちが い ない。