ヒラリズム 5の4 陽羅 義光 性善・性悪 今はどうなのかよく知らないが、わしらの若い頃は「性善 説 」「 性 悪 説 」 が よ く 取 り 沙 汰 さ れ た 。 「そうか君は性善説を信じるのか、僕は性悪説の方だな」 「人間が生まれつき悪なら、人間は生きる価値がないのでは な い か 」「 人 間 が 生 ま れ つ き 善 な ら ば 、 死 刑 廃 止 に 賛 成 だ な 」 等々の台詞がしょっちゅう聞かれたものだ。 そのせいかどうか、わしは長い間、この性善・性悪という ものを考え続けてきたものだ。 だから見事な答えが導きされたかというと、そんなことは あるはずもなく、未だに考え続けているというのが正直なと ころだが、ときおり三人の孫たちを眺めつつ、かつて学習塾 で 教 え た 生 徒 た ち の こ と を 想 い 出 し た り な ど し 、お ま け に( か なり記憶があやしくはなっているのだが)自分の子供時代を 回想したりしていると、何となく漠然と見えてくるものはあ ったのである。 例えば道端に百円玉が落ちているとする。 大 半 の 子 供 は「 し め し め 」と 拾 っ て ア イ ス ク リ ー ム を 買 う 、 交番に届けるなんざ偽善者。 例えば子供部屋にママが小銭入れを忘れていったとする。 大半の子供は「しめしめ」と小銭入れを開けて百円玉を数 枚抜き取るとゲームをやりに行く、いずれママにばれても、 しらないやらないで押し通す。 「 嘘 は 泥 棒 の 始 ま り 」と 云 う け れ ど も 、 「子供は嘘から始ま る」ものである。 だからわしは「性悪説」をとると云うのではない、嘘や盗 みは本当に「悪」なのかと、まずは問いたいのである。 もしそういうものが「悪」ならば「性善説」なんてものは 消し飛ぶ。 また「性悪説」をとるなら、子供や青少年の犯罪は総て教 諭と親が償わなければならない。 そんならどうなんだという声が聞こえるから、あれもこれ もはしょって、結論めいたものを提示しようや。 「性善説」も「性悪説」もどちらも違う、生まれてくる人 間は「善」でも「悪」でもない、いわば「自然」である。 「 自 然 」 に 「 善 」 も「 悪 」も な い か ら (「 自 然 」に 「 善 ・ 悪 」 を見る者は無責任野郎かインチキ宗教者である)厳しい「道 徳教育( 」別の云い方にしたほうがいいと思われるが今は思い つかない)というものが必要になる。 日教組はたぶん未だに「教育勅語」の亡霊を恐れているか ら(本人達は単なる嫌悪感だと云うかもしれないが)子供達 への「道徳教育」が無残なほど甘くなる。 それがこんにちの「いじめ」の第一問題であって、生徒を 指導する前に先生を指導する機関を作らないと「いじめ」は 決してなくならない。なぜなら「いじめ」すら(いじめっ子 に と っ て は )「 自 然 」 で あ る の だ か ら 。 それが実は「極悪」であることは教えられなければ解らな い。
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