三枝豆店

~伝統を守るために、
先代ができなかった何かを為し、革新する~
甲府市中央4丁目4-20
TEL 055-232-2228 / FAX 055-232-2294
㈱三枝豆店
明治 36 年創業
(㈱三枝豆店(甲府市中央4丁目
36年、初代
三枝正明
社長)は明治
でんきち
三枝伝吉 が甲府市桜町(現在地)にて、豆類
などの卸売を手掛けたことに始まる。初代伝吉は、豆を荷車
で運び、郡内地域や峡東地域まで行商して廻ったほか、店で
煎って提供する豆は当時から喜んで食べられたという。明治
から大正、そして昭和へと時代が変わる頃には、2代目とな
ただ お
る惟雄を養子に迎え、社屋も新築して商売は順風満帆に見え
節分の豆を煎る三枝正明 社長
た。ところが、やがて昭和に入ると、世の中は次第に大戦の
ただ お
暗い雰囲気に覆われるようになる。惟雄はその後の配給制度
ただ お
を見据えて豆販売商の組合を組織し、戦地に向かったという。惟雄はその後、生きて故郷の地を踏むこ
とはなかったが、戦時中の三枝豆店は市民に食料を配給する場所として重要な役割を果たすことになっ
た。
まさる
敗戦の焼野原からお店を立て直したのは、3代目 勝 (現 三枝社長の父)の頃であった。勝は、もと
もとお店に出入りしていた腕利きのパン職人で、気に入られて婿としてお店に入った。この頃から三枝
豆店は、豆だけでなく、全国のおつまみや珍味も扱うようになった。「さ、い、ぐ、さ、まめ~てん」。
誰もが耳にしたことがある、あのおなじみの CM ソングができたのは、この昭和40年代頃だという。
「親父は豆の煎り方も商売の仕方も教えてくれなかったから、豆を水に浸す時間、煎る温度、全部盗む
ようにして覚えたよ」年代物の機械を操りながら、4代目となる現三枝社長は教えてくれた。
昭和50年代頃になると甲府市郊外には、次々とショッピングセンターができるようになる。当時の
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甲府市中心商店街では、老舗の名店が軒を連ねており、郊外で商売をすることをやゆ する雰囲気もあっ
たそうだが、三枝社長は兄の勇(現会長)とともに郊外型ショッピングセンターへ次々と出店すること
を決めた。「今までずっと中心街で商売をしてきたから、出店は賭けのようなところもあった。でも、一
歩外に出たことで外からお店(本店)を眺められるようになったし、本店を守ることができた」
郊外へ出店しているお店は概ね売場面積が10坪で500アイテムを扱う。本店では倍の1,000
アイテムを扱っているから、ショッピングセンターに置いていない商品を求めてわざわざ郊外から来て
もらえる、という。三枝社長いわく「うちのアイテムはいわばルーキー(新人)か補欠だけど、いい仕
事をするやつを取り揃えている。4番バッターはどこでも扱うから結局価格競争になっちゃう」
たしかに、㈱三枝豆店で扱う商品の中には「カレービンズ
セサミ」や「わさび小僧」など、あまり
よそ(他店)の店頭では目にしないが、特色があって選ぶ楽しさにあふれたものが並んでいる。それに
加えて、北海道産大豆を煎った節分豆や千葉県産落花生といった不動の定番ももちろんある。
㈱三枝豆店は今年で創業112年を迎える老舗だ。長く愛される企業をつくる秘訣を三枝社長はこう
教えてくれた。「伝統を守りながらも、自分で考えて先代ができなかった何かをし、革新すること。2代
目は豆の組合をつくった。3代目は豆に加えておつまみを始めた。そして自分の代では本店のアンテナ
ショップとしてショッピングセンターへ出店した。その時代に応じて、先代ができなかった何かを考え
て実行することが必要だと考えています。日々勉強、日々努力です」
(株)三枝豆店の伝統と革新は今も引き継がれている。