研究会 Reports 第 16 回 不安障害・気分障害研究会 老年期うつ病に対するミルタザピンの使用経験 * 山田幸樹 焦燥感が強く,心気妄想もみられた.血液検査上,甲状 ◆はじめに 腺機能を含め異常所見を認めず,頭部 MRI では陳旧性 わが国の高齢化は急速に進んでおり,2020 年までに ラクナ梗塞,軽度脳萎縮の他異常はなかった.改訂長谷 65 歳以上の人口は約 3,000 万人に達すると予測されて 川式簡易知能評価スケール(HDS-R)では 27/30 点, いる.核家族化という高齢者がサポートを得にくい環 Mini-Mental State Examination(MMSE)は 28/30 点 境,年金問題など,高齢者を取り巻く環境は厳しくなっ であり,明らかな認知機能の低下は認めなかった.反復 ており,うつ状態に陥る高齢者の数も急増する可能性が 性うつ病性障害,精神病症状を伴う重症うつ病エピソー ある.高齢者のうつ病治療においては,栄養状態,全身 ドと診断した. 状態の悪化による ADL の低下を防ぐため,安全かつ迅 【治療経過】 ミルタザピン 30 mg,クエチアピン 25 速な改善が求められるが,遷延化する症例は少なくな mg の投与にて希死念慮,焦燥感は軽減したが,便通へ い.今回ミルタザピンにより比較的早期に改善が得られ のこだわりが持続し「一度入院したら二度と退院できな た老年期うつ病の 2 例を経験したため,その経過を通し い」という悲観的な発言も続いた.そのため,ミルタザ て,高齢者のうつ病治療におけるミルタザピンの位置づ ピンを 45 mg に増量したところ,抑うつ気分が改善す けについて考察する. るとともに徐々に便通へのこだわりが軽減し,外出を希 望するなど,意欲の改善を認めた.その後,寛解状態に ◆症例提示 ઃ)症例 1 至り同年 9 月に退院となった. 79 歳男性 )症例 2 【現病歴】 X-24 年(54 歳),気管支拡張症に伴う体 75 歳男性 力低下や便通の不調を契機に抑うつ的となり,当科を初 【現病歴】 X 年 2 月(73 歳),ふらつきを自覚し,近 診した.うつ病の診断にて入院し,薬物療法で改善し 医を受診したが, (神経学的ないし耳鼻科的などの言葉 た.退院後の経過は良好で間もなく終診となった. を入れる)異常は指摘されなかった.以降も自覚的なふ その約 20 年後の X 年 4 月(77 歳) ,息子の交通事故 らつき感は持続し,その後,尿の出にくさも感じるよう 死を契機に不眠,食思不振,意欲低下が出現した.過度 になった.同時期より趣味であったテレビ鑑賞をしなく に便通にこだわり「毒素が体内を駆け巡ってしまう」 なり,友人と会うことや外出も避けるようになった.表 「癌になってしまう」などの心気妄想が出現し,希死念 情に生気がなくなり,異常を感じた家族とともに同年 2 慮も伴ったため,同年 6 月 10 日に当科入院となった. 月下旬に当科を初診した.うつ病の診断で,外来治療が 【現症・検査所見】 入院時,表情は暗く,時に苦悶様 であった.抑うつ気分,意欲低下を認める一方,不安, 開始されたが,改善は乏しく,同年 5 月に当科入院と なった. YAMADA Koju/*日本大学医学部精神医学系 分子精神医学 Vol. 15 No. 4 2015 61d313e 表 1.抗うつ薬の副作用 抗コリン作用 眠気 不眠・攻撃性 起立性低血圧 QT 延長 消化器症状 アミトリプチリン 4+ 4+ 0 3+ 3+ 1+ アモキサピン 2+ 2+ 2+ 2+ 2+ 0 クロミプラミン 4+ 4+ 1+ 2+ 2+ 1+ イミプラミン 3+ 3+ 1+ 4+ 3+ 1+ ノルトリプチリン 2+ 2+ 0 1+ 3+ 0 Citalopram 0 0 1+ 1+ 1+ 1+ エスシタロプラム 0 0 1+ 1+ 1+ 1+ フルボキサミン 0 1+ 1+ 1+ 0〜1+ 1+ パロキセチン 1+ 1+ 1+ 2+ 0〜1+ 1+ セルトラリン 0 0 2+ 1+ 0〜1+ 2+ デュロキセチン 0 0 2+ 0 0 2+ ミルナシプラン 1+ 1+ 0 0 0 2+ 1+ 4+ 0 0 1+ 0 三環系抗うつ薬 SSRI SNRI NaSSA ミルタザピン 1) (Nierenberg AA et al, 2008 より引用) 【現症・検査所見】 入院時,暗く冴えない表情で,問 は聞かれなくなり,抑うつ気分が徐々に改善し,表情に 診に対して答えるものの,声は小さく抑揚に乏しかっ も明るさがみられるようになったため,同年 8 月に退院 た.本人の訴えから,抑うつ気分,意欲低下,興味関心 となった. の低下が明らかであった.排尿が思うようにいかないこ とを不安がり,重大な病気があると訴えたが,泌尿器科 ◆症例のまとめ 的な問題はみられなかった.診察室では,静座困難でう 症例 1,症例 2 ともに 70 代男性,心気妄想を伴った ろうろ落ち着きなく歩き回った.血液検査上甲状腺機能 重症うつ病エピソードであった.ともにミルタザピンを を含め異常を認めず,頭部 MRI は脳室周囲の虚血性変 45 mg まで投与したことにより,目立った有害事象を認 化,軽 度 脳 萎 縮 が み ら れ た.HDS-R は 26/30 点, めることなく比較的速やかに抑うつ症状が改善した. MMSE は 27/30 点であり,明らかな認知機能の低下は 認めなかった.大うつ病性障害,精神病症状を伴う重症 うつ病エピソードと診断した. ◆老年期うつ病の臨床的特徴および従来治療に ついて 【治療経過】 ミルタザピン,クエチアピンの投与開始 老年期うつ病の臨床的特徴は抑うつ気分,精神運動抑 により,睡眠は改善し,焦燥感も軽減した.しかし,排 制が目立たず,身体的,心気的な訴えが多く,罪業妄 便,排尿に関する訴えは持続したため,適宜必要と思わ 想,貧困妄想に発展しやすいことが挙げられる.また不 れる身体科(消化器内科,泌尿器科)の受診を行い,器 安・焦燥が強く,自殺の危険性が高いことも指摘されて 質的疾患の存在を否定したうえでミルタザピンを 45 mg いる.経過としては,うつ症状が遷延しやすいため身体 まで増量した.その後,徐々に排便,排尿に関する訴え 的な問題が生じやすいことも特徴である. 62d314) 分子精神医学 Vol. 15 No. 4 2015 研究会 Reports:第 16 回不安障害・気分障害研究会 (%) 45 40 35 30 25 20 15 10 5 0 0~14歳 15~39歳 40~64歳 65~74歳 75歳以上 図 1.5 種類以上服薬している通院患者 2) (厚生労働省ホームページ より改変引用) (%) 50 * 40 *p≦0.05vsプラセボ * * ミルタザピン (n=184) :24.8mg * 寛解率 30 アミトリプチリン (n=187) :144.2mg 20 プラセボ (n=182) 10 寛解HAM-D17≦7点 0 6週目 試験終了時 図 2.ミルタザピン,アミトリプチリンの効果比較 4) (Stahl S et al, 1997 より引用) 従来,老年期うつ病の治療においては,焦燥感が目立 ることから,QT 延長が不整脈発症のリスクにつながる つという臨床的特徴から鎮静作用の強い三環系抗うつ薬 とも考えられる.表 1 にあげるように,三環系抗うつ が好まれて使用されてきた.しかし,三環系抗うつ薬は 薬と SSRI,SNRI,NaSSA などの新規抗うつ薬との比 忍容性の低い高齢者において種々の副作用が問題となる 較では,新規抗うつ薬において副作用が少なく,高齢者 ことがあった. に対しても比較的選択しやすい薬剤と考えられている. 1) すなわち,起立性低血圧から生じる転倒,抗コリン作 用によるせん妄発生や,高齢となり心疾患併存率が高ま 分子精神医学 Vol. 15 No. 4 2015 63d315) 25 る老年期うつ病に汎用されていたアミトリプチリンと同 ミルタザピン パロキセチン 等の効果が得られることが示されている(図 2). 65 歳以上のうつ病患者を対象としたミルタザピンと 20 5) HAM−D17 total パロキセチンの比較試験 では,投与開始早期の 7 日目 から有意差をもってミルタザピンの効果が現れ,以後も 15 その効果が持続したことが報告されている(図 3). * * 10 * いずれの試験においても,ミルタザピンの抗うつ効果 * が SSRI,三環系抗うつ薬に劣ることはなく,早期から 効果を発揮していることが示されている. *<0.05 5 ◆おわりに 0 0 7 14 21 28 42 ミルタザピンの投与により改善した高齢者の重症うつ 56 (日) 病の 2 例を経験した.高齢者のうつ病においては,副作 投与期間 図 3.ミルタザピン,パロキセチンの効果比較 5) (Schatzberg AF et al, 2002 より引用) 用および薬物相互作用が少なく,効果発現の速い薬剤の 選択が望まれる.その点においてミルタザピンは有用な 選択肢になり得ると考えられた. ◆老年期うつ病治療における問題点 謝辞 前述のように,老年期うつ病では,身体疾患が併存す るケースが多く,5 種類以上の薬剤を服用している通院 日本大学医学部精神医学系精神医学分野 内山真教授のご 校閲に感謝いたします. 患者の割合は 65 歳以上で 3 割弱に達し,75 歳以上では 唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖 2) 4 割までに達する(図 1) .そのため,身体疾患に対し て用いられる薬剤との相互作用にも留意する必要があ 文 献 り,相互作用の少ない抗うつ薬を選択することが老年期 1) Nierenberg AA, Ostacher MJ, Huffman JC et al:A brief うつ病の治療においては理想的である.新規抗うつ薬で review of antidepressant efficacy, effectiveness, indications, and usage for major depressive disorder. J Occup は,薬物相互作用が生じやすいことが知られているが, Environ Med 50:428-436, 2008 薬物代謝酵素 CYP の活性という観点からみると,ミル 2) 厚生労働省ホームページ:http://www.mhlw.go.jp/ タザピンの活性阻害は他の新規抗うつ薬に比較して弱 toukei/saikin/hw/sinryo/tyosa08 3) く ,その点において良い選択肢と考えられる. 3) Spina E, Santoro V, DʼArrigo C:Clinically relevant pharmacokinetic drug interactions with second-genera- ◆ミルタザピンの抗うつ効果について ―SSRI,三環系抗うつ薬との比較― tion antidepressants:an update. Clin Ther 30:12061227, 2008 4) Stahl S, Zivkov M, Reimitz PE et al:Meta-analysis of 図 2 にミルタザピンとアミトリプチリンの効果に関す randomized, double-blind, placebo-controlled, efficacy 4) る 4 試験のメタ解析 の結果を示した.症例数はミルタ and safety studies of mirtazapine versus amitriptyline in ザピン 184 例,アミトリプチリン 187 例,平均投与量は major depression. Acta Psychiatr Scand Suppl 391:2230, 1997 それぞれ 24.8 mg と 144.2 mg であった.HAM-D(17 5) Schatzberg AF, Kremer C, Rodrigues HE et al:Double- 項目)の 7 点以下を寛解と定義し,治療開始から 6 週目 blind, randomized comparison of mirtazapine and と試験終了時の寛解率を比較すると,2 剤ともプラセボ paroxetine in elderly depressed patients. Am J Geriatr に対する優位性が示されたほか,従来,焦燥が前景とな Psychiatry 10:541-550, 2002 64d316) 分子精神医学 Vol. 15 No. 4 2015
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