原油安下のマレーシア財政

みずほインサイト
アジア
2015 年 4 月 9 日
原油安下のマレーシア財政
アジア調査部研究員
支出削減で財政赤字は抑制も歳入面での改革が必要
03-3591-1368
杉田 智沙
[email protected]
○ 補助金の支出負担が大きくかつ石油関連収入への依存度が高いマレーシアは、潜在的な財政悪化リ
スクを抱えており、補助金削減や物品・サービス税(GST)導入などの財政改革に取り組み
○ 2014年秋以降の原油安により財政の大幅悪化が懸念されるなど、石油関連収入依存の脆弱性が顕在
化。政府は不要不急の経常支出の削減により2015年度の財政赤字拡大は抑制
○ 原油価格の長期低迷による石油関連収入の伸び悩みと所得税・法人税減税による税収減が見込まれ
る中、GSTの税率引き上げや免税品目削減に踏み込まなければ、財政悪化が続く懸念
1.はじめに
マレーシアでは、世界金融危機後の不況を乗り切るため、2009年に大規模な景気対策が行われ、政
府債務残高が急増した(図表1)。その後も政府債務残高は増加傾向をたどり、法定上限1の55%に近い
水準まで上昇した。2013年7月、格付機関フィッチは、高水準の財政赤字と政府債務残高に対する懸念
を表明すると共に、歳出に占める補助金の割合が大きいことや歳入における石油関連収入への依存度
が高いことによる潜在的な財政悪化リスクを指摘し、マレーシアの格付け見通しを安定的からネガテ
ィブに引き下げた2。こうした事態に対し、政府は危機感を強め、同年9月に燃料補助金をはじめとす
る補助金の削減を実施し、10月には物品・サービス税(Good and Services Tax:GST)の導入を決定
した。さらに、2014年10月にも燃料補助金を削
図表 1
(GDP比、%)
減した。これらの措置の効果により、同月に発
政府債務残高
60
12年末
53.3%
表された2015年度(1~12月)予算案では、財政赤
55
字が2014年度のGDP比3.5%から3.0%に改善する
ことが見込まれた。
13年末
54.7%
50
しかし、2014年秋以降の原油安により、フィッ
14年末
54.5%
45
チが指摘した石油関連収入への高依存の問題が表
面化し、財政悪化への懸念が再燃している。金融
40
市場では、財政悪化の懸念が嫌気され、マレーシ
35
アリンギの対米ドルレートは、2014年10月1日~
30
2015年4月6日にかけて、10.4%下落した。このよ
2008
09
10
11
12
(注)GDP は四半期後方 4 期平均。
(資料)マレーシア中央銀行
1
13
14
(年)
うな状況の中、政府は1月20日、財政悪化を抑えるための追加措置を盛り込んだ2015年度修正予算を発
表した。これに対して、フィッチは、財政悪化を回避するための政府の取り組みは不十分であるとし
て3、格下げの可能性を示唆している。そこで本稿では、財政悪化懸念に対するマレーシア政府の主な
対応を、①2013年以降に打ち出された燃料補助金の削減とGSTの導入、②原油価格急落の影響を織り込
んだ2015年度修正予算における措置に分けて整理した上で、今後の課題について検討したい。
2.燃料補助金削減と GST の導入
(1)燃料補助金の削減
燃料補助金は、マレーシア財務省による2014年度見込値で232億リンギと、補助金全体の約6割、歳
出全体では約9%を占める。前述のとおり、2013年9月に政府は、軽油とRON95ガソリン(レギュラーガ
ソリンに相当)向けの補助金を1リットル当たり0.2リンギ削減した。さらに、2014年10月にもそれぞ
れ0.2リンギ削減した。これについて、アブドゥル・ワヒド・オマル首相府大臣は、燃料補助金を年間
(2014年10月~2015年9月)で48億リンギ削減できると発言している4。これを基に換算すると、2015
年度には36億リンギ支出を削減でき、燃料補助金を2014年度見込値対比で1割超減らす効果に相当する。
また、2015年度予算案の発表後、原油価格が大幅に下落したことを受け、政府はそれまで固定して
きた国内燃料価格を弾力化する方針に転換し、2014年12月以降、RON95ガソリン、軽油の小売価格を市
場価格に合わせて毎月見直す「管理フロート制」を導入している。管理フロート制により、燃料補助
金が2014年度見込値対比で5割弱削減されることになった。
(2)GST の導入
政府は、財政悪化懸念を受けて、石油関連収入への高依存を減らすことに加え、国際競争力維持の
ために法人税・所得税の税率を引き下げる方針をとっており、それに伴う直接税収の減少を間接税で
補うことを目指していた。2013年10月の2014年度予算演説において、従来から存在する売上税・サー
ビス税(Sales and Services Tax:SST)に代わって、2015年4月にGSTを導入する方針が打ち出された。
GSTは、小売段階における単段階の課税方式をとるSSTとは異なり、製造、卸・小売などの各取引段
階で課税される多段階の課税方式をとる上、GSTの課税対象品目の範囲はSSTに比べて広い。したがっ
て、SSTに代わってGSTを導入することにより税収の増加が見込まれる。
ただし、GST導入に伴う生活負担の増大を軽減するため、低・中所得層向けに一時金5が49億リンギ
支給される。さらに、GSTにおいても、一部食品や公共料金、医薬品など免税品目が設定されており、
それらを合わせると消費者物価指数の構成品目の2割に相当するとの推測がある6。SSTの税率が売上税
5~10%、サービス税6%であるのに対し、GSTの導入時の税率は、SSTに対する増収効果が維持できる
水準である6%に決定されたが、免税品目の設定や一時金支給によって、GSTによる増収効果が減殺さ
れるという問題がある。このため、SSTと比べたGSTの歳入純増効果は6.9億リンギにとどまる。
以上の燃料補助金削減とGST導入による財政収支改善効果を主因として、2015年度当初予算では財政
赤字のGDP比が2014年度予算と比べて0.5%PT改善し、3.0%となる見通しとなっていた。
2
3.修正予算における財政収支の変動
(1)予算修正の背景
次に、1月20日発表の修正予算をみていこう。予算の修正に際して、政府は、当初予算における原油、
経済成長率、為替の想定が現実に合わなくなったと指摘している。特に、原油価格は、2014年秋以降、
新興国経済減速を背景とする需要不足とシェール
図表 2
予算の前提
オイル等の影響による供給過剰から大幅に下落し
当初予算
修正予算
(2014年10月) (2015年1月)
た。このため、原油価格見通しは、当初予算の1バ
レル当たり100米ドルから55米ドルに引き下げられ
原油価格
(1バレル当たり)
下振れなどの外部環境悪化を受け、前年比+4.5~
マレーシアの
実質GDP成長率
世界経済の実質GDP成長率
5.5%に引き下げられた。また、2014年12月~2015
世界銀行
IMF
た(図表2)。実質GDP成長率見通しも、世界経済の
年初めに、予期していなかった洪水災害がマレー半
島東部で発生し、その対策が必要となったことも財
政見直しにつながった。
100米ドル
55米ドル
+5~6%
+4.5~5.5%
+3.4%
+3.9%
+3.0%
+3.8%
3.6
リンギの対米ドルレート
3.2
(1月20日時点)
(資料)財務省、ナジブ首相スピーチ(1 月 20 日)
、
CEIC などよりみずほ総合研究所作成
(2)財政赤字拡大要因①―原油安の影響
原油安により、まず、歳入の約3割を占める石油関連収入(石油所得税、石油ロイヤルティ7、国営
石油会社ペトロナスからの配当)が減少する。政府試算では、原油価格の見通しが、当初予算の100
米ドルから55米ドルに下がることで、当初予算比138億リンギ歳入が減少する(図表3)。
図表 3
修正予算における財政収支
(億リンギ)
当初予算案
財
政
赤
字
の
拡
大
要
因
財
政
赤
字
の
抑
制
措
置
財政収支に
対する影響
財政収支
―
▲ 357
GDP比
▲3.0%
石油関連歳入の減少
▲ 138
―
―
ガソリン・軽油向け補助金廃止
+107
―
―
▲ 52
―
―
▲440
▲3.9%
原油安
洪水被害対策 復興支援、被災世帯への支給など
景気対策
輸出促進プログラムの強化、道路・鉄道ターミナルの改修、
ビザ免除措置、電力料金値上げの延期など
▲ 83
(予算案比▲83)
公務員の海外出張、イベントなどの取り止め
+16
―
―
国家サービス訓練プログラム(PLKN)の先送り
+4
―
―
政府機関、政府系企業、政府系信託基金への助成金の削減
+32
―
―
事務機器・ソフトウェア、車両など不要不急の資産の購入計画の見直し
+3
―
―
GST登録企業数の上振れに伴う歳入増
+10
―
―
政府系企業からの追加配当
+4
―
―
69
▲371
(予算案比▲14)
(資料)財務省、ナジブ首相スピーチ(1 月 20 日)などよりみずほ総合研究所作成
3
▲3.2%
一方、前述のとおり2014年12月以降、管理フロート制に移行している。これにより、燃料補助金支
出は当初予算比107億リンギ減少する。
以上から、原油安の影響を総合すると、財政収支は31億リンギ(GDP比0.3%)悪化する。
(3)財政赤字拡大要因②―洪水被害支援・景気対策
次に、原油安以外の財政赤字拡大要因をみていこう。まず、洪水被害への支援として、倒壊したイ
ンフラの整備や、住宅の建設、被災者への一時金支給などが追加的な歳出となった。
また、修正予算では、バランスの取れた包括的で持続的な経済成長を支援するとして、輸出促進(輸
出業者の顧客開拓支援、輸出入手続きの効率化など)、中国などからの観光客のビザ取得費用免除、道
路・鉄道ターミナルの整備などの施策も打ち出された。
これらの施策の財政収支に対する個別の影響は明らかにされていないが、洪水被害支援・景気対策
などをまとめると52億リンギの財政収支悪化となる。これを原油安による影響と合わせると、当初予
算対比で83億リンギ財政収支を悪化させることとなる。当初予算では財政赤字が2014年度のGDP比
3.5%から3.0%に改善する見込みであったが、むしろ3.9%に悪化する見込みに変わった。
(4)財政赤字抑制措置
これを受けて、財政収支の悪化を抑えるため、修正予算には追加的な財政赤字抑制措置が盛り込ま
れた。具体的には、公務員の海外出張やイベントの取り止め、不要不急の事務機器などの購入の延期、
政府系企業への助成金の削減などにより、経常支出を 55 億リンギ削減する。
また、追加措置以外の要因として、GSTにおいて、課税事業者としての登録企業数が当初予想を上回
ったことによる歳入の上振れや、国営企業からの追加配当などにより、税収が14億リンギ上振れる見
通しである。
以上から、原油安、洪水被災への支援、景気対策などに、追加的な財政赤字抑制措置を勘案して総
合的にみると、財政赤字の拡大幅は14億リンギに抑制されることとなり、財政赤字のGDP比は3.2%と、
2014年度の3.5%との対比で改善する形は維持された。
4.今後の懸念と課題
2015年度修正予算では当初予算と比べた財政収支の悪化幅がGDP比0.2%に抑制されたが、これは主
として経常支出の削減によるものである。しかし、以下に述べる理由から、歳入面の改革にも取り組
まなければ、今後、財政悪化が続く可能性がある。
まず、依然として石油関連収入への依存度が高いことである。2015年度修正予算においても、石油
関連収入が歳入に占める割合は22.1%と、法人税の32.8%に次ぐ割合を占めており、原油価格に左右
されやすい歳入構造となっている。米国のシェールオイルの生産調整ペースが鈍く、OPECによる減産
も見込みにくい状況下、供給過剰が続くことから原油価格の低迷は長引く見通しである。石油関連収
入に代わる財源を早急に拡充する必要がある。
次に、政府は、国際競争力を維持して、優秀な人材・企業誘致を図るため、法人税・所得税率の引
き下げを行う方針であり、直接税収が減少する可能性があることが挙げられる。マレーシアの個人所
4
得税率(最高税率26%)は、タイの35%、日本の45%と比べると低位にとどまるものの、高度な人材
の誘致で競合するシンガポールの20%よりは高い。また、法人税率(25%)は、シンガポールの17%、
香港の16.5%などに比べて高い8。こうした状況を踏まえ、2015年度には個人所得税の減税が行われ、
2016年度には法人税の減税が行われる方針である。
石油関連収入への依存構造を変革し、直接税の減収をカバーするためには、2015年4月に導入された
GSTを拡充することが望ましい。景気に左右されやすい法人税や個人所得税に比べて、GSTは安定的な
税収を見込める。ナジブ首相は、GST導入を発表する際に、6%の税率が周辺国と比べて低い(タイ・
シンガポールが7%、インドネシア・ベトナム・カンボジア・フィリピン・ラオスが10%)ことを強調
しており、税率引上げの余地がある。導入時の税率を決定する段階では、原油安による歳入への影響
が考慮されていなかったことからも、GSTの税率引き上げを検討すべきである。今後、GSTの税率引き
上げだけでなく、免税品目の削減も検討の余地があろう。
5月に発表される予定の「第11次マレーシア計画」
(2016~2020年)では、開発予算や実質GDP成長率
目標、財政赤字削減目標などが示される予定であり、中長期的な財政改革の展望が明らかとなるだろ
う。その内容は格付けにも影響するとみられることから、歳入面にも踏み込んだ財政改革方針が打ち
出されるのかが注目される。
【参考文献】
菊池しのぶ・宮嶋貴之(2015)「原油価格下落によるインドネシア、マレーシアへの影響をどうみる
か」(みずほ総合研究所『みずほインサイト』2015年1月23日)
杉田智沙(2014)「マレーシア:進み始めた財政改革~財政は改善の方向も中期的課題は残る~」(み
ずほ総合研究所『みずほインサイト』2014年3月27日)
杉田智沙(2013)「マレーシア総選挙は与党勝利~事前の敗退懸念が覆り、株価は上昇~」(みずほ
総合研究所『みずほインサイト』2013年5月17日)
1
Loan(Local) Act 1959,Government Funding Act 1983 に基づく。
“Fitch Revises Malaysia’s Outlook to Negative; Affirms IDRs at ‘A-‘/’A’”(Fitch Ratings Press Release, 30 July
2013)
3
“Malaysia Budget Revision Highlights Structural Weakness”(Fitch Ratings, 21 Jan 2015)
4
“Easing the burden on people~SUBSIDY RATIONALISATION: Savings will be directed towards three programmes, says
minister”(The New Strait Times, 9 Oct 2014)
5
月収が 3,000 リンギ以下の世帯に対して 950 リンギ、3,000~4,000 リンギの世帯に対して 750 リンギ、月収 2,000 リンギ以下
の 21 歳以上の独身者に対して 350 リンギが支給される。
6
イスラム銀行チーフエコノミストの Mohd Afzanizam Abdul Rashid 氏は、CPI 構成品目のうち 20%が免税品目に該当すると述
べている。“Volatile CPI expected”(The Star, 25 March 2015)
7
権利使用料。契約を締結した開発事業者が、収益の中から決められた取り分を国に支払う。
8
法人税率(表面)は、香港が 16.5%、シンガポールが 17%、タイ・カンボジアが 20%、韓国・ベトナムが 22%、インドネシ
アが 25%である(2015 年 3 月時点)
。
2
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